《前編》 より
 

 

【東欧からのヒッピー】
 意外なのは、東からこうしたヒッピーがアジアに来ているということだった。私のもっている貧しい知識の東欧に、そのような自由があるとは思いもよらないことだったからだ。
 「どういうルートで来たんだい?」
 「鉄道でワルシャワからモスクワを経由してテヘランに出てきたんだ」
 なるほど、彼らにはそういう方法があったのだ。・・・(中略)・・・。しかも、それで13ドルしかかからないという。東欧の若者はソ連の鉄道を割安で利用できるからだという。・・・(中略)・・・。聞けば彼のようなヒッピータイプの貧乏旅行者は、東欧からも、少なくともポーランドからはかなりの数に上るはずだという。(p.169)
 3つビックリである。この旅はおよそ30年前の記録だから、
 冷戦時代の東欧から、ヒッピーがアジアに多量に来ていたなんて!
 モスクワからイランまで鉄道で繋がっていたなんて! (まあ、よく考えれば当たり前かぁ)
 いくら割安とは言えワルシャワからイランの首都テヘランまでたったの13ドル!(当時のレートである360円で換算しても4680円)
 インドに関する東西の若者たちの反応の違いが書かれている。社会主義の国から来た若者たちは、インドの貧困や不潔さに対してあからさまな嫌悪感を示し、バクシー地獄に関してもあらん限りの罵り言葉を並べていた。
   《参照》   『第三の道』 糸川英夫 (CBS/ソニー出版) 《前編》
             【バクシー地獄】

 ソ連崩壊の5年以上前だから、このような東欧圏の若者の感想は充分あり得ただろう。しかし、資本主義の国から来た若者たちは、そのような反応をしなかったという。資本主義国・イギリスの若者は搾取側だからインドの貧困を罵れる立場にない。むしろ貧困を定着させた側である。
 彼ら(資本主義の国から来た若者たち)の口ごもりが、インドの貧困に深いところで自分たちも無縁ではないから、というような歴史的な罪悪感によるものだとは思えなかった。長く旅を続けているうちにすべてのことが曖昧になってきてしまうのだ。黒か白か、善か悪かがわからなくなってくる。何かはっきりしたことを言える自信がなくなってくる。なぜ物乞いを否定できるのか、なぜ不潔であることが悪いのか、分からなくなってくる。憎悪や嫌悪すら希薄になってくる。だから、たとえインドの貧困について話していても、無限の「しかし・・・」が連ねられることになるのだ。その意味では、東のヒッピーの、このいっそ純白といっていいくらいの嫌悪の表白は、むしろその健康さの表れなのかもしれなかった。だが、東の若者たちにもいつか「しかし・・・」と口ごもる時代がこないとも限らない。(p.170)
 インドの貧困の原因として、先進国(イギリス)の関与だけをあげるのは確かに間違っている。インドの貧困を論じていたガルブレイスの『大衆的貧困の本質』のような著作もあるけれど、インドの貧困の本質はやはりインドにある。その根拠は、上記の書き出しにあるように、インドという風土に長く居続けるとあらゆる思考が溶けてしまう、という“無形の力”がインドには実在することである。眸も虚ろになってくるのである。
   《参照》   『若きビジネスマンはインドを目指す』 芝崎芳生 (プレジデント社) 《前編》
             【バックパッカーに足りない視点】

 

 

【大使館のメールボックス】
 住所不定の長期旅行者にとって、大使館のメールボックスは、家族や親しい者と結ぶ唯一の窓となっているのだ。(p.220)
 現在のBP(バックパッカー)達は、軽量のPCを持ち歩いているから単なる連絡なら必要ないけれど、物品を受け取りたい場合は使える。

 

 

【その日ぐらしの旅人にとって重要なことは・・・】
 私たちのようなその日ぐらしの旅人には、いつのまにか名所旧跡などどうでもよくなっている。体力や気力や金力がそこまで廻らなくなっていることもあるが、重要なことは一食にありつくこと、一晩過ごせるところを見つけること、でしかなくなってしまうのだ。(p.222)
 観光旅行しかしたことのない人たちは、この記述を読んで「本末転倒じゃないの」と思うのだろうけど、長期旅行者たちの目的は、「旅を一日でも先に延ばすこと」であり、名所旧跡などどうでもよくなってしまうメンタルに影響するものとして「長旅の体力的な過酷さ」があるのである。
 早朝にドミトリーを出る前の晩、「残りのパンを机の上に置いとくけど、よかったら食べてね」と言うと、大抵の若者たちは嬉しそうな顔をする。何であれ節約しつつ体力維持のために「食べる」ことは最重要課題なのである。美食目的は、あり得ない。

 

 

【日本人の腕時計】
 世界でもっとも人口に膾炙している商品の中でも、そのカバーしている国の数の多さにおいて、コカコーラと並んでセイコーに勝るものはないといえるかもしれない。これまでも、さまざまな土地で、私が日本人だとわかると、時計を交換してくれという申し込みを受けた。だが、私の時計がオモチャ同然の安物と知ると、彼らはよく、おまえは本当に日本人なのかという顔をしたものだった。(p.227)
 30年前はそうだったかもしれないけれど、今はセイコーがそんなに有名とは思えない。
 チャンちゃんには、海外で時計の交換を申し込まれた経験はないけれど、帰りの飛行機で隣に座った日本人の新婚さんがブランド物を身に付けていたから、「私のはこれです」と言って100円ショップの腕時計を見せつけてやったことがある。「物に執着する年齢は過ぎちゃったんですよ~~」とか言いながら。チャンちゃんのメンタルはインド人化しているのかもしれない。日常生活で腕時計など必要ないから持っていないのである。幾つかある時計は全部電池切れで止っている。旅は日常ではないから、やむを得ず100円ショップで購入した。まだ動いているから外出時には使っている。

 

 

 
<了>