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 『第1便』 と 『第2便』 は86年初版だけれど、この 『第3便』 はそれらより6年遅れて出ている。トルコから終着点であるイギリスまでを巡った過程が書かれている。であるけれど、チャンちゃんにとって何処を訪れたかはあまり関係ない。旅人に何が起こり、心に何が生じたかに関心があるだけである。1992年10月初版。

 

 

【旅が与えてくれたもの】
 旅は私に二つのものを与えてくれたような気がする。ひとつは、自分はどのような状況でも生き抜いていけるのだという自信であり、もうひとつは、それとは裏腹の、危険に対する鈍感さのようなものである。だが、それはコインの表と裏のようなものだったかもしれない。「自信」が「鈍感さ」を生んだのだ。私は自分の命に対して次第に無関心になりつつあるのを感じていた。(p.105)
 これを読んで、『あしたのジョー』を思い出してしまった。(著者には『敗れざる者たち』というボクシングを題材にしたルポルタージュ作品もある)
 矢吹ジョーは、相手のパンチにクロスカウンターで応じる「自信」があったから、ノーガードという「鈍感さ」で挑発した。そしてその時、ジョーは“命に無関心”だった。この場合、“捨て身“とかいうのは違うのである。瞬間の極みにおいて間違いなく”命に対する無関心“が支配していたのである。そうでなければ「灰になっちまったよ」というセリフは出てこない。

 

 

【ギリシャで出会った老人】
 ペロポネソス半島で、ニューヨークで教鞭をとっていたというアメリカ人の老人に出会った。ギリシャ語で挨拶したら反応せず、英語で挨拶したら、「英語が話せるのか」という応答から会話が始まったという。
 この国もインフレになっているがまだまだ少ない金で暮らせるということや、アメリカではできない静かな生活が送れて気に入っていることなどを話してくれた。
 異国に暮らして不自由なことはないですか。私が訊ねると、彼は自信に満ちた口調で言った。何も不自由はしていない。なぜなら私にはテレビも必要ないし、新刊本も必要ないからだ。ただ、昔読んだ古い本を読み返していればそれでいい・・・・。
 彼はやがて、ちょっとした講義口調でスパルタについて話し始めた。 (p.148)
 チャンちゃんも、将来像としてこの老人の様な生活を考えたことがあるけれど、最近は時代の変化が非常に急速だし、ここ20年以内の近未来に世界は急速に変化するはずだから、新刊本抜き、古い本だけというのは全く不可能である、と最近つくづく思っている。
 しかし、「昔読んだ古い本を読んでいればそれでいい」というこの老人は、やはり以下のように言うのである。

 

 

【廃墟の町というのは・・・】
 「ミストラへは行ったかい?」 ・・・(中略)・・・ 
 「ぜひ行くといい」 ・・・(中略)・・・ 
 「中世の宗教都市だが、ここも徹底的に破壊されている。だが、美しい町だ。廃墟の町というのは美しいものだ・・・・」 (p.148-149)
 “廃墟の町というのは美しい”というのは“滅びの美学”的な表現である。このような発想傾向にある人は、心が生きる喜びに向かっていない。
 ところで、この記述を読みながら、タイの古都の風景を思い浮かべていたのだけれど、次の頁に同じことが書かれていた。

 

 

【ギリシャとタイの古都】
 私は壁の上に腰を掛け、ミストラの全景を眺めつづけた。太陽は明るく、聞こえる音もない。古代スパルタで会ったあの老人が言っていたように、実に空虚で、だから実に美しい風景だった。
 眺めているうちに、タイの古都アユタヤが思い出された。(p.150)
 アユタヤにもスコータイにも崩壊しかかった遺跡がたくさんある。宮崎駿の『天空の城ラピュタ』の絵柄は、これらの廃墟から発想を得たんだろう、と思えるような、いかにも廃墟然としたものである。タイもギリシャも太陽が燦々と降り注ぐ土地だから亡国を嘆き哀愁を誘うと言う感じではないけれど、それらを美しいと感じるか否かは、やはりそれを見る人の精神的傾向に依るだろう。

 

 

【老人と旅人】
 アユタヤの情景を記述した後、著者は以下のように語っている。
 いま、アユタヤの遺跡群とよく似た色を持つミストラの遺跡を前にして、ゆっくりと甦ってきた。私はこのような美しい光景を見るために旅をしているのではない。だが、このような風景でないとしたら、いったい何だというのか。
 ふと、古代スパルタの廃墟で会った老人の顔が浮かんできた。彼はあそこで何をしていたのだろう。・・・(中略)・・・。英語が話せるのかと訊ねてきた彼の調子には、驚きだけでなく、話し相手が見つかった喜びのようなものも混じっていたような気がする。いま思い返せば、逃がしたくないという切迫した感じさえなくもなかった。確かに、彼にはテレビも新刊本も不必要だろう。しかし、彼もまた人だけは必要としていたのではなかったか。
 その時、私は、自分が胸のうちで、彼もまた、と呟いていたことに気がついた。そう、彼もまた、と・・・。(p.150-151)
 著者は、老人と共に自分も「孤独」であると、正直に表白している。
 
 
【孤寒】
 『深夜特急 第1便 黄金宮殿』 の中に、旅を始めたばかりの香港で筆跡鑑定のような占いを受けた場面が記述されていた。そこで著者は、「孤寒」という鑑定を受けたことが書かれていた。
 孤寒
 それを眼にした瞬間、ドキッとした。恐らく、日本にこのような言葉はないが、彼女が表現しようとしたものは明確に伝わってきた。孤寒。その優雅な言い廻しと裏腹の冷えびえとした文字の姿の中に、本当に私の性格とその未来が隠されているのではないかと思えてきた。(『深夜特急 第1便 黄金宮殿』: p.88)
 孤寒という文字は、誰であれ、ひとり旅を好む旅人に相応しい感じがする。
 「人生は旅」という表現があるけれど、古代、大陸に住む多くの人々にとって、それは単なる比喩などではなく現実そのものだった。故に「旅」の途上における「死」は普通のことであり、必ずしも “滅びの美学” 的に捉えることはなかったはずである。しかし、ひとりで旅をしている(ひとりで人生を過ごしている)人は、ひとり(孤独)であるというただそれ故に “滅び”を“美学的” に捉えたがるのである。「廃墟は美しい」のように。
 “滅びの美学” に魅せられるのは、文学的嗜好をもつ人々にとって避け得ないことだとは思うけれど、死は廃墟という言葉と同列に置かれるものではない。新たな生への接続期間の開始というだけである。それは真実であり事実であるから、“滅びの美学” は嗜好としてあってもいいけれど、それに拘りたいなら、明るく元気に “生きる美学” を実践しつつ、“滅びの美学” にかまけるべきなのである。つまり、背筋を伸ばし明るく元気に太陽に向かって “滅びの美学”。 無理かぁ。 無理なら “滅びの美学” などという嗜好にかまけるのを止めてしまえばいい。
 ひとりで長旅をしている人々は、実際のところ、美しい風景に出会っても、それを充分に美しいと感受できない。何故なのかの答えを言ってしまえば「孤独だから」である。体験上の正解は、下記リンクに書かれている。
   《参照》   『イツモ。イチマデモ。』 高橋歩 (A-Works)
             【大切なのは・・・】