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 韓国映画 『ラブストーリー』 (原題:クラシック) のノベライズ。
 4年ほど前にこの映画を見た時、“きれいな映画だった” と強く印象に残っていた。タイトルに相応しい美しい映画だった。書店でその小説を発見して即座に購入してしまった。

 

 

【 「あとがき」 を先に読むこと】
 「あとがき」 を先に読んでおけば時代背景を先んじて理解できるから、という意味で書いているのではない。
 この本を読むならば、「あとがき」 は絶対に先に読んでおかねばならない。先に読まないのなら、最後まで読まなくていい。なぜって、せっかくのラブストーリーの感傷が、政治経済的な内容の 「あとがき」 を読むことで、メチャクチャというかだいなしにされてしまうから。“感傷” が一挙に “理性” に強制変換されてしまうのではたまったものではないのである。いくら読書傾向がバラバラのチャンちゃんでも、小説を読み終えた直後、間髪を入れずに政経の本を読むようなことは決してしないのだから。

 

 

【映画の印象】
 親子2代に連なるラブストーリーは、少々ストーリーの作りすぎという感じではあったけれど、だからといってそれがこの作品のストーリーを損なうわけではない。
 ジーンとくる場面が二つあった。
 ジュナが電車に乗って戦争に出かけるとき、ジェヒが連呼した「ジュナー」の叫び声。人の名をそれほどまでに例え心の中でですら連呼したことのないチャンちゃんは “本当は人を愛したことがないのかもしれない” と思ってしまった・・・。
 戦争から帰ってきたジュナがレストランでジェヒに再会し、ジュナが〇〇していることを知ったときのジェヒの表情。そして〇〇していることを分らせまいとしていたジュナの優しさ・・・。ダンディズム。

 

 

【小説の印象】
 テスというジュナの友人の印象が強い。ジェヒの許婚でありながら、友人のジュナとジェヒの幸せを思うテスの言動が、小説の中ではとても気高いものに感じられる。これもダンディズムだ。
 小説だから、やはり活字で示されるフレーズが際立つ。「太陽が・・・月明かりが・・・・」のフレーズが、小説の中に4回出てくる。親子2世代を繋ぐ、美しいキーフレーズになっている。

 

 

【涙の量の違い】
 ストーリーが分っていながら、映画を見ていたときより派手に涙してしまったのは何故だろう。
 最近、とりたてて、恋をしているわけでも失恋しているわけでもない。
 仕事に取り囲まれ忙殺されている日々の中でいい映画を見ても、ひとすじの涙程度で終わってしまうのかもしれない。人間本来の穏やかな生活に近い状態の中にあるならば、ひとすじ筋の涙が、止めどない涙になるのだろうか。であるなら、最近のチャンちゃんは、ややまともな人間であるらしい・・・・・。
 
<了>