【アニメ】松本零士先生お別れの会 #松本零士お別れの会 | いろいろといろ

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2023年2月13日にご逝去された松本零士先生のお別れの会に行ってきました。昨日からの台風と午前中はかなりの雨量でしたが、不思議にも13時まえには、青空が見え始めました。

 

カメラ東京駅

 

背後の八重洲ミッドタウンがメガロポリスっぽく見えます。

出典:銀河鉄道999第1巻

 

 

 

 

 

場所は東京国際フォーラム ホールB7

 

出典:零時社

 

 

 

国際フォーラムのエスカレータ。

メガロポロス中央駅のエスカレーターを思いだしました。

 

出典:銀河鉄道999第1巻

 

東京国際フォーラムに到着すると、このようなメッセージカードが渡されます。

 

 

ロビーでメッセージを記入

#パスに名前を書くのを忘れた💦

 

車掌さんに導かれるまま、待つこと1時間以上

 

待ち時間の間、松本先生の足跡を紹介するビデオが約20分流れます…。たぶん、3回半見ました。

 

献花してすぐ退場と思っていたので、なぜこんなに待つのか、よくわかりませんでした。

 

通されると

 

カメラすばらしい献花のステージ!!

 

 

 

 

 

カメラ上手には松本先生の画業の足跡。

 

カメラ下手には供花をされた方々のご芳名が並びます。

 

 

 

 

 

 

 

カメラフォトスポット

 

 

ちゃんと中に入れるような仕組みでした。

 

「遠く時の輪の接する処で」

 

このセリフは大アンドロメダから生還するときにメーテルが言った言葉

 

出典:「銀河鉄道999」少年画報社単行本18巻

 

999内部のフォトスポット

 窓にはクイーンエメラルダスの船、「さよなら銀河鉄道999」に出てきた、列車が見えます。

 

カメラ先生の遺品

 

最初で最後 サインをいただいたときにつけておられた眼鏡と帽子です。

 

カメラ2012年12月16日 零Goods Universe Presents 零士Future 2012にて

 

 

 

帽子の髑髏マークは海賊のマークを模したものではなく、「死んでも骨になってもやりぬく」という決意の表れだということをイベントでお話されていました。

 

…なにか、とても寂しい感じがしました。

ご遺族の悲しみはいかほどかと思います。でも、作品の中に生き続けておられるのだと思います。

 

今回は黒基調の平服でお伺いしました。あまりにも場違いだったら、回れ右しようと思ったのですが、カジュアルな方が多かった印象です。

 

上は「宮沢賢治の世界」銀河鉄道を絵のテレカを入れた定期入れ。下は今回のイベントでいただいたポストカードです。

 

10代を振り返ると、何に惹かれたかというと、絵のタッチの透明感じゃないかと思います。特にこのような暗黒に溶け込む命の危うさが好きだったなぁとしみじみ思うこの頃です。

 

 

 

上のテレカ、「宮沢賢治の世界」のイメージも「銀河鉄道999」なくしては、あのポスターはなかったと思います。命を削って切り出したイメージはきっと後世にも影響を与えると思います。

 

ご冥福をお祈りします。


 

関係者の方々のツイです。

画像を共有します。

 

漫画家 島本和彦

 

漫画家 (故)水木しげる氏の長女 なおこ氏

 

 

 

声優 麻上洋子

銀河鉄道999でクレア役など多数

 

漫画家 一本木蛮

 

小説家 豊田有恒氏








出典:aritsune_toyota 


 

■松本先生に関するブログ記事

ふんわり風船星2011年12月18日 零士Future

 

ふんわり風船星2012年1月22日

 

 

 

ふんわり風船星2012年7月15日~16日 零士ワールドサミット

 

 

 

 

 

 上記は主にmixiでやりとりしていたのですが、twitterになったときにmixiとのやりとりが途絶えてしまいました驚き

この後は個人的にイベントに参加させていいただいておりました。

 

ふんわり風船星参加できなくて泣いていた記事

 

 

ふんわり風船星2018年12月16日 零士Future

 

ふんわり風船星2021年2月6日 銀河鉄道999シネマコンサート

 

 

■関連サイト

松本零士先生 お別れの会|松本零士 零時社 オフィシャルサイト (leijisha.jp)

松本零士さんお別れの会 | ちばてつやのブログ『ぐずてつ日記』 (ameblo.jp)

零士さんお別れの会 | ちばてつやのブログ『ぐずてつ日記』 (ameblo.jp)

 

■関連記事

6・3松本零士さんお別れの会は「銀河鉄道999」で送る〝銀河葬〟に 鉄郎がメーテルが見守り…宇宙へ旅立つ(1/2ページ) - サンスポ (sanspo.com)

 

松本零士さんお別れの会、ファンが長い列…ちばてつやさん「世界中が業績に拍手喝采」 : 読売新聞 (yomiuri.co.jp)

ちばてつやさんの弔辞抜粋

 

(抜粋ここから)

新人時代から親交があり、会の実行委員長を務めた漫画家のちばてつやさんは弔辞で「あなたが漫画やアニメーションに のこ してくれた業績は本当に偉大だった。世界中の人から拍手喝采される、大往生でした」などと悼んだ。

(抜粋ここまで)

 

ちばてつや氏が語った松本零士さんとの日々「宇宙船に乗って、無重力のなかで座布団みたいなビフテキを食ってみたい」|よろず〜ニュース (yorozoonews.jp)

 

(抜粋ここから)

 【ちばてつや氏のお別れの言葉】

松本零士さん

私があなたと初めて会ったのは、今からもう65年前、二人ともまだ高校を卒業した次の年。あなたは、北九州の小倉から夜汽車にのって上京したばかりで夜行列車の煙のススでしょうか、ちょっとホッペタが黒く汚れていて、でもまだ学生服の詰襟が似合う、紅顔の美少年でした。その頃私もマンガ家としてデビューしたばっかりで、食うや食わず。お互いにまだ売れない新人漫画家同士でね。

文京区本郷三丁目に東京大学があります。あなたはその赤門のすぐ近くの西陽が差す、家賃の安い四畳半の「山越館」という下宿屋に居を構えて出版社に持ち込むための原稿を描きながら、いつも、いつも、お腹を空かせていましたね。

でもあなたの、青雲の志は人一倍高く、いつかそのうちに大きな連載を勝ち取って、原稿料もらったら超一流の三つ星レストランでザブトンのようなステーキを食ってやる。その時にはちばちゃんにも食わせてやるぞ・・・と二人で夢を語りつつ・・・ちょっと色っぽいヌード写真や、18禁の色っぽい本をこっそり見せ合いながら、可愛い女の子や、美しい女性を描く練習に励む毎日でした。

 やがて二人ともまあ紆余曲折、短編を描いたり、イラストを描いたり、忙しい先輩漫画家のお手伝いをしたりして、苦労しながらも修行の成果が少しずつ上がって、なんとか一人前の漫画家として生活ができるようになっていきますけども…そうそう、松本さんはね親しくしていたのに私には全く内緒で、いつのまにか、同じ本郷に住んでいた牧美也子さんという美しい女性漫画家の伴侶を得て、どっしりと家庭を構えてからは順風満帆、その後『セクサロイド』や『男おいどん』などに続き、『キャプテンハーロック』、『宇宙戦艦ヤマト』、『銀河鉄道999』手がける作品が次々と大ヒット。マンガ界も大きく飛躍し、週刊誌の時代に入って、二人とも寝る時間のないほど締め切りに追われる生活が続いていましたけども1979年(昭和54年)、我々がちょうど四十歳になる頃でしたけど、戦闘機とか戦艦とか、宇宙船だとかコックピットだとか・・・そういうメカニックが大好きな松本さんがある日突然電話をかけてきて「超音速旅客機のコンコルドに乗りたいぞ」と言い出して、コンコルドに乗って宇宙に近い成層圏を飛んで世界一周するからちばちゃんも一緒に行こう・・・と誘われました。

私は、どちらかというと成層圏もコンコルドも、メカニックも、全く興味がない人間だったし、それより何より、仕事も人一倍遅いものでしたから、週刊誌の締め切りで七転八倒していたので絶対無理だとお断りしたのですけれども…もうツアーも組んで、旅券からホテルから全て予約したから、と。もういろいろと寝耳に水で、松本さんの強引さに呆れて、あんなに慌てたことはありませんでしたよ。でも、詳しく話を聞くと、私も松本さんもちょっと親しくしていた女流漫画家さんの萩尾望都さんや『宇宙戦艦ヤマト』の森雪の声を担当した麻上洋子さん(一龍斎春水さん)も同行するけどどうする?って聞かれて、悩みましたけど…まあやむなく連載を休むことにして「仕方がなく」ですけども同行することになってしまいました。

その後も一緒に草野球をやったり、運動会をやったり、ゴルフをやったり、お互いに仕事が遅くて時間がない中、ずいぶん無理をして仕事もして、遊びもしたものです。

80歳を過ぎてからもあなたはいつも元気で、「ちばちゃん、そのうちに宇宙船に乗りたいな。宇宙船に乗って、無重力のなかで座布団みたいなビフテキを食ってみたい」と元気いっぱいでしたけど。

2年程前、イタリアのトリノで松本さんがファンに会うイベントの旅先でちょっと体調を崩された、というニュースを聞いた時は、本当に肝を潰しました。

帰国後はしっかり養生してずいぶんお元気になったと聞いていましたけども、このコロナの時代になってしまい、なかなか会うことも難しい中、今年の2月13日、奥様の牧美也子さんと、お嬢さまの摩紀子さんに見守られて、あなたのいつも夢に見る、大好きな大好きな銀河の世界に旅立っていきました。

 

いまさら私がいうまでもなく、あなたが漫画やアニメーションに遺してくれた業績は本当に偉大で、旭日小綬章、紫綬褒章だとか、フランス芸術文化勲章シュヴァリエ受賞だとか、挙げたらキリがありませんね。

 

 大昔・・・北九州の小倉から夜汽車に乗って上京した詰襟の少年が、85年間の人生で素晴らしい大きな足跡を残したことに・・・・・今はみんなが感謝しそのことを心から賞賛し、お別れを惜しむために・・・こんな天気の悪い中、こんなにも大勢のファンや、仲間や、関係者が集まってくれましたよ。

 

松本さん、今あなたとお別れするのはとっても辛いですが・・・

もう、誰がどうみてもこれ以上ない、充実した人生、世界中の人から拍手喝采をされる、大往生でした。

長い間お疲れ様。

私もね、もう少しだけ頑張ったら、松本さんの居る銀河系を追いかけて行きますから。

そしたら今度こそ、ザブトンのようなビフテキを一緒に食べようね。

じゃあいってらっしゃい。

(抜粋ここまで)