「市の中心駅・代表駅」を巡る旅(19)・・・駅すぱあと2008-12版より/過去記事の画像更新版
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前面展望【JR常磐線】駒ケ嶺→逢隈
津波被災した福島宮城県境区間(新地―浜吉田、水戸/仙台支社界)を内陸移設して復旧!
コストと工期圧縮が必須条件だったという事情もあり、「新線」ではなく、あくまでも既存区間の「改築(修復)」という扱いなので、高架や盛土区間が多いながらも踏切も設置されています(完全な「新線」扱いだと踏切新設は認められないので、、、)。
仙セン所属E721系1000番台下り先頭車(クモハE721)より、平成最後の元旦夕方に撮影。。。
(本ブログ管理者2019.1.1撮影)
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原ノ町駅(福島県南相馬市)
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かつて常磐線の仙台―いわき間
(運用によっては水戸まで)
を走っていたJR東日本の455系電車
(「原ノ町」駅にて本ブログ管理者2007年撮影)
原ノ町駅
原ノ町駅(はらのまちえき)は、東日本旅客鉄道(JR東日本)常磐線(日暮里起点286.9km地点)の駅で、南相馬市の代表駅。
常磐線仙台エリアにおけるSuica利用区域の南端であり、当駅よりいわき方面へSuicaによる自動改札の利用はできない。
1898年(明治31年)4月3日 - 日本鉄道磐城線の駅として開業。
震災前は「びゅうプラザ」が設置されていた場所に、「原ノ町駅陣屋」として相馬野馬追に関する観光展示スペースが設けられており、駅係員に申し出ることで、甲冑の試着ならびに記念撮影が可能である。
乗降人員 -統計年度2017年- 1950人/日。
利用者は減少傾向であり、2010年度は2000年度の約70%程度、震災後はおおむね2000年度の約25%程度となっている。
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2面3線のホームを持つ地上駅。
留置線が敷設され、夜間滞泊が設定されていた。
2007年(平成19年)3月18日改正以降、
東日本大震災の発生前までは
普通列車については一部を除き当駅を境に系統を分離し、
一部の特急列車も当駅で上野方面へ折り返していた。
終日社員配置駅(駅長・助役配置)。
構内にはみどりの窓口(営業時間 5時10分 - 20時、休止時間 6時 - 6時20分、12時 - 13時、18時 - 19時)、
びゅうプラザ、自動券売機、指定席券売機、自動改札機、
NEWDAYS(Suica利用可能・営業時間 8時15分 - 17時)、
以前は立ち食いそば屋(丸屋、駅弁も販売していた)が存在していたが、震災後は販売停止。
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駅は南相馬市中心部に位置する。
所在地の名前は「はらまち」だが、
旧原町市を通っていた陸前浜街道の宿場は原町(はらのまち)宿と読んでいたため、駅名は後者を取って「はらのまち」とされたと推測される。
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南相馬市役所(旧原町市役所)最寄り駅
(福島県南相馬市原町区旭町2-27-2/本ブログ管理者2019.1.1撮影)
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ちなみに、、、、
南相馬市は・・・・・・
(みなみそうまし)は、福島県浜通り地方の北部に位置する市。
2018.10.1推計人口54,455人、人口密度137人/km²
(旧原町市役所に新市の市役所を設置)
2006年(平成18年)1月1日、
原町市と相馬郡小高町および鹿島町が合併して誕生。
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旧市町の区域ごとに地域自治区となっており、各々「原町区」「小高区」「鹿島区」に移行して住所に名称を残している。
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但し・・・・・
小高区と鹿島区にそれぞれ区役所を設置しているが、東京特別区や政令指定都市の区役所とは性質が異なり、実質は単なる市役所の支所として機能している。
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南相馬市は、
いわき市と仙台市の中間(両市まで75km)
に位置する。
以前は相馬市が浜通り北部の中心都市であったが、現在は市内原町区(旧原町市)に中心地が移るようになった。
(地方紙の福島民報・福島民友の2紙ともに、支社を置いている)
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【合併直前2006.1.1推計人口比較】
原町市・・・47,458人
小高町・・・13,228人
鹿島町・・・12,093人
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以前から圏域最大都市(中心都市)であった
旧原町市に新市の市役所を設置したので
「市役所最寄駅」
「最大市街地所在駅」を採って
原ノ町駅が市の中心駅。。。。。
*
ちなみに
(地名を論じるのは本記事の趣旨から逸れるが)、
「南相馬市」へ統合された3市町は、
1896年(明治29年)に、
宇多(うだ)郡と行方(なめかた)郡が合併して福島県相馬郡が成立する以前の行方郡に属していたので、
わざわざ似通った成り立ち・中心市街地規模の北部中核都市である「相馬市」と混同しやすいような名前を付けずに
『磐城行方(いわきなめかた)市』
とでも名づけた方が良かったように
(本ブログ管理者の個人的意見としては)思う。
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恐らく、
「行方」という地名は茨城県にも在る
( □外部リンク/行方麻生商工会 )
ので、
そちらの方が一足先(2005/平成17年9月2日)に合併成立した為に、敢えて、避けたのだろうと思われる。。。。。
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「スーパー普通電車」?
2017年10月21日からは、竜田駅 - 富岡駅間復旧に伴い、いわき駅 - 富岡駅間の普通列車2往復に、かつて震災前に上野―仙台を常磐線経由で走っていた特急「スーパーひたち号」で使われた651系電車が運用されている。
(富岡駅にて本ブログ管理者2019.1.2撮影)
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帰還困難区域を行く
(JR常磐線・列車代行バス)浪江→富岡
「あの日」から壊れたまま放置状態の家、封鎖された脇道、駐車場に草が生い茂り夜になっても暗いまま電気の点かないロードサイド商業施設。。。
ある程度
テレビ報道等で予め分かっていたことですが、
実際に生々しい光景を目にして絶句、、、
帰省のUターンラッシュと重なり、
定員50人の代行バスは
補助席まで埋まるほど満席でした。。。
(本ブログ管理者2019.1.2撮影)
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福島県相馬市の中心市街地
(本ブログ管理者2004年撮影)
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福島県相馬市の中心市街地
(本ブログ管理者2004年撮影)
保原駅
保原駅(ほばらえき)は、
福島県伊達市保原町字東野崎にある阿武隈急行線の駅。
旧伊達郡役所を模した造りの駅舎がある島式ホーム1面2線を有する地上駅。
乗降客数1,084人/日(2016年)、
1988年(昭和63年)7月1日開業。
伊達市保原町の市街地からは少し離れており、郊外型店舗が並ぶ。
その保原町の市街地には福島交通保原バスセンターがある。
1971年に廃止された福島交通飯坂東線の保原駅で、軌道線の廃止後「バスセンター」に改称されている。駅の南側は工業団地になっている。
※伊達市街地(伊達市役所)は大泉駅が最寄り駅。
福島起点12.8Kmの位置にある駅。
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かつての伊達郡役所を再現した駅舎を有するとして
2002年(平成14年)、東北の駅百選に選定された。
(駅舎の風格にあわせてか、旧型の丸ポストが現存)
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但し、、、、
↓
旧伊達郡役所(きゅうだてぐんやくしょ)は、
福島県伊達郡桑折町にある歴史的建造物。
1883年(明治16年)に建設された擬洋風建築で、1926年まで伊達郡の郡役所として利用。
国の重要文化財。木造総二階建てで、中央に塔屋を設けた。見学可能(月曜日休業)。
1926年(大正15年)7月1日に郡役所が廃止になると、
その後1969年(昭和44年)7月まで諸団体や県の地方事務所が置かれた。
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なぜ??・・・
伊達郡役所風の建築=保原駅
(伊達市の代表中心駅??)
↓
もともと、
福島県伊達郡の郡役所は、
明治12年に
保原町に設置されたが、
桑折町の有志が誘致運動を行ったことにより、
明治16年4月に桑折町に移転している。。。。。
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ちなみに、、、、
伊達市は・・・・・
(だてし)は、福島県北部の市。
2006年(平成18年)1月1日、
伊達郡の伊達町、梁川町、保原町、霊山町、月舘町が合併。
2018.10.1推計人口60,164人、
人口密度227人/km²。
法定合併協議会では地元住民を対象に、
合併後の新市名を公募したが、
北海道に伊達市があるため、
公募にあたっては選定基準、
募集要項から「伊達市」を除外したが、
実際に公募を締め切ったところ、
「伊達市」も多く寄せられた。
↓
「市」の名称に、既存の市と同じ名称をつけることについては、これを避けるようにとする自治省(現総務省)の通達(昭和45年3月12日付け自治振興策第32号自治事務次官通知)があったが、
この通達について合併協議会が総務省に照会した結果、
「既存市から異議がなければ問題はない」との回答を得た。
その後北海道伊達市の意向を確認したところ、正式見解は得られなかったものの、合併協議会が独自の判断で新市の名称を定めることに対し
「異議を唱える立場ではない」との回答を得た。
こうした状況の変化から、協議会は公募で決まった5点の候補から「だて市」を選定し、
それを漢字表記の「伊達市」にするという経緯を経て、
最終的に新市名を伊達市とすることに決定した。
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市役所は「新しい建物」を優先利用する方針。。。。。
(何のための合併?・・・・・経費の無駄使い削減=合理化が最大の目的!でしょ、、、)
なので。。。。
↓
市役所は本庁に2005年に完成したばかりの旧保原町役場、
分庁舎に1991年に完成した旧梁川町役場を使用する。
(市役所機能は部署によって本庁か分庁舎に分けている)
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本庁と分庁舎は道のりにして約6km離れている。
また、基本的な住民サービスについては遠くから市役所まで出向く必要のないように、
旧保原町役場、旧梁川町役場、旧伊達町役場、旧霊山町役場、旧月舘町役場に
総合支所として窓口を設けている。
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旧保原町役場、旧梁川町役場は1階が総合支所、2階以上が市庁舎となる。
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【参考/合併直前2006.1.1推計人口比較】
保原町・・・24,491人(総人口規模では圏域最大、5町の「地理的中心」)
梁川町・・・20,118人
伊達町・・・10,964人
(面積9.22K㎡で人口が1万人/福島県内で面積最小、人口密度が最大だった)
霊山町・・・ 9,195人
月館町・・・ 4,354人
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ちなみに、、、、、
伊達駅は・・・・・
(だてえき)は
福島県伊達市細谷(旧伊達町域)にある、
東日本旅客鉄道(JR東日本)東北本線の駅。
開業当時は伊達郡長岡村にあることから長岡駅と称したが、信越本線長岡駅との駅名の重複を避けるため、
1924年(大正13年)12月に、
郡名から駅名をとって伊達駅と改称。
(長岡村はその後、町制施行や町村合併で伊達町、伊達市となって現在に至る)
単式ホーム1面1線と
島式ホーム1面2線の複合型ホームを持つ地上駅。
福島駅管理の業務委託駅(東北総合サービス委託)。
乗降客数1,952人/日(2017年)、
1895年(明治28年)4月1日開業。
1971年(昭和46年)まで、
駅前より福島交通飯坂東線という路面電車が発着していた。
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大泉駅は・・・・・
(おおいずみえき)は、福島県伊達市保原町大泉にある阿武隈急行線の駅。
単式ホーム1面1線の地上駅。
駅舎はなく、
ホームに待合室が設置されている無人駅。
乗降客数542人/日(2016年)、
1988年(昭和63年)7月1日開業
福島起点13.9Kmの位置にある駅
(保原駅より1.1Km…槻木・仙台方面寄り)。
*伊達市役所最寄り駅
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以上の地域事情により
新市の市役所が置かれた
旧保原町の代表であり、
「市域の地理的中心」を採って、
保原駅が市の中心駅。。。
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福島県相馬市の中心市街地(本ブログ管理者2004年撮影)
船引駅
船引駅(ふねひきえき)は、福島県田村市船引町船引上田中にある東日本旅客鉄道(JR東日本)磐越東線の駅。
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磐越東線におけるSuica利用区域(仙台エリア)の東端であり、当駅より小野新町・いわき方面(水戸エリア)へ跨ってのSuica利用はできない。
島式ホーム1面2線の地上駅。
三春駅管理の終日社員配置駅(駅長配置)。
みどりの窓口(営業時間 5:45~20:45)、
Suica対応自動券売機1台、
簡易Suica改札機、キオスク設置。
駅舎は2004年に建て替えられ、
3階建ての近代的な駅舎となった
(駅舎は田村市船引コミュニティプラザの一階に併設)。
駅舎3階には跨線橋があり、南北に連絡している。
(自由通路であり、駅舎内からの利用も可能)
乗降客数1,636人/日(2017年)、
1915年(大正4年)3月21日開業。
田村市役所(旧・船引町役場)最寄り駅。
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ちなみに、、、
田村市は・・・・・・
(たむらし)は福島県の中通り中部にある市。
2018.10.1推計人口36,716人、
人口密度80.1人/km²
2005年(平成17年)3月1日 田村郡船引町、滝根町、大越町、都路村、常葉町が合併
*市役所は旧船引町に設置
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消防事務は引き続き郡山市を主体とした郡山地方広域消防組合が担当
(福島県中通り中部の郡山都市圏に属する自治体である)
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地区名 | 人口 | 面積 | 人口密度 |
---|---|---|---|
滝根 | 5,416人 | 50.70km² | 107.63人/km² |
大越 | 5,577人 | 36.66km² | 157.97人/km² |
都路 | 3,131人 | 125.37km² | 26.62人/km² |
常葉 | 6,325人 | 84.41km² | 77.56人/km² |
船引 | 23,387人 | 161.16km² | 148.42人/km² |
総数 | 43,836人 | 458.30km² | 98.30人/km² |
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2005年(平成17年)2月1日現在における合併5町村の比較
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圏域における最大人口規模の自治体だった船引に新市の市役所を設置したので
「市役所最寄り駅」「市域内における最大の市街地に在る駅」
を採って
船引駅が市の中心駅。。。。。。
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