「市の中心駅・代表駅」を巡る旅(7)*駅すぱあと2008-12版より/過去記事の画像追加更新版
飯能駅北口「飯能銀座」商店街にて、、、
(本ブログ管理者2011.9.11撮影)
飯能駅
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飯能駅(はんのうえき)は、埼玉県飯能市にある、西武鉄道池袋線の駅。
駅の構造や運転系統上、当駅から先は西武秩父線と思われがちだが、
当駅 - 吾野間も池袋線である。
ただし、『秩父線乗換』と表記された案内表示板などが駅構内の各所にある。
池袋線に乗り入れる東京メトロ車両の停車駅案内も「西武秩父線」と表記される。
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乗降人員34,709人/日(2008年)
43.7km(池袋起点)に在る
単式ホーム1面1線と島式ホーム2面3線の計3面4線の地上駅(橋上駅舎を有する)。
コンコースの5番ホーム側には中間改札があり、ここで特急券の所持をチェック。
池袋方面と西武秩父方面の直通電車は当駅で方向転換を行う。
1915年(大正4年)4月15日開業。
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ちなみに・・・・・・
東飯能駅(飯能駅から0.8km)は、、、、、
東飯能駅(ひがしはんのうえき)は、埼玉県飯能市東町にある
西武鉄道・東日本旅客鉄道(JR東日本)の駅。
飯能市役所最寄り駅(東口)。
1931年(昭和6年)12月10日 - 国鉄八高線開業と同時に、
交差する武蔵野鉄道(後の西武鉄道)の駅が開業。
乗降人員は
JR:11,620人/日(2008年)、島式ホーム1面2線を有する地上駅。
橋上駅舎供用開始時にみどりの窓口が設置された。業務委託駅であり、
高麗川駅の管理。3番線側に側線が敷設されている
2・3番線とも両方向に出発信号機が設置され、非常時には当駅で折り返しが可能。
なお、
西武池袋線とJR八高線のホーム番号を連番で設定している。
西武:5,174人/日(2008年)、単式ホーム1面1線を有する地上駅。
西武鉄道・JR東日本それぞれに橋上駅舎を有しているが、
両社の改札口は分離されている。
西武は隣の飯能駅が行き止まり構造になっているため、
直通の貨物列車や旅客列車のスイッチバックを解消するため、
当駅と笠縫信号所(廃止)との間に連絡線(飯能短絡線)の建設を予定していた。
土地は確保されているが、線路の敷設などは行われていない。
しかし、後に貨物列車が廃止され、
直通旅客列車も少ないため、建設される見込みは薄い。
ただし、
西武鉄道では「将来、武蔵丘車両基地や
武蔵丘車両検修場との回送や検査時の入出場往来のメリットがある」として、
あくまで「工事は『休止』」との見解を表明している。
2008年10月10日より待合室の使用を開始した。独自設計として、
地元産の西川材を利用したベンチが設置されている。
丸広百貨店:
1999年(平成11年)2月10日 - 東飯能駅の橋上駅舎供用開始。JRと西武改札分離。
2000年(平成12年)10月6日 - 東西自由通路開通および東口開設。
駅ビルに丸広百貨店東飯能店が開店。
2006年4月30日に売り上げ不振により閉店。
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その後、不動産会社に一度売却し、テナント型商業施設を開業する予定だったが、
再度丸広百貨店が建物を取得し、
2009年9月11日に「飯能店」が移転開業(看板には再度丸広のロゴが施された)。
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飯能市は、、、、、
飯能市(はんのうし)は、埼玉県の南西にある人口約8万4千人の市。
市内の7割が山野で、南東端に市街地が集中。
中世より林業で栄えた。
江戸時代 - 江戸での相次ぐ火事により木材の需要が増え、
入間川や高麗川の水運により10日ほどで運ばれる飯能の材木は
「西川材」と呼ばれ栄えた。
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よって、
中心市街地南部を流れている入間川の河岸に近い
飯能駅前が古くから栄えた地域であるので
飯能駅が市の中心駅
西武鉄道の電車・・・・・(小手指にて本ブログ管理者2008.3.29撮影)
東大和市駅
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東大和市駅(ひがしやまとしえき)は、
東京都東大和市桜が丘1丁目1415番地の1にある、西武拝島線の駅。
相対式ホーム2面2線の高架駅。
1日平均の乗降人員:23,773人(2008年度)
1950年(昭和25年)5月15日開業。
駅名は「東大和市」であるが、実際は市の南端にあり、駅の南側はすぐ小平市。
当駅から玉川上水駅に掛けての区間の北側(東大和市桜が丘)は、
第二次世界大戦中に日立航空機の工場があったところで、
立川大空襲で壊滅的な被害を受け、戦後は永らく米軍基地であった。
返還後は東京都立東大和南公園などが整備されている。
駅前に在る西武鉄道系の所業ビル(BIG BOX 東大和)は、1998年7月15日開業。
テナントでCASA、TSUTAYA、セガワールドなどが入っている。
全日本選抜ボウリング選手権大会や
プロトーナメントのBIG BOX東大和カップが開催される。
北口の市役所へ向かい通り・・・南街地区は -‐‐ 市内最大の商店街があり、
戦前にあった日立航空機立川工場の従業員居住地区として開発された地区。
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1950年(昭和25年)5月15日 - 青梅橋駅として開業
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1979年(昭和54年)3月25日 - 東大和市駅に改称。
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1980年(昭和55年)7月17日 - 駅の高架化完了。
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開業当時は「青梅橋駅」と称した。
この由来は駅脇の青梅街道が野火止用水を渡る橋の名であるという。
野火止用水は玉川上水の支流で、現在は暗渠。
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ちなみに・・・・・
玉川上水たまがわじょうすい駅は、、、、、、
所在地は、西武鉄道が立川市幸町六丁目36-1(西武新宿駅から29.8km)
多摩都市モノレールが東大和市桜が丘四丁目19番地
このため、当駅は立川市と東大和市とに跨って(東大和市域の西南端に)所在。
西武:乗降人員38,365人/日(2008年)
モノレール:同18,886人/日(2007年)
合計・・・・・・・57,251人/日
1950年(昭和25年)5月15日開業(西武)
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上北台かみきただい駅は、、、、、、
乗降人員12,118人/日(2007年)
1998年(平成10年)11月27日 多摩都市モノレール線開通と同時に開業。
現在は終着駅となっているが、今後箱根ヶ崎駅方面への延伸計画がある。
東大和市役所へは、この駅が最も近い。。。。。
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上記種々の条件より、、、
「市のシンボル」として周辺が開発された
東大和市駅が市の中心駅
田無駅
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田無駅(たなしえき)は、東京都西東京市田無町にある西武鉄道新宿線の駅。
17.6km(西武新宿起点)に在る島式ホーム2面3線を有する地上駅。橋上駅舎。
1927年(昭和2年)4月16日開業。
石神井公園駅(高架工事前)や上石神井駅と同様に、中線は1本のみで、
これを上下線の待避線として共用。
1日平均の乗降人員2008年度:76,985人
西武新宿線の乗換駅ではない途中駅としては最多の利用客数である。
これは西武線全体で見ても大泉学園駅に次いで2番目の多さである。
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ちなみに・・・・・・
保谷ほうや駅(西武池袋線)は、、、、、
駅長室の所在地は西東京市だが、ホーム東側3分の1程は練馬区にもまたがる。
乗降人員55,492人/日(2008年)
1915年(大正4年)4月15日開業。
14.1km(池袋起点)に在る1面2線の島式ホームを持つ地上駅。
終電を含む多くの各駅停車の終着駅。
当駅を2面3線の構造に改良することが
西武鉄道の2008年度の投資計画の中で発表された。
北側に上りホームを増設し、単式と島式の複合型2面3線の構造予定。
2012年度に予定されている東京地下鉄(東京メトロ)副都心線を介した
東京急行電鉄東横線への直通運転に合わせ、
安全性・速達性・定時運転を確保するためとされている。
これにより、保谷電留線への出入庫による上り線への障害緩和ならびに
踏切渋滞緩和が予想されている。
当駅から三鷹駅を経て京王線調布駅方面へライトレールを通す構想があるが、
現在は凍結状態。
各駅停車の大半は当駅で乗務員の交代を行う。
また、初電は朝4時29分に発車(関東地方の私鉄の中で最も早い時刻)。
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西東京市(推計人口195,007人/2009.9.1)は、、、、、
西東京市(にしとうきょうし)は、東京都の多摩地域に位置する市。
2001年(平成13年)1月21日に田無市と保谷市が21世紀最初に新設合併した誕生した市。
登記上の市役所所在地は、
西東京市南町五丁目6番13号(旧・田無市役所=現・田無庁舎)
旧田無市は江戸時代より青梅街道の宿場町であり、交通の要所として栄える。
旧保谷市は縄文時代から下野谷遺跡に人が住んでいたらしい・・・・・
江戸時代には玉川上水の分水である千川上水の整備により新田開発が南部で行われ、
大正時代までは農村地帯であった。
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現在の「西東京市」としての商業中心地は、西武柳沢駅、田無駅北側、ひばりヶ丘駅、保谷駅南側となるが、
市内から中心商業地区(池袋、新宿、吉祥寺)へのアクセスが容易なこともあり、
市内の1店舗あたりの購買金額が東京の各市の平均を下まわっている、
そのため市内を4地区にわけ、
それぞれに核となる商業活性化を図ってゆくことが進められている。
また、
西東京市内は旧田無、旧保谷ともに市街化が急激に進んだため、
道路整備が追いつかず市内には隘路が多く残っている。
とくに市内の歩道の整備率が都内各市の平均を下まわっており、
整備がもとめられている。
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「市役所最寄駅」、かつ
旧宿場町で栄えた「歴史有る街」である
田無が市の中心駅
西武鉄道の電車・・・・・(小手指にて本ブログ管理者2008.3.29撮影)
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ちなみに、奥の銀色に黄色帯の電車は相互乗り入れ先である東京メトロの車両♪
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