「市の中心駅・代表駅」を巡る旅(20)・・・・・駅すぱあと2008-12版より/Ver.17.2
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下今市駅にて、、、
(本ブログ管理者撮影 ■本ブログ内関連記事参照)
今市駅(いまいちえき)
栃木県日光市平ケ崎にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)日光線の駅。
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島式ホーム1面2線の地上駅。みどりの窓口(営業時間 6:00~20:00)設置駅。
簡易Suica改札機設置駅。乗降客数2,556人/日(2008年)。
1890年(明治23年)6月1日開業。
距離程【宇都宮(起点)33.9Km←今市→日光(終点)6.6Km】
日光市役所(旧・今市市役所)最寄り駅(東武「下今市」駅からと、ほぼ等距離)。
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【参考比較】
下今市駅(しもいまいちえき)
栃木県日光市今市にある東武鉄道の駅。乗降客数2,560人/日(2008年)。
JR今市駅から徒歩10分(北西へ約700m)。
日光市役所(旧・今市市役所)最寄り駅(JR「今市」駅からと、ほぼ等距離)。
1929年(昭和4年)7月7日開業。
島式ホーム2面4線を有する地上駅。
当駅にて大部分の快速・区間快速列車の分割(下り)・併合(上り)が行われる。
(観光路線の拠点であり、優等列車が停車する)
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【参考比較】
東武日光駅(とうぶにっこうえき)
栃木県日光市松原町にある東武鉄道日光線の駅。同線の終点。
頭端式ホーム3面5線を有する地上駅(標高543m)。
山小屋をイメージした三角屋根の駅舎が特徴。自動改札機設置駅。
乗降客数3,430人/日(2008年)
1929年(昭和4年)10月1日 - 開業
1979年(昭和54年)10月1日 - 駅舎を現行のアルペン風に改築
2000年(平成12年) - 関東の駅百選に選定
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【参考比較】
日光駅(にっこうえき)
栃木県日光市相生町にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)日光線の駅。
(日光線の終着駅)
相対式ホーム2面2線の地上駅。乗降客数1,924人/日(2008年)。
駅舎2階には1等車利用者用待合室があり、現在は駅ギャラリーとして一般公開。
貴賓室もあるが普段は公開していない。
Suica対応自動改札機、みどりの窓口(営業時間 6:00~20:00)設置駅。
1890年(明治23年)8月1日 - 開業
1912年(大正元年)8月 - 現在の2代目駅舎に改築
1982年(昭和57年)11月15日 - 急行「日光」の廃止により当駅発着の優等列車が全廃
1997年(平成9年) - 関東の駅百選に選定
2008年(平成20年)3月15日 - Suicaのサービス開始。同時に自動改札機設置
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【立地自治体の成立経緯】
日光市(にっこうし)
関東地方の北部、栃木県の北西部に位置する市。
2009.11.1推計人口90,416人(人口密度62.4人/km²)
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古くは鎌倉時代以降、日光権現を祀る山々が知られるようになり、
江戸時代に徳川家康および徳川家光の廟地となって以来、
日光東照宮の門前町として参拝客で賑わう様になり、
以後「日光を見ずして結構と言うこと莫れ」という言葉で
日本中に観光地・景勝地として知られるようになった。
明治時代には海外から日本に渡航する欧米人が増え、
当時から海外でも景勝地として知られていた日光を訪問、
日光東照宮や中禅寺湖、日光湯元温泉、藤原などを訪れるようになり、
こうした来賓を迎えるための宿泊・滞在施設が整備され、国際観光都市となった。
(1999年に「日光の社寺」が世界遺産に登録)
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また
建築家(丹下健三、芦原義信、隈研吾、アントニン・レーモンド等)による
近、現代建築が多数存在する地域としても知られている。
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2006年3月20日に
旧日光市、今市市、足尾町、藤原町、栗山村が新設合併し、現在の日光市が発足。
新市制下の市役所本庁は、旧今市市役所(今市本町)。
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市域の広さ(1,449.87km²)は、
全国の市では高山市と浜松市に次いで全国第三位、
栃木県全体の約22%を占める広大な面積を有している。
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【旧・今市市は、、、、、】
人口規模61,998人(2006.3.1推計人口)
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つまり、現・日光市における人口の70%近くが旧・今市市民。。。
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今市は、、、
江戸時代:日光街道の宿場町であり、
日光例幣使街道・会津西街道が分岐する交通の要衝として栄えた。
1889(明治22)年4月1日:今市村、瀬尾村、瀬川村、平ヶ崎村、千本木村、室瀬村、
下之内村、吉沢村、土沢村が合併して今市町が発足。
↓
1954(昭和29)年3月31日:
上都賀郡落合村、河内郡豊岡村を編入し市制を施行し、今市市
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【ちなみに、旧・日光市の町制・市制施行は、、、、、】
1889年(明治22年)4月1日:町制施行により日光町、七里村、清滝村、細尾村、野口村、
北和泉村、山久保村、所野村、久次良村が合併し上都賀郡日光町が発足。
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1954年(昭和29年)2月11日:
日光町が小来川村を編入して市制を施行し、日光市が発足。
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よって、、、
国際的な知名度を活かして市名は「日光」を採用したが、、、
市民の2/3が住む
旧・今市側の歴史あるJR線の駅を選択した結果、
今市駅が「市の中心駅」になった。。。。。
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JR氏家駅から東野交通の路線バスで行く喜連川の町並み
(本ブログ管理者2013.12.31撮影 ■本ブログ内関連記事参照 )
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国道293号「喜連川バイパス」西端にて、、、
本ブログ管理者2013.12.31撮影
氏家駅(うじいええき)
栃木県さくら市氏家にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)東北本線(宇都宮線)の駅。
東京起点127.1Kmにある、さくら市の代表駅。
単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線、合計2面3線のホームを有する地上駅。
Suica対応自動改札機やみどりの窓口、指定席券売機が設置されている。
旧氏家町は駅西側の開発・整備を行い1億円を投じて駅構内に連絡橋を設置済。
(旧・氏家の中心街は駅東口)
乗降客数5,976人/日(2008年)。1897年(明治30年)2月25日開業。
さくら市役所(旧・氏家町役場)最寄り駅。
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【立地自治体の成立経緯】
さくら市(さくらし)
栃木県の中部に位置する市。2005年3月28日に塩谷郡氏家町・喜連川町が新設合併。
2009.11.1推計人口43,405人(人口密度346人/km²)
旧・氏家、喜連川ともに、奥州街道の宿場町であった。。。。。
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旧・喜連川町域には鉄道路線が通っていない・・・・・・
(氏家駅より、東野交通による路線バスが運行されてる)ため、
合併相手方の代表駅であった氏家駅を
「市の中心駅」としても、まったく違和感が無い。。。。。
(2町を結ぶバス路線のターミナルになっている・・・・・)
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上野駅にて、、、
「小金井」行きの宇都宮線電車が見えます。。。。。
(本ブログ管理者撮影)
小金井駅(こがねいえき)
栃木県下野市小金井(旧国分寺町域)にある、
東日本旅客鉄道(JR東日本)東北本線(宇都宮線)の駅。
島式ホーム2面4線の地上駅で、橋上駅舎を有している。
キオスク、自動券売機、みどりの窓口(営業時間 7:00~18:00)、
指定席券売機(利用可能時間 5:30~23:00)、Suica対応自動改札機、トイレ設置。
下野市役所(旧・国分寺町役場)最寄り駅/自治医大駅西口からと等距離。
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東口:エレベーター、トイレ、駐輪場
西口:エレベーター、下野市観光案内所(貸し自転車有り)
ホーム:Suicaグリーン券専用券売機、自動販売機
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乗降客数8,244人/日(2008年)、1893年(明治26年)3月25日開業。
小山車両センター設置駅(当駅発着列車が数多く設定されている)。
東京起点より88.1kmにある駅。
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【立地自治体の成立経緯】
下野市(しもつけし)
栃木県南部の市。
2006年1月10日に河内郡南河内町と下都賀郡国分寺町、同郡石橋町が新設合併。
2009.11.1推計人口59,383人(人口密度796人/km²)
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下野市役所は、新庁舎が作られるまでは当面旧国分寺町役場に置かれる。
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広域行政は
小山市・野木町と共に、市北部(旧石橋町)を除きほぼ全域が小山都市圏。
栃木県警察:下野警察署(旧石橋警察署)の管轄となる。
市内の駅(宇都宮線):宇都宮方面←石橋―自治医大―小金井→小山→大宮方面
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合併直前2006年1月1日推計人口規模比較
南河内町・・・・・20,857人(人口密度665人/k㎡)
石橋町・・・・・・・20,573人(人口密度917人/k㎡)
国分寺町・・・・・17,784人(人口密度855人/k㎡)
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略沿革
1891年(明治24)9月15日 - 姿村から旧石橋宿地域などが分離し、石橋町
1954年(昭和29)4月1日 - 国分寺村が町制施行し、国分寺小金井町
1971年(昭和46)4月1日 - 町制施行、南河内町
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石橋は、江戸時代、日光街道の宿場町として栄えた。
明治時代、廃藩置県により日光県~栃木県となり、仮の県庁が置かれたこともある。
明治期以降、周辺農村の中心地として栄えた。
もちろん、「歴史の古さ」では、
741年に建立された下野国分寺・同尼寺に因んだ小金井(国分寺町)の方が上だが
*
【参考比較】
自治医大駅(じちいだいえき)
栃木県下野市医大前三丁目にある、
東日本旅客鉄道(JR東日本)東北本線(宇都宮線)の駅。
乗降客数7,720人/日(2008年)
:
東口は、、、
自治医科大学の南側に旧住宅・都市整備公団が開発したニュータウン、
「グリーンタウンしもつけ」が基となった街。
(旧南河内町域)
:
西口は、、、
西口は駅前を離れると田園風景が広がる。
かつては駅を境に自治体が分かれており、東口に比べ西口の開発は遅れていたが、
下野市誕生で地域一体となった開発が行い易くなったため今後の発展に期待される。
下野市役所(旧・国分寺町役場)最寄り駅/小金井駅からと等距離。
(旧国分寺町域)
:
開業時の駅名選定の際には駅の所在する旧国分寺町が「新小金井駅」を、
また駅に隣接しグリーンタウンしもつけの大部分を占める旧南河内町が
「薬師寺駅」(日本三戒壇の1つである下野薬師寺が町内にある)を推し、
開業直前まで駅名が定まらない事態となったが、
当時の渡辺文雄栃木県知事の意向により
近接する自治医科大学の名を冠することで収束した。
ちなみに、旧国鉄で地名以外の駅名は当時初のことであった。
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1983年(昭和58年)4月27日 - 開業
2001年(平成13年)11月18日 - ICカードSuica供用開始
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【参考比較】
石橋駅(いしばしえき)
栃木県下野市石橋にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)東北本線(宇都宮線)の駅
乗降客数9,884人/日(2008年)、1885年(明治18年)7月16日開業。
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歴史的に見て、最も栄えた街は石橋。。。。。
市役所最寄&地理的中心ならば自治医大・・・・・・・
を、選びたいところだが、、、、、
電車の車庫が駅に併設されているので、
上野や大船・逗子・横須賀からの
『小金井』止まりの電車が数多く設定されているという実態に鑑みて、
東京・南関東方面からの「知名度」を重視して
小金井駅が「市の中心駅」なのだろうか?????
(「中心」と呼ぶには、あまりにも南に寄り過ぎていると思うが、、、、、)
:
もちろん、「歴史の古さ」で勝負するならば、
741年に建立された下野国分寺・同尼寺に因んだ小金井(国分寺町)が勝り…
やっぱり、小金井(旧・国分寺町)が「中心・代表」格という理屈も
理解できるのだけど、、、、、、、、、、、
(市町村合併って、難しいね・・・・・)
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湘南新宿ライン『小金井行き』のE231系(川崎重工製)車内にて、、、
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栃木駅(南口)
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栃木駅(北口)
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宇都宮駅にてJR日光線の電車を撮る。。。
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小山駅より栃木・桐生・足利・伊勢崎・前橋を経由して高崎に至る
JR両毛線の小山駅ホームにて、、、
(本ブログ管理者2013.12.9撮影)
足利駅(あしかがえき)
栃木県足利市伊勢町一丁目にある東日本旅客鉄道(JR東日本)両毛線の駅。
現駅舎は1933年に完成。
(昭和初期に両毛線主要駅に相次いで建てられた洋風木造建築の駅舎のひとつ)
2面2線のホームを持つ地上駅。
もしもし券売機Kaeruくん、びゅうプラザ設置駅。Suica使用可能。
乗降客数6,590人/日(2008年)、1888年(明治21年)5月22日開業。
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足利市の中心部にあり、足利市役所の最寄駅だが、、、
渡良瀬川を挟んで対岸にある東武伊勢崎線足利市駅(徒歩15分)には
特急りょうもうが発着するなど都心への便が良いため、
そちらの方の利用者が多いようだ。。。。。。
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【参考比較】
足利市駅(あしかがしえき)
栃木県足利市南町にある東武鉄道伊勢崎線の駅
島式ホーム1面2線を有する高架駅。北側に回送・待避用の側線を持つ。
伊勢崎線館林 - 太田間では、唯一の自動改札機設置駅。
乗降客数7,509人/日(2006年)。
1907年(明治42年)8月27日 - 足利町駅として開業
1921年(大正10年)1月1日 - 足利郡足利町が市制施行し、足利市となる
1924年(大正13年)8月25日 - 足利市駅に改称
1980年(昭和55年)7月23日 - 足利市駅周辺2.98kmの高架化完成
2007年(平成19年)3月18日 - PASMO供用開始
2007年(平成19年)12月21日 - パーク・アンド・ライドサービス開始
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利用者数では東武に負けていても、、、、、
古くからの街に近く、市役所最寄である
JR足利駅が「市の中心駅」。。。。。。。
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【グーグルマップより引用した補足画像】
桐生-足利(小俣)間におけるJR両毛線沿線地域の様子。。。
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桐生駅にて、、、
本ブログ管理者2011.8.8撮影
岩宿駅(いわじゅくえき)
群馬県みどり市笠懸町阿左美にある、JR東日本両毛線の駅。
1889年(明治22年)11月20日開業当時は大間々停車場と称した。
駅の設置された場所は新田郡阿左美村字岩宿であり、
駅名の由来となった山田郡大間々町からは30町ほど離れていた。
これを疑問に思った阿左美村民に対して両毛鉄道の社長である田口卯吉からの回答書が残されているのだが、それによると計画当初は大間々南方に設置予定であったが実際は位置がさらに南方になってしまった。
駅名は「大間々停車場」で許可されており今さら変更できない。
また大間々の方が都会で知名度があり、それに他でもそのような例があるので事情を酌んでほしいと弁解し、了承をもとめている。
その後1911年4月に足尾鉄道「大間々町駅」が誕生し、
翌月に岩宿駅に改称され現在に至るのだそうだ。。。
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上記のような経緯もあり、「平成の大合併」後におけるJTB時刻表では、「みどり市」の代表駅となっているが、みどり市役所HPの「鉄道・バス」の項には両毛線は記載がない。
なお、中心市街に近い赤城駅と大間々駅が、実質的な「みどり市」の代表駅とされ、実際に機能していることが多いのだそうだ。。。。
但し、
「みどり市」の市役所本庁は旧笠懸町役場という扱いになっており、
“市役所最寄駅”として考えるのであれば、
旧笠懸町の区域内に存在する唯一の旧国鉄駅である
この岩宿駅を「市の中心駅」とするのが妥当とも思える。
*小山駅起点56.9km地点にある駅
*2013年度平均乗降客数2482人/日
:
「みどり市」とは?
2006(平成18)年3月27日に群馬県新田郡笠懸町、山田郡大間々町、勢多郡東村が合併し、群馬県12番目の市として誕生。
また、平成の大合併において、群馬県で新たな市として誕生した唯一の市。
市役所本庁舎は旧笠懸町役場に設置されている。
2014年10月1日推計人口50,951人(人口密度245人/km²)
:
【合併直前における各町村「推計人口」等の比較】
★笠懸町・・・桐生郊外の新興住宅地・ロードサイド商業、工場物流地区という趣
(27,859人、人口密度1,497人/km、1990年町制施行=それまでは「村」)
★大間々町・・・古くからの歴史ある街
(21,865人、人口密度455人/km、1889年町制施行=宿場町・生糸集散地)
★東村・・・栃木県境に近い渓谷の村
(2,917人、人口密度21人/km、渡良瀬川上流地域)
*
【参考比較】
大間々駅(おおままえき)
1911年(明治44年)4月15日に開業した群馬県みどり市大間々町大間々にある「わたらせ渓谷鐵道わたらせ渓谷線(旧国鉄「足尾線」)」の駅。
東武鉄道桐生線&上毛電気鉄道上毛線の「赤城」駅との距離は約1km離れており、桐生線との連絡では桐生寄りの地点に「相老」駅があるため、“わてつ”・東武いずれの場合も乗り換え案内は行われていないようだ。
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【参考比較】
赤城駅(あかぎえき)
群馬県みどり市大間々町大間々にある、上毛電気鉄道と東武鉄道の共同使用駅(管理は上毛電気鉄道)で、上毛電気鉄道の上毛線と、東武鉄道の桐生線が乗り入れ、接続駅となっている。
東武桐生線の駅番号は「TIー57」であり、同線の終点でもある。
1928年(昭和3年)11月10日 - 上毛電気鉄道の駅として開業。
当時の駅名は新大間々駅(しんおおままえき)。
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1932年(昭和7年)3月18日 - 東武桐生線が延伸、東武新大間々駅開業。
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1958年(昭和33年)11月1日 - 1957年(昭和32年)の赤城登山鉄道(1968年6月1日に廃線)の開業に伴い赤城駅と改称。
*2012年平均乗降客数(東武鉄道)1,266 (上毛電気鉄道) 677人/日
*キロ程/上毛:19.6km(中央前橋起点)、東武:20.3km(太田起点)
上電は島式ホーム1面2線、東武は頭端式ホーム1面2線を有する地上駅で、上電が駅業務を行う有人駅であり、駅事務所や改札口、コンコースは両社同一であるが、利用形態の違いから、両社線それぞれ出札口が存在。
駅舎内には待合室や売店が設置されている。
改札内は両社共通で、駅舎と各ホーム間は構内踏切により連絡している。
東武桐生線と上電上毛線は構内で線路が接続されており、かつては貨車の授受のほか、旅客列車の直通も行われた時期もある。
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赤城駅にて、、、
本ブログ管理者2011.8.8撮影
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