「市の中心駅・代表駅」を巡る旅(21)・・・駅すぱあと2008年12月より(*過去記事更新版) | ゆるポタで心リセット“おれ野_お散歩日記”by_✡CAMMIYA…ちょいマニアックで開運

「市の中心駅・代表駅」を巡る旅(21)・・・駅すぱあと2008年12月より(*過去記事更新版)

水郡線081231502

JR水郡線のディーゼルカー (本ブログ管理者2008.12.31撮影)

■本ブログ内関連記事参照



上菅谷駅(かみすがやえき)

茨城県那珂市菅谷にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)水郡線の駅。

本線(安積永盛駅方面)と常陸太田支線(常陸太田駅方面)が分岐。

島式ホーム2面3線、みどりの窓口設置(営業時間 6:00 - 20:00)の地上駅。

乗降客数1,352人/日(2008年)、1897年(明治30年)11月16日開業。

水戸起点10.1Kmの位置にある駅。

2009年時点、駅前再開発とともに駅前ロータリーと道路の整備工事を施工中。

那珂市役所(旧・那珂町役場) 最寄り駅

【参考比較】

瓜連駅(うりづらえき)

茨城県那珂市瓜連にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)水郡線の駅

島式ホーム1面2線の地上駅で、橋上駅舎を有する簡易委託駅。

水戸起点16.7Kmの位置にある駅。

乗降客数796人/日(2008年)、1918年(大正7年)6月12日開業。

【立地自治体の成立経緯】

那珂市(なかし)

茨城県北部にある市。2009.11.1推計人口54,276人(人口密度555人/km²)

近年水戸市やひたちなか市のベッドタウンとして人口が増加。

1934年(昭和9年)6月10日 - 那珂郡瓜連村が町制施行して瓜連町

1942年(昭和17年)9月8日 - 那珂郡菅谷村が町制施行して菅谷町

1955年(昭和30年)3月31日:菅谷町とその他六つの村が合併して那珂郡那珂

*茨城県内では鹿島郡神栖町、猿島郡総和町、稲敷郡阿見町に次いで

                         四番目に人口規模の大きな町であった。

2005年(平成17年)1月21日:那珂町の北西に位置する那珂郡瓜連町を編入合併

                                      市制施行して那珂市

合併直前2005.1.1推計人口

瓜連・・・・・・・・8,816

那珂・・・・・・・46,000人(*那珂市民の85%が旧・那珂町域に住む!)

もともと歴史に古い町場は瓜連であったが、、、、、

水戸市近郊の新興住宅街として人口が急増する(菅谷を中心とする)旧・那珂町

の比重が、合併直前には8割5分にも達していて、「町力」の違いは歴然だった

なので、那珂(菅谷)町が瓜連町を編入する形で合併が行われた結果、

旧・那珂町(菅谷)の役場を、そのまま市役所として使用したことを受け、

「市役所最寄り駅」を採って、上菅谷が『市の中心・代表駅』。。。。。。


水戸1412063735
水戸銘菓「吉原殿中」(本ブログ管理者2014.12.7実食撮影)

吉原殿中(よしわらでんちゅう)

餅米から作ったあられを水飴で固め丸い棒のようにして、

きな粉をまぶした菓子。

江戸時代、水戸藩9代藩主・徳川斉昭の時代に奥女中の吉原が残ったごはん粒を乾燥させ焼いてきな粉をまぶして作ったのが始まりとされている

埼玉の五家宝は水戸の吉原殿中が由来になっているとも言われている

(埼玉の五家宝と比較して吉原殿中の方が大きい)

肝心の食感について多少書き添えると、

ぶっちゃけ言って埼玉の五家宝と大差無いのだが、若干(ほんの少し気持ち程度)吉原殿中の方が口溶けが速く、後味スッキリ軽い感じで、お茶(煎茶・焙茶等の日本茶系)よりもブラック無糖のコーヒーによく合うような感じ。

(逆に言えば五家宝の方が口の中に残り「食べ応え」が若干ある感じ)
水戸1412063746
ちなみに「吉原殿中」の商標は、水戸菓子工業協同組合に加盟する企業および菓子店(井熊総本家、亀印製菓、あさ川製菓、菓舗もとや、吉田屋、前田屋製菓)のみが使用することができるのだそうだ。。。
(本ブログ管理者2014.12.7実食撮影)


笠間駅(かさまえき)

茨城県笠間市下市毛にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)水戸線の駅。

2面3線のホームを持つ地上駅。Suica対応の自動改札機が設置

オペレーターとのやりとりで指定券や定期券などを購入することができる

「もしもし券売機Kaeruくん」を設置。

乗降客数3,094人/日(2008年)、1889年(明治22年)1月16日開業。

笠間市役所笠間支所(旧・笠間市役所)最寄、、、、、

すなわち、旧笠間市の市役所は、現在の市役所ではない!!!

2009年(平成21年)3月14日頃 - 発車メロディー導入。

(1番線はGota del Vient。2番線・3番線はWater Crown)

【参考比較】

友部駅(ともべえき)

茨城県笠間市友部駅前にある

東日本旅客鉄道(JR東日本)・日本貨物鉄道(JR貨物)の駅。

単式ホーム1面1線と島式ホーム2面4線を有する地上駅で、橋上駅舎を持つ。

みどりの窓口(営業時間 5:45 - 21:00)・Suica対応自動改札機設置駅。

日暮里起点(常磐線)98.8Km、小山起点(水戸線)50.2Km地点の駅。

乗降客数7,410人/日(2008年)、1895年(明治28年)7月1日開業。

笠間市役所本庁舎(旧・友部町役場)最寄り駅

発車メロディは2007年(平成19年)3月4日から、

笠間市にゆかりのある歌手・坂本九の曲に変更された。

(「①上を向いて歩こう」「②明日があるさ」「③④⑤幸せなら手をたたこう」)

JR貨物の駅は、専用線発着のコンテナ貨物・臨時車扱貨物の取扱駅。

(貨車の入換作業は福島臨海鉄道が受託)

貨物列車は、越谷貨物ターミナル駅と水戸駅方面を結ぶものが1日1往復停車。

水戸駅方面へ向かうものは専用貨物列車、

越谷貨物ターミナル駅へ向かうものは高速貨物列車である。

【立地自治体の成立経緯】

笠間市(かさまし)

関東地方の北東部、茨城県の中部に位置する市。

2009.11.1推計人口79,752人(人口密度332人/km²)。

古くから日本三大稲荷に数えられる笠間稲荷神社の門前町として、

また笠間城の城下町として栄えてきた(旧・笠間市の中心市街地)

最近では笠間焼の生産地として知られ、

春や秋に行われる陶器市の時期には、多くの観光客で賑わう

2006年3月19日に

笠間市(旧制)、旧西茨城郡(友部町、岩間町)の1市2町が新設合併し、

新制の笠間市として発足した。

新制では市庁舎は旧笠間市より人口の多い旧友部町に本庁舎が置かれている。

1889年4月1日 - 町村制施行に伴い、西茨城郡に笠間町・宍戸町の2町と12村成立

1923年3月1日 - 岩間村が町制施行し岩間町

1955年1月15日 - 宍戸町・大原村・北川根村が合併し、友部町

*「友部」の名の由来はさして古くはなく、

  1895年に現在の水戸線の駅が設置された際、

  付近が「南友部村」と呼ばれた地域であったことにちなむ。

  :

  「友部町」として合併したのも、中学校の学区に合わせるためという、

  極めて政治的な理由に基づく

  歴史的には、友部町に参画した町村間に密接な関係はない

1958年(昭和33年)8月1日 - 笠間町が市制施行で笠間市(旧制)

2006年3月19日 - 岩間町・友部町が笠間市と合併し、笠間市が発足、西茨城郡消滅

合併直前2006.3.1推計人口

笠間・・・・・・29,617

友部・・・・・・35,425

岩間・・・・・・16,298

新市の市名としては、歴史があり、先に市制を施行している「笠間」の名を残したが、

合併直前になると、水戸市郊外の新興住宅街として注目されている

旧・友部町のほうが人口規模で上回っており、この「力関係」に配慮して、

市役所は、友部の方に置いた。。。。。。

しかしながら、市外からの観光客にとって知名度が高いのは「笠間」であり、

「歴史ある街」の玄関口…を採って笠間駅が『市の中心・代表駅』。。。。。。

(ホント、合併って、難しいね、、、、、、、)





岩瀬駅(いわせえき)

茨城県桜川市犬田にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)水戸線の駅。

2面3線のホームを持つ地上駅(かつての筑波鉄道筑波線は4・5番線を使用)。

簡易Suica改札機が設置されている。みどりの窓口設置駅(営業時間 6:00 - 19:00)

乗降客数2,224人/日(2008年)

駅北側(駅舎側)は旧・岩瀬町の市街地になっている。

1889年(明治22年)1月16日開業

1987年(昭和62年)4月1日に筑波鉄道筑波線廃止

2009年(平成21年)3月14日 - 全ホーム発車メロディー導入

(岩瀬市内の駅はJR水戸線の3駅だけ、、、、*旧・真壁町に駅は…今は無い)

小山方面←大和(3.7Km)←岩瀬→羽黒(3.2Km)→水戸方面

【参考比較】

大和駅(やまとえき)

茨城県桜川市高森にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)水戸線の駅。

(旧大和村に設置されたことから駅名となる)

単式ホーム1面1線の地上駅。駅員無配置駅。簡易Suica改札機設置。

1988年(昭和63年)6月20日 - 開業

2009年(平成21年)3月14日 - 発車メロディー導入

【参考比較】

羽黒駅(はぐろえき)

茨城県桜川市友部(旧・岩瀬町域)にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)水戸線の駅

乗降客数1,530人/日(2008年)、1904年(明治37年)4月1日開業。

島式ホーム1面2線を持つ地上駅。簡易Suica改札機設置駅。

業務委託駅(JR水戸鉄道サービス委託)。岩瀬日本大学高等学校最寄り駅。

2009年(平成21年)3月14日 - 発車メロディー導入

【立地自治体の成立経緯】

桜川市(さくらがわし)

茨城県西部の市。2009.11.1推計人口46,506人(人口密度259人/km²)

市北部の羽黒地区、南部の真壁地区はそれぞれ日本有数の採石地であり、

石材業が盛んである。

特に真壁地区は「日本三大石材産地」とされ、

産出される真壁御影石を加工した「真壁石燈籠」は国の伝統工芸品に指定されている。

真壁・大和地区と岩瀬地区は市外局番こそ一緒だが単位料金区域(MA)が違うため

市外局番0296からつける必要がある

「つくばナンバー」交付地域。

1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行…真壁町

歴史は古く、真壁氏が本拠として真壁城を築いたことに始まり

  後に佐竹氏の家臣となった真壁氏が氏幹の代に出羽国秋田に移った後、

  浅野長政が隠居料として同地などを拝領し真壁藩を立藩

  浅野長重の代に笠間藩へ加増移封された後も陣屋がおかれた。

  陣屋があったところを中心として、市街地には古い町並みが広がっており、

  文化庁登録文化財の数は100を軽く超える

  また、各家や商店などでは2003年から町おこしによる雛祭が行われている。

  町南部にある筑波山(標高877m)は、観光地として有名。

1925年(大正14年)1月1日 - 西那珂村が町制施行・改称し岩瀬町

*霞ヶ浦にそそぐ桜川の源流として、能楽の作品「桜川」の舞台で知られる。

2005年10月1日:西茨城郡岩瀬町、真壁郡真壁町・大和村が合併し、

                           桜川市(さくらがわし)が誕生(新設合併)。

*旧・大和村役場を桜川市役所本庁舎とする。

*旧・大和村域東部にある安産子育ての雨引観音は観光地としても有名

市名は市内に発し市域を縦断して霞ヶ浦へ注ぐ河川・桜川に由来

ちなみに

かつて桜川村(桜川市誕生の約半年前に合併で稲敷市となる)が県内にあったが、

旧桜川村はこの川との関係はない。

合併直前2005.9.1推計人口

岩瀬・・・・・・22,151

真壁・・・・・・19,213

大和・・・・・・・7,296

歴史が最も古い町は真壁であるが、今は鉄道が走っていない。。。。。

よって、合併前に最も人口規模が大きかった旧・岩瀬町の中心駅であった

岩瀬駅を新市の「中心・代表駅」に設定したものと思われる・・・・・・・

もし、市役所最寄り駅を採るのならば、

無人駅(停留所みたいな簡素化された駅)である地元請願駅の「大和」だろう…

市役所は「地理的中心」の旧・大和村域に設定するなど、

やっぱり、ここも・・・・・合併当時における苦労を読み取れる。。。。。

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黒磯駅と那須湯本を結ぶ東野交通のバス路線・・・・・

「湯本2町目」停留所(栃木県那須町)にて本ブログ管理者2006.3.27撮影





黒磯駅(くろいそえき)

栃木県那須塩原市本町にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)東北本線の駅。

東北本線の途中駅であるが、当駅を境に南側は直流電化、

北側は交流電化となっている

(このため当駅で東北本線の運転系統がほぼ分断される)。

また上野駅から続いてきた宇都宮線の愛称も当駅まで・・・・・。

単式ホーム1面1線、島式ホーム2面4線、合計3面5線の地上駅。

駅舎側の1番線のみ単式ホームで、駅舎上部を東北新幹線が通過している。

Suica対応自動改札機が設置されているが、Suicaの利用は宇都宮線区間に限られ、

当駅以北(郡山方面=仙台エリア側)では利用できない

(仙台エリアは

    2009年3月14日に矢吹駅まで拡大されたが、またがっての利用はできない)。

1886年(明治19年)12月1日開業、乗降客数4,998人/日(2008年)。

当駅では長年の間、高木弁当と

フタバ食品黒磯営業所の2社が駅弁を製造・販売してきたが、

2001年に高木弁当が、

2005年にフタバ食品黒磯営業所が撤退したため、販売は終了した。

那須塩原市役所(旧・黒磯市役所)最寄り駅

那須地方を統括する役所(宇都宮地方法務局黒磯出張所)が立地

【参考比較】

那須塩原駅(なすしおばらえき)

栃木県那須塩原市大原間にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)の駅。

東京起点157.8Kmの距離に位置する駅。

新幹線は2面3線のホームと通過線2線を持つ高架駅、

在来線は2面3線のホームを持つ地上駅。

1898年(明治31年)11月24日開業* 1982年に東那須野駅から改称

乗降客数9,812人/日(2008年)

宇都宮方面←西那須野(6.0Km)←那須塩原→黒磯(5.5Km)→郡山・仙台方面

【参考比較】

西那須野駅(にしなすのえき)

栃木県那須塩原市永田町にある、

東日本旅客鉄道(JR東日本)東北本線(宇都宮線)の駅。

単式ホーム1面1線と島式ホーム2面2線、計2面3線の地上駅

であるが2番線は使用されていない。橋上駅舎を有する。

1886年(明治19年)10月1日開業、乗降客数7,216人/日(2008年)

【立地自治体の成立経緯】

那須塩原市(なすしおばらし)

栃木県の北部に位置する市。

2005年1月1日に黒磯市、那須郡西那須野町、同郡塩原町の新設合併により発足。

人口は約11万人(人口密度197人/km²…2009.11.1推計人口より算出)、

佐野市に次ぎ県内第5位、県北最多人口の市。

東京から北に約150km、県都宇都宮から約50km、

東京-仙台のほぼ中間(双方から新幹線で70分~80分程度)に位置し、

広大な那須野が原北西一帯を占めている。

黒磯駅と西那須野駅周辺には古くからの中心的市街地が形成され

西那須野駅と黒磯駅の中間にある那須塩原駅周辺は新幹線の開業と共に

西側に新市街地が形成されつつあり、

将来的に新市役所の建設が計画されている

広域の合併により発足した市であるため

市街地が西那須野駅周辺、黒磯駅周辺のほか、

大原間地区(那須塩原駅周辺)及び塩原古町地区等に分かれた

多核分散都市となっている。

合併直前2004.12.1推計人口比較

黒磯・・・・・・・・60,787

西那須野・・・・45,565

塩原・・・・・・・・・8,683

1912年(明治45年)4月1日 - 東那須野村から黒磯町が分立

1919年(大正8年)4月1日 - 塩原村が町制施行し塩原町

1932年(昭和7年)4月1日 - 西那須野村が町制施行し西那須野町

1970年(昭和45年)11月1日 - 黒磯町が市制施行し、黒磯市

1982年(昭和57年)4月1日 - 塩谷郡塩原町が那須郡に移行

2005年(平成17年)1月1日 - 西那須野町・塩原町が黒磯市と合併し、那須塩原市

合併3市町のなかで、最も大きな町は(歴史的に見ても)黒磯であるので、

「電化方式の違い」による鉄道本線分断による乗換駅としても有名であり、

かつ、「市役所最寄駅」と採って黒磯駅が「市の中心・代表駅」。。。。。

但し、市役所は「地理的中心」=新幹線・那須塩原駅前へ新設移転構想がある…





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