「市の中心駅・代表駅」を巡る旅(24)・・・駅すぱあと2008-12版より(*Ver.14.1)
羽田空港発の新逗子行き「エアポート急行」・・・
浦賀駅にて、、、(本ブログ管理者2014.9.14撮影)
三浦海岸駅(みうらかいがんえき)
神奈川県三浦市南下浦町上宮田1497にある京浜急行電鉄久里浜線の駅。
計画時の駅名は地名に基づく「上宮田駅」であったが
下浦海岸にちなむこの名称とし、延長区間を三浦海岸線と呼びPRを実施。
駅名の由来となっている海岸までは400mほど・・・・・・・
:
乗降客数12,842人/日(2007年)、1966年(昭和41年)7月7日開業。
相対式ホーム2面2線を有する高架駅。堀の内起点11.2Kmの位置にある駅。
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当駅の起点方(北側)は複線、終点方は単線区間
(ただし複線化用地は確保されている)となっており、
下り列車は列車交換のため4 - 5分ほど停車する場合がある。
三浦市中心部への延伸が計画されていたために
複線用のもう一つの線路のスペースが用意されている。
:
発着する列車はすべて8両編成だが、12両編成の停車が可能なホーム
(有効長約220m)を持つ。
これはかつて、海水浴客輸送最盛期に列車を同一ホームに2本停車させ
旅客整理を行っていた名残。
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普通列車の設定はなく、快特と特急および「京急ウィング号」
(いずれも久里浜線内は各駅停車)が発着。
日中は上下線ともおよそ10分毎の運行。
下り最終電車の後に2本到着する当駅止まりの下り列車は翌早朝まで留置され、
始発の上り列車として発車する。
このほかには当駅を起終点とする列車はなく、すべて三崎口駅発着。
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【参考比較】
三崎口駅(みさきぐちえき)
神奈川県三浦市初声町下宮田にある京浜急行電鉄久里浜線の駅。同線の終着駅。
三浦市の中心部である三崎までは4kmほど離れており、
油壺駅までの延伸が計画されていたが、用地買収が難航したため、
2005年10月7日に国土交通省へ事業廃止届出書を提出。
(事業円滑化のための一時的措置で、「計画中止」ではない…というスタンスらしい)
相対式ホーム2面2線を有する地上駅。
(ただし、地形の関係で三浦海岸側は高架、油壺側は堀割)
乗降客数19,159人/日(2007年)、1975年(昭和50年)4月26日開業。
当駅は、「京急駅メロディ(列車接近案内音)」募集の対象駅で、
選考の結果、
三浦市三崎地区が舞台となった「山本コウタローとウィークエンド」の楽曲
「岬めぐり」が採用され、2008年12月10日から使用を開始♪♪
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丘陵部に位置し、駅の標高は約32m と京急の駅としては最も高い。
周辺にはキャベツやスイカ、大根などの畑作地と雑木林が広がっているが、
大規模な宅地開発も行われている。また、商業施設の開発を行う計画もある。
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三浦市中心部や横須賀市西部への路線バスが運行されている(京浜急行バス)。
久里浜線は三浦市の中心部三崎まで建設される計画であったが、
用地の取得が困難を極めたため、
暫定的なターミナルとしてバスとの連絡に便利な国道134号との交点に
当駅が建設された。駅名は三崎への入口という意味合いから付けられたもの。
↓
結局、この場合も・・・・・・・
(後述の新浦安と同様?/地域のイメージUPを狙って、、、)
おもに
「観光戦略を重視」した結果?、三浦海岸駅が『市の中心・代表駅』
横須賀中央駅前(本ブログ管理者2014.8.17撮影)
JR総武本線(支線=各駅停車)両国駅/本ブログ管理者2001年7月22日撮影
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東京都墨田区横網(よこあみ)1丁目「江戸東京博物館」上階からの眺望。。。。。
大貫駅(おおぬきえき)
千葉県富津市千種新田にある東日本旅客鉄道(JR東日本)内房線の駅。
島式ホーム1面2線の地上駅(ホームは嵩上げされていない)。
君津駅管理(もしもし券売機Kaeruくん設置)。蘇我起点46.6Kmの位置にある駅。
乗降客数2,638人/日(2008年)、1915年(大正4年)1月15日開業。
特急さざなみが、上りは朝から昼、下りは夕方から夜にかけて停車。
(富津市役所…富津市下飯野2443 最寄り駅)。
2009年(平成21年)3月14日 - ICカード「Suica」サービス開始。
東京近郊区間に組み込まれる。
*
【立地自治体の成立経緯】
富津市(ふっつし)
千葉県の南部、東京湾に面した市。
2009.11.1推計人口48,156人(人口密度235人/km²)
:
富津市の市名の由来は日本武尊伝説によるものとされている。
嵐を静める為に海に投身した弟橘姫の袖が
海岸に流れ着いたことに由来する(布流津)。
この布流津(ふるつ)が転じて富津になったとされている。
※袖が流れ着いた地名は袖ヶ浦。
布流津の布は弟橘姫の腰巻が小糸川(富津市北端=君津市境)
の飯野の地に流れ着いた事に由来。
:
富津市は「ハマコー」こと、
浜田幸一(元自民党国会議員)の出身地として知られている。
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明治22年4月1日の町村制施行時点での「町」…湊町、佐貫町
↓
明治30年12月1日 - 富津村が富津町
大正9年10月1日 - 大貫村が大貫町
大正15年4月10日 - 青堀村が青堀町
昭和12年4月1日 - 大貫町が吉野村を編入
昭和30年3月30日 - 大貫町と佐貫町が合併して大佐和町
昭和30年3月31日 - 富津町,青堀町,飯野村が合併して富津町
湊町、金谷村、竹岡村、天神山村が合併して天羽町
↓
昭和46年4月25日 君津郡富津町と大佐和町と天羽町の3町合併により、
現在の市域と同じ富津町が成立(同年9月1日市制施行)。
:
市内の駅(JR内房線)
木更津・君津方面
←青堀駅 - 大貫駅 - 佐貫町駅 - 上総湊駅 - 竹岡駅 - 浜金谷駅→
館山方面
*
【参考比較】
佐貫町駅(さぬきまちえき)
千葉県富津市亀田にある東日本旅客鉄道(JR東日本)内房線の駅。
かつては特急「さざなみ」の一部が停車したが、
現在は主に休日に運転される臨時列車のみ停車・・・・・・・
島式1面2線のホームを持つ地上駅。
ホームは補修されたものの嵩上げはされていない。
みどりの窓口(営業時間:7:35~17:50、途中休止時間帯あり)、
簡易Suica改札機設置駅。君津駅管理。蘇我起点50.7Kmの位置にある駅。
乗降客数700人/日(2008年)、1915年(大正4年)1月15日開業。
マザー牧場(バス連絡)最寄り駅。
2009年(平成21年)3月14日 - ICカード「Suica」サービス開始。
東京近郊区間に組み込まれる。
*
【参考比較】
青堀駅(あおほりえき)
千葉県富津市大堀にある東日本旅客鉄道(JR東日本)内房線の駅。
島式ホーム1面2線の地上駅。特急さざなみのほとんどが停車。
ホームは嵩上げされていない。蘇我起点42Km地点にある駅。
国鉄時代は貨物の取り扱いもあり、
駅舎の脇(君津寄り)に貨物用ホームが存在していた。
また、ホームを挟んだ反対側にも機回し線と思われる線路が存在していた。
「もしもし券売機Kaeruくん」(営業時間:6:00~21:00)、簡易Suica改札機設置。
乗降客数3,272人/日(2008年)・・・富津市の駅では最も利用者数が多い
1915年(大正4年)1月15日開業。
TEPCO新エネルギーパーク、富津海岸(潮干狩り)最寄り駅。
高速バス君津 - 東京線(東京駅八重洲口・浜松町バスターミナル・潮見駅行)結節駅
2009年(平成21年)3月14日 - ICカード「Suica」サービス開始。
東京近郊区間に組み込まれる。
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【参考比較】
上総湊駅(かずさみなとえき)
千葉県富津市湊にある東日本旅客鉄道(JR東日本)内房線の駅。
島式1面2線のホームを持つ地上駅。ホームは嵩上げされていない。
みどりの窓口(営業時間:6:30~20:00、途中休止時間帯あり)、
簡易Suica改札機設置駅。君津駅管理。
以前は、JTB時刻表では当駅が「市の代表駅」だったが、
市役所の移転に伴い大貫駅に「◎」が移動している。
特急「さざなみ」の停車駅…主に上りは朝夕、下りは午後の時間帯の列車と1号が停車
(臨時列車である「新宿さざなみ」は当駅を通過)
早朝の京葉線直通通勤快速(土・休日は京葉快速)の始発駅であり、
現在内房線において、普通列車として東京への直通列車が存在する終端となっている。
(この電車は上りだけの設定で下りは君津までの運行)
キヨスク→閉店→新聞等の自販機を設置
2009年(平成21年)3月14日 - ICカード「Suica」サービス開始。
東京近郊区間に組み込まれる。
↓
当初は、昭和46年における3町合併で、
南半分の広大な面積を占めた旧・天羽町の北端にある最も栄えた町(湊=上総湊)が
ちょうど「3町の地理的中心」であったために市役所が置かれていたが、
後年、君津市に隣接し、人口が集中する市北部に市役所が移転したことに伴い
「市役所最寄り駅」を採って大貫駅が『市の中心・代表駅』。。。。。
*
JR総武本線・成田線「佐倉」駅前
(千葉県佐倉市六崎にて本ブログ管理者2001年7月20日撮影)
千葉といえば落花生(ピーナッツ)とチーバくん、、、
↑
「ピーナッツもなかアイス」
後味(*´Д`)スッキリ、後に引かない程よいピーナッツ風味♪
甘さ控えめで食べやすい!
(本ブログ管理者2014.12.15実食撮影)
五井駅(ごいえき)
千葉県市原市にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・小湊鐵道の駅。
JR東日本の管轄駅で、改札は両社で共用。蘇我起点9.3Kmの位置にある駅。
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JR東日本・小湊鐵道がそれぞれ島式ホーム1面2線を有し、合わせて2面4線の地上駅。
(のりばにつけられた番号は、西口方向から順番に1番線、2番線、3番線、4番線)
:
改札口は両社が共用し、改札業務はJR東日本によって行われる。
JR東日本が設置した自動改札機・自動券売機
(小湊鉄道線の普通乗車券も購入可能)の設備がある。
JR東日本直営駅でみどりの窓口(営業時間:6:00~21:00)設置。
*
現在JRと小湊鐵道は改札を共有しているが、
国土交通省関東運輸局の業務監査報告書によると
将来改札分離を実施する予定(?)がある。
:
市原市役所は小湊鉄道「上総村上」駅(五井起点2.5km)が最寄り駅
:
JR/1912年(明治45年)3月28日開業、乗降客数39,600人/日(2008年)
:
小湊鉄道/1925年(大正14年)3月7日開業、乗降客数3,280人/日(2007年)
:
時刻表上では駅弁販売駅ではないが、
午前9時前~売切れまで小湊鉄道連絡橋上で
地元商店(やり田)による弁当の立ち売りがある。
:
五井駅東口開発
五井駅東口は、
大型複合商業施設(7&I「アリオ市原」=かつて中心市街地側の西口に存在したイトーヨーカドーの後継店舗)、
高層住宅地、総合公園などの整備が行われている。
:
「市原駅」構想
当駅の所在地である市原市には、市の名前そのものを冠した駅がないことから、
五井駅を「市原駅」に改称しようという運動が何度も起こっているが、
いずれも立ち消えになっている。
なお「市原駅」に関しては、地名としての「市原」に近い八幡宿駅の改称案や、
島野地区(五井~姉ヶ崎間)への新駅設置運動の中で「島野駅」と並んで
新駅の名称候補に挙がったこともある。
:
古代においては市原市の国分寺台から能満にかけての一帯が
上総国の中心地域だったと見られる。
市原市国分寺台から国分寺跡、国分尼寺跡が発掘されているが、
国府がどこにあったかは正確には分かっていない。
(現在の小湊鉄道「上総村上」駅付近)
↓
近世の幕藩体制下では五井藩と、
鶴牧藩(現在の椎津=JR姉ヶ崎駅東口)旗本陣屋(伊丹陣屋)
↓
1867年(慶応3年)大政奉還の時に郡内に陣屋を置いていたのは鶴牧藩(1.5万石)のみ
↓
1868年(明治元年)、徳川宗家(旧将軍家)の駿府(静岡)入封に換えて
浜松藩主であった井上正直が当郡を中心に6万石の領地
(石川村の台地上に陣屋。台地上に整備された城下町が鶴舞と
名づけられたことから、この藩は鶴舞藩と呼ばれる)
*現在の小湊鉄道「上総鶴舞」駅付近
また、沼津藩主であった水野忠敬が菊間村に陣屋を置く。
(菊間藩(5万石)が成立=現在のJR八幡宿駅東口付近)
↓
1878年(明治11年)、郡区町村編制法によって行政区画としての市原郡が編成され、
千葉郡とともに
「千葉市原郡役所」(所在地:千葉町[現千葉市])がこれを管轄。
↓
1889年4月1日 - 町村制施行により八幡町ほか20村成立
1891年1月9日 - 鶴舞村が町制を施行し鶴舞町
1891年5月20日 - 五井村が町制を施行し五井町
1891年6月1日 - 鶴牧村が町制を施行し姉崎町
1924年7月15日 - 明治村が町制を施行し牛久町
1954年11月3日 - 五井町と東海村が合併し、改めて五井町
1954年11月15日 - 牛久町、鶴舞町、戸田村、内田村、平三村が合併して南総町
1955年3月20日 - 五井町と千種村が合併し、改めて五井町
1955年3月31日 - 八幡町、菊間村が合併して市原町
*1955年3月31日~1956年7月1日「市原町」と「市原村」が併存
1955年3月31日 - 市西村、養老村が合併、町制を施行して三和町
1956年3月25日 - 三和町と海上村が合併し、改めて三和町
1956年7月1日 - 市原村が分割されて市原町と五井町に編入
1961年4月1日 - 市津村が町制を施行し市津町
1963年5月1日 - 市原町、五井町、姉崎町、三和町、市津町が合併、
*市制を施行して市原市
1967年10月1日 - 南総町、加茂村が市原市に編入される。
*同日市原郡消滅(現市原市は市原郡全域を市域)
:
現在の市原市
(2009.11.1推計人口279,287人=千葉県では第6位、人口密度759人/km²)
:
市原市の財政力指数は1.15と財政は良い。この数値が大きいほど財政力が大きく、
「1」以上の場合極めて健全な財政とされ、地方交付税は交付されない。
:
地方自治法第252条の26の3第1項に定める
政令による特例市になる要件を満たすが、今のところ特例市への昇格予定は無い。
↓
「郡」1個が全部まるごと広域合併(まるで平成の大合併における「お手本(?)」)
になった市原市では、古代に国府が置かれたと推定する位置に市役所を置き、
市内に3つある主要鉄道幹線の駅=JR駅(八幡宿、五井、姉ヶ崎)のなかで
最も「市役所に最寄り」「地理的中心」を採って五井駅が『市の中心・代表駅』…
以前は、
八幡地区と五井地区の歴史的な対立感情が大きいと言われており、
現在の市原市の中心地区は五井地区であるが
市名として「市原」を採用したのはこうした対立の妥協であるとされている。
:
■本ブログ内関連記事/千葉県市原・養老渓谷の「川回し地形」参照
「新浦安」駅勢圏内の街並み(本ブログ管理者2012.1.28撮影)
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東京駅八重洲口より直通の高速バスも出ているようだ。。。
新浦安駅(しんうらやすえき)
千葉県浦安市入船一丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)京葉線の駅。
島式ホーム2面4線を有する高架駅。駅舎は高架下。東京起点16.1Kmの位置。
乗降客数110,174人/日(2008年)、1988年(昭和63年)12月1日開業。
:
乗降客数は、
京葉線内では東京駅、西船橋駅を除けば舞浜駅、新木場駅に次ぎ第3位
(乗換路線のない京葉線の駅では最多)。
:
駅周辺は、
ショッパーズプラザ新浦安(ダイエー)やMONA(株式会社ららぽーとによる運営)、
アトレ新浦安(駅高架下)などの商業施設や、
新浦安センタービルディング(旧称・明治安田生命新浦安ビル)や
東レ第2本社ビルなどのオフィスビルを中心に、
都市再生機構(旧:都市基盤整備公団)や民間によるマンション群が
整然と区画された計画都市然とした街並みが広がり、
国土交通省の都市景観100選にも選定されている。
(浦安市役所の位置は、新浦安駅と浦安駅の、ほぼ中間点)
:
旧来からの中心であった東京地下鉄東西線の浦安駅周辺地区に代わる
浦安の新しい玄関口として、
市民の日常生活のみならず、ビジネスの中心ともなっている。
:
東京ディズニーリゾートへ1駅という利便性から観光客の利用も多く、
1993年開業の浦安ブライトンホテル、1996年開業のオリエンタルホテル東京ベイ、
2005年開業のパーム&ファウンテンテラスホテルとホテルエミオン東京ベイ、
2007年開業の三井ガーデンホテルプラナ東京ベイの新浦安地区の6つのホテルは
『東京ディズニーリゾート・パートナーホテル』として、
東京ディズニーリゾートのゲスト特典がある。
*
【参考比較】
浦安駅(うらやすえき)
千葉県浦安市北栄一丁目にある、東京地下鉄(東京メトロ)東西線の駅。
駅番号はT 18。中野起点22.8Kmの位置にある駅。
開業時は浦安の旧市街地(元町)の外れにあったが、
現在、駅周辺は浦安市の中心市街地となっている。
(浦安市役所の位置は、新浦安駅と浦安駅の、ほぼ中間点)
2面2線の相対式ホームを有する高架駅。
快速停車駅であり、通勤快速は当駅より各駅に停車する(中野方面平日朝のみ)。
開業当時からしばらくの間は快速も通過していた(東陽町~西船橋間は無停車)。
乗降客数75,952人/日(2008年)、1969年(昭和44年)3月29日開業。
:
JR京葉線の新浦安駅までは道路を歩いて4km。時間にして25~40分程の距離。
同線が事故などで不通になった際には同駅の利用者が当駅に押し寄せるため、
ラッシュ時を中心に駅構内から外にかけて乗客で溢れ返るらしい。。。。。
↓
浦安市では、
恐らくディズニーリゾートに因んだ成長戦略を考えたのだろう。。。。。
:
なので
「観光戦略上の理由(知名度・未来的?な街のイメージ)」を重視した結果、
新浦安駅が『市の中心・代表駅』。。。。。。。。
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本ブログ内「市の中心・代表駅」関連記事
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