「市の中心駅・代表駅」を巡る旅(15)*駅すぱあと2008-12版より/過去記事の画像追加更新版
1/5万「大湊」・・・昭和29年と、
1/5万「大湊」・・・昭和29年
( ■本ブログ内関連記事参照
)
大湊駅
↓
大湊駅(おおみなとえき)は、
青森県むつ市大湊町にある東日本旅客鉄道(JR東日本)大湊線の駅.
大湊駅は緯度でわずかに1つ手前の下北駅より南に位置するため
本州最北端の駅を名乗ることができない。
(「てっぺんの終着駅」という看板が駅玄関に取り付けられている)
1921年(大正10年)9月25日開業。乗降客数564人(2008年)
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相対式ホーム2面2線(頭端式ホーム)。
かつては引き込み線がある2面3線で大湊線・大畑線気動車が配置していた大湊運転区
があったが、留置線1本を残し撤去され更地になっている(夜間滞泊は設定されている)。
終日社員配置駅(駅長・副駅長・助役配置)で、大湊線営業所を併設。
管理駅で吹越 - 下北間の各駅を管理下に置く。
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駅舎にはみどりの窓口(営業時間:5時00分-19時40分、閉鎖時間あり)、
大湊駅旅行センター(営業時間:10時00分-17時30分、土休日休業)、
タッチパネル式自動券売機1台がある。以前は売店(キヨスク)があったが、現在はない。
※むつ中心部(むつ市役所)は下北駅が最寄り駅
かつてはこの地が大日本帝国海軍の港であったこともあり、
非常に頻繁に利用されており、周辺商店も活気づいていた。
しかし、太平洋戦争の敗戦や、
大湊町と田名部町が大湊田名部市(後のむつ市)として合併する時に
市役所が田名部地区になってしまった事などもあって、
現在はかつてに比べると利用頻度が低くなっている。
:
ちなみに、、、、、
下北駅は・・・・・・
(しもきたえき)は青森県むつ市下北町にある東日本旅客鉄道(JR東日本)大湊線の駅。
大湊駅►より、、、、2.9Kmの距離に在る駅。本州最北の駅!
島式ホームの片側を使用する形の棒線構造で、
ホームの反対側(旧1番線)は2001年まで下北交通大畑線が使用していた。
かつては大湊から大畑方面に直通できる配線で、
列車は大湊駅から折り返す形で直通運転を行なっていたが、
大畑線の民鉄転換時に線路の接続は断たれている。
大湊駅管理の社員配置駅(大湊駅所属下北在勤、早朝夜間駅員不在)。
駅舎にはみどりの窓口(営業時間:7時30分~19時50分、閉鎖時間あり)と
タッチパネル式自動券売機が1台ある。
乗降客数376人(2008年)
1939年(昭和14年)12月6日開業*下北交通大畑線 - 2001年廃止
1939年、大畑線の開業とともにその分岐駅として設置された。
大畑線は、国鉄再建法の施行により第1次特定地方交通線に指定され、
1985年に下北交通に転換されたが、2001年に廃止された。
*
1985年7月1日 - 大畑線が下北交通に転換。国鉄下北駅業務を下北交通に委託
1990年頃 - JR東日本下北駅が直営駅に戻る。駅舎内に下北交通出札口を設置。
2001年4月1日 - 下北交通大畑線廃止。
下北交通大畑線廃止まではJR駅員はホーム上で改札を行っていた・・・・・
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田名部駅は・・・・・・
(たなぶえき)は、青森県むつ市にある下北交通大畑線の駅であったが、
大畑線廃止と同時に2001年3月31日限りで廃駅となった。
現在、駅舎は社会福祉会館として使われている。
1939年(昭和14年)12月6日 - 国鉄大畑線の駅として開業。当時の名称は本田名部駅
1948年(昭和23年)12月1日 - 当時の田名部駅が赤川駅に改称したのに伴い、
本田名部駅から田名部駅に改称
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赤川駅は・・・・・・・
(あかがわえき)は、青森県むつ市赤川町にある東日本旅客鉄道(JR東日本)大湊線の駅。
かつては「田名部駅」を名乗り、
田名部町(現むつ市)の中心部に向かう馬車軌道の起点でもあった。
単式1面1線のホームを持つ地上駅(無人駅)。
下北駅より2.3Km(大湊駅より5.2Km)野辺地方面寄りに位置する駅。
1921年(大正10年)9月25日開業
1921年12月14日 - 田名部町中心部の柳町までをつなぐ馬車軌道(田名部軌道:
当駅~田名部町柳町)の起点が設けられる。
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1941年 - 大畑線開業にともなう利用減により、田名部運輸軌道
(田名部軌道から改称)廃止。
1948年12月1日 - 赤川駅に改称
1972年3月15日 - 貨物取扱を廃止、無人化(大湊駅管理)。
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むつ市は、、、、、
青森県東北部、下北地方に位置する市。
2009.9.1推計人口61,205人(人口密度70.9人/km²)
下北半島に位置し、陸奥湾と津軽海峡に面する、本州最北端の市。
2005年の市町村合併により、青森県の総面積の約11%を占める
県内で最も大きな面積を持つ自治体となった。
1960年に大湊田名部市から現在のむつ市に改め、日本で初めての平仮名の市。
下北地方の中核都市で、周辺自治体に広がる人口約75000人のむつ都市圏を形成。
市の中央部には釜臥山(標高879m)を主峰とする恐山山地が連なっていて
恐山には宇曽利湖というカルデラ湖がある。
田名部、大平、大湊に人口が集中している。
むつ市の中心地である田名部(たなぶ)には下北丘陵に端を発する田名部川が流れ、
流域には肥沃な田名部平野が広がる。
大湊は釜臥山(かまふせやま)の麓に位置し、波の穏やかな大湊湾に面す。
大湊湾内には芦崎と呼ばれる砂嘴があり、砂嘴の内部は芦崎湾と呼ばれ、
天然の港湾となっている。
【沿革】
田名部は藩政時代には南部藩(盛岡藩)の代官所が置かれていた。
当時より下北地方の要の町として開け、田名部川の水運で栄えた。
1870年、戊辰戦争で賊軍とされた会津藩が領地没収の引き換えに
斗南藩(となみはん)として再興が許される。
翌年には廃藩となり、現在のむつ市斗南ヶ丘にその史跡がわずかに残る。
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大湊は下北七湊の一つであり、明治以降は帝国海軍の軍港となった。
太平洋戦争の末期は、大湊町であり、市制施行していない地域であったが、
海軍の基地があるということもあり空襲を受けた。
終戦直前には海軍関係者も合わせて、町では異例の10万人近くの人口があった。
大湊は現在でも海上自衛隊の基地があり、
青森県以北を警備担当区域とする大湊地方隊の地方総監部が置かれている。
他に、むつ (原子力船)の母港など、海、先端技術との関わりの中で発展しており、
また、第3次産業の比重が高い。
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1959年(昭和34年)9月1日 - 下北郡田名部町と大湊町が合併、
青森県8番目の大湊田名部市(おおみなとたなぶし)が誕生。
当時、日本一長い名称の市(5文字)となる。
読み仮名の8文字も当時大和郡山市と並び最長であった。
*1899年(明治32年)1月1日 - 田名部村が町制施行して田名部町
*1928年(昭和3年)11月10日 - 大湊村が町制施行して大湊町
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1960年(昭和35年)8月1日 - 市名をむつ市に改称、日本初のひらがな名の市
↓
2005年(平成17年)3月14日 - 下北郡川内町・大畑町・脇野沢村を編入。
恐山の飛地を解消
↓
2009年(平成21年)9月24日 - 市役所を田名部の中心街に隣接する金谷一丁目から
田名部―大湊の中間点で下北駅に近い
中央一丁目(ショッピングセンター跡)に移転。
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この地方における古くからの拠点集落は田名部(最寄りは赤川駅)であり、
現在の市役所に最も近いのは下北駅であるが、、、、、
「軍港」として全国的な知名度がある港町に立地する
大湊駅が市の中心駅。。。。。。
鷹ノ巣駅
↓
鷹ノ巣駅(たかのすえき)・鷹巣駅(たかのすえき)は、
秋田県北秋田市松葉町にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・秋田内陸縦貫鉄道の駅。
秋田内陸線が国鉄阿仁合線だった時代には「鷹ノ巣駅」という1つの駅だったが、
第三セクター転換時に秋田内陸縦貫鉄道の駅舎が別に建てられ、「鷹巣駅」と称した。
現在でもホームは繋がっており、実質的には同一駅。
乗降客数は、JR1,348人/日(2008年)
1900年(明治33年)10月7日開業【JR】、1986年(昭和61年)11月1日開業【内陸線】
北秋田市役所(旧・鷹巣町役場) 最寄り駅
*
もともと、鷹巣町には、
大館~北秋田・阿仁地域を統轄する秋田県の出先機関が置かれていて、
秋田県北東部における行政上の拠点であった。。。。 □外部リンク参照 ・・・・・
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【JR】
2面3線のホームを有する地上駅。
終日社員配置駅(駅長・助役配置)。管理駅で前山駅・糠沢駅を管理下に置く。
駅舎にはもしもし券売機Kaeruくん(営業時間: 6時30分-21時40分)、自動券売機、
待合室、ジェイアールアトリス売店(旧キヨスク)がある。
*2006年3月18日 - みどりの窓口を廃止し「もしもし券売機Kaeruくん」で代用稼働開始
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【内陸線】
1面1線の頭端式ホームを有する地上駅。JR1番線の秋田寄りにある。
社員配置駅。駅舎には自動券売機、出札窓口(営業時間: 6時00分-20時30分)のほか、
秋田内陸線旅行センター(営業時間: 9時00分-17時30分、土曜休日休業)がある。
:
ちなみに、、、、、
北秋田市は・・・・・・
(きたあきたし)は、秋田県北部に位置する市。
秋田県内では由利本荘市に次いで2番目に面積が広い。
2009.10.1推計人口37,198人(人口密度32.3人/km²)
2005年(平成17年)3月22日 北秋田郡の鷹巣町、合川町、森吉町、阿仁町が合併し発足
*
北秋田郡・・・・・・・
1878年(明治11年)7月22日 - 郡区町村編制法制定に伴い、
秋田県秋田郡を北秋田郡と南秋田郡に分割した事で発足。郡役所は鷹巣村に設置。
↓
かつて、郡役所が置かれた拠点集落の流れを汲み
新市の市役所が置かれた場所に近い
鷹ノ巣駅が市の中心駅。。。。。
象潟駅
↓
象潟駅(きさかたえき)は、
秋田県にかほ市象潟町家の後にある東日本旅客鉄道(JR東日本)羽越本線の駅。
特急「いなほ」「日本海」「あけぼの」、快速「きらきらうえつ」が停車。
地上駅。ホームは相対式1面1線、島式1面2線の計2面3線。
終日社員配置駅(駅長、助役配置)。本楯~仁賀保間の各駅を管理。
駅舎には自動券売機、もしもし券売機Kaeruくん(営業時間:6:00~22:10)、待合室、
観光案内所兼売店、自動販売機などがある。
乗降客数576人(2008年)。1921年(大正10年)11月15日開業。
駅周辺は、にかほ市の中心地。にかほ市役所(旧・象潟町役場)最寄り駅。
*
秋田県警「にかほ警察署(旧象潟警察署)」の管轄地
:
ちなみに、、、、、
仁賀保駅は・・・・・
(にかほえき)は、
秋田県にかほ市平沢清水にある東日本旅客鉄道(JR東日本)羽越本線の駅。
特急「いなほ」「あけぼの」が停車。2面3線の地上駅。駅本屋は西側。
象潟駅管理の簡易委託駅。
駅舎には出札窓口(POS端末設置、指定券取扱)のほか、
駅業務を受託している「TDKサービス」の旅行センター(JTB総合提携店)がある。
乗降客数714人(2008年)。
1922年(大正11年)6月30日開業*1968年、羽後平沢駅から改称
*旧・仁賀保町にはTDKの工場が立地(企業城下町)
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にかほ市は、、、、、
秋田県南西部の市。2009.10.1推計人口28,006人(人口密度116人/km²)
2005年(平成17年)10月1日に由利郡仁賀保町・金浦町・象潟町が合併し発足。
当初、秋田県における平成の大合併第1号になるはずであったが、
本庁舎の位置を巡って象潟町の当時の町長(旧象潟町初代町長の長男で、安倍晋太郎の秘書をしていた経歴がある)が反発して合併協を脱退し、休止状態になった
(名称が「にかほ市」で、本庁舎が金浦町役場と決まったため、象潟町にキャスティング・ボートがなくなるとの判断から)。
そのため、美郷町に第1号を譲ることになった。
その後、
当時の象潟町長が任期満了で退任し、それに伴う象潟町長選挙で、
現在のにかほ市長である横山忠長が当選し、合併協に復帰、
象潟に対する一定の譲歩がなければ合併協を解散する覚悟で臨んだ結果、自治体名は「にかほ市」のまま、本庁舎の位置を象潟町役場とすることで象潟町側に譲歩し、
この形で落ち着いた。
*
合併直前の人口規模(2005.10.1推計人口)
・仁賀保町11,584人
・金浦(このうら)町4,918人
・象潟町12.671人
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上記の「政治的要因」により、、、、、
市役所に最も近い・・・を採って
象潟駅が市の中心駅。。。。。
田沢湖駅
↓
田沢湖駅(たざわこえき)は、秋田県仙北市田沢湖生保内(おぼない)字男坂にある、
東日本旅客鉄道(JR東日本)の駅。2面3線のホームを持つ地上駅。
終日社員配置駅。
みどりの窓口(営業時間 6:10~20:50)、近距離自動券売機1台、指定席券売機1台、
モバイルSuica特急券用簡易Suica改札機が設置されている。国内旅行商品取扱駅。
1階には駅事務室、観光センター「フォレイク」、キオスク兼待合室、
羽後交通田沢湖乗車券販売所、駅レンタカー田沢湖営業所、
2階には田沢湖の玉川ダムを紹介したパネルが展示されている部屋、展望室など。
乗降客数834人/日(2008年)。
1923年(大正12年)8月31日開業*1966年に生保内駅から改称。
1997年(平成9年)3月22日 - 秋田新幹線開業。新駅舎での営業開始。
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ちなみに、、、、、
角館駅は・・・・・・
(かくのだてえき)は、秋田県仙北市角館町中菅沢にある、
東日本旅客鉄道(JR東日本)・秋田内陸縦貫鉄道の駅。
乗降客数1,484人/日(2008年)。1921年(大正10年)7月30日開業。
仙北市を管轄する秋田県警仙北警察署(旧・角館警察署)最寄り駅。
1970年(昭和45年)11月1日 - 角館線が開業。
1986年(昭和61年)11月1日 - 角館線が秋田内陸縦貫鉄道に転換
1997年(平成9年)3月22日 - 秋田新幹線が営業開始。
「小京都にふさわしく武家屋敷風の入母屋式薬医門を形どった駅」として、
2002年(平成14年)、東北の駅百選に選定される。
【JR】
2面3線のホームを持つ地上駅。終日社員配置駅。
NEWDAYS(ジェイアールアトリス営業)、みどりの窓口(営業時間 6:30~20:30)、
自動券売機(指定席券売機、えきねっと券売機含む)、
モバイルSuica特急券用簡易Suica改札機、土産屋がある。国内旅行商品取扱駅。
【内陸線】
頭端式ホーム1面1線の地上駅。社員配置駅。
JRの駅舎から一旦、駅を出て右側を歩く(徒歩1分)。
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仙北(せんぼく)市は・・・・・・
2005年(平成17年)9月20日に仙北郡の角館町、田沢湖町、西木村が合併して誕生。
2009.10.1推計人口30,067人(人口密度27.5人/km²)
【田沢湖地区】
市内には日本一深い「田沢湖」がある。
農林業と観光業が盛んで、小規模な縄文遺跡が点在、
北部に位置する玉川温泉の北投石は国指定の特別天然記念物。
【角館地区】
侍屋敷などがあり、 「みちのくの小京都」と呼ばれる歴史の町として有名。
年間約200万人が訪れる東北有数の観光地である。
【西木町(にしきちょう=旧・西木村)地区】
大きい西明寺栗や八津地区のカタクリの群生があり、自然と歴史の町。
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合併協議は、当初から旧田沢湖町と旧角館町が合併後の主導権を争う構図となり両町が対立。
市の名称は両町の名前を併記する折衷案が提案されたが、
「田沢湖角館市」「角館田沢湖市」という、どちらが冠を持つかで両町が対立し決定に至らなかった。
その後、協議会は名称の選定に住民アンケートを提案。その結果、最終段階で「みちのく」・「角館」・「田沢湖」・「北の都」が候補となったが、「角館」「田沢湖」では両町の対立が解消できず、「みちのく」は周辺の東北各県(特に太平洋側)の自治体の反対(「みちのく」は陸奥国のことであり、旧出羽国にあたるこの地区は入っていない)によって、協議会議長が採決に持ち込めない事態になり、
再度協議会の協議による名称決定で「仙北市」へと落ち着いた。
しかしその後、
旧田沢湖町と旧角館町の対立は深刻化し、旧角館町町長が協議会脱退を宣言、旧田沢湖町と旧西木村が「西木田沢湖合併協議会」を立ち上げる事態になった。
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「西木田沢湖合併協議会」では
町の名称を「田沢湖町」、
役場の位置を旧西木村役場とすることで合意
↓
旧角館町では、合併協議途中で「合併推進」から「単独立町やむを得ず」に方針を変更した町長が辞職、
出直し選挙を実施した結果、
「あくまでも合併推進」をかかげた石黒直次(初代市長)が当選。
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旧田沢湖町と旧西木村は、
再度旧角館町を受け入れ「西木田沢湖角館合併協議会」再開
(最後まで「西木田沢湖角館合併協議会」「西木田沢湖合併協」が並存)。
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名称を「仙北市」
市役所を旧・田沢湖町役場(仙北市田沢湖生保内字宮ノ後30)で再合意
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2005年(平成17年)9月20日に仙北郡の角館町、田沢湖町、西木村が合併
合併直前の人口規模(2005.9.1推計人口)
・角館(かくのだて)町14,009人←新幹線停車駅「角館」
・田沢湖(たざわこ)町12,285人←新幹線停車駅「田沢湖」
・西木(にしき)村5,714人
↓
以上の政治的要因にて(角館が、かなり譲歩?する形で、、、)
「市役所に最も近い」を採って
田沢湖駅が市の中心駅。。。。。。。
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