ボヤジャントの呟き。 -17ページ目

ボヤジャントの呟き。

過去に行った廃墟探索、今後行う廃墟探索を振り返りつつ、政治経済の話題、時事問題、雑談や長年の趣味であるバイクやギターなどについて雑談して行くのです。

コメント・東北自動車道上り線、那須~西那須野高原ICの間にある。
仕事で毎日のようにここを車で通っていて、「なんかいい味出ている建物があるなぁ」と前前から気にしていた所であった。
建物そのものは非常に小さく、探索をするまではその使用用途が分らなかった。
民家にしてはあまりにもショボイし、物置にしてはあまりにもでかすぎる。
しかし、熟成度合いは申し分なく、雪の地方で残っている物件としては、よく崩壊しないで残っているものだと思った。
さて、前置きする内容もそんなにないので、さっそくレポに移る。


本当は蛇尾川を遡行するのが本来の目的だったが、その川への侵入口を探しているうちに、この廃屋にたどり着いた。

発見した時の言葉は、「ああ、そういえばここにあったけっか」

蔦の絡まるチャペル状態になっている。

接近するにも一苦労だ。

道路から直ぐの所なので行く気になるが、そうでなかったら白旗を揚げていただろう。

雪国にも関らず、倒壊しないでこの熟成度を保っていられるのは、
下半分がコンクリートブロックで出来ているからだろう。

しかし屋根部分の崩壊は時間の問題だと思われ。

最初の画像とは反対側に回り込むと、側に大きな木が生えていて日陰があり草の背丈も低かったので、用意に取り付くことが出来た。
これまた年代物のテレビ。
子供の頃これをガチャガチャ回して、オカンに「壊れるからまわすな!」ってよく怒られたもんでした。

内部はご覧の通り、この時点でもまだこの小屋が現役当時なんだったのか分らなかった。

一階建てとおもったら、しっかり二階部分もあったのだ。

屋根はほとんど用をなして居らず、天井の腐食は加速度的に進んでいるようだった。

足元のタイルをみて、ようやくここが家畜を飼育していた所だと分った。

このタイルの溝は、エサを置いていたのかはたまた排泄物をながしていたのか、それは分らない。

緑の侵入。

暗闇に映える緑色がやけに力強い。

遺物といっても、さしたるものもなく当時を忍ばせるようなものも見受けられないので、探索はここで打ち切られた。

以上

2003年 7月20日


コメント・ 今度の物件は以前に昭○記念会館に突入の際、電話にてナビゲートしてくださったキーチさんからもたらされた情報を元に、
探索したものである。
日中の焼けるような暑さを引きずったまま、茂原から移動する際、滝のような集中豪雨の洗礼を受けた。
夏である。
夕暮れの蘇我に到着した時は、雨は上がり西の空は赤銅色に燃え上がっていた。
夕立が通過した後は涼しくなるものである。だがそれどころか、市内一体の湿度が一気に上昇しさらに蒸し暑くなった。
最悪である。キーチさんが送ってきてくれたメールには、この物件の所在地(番地まで詳細に教えてくれました)が記してあり、ノーヒントで現着する事が出来た。
しかし、肝心の廃屋が見えないのだ。車に乗ったままグルグルと該当するブロックを回ってみたが、現役の住宅が立ち並ぶばかりで、その姿を見つけることが出来ないのだ。該当するブロックを2周したのに見つからないと言う事は、歩いて探すしかない事になる。
出来ればギリギリまで外に出たくなかったのだが、見つからないのでは意味が無い。
仕方なく車を降りて、地図片手に最後の一区画をグルグルと回ってみる。


すると・・・・鬱蒼としたジャングルが一箇所あるのを発見。
しかしここは既に上を通っている道路から見下ろしていた。
その時もよく注意してみていたが、家らしき家は全く見えなかった。
ただ育ちのいい草が生い茂っているとしか思っていなかったのだ。
しかし・・・・・よ~く見ると歩道が途切れている場所がある。
さらに近づいて見ると?
あるのだ!!
家が!!

なんと、屋根の上まで覆い被さっている葛の下に数件の木造平屋一戸建ての建物がひっそりと佇んでいたのである。
草を道路から一歩はいると、ムッとした空気がこもっている。
掻き分け、ヤブカを払いながら中に入ると、チャリンコを発見した。
どうやらキーチさんの情報どおり野良人が日常の足として使っているようだ。

チャリンコはどうみても使用されているようで、中に野良人が居る可能性も考えられるので、一旦外に出る。

人為的破壊は周辺が民家とあって、これまた少ない。

↓の廃屋と向かい合っている廃屋

濡れ縁が同じような壊れ方をしている。

アジサイがなんだか趣を出してくれている。

↑の廃屋の中をうかがう。
酒ビンやビール瓶が整然と置かれている様子を見るに付け、生活感が漂っている。

そして、ふと暗闇に目をやった瞬間、自分は硬直した。
干されたアマガッパ。

・・・・・間違いなく、この廃屋には野良人が住んでいる。
しかしこの劣悪な環境で過ごせる野良人の神経はいったいどうなっているのだろうか。
居心地なんていいわけないのに。

以上

2003年 7月20日


コメント・富津廃旅館○○モト探索終了後、こんどは千葉県東部へ移動。
高速道路は使わず、国道やわき道をいくつも走り繋いで、茂原市内に到着。
わくさんからもたらされたヒントを元に、場所を絞りこみ(これまた詳細に教えて貰ってしまいました(汗)なんなく発見。
しかしそこまでの道程は、夕方の渋滞が始った状態での移動だったので、想像以上に時間がかかってしまった。
もう世間様は夏休みなのか。家族連れを乗せた車を多く見かける。
その流れから離れ、ひっそりとした住宅街への道に入り、間も無くして目当ての工場が姿を現した。

先ほどとは違って、新興住宅地の中にあるので駐車スペースの確保には苦労しない。
しかし、真正面に堂々と停めるのも気が引ける。
まず車を離れた場所に、何気なく停めて外に出る。
むわ~~~~~~~

暑い!
夕方になり、日も傾いてきたというのに凄まじい熱気である。
今日は間違いなく熱帯夜だ。
この暑さの只中にでて思うのだが、やはり夏は廃墟探検には厳しい季節だと思う。
民家から離れた場所にあればいいが、こうも近くにあるとたとえ夜中に侵入を試みたとしても、物音が開いている窓ガラスから網戸を通過してモロ聞こえしてしまう。
多分に漏れずここの廃工場も周囲一体は全て原住民が住んでいる民家ばかりである。
PWのように、工業団地ならばどうにでもなるが、こういう所はどこで・誰が見ているか全く見当がつかない。
非常にリスクの高い立地条件である。
それを裏付けるように、物件の熟成度は極めて低い。窓ガラス1枚たりとも割られていない。
ただ、ここが廃墟であるということをうかがわせるのは、刈り込まれる事無く周辺に生い茂っている雑草。
そして敷地内いたるところに放置されている不法投棄物。
それくらいか。
人や車が出入りした形跡が見受けられない所から、ここは全く機能していないのはわかる。
しかし、破壊や熟成が無いという事は、閉鎖されてそう年数が経っていない、そしてしっかりと周辺住民の監視の目が光っていて管理されていると言う事だ。
と言う事で、これも廃墟ではなく、空き物件あるいは操業停止中物件と見なしたいと思う。


看板が思いっきり残されている。
しかし所有者は他に移されているようだ。
真新しいフェンスで周囲を囲まれているが、侵入そのものはたやすい。
不法投棄されたゴミが堂々と捨てられている。
しかし窓ガラスが割られていないので、内部への侵入はここから見た感じでは無理なようである。
この写真を撮影している時、直ぐ横で小さな子供が自転車でなんども行ったり来たりしていた。
その横には保護者の姿も。
こういうときはコソコソしないで、堂々と振舞っている。
写真をとりながら、現場の様子をメモする時は、メモ帖を大袈裟なくらい見せびらかして、書くようにしている。
入り口横にも得体の知れないゴミの山。
ここを現在管理している会社は、現存する。
鉄の引き抜き材やコイルを作っているらしい。
と言う事はここも昔はその下請けかなんかをやっていたのであろうか。

敷地の中は草ぼうぼうである。
中に侵入してうまいこと見を隠せば、目立つ事無く探索が出来るかもしれないが、時間帯を吟味しないと直ぐに見つかる。

生半可な気持ちで突入する事は自殺行為である。

ここの建物は窓ガラスが割られていないどころか、磨き挙げられているように綺麗だと言う事だ。
一部転用して、倉庫として使っているのだろうか?
それにしても門周辺の雑草の生え方を見るとその説明が付かなくなる。

工場の裏側に回った。
表側と違って、裏側は畑が広がり比較的民家の密集度合いも少ない。
但し、直ぐ横に家庭菜園をやっている民家があり、そこからは丸見えである。
そしてこのドラム缶の影に隠れるまでは、草が刈り取られている土手を一気に登らなければならない。

建物に取り付くにはここからのアプローチしかない。

ドラム缶の陰に隠れて必死の撮影。
裏側にも関らず、窓ガラスの破損は見受けられない。
しかし不法投棄の山がある。
不心得物がここに来ている事は分る。
しかし、DQNではないようだ。
そしてこの工場は大手廃墟サイトにはどこも紹介されていない。

土手の下側から、工場を見上げる。
この建物の右側に家庭菜園の民家がある。
菜園をやっているうちは、概して早起きである。
早朝の探索はさらに難しいものとなる。

閉鎖した工場だが、看板がそのまま残されている事が多い。

ここで働いていた人たちが、通りかかった時これを見て果たしてどう思うのだろうか。

以上


2008年Google Mapで確認したところ、別会社「共和紙業 中の島倉庫」として転用されていることが判明しました。
画面やや右側の白く横に長い建物が当該物件です。

大きな地図で見る

2003年 7月20日


コメント・梅雨明け直後のうだるような暑い日が連日のように続いているこの日、仕事が半日で終了したのでそのまま通勤に使っているケイタロウで一路富津岬を目指した。
だいぶ前に小生のサイトBBSにタレコミをしてくださったHNわくさんの情報を元にプロファイリング(実は詳細に所在地を教えてくださったのでそんな格好つけた探し方はしていない)を行い、大体の場所の見当はついていた。
高速を降りる、しかしここのインターは良く使うなぁ・・・・PWやら昭和○念会館やらの物件はみんな此処を降りて直ぐの所だからなぁ。
よっぽど君津富津というのは廃墟が集中して存在する所なんだろうか。
原住民の方々には申し訳ないが・・・・・。
バイパスから分かれ、PWや○念会館へアクセスする基幹国道から旧道に分かれる交差点に入り、さらに富津岬を目指す。
暫く走っていたら右手に5階建てくらいの大きなビルが見えてきた。
よく見るとなんだか様子がおかしい、窓と言う窓が無く骸骨のように不気味な黒い穴が空いているのである。
建物そのものもなんだか古臭く、活気が全く感じられない。
「あら~あれも廃墟なのかぁ?」
そう思っているうちに、赤信号につかまりよ~く外観を見回すと、屋上にその建物が何物であるかを決定付けるオブジェが見えたのである。
「ボーリングのピン・・・あ!あれが君○会館か!」
食堂・病院・ボーリング場・その他モロモロの施設が一つのビルに納まった所謂雑居ビル廃墟「君○会館」とはこれであったのだ。
それにしても目立つ・・・・DQNの格好の標的にされるわけだ。
しかし、周辺には民家や現役の会社がある。ビルの直下にはスナックが数件・・・・おおっぴらに入れるような場所にはとても思えないのだが・・・・・。

気を取り直して出発。
提供者わくさんのメールによると、「岬からの帰り道だったら右手に見えますよ」と書かれていた。物件が見えた途中には駅もあったと言う。
その駅前に到着、しかしここまでの間にそれらしき建物を見ていない。
旧道とはいえ、交通量が多いのでノンビリ走っていると煽られるかもしれない、と言う事で取り合えず、ローカルチックな雰囲気の駅前のロータリーに車を停め地図を確認した。
「ううむ・・・・もうすこし先か?」
「駅前通りと書いてあるが、駅前通りというのは駅から始っている通りの事も言うからなぁ」
暫く悩んだ挙句、もう少し先に行って見る事にした。
駅からのロータリーを出発し、交差点を岬方面へ、すると・・・・「アラ!」

ありました。目的のものが。しかし生憎車を停められる場所が無い。国道も道幅か狭く、路駐もままならない状況。
何回か物件の前を行ったり来たりした結果、直ぐ近くにある金融機関の駐車場に空きスペースを発見、即座にクルマを滑り込ませ探索開始。

2003年 4月26日

コメント・大谷グランドはそういうことで今回は見送る事になった。
まぁ場所も分かりやすい所にあるし、周囲の状況も把握したので次回は万全の体制で探検できるだろう。
大谷Gがお預けになったと言う事で、次なる目的地「中島飛行機地下軍需工場」に移動。
これまた分りやすいところにある。
まぁ大谷町の観光地と言う事で、名称こそ「中島飛行機・・・・」ではなく、大谷資料館となっている。
その看板がいやと言うほどアチコチに立てられているので、地図なんぞ持たなくともその場所にたどり着く事は出来た。
大型観光バスが何台も停められる駐車場には1~2台の乗用車の姿しかなく、時間も早いと言う事で人の姿は殆ど無い。
駐車場の周囲にもこれまた楼閣を思わせる巨大な大谷石のカベがあり、所々掘削したあとがそのまま残されている。
資料館入り口の途中には大きな横穴があり、3~40人は入ることが出来そうな空間がある。
そこには無数の薪が置いてあり、独特の匂いがした。
「椎茸でも栽培してるんじゃないのか?」M氏が言うが、どうもそれとも違う。
それだったら原木を横に積み上げずに、立てかけて並べるだろう。
その目的は最後まで分らなかった。

資料館に入る。
入場料(金額失念)を退屈そうなオッサンに支払い、地下への階段を下りる。
途端に全身に鳥肌が立った。

「寒ぶっっっっ!!!」

いや・・・・霊障ではなく、寒いのだ。それも猛烈に。ふとカベに掛けてある寒暖計が目に止まった。
「5度」
おいおい・・・・真冬じゃねぇかよ。我々の格好は夏の服装である。半そでTシャツにGパン。
まぁ最初はガマンできるだろうと思って階段をズンズン下りていったが、相棒のM氏が叫んだ。
「もうだめぽ」
自分もこのままではゆっくり探検が出来ないと判断。再び地上に戻り、受け付けのオッサンに事情を話し車に戻って上着を着て再降下。

いや~~~予想以上に凄い。本当に広い、天井がバカッ高い。声が何時までも残響として残る。
本当のチャーチエコーである。そして白熱灯に照らされた場内は、オレンジ一色で非常にムードに溢れていた。
映画で見たような教会のようである。
後で知ったことだが、実際にここでは結婚式を挙げているそうだ。まぁ当の2人には一生忘れられない場所になるかもしれないが、
親族にとっては果たして・・・・只単に寒く薄暗く不気味な洞穴のような所という印象しかないのではないだろうか?

2003年 4月26日

コメント・探検隊相棒兼運転手のM氏が先日、M氏の友人と共に出かけた際、その帰り道に発見した物件である。
群馬県は赤倉湖というダム湖のほとりに立つ、中規模の温泉旅館である。
彼からの報告当初では、車窓からの発見のため、物件名が分らず、そのおおよその目撃情報のみを頼りに大手はいきょWEBサイトにて
検索してみたものの該当するようなものが見つからず、すわオリジナル物件か!と思ったが、なんと既出でしかも超有名物件である事が判明。
まぁ国道沿いにあるし、物凄い目立つし。いままで発見されなかった方がおかしいと言えばおかしい。

足尾銅山観光を終えてから金精峠を越えてこちらまで走ってきたが、意外とある移動距離。
時刻は既に夕刻となってしまい、急ぎ足での探索となってしまった。
よって内部には突入していない。
目の前の国道は交通量が激しく多く、このような中途半端な時間帯での突入は発見のリスクが大きい。
もしこれから実行するのなら夜間に行うしかない。
だが自然光を利用しての写真撮影を主としている自分にとっては、この時点ですでにタイムアップとなっていた。
内部突入は後日に後回しとなる。

これで、大谷グランド・足尾銅山・相生館の3つの大型物件が宿題となった。
相棒のM氏はこの物件にたいしてはあまり興味を示している様子が無かったので、この3つとも単独突入となるだろう。

提携していた業者のプレートの多さからして
現役当時はそれなりに賑わっていただろうと思わせる。
おお!
この外観。
どっかで見たことある。
摩耶館か!
そういえば今朝、大谷グランドでもこんなのを見たなぁ。
この時代の旅館の浴場は、
こういうデザインがはやっていたのかも。
いいすねぇ・・・このカーブの感じ。
けっこう明るそうな浴室である。
ガラスがあまり割られていないのは、直ぐ近くに現役の旅館や
民家があるため。
しかしすでに既出のサイトでは内部の様子をじっくり紹介している。
と言う事は、静かに静かに作戦行動をすれば問題は無い
という判断が出来る。
正面玄関。
なんだか外からみても分るくらいに内部はやばい事になっている。
うわ!
緑一色!リューイーソー状態だ。
これはもとからの絨毯の色か?
それともカビ帝国?
雨漏れしているのに、窓と言う窓が締め切っている故に
こうなってしまっているようだ。
マスク必携を感じる。
相生館外観。
アクリルのベランダが安っぽい。
破壊されていないのが、ここの治安の良さを如実に反映している。
看板の汚れ方がなんだか火災でもあったかと思わせる。
物件全景。
保存状態はかなりよい。
内部探索に大いに期待が持てる。
正面の車寄せには相棒の愛車。
ケイタロウから4WDに出世した。
これで林道奥の廃村にも赴くことができる。
M氏。
興味がある物件に行く時はヨロシク。

この途中で、既出物件の風車レストランを見つけたが、見るものもなさそうな感じだったので素通り。
その他にM氏は三国峠の近辺で怪しげなコンクリートビルを見つけたと言っていたので、さんざん峠周辺を当たってみたが
見つからず。
本人の疲労による幻影であろうという結論に達した。
自分としては峠付近には民家が全く無いので、探検しやすい物件として期待していただけに残念だった。
ちなみに三国峠の向こう側、新潟県の湯沢温泉街付近にも廃ペンションや廃お土産屋が数件見受けられたが、どれもこれも小粒で見る価値もなし
ということで今回の探検には素材としても取り上げない事にした。


取り壊し情報
当該物件 笹の湯 相生館は、今年の6月に訪れた際取り壊しされ、きれいに更地になっていました。
結局突入する前に、召されたのであります。
R.I.P.

2003年 4月26日

コメント・廃墟探索をしていて思う事だが、予定通り予想通りに探索が終始する事はまれであると思う。
現地に向かう途中で交通事故に遭ったり、現場を見て拍子抜けし探索をやめてしまったり、
目当ての物件以外に突入した物件がとても当たっていたりとか、いろいろある。
特に単独で探索を行うよりも、複数人数であれやこれやと話しながらの移動や探索ともなると、
これまた事態は非常に多岐に渡って流動する可能性が出てくる。これは面白い傾向だと思っている。
今回のこの大谷資料館はその典型と言っていい。
栃木県は大谷町の中にあるこの物件は勿論現役の施設である。
お金を払えばだれでも内部に潜入する事が出来る。
本来の目的は、今を去る事50年以上前。太平洋戦争の頃にここが中島飛行機の軍需工場であった所謂戦争遺跡であると言う所に惹かれ
ネットで検索して調べた所、その地下に広がる広大な空間とライトアップされた光景はまさに幻想的で、
非常にそそる物があった。

で、この直ぐ近くにはかの有名な大谷グランドセンターがある。
それまでの目的は大谷グランドだった。
所が、訪問した当日おりしも大谷市内は選挙一色であり、
なんとグランドセンター前の駐車場には立候補者の選挙事務所がデンと建てられていたのである。
グランドセンターの侵入はその一角から行おうと思っていたが、
この日の日曜日がどうやら投票日まえの最終日曜日だったらしく大勢の後援者が事務所の前をうろつき、とてもじゃないが探索できる様子はない。
裏に回ってみる事にした。
本気になって侵入しようと思えば、取り付く場所は幾らでもあった。
単独だったら行っていたかも知れない。
しかし自分よりは良識があるのだろうか、運転担当のM氏(オナジミのPCセンセイ)が難色を示した。
まぁいい、仮に侵入出来たとしても表はあの騒ぎだ。建物の中から姿を見られたらどんな事になるか分らない。
探索先での面倒には係りたくないので、今日のところは中止する事にした。

で、他に面白そうな所はないかとM氏に聞かれたので、まずはそのまた直ぐ近くにある大谷大仏(正しくは平和観音)を見に行く事にしたのだ。
これがちょっと面白かった。
巨大な石仏があるというその場所に来て見たが、どうにもこうにも見つからない。
たしかにお寺のような建物はある。
しかし時間が早いようで山門すら開いていない、「こりゃ空振ったか?」
と思い、周囲を見渡すと異常に高さのある四角いトンネルが目に入った。
その全てが大谷石できている、まぁ切り出したときに出来たトンネルなのだろうが、町外れに唐突にあるこのトンネル。
なんだかトマソンっぽい気がする。
そのトンネルをくぐって向こう側に出たら何かあるかもしれないということで行ってみる事にした。
まずはその様子からご覧頂こうか。

 

その他大谷資料館周辺の廃屋。

2003年 4月6日

コメント・市原市にある。
車の往来が激しい街道と、高速道路や国道・京葉工業地帯へとアクセスする幹線道路との交差点にそれは存在する。
コンクリート5階建ての古びたアパートである。
自分は平日、ここを毎日の様にタンクローリーで通っていて、じつは相当前からその存在は知っていた。
しかし、時間に追われる仕事だけに立ち止まってその様子を見るという訳には行かず、ただの古びたアパートだろうと思っていた。
ところが、拙者のWEBサイトを見てくださった方からBBSにてカキコミをしていただき、その後お互いの知りうる情報を照合した結果、
そのアパートは廃虚である事が確認されたのである。

物件18の昭和記念会館を出発し、行楽客のクルマで渋滞する国道16号線を回避。
地図で見ると、黄色かったり緑だったりする道を数本走りつなぎ、目的地に到着。
平日は大型車がひっきりなしに行き交う街道もやはり日曜日とあってか、車の流れが途切れる事がある。
物件から数分離れた所にバイクを路肩に停め、探索の用意は完了。
クルマの流れが無くなったのを見計らって、物件の直ぐ横にある小道から敷地内に突入。
鉄筋コンクリート4階建ての集合住宅である。
A棟とB棟の2つからなる。
その2つの建物の間には駐車場と公園があったとされる広大な草地が広がっていた。
人気は無い。侵入を拒む看板も全く無い。
あるのは赤く錆び付いたブランコと滑り台が寂しげにあるだけ。
この雰囲気は稲毛公務員住宅でも目にしたが、錆び具合と敷地全体の荒廃具合はこちらの方がはるかに上回っている。
おそらく無人になってからの時間はこちらの方が長いと思われる。
道路から見たときはもっと奥まであるものかと思ったが、この2つしかなかった。
探索開始。
道路がわに立つB棟の側により、建物の影から向かいのA棟の様子を伺う。
「・・・・・・・・・・」住民が居る様子は、ないな」
草地を見る。
2つの建物以外には遮蔽するものは無い。草地を歩けば隣のアパートからは丸見えである。
しかし道路からはB棟がついたてのように目隠しをしているので、普通に歩いていてもその姿を見ることはない。
「人が行き来する様子は無い、隣の新しいアパートには子供が2人遊んでいるだけか、これはだいぶ楽に探索できるな」
退避ルートと敷地内部の安全を確認。

まずは奥側のA棟から探索開始。

割られている窓ガラスは少なく破壊もそれほどでもない。
この敷地に車両ごと入り込むには、住民が住んでいるアパートの駐車場を横切らなければならない。
さすがの珍カスもそこまでしてここには来ないのだろうか、建物にも落書きが見えない。
見た目が退廃的なわりには治安はよろしいようだ。
A棟の裏側に回りこんで、侵入口を探す。
階段部分には鉄パイプで組まれたバリケードがあったが、だれかが何としてでも上階に登りたかったのだろう、
任せにパイプを動かし人間一人がかがみこみながら侵入できるように細工がなされていた。
そのうちの一箇所から入り、階段を登る。一階×・二階×・三階×・4階・・・・・・ドアが半開きになっている。
「ヨシ、これでここを探索する目的の半分は達成されたな」
そう思い、さっそくお邪魔することにした。
畳は全て上げられている、しかし珍カスやDQNによってなぎ倒されて居らず、整然と並べられている。
放火や宴会がなされた様子も無し。
家財道具は全く無し。広広としている。
台所やトイレ、風呂場と一通り撮影する。
やはり古いアパートはどこをとっても間取りが狭い。とくに風呂場の狭さはある意味特筆ものだ。
バリアフリーもあったものではない。
窓からは夕暮れを迎えた西日が入ってくる、明るく日当たりのよい部屋で、感想しているのカビも全く無い。
居心地は悪くなさそうに思える。
ベランダの窓を空けて、外に出る。
夕方になって気温が下がって来たのだろうか、なんとなく風が冷たくなってきた。
日も傾き、草地は真っ赤に燃え上がっている。
そのすぐそばではだいぶ短くなってきたものの、まだ長い影を連れて2人の子供が砂場で遊んでいる姿が見えた。

「ご飯よ~~!!!早く帰ってらっしゃい!!!」
エプロン姿のオカンがベランダから身を乗り出して、下の公園で遊んでいる子供に呼びかけている姿が、
目に浮かんで来るようだ。
ここに住んでいた人たちは一体どこへ行ってしまったのだろうか?

次にB棟の探索に取り掛かる。
B棟はA棟とは打って変わって、酷い状態であった。
まず不法投棄が酷い。集合ポストのある階段口には足の踏み場も無いほどのゴミゴミゴミの山。
一階部分に限られているが、なぜかガラスも多数に渡って割られている。
しかし階段がわからの侵入は無理な状態だったので、ベランダ側に迂回。
すると一階部分のガラス窓が開いている。手すりを乗り越えてベランダから突入。
「暗~、ジメー」
ベランダから道路までの間には小さくはあるが、雑木林があり目隠しにはなっている。
しかしそのせいでか日当たりが悪く、建物の外壁の汚さと部屋の中のフケツさと陰鬱とした雰囲気はA棟とは全く対照的である。
タイルが敷かれたままの台所を進む
「バキッッッ!!!」
聞きたくない音が足元から聞こえた、瞬間的に無重力を感じる。
「腐ってるな。床」
その場にたったまま、右足で円を描くようにして梁の部分を探し、カニ歩きで奥の部屋に進む。
まぁここは一階なので下の階に落下すると言う心配は無い。
だが落下=破壊となってしまうので慎重に歩を進める。
壁紙も剥がれ落ち、畳が敷きっ放しになっている部屋もある・・・とととと、待てよ?
なんでここの部屋にはテレビがあるんだ?
おい!コタツまである!
「住人がいるのか」
ふと背後に人の気配を感じ振り向くが誰も居ない。
しかしこんな空気を感じたときに取るべき行動は「兎に角、一刻も早く仕事を終わらせ、この場から撤収する」
である。
パパパパと写真をとり、玄関のドアを開け(当然内側からは鍵を開けられる)上階に進む。
しかし残念ながら上階にて開いている玄関ドアはなく、そのまま一階まで降りそそくさと撤収。
一部とは言っても、部屋の中に入れたというのは大きな収穫である。
よってこれは空家ではなく、れっきとした廃虚となった。

関連画像はこちら。

2003年 4月6日

コメント・超有名物件東京PWの近所にある。
PWには数度足を運んでいたが、その近くにこんなものがあるとは教わるまで知らなかった。
しかし・・・・WEB地図で調べるとしっかりと名前が載っている(苦笑)。
物件にたどり着くまでの難易度はその点ではPWよりも簡単かもしれない。
なんせ、名前で検索を掛ければヒットしてしまうのだから。

さてタレコミをしてくださったキーチさんに教わった通りに道をたどって、なんなく物件に到着。
現役当時は結婚式場として営業していた。
たが、町というにはあまりにも寂しすぎる木更津、いったい何組のカプルがきてここは廃業したのだろうか。
やっても来ないんじゃないのかなぁと思う、こんなところでは。
現在、この物件の正面入り口の駐車場は近所の運送会社のトラックが占拠している。
堂々と駐車場として止まっていると言う事は、この運送会社の持ち物なのだろうか。
侵入口となっている場所にいきなり取り付くまえに、周囲をバイクに乗ったままで念入りにチェックする。
直ぐ隣には飛脚があり、頻繁にトラックが出入りしている。しかしその場所は当物件の裏側にあたるので、問題は無かった。

だが、もうすぐ1周しようかという所で大変な物を発見した。
(以下の画像を参照=説明不要)

 

この時、果たしてこのまま探索を続けてよいものかどうか、躊躇してしまったのが正直な所。
だが、ここはハラを決めて素の顔でコソコソせず堂々と入り込む事に決めた。
騒いだりしなければ、彼らもむやみに手出しはしないだろう。
そして物件の所有者だったら、この記念会館は全くの手付かずになっていた筈だ。
しかし物件の外観に見苦しい落書きはないものの、キーチさんは過去に何度かこの中に入っていると
お話していた。
と言う事は、普通に入って静かに探索をすれば問題は無いと言う事なのだ。
・・・・・というか、それくらいの事が出来なければ廃虚探索することは止めたほうがいい。
それから夜間にここに来るのも危険かもしれない。
それは、この物件には住民(野良人)が居るとの事。
その証拠がこれである。

もし、中で野良人に遭遇しても毅然とした態度で応対すればどうにでもなると考えてはいる。
以前インターネットラジオでリザード氏が野良人と鉢合わせになった話をしていた。その時彼は慌てず、その野良人にタバコをそっと差し出し
「オッチャン、ここのビルで何があるん?」
とか、
「管理人の人って来るのん?」とかやさしく刺激をしないように声を掛け、その落ち着いた応対に気を許した野良人は逆にリザード氏を連れて廃墟内部を案内してくれたんだそうだ。
(廃虚版「お宅拝見」てやつか!)だから自分もそうするつもりでいた。
お互いに法律を犯しての状況だから、出来る事なら係りたくないし、騒ぎにしたくもない。廃虚内部はそういったリスクも多分に孕んでいる特殊な空間なのである。
一旦駐車場の隅に立って、タバコを一服。腹は決まった、突入開始。


まずは一階部分を集中的に廻った。
廊下のいたるところに割られた蛍光灯の破片が散らばっており、底の厚い靴でなければ危険な状況。
どこからか「カラカラキイキイ」という気味の悪い音が聞こえる、何の音だろうか。
静寂が支配しているはずの空間に響き渡る、正体不明の音は本当に無気味だ。
そして突入前に電話でキーチさんから指南を受け、一番注意したのが、突入口から入って間も無くの区画。
ここのどこかの部屋に野良人が住んでいるとの事。
物音を立てないように(蛍光灯の破片が散乱しているので、どうしても音はしてしまうが)、廊下を進む。
まもなくして、その住民が居たとされる小さな和室の前に差し掛かる。
しかし係りたくないので、そのまま通過。ドアは開け放たれており中の様子が見える。
しかし危険なので無闇に覗き込まず、そのまま通過。
この部屋の中を撮影するとしたら、建物から退出する時に安全が確認出来次第、行うつもりだ。
廊下にはうずたかく積まれた伝票やら何かしらの書類が段ボールに入れられたまま放置されている。
この中身をきっちりチェックすれば、どこのだれがいつここで挙式を挙げたかどうかなんて、丸分りになるだろう。
廃病院もそうだが、廃業したあとの個人情報の取扱はどうしてこうもずさんなんだろうか?
これではいくら今現時点で注意していてもいつかどこかで必ず自分の情報が漏洩するのは必至だろう。
その他の部屋も巡ってみたが、おもだった備品や什器はほとんどなく、ガランとしている。
見るものも余り無かった。
まぁ強いて言えば、ここの名物(?)である、ハリボテのウェディングケーキくらいか。
たしか事前の情報では二階部分にあったと聞いていたが、現在は一階のロビーの中央に置かれている。
だれかがワザワザ二階から持って降りたとしたら、ごくろうなこってある。
ケーキそのものの損傷は見当たらない。しかしロビーの絨毯にはいたるところに火を放った跡があり、
DQNの巣窟になっていることは容易に窺い知れる。
野良日人はこんなとき何をやっているのだろうか。

さらに幾つか分かれた区画を探索。
特に何も無いのでサクサクと撮影をして先に進んだ。
しかし二階へ上がろうとした階段の手前にある部屋で、そのペースは止まった。
写真撮影室である。
集合写真を撮ったであろう、ワウンドしたひな壇と廃虚になったから誰かが置いた二脚の椅子。
奥の機械室には、ビデオ撮影もしていたようで、テロップを入れる装置がそのまま置かれていた。
破壊はされていない。しかしなんだか不気味だったのはその足元に放置されていた立体写真だった。
多分見本だとおもうが、なんだかこれも生生しくて気分悪い。
花嫁の幸せそうな表情と、廃虚の陰鬱な空気がそんな化学反応をおこし、ゾッとするのだ。
二階へ上がるもう一つの階段があるのだが、こちらは酷い状況になっている。
おぞましいくらいのカビに巣食われているのだ。
どこからか雨漏りがしているのだろう。
しかも割られている窓ガラスが極端に少ないので通気性が非常に悪く、空気がよどんでいる。
思わず息を詰めて階段を一気に駆け上がった。


次に二階。
同じような間取りの大部屋が並んでいる。
披露宴会場だと直ぐに分った。
どの部屋も変わり映えしない同じつくりなので、撮影は一部屋に集中して行った。
時として、シャンデリアの意匠が異なる部屋もあるが、床絨毯にはカラオケで使われたと見られるレーザーディスクが散乱しており、
その他に見当たるものといったら、ピンスポットライトくらいか。これだけは取り外して知り合いの舞台屋に売りつけてやろうかとは思った。
あとは廊下を隔ててあるのは、キャンドルやカラオケ及びBGMで使われたであろうLPがしまってある場所に出た。
ロビー部分の惨状を見るにつけ、ここもさぞかし破壊され尽くしているだろうかと思っていたが、それほどでもなかった。
しかし廃業してからそれほど年月が経っていないせいもあるが、置いてある什器類がキレイなので妙に生々しく気味が悪かった。
再び披露宴会場を横断し、新郎新婦や親戚一同やらが往来したであろう廊下に戻る。
廊下はさらに奥へと続いており、行き当たった先には階段が。
降りようとしたとき、なんだか妙に甘いニオイが鼻を突いた。
「!!!!!!!」
そのニオイの原因は直ぐにわかった。粉末消火剤のニオイだ。
そしてそれは階段を降り切った先の光景で裏付けられた。
ピンク色の粉末が一面、絨毯を覆っている。バカタレがどうやらここで消火訓練を行ったらしい。
直ぐ側には安全弁を外した消火器が一つ。まだ新しめのやつだからまだいいが、これが数十年前のアンティークだったら命の保証は無いだろう。
レバーを握った瞬間に、ドカン!
で、終了。暴発した消火器の破片を顔面に受けて、即死だ。
その先のやけに明るい空間は喫茶店またはレストランだった。
テーブルや椅子もきれいに撤去されており、何も無い。
その裏側の厨房は、このレストランと式場にて来客に振舞う食事を一手に引き受けていたと思われる。
ただの厨房にしては相当に広かった。
建物の中に突入して最初に聞こえてきた無気味なキシミ音は、ここの換気扇によるものだった。
食材の搬入口だったとおもわれるドアは固定されており、外に出ることが出来ないので来た道をそのまま一気に戻る。
そして最後に素通りしたあの和室に意を決して突入。
だれも居ない。
しかし直前まで誰か居たような気配はする。
畳の上には従業員の制服や、催し物があった時に着ていたと思われる悪趣味なハッピが放り投げられていた。
そしてその脇にはアルバムが置かれてあり、営業中の賑わいを記録した写真が数多く残されたままになっていた。
建物裏側の広大な駐車場は、その夏ビヤガーデンもやっていたようでそれなりに盛況だったらしい。
それだけに今現在自分が身を置いている状況の異常が際立って体感できた。
外に出る。
野良人との遭遇もなし、隣接する右翼との接触もなくこの物件の探索は無事終了。
結論としては、ここには夜間は来ない方がいいと思う。
唯一遣り残した事は、一階部分の中庭から見えた離れを探索する事をすっかり忘れていたという事だった。

関連画像はこちら。

2003年 3月30日

コメント・南房総に向かう国道にある。
町名はそのユニークな呼び方でかなりの知名度はある。
ここの探索を行って初めて知ったのだが、この町の至る所に湧き水を汲める場所があり、多くの観光客が日曜日には押し寄せる。
周辺の田んぼもその地下水を引いて水稲を作っているので、日照りの心配がないらしい。
この物件はその名前の通り大手冷凍食料品メーカーが操業を取りやめた食肉加工工場である。
外観の破損の程度は中程度だが、なんと言っても目立つのはその落書きの酷さだ。
例のDQNによる、意味不明判読不明のスプレー落書き、周囲に民家があると言うのにいい度胸である。
しかもこんな田舎町までやってきてまでして、やる事だろうか?
ガラス等は1枚だりとも割られていないので、管理はなされているらしい。
しかし周囲を一周してみると、敷地内部の設備は長年放置されたのがその熟成度合いで窺い知れる。
物件内へは、田んぼのあぜ道を歩き、用水路を渡って裏側の崩落したフェンスから難なく入ることは出来る。
敷地内に目立つ設備と言うと、工業排水を攪拌するシンクナーとそのコントロールルームが入っていたとされるコンクリートの建物位。
そのシンクナーからは塩ビのパイプが取り付けられており、その水は近くの田んぼに直接流れ込んでいる。
「これって我田引水じゃないの?」というものだった。恐らくその田んぼの持ち主が勝手に備え付けたものだろう。
田舎だからそういう所はおおらかである。
敷地内を目立たぬように歩き、侵入口を探す、しかし破壊されている場所が全く見当たらない。
まぁガラスが割られていない所で、それが無理であると言う事は承知の上だったが・・・・・・。
後は、建物そのものはきっちりと施錠されていて内部に入り込むことは出来ないと言う事は間も無く確認できた。
結果、ここは廃虚ではなく空家物件であることが判断できる。
外観だけ撮影して、撤収しようとしたその刹那であった。
管理人との遭遇
当日、近くにバイクを停め撮影を行っていた所、正面の施錠された門の近くに人がうろついているのが見え、鍵を開けて中に入って来る姿が見えたのである。スクランブルが掛かった。
当然、自分は早足で建物の裏側に回りこみ、もと来た方向へまっすぐ戻った。
しかしここで大きな失敗が。乗ってきたバイクを門の近くの空き地に停めてしまったのである。
大きく迂回し、工場正門が見える場所に移動し管理人の様子を伺うことにし、タイミングを見計らってバイクに戻りオサラバするしかないと考えていた。
やがて管理人が門から出てくる姿が見えた。周囲をキョロキョロと見渡している。
「やばいな・・・・変装して何食わぬ顔してバイクに戻るか。それともここで待つしかないか」迷った。
しかしこの後も行く所があったし、明日の出勤も早い。あまり時間が無かった。
と言う事で、来ている服を脱いでカメラを隠し、サングラスを掛けバイクに戻ると言う、苦し紛れの作戦に出た。
物陰で変装が終了し、国道に出ると門に立っていた管理人の姿がなくなっている。
「おや?また中に入ったのかな?」と思い歩きのペースを早め、バイクの止まっている空き地に戻ったその時・・・・管理人がそこに立っていた。
「!!!!!!!!!」
一瞬からだが凍りついたが、視線を合わさぬようにしてバイクの側に寄ろうとしたとき、そこに立っていた管理人が声を掛けてきた。
それは以外なものだった。
「イシイ食品の方かね?」
一瞬返答に詰まったが、ここは正直に答えることにした。
管理人の顔を見ると、ニコニコ笑っている。いや・・・まだ油断できない。「いえ、違います」
と答えると。「なんだ・・・そうかい。オレはてっきりイシイさんが来てくだすったんだべと思ったんだよ~。だって写真撮ってらしたからね~」
「はぁ・・・・すいません」
「おたくどういった用件で来たの?」
「ええ・・・アルバイトです」(とっさのウソだった)
「なんの?」
「空き物件を探して、写真に収めて紹介している仕事です」
「ほう?そうなのかい・・・・休みなのに大変だね~」
「はぁ・・・・・(汗」
しかしこの後、その語り口からして管理人は自分に対して猜疑心を持っていないということが分ってきたので、逆に世間話で盛り上がってしまった。
「ここはいつ閉鎖されたんですか?」
「20年位前だね~。それいらいここの管理はオレがやってんだけどね。夏前には草刈したりしてるんだけど、大変だよ~広いからね」
「裏の排水池からパイプで田んぼに水を引いているのがありましたけど、もともと工業排水をためてた所だったのに、大丈夫なんですかね」
「はははは!もうとっくの昔に止まっちまったからね~、問題無いよ、第一そん事しなくたってここら辺は地下水が豊富だからね、3~4メートル掘って竹ざおをブッさせば水が噴出してくるよ」
「へ~だから街中の至る所で水が湧いているんですか」
「そうそう、ここの(バイクが停めてある空き地の奥を指差しながら)奥にも湧き水が出てたんだけど、工場の方で使わなくなったんでオレが潰してしまっただよ」
「そうすか・・・・」
「でもな、この水で風呂沸かすといいぞ~」
「何でです?」
「だってオメ、そりゃ温泉と同じダベ?体にゃいいぞ~」
「な・・・なるほど(汗・・・・・・ここは取り壊しする見通しは無いんですかね?」
「さあねぇ・・・かれこれ20年経ってるけど一行になにも起きないねぇ。オレとしてはさっさと取り壊してキレイにしてもらった方がいいんだけどね」
「管理大変ですもんね」
「これでも時々イシイさんに電話してるんだよ、草はオレでも刈れるけど、木が伸びきっちゃって歩道を邪魔してるから切ってくれって頼んでるんだけど中々来てくれなくてねぇ・・・年寄りのオレでは無理だっぺ」
「でも一応管理費みたいのは貰ってるんでしょう?」
「そりゃそうさ!こんなのただでなんてったら、放りなげてるべはははは!!!」
「そうですか・・・期待させちゃってすいませんね・・・そろそろ次の物件に行かなければならないんで」
「ああ・・・そうかい?ご苦労様。気をつけてねぇ」

管理人のオッチャンごめんなさい。ウソついてしまいました。ただ趣味で写真撮ってただけです。でももう来る事は無いと思います。

現在この物件に関して分る限りの情報を。
1・所有者のイシイ食品はこの工場を管理している。
2・この廃工場は現在も倉庫として使用している。
3・取り壊しの予定は無い
4・国道を挟んで高台に立つ農家の主人が管理人で、常日頃監視の目を光らせているのでコッソリ侵入は不可能。
5・もし管理人が暇そうに外を歩いていたら、声を積極的に掛けて敷地内部の写真撮影をネゴシエーションしてみてはいかが?

関連画像はこちら。