ボヤジャントの呟き。 -18ページ目

ボヤジャントの呟き。

過去に行った廃墟探索、今後行う廃墟探索を振り返りつつ、政治経済の話題、時事問題、雑談や長年の趣味であるバイクやギターなどについて雑談して行くのです。

2003年 3月29日
コメント・廃虚探索を始めて以来、初のオリジナル物件を発見した。
地元近所に大きなパン工場があり、その近くをたまたま通りかかった時にこれを発見した。
数棟の木造平屋建ての廃屋なのだが、全ての建物に鍵がかかっており、一部には人が住んでいるような気配もあり、
自由に撮影するのは少々気を使う。
捉え方によっては、「廃屋て、人が住んでたら廃屋でも廃虚でもねえだろが!」
とつっこまれそうだが、人が住んでいる家以外の物件は内部を見る限り厚い埃が堆積しており、
数年以上人間の出入りが無かったつまりは殆ど放置されているということを裏付けている。
だから純粋には廃虚ではないのかもしれないが、カテゴリー分けが面倒臭いので、廃虚にしてしまった。

探索をしたのは、日中とした。
なぜなら、直ぐ側には24時間稼動しているパン工場がある。
納入業者の出入りは深夜を問わずあるはず。
そして当物件には住民がいるような気配がある。
近所には大型カー用品店やショッピングセンターが隣接しているので、通行人や通過車両が絶えることが無い。
物件に接近するのはたやすい。
道路から分かれた小道をそのままスタスタと歩いていけば、この廃屋群の中に入れる。
だからかえって日中に素の顔をして「あたしゃ通行人ですよ」的な行動をすれば、なんら問題は無いと思われる。

ただ、廃虚探索としての魅力は全く無い。
単純に面白みがないからだ。
単純に自分にとっての初オリジナル物件だったので、公開に踏み切っただけ。それだけである。
中に入れない限り、もう行く事は無いでしょう。


千葉はまだ田舎。
表通りから一歩入れば、のどかな田園風景。
その片隅に畑を見守るように、数棟の怪しげな家が立ち並んでいる。
当日は懸賞で当たったチャリを漕いでやって来たので音を立てずに廃屋群のど真ん中に入ることが出来た。
ライフラインに係る計量器が全て取り外されている事からしてここに人が住んでいないことは容易に判断できる。
ガラスが割られていないのを見て、一応管理されているのだろうか。
どの建物も壊れ方は同じ感じ、まだ空家になってそんなに時間は経過していないと思われる。
廃車を発見。車内は訳のわからないゴミで一杯になっていた。スカイラインのワゴン。現行車にそのラインナップはないがステージアと名を変えている。
これも割られているはずのガラスと外されているタイヤは健在。
内部を見ることが出来そうな場所を発見、周囲を警戒しながら接近を試みた。
反射が激しく、見づらいが内部には当然家財道具のようなものは無かった。
アングルを変えてもう1枚。これは中の様子が良く見える。
最初にここを発見したとき、風呂場がのぞける箇所を見つけた。
のでこんどはその建物に接近する。
思った通り、窓に鍵が掛かっていない。
風呂場の天井からススが垂れ下がっている。人の出入りがあったらこうはならない。
埃ですっかり色が変わってしまっている風呂の蓋。昔ながらの風呂場である。このホーローになる前は間違いなく、木の桶で出来た浴槽だったのだろう。

2003年 1月13日


コメント・これまた国道沿いになんとなく建っている物件である。
南房総の町外れになんとなくなので、車の流れに身を任せていたら、以外と通り過ぎてしまう。
特に廃虚に興味の無い人間だったら、「そんなのあった?」と言われるかもしれない。
しかし、我々のような人間には「オヤ?」と思って、すぐ立ち止まる、そんな雰囲気は十二分にあった。
建物の周辺の敷地は伸びきった雑草が立ち枯れており、カベに目をやれば、剥がれ落ちているし窓を見れば割れている。
廃虚と判断するにはなんの迷いも無かった。
ここもツーリング途中で発見したものである、それも廃虚と言うものに興味を持ってからだ。
やはり人間の注意力なんていい加減なものなのだと痛感した。

侵入方法については、誰でも簡単に出来るレベルなのであえてコメントはしないが、
今現在すぐそばで大規模なトンネル工事を行っており、その渋滞が日中は慢性的に発生している。
物件はその真っ只中にあるので、怪しい挙動をしていれば間違いなく車中から通報される。
と言う事で、自分は裏側から侵入する事にした。
しかし、裏側はJR線が通っているので、線路内を歩いている所を発見されればこれまた通報される。
兎にも角にも、こういうときは堂々と何気なく、建物に近づき普通の顔をしてやぶの中に姿をくらまし、自分の姿が死角に入った瞬間から行動パターンは「潜入モード」に切り替わる。
撮影機材の入ったバッグをブロック塀の下から投げ込み、ちょっとの出っ張りを見逃さずへばりついてよじ登り敷地内部に潜入成功。
しかもうまい事に裏口のドアが開いており、何の苦労もなく建物内部に入る事も出来た。

注意すべき点がここにはある。
この物件には間違いなく「住民がいる」と言う事だ。
それはスライドショー後半に出てくる布団が敷かれた部屋なのだが、その布団が非常にフレッシュなのである。
自分がここに入った時には運良く住民がお出かけしている時だったようで、事なきを得たが、この時は相当に緊張した。
無用なトラブルに遭遇する確立が日常生活とは比べ物にならない廃虚探索。
最悪のケースを常にイメージしながらの探索は常に緊張と冷静の間を彷徨う。
東京PWのようにノビノビと活動できるような場所であればこんな気苦労はしないのだが、そういう物件は殆ど無いというのが現状である。

関連画像はこちら。

2003年 1月13日

コメント・自分の記憶では最近まで現役だったような気がしていた。
しかし房総半島を周遊する時、バイクに乗り始めた頃は夕日を見ながら内房を北上するコースを走っていたが
その交通量の多さに辟易して、もっぱら今では半島の中央部を縦断して帰路に着くようになっている。
おそらく自分がそうするようになってから、ここは廃業したのだろう。
これまた前述の物件「ホテル栄屋」と同じ国道沿いにあり、その距離は数キロと離れていない。極近所にある。
国道をはさんで反対側には有料道路の料金所があり、監視の目が常に光っている。
ここのドライブインの経営者が関わっているのが、有料道路入り口にあるゲートに書かれている「名鐘ドライブイン」
という表記を見て理解する事が出来る。
非常に目立ち、道路から丸見え、料金所のオッサンは気にしていないようでもおそらく気にしている。
正面突破は自殺行為だ。
建物の周囲一体には有刺鉄線が張り巡らされており、侵入はほぼ不可能。
加えて建物の規模は小さく、リスクを犯してまで探索するほどの物件ではないといえる。
自分は周辺の景色を撮影するエセカメラマン気取りで、建物の外部をパパッとカメラに収め、その場を撤収した。

2003年 1月13日

コメント・発見したのは数年前。
南房総東京湾岸沿いの国道を走っている所をばいくにてのんびり流していた時、突如現れた崖に建つ廃ホテルである。
ホテルというよりかは、潰れたドライブインといった感じのしょぼい雰囲気である。
だが裏に回ってみればちゃんと狭いながらも展望風呂はあるし、部屋と言う部屋はみなオーシャンビューとなっている。
だが潰れてからの崩壊の度合いは、海風に晒されるロケーションだけに激しい。特に金属部分は手で触れただけでも、崩れていくほどの危険度。
ここで本日探索を行った訳だが、ちょっとした事件があった。
自分が建物内部に入り探索しているとき、表がにわかに騒がしくなったので外を見ると、国道から敷地の中に入ろうとしている車が目に入った。
すわ管理人がすっ飛んできたのかと思い、急きょ避難する羽目に。
ところが裏口は1箇所、しかも外への階段は前述したように完全にさびて崩落しかかっている。
まともに乗っかれば真逆さまにおっこちて、その勢いで海まで落ちてしまうかもしれない。
ピンチである。
しかし逃げ道があるのにみすみす捕まる訳には行かないと思い、決死の覚悟で階段の縁のH鋼伝いに下に降りた。
だがもう此処から先は海である。しかも身を隠すような場所は無い。こうなったら自分も観光客のフリをするしかないとハラを決めカメラ片手に海に向かってアングルを決めているように繕ってみた。
ところが、車の主はここの管理人ではなくタダの釣り客だった。
何故なら彼は自分がもう逃げ場所が無いと観念して、海を眺めているフリをしている後ろを通り過ぎ、磯に下りてツリエサを網ですくっていたからである。
取り敢えず、さしたるトラブルもなく。無事にここの探索は完了した。

関連画像はこちら。

2003年2月5日


コメント・場所は先に探索した紅葉園から10㌔ほど離れた場所にある。
箱根に並ぶ古くから栄えた温泉街の少し外れにある。
川沿いの絶壁に聳え立つこの物件は規模としては相当な大型である。
自分が物件規模の標準指標として取り上げているホテル望洋と比較すると3倍くらいはあるだろうか。
階数はおよそ7~8階はあると思われる。
周囲を圧倒するようなその見た目は、遠くからでもそれなりに目立っている。
しかしすでに廃業している。
そして、ここは先ほどの紅葉園とは全く対照的に破壊がいたるところに及んでいる。
道路をはさんで反対側のガケには悪趣味の極みを尽くした正体不明の建物がへばりつくようにして建っている、
これもホテルの一部らしい。しかしそのすぐ隣には現役の民家があり、人の気配もする。侵入はかなりのリスクを伴いそうだ。
正面玄関の大ガラスドアはフレームのむを残してきれいに割られ、侵入はたやすそうだ。
「そうだ・・・」と結んだのには理由があり、じつは此処の物件には今回は侵入していない。
まず時間帯がよくない(昼過ぎ)ということ、そしてすぐ周辺には現役の旅館やタクシーの営業所(往々にして24時間誰かがいるものだ)と、
車の通りの多い道路があり、川沿いのガケに建っているので辺りをうろついていたら即座に通報されそうな雰囲気があったからである。
そして既に相棒の運転する車がホテル前の駐車場跡に乗り込んでしまったので、すでにこの時点で侵入は出来ない。
その他に、某有名廃墟サイトの管理人からの情報を事前に貰っており、その内容は
「内部に野良人が住んでいる可能性大。その上管理人と思しき人間が周辺を定期的に巡回している」これが決め手となった。
以上がその理由である。
よって、今回は外観のみあるいは外部から覗き込んで撮影できる所のみを画像としてUPした。
友人はその物件の破壊度合いをみて、すでにホテル望洋を連想しているらしくもう一度ここにこようとは思っていないようだった。
とはいっても、かなりの大型物件である。そして破壊は進んでいるものの2階より上の窓ガラスは割られていない。
そして某有名廃墟サイトでもここの内部は公開していないという事を考えれば、自分が行かずしてどうすると言う気持ちになっていた。
次回は単独で早朝の時間帯に侵入を試みようと企んでいる。
緊急退路の確保と、野良人と遭遇した時の対応、侵入時の時間帯をじっくり段取りしておけば規模が大きいだけにもしもの時単独の方が行動しやすいだろう。

関連画像はこちら。

2003年2月5日

・コメント さて何から言い出せば良いのだろうか?
今までに回ってきた廃墟物件、それこそ程度は様々でドキュソ爆弾の洗礼を受けたものや、野良人に占領されているもの、放置されてからあまりにも年数が経ちすぎで崩落が激しく、侵入すらままならない状態になっているものや、完全に施錠され近寄る事も出来ないものなどがあった。
しかし今回の紅葉園は規模、程度、そして特筆すべきはその保存状態である。
この旅館は数棟の建物に分かれていて数箇所の渡り廊下や階段で行き来出来る様にはなっている。
本館や新館、従業員棟などの探索を行った時は、床面の崩落・侵食が激しくカメラでの撮影をしながらの館内移動は、細心の注意を払いながらでないと三階から一階へ一気にダイブするという落下事故も充分に起こりえるという非常に危険な状態になっていた。
しかし、探索を続けるにしたがって気が付いたのは、廃墟ならどこでも必ず目にする、人為的な破壊の痕跡や、放火、落書きと言うものが一箇所、ただの一箇所も見ることが無かったという事である。
窓ガラス一枚破られていない、畳一畳ひっくり返されていない、障子一枚穴を空けられていないのである。
こんなことは初めてである。
正直驚いた。

 

関連画像はこちら。

・追記 2005年1月3日 箱根駅伝が開催されている最中に、某巨大掲示板にて「紅葉園にて火災発生」とのニュースが飛び込んできた。
原因は今だ不明だが、大方不審火によるものだろう。それが野良人によるものなのか、DQNによるものなのかは分からない。
建物は浴室を除きほぼ全焼。全ては灰燼に帰してしまった。
しかし、かつて自分が目にした木造廃墟の中でその保存状態、遺物の状態でトップクラスと位置付けていただけに非常に残念である。
物件名、所在地を含め情報の管理に際しては細心の注意を払ってきたのにも係わらず、このような結果になってしまい繰り返すがまことにもって残念無念である。

2002年 11月16日

ガラス張りの高層ビルを思わせる外観が一瞬「おっ!」と思わせる物件だが、実際は四階建て程度のRC構造の陳腐な廃リゾートホテルであった。

例幣使街道沿いにあるアクセス良好な場所にある為、DQNやサバゲーマーの格好の活動拠点にされていた。

無数のBB弾、破壊の限りを尽くされた室内。

辛うじて厨房に調理器具が少し残されているだけで見どころはほぼ皆無と言っていい。

すぐ近所には現役の研修施設らしくき物が有り、あまり大っぴらに探索活動はできない。
程度も悪く、決してお勧めしたくない廃墟なのに管理人はネットを徘徊してこの物件が公開されているWEBサイトを片っ端から見つけてはサーバー管理者に通報しこの物件の削除を要請している。

実際に自分もTOK2にてこの物件を公開していたら、「内容に関して、規約に違反するものではないのですが、削除要請が来ていますので・・・」という内容のメールが来た。

一応当時は膨大なデータを無制限に公開できるサーバーが他に無かったので、とりあえずその要請に応じてこの物件は削除した。

それから時は流れ、廃墟ブームは廃れこの物件其の物の存在すらも忘れられた本日(2017年8月)、再びこの廃ホテルの公開に踏み切った。

2003年 4月26日

・コメント 大谷資料館で充分涼んだので、気を取り直し一路足尾に向けて出発。
日光例弊使街道を北上し、ファミテック前を素通り。
まぁあそこはもう行く事は無いのでね。見るものも無いし、状態が酷すぎるし。夏だし。
R119を中禅寺湖方面へ曲がり、R122にて足尾方面へ。
すっかり通いなれた感のある道だ。土曜日とあってか少々交通量は多いものの信号は殆ど皆無の快適道路なので、ペースは上がる。
しかし途中の日足トンネルに差し掛かったあたりで、M氏がつぶやいた。
上の方を見上げている。
M「あの山の上の道路、面白そうだなぁ。どこにつながってんだろ」
T「ああ、あれね。トンネルが出来る前の旧道でしょ。あの道を使ってでもトンネルの向こう側に出る事が出来んのよ」
どうやら彼はストレートなトンネルを行くよりかは、タイトな山道で足尾には赴きたいらしい。
まぁハンドルを握っているのは彼だし、自分は楽をさせてもらっているので、任せる事にした。
トンネルの直ぐ近くから分かれている道路に進入し、峠を目指す4WD。
落石がいたるところに見受けられ、舗装も荒れている。スギの落葉もそのままにされていたり、雪の重みで折れた枝や幹が道路をふさいでいる。
非常に走りにくい道である。
まぁトレールバイクでだったら行く気になるが、オン車ではねぇ。パンクも怖いし。
トンネルの通過時間の3倍はかかるだろうという所要時間を要して、峠道を通過。国道に戻る。

初夏を思わせる気温になってきた。
足尾銅山に到着。去年の冬以来の訪問だ。今回もまた銅山突入はせず、事前の情報収集と観光が目的。
よって廃墟らしい廃墟にははいらない、いたって健康的なそしてヤロー2人組のサミシイ探検となる。
観光施設巡りと言う事で、突起するような事、事件は今回は起こっていない。
よってザッとアルバムにコメントして今回のレポートは閉めようと思う。
ただし、収穫はあった。銅山観光センターのなかにあった、精錬所のジオラマだ。
自分はこれを見たとき、あの難攻不落の足尾要塞の突入方法の糸口を掴んだような気がしたのだ。
特に注目したのが本山上の硫酸処理工場だったか。
山ノ下からでは絶対に見る事の出来ない、あの施設を見たとき自分はどこから撮影をはじめればよいかなどの
作戦を頭の中に描きながら、そのジオラマの撮影に没頭した。


銅山観光の最大の目玉はこのトロッコに乗って、坑内に突入することらしい。自分自身もそんな体験は初めてだったので
相当に期待していた。
鉄っちゃんが喜びそうなコックピット。
チープな感じがよい。
しかしこれは鉱山現役当時から使われていたのだろうか?
週末とあって、乗車率はそこそこ。
我々以外は家族連れとカップルが。
よって最後部の座席に陣取る。
観光用に作られた駅。
しょうしょうコギレイいし過ぎの感じ。
もっと鉱山らしさを出したほうが、
子供が喜ぶのではないだろうか?
雨の日は入り口にあるカーテンを閉めるようだ。
こちらを睨んでいるのは、相棒M氏。
先頭車両。動力は電気である。
駆動方式はアプト式。分る人には分る。
パンタグラフが見受けられないと言う事は、
レールから拾っているのだろう。
この人がここのキャラクターになっているらしい。
どうせなら田中正造にすればよかったのに。
駅を出発。
写真では分りにくいが、結構な勾配がある。
走り出して1~2分で次の駅に到着。
早すぎ。歩いてもいける距離だ。
しかし乗車してくる人間は居らず、なんのための駅なのか
良く分らない。
その後、ここの駅で先頭の動力車両が切り離され
客車のみが坂道を惰性で下っていくと言う
面白い運行方法を目の当たりにした。
坑内に浸入。
流石に涼しい、オバケも出てこないし、水も掛かってこない。
まぁただの暗いトンネルの印象。
しかし・・・・トンネルに入って数秒して列車は減速を開始。まさかとは思ったが駅が見えてきて、列車はそこで停止した。
暗闇の向こうから職員の声が響く。
「お疲れ様でした。坑内終点です。お忘れ物の・・・(以下略」
おいおい・・・、まだ走り出してから数分とたってないぜ。なんなんだこの見せ掛け倒しのしょうもない鉄道は。
あまりにも短すぎるじゃネェの!激しく期待はずれだったぞ。これだったらあるいて下まで降りてくればよかった。
不満を漏らしていたのは自分達だけではなかった。
前の方に座っていた他の乗客も「なんだ~もう終わり?」「短かったネェ~~」とぼやいている。
もうこのトロッコには乗る事は無い。金払ってまで乗る価値はゼロである。
続いて坑内に入ったが、これまた全然面白くない。
秋吉洞の方が数十倍楽しめる。
しょせん人間が作った横穴なんて、造形の美しさや神秘性なんて皆無なのだ。
チャチなマネキンが各所においてあったが、まぁほとんど素通りに近い状態で先を急いだ。
もうはやく外に出たくて仕方なかったのだ。
足尾銅山 あかがね資料館
足尾銅山 掛水倶楽部
足尾銅山 電話資料館

銅山観光センターを出る前に、ふと通り過ぎようとした売店にて「あかがねソフト」と言うものがお勧めというのを聞き、
さっそく食べてみた。
見た目は紅茶色のソフトクリームで、味はただのコーヒーだった。
「まぁはなっから期待してなかったから、こんなもんだろ・・・」そう思いながら、つぎなる訪問場所を考えていた。
そこへ、売店にいたネコとたわむれて来たというM氏がやってきて一言。
「それ、味どうよ?」
自分はとっさのひらめきでこう返した。
「銅ってことない」

「・・・・・・・・・・・・・」
「ぎゃっはっはっはっはっはっはっはっは!!!」
静かな足尾の山に、2人のオッサンの笑い声が響き渡った。

さて・・・・まだ時間はある。
我々は気を取り直し、三国峠方面に移動する事になった。
目的地は笹の湯相生館だ。

2002年 11月16日

コメント・激しく後悔した。
ここに来てからそう思った。朝早くから行動を起こして廻ったそれまでの物件にことごとく外されていただけに、
足尾銅山に到着し、その息を呑む荒涼とした風景が見渡す限り眼前に広がった時は今まで消費した時間を全てここに費やしたかった、
そう心から激しく後悔したのである。
予定では、両生類研究所を出発したら川治温泉にある一柳閣新館に赴こうと思ったのだが、
これまでの流れを考えると「2度あることは3度ある」という事が十分にあり得ると判断し、急きょ思い付きで「足尾に行ってみるか」
と行き先を変更したのである。
それがここまで大当たりだったとは・・・・・・・。
言うまでもなく、鉱山としては一般人にもっとも知れ渡っている所である。
鉱山閉鎖までの歴史は他のWEBサイトにて詳しく紹介しているので、ここでは割愛する。
メインの精錬所は閉鎖後も縦覧は完全禁止、周囲一体には頑丈なフェンスや鉄条網が張り巡らされているので侵入は難しい。
しかし難しいが不可能ではない。
なぜなら山一つ丸ごとが物件だし、現在工場は稼動していない、管理人は常駐(24時間だかは不明)しているようだが、極少人数と思われる。
ざっと周囲を見た限りでは機械警備も入っている様子は無い。
よって監視の目を盗んで侵入する事は逆に容易とも言える。まさに敵の要塞に忍び込む特殊工作員とでも言おうか。
今回の探索でこれまでの取りこぼしを全て取り戻し、おつりが来て困ってしまうといえるほどの超上級極上物件である。
規模・熟成度・侵入難易度・ロケーション等を考えると、地元プライウッドなど足元にも及ばない。
やはり、鉱山は凄い。物件周囲を探索している間武者震いが止まらなかった。

その他精錬所以外にも廃止した諸施設が山の奥まで点在しており、一日では満足な探索は物理的に不可能である。
雪の心配さえしなければ、今すぐにでも装備を整えて再探索したい物件の筆頭に踊り出た。
ざっと画像の解説をするが、足尾銅山は正確には廃山になった部分と変電設備、周辺地域開発に携わった人の家、
用途不明の倉庫、古河掛水倶楽部に隣接する昭和初期そのままの現役民家集落のはずれにある廃屋2件。
今はもう見ることすら困難になった架線がいっぱい引いてある電柱。ここだけが時間が止まってしまったような錯覚に陥る。

関連画像はこちら。

2002年 11月16日

コメント・最初に此処の物件としてのカテゴリーを表記するとなったら、廃墟ではない。
これは空家である。
直ぐ横にある旭光学の保養所の管理人がここの管理を任されており、
日中は外に出て作業をしているので侵入は絶対に無理。というか自分は注意された。
建物のガラスは全く割られておらず管理が厳重である事が伺える。
よって監視の目を逃れて無事に建物に取り付く事に成功したとしても、内部に入る事は出来ない。
下の画像は管理人のオバチャンが自分へ注意をしに走ってくるまでの僅かな間に撮影したものである。
ここも、イロハ坂を登ってまでして見に行くような物ではない。

とんがり屋根の特徴的な建物は直ぐに見つかった。
しかし立地場所が良く無さ過ぎる。
撮影した時間帯もあったが、昼間は直ぐ後ろに国道が通っており丸見え。身を隠す場所は無い。
ガラス一つ割られていないので、内部侵入は不可。
玄関には成金オヤジが応接間に飾るような鹿の頭の剥製があったり、
右には来客をもてなすような小部屋があったのを確認するのが精一杯。
どうしても見に行きたければ、夜間しかない。