ボヤジャントの呟き。 -19ページ目

ボヤジャントの呟き。

過去に行った廃墟探索、今後行う廃墟探索を振り返りつつ、政治経済の話題、時事問題、雑談や長年の趣味であるバイクやギターなどについて雑談して行くのです。

鬼血骸村

2002年 11月10日

コメント・廃虚というよりかは、変わり者がある町の中に住んでいて、奇怪な数多くのオブジェを置き、
地面や電柱に意味不明の落書きをスプレーで書きなぐっている惨状がとある町のなかにある。
しかし今まで聞いた話だと、その物件名からして町じゅうの人間が頭がいかれているので、こういうことになったとてっきり思い込んでいた。
実際に車でその町に入り、降りて探索を始めた時は、珍しく緊張していた。
時折通り過ぎる住民に対しても、「何か因縁つけられるのでは?」と身構えていた。
しかしそれは大きな間違いで、このタワケをしている輩は1人のオッサンであり、周辺住民は極普通の一般人である。
むしろこのタワケ者の凶行にホトホト迷惑をしており、たびたび警察や役所に通報して目に余るオブジェの強制撤去や、
電柱の塗りなおしをしてもらっているとのことである。
町の一番奥に「運隆どうは(漢字不明)」と自称する60過ぎくらいのオッサンが住む一軒家があり、そこがここの物件名の中心拠点となる
「筑波総合研究所」と呼ばれている。
そこをネジロにしながら、オッサンは一人チャリンコにまたがり周辺をパトロールしながら、
工事現場からパイロンや「工事中ご迷惑お掛けします」の立て看板を失敬してきたり、
捨てられた(?)チャリンコをバラバラにしてホイールだけカーブミラーにぶら下げてオブジェにしてみたり、
人目を盗んで、スプレーで落書きをしたりしている。
何を研究しているのか何の目的にこんな事をしでかしているのかは実際に本人とのインタビューに成功した高校生のWEBサイトがあるので
それを紹介しておく。そこを見ればそのタワケ者の素性が少しでも垣間見られるとおもう。

だが自分が見た限りでは「こんなオッサンとは関わりたくない」というのが率直な感想である。
とにかく、言っている事が「ワケワカラン」の一言で、一昔前に世間を騒がせた「シャクティパット」のクソジジイとレベル的にはなんら遜色が無い。
ここも廃虚とキチンと呼称できる物件ではなく、ネタの元にはなる、奇妙奇天烈BOWマニアな人間は自分で一生懸命探して行って見るといい。
ちなみにこの町の近くを通っている3ケタ国道は自分が仕事をしていたとき何度も通過していた。

で、ここの探索を終えた跡我々OFF会メンバーは偶然チャリンコに乗って、フラフラと走る「運隆」本人に遭遇した。
案内人はまるで好きなアイドル歌手に鉢合わせしたかのようにはしゃぎまくり、
車で後ろから追いかけようとしたりととにかく興奮しっぱなしで手のつけ様が無かった。
案内人は「声掛けてみようか」とか色々と言ってはいたが、実際に行動には移さず「運隆」を見逃してしまった。
自分が思うには、近くに車を停めて置いてどこかの物陰に身を隠しながらなら充分、「運隆」の凶行をスクープする事は出来たと思う。
しかし今回のOFF会幹事は案内人がイニチアチブを握っているので、でしゃばることは控えた。
まぁ正直あまり関わりたくなかったし、自分の求める本来の「廃虚」とは余りにも程遠いからである。

関連画像はこちら。

宗教法人 天狗の庭

2002年 11月10日

コメント・筑波山のなかにある。
一部の話では新興宗教の集会場であるらしいが、実際にそこを管理しているのは直ぐ近くにある寺の住職であると言う事が今回の調査で判明した。
しかし仏教寺の住職が管理しているとは思えない内部の装飾品や寺社仏閣、林立する巨大な避雷針、
某かの神様を祀っている大型ショーケース等を見るにつけ
そのセンスのかけらも無い眺めは本当にきちんとした寺の住職が管理している物なのか?と疑ってしまうのも無理は無い。
檀家や信者が集まらず閉鎖されてしまったというのならば、全く持って納得できる物件だ。
しかしこれは廃虚・廃屋ではない。ネタ物件であり、奇妙奇天烈なものを探しているような輩は喜びそうだが。

 

無名廃屋

2002年 11月10日

コメント・筑波山から飛び立つハンググライダーの姿が眺められる街中にそれはある。
周囲を背の高いトタンで囲っているので内部の様子を伺い知ることは困難である。
ましてや民家密集地の真中にあるので、不審な行動をとるわけにも行かない。
だがこの廃屋の周りの家も重厚な明治当初に建てられたとも思われる、武家屋敷風のものばかりでなかなか風情がある。
茨城の片田舎とは思えない情緒が感じられる町だ。赴きある町並みを普通に散策するのも一興かと。
人為的破壊は見られず、自然の力による崩壊が進んでいるようで、たとえ侵入出来たとしても危険度合いはなんとなく高そうに思われる。
事実、建物の一部が崩壊により公道にせり出して来た部分があったらしく案内人によるとそこの部分は取り壊されたとの事。

SGグランドリムジン

2002年 11月10日

コメント・筑波山中にある。
営業を取りやめた大型モーテルではあるが、厳重に管理されているので破壊は一切されていない。
山ノ下からも見える大きなモーテルビルを中心に広大な駐車場や、レストラン、ビヤガーデン、
現役当時は動いていたであろうアメ車のリムジン(これが物件名の由来)やそのほかにも色々な施設があるようだが、
探索メンバーはやたらと警戒していて短時間で撤収、自分としては満足な写真撮影が出来なかった。
詳細は聞かなかったが、自分の想像するには管理人の素性はあまりよろしくないとみた。
そうでなければ、外部から敷地内まで公道を経て入ることが出来るので、臆する必要は全く無いはず。
しかし尋常でない警戒の様子からして長時間滞在するのは好ましくない場所のようだ。
いずれにせよ内部に入ることが出来ない物件は廃虚ではなく、空家である。

レストランオカダ

2002年 11月10日
コメント・筑波山麓にある廃レストランである。
廃虚大好き氏のオリジナル物件である。
幹線道路の反対側には現役の豚舎があるので、夏場は悪臭が立ち込めていてかなり探索にはしんどいものがあるらしい。
当物件は、表題の通り現役当時は焼肉屋であったと想像する。
自分が内部探索をするにつけ、大広間の壁に多数の換気扇があることから
考えても「煙を吐き出す必要のある料理を提供していた」という想像は簡単につく。
(補足・某廃墟関連サイト管理人からの情報によると。此処の現役当時はお好み焼きやカラオケをやっていたらしいとの事)
オリジナル物件と有って、破壊は殆どされていない。
但し、2階のとある小部屋には真新しい布団が敷かれてあり、あきらかに生活している様子が有ったので、
撮影を済ませ早々に撤収した。
無用なトラブルは避けるのが懸命だからだ。

無名廃墟

2002年 11月10日

コメント・筑波山に向かう途中、国道沿いに廃虚を発見。
今回のOFF会オリジナル物件である。現役時代は材木などを売りさばいていた会社のようだ。
閉鎖は画像にある通り1999。
わずか3年でこのようになる。
特に目新しいものは無いが、オリジナル物件ともなるとメンバーの調査にもそれなりに熱が入るようだ。
幹線道路から丸見えの物件にもかかわらず、堂々と敷地内にて調査を行った。
土浦市内に限らず、茨城には想像以上に廃虚、空家が当たり前の様に多数存在している事に茨城県と言う自治体の現状が見える気がする。

霞ヶ浦廃マンション

2002年 11月10日

コメント・ここは前日の深夜に訪れたのだが、物件があまりに大きく、デジカメのフラッシュだけでは建物全体の造形が全く掴めなかったので
本日改めて、出直す事になった。
建設途中で放棄されたリゾートマンションである。
建物内部には建築材料や、空調設備が新品のまま放置されており、コンディションは悪くない。
廃虚というよりは空家である。

日曜日の朝ということで比較的交通量は少なかったが、物件前の幹線道路は霞ヶ浦沿いの土浦市内へとアクセス事が出来るので、
車の流れは中々に途切れる事は無い。
だが、グループで行動するときはむしろ堂々と振舞った方が怪しまれないので、あくまでも調査を依頼されたアルバイト風を装い、
物件外観だけの撮影を行った。
ガイドの「廃虚大好き」氏は単独で潜入したとの事だが、この物件の所有者は当時暴力団が管理していたらしい。
潜入は命がけだったという。
自分は廃虚探索ごときで命がけなんて真っ平である。
知らないで入ったというのなら分かるが、知って入るつもりは無いし、侵入したらその筋の管理人だったと知ったら、速攻で撤収するし。

だが「廃好き」氏のその後の話によると、管理人は変わったとの事。
現在の住民はハトである。

東京歯車工業

2002年 11月10日

コメント・大型廃工場である。
門扉には警備会社のステッカーが睨みを利かせているが、これは工場が稼動していた時期のものであって、現在はただのはったりである。
敷地内は冬にもかかわらず雑草が生い茂り、一部の建物内部には盗難車のバイクが2台置き去りにされている。
なぜ盗難車と判断したかというと、答えは簡単である。フレームナンバーがグラインダーで削られ判読不可能の状態になっているからである。
目黒技研にように倉庫代わりに使われている形跡も全く無く、完全に放置されている。
生産ラインのある工場内部はサッカーが出来るくらいに綺麗に片付けられており、まさにガランドウである。
これだけの空間を使わずにしておくなんて、なんて勿体無い事か。
だから被写体となるような物は何も無い。
敷地は広く圧迫感がないのはいいのだが、中に何も無ければ探索にはさほど時間を要する必要はない。
内部をざっと撮影して撤収した。
2008年8月取り壊し確認済、現在は土浦厚生病院が建築中。

関連画像はこちら。

住宅都市整備公団中貫単身宿舎と家族寮

2002年 11月10日

コメント・自分がしょっちゅう仕事で訪れていた巨大工場の直ぐ近くにそれはあった。
棟続きの大きな建物と、家族一個単位が暮らせるような小さな建物が数件、一つの敷地の中に立っている。
直ぐ近くには新興宗教の集会場があり、集会のあるときには人の出入りが激しいだろうから、現地入りするときには時間帯を選ぶ必要がある。
家族官舎は完全な施錠が施してあって侵入はまず不可能。
しかし単身宿舎(独身寮のようなものか)は、玄関口に打ち付けてあったベニヤが破壊され、簡単に侵入出来るようになっていた。
だが、ベニヤ板自体が新しいものだったので、また塞がれるのも時間の問題だろう。
これが繰り返されれば、やがて鉄板に化けるのだろう。
その時この物件は不可侵物件となる。
内部は全ての階に渡って窓と言う窓にベニヤが貼ってあるので、日中でも真っ暗である。
一部異様なほどかび臭い所も有るので、その区域は調査をする事は無かった。
単身宿舎の部屋には、一部生活の跡と思われる場所もあり、建物そのものには面白みはなかったが、遺物には興味を引かれるものがあった。
とにかく、一昔もふた昔も前の芸能雑誌がやたら放置されていたのだ。
そのなかには、自殺したアイドル歌手が表紙を飾っているのもあり、ある意味これだけでも心霊好きな人間は喜んでしまいそうである。
だが自分が一番興味を引かれたのは、若かりし頃の手塚里美のヌードグラビアが飾ってある所だった。
廃虚探索そのものよりも、この部屋のほうが面白かった。
いちおう教職員宿舎という通称物件名ではあるが、「ガッコのセンセイがこんなの部屋に飾って、満足に生徒指導できんのかよ」
と思えるほどにその部屋はヌード写真テンコ盛りだったのだ。
・・・・しかし、若いときの手塚里美はかわいいなぁ。今とは大違い。
家に帰ってWEBで検索掛けてしまったくらい。

関連画像はこちら。

給食センター 金杉給食

2002年 11月10日

・コメント 2件目は朝から心霊スポットとなった。
だが地元では有名な心霊スポットも朝日を浴びての探索ともなると、全然雰囲気は違う。
この物件も現役当時は給食(仕出し弁当)を作っていた小さな工場で、こじんまりとしている。
抱えて運んだ方が速いのではないかと思われるような短いベルトコンベヤや、自分が社会人だった頃に良く見た仕出し弁当箱が置きっ放しになっていた。
探索物件としての魅力にはあまりにもかけるものがあり(案内人もそれは認めていた)、通り一遍での撮影のみとなった。