ボヤジャントの呟き。 -20ページ目

ボヤジャントの呟き。

過去に行った廃墟探索、今後行う廃墟探索を振り返りつつ、政治経済の話題、時事問題、雑談や長年の趣味であるバイクやギターなどについて雑談して行くのです。

保田商店 牛久工場

2002年 11月10日

コメント・コンビニ駐車場にて二泊目を明かした翌日の早朝に侵入。
牛久大仏が山向こうにそびえる片田舎にある工場である。
工場前を通る幹線道路は交通量が多く、定期的に警らのパトカーがやってくるので物件への出入りは充分に注意して行う必要がある。
工場規模は中、但し場内は備品やフォーク、置き去りにされた商品「漬物」が山ほど有り、
取材には事欠かない。
但し、ここは夏に来てはいけない。
なぜなら、真冬だというのに倉庫の中は腐敗して発生したガスにより爆発寸前まで膨らんだ漬物が入ったビニール袋が山積しており、
建物の中はどこかで破裂したと思われる腐敗汁の猛烈な悪臭が立ち込めていて、息をするのが非常に困難だったからだ。

関連画像はこちら。

ホテルかもめ

2002年 11月9日

コメント・その七「石庭」は心霊スポット、そしてここも心霊スポットである。
これ以降の探索物件は全て夜間でかつ破壊が凄まじい心霊スポットばかりだったので、写真撮影は無し。
ただライトで足元を照らしながら、ウロウロと物件内部を徘徊するという行動に終始した。

ここはモーテルで、ほんの2~3ヶ月前までは全くといってよいほど破壊されていなかった。
何故なら、敷地内にある母屋に管理人が24時間体勢で常駐しており絶えず不法侵入者に対して目を光らせていたからである。
事実数ヶ月前に案内人がここに侵入を試みた時、管理人に発見されどやされたという経歴がある。
ところが、本日おそるおそる来て見ると、なんだか様子がおかしい。とても人が済んでいるような気配が全くしない。
管理人が居たという母屋は灯り一つ点っていない。
離れた所から見える2階の窓は枠からなにから吹き飛ばされたように無くなっており、駐車場には不法投棄された車が2台。
意を決して敷地内に侵入。先頭を切って侵入した案内人がフラッシュを焚き始めた。どうやら誰も居ないらしい。
母屋の様子を確認すると、とんでもない事になっていた。まるで爆撃か竜巻にでもあったかのような破壊度合い。
窓は全て吹き飛ばされ、手当たり次第に叩き壊している。案内人曰く「たった2~3ヶ月でこんなに変わっちまうのか・・・・」
人為的破壊の尽くされた景色は心が荒む。2階部分も徹底的に破壊され、生活をしていたという痕跡すら見当たらない。
管理人は一体どこに行ってしまったのであろうか。そのほかにも客室がある離れを数件見て廻ったが、とにかく汚い。
トイレは使用したままの状態だし、かび臭いのが一番頂けない。内部の意匠は「江戸城」と同じように、
どの部屋も代わり映えなく、単一。心霊スポットとしては面白いのかもしれないが、自分は「?」という感想。
幹線道路からのアクセスが簡単だというのが、廃虚と心霊スポットの線引きを担っているような気がする。

関連画像はこちら。

割烹ホテル石亭

2002年 11月9日

コメント・この物件名は多分俗称だとおもわれる。なぜならこの建物を見れば分かるように
「どこがホテルやねん」
といえるようなショボイ建物だからだ。
しかも県内有数の心霊スポットなので、これまたご多分に漏れずDQN爆雷とドキュソミサイルの洗礼をまともに受け、
非常に荒れ果てている。
建物内部を移動するのも、廊下が殆ど破壊されているので、梁伝いに歩かなければならず、非常に危険。
2階の広間も現役当時の用途限定が出来ないほどに破壊されており、見ているだけでうんざりしてくる。
訪問した時間がすでに夕刻だったので、数枚の写真を撮っただけで退却。
建造物の造形を愛でたり、現役当時の様子に思いをはせるような要素は全く無いので、廃虚として扱ってはいるもののお勧めではない。
まぁ肝試しをしたいのであればご自由にどうぞ。といった感じ程度のものだ。

鹿行中央病院

2002年 11月9日
コメント・廃病院である。
院内の状況、コンディションは中程度。破壊もそれなりに行われているが、目を覆わんばかりというほどでもない。
治療に使われた機器や、ベッドなども多数残されており探索するには退屈はしない。
此処の病院にも当てはまるが、本当に色々なものが残されすぎている。
医療機械はまだいいが、いい加減カルテはキチンと処分してもらいたいものだ。
自分にとってはここにあるカルテは赤の他人の物だから、これがどう扱われようが知った事ではないが、
もし自分が掛かっていた病院がこのような状況になったら、非常に困る。
ナースステーションには何故か施錠がされていて侵入する事は出来ない。
錠前を破壊してまで入るほどではなさそうだったので、外から見るだけにした。
廊下にネコのミイラ化した屍を発見したが、その見事なミイラ化から察するに、ここの廃虚は侵入できるようになったのはつい最近なのではないかと
思われる。そうでなければ、ネズミや蝿が死体に群がり綺麗に掃除してくれるはずだからだ。

関連画像はこちら。

龍宮城

2002年 11月9日

コメント・本日の占めを飾るに相応しい物件である。
まず現役当時はなにをやっていたか、「テーマパーク」である。だがその場所は田んぼが広がる(茨城の物件はこういうロケーションが多い)
田園風景から山の中へ少し入った、別荘地。その更に奥に入り込んだ所にある。
目印は遠くからでも見える時計台だったのだが、先日上陸した台風の影響で、それは物の見事に倒壊、案内人が何度もその近所を行ったり来たりするほど分かりにくい所にそれはひっそりとある。
複雑怪奇なその建物のシュールな外観も驚くが、なによりも建物全てを個人が手作りでこしらえたというのがまさに驚愕である。
なんの案内看板もない、田舎の山中にこんなのが何故・・・・まさに不可思議の塊である。
ところが、此処には現役当時マスコミでも数回取り上げられているという経歴があり、有名芸能人も数多く来訪しているという記録が残っているから
それもまた驚きである。
残念ながらここの主は既に他界しており、現在は崩落が進むのをただ黙って見守るという状況になっているが
唯一の救いは、非常に分かりにくい場所にあるので、頭のヨワイDQNや厨房の発見から逃れられているという事だ。
つまりは、人為的破壊が殆ど及んでいないという事である。
さて、テーマパークといっても色々ある。
ここはその名前から分かるように「水族館」らしい。
その答えは、内部に入ったときに見つかる。まさに来訪者が「浦島太郎」気分にさせてくれるような空間が広がっている。
未だに水が流れ込んでいる水槽。色鮮やかな壁画、迷路のように入り組んだ通路や階段。
ここが現役当時だった頃に、此処の存在を知っていたら、話のネタには充分なっただろう。
そして心が温まる事に、入場料金を入れる御菓子の缶に、真新しい硬貨が入っていたと言う事だ。

関連画像はこちら。

無名廃屋

2002年 11月9日

・コメント 目黒技研から龍宮城へ移動途中、たまたま立ち寄ったコンビニの駐車場にて発見した廃屋。
幹線道路から少し入ったところにそれはあり、手前の坂道を登っていくと中学校。
下校途中の中学生が沢山通り過ぎる中にて取材した。
しかし崩壊の度合いが進んでいるので内部侵入は自粛。まぁ昼間で周囲に人が沢山居るし。

2008年8月 取り壊し確認

目黒技研

2002年 11月9日

コメント・ここもまた田んぼのど真ん中にあるので、車で注意して走っていれば比較的簡単に出来る。
現役当時はオシロスコープを製造していた工場だった。
生産ラインのある工場棟は3分の1ほど屋根が落ち、床面には緑色に苔むしており、なぜか未使用のペットボトルや段ボールが大量に積み重なっている。
公共の中央部分にあるベルトコンベヤの上には作りかけの製品も多数見受けられた。
事務所には無数の書類が散乱、完成品と思われるものもあった。(商品化するかどうかを工場長がチェックしていたのであろうか)
事務所内に横たわっていた耐火金庫はバールでこじ開けたような跡があったが、バールごときで開くような代物ではないという事をDQNは体力が尽きるまで何故、気が付かないのであろうか?仮に空いたとしてもほぼ100%空である。
場内の雰囲気は遺物からしてまるで夜逃げをしたように見受けられるが、金庫の中身は流石に最優先して引き揚げるに決まっている。
DQNはそれすらも分からず、物欲に任せて暴走するのだ。ゴクロウナコッタ。
あぜ道に沿って作られた工場なので、物件前の道路は非常に狭い。大型トラックで納入や搬出をするにも苦労したと思われる。
侵入はとても用意。周囲は前述したように全てが田んぼなので、人の目が無い。通過車両に気をつければなんら気にするものは無い。
スライドショーの後半に出てくる製品搬送用と思われるエレベータがあるのだが、これがシュールなのだ。
2階部分と思われるドアがあるのだが、周囲にはなにもない、つまりドアが開いたら足元にはなにもないのである。
不可思議な造りになっていて、それが印象的であった。これは所謂トマソンとして位置付けなのだろうか?

関連画像はこちら。

ゆ~とぴ~

2002年 11月9日

コメント・廃スーパー銭湯。
周囲を田んぼに囲まれ幹線道路沿いにある、新しい物件である。
来客用の駐車場は近所の住民が不法に車庫として占拠している。
建物内部は、廃墟になってから時間がたっていない為か破壊も、落書きも非常に少ない。
厨房には食器などがほぼ残されていて、気合入れて掃除をすれば営業を再開できそうな雰囲気ではある。
ただし、廃墟の熟成度は低く建物の規模も小さいので見るべきところもそんなになく、居心地はよいが味は無いというのが特徴。
ここが20年くらい経った後だったら、もうすこし写真栄えするようにはなるとおもうが・・・・・。

関連画像はこちら。

美浦まきば病院

2002年 11月9日

コメント・大型総合病院廃墟である。
外来患者用の駐車場には不法投棄されたスクラップカーが鬼のように放置されている。
外観は綺麗で遠目から見ると現役の病院と見まごうばかりにコンディションは良い。
ただし、それはこの病院が閉鎖されてからそれほどの時間が経過していないのと、頻繁な警察車両の巡回があるからということ。
一階の玄関はDQNによって侵入できるようになっているため容易である、そしてご多分に漏れず徹底的に破壊している。
で、どこの病院でも言える事なのだがなんで廃病院と言うのはこうもカルテやレントゲン写真をホッタラカシにして居なくなってしまうのだろうか?
個人情報がダダ漏れである。
その気になったら幾らでも、もって帰ろうと思えるような状態になっている、潰れそうな病院には行かないほうがいいというのが
唯一の防御方法なのだろうが、これほどの大きな病院がブッ潰れるなんて誰が想像できようか?

一階から上階への階段は全て防火扉によって侵入が出来ないようになっているという条件が重なっているからだと考えられる。
最近入手した情報によると、ここの物件の買い手がついたらしく防火扉はそれまでは開放されていて最上階まで自由に行き来できたとの事。
つまりはここも某かの工事あるいは機械警備がはいる恐れがあるとも予想される。
ここの物件を案内してくれた方が言うには、「2階から上がここの本当に面白い所なんですよ」とのこと。
今後はDQNの節度ある破壊活動に期待するか、7つ道具を自分が揃えて突入を試みるかどちらかになるだろう。
ただし、周囲はそれなりに人間の行き来があるので行動には十分な注意が必要とされる。
そして定期的な制服姿で逮捕権をもった公務員が巡回してくるコースになっていることを重ねて念頭において訪問をしたい。
・追記 現在は某企業の研修センターになっているという情報を受けた。建物は綺麗にリフォームされ病院かつての面影はそこからしか見ることは出来なくなったそうだ。

関連画像はこちら。

旧日本海軍鹿嶋基地戦闘機工場と東京医科歯科大学霞ヶ浦分院

2002年 11月9日

コメント・OFF会の朝一番に立ち寄った廃墟。
寒風吹きすさぶなか、霞ヶ浦ほとりの叢にひっそりと佇む太平洋戦争時代からある工場廃墟である。
今現在は2棟の小さな建物しか残っていないが、その昔はもっと沢山あったらしい、
現在は草に覆われきってしまっている滑走路を確認することによってここが航空機関連の施設だったという事が分かる。
1年を通して草ぼうぼうのなかに立っているのと、直ぐ近くに現役の建物が建っているせいか、破壊の度合いは少ない。
それ以上にあまりにも古い建物だから、DQNもそっぽをむいているのだろうか?
そして秀逸なのはその直ぐ隣に立つ、大型の廃墟。東京医科歯科大学の廃院。
内部は備品が完璧に撤去されているので、殺風景ではある。
一階部分はベニヤ板で窓を塞がれているので、真っ暗である。
しかしその上の階は窓がそのまま残されていて、朝日が差し込む別世界となっていた。
但し一部分のガラスが割られており、そこの部屋は雀の格好の住処となっている。
だが内装部分の状態は非常に良く、昭和初期の雰囲気満点である、映画撮影のセットとして使用に充分耐えられると思った。
但し、建物正面から屋外に退出するときは、直ぐ隣に現役の会社社屋があり監視の目が光っているので、油断は出来ない。リスクを負いたくなければ裏手の侵入口から出て、先ほどの廃工場を経由する遠周りコースで帰るしかない。