ボヤジャントの呟き。 -21ページ目

ボヤジャントの呟き。

過去に行った廃墟探索、今後行う廃墟探索を振り返りつつ、政治経済の話題、時事問題、雑談や長年の趣味であるバイクやギターなどについて雑談して行くのです。

2003年 1月13日

コメント・言わずと知れた千葉県が誇る巨大廃工場である。
現役当時は、海外から輸入された原木を加工しベニヤ板などの合板を製造していた。
高速道路の終点から直ぐの所にあり、アクセスは非常に簡単である。
近くに民家が無いのと自分が取材した当日は休日だったので、殆ど人気は無かった。
ましてや、沿道から敷地内を見ることは不法に投棄されたゴミの山が遮っているので、一旦内部侵入に成功すればあとはゆっくりと
探索活動を行う事が可能である。
内部はいくつかのセクションに分かれていて、事務棟・本工場・宿泊棟・食堂・数箇所の倉庫があった。
ほとんどの施設は侵入が容易で、さほど侵食・腐食も進んでいない。程度は海沿いにも関わらずなかなか良好であった。
工場の現役当時に関する情報は栗原氏の本「廃虚の歩き方」を参照されたし。
探索は2時間半に及んだ。
持っていった歩数計も4000歩を越える(距離にしたら2キロ半近く歩いた事になる)という久しぶりに大掛かりな廃虚探索であった。
感想は「思った以上に良かった」
探索の合間の休憩をする時には、海辺に出てカモメの飛んでいく姿を眺めながらのタバコの一服は格別。
人の視線を気にすることも無いし、ジャリダンプが鬼のように行き交う表の国道とは打って変わって、まぁ静かな事。
今回は、この後の廃虚探索にも時間に余裕を持って行きたかったので、駆け足で写真を撮影するに留まった(ゆえに手ブレカットが多く
相当にいい画像もオシャカにする羽目になった)ので、次回訪れる時には三脚を持参の上、じっくりと時間をかけてオシャカにした部分の
撮り直しをしたいと思っている。

関連画像はこちら。

取材日時不明


コメント・自宅直ぐ近くにある太平洋戦争時に使用されたとされる無線送信所。
現在は周囲を住宅に囲まれ、残土置き場となり窓と言う窓には分厚い鉄板が貼られ侵入は非常に困難な状態になっている。
下の画像は某所から入手した鉄板が貼られる前の送信所の姿である。
近日中に最新の内部調査ができたら追ってUPする予定である。

この画像は鉄板が貼られる数年前に撮影されたものと思われる。
内部への侵入も問題なく行われ、周囲からの苦情も今ほど神経質なものではなかったらしい。
ここに鉄板が貼られる原因になったのは某大学のアホ学生がここの施設を利用してイベントを行うとの事をWEBにて告知。
その物件の住所を詳細に示してしまったので、有象無象のDQNどもの巣窟となり、あのようになってしまったのである。
半世紀以上昔の建物が近所にあるということを知ったのは皮肉にもその後で自分が現場に赴いた時には一階にも二階にも鉄板が貼られていた。
取り扱う物件が物件だけにその情報の流れ方によってはとんでもないことに波及すると言う事をアホ学生だけではなく我々も充分に気をつけないといけない。

2002年 10月30日

コメント・度重なる増築が災いし、当時バブル絶頂期にもかかわらず、ホテルニュージャパンの大火災
をきっかけに大幅に強化された消防法により「丸適マーク」の取得が出来ず、営業続行を断念せざるを得なくなり
倒産した河口湖畔に建つ温泉旅館である。
ちなみにここの元社長は近所の喫茶店にて細々と生計を立てている(最近TVに出演した)。

現在、正面入り口前には堅牢なバリケードが立てられており、そこからの侵入は出来ない。
だが、自分が現場に到着したのは平日のうららかな小春日和の昼下がり。
近くに無料の駐車場があり平日にもかかわらず沢山の観光客で賑わっている。
1時間ほどじっくりとロケハンを行い、侵入経路の検索を行った所、
ある侵入できる経路を発見。
そこは湖畔の喧騒とは全く隔絶された静かな所で、侵入の際にも全く神経を使う事無く易々と作戦を開始する事が出来た。
内部の構造は予想通り複雑怪奇、いくつもの渡り廊下や階段があり、日中でなければ間違いなく現在位置を見失う可能性がある。
初心者での単独潜入は非常に危険である。
ご多分に漏れず、内部の崩壊は場所によってはかなり進んでいる所もある。足元には充分注意されたし。
珍による意味不明の落書きは比較的少ない。
オオスズメバチの巣(大人の頭2個分)がある部屋があり、取材当時も営巣中で1~2匹の蜂の出入りを確認、絶対に刺激しないように。
なお、この物件の取り壊しの計画がすでに持ち上がっている(周辺一体を自然公園にし旅館のある場所は「小曲展望台」と名を変えて
誰でも河口湖を間近に一望できる公共の施設に変身するようである)。
ゆっくりと物件内部を探索できるのは今のうちだけである。関東近県の廃墟探検家は可及的速やかに現地に赴くべし。
追記・2003年末 多くの廃墟フリークスに愛されてきた「小曲園」は解体された。

関連画像はこちら。

取材日時 2002年4月28日
コメント・地元千葉県が誇る廃墟物件のなかでもトップクラスの規模と程度のよささがウリのホテル望洋。
この物件の存在は10数年前から知っていた。
しかしその当時は近くにある野島岬までバイクで走りに行き、一服して帰るということが目的であったたため
ここに立ち寄ろうという気持ちは全く無かった。
だが廃墟に興味を持つようになってからは「いつかは装備を整えて、内部探索をするべ」と考えるようになり
とうとうこの日、PCのセンセイと行動を共にして、内部船潜入に踏み切ったのである。

破壊の度合いは、創造していたほどではなく、ひどくても一階部分周辺に過ぎなかった。
その上の階上部分は破壊行動によるものと言うよりは、長年海からの風雨に晒されて自然崩壊した結果によるものが殆どと思う。
最上階からの展望は最高で、日の出直後の太平洋の眺めは感動の一言に尽きる。
建物の上層部は鳩の住処となっており、階段部分の糞の体積が凄まじいが、それ以外は気分を害するような悪戯書きも少なく
コンディションとしてはいい方だと感じられた。

関連画像はこちら。

2002年4月28日
コメント・テレビで最近神奈川県にてジェイソン村という物件が紹介され、一時期廃墟探索がブーム(?)になった。
自分から言わせればその現象は単なる肝試しの場所を紹介しただけに過ぎず、
静かに廃墟鑑賞を嗜もうという方々と周辺住民には多大なる迷惑が掛かり、そこは最近立ち入り禁止状態になっている。
その多分にも漏れず、この物件も「千葉のジェイソン村」と称され、千葉県のなかでは相当に有名な探索物件になっている。
ここで実際に首吊死体が発見されたりとか、白骨死体が見つかったりなどと物騒な話がまことしやかに流れているが、
たしかに昼間自分が行ってみても、周辺を支配する空気があまりにも良くないのが気になった。
国道から直ぐに入れるところでもあり、且つ民家が近くにないので、物件内部の破壊の度合いは凄まじい物がある。
場所によっては侵入する事自体が危険行為ともなるところがあり、あまり好きになれなかった。
建物も陳腐だし、どれも同じような造りになっているので、直ぐに飽きてしまった。
こここそ肝試しには向いているのだろう。とにかく自分はあまり好きではない。

関連画像はこちら。

2002年 3月3日

コメント・自宅直ぐ近くにある公団住宅。
現在は殆どが退去してはいるが、ごく一部、まだ住民が住んでいるところがある。
しかしそれ以外は殆どが空家になっていて、夜にでもなると周辺一帯が漆黒の闇になる。
直ぐ傍を大幹線道路が通っているにも関わらず、ここだけは異様に静まり返っている。
探索の物件としては、一階部分がしっかりと目張りされているので、破壊行動に及ばない限り内部潜入は不可能。
直ぐ傍に警察署があるので、巡回してくる可能性も大。
立ち退いていない住民もいるので、通報される可能盛大。
逆に、警察が近くにあると言う事で、珍走団による破壊は殆どされていないので、見栄えはいい。
これはカテゴリーで分けるならば、廃虚ではなく「空家」だ。

関連画像はこちら。

廃墟サイト「Breath Of the Ruins」というサイトが有った。
2ちゃんねるでもそれなりに話題にあがるようなまでに注目はされていた。
しかし、肝心の管理者が仕事多忙と私生活の大幅な変化により、探索には行かないわ探索してもレポートは揚げないわで更新が完全に停止。
しまいには当時借りていたサーバー屋のTOK2から解約の通達を受け、そのまま放置そして閉鎖となった。

で、それからかなり時間が経ち、私生活や仕事も落ち着いて来たので、そろそろ巻き返しをする機会が来たかなと感じるようになった。
そこで、今まではHPビルダーなどを使って色々と凝ったつくりのサイト作りをしてきたが、これではまた面倒臭くなってやらなくなってしまう。
ということで、自分が過去によく見ていた千葉発の大御所廃墟「廃墟伝説」での変更を参考に、ウェブサイト方式では無く、ブログに過去の写真とレポートをどんどん揚げていく方式でやっていくことにした。
これならば、凝った作りではないものの、簡単にその日のレポートを揚げる量が減るので更新作業を続ける事も出来るし、読者が圧倒的に多いAmebaで公開する事にしてみた。

今回はその予告だけにするが今後少しずつ廃墟物件1「稲毛公務員住宅」を皮切りに「返ってきた廃墟の息吹 Breath Of The Ruins Returns」を始めようと思う。