音量注意!
クラリオン栃木工場の探索を終え、少し時間が余ったので、普段あまり目にすることの無い現役の蒸気機関車を撮影しようという話になった。
実際のSLの迫力は凄い、特に発車前のあたかもエネルギーを溜め込んでいくような煙の出方はまさに機械を越えた生き物を感じさせてくれた。
サイトの趣旨とは幾分違うように思えるかもしれないが、ある種の「走る廃墟」と捉えてくれればよろしいかと思う。
クラリオン栃木工場の探索を終え、少し時間が余ったので、普段あまり目にすることの無い現役の蒸気機関車を撮影しようという話になった。
実際のSLの迫力は凄い、特に発車前のあたかもエネルギーを溜め込んでいくような煙の出方はまさに機械を越えた生き物を感じさせてくれた。
サイトの趣旨とは幾分違うように思えるかもしれないが、ある種の「走る廃墟」と捉えてくれればよろしいかと思う。
2004年 9月5日
コメント・当サイトには影ながら応援してくださっている方が多数いらっしゃる。
辛口のコメントを寄せてくださったり、情報の間違いを指摘してくれたり、合同探索のお誘いをしてくださるという涙モノな方もおいでだ。
そして、なんといっても自分にとって大切なお得意さんは、「タレコミ」をしてくださる方の存在である。
大手の廃墟サイトには有名が故に「ガセ」の情報が大多数を占めている場合が当たり前で、管理人の方も頭を抱えているという話を聞いた事が有る。
しかし今のところ、自分のところに寄せられる情報は全て本物で、それも「こんなの誰も気が付かねぇ~~~~YO!」
てな、かなりのマニアックな物が多い。
わくさんはキーチさん赤目さんと並んで、当サイトへのタレコミ業者として大口の得意先となっていて、新しい物件を見つけると毎度毎度DMで物件の所在地やその特徴及び注意点をもたらしてくれる、大変ありがたい方方の一人。
以前にも「茂原廃工場 千葉精機」や「富津廃旅館 アキモト」など、どこのサイトにも紹介されていないオリジナル物件ばかりを紹介していただいた。
しかし残念な事に、どれもしっかりと施錠されており内部への突入は非常に難しく純粋な廃墟と呼べるまでには至らなかった。
だからといって、窓ガラスを割ったり、鍵を壊したりして侵入などすれば、それこそ問題で「廃墟不介入の原則」に反する事になる、
以前某廃墟サイトの管理人が「ムーラン乙女の中に入って、内部の清掃をしたい」と訴えていたが、それには外壁のベニヤ板を破って突入しなければならず、
本人はそれをも辞さない事を掲示板で表明した為に、そこの掲示板は大荒れしたという経緯がある。
廃墟サイトにおいでになる方の大多数は、自ら物件内部には突入はしないが、バーチャルでその外観や内部を見てさも「自分が探索したような気分になれる」という割り切った考え方を持っている。
しかし、内部を見てみたいからといって「物件を破壊してまで突入をしてくれ」などという不謹慎極まりない考え方を持つ輩は、ことごとく糾弾される。
廃墟探索文化の不思議さと健康的な一面はここにあるとおもう。
わくさんからの情報を受け探索に臨んだ物件は、これまでは全て外観のみだった。
しかし今回は、そのかなわぬ思いに報いる日が来た。
2週連続で接近中の台風の影響で今回も天気は最悪、物件への道路はいたるところで冠水しており、
「おい・・これ無事に帰ってこられるのか?」とおもいつつ、現場に到着。
広い駐車場に普通に車を入れ、木陰で死角となっている場所に停め、装備を確認して探索を開始した。
2003年 10月19日
コメント・
まさに大願成就である。
悲願の悲願の足尾銅山本山精錬所と硫酸工場に突入する事が出来たのである。
作戦の実行日からさかのぼる事1年前。ロバート調査団の参謀M氏とともに2度の外観調査とネットを介しての情報収集を行い、
大型鉱山突入の前哨戦として神岡鉱山に突入、
まぁこの神岡は前哨戦とはならず、いきなりのホンチャンになってしまたのは計画から大きくずれてしまった嬉しい誤算ではあったが、
2003年10月19日日曜日、夢にまで見ていた難攻不落の山上の要塞「足尾銅山本山精錬所」と、
雲上の城郭「硫酸工場」に仕事の都合で泣く泣く欠席してしまったM氏の変わりに、廃虚サイト「廃ビスカス(旧茨城の廃虚を紹介するページ)」管理人の
廃虚大好き氏(以下HD氏)とともに夜明けと同時に突入し、思う存分探索する事が出来た。
作戦Phase1(現地への移動)
前日晩に柏駅近くの某ファミレスにて、定刻にHD氏と合流。
去年晩秋に行われた茨城県南合同調査会(黒魔氏主催)以来1年ぶりの再会であった。
久しぶりに見たHD氏はハリセンボンのように立っていた髪の毛が伸び、少々痩せているようだった。
本人曰く「就職活動と卒論の作成で死ぬほど忙しくて・・・・・」とこぼしていた。
まぁいままでは大学生で有り余る時間を使って、廃虚探索を好きなだけやっていたのである、
これからはそれとは全く逆の生活パターンを営まなければならなくなるだろう。
そして、社会人という社会的地位を手に入れた以降は、廃虚探索と言う行動が自分の社会的地位をいつでも脅かす物であるという事も
自覚しなければならなくなる。色々と大変なのだ。
さて、話がそれてしまったので修正。
今回の移動の足は当方のケイタロウではなく、車内での仮眠をするときの居住性をすこしでも確保すると言う事を考えて、オカンのクルマを拝借してきた。
HD氏はタバコをやらない。本人は「Tavitoさんが車内でタバコを吸わないのなら、大いに歓迎します」といっていた。
自分も禁煙車の中にいる間のタバコくらいなら、我慢することは可能なのでこの選択は正解だった。
柏の某ファミレスを出発、足尾に向かう途中、HD氏の案内でR6沿いにある廃結婚式場に突入した。
閉鎖されてから時間がたっていないので、熟成は殆ど無く、周辺を民家に囲まれているので夜間の探索は懐中電灯などの光源が漏れないように神経を使う必要がある。
HD氏の話によると、ここは最近まで全てのフロアの部屋に出入りが可能だったのだそうだ。しかし我々が突入した当夜は施錠されており、管理人がいまでも此処にやってきている事がそれだけで分った。
木更津にある「昭和記念会館」と同様に中は散乱した伝票やらレシートやら、DQNがやらかしたとしか思えない消化ホースのトグロ以外に特に見るものは無く、突入開始から数十分で屋外に脱出、即座に足尾に向けて移動を再開した。
本当は高速道路でスンナリと宇都宮まで行きたかったのだが、あいにく場所が柏ともなると中途半端で、東北自動車道まで走るには無駄がある。
ということで仕事で毎日の様に通っているR294バイパスを北上、半ば高速道路とかしている国道を快調に北上した。
幾つかの国道を走りつないで宇都宮市に入り、コンビニにて車内での朝食の為の買出しを行い、足尾銅山へのルート確認を行って出発。
R119~120~122と走って、一気に日足トンネルを通過。すでに通いなれている道なので迷う事無く、足尾の町に入った。
鉱山見学施設のある「あかがね資料館」の駐車場にクルマを止め、しばしの仮眠となった。時刻は5時前であった。
作戦Phase2(敷地内突入)
足尾の山に暁が、作戦開始。
携帯の目覚ましが定刻の6時に鳴り、2人とも意識朦朧のまま(特に自分は前日の早朝から仕事をしていたので、最高に気分が悪かった)移動を開始。
資料館の駐車場を出て、本山に向かう休日の早朝であるにもかかわらず何人かの原住民が犬を散歩している姿が見受けられた。
さすがこういう所が田舎である、早い時間からの活動開始は予想したとおりだ。
原住民の目に止まりにくいように、静かに車を走らせ精錬所のある町中に入った。
うっすらと明るくなり始めた山をバックにあの巨大な容姿が姿を現す。
「キマシタネ~」震える声でHD氏がつぶやいた。
いますぐに突入したい気持ちを押さえつつ、精錬所横の山道を登り暫く行った所にある広場の片隅に車を停め、まずは腹ごしらえ。
しかし極度の緊張と、中途半端な便意(空爆意志)のせいで2個の握り飯もマトモに食えず、1個をむりやり胃に押し込んだだけで、作戦開始となった。
今登ってきた山道を下る、再び精錬所前に到着。何度も見てきた光景である。見上げるような高さにある鉱山鉄道の鉄橋。
立ちはだかるように立つ本山駅。いよいよその深部へと歩を進めるのである。
「おお・・・・とうとう来たか」武者震いが全身を襲う。
HD氏から敷地内への突入口はどこか聞き出した所、そこはロバート調査団が下見をしたときに、
「ここからが一番無難なんではないか?」と目星を付けていた所を指差した。
「なんだ、やはりみんな考えている事はそんなに変わらなかったのね」
ここの障壁を乗り越え中に入ってしまえば、集落の民家からは姿が見えなくなる。
問題は、その障壁を乗り越える時は丸見えだと言う事だ。今日最初の山場である。
近日栃木県の雄「アート」氏とともに下見をしたばかりというHD氏に先に突入してもらう事にし、自分はそこから少し離れた所で周囲を見張る。
衣服を引っ掛けながら鉄条網を乗り越えて、HD氏は無事に敷地内に入った。
本人も相当に興奮している様子で、顔が紅潮しているのが朝焼けのせいだけではないのがよく分る。
今度は自分が大柄なHD氏が突入した場所とはすこし違う所からアプローチ。荷物を先に中に投げ入れ、半身の体勢で周囲をうかがう。
眼下の集落の中を時折、乗用車が通り過ぎるが、こちらに登ってくる様子はない。
「・・・・・・よし。いきますか!」
片足を足場に引っ掛け、両手をしっかりと岩場にかけ一気に上半身を持ち上げる。
緊張と興奮で四肢が震える。集中だ、失敗は許されない。イッパツで乗り越えないと原住民に見つかってしまう!
HD氏の姿を見て、自分は気をつけていたのだがやはり鉄条網は手ごわかった。
ほうほうのていで2人とも突入に成功。もう後戻りは出来ない。いよいよ作戦Phase3開始である。
作戦Phase3(探索活動)
2004年 9月18日
コメント・今日は土曜日。
午前中は会社の用事で出勤、午後は仕事が無ければサイナラというのが今の会社の勤務体系である。
でもって、いつもだったら病院へ行くのだが少々面会時間までは時間の余裕があったので、「ちょんまげ村にでもいってみんべか」と思い立った。
すでにこの物件は紹介されているのだがその内容を拝見するに「あまり多くは期待できない」というのが正直な印象だった。
だから、この物件の探索に対しては休日を潰すほどの価値は無いと判断し、中途半端な時間を潰す為に本日の探索を決行したのである。
物件の所在地はわくさんからおおよそのヒントは貰っていたので、それほど苦労せずに見つけることができた。
道路を走っていればだれでも気が付きそうな巨大看板もある程度残っている。
しかし荒廃が進んでいるようで、その半分は落下しそのままになっている。
道路沿いに昔の日本の民家を模して作ったような、小さな建物が並んでいるが、その屋根の部分には下品な文字がかかれており、民家らしき建物の雰囲気をブチコワシにしている。
わくさんからのDMにも書いてあったのだが、「あるいみネタ物件です」の記述の通りこれは紛れも無くネタ物件の様相を呈している。
周辺は見渡す限りの田園地帯(といってもそんな美しい物ではないが・・・)当該物件のすぐ近くには養豚場があり、悪臭が常に鼻を突く。
物件の前を通る道路は有料道路ではあるが、交通量は少なく突入のタイミングはそれほど限られた物ではなかった。
敷地内に突入する入り口は幾らでもある。しかし突入してからは外から丸見えなのでむしろ中に入った後からの方が気を使う。
オーバーフェンスを行い、まず最初の小さな民家のような建物を 見てみたがなんとこれは民家でも東屋でもなくただの醤油樽の上に屋根を被せただけのオブジェだったのだ。
そして直ぐそばの建物(会社の事務所のようなもの)に突入、ここも突入はいたって簡単。破壊もある程度行われて入るが、目を覆わんばかりというほどではない。
塀一枚隔ててすぐ隣には民家が有るので、DQN達もここで「ええじゃないか」をするのは無理があると思ったのだろうか。
遺物もそこそこあり、撮影するにはさほど困らなかった。
しかし、おいてある遺物は見た目は古いのだが、どうみてもここで客寄せに使うためにこしらえた物ではないかと言うものばかり。
ネタ物件の最右翼「ゆう・もあ村」や「個人テーマパーク 龍宮城」と比較しても見るものに訴えかけてくるものが無く足元にも及ばない、
廃墟物件としても熟成度合いが中途半端、遺物も歴史的価値は殆ど皆無。
むしろスライドショー中盤に出てくる、無人の空家(玄関先にパイロンが置かれている香具師)のほうがよほど興味をひかれる。
しかしほかでもない「わくさん」の 提供物件である、じっくりと探索はさせて頂いた。
後日、これらの遺物の意味を調べる為に相互リンクさせていただいているKUZEさんのサイトにて詳細にちょんまげ村の調査報告がなされているのでそれを元に画像のコメントを作らせて貰っている。KUZEさん有難う御座いました。
2003年 11月22~23日
コメント・11月22日
前回の神岡ですっかりノックアウトされたロバート調査団。
今回は前回廻りきれなかった栃洞の施設と栃洞の次に探索を行う茂住鉱の下見を行うのが目的だ。
宿はシッカリと確保し、時間に極力余裕を持たせ、出来る限りまわれる場所は回ろうと考え、現地に赴いた。
ところが初日は散々だった。
なにしろ、安房トンネルから先の天気が最悪だった。
思いっきり雪だったのである。
気温はぐんぐん下がり、風は吹くし、霧も濃い。とてもじゃないが探索どころではない。
とりあえず朝の9時ごろには栃洞に到着したが、麓の神岡では霙だったのが、ここではちゃんとした雪に変わっていた。
「うわ~~~だめだ・・これは」調査団の両者ともに今日の探索は絶望的だと信じて疑わなかった。
しかしここまで300キロ近くの道程をやってきたのである。
むざむざ帰るのも、なんだかしゃくにさわる。
ということで、とりあえず行ける所までということで、むりやり機材を背負い込み出発した。
ところが・・・本日がいかに付いていない日かがよく分った。
まず商店街をくぐり抜けた時、周囲の様子がおかしかったのだ。
病院跡とよばれていた建物がなくなっていたのである。あのヌード撮影を行っていた公園のある場所だ。
更地になっていた。
更に、そのショックも覚めやらぬまま歩を進めると、前方からエンジン音が聞こえてきたのだ。
とっさに2人は動きを止め、路肩に身を寄せる。背伸びをして先に目を凝らすと何かがせわしなく動いているのが見えた。
「おいおい・・・人が居るのかヨ、こんな天気で」
2人の視線はバッテリーが山のように積まれた学校跡地に向けられていた。
動いているのはフォークリフトだった。作業をしているのだ。小雪が舞うこの天気の下、この山奥で、土曜日だと言うのに・・・。
決断は直ぐに下された。「撤収」である。
山を降り、次なる目的地「茂住」へと移動を開始。
しかしこれもまた苦難の移動だった。
予想外に距離があった。国道の交通量も多く、物件を探す事になかなか集中できない。
そして、あるトンネルの手前に怪しげな建物が山の上に沢山建っている場所に到着。
既出のサイトで紹介されている画像と照合して、ここが茂住である事を確認。
物件の門の前まで車を寄せ、車を降り周囲を点検する。しかし・・・・なんだか様子がおかしい。
バリケードがどかされている、車のタイヤの跡があるのだが、真新しい・・・。
路肩を見ると配管工事がされたようで、新しい管がいくつも走っている。
「こりゃ現役なんじゃないですか?」M氏がつぶやく。
「いや、そんなはずは無いんだけどね・・・・サイトで見てきたのと随分違いますね・・・」Tavito
そうこうしているうちに、我々の背後から轟音をたててダンプカーが走ってきた。
「・・・・・・・!」凍りつく両者、しかしダンプは何事も無かったように横を通り過ぎ、茂住の中に入っていってしまった。
どうやら茂住は一部稼動しているようだ。
後に、某有名サイトの管理人からこう言われたのである。
「あそこは、スーパーカミオカンデがありますからね。そういう動きがあるのは当然でしょう。でもきちんとアポをとれば中に入らせてもらえるかもしれませんよ」
天気も悪いし、腹も減った。
今日は探索はナシだ。撤収する事にした。
しかし宿にチェックインするまでの時間にはまだまだなので、再び山の中に入り峠のトンネル出口側の東屋にてバーベキューをするという暴挙にでた。
なんだかヤケクソになっている。
焼肉を食べ終えても、まだ時間が有るので今度は平湯温泉まで戻って、鍾乳洞なんぞの見学もした。
こんな日があってもいいじゃないか。
明日は天気が回復するとの予報なのでそれにかけるしかない。
それにしても、今日は疲れた・・・・無駄な労力を消費すると、普通以上に疲れてしまう。
11月23日
今日は気合が入っていた、昨日の失敗を今日だけで取り戻すしかないと思っていた。
朝風呂に入り、眠っている体を覚醒させ、朝飯をガツガツと平らげ、そそくさとチェックアウトした。
天気は昨日とは打って変わって好天である。
ただし、気温がかなり低い。周辺の山頂付近はみな昨日の雪で白くなっていた。
もうすぐここも一面の銀世界になるだろう。そうなったらこれまでどおりの探索は不可能になる。
なんとしてでも、今日は探索らしい探索をしなければならない。
相棒のM氏は、愛車にあの「マイクロロン」を注入し万全の体制を整えている。
自分も装備のチェックをして出発の準備は整った・・・・デジカメのバッテリーの予備を忘れてきてしまった事以外は。
今回は自分のデジカメのトラブルもあったので、補足してもらう意味でM氏の画像も併せてご覧頂こうと思う。
今回のまとめ。
初めて訪れた場所だったので、まずはその物件の所在地を探すだけで数時間を費やしてしまった。
ホテルや、町工場を探すのと違って、山奥の鉱山を探す時には町を離れて探さなければならないときが多く、その際には前もって聞き込みなどで場所の特定をしなければ、見つけるのは相当に困難である。
しかし、結果的には発見に及んだが、なにぶん日本有数の巨大物件である。
全ての施設をくまなく見て回るには1日では全く足りない。
ましてや今回の探索後に、某有名サイトの管理人から「茂住には行かなかったの?」と指摘され、じつは栃洞よりも保存状態がいいと言われている場所が山向こうにあるという事も発覚した。
内容的には充実しているが、自分本人は全く食い足りないのが正直な所。
栃洞に行く途中の道路にも、数箇所の廃虚があったし、奈落の立抗の近くにもチェーンゲートで封鎖された入り口を見つけている。
何があるのか全く確認していない。
忘れ物があまりにも多すぎる。
今年もう一度行けるかどうか、微妙な所だ。まもなく冬がやって来る。すると此処一帯は白い悪魔に覆われることになる。極低温と豪雪のリスクが更に加わる状態で果たして満足に探索できるかどうか全くの未知数である。
その前になんとか一回くらいは再来訪して、今回回れなかった所を少しでも見ることができればと思っているところだ。
唯一、予想外の収穫はあった。
栃洞から引き揚げる途中、不意に人の声が聞こえ「とうとう出やがったか」と身構えたが、その声の招待は生きている人間の声だった。
しかも、先ほどの回旋塔のあった公園で、なんとヌード撮影をしていたのである。
時間があったら声を掛けて、撮影会に加わらせてもらえるかどうか交渉しようかとも思ったが、今晩の宿を探さなければならなかったので、泣く泣くその場を後にした。
2003年 8月24~25日
突入までの紆余曲折プロロ-グ
24日の早朝4時に千葉を出発。
早くも秋を思わせるような肌寒い中央高速を相棒M氏と共に4WDにて走る。
夜も明けて朝の9時には、岐阜県神岡町に到着。
まずは自分らが把握している情報だけを元に栃洞鉱への道路を探す。
現役施設の三井鉱山神岡事業所にて、相棒M氏のエスクードのリヤゲートガラスが彼の運転ミスにより事業所内のコンクリート壁にバックで激突し全て割れてしまうというアクシデントが発生。
残されたガラスの破片を除去し、そのまま神岡市街地に突入。
まずは情報収集ということで、神岡鉱山資料館を訪問した。
しかしここは、お金を払って入場したにもかかわらず、展示してある物はみな貧弱で、役に立たないものばかり。
電動で動く選鉱所プラントを再現した展示品にはスィッチの部分に「触るな」とかかれている始末。
どれもこれも埃をウッスラと被っており、展示してあるというよりはただたんに置いてあるだけという惨憺たる状況。
ここで有用な情報を仕入れることは不可能と判断して早々に引き揚げた。
そんなこんなで時間が過ぎてしまい、昼時になってしまったので昼食を撮る事にした。
その前に、国道沿いにホームセンター「コメリ」があったのを思い出し、まずは車のリヤゲートガラスを治す事にした。
ホームセンター「コメリ」の駐車場にて消滅したリヤゲートガラスの代わりに透明のビニールシートを貼り付けるという、緊急処置が施された。
しかし作業をしている間に、周辺の気温はどんどん上昇。
作業をしている2人ともに大汗を掻き出した。
自分はオーストラリアで買ったベルベット地の帽子を持ってきていたので、事なきを得たが相棒M氏は被り物を何ももってきていなかったので、これまた「コメリ」にて急遽日射病対策の為、帽子を購入する運びとなった。
店内を物色している間、ふいにM氏がオレを呼ぶ声がした。
「オイチャン!ちょっとちょっと!!!」
いってみると、彼が一つのツバが広く出ている麦藁帽子を手にとって笑いをこらえている。
「これ・・・この名前見てみてよ」
見ると帽子には値段と商品名が書かれたタグ付けられている。
言われるままにそのタグをみると・・・・・
『快適麦藁帽子 ロバート』
とあった。そして気が付くと並んで置いてあるほかの帽子にもそれぞれ違う名前が書かれていた。
でも、不思議だったのはその全てが英語圏の男性の名前だったという事だ。
なんの脈略があって、外人の名前にしたのだろうか・・・・・。
そして、このたび管理人Tavitoの勝手な思いつきで、コンテンツ作成中に決めたものがある。
それはこのM氏とTavitoのチームの名前だ。
名付けて「ロバート調査団」
まだM氏の承諾を得ていないが、勝手にオレはこう命名する事にした。本日よりこの名称でM氏とTavitoは廃虚探検する事に決めた!
車と日射病対策の問題が解消された後、再び神岡市街地に突入。
日曜日だという事で、営業している食堂はあまりなく、もしかしたら此処まで来てコンビニ弁当か?
と危惧したが、どうにか1軒の定食屋を発見、早速突入し自分はトンカツ定食をオーダー。
しかし店のオバハンが持ってきたお冷にまず、問題があった。
水を飲もうとした時思わず
「ウオ!クサッッッッッ!!!」
叫んでしまった。
異臭が鼻を突いたのだ。その臭いは直ぐに連想できた。
金魚槽の水の臭いとクリソツなのである。
「これを飲んだら、腹壊すぞ」そう思い、すぐにコップをもってトイレに行き、水を捨てて洗面器の水道の水を注ぎ込んだ。
匂いをかぐ「・・・・・・」ムシューダ。
試しに相棒M氏のコップをかいで見る。
ムシューダ。
なぜだ?オバハンは目の前の冷水器から水を注いでコッチに持ってきた。今思い出すと冷水器の電源を入れていた気がした。
つーことは、おれら客が来て初めて冷水器に電源を入れたのではないだろうか?
その一発目の水がオレの分だったのかもしれない。さすれば、殺菌されないままの水が配管を通って、コップに注がれてもおかしくなかったのではないだろうか?
とまぁ、廃虚とは関連の無い話はここまでにして、ソソクサと食事を済ませる。
その際にM氏がレジの向こうに立っているオバハンに「栃洞ってどこ?」と聞き出していた。
詳細で有用な情報を仕入れた後、さっそく現地へと繋がる道路を探す。
町外れの国道を行ったり来たり、コンビニにて道路地図をチェックしたりしてどうにか栃洞鉱へと繋がる山道を発見したのだ。
ロバート調査団、活動開始である。
2004年 8月29日
コメント・バイクで南房総方面へ向かう時はいつも一端内房総から東金方面へ抜け、鴨川経由で南下するのが自分の定番ツーリングコースと決めている。
その道程の途中で偶然見つけた廃工場である。
自分には廃墟レーダなってものは無いと思っていたが、この時ばかりは「オラにもその能力が・・・」と思い込んでしまったほどだった。
ただし、初めてその物件へアクセスするときは少々面倒臭かった。
自動車道からあまりにも近いので、自動車道からは見えるが一端一般道路に下りてしまうと、どこにあるのか見当がつきにくくなってしまうのだ。
一年前の梅雨の真っ只中にここへは初めて訪問を果たしたが、バイクを停められるような場所が分らず、しかたなく近くの霊園の駐車場へ停めた記憶がある。
今回も天気は最悪。しかし天候に恵まれず遊びに出かける当てがない場合、やることと言ったら「探索」しかないでしょう?(んなこたーない)
おりしも台風が接近中という中で、今回はバイくではなくケイタロウでの訪問。
記憶どおりに近くの霊園に車を停め、傘を差して現場へ向かう。
最近廃墟の取り壊しの話をよく聞いているので、いまでもあるのかどうか自信が無かったが、ここはしっかりと残されていた。
売り物件として看板は出されているが、不法投棄の巣窟と化している。
突入はいたって簡単。
後ろを車が通る時は、メモをとっているフリをしながら敷地内に入って撮影を開始した。