2005年 12月4日
第二回 合法探索
NK探索本番
NK正門前に到着した。時間は朝の8時。
途中の高速道路で2台のキャラバンバスを追い越したが、どうやらそれがロケ隊の本隊らしく中には今回収録するドラマに出演するタレントも乗っていたらしい。そのロケバスが自分の横を通り抜けて門の中へ入っていった。
自分はそれとは別に6時には現場入りしていたMさんに迎えに来てもらい、警備員に事情を話し入場する。
ロケは何処で行われるのかなどの簡単な説明をMさんから聞き、早速撮影を開始した。
この日の天気予報は夕方から雨という物だった。現時点でもすでに空は曇っており、気温もかなり下がっている。雨の中の探索は気も滅入るし足場が悪くなると言う危険も伴う。今回の探索はTavito単独で行う。K氏は仕事の都合で来られなかったのである。
前回の探索時のままで荷物は仕舞っておいたので、行動開始は早い。9時前にはクルマを邪魔にならないような場所に移動させ、撮影機材を抱えて作戦行動を開始した。
今日は日曜日。やはり撮影中に騒音が入ることを嫌ってこの日を選んだのだろう。工場側としては、管理会社が休みの日には工場内部に外部の人間を入れることに当初は難色を示していた。しかし制作会社とCの懸命な説得により、相手の理解が得られたらしくこの日の収録が叶ったわけだ。
自分自身もこの日が丁度休みだったので、会社に有給の申請する必要もなくこれにかんしては非常に助けられた。
前回と違って今回は時間の制約が無い。ドラマ収録も日没まで行われるという話を聞いた。つまりはかれらが撤収するまで自分も場内で行動をとることが出来るわけだ。だが、夕方から雨という事では満足な画像を得ることは難しい。あかるい今のうちに出来るだけ広範囲に渡り且つ緻密なフレーミンングをする必要があると考えた。
とにもかくにも、今回はよけいな事に気をとらわれず、一枚でも多くの写真を残すことに専念した。
さっそくだが、本日のNK探索にて撮影した画像をスライドショーでご覧頂こうと思う。
但し、画像数は600枚を軽く越えている。自分自身この枚数を食事抜きで一気に撮りきってしまった、今振り返ると無茶をしたもんだと思うが終盤の屋外での撮影辺りで雨が本降りになり、その時点で終了・撤収となった。だが、ハイペースで探索を行ったのですでに回りきれるところは全て回ってしまっていたので、撮り損ねたという箇所は全く無く、自分自身は今回の探索は大成功だったと思っている。
今回この工場にて収録されたドラマとは、これである。
直ぐ横でリハーサル
目の前で主演の米倉涼子や佐藤浩市がリハーサルをしていたが、当然本人達に近づく事は勿論写真撮影も厳禁となっている。
自分は芸能人にはさしたる興味がなく、ドラマ自体も興味すら抱かないので、そういうミーハーチックな行動に走ることは全く無かった。
そんなことよりは、奥久慈の山から次々と下りてくる雨雲の動きの方がよほど気になっていたからだ。
まぁ、かれらの休憩時間とかに自分もその輪に知らないうちに混じって、それとなくサインや2ショットの写真をねだるという事も出来ない訳ではなかった。
だが、それも今回は昼飯抜き(弁当買い忘れ)トイレ休憩以外はノンストップで撮影に没頭していたので、自分の存在すらも気付く人間は殆ど居なかったと思う。それはそれでよかったのかもしれない。
探索終了後は本降りになってきた雨の中、2回目の出陣となったデジカメDimageA200を動画撮影モードに切り替え、録画しながら場内を一周。そしてクルマの中で休憩していたMさんに挨拶をし、一人工場を後にした。時刻にして午後2時半、朝の9時から5時間に渡って休み無く探索活動を行った計算になる。
連続行動時間・移動距離数・撮影画像数その全てが記録尽くめの探索となり、自分自身非常に満足した気分に浸りながら、帰路に着くことが出来た。
唯一の心残り
ただひとつ、不満が無いわけではなかった。
それは、解体事業が始まる前にここに来たかったという事だけだ。収録された膨大な画像をご覧いただければ分かると思うが、11万坪の広大な敷地のその殆どが中心部を覗いてみな、更地になってしまっていた。かつて、ここが閉鎖された直後は敷地の中全てにプラントがあり、倉庫があり無数のそれこそション便ちびりそうなくらいの被写体で犇いていたはずだ。しかしそれもとき既に遅し、これ以上の解体を進めないで貰いたいという勝手な思いだけが残った。
2005年 11月7日
第一回 合法探索
NKへの道は遠い
「アナタのレポートを見て、関東最大級の廃工場に興味を持った。よかったら情報の提供をしてもらえないか」
というコメントがその記事に寄せられたのである。
そのコメント送信元の名前を見て、自分は思い当たるところがあった。
『ロケーションコーディネーター以下C』少し前に、栗原亨氏のホームページにていまや取り壊され跡形もなくなってしまった「豊和製紙 高崎工場」にて廃墟探索史上初の合法探索ツアーなるものがCと栗原氏の主宰で開催されたという話を知っていたからである。
そういう考え方もあるのか・・・・・自分はなんとなくそう思っていた。だが、じぶんが見つけるような物件はどちらかといえばこれまで割合小粒な物ばかりが多く、それ以外の大型物件は全て知れ渡っている有名廃墟ばかりだったので、個人的に楽しむか調査団の探索活動の一環として突入するかどちらかで赴いていただけだった。合法で入ろうと考えたのは、萌える工場達のブログを見たときが始めてであった。
そこへその思いに追い討ちを掛けるように送られてきたCからの情報提供要望メール。自分はさっそくメールを送ってきたC代表のMさんに返信した。メールの具体的内容は私信の公開に繋がるので、ここでは割愛するが結果的には幾つかの要望と併せて所在地を教え、その後の使用許諾までの交渉の窓口はMさんが受け持つこととなった。
後は、動きがあるまでこちらは待つだけである。
数日してMさんからメールを受信。Mさんは実際にNKに赴き撮影のロケに使いたいので下見をさせて欲しいという事をガードマンに話したところ、以下のような情報を得たという事だった。
相手はそういうテレビ業界の人間を相手に、内部を開放したという前例があるのだから。交渉はトントン拍子に進んでいくとここまでは思っていた。
ところが、その先へなかなか話が進まなかったのである。最大の原因は自分の仕事の都合とCが伝えてくる日程が合わなかったという事。一番最初にMさんが持ちかけてきたのは、クルマ雑誌撮影の立会いの仕事だった。しかし残念ながらこちらの休日が合わず参加は見送り。その上先方のスケジュールの折り合いも付かず、結局Mさんの必死の営業活動にもかかわらず、NKへのファーストコンタクトはお流れとなってしまった。7月末の時点である。
その後NKに関する動きは8月に一時期使用許諾申請の寸前までいったものの、パッタリと音沙汰が無くなり8月9月10月と月日は流れていった。
時間の経過と共に、合法探索の希望は薄れ、それと入れ替わるように「やはり隠密で突入するしかないのか」という思いがフツフツと沸き始めていた。そんな思いを抱きながら、季節は夏から秋、そして冬へと移っていったのである。毎日の仕事に忙殺され、勿来の化学工場に向かう際も、今までと同じように遠くから眺めてはため息をつくだけとなった。
突然の電話
一日の仕事を終え、日も傾きかけた環状七号線を千葉方面へ向かう途中、ダッシュボードに乗せてある携帯電話が突然鳴り出した。
「なんだ?また姫路に行けってか?」電話に出るまではそう思っていた。イヤホンを耳にはめスウィッチを押すと、聞きなれない声が聞こえてきたのである。
「もしもし、Tavitoさんですか?CのMと言いますけど」
なんとMさんから直接電話が掛かってきたのである。勿論声を聞くのは初めてだったが、明らかに自分よりも年上を思わせる落ち着いた話し方だった。
「来月の7日なんですけど、NKでロケハンすることが決まったんですが、行きますか?」
「おお!いきなり来ましたか!・・・・ええと・・・なんとか会社に口実作って休みますから行きます行きます!」
話は突然決まった。集合時間と場所を打ち合わせし、電話を切ると、自分はロバート調査団首領kerberos氏に連絡をした。彼も仕事中故に携帯電話は留守電になっていてその場で用件を伝えることは出来なかったが、要件だけを吹き込み電話を切った。
はやる気持ちを抑えつつ会社に戻り、その足で配車係の人に有給の届け出を済ませとっとと自宅に戻った。
いざ探索が始まるとなったら、その準備があるからだ。ロケハンはもう無いかもしれないと半ば諦めていたので、バッテリー一つも充電させていなかった。
突入の際い持っていく物も仕舞ってあるのでそれも準備しなければいけない。実行の日まではまだ数日残されている。今すべてを揃える必要は無かったのだが、仕事しながらでは先延ばしになって前日になってから慌てて準備するという羽目に陥りかねない。
出来るときにやっておこう、それは時間を追って上がる一方のテンションを押さえる意味も有るのだから。
その晩、現場から上がったkerberos氏から電話が掛かってきた。返事は「行ける」というものだった。
役者は揃った。あとはその時が来るのを待つだけだ。
NK初突入
以下当日のブログから。一部コンテンツ用に追加変更した箇所有り。
2005年11月 7日 (月)茨城北部超巨大廃工場合法探索 1ついに待ちに待ったこの日が来た。 しかし、その想像以上で超ド級の敷地面積の余りの広大さ(11万坪)に圧倒秒殺され、何処から手をつけてよいか、何を今すべきかという事を頭の中で考える間もなく、あれこれファイダーを覗きながらフレーミングをしている間に時間切れとなってしまった。 その僅かな時間の間に撮影した画像数は170枚ほど。 これが限界、しかも早足で歩きながら他のスタッフとあまりはぐれてしまわないようにしながらの撮影なので、施設の中まで入ることが出来ず、引きのアングルでしか撮影が出来なかった。 そして、工場の担当者の方がおっしゃるには「今日回った場所ですが、全体の三分の一くらいですかね」との事。これにも思わず仰け反った。 一方、制作スタッフの方の反応はというと、予想以上に好感触だったようだ。若いスタッフなんかは歩きながら「すげぇ・・・こんなのみた事無い」「こりゃぁいいね、○×チャン使えるよ」と驚愕の色を隠せない言葉が思わず口に出ていたのを自分は後ろから観察していた。 「これだったら、いけるな・・・・・」 夏を挟んで、本格的に廃墟探索を再開するにあたっての開幕戦がいきなりの好カードになってしまったわけだ。 この衝撃は、東京プライウッド、足尾銅山、神岡鉱山に匹敵、いやそれ以上のものがあったと思う。しかもそれがほんの序章にすぎないというからまたそれが尋常ではない。 この工場には、今後も予定が入り次第、ロケを行い自分もそれに随行させてもらえると言う許可を頂いた。 合法的に、しかも数回に渡ってここに堂々と入れるという特権、廃墟探索と言う軽はずみには人に言えない趣味を始めてから3~4年程しかたっていないが、こんなにも早い時期にこういう展開になるとは思っても見なかった。 そして、この素晴らしい機会を下さったCのMさん、並びにこの工場の管理に当たられている関係各位の皆さんに深く感謝申し上げます。 投稿日 2005年11月 7日 (月) まち歩き | リンク用URL | コメント (0) | トラックバック (0) |
2005年 11月7日
第一回 合法探索
コメント・3つの摩天楼
20トン40フィートのコンテナトレーラに乗って、自分は週に一度の割合で勿来の超巨大現役化学工場に納品をしている。
その際に通る国道6号線を走行中、高萩の街中に差し掛かった辺りで沿道右手に並ぶ団地が目に入った。
「なにか様子がおかしい・・・・」その建物は完全に生気を失っており、バルコニーは朽ち落ち、窓ガラスはあちこちで割られている。駐車場にはゴミが散乱し、雑草が繁茂している。廃団地を発見の瞬間だった。外観の印象は記念すべき廃墟物件1の公務員住宅に近く、規模は小さいながらも異様な雰囲気に包まれていた。「いずれ突入してみるか」そう思いながら、暫くはその団地の事ばかりを気にしていた。
しかし、ある日同じ場所を走っている時今度はその反対側、つまり常磐線の向こう側に目をやった時何とも言いようのない「気」を感じたのである。
高萩の町全体を見下ろすが如くに聳え立つ3本の巨大煙突正にスカイスクレイパーである。その下に立つ途方も無い大きさの建屋の数々。パッと見は普通の大きな工場があるという風景でしかなかった。
前方を気にしながら工場の方を何度となく見る。
「なんか廃墟っぽい雰囲気だけど、建物も綺麗だし現役っぽい気もするなぁ。しかしいつ通っても煙突から煙が出ていないよな。構内にトラックの姿も無いし」
先ほどの団地と同様に、この工場にも生気を感じられないのだ。だが、国道からは数百メートル離れた場所に工場はある為に、そこが現役なのか閉鎖しているのかを確かめる事はこれまで出来なかった。ましてや、40フィートのトレーラーを知らない街中に乗り入れる等という冒険は絶対にしたくなかったので、通り過ぎながら何となく気にしていた程度でしか、その存在を確かめられなかった。
未既出の巨大工場
ある日仕事を終え自宅に戻り、パソの前に座りいつものように掲示板の巡回や、ブログのUPなどを行っていた時、ふとあの工場の事を思い出した。
「いけね、あの工場の事調べなければいけないんだっけか」
毎日の仕事と日常生活に忙殺されて、あの巨大工場の事をすっかり忘れかけていた。
当該物件が現役か、廃墟かを調べるに一番手っ取り早い方法は、物件名から検索しネットにその物件に関する情報を収集すれば済む。
しかし今回はまだその工場の名前を知らない。こうなると、まずはネット地図から絞り込んでいくのが正しいプロセスだ。
この方法、小さな物件だと地図に名前が載っていない場合があるので必ずしもヒットするとは限らない。だが、今回の物件は遠くから見ただけでも途方も無い大きさが有りそうな工場である、地図のサイトに入ってから間もなくその工場の名前を確認することが出来た。
「で・・・・・でけぇ・・・・」思わず自分はモニターの前でうめいてしまった。
当該物件の名称はNK製紙 高萩工場(以下NK)といい、地図で見ただけでも分かるほどに巨大な工場だった。その規模はかつて千葉廃墟の盟主だった「東京プライウッド」を軽々と凌駕し、足尾銅山をも越えるように思えた。
名前が分かれば後はそれを元にあらゆるサイトから情報を収集するまでだ。そして、ここが廃工場であるという事が判明するまでにはそう時間は掛からなかったのである。
ここで、この工場がまぎれも無い廃工場である事を裏付けたサイトを幾つかご紹介しようと思う。
萌える工場達 | 一番最初にこの工場の素性を知ったブログ。 この工場がドラマのロケで使われたという事に合法探索が行われている事も知った。 |
ほっとメール@ひたち | 公明党茨城県議会議員の井手よしひろ氏のブログから。 |
井出よしひろの県政情報 | 平成15年3月県議会一般質問から。 |
日本加工製紙自己破産 | 同井出氏のHPから。 |
高萩民放 | 日本共産党高萩市議会議員 平正三氏のホームページから。 |
民主党衆議院議員 大畠 章宏氏のホームページから |
いざ高萩へ
ここの工場が閉鎖されたという事は分かった。
それにまつわる従業員の皆さんの事についてはここではあえて触れない事にする。雇用問題を取り上げるのはサイトの主旨とは違うというのが最大の理由だからだ。
で、次なるステップはこの工場に先人達は突入しているのかどうかという事を調べることだ。
ところが・・・・自分が普段出入りしている数多くの廃墟サイトのどこにも、この工場に突入してレポートをUPしている先人は居なかったのである。
あれだけ大きな工場で、あれだけ設備が残っていて、だれも入っていない?その謎は実際に現場へ足を運んだ時に解けた。
以下、ブログ新徒話から引用。
先日の勿来への仕事途中で見つけたT市の巨大工場が、果たして廃工場なのか?という話があった。
その後、早くもその実態を確認する事が出来たのである。
某所の工場萌えブログにて、当該工場内部が撮影されていて、それに関するレポートが公開されていたのである。
まず結論から言うと、当該工場は紛れも無い「廃工場」である。3年程前に操業を終了し、保安要員以外の全職員を解雇。
当初T市のハローワークは、解雇された社員達で一時騒然となったそうだ。
ブログで公開されている写真の中には、高い所に登って俯瞰で撮影されたものもあり、かなり自由に場内を動き回っている事が見て取れる、しかしこのいずれの画像も全て「合法許可」の元で行われたという事が分かった。
当日ブログの管理人の知り合いである脚本家が、管理人に「T市の工場で、ドラマの撮影があるのだけど行く?」との誘いを受け現地入りしたものである。
廃工場であることが分かった以上、じっとしている訳には行かない。ということで、さっそく先週の土曜日に現地に赴いたのである。
運転は無理にお誘いしてしまったお馴染みロバート調査団のリーダーkerberos氏にお願いした。
昼過ぎに出発し、夕方4時ごろに到着。
そして、実際に工場を目の当たりにしたときの感想は・・・・・・。
で・・・・でか過ぎ(大汗
とにかく、これまで色々な大型物件を見てきたが、その規模は『東京プライウッド」や「神岡鉱山栃洞鉱」はてまた「足尾銅山本山精錬所」などは足元にも及ばない、途方も無い巨大さで我々の眼前に佇んでいた。工場のシンボルとともに町のランドマークともなっている3本の巨大煙突。
市原あたりにの化学工場と充分渡り合えるような高さである。
「あの煙突に登って工場全景を撮影できたら、神だな」
そう思ってしまった。
鉄道の引込み線もある、その先にはディーゼルカーも居る、線路の先の建物の高さはマンション5~6階建てに匹敵する。
塀の隙間から中をのぞいてみたが、中央部の通路の長さはざっと見ても300~400メートル近くはある。
場内に信号機まである事も発見した。
但しこれでオールウェルカムになっているのであったら、とっくにあちこちのサイトで紹介されているに違いない。
しかし出入り口は一箇所しかないらしく、バリケードがされている、そして守衛所の中には明かりが点り、テレビを見ているガードマンの姿も見えた。
とりあえず工場の周囲をグルリと周り、一回目のロケハンは日没とともに終了した。相棒のkerberos氏は「こりゃ入れないな」とすっかり諦めている。
だがオレは充分に抜け穴があると踏んでいる。侵入口や退路、緊急時に身を隠す場所も十二分にある。
今後十二分に作戦を練る必要があると見た。
とにもかくにも久々の新規超巨大物件発掘に胸躍る自分を抑えるので精一杯なのが現状だ。
投稿日 2005年6月21日 (火) まち歩き | リンク用URL | コメント (2) | トラックバック (0)
迷いと新展開
実際NKに足を運び、その圧倒的なスケールの前に言葉を失った日から、数日が経ったその日もテンションは下がることは無く、まるで探検に出かける前のドキドキワクワク感がいつまでも続き、仕事に支障が出るのではないかと思うほどに浮かれていた。
だが、冷静になって考えてみれば、あのNKがこれまでにどこの廃墟サイトも取り上げなかったという理由は良く分かっている。
街中にあるという立地条件、24時間体制で巡回するガードマン。廃墟へ突入する時にもっとも大きな障壁となるのは、周辺住民の目と警備員の存在だ。
夜討ち朝駆けという事も出来ないことは無い、暗くなってから突破口から突入し、巡回する警備員をかわしながら広大な敷地の中を忍者のようにかけ回り、撮影を続け、日の出と共に脱出する。そういう方法も考えた。だが、閉鎖された工場は夜ともなれば明かり一つなくなるはずである。そして、ストロボを焚いて撮影した画像というのはどれもこれも同じような写り方となり、味気ない出来栄えとなってしまう。しかも、警備員にストロボの光を見せないようにするという難しい技術も求められる。漆黒の廃墟の中を移動しながら且つ、物音を立てないようにするというのは非常に難しい。足場が良いという保証は無い。
以上の事を考えると夜間隠密活動のリスクは如何に高いかが分かる。そこまでして撮影しようかとは正直なかなか踏み切れない。
この時点では、萌える工場達の管理人wami氏と仲良くなって、NKでロケがある時には誘ってもらえるように親交を深めようと考えていた。
NKが合法で過去に何度もロケーションの舞台として使われていたという事実を知ってしまった限り、その可能性に掛ける方がずっとリスクは低く出来るし、現実的だ。ただ、最大の難点は自分単独の判断で突入することは出来ないという事だ。こればかりは我慢して機が熟すのを待つしかなかった。
あてのない誘いを気を長くして待つという事は、廃墟探索家Tavitoにとっては半ば「諦めれ」と宣告されているようなものだった。
だから、日にちが経つにつれてNKに対する憧憬の念は強くなる一方、諦めと次なる廃墟の発掘に気持ちは傾いていった。
そこに、これまでの膠着した状況を根底から覆すインパクトを与えてくれたメールが自分の元に送られてきたのである。
2005年 6月4日
コメント・この物件を探索するにあたっては今までの中で一番緊張したかもしれない。
何故なら、この団地は某巨大掲示板では「B地区」と言われ、外部の人間が遊び半分で行ったりすると酷い目に遭うという噂が流れていたからだ。
もちろんあの某巨大掲示板で流れている噂である、その信憑性が如何ほどの物かは推して知るべしで、自分自身もあまりその事に関しては考えないようにしていた。
だが、以前ここの団地に実際に行ったことがある人の話を聞く限りでは、あたり一帯の雰囲気は明らかに異様で、来る者を拒む空気がありありと感じられたのだという。気になるのはそこに生活している「原住民」との接触についてだった。
中には取り囲まれたり、いらぬ因縁をつけられたりしたというが、よくよく考えたらそういう事をされるような事を明らかにしていたから「インネン」を付けられたのだろうと思う。集団で押し寄せたり、大騒ぎしたりすればそんなのはここの団地に限ってではない、誰でもK察に通報したり、注意をしたりするに決まっている。
ただ、これまでのただ単なる廃墟とは違うのは、廃墟もあるがそれと同じ場所に現在でも人が住んでいる家があるという事だ。
朽ち果てた家を撮影するのが今回の自分の目的なのだが、捉え方によっては「人様の住んでいる家を勝手に撮影する」という解釈もなりたつ。
だが、実際に人が住んでいる民家に寄生している「トマソン」を記録するために勝手にカメラを向けて撮影したことも何度もあるし、そういった物を公開しているウェブサイトは星の数ほどある。しかし廃墟と違って敷地内や建物内に勝手に侵入することはないので違法性がない。よって廃墟サイトのような問題視はされてこなかった。
今回のMN団地も、その趣旨は「廃墟の撮影」であるのだが、一方では「路上観察」の意味もある。
入ろうと思えば入れる棟もあったが、すぐ隣の部屋で人が住んでいるとあれば間違っても突入することは出来ない・・・というか、しないだろそんなことまでして。
この探索を終えた直後、自分はどんな反応が返ってくるか確かめたかったので、某掲示板に撮影してきた画像をリンクして公開してみた。
その結果はほぼ全員に近い板の住民の方が「おっかなくてとても行けない場所だったのに、よく行ったなGJ!」とレスを付けたり、
「この団地の近所に2つばかり同じような団地があるから、行って見て来て欲しい」という要望をくれたりと様様であった。
しかし、極々一部の住民からは
「人の住んでいる建物を勝手に撮影して公開するなんて、不愉快だし非常識だ」
と批判してくるのも居た(実際は一人だけだというのが後から判明したのだが)
ただ、オレ流のヘリクツを述べさせてもらうならば、こうなる。
「では、トマソンのサイトも近代建築のサイトも、街中での街頭インタビューでカメラに写ってしまった住宅街や民家もすべて非常識な製作者によるもの」と解釈していいのかな?
カメラに写りこんでしまった住宅街や民家の一つ一つに
「カメラに写り込んでしまったのですが放送してよろしいでしょうか?」
っていちいちスタッフが周辺住民に断りを入れに行くのか?
「路上から写真を撮るだけで非常識を歌うのなら、さまざまな不動産建築の広告なので見受けられる写真も非常識で不愉快な要素の元になってしまうとは思わないのか?」とごねてみる。
でもって、その抗議をした人間はこう結んでいる。
>オレは見たいという物があったら自分の足で見に行ってくるね
結局オマエもキワモノ見たさの好奇心があるんじゃねぇの。
クレームを付けて来た香具師はただ単なる精神論に終始していたので、それ以降は関わらないようにしたが。
いろいろな反響があって、それなりに面白かったと思う。
板の中で一部都市伝説化しかかったこの団地の実情を公開したことによって、こんな反応もあった。
「行こうと思ってましたが、画像を見てみて十分満足しましたので、行かなくて済みそうです」
今回の画像公開に関して、自分は特に思い込みや偏見に拠る主観的なコメントはしないつもりだ。
あくまでも見たまんまを解説する程度にしておこうとおもう。
実際にご覧いただけると、その状況に驚くと思うが、ここはれっきとした現役の集合住宅地である。
でも、見るからに廃墟そのものだ。ここはれっきとした市営住宅なのだが市営とか県営とかの住宅というのは補修管理というのは基本的に行わないのか?
その辺の所に関しては全く明るくないのでこれに関してもコメントはしないようにしよう・・・・。
とりあえずおかしな偏見や先入観無しにこの画像を見れば、熟成度合いがかなり高い民家の廃屋集団という位置付けも出来るかもしれない。
勿論現役民家を除いてだ。
2005年 6月19日
コメント・ロバート調査団の活動が活発になってきている。
少し前に泊りがけで神岡鉱山に行ったばかりだと言うのに、今回はそこからさほど時間を空けずにその筋の人たちの間では非常に有名な秩父鉱山へ探索をしに行こうという話が持ち上がった。
季節は梅雨真っ只中、訪問当日の直前まで天気がどうなるか全く予断を許さない状況だったが、
現地に到着したときはなんとか薄曇でもってくれそうであった。
先日の神岡での2日目が悲惨な天気だっただけに雨具の用意はしておいたが、撮影するときにはかなりの支障をきたすし、
なるべくなら使いたくなかったのでこれはついていると言えた。
朝の6時にkerberos氏が迎えに現れ、立ち話をするまもなく出発。
相当に眠い、実は前日に茨城県北部の町にある「関東圏最大級の廃工場」へ下見をしに行き、
帰ってきたのが深夜だったために2人ともかなり睡眠不足だったのだ。
本日の秩父鉱山探索の予定はかなり前からあったにもかかわらず、
ふとした自分の思いつきで昼過ぎからそこへ言ってみようと自分が言い出し、
たまたま休日だったkerberos氏を引っ張り出してつき合わせてしまった。
行き先が埼玉県とは言え、ちょっとやそっとで行ける場所ではない、そんな自分は車に乗ってしばらくたったあたりで
「眠くなってきたら、起こして頂戴よ、したら運転代わるから」などと抜かして、寝てしまった。いやぁ・・・助手席マジックってやつですね。
その後、花園ICから降りて国道をしばらく走ること1時間少々で秩父の町に入った。
夏は暑く、冬は猛烈に冷え込む典型的な盆地の町だけあって、車で通過しているだけなのに車窓から入ってくる風は熱風そのものだった。
その熱気から逃れるように、町を脱出し山の中へ入ってゆく。
kerberos氏の車にはカーナビという文明の利器がついているので、あらかじめ出発前に目的地を登録しておき、その後は案内されるがままに移動すればよいだけなので、こちらとしては非常にラクチンではある。
だが、前回の探索時には全幅の信頼を寄せていたカーナビが暴走し、ルートをミス。
結局200キロ近い回り道をするという事件があった直後の探索だけに、多少の不安がない訳ではなかった。
でもっていやな予感というのは得てして的中するものである。
しばらくは順調な移動だったので、またまた自分は別世界に出かけてしまっていたのだが、ひざをポンポンと叩かれ起こされ言われた言葉はこれだった。
「おいちゃん、道が無いよ」
すわ!!!またもカーナビの暴走か?
と思ったのだが今回はどうも違うようだった。実際に案内どおりに移動しそれにK氏は忠実にハンドルをさばいて来たはずである。
しかしナビモニターと実際の周りの風景とを比べると明らかに違っているのが分かった。
ウロウロと走っているうちにその原因は判明した。
ひとつは巨大ダム工事の関係で道路が大きく作り直されたという事、もうひとつはナビのデータがそれに対応していない少々古めのものだったという事だ。
都心や市街地、観光地などの需要が多い場所での道路変更なら、ユーザーからのフィードバックが頻繁にあるだろうから、
更新もまめに行われるのだろう。しかし秩父のこんな山奥の道路が作り直されたからといっても、
そうそうは地図メーカーにとって重要な情報では無いのかも知れない。(まぁナビをもっていない自分の勝手な解釈だが)
どうにかこうにか秩父の山中を徘徊しながらも目的地へのルートを自力で発見、モニターの中では森林の中を突き進むK氏の車が映し出されているが実際はダム工事で新しいバイパスが完成し、ナビの中で案内されている道路は現在はダム工事関係車両のみの専用道路となり、進入すら出来ないようになっていた。
まだまだ横道にそれているが、実はこの先にある2本の関東有数のロングダートへは、オフ車(バイク)で何度ととなく通ってきていたので、勝手知ったる場所であった。
だから自分自身が一番分かっていなければならなかったのだが、その後しばらく足が遠のいていて、今回の訪問は数年ぶりの秩父だった。
巨大ダムを建設しているのは知っていたが、今回あまりの道路の変貌振りに言葉を失うものがあった。
関東山地のなかでもかなり急峻な山が集中しているこのエリア、バイパスが通るまでは本当に厳しい山道しかなかった、だがダムひとつでこんなにも変わるものかとつくづく公共工事の影響力の大きさを感じずにはいられなかった。
さて、そうこう思い出にひたっているうちに、目的の鉱山への入り口に到着した。
今回の秩父鉱山は半分が現役稼動しているので、扱いとしては足尾銅山と同じ感じだと思われるので、今日が日曜日とはいっても休日出勤の職員の出入りがあるかもしれない。
もし遭遇した場合の対処の仕方を2人で確認した後、車を邪魔にならない場所に停め、いよいよ探索開始だ。
しかし・・・・蒸し暑い・・・。山奥まできたというのにむせるような湿気とまとわりつくような風にはほとほと参ってしまった。
2005年 4月10日
コメント・超有名物件である。
今回は廃墟探索の為の休日ではなく、これまでに数え切れない程の回数訪れてきた「Z1で奥多摩ツーリング」というのが主たる目的で来たのだ。
よって、今物件の奥多摩索道の探索はあくまでもツーリングの余興としての位置付けで突入した。
しかし、予想以上に内部の雰囲気は抜群で、駅の下を通る国道の喧騒とは全く隔絶された非常に趣のある、そこだけまさに時間が止まっているかのような錯覚にとらわれるような感覚に襲われた。
規模もこじんまりとしていて、「ついで」の探索としてなら丁度いい。有象無象のバイク乗りがやってくる奥多摩という地方にありながら、ドキュソ爆弾を投下されているような形跡も殆どない。清潔感もあり、廃墟独特の陰鬱としたかび臭さを感じることはなかった。
大規模工場鉱山や、怪しさ事件性都市伝説の巣窟のような民家廃屋が自分の好みとする所だが、こういうドライな廃墟というのもたまにはいいものだと思った。次回は対岸の「三頭駅」に行って見ようと考えているが、季節はもう春。次に来るときには更に季節が進んでいるだろうから、樹木や雑草が生い茂っていて満足に撮影することは不可能だろう。晩秋~真冬が絶好の撮影適切季節だろう。事実、芝公園公太郎さんの「廃墟デフレスパイラル」の同じ物件を見ると真冬に取材されているが、雰囲気といい光量といい、まさにくろうと裸足の画像ばかりである。得てして閉塞的で退廃的な廃墟の写真をあれほどまでに開放的で牧歌的に仕上げているのは、公太郎さんの腕は言うに及ばずだが、取材する季節をきちんと選んだというのも大きな要因になったと思う。
しかも、今回の撮影機材はカメラ付き携帯だけである。今回はそれで十分だと判断したからだ。
仕上がりをみるとどうしても暗部での粒子の粗さが目に付くが、画素数ではクールピクスを上回っているだけに、明るいところでの画像はデジカメとさして遜色ないというのが驚きだ。
でも!、銀塩のあの奥行き感はデジカメではまだまだだねぇ。
でも次回訪問時もクールピクスだけで突入することになると思う。
2007年 5月4日
コメント・2005年の7月に下見をして以来の再訪問となる。
今回は、大型連休を利用しての廃墟探索ローラー作戦の一環として、この物件を組み入れた。
取り壊しリニューアルの情報が絶えない中、2年間のブランクを経ての再訪問が達成できた物件は、稀といっていい。
自分が今回凸した時は、連休最中の日中であったので、てっきり無人かと思いきや、普通に乗馬クラブは営業していた。
だが、広大な敷地を移動するに当たっては、関係者の姿はほとんど見当たらず、堂々とカメラを首から下げて場内を歩いて目的の煉瓦窯まで向かうのに、神経を使う事は殆ど無かった。
れっきとした、文化財に指定されているホフレン煉瓦窯。今現在も補強工事は行われているとは思うが、綺麗になる前の現役当時の姿で見るのは恐らく今回の探索が最後かもしれない。
2005年 7月22日
コメント・これまでにも散々廃墟情報でお世話になりっぱなしのトム(旧名M氏)から頂いたネタの中で、彼が特にオススメしているのが「シモレン」だった。
とにかく二言目には「シモレンいきなヨ」「シモレンイーヨー♪」と念仏のように流し込まれ、いずれは行かねばとは思っていた。
で、この日休日を利用してその場所へ行ってみることにしたのだ。
場所の特定はとても簡単である。
なにせ廃墟ではなく立派な産業遺跡として今でも一般公開されているのだ。
シモレンあるいは、ロイヤルホースライディングクラブで検索をすれば、案内地図を見ることが出来る。そのうえWEBマップにもシモレンという名前が残っているから、これで見つからないのでは、廃墟レーダーが故障しているか、もとから無いと言われても文句は言えまい。
国道4号線から別れて県道を走る事10数分で、目的地に到着したのだが予想通り周囲の風景から完全に浮いていた。
さて、画像をご覧頂く前に結果から申し上げますてぇと、今回は施設内部への突入は断念した。
突入前に周辺にいた住民とおぼしき方々にお話を伺った所、一般公開はしているが平日限定なのだという。事務所に人が居る時に一言声をかけてもらえれば自由に敷地内を歩き回ってもよいという事なのだそうだ。
つまりは平日の日中に、合法探索が出来るという情報を入手した訳だ。
という事で今回は本番前の下見という事で次なる物件に移動したのである。
2005年 6月25日
コメント・仕事中に発見した。
一日を通して沢山の車が行き交う大幹線道路の沿いに、まるでその存在を隠すかのように、廃リサイクルセンターは佇んでいた。
建物の外観の程度からして、最初は「こ汚い現役の工場」としか認識していなかったのだが、毎日のようにそこを通過するたびに、窓ガラスが割れているのを見つけたり、
正門周辺の雑草が全く刈り取られていなかったりと、あきらかに現役稼動中の工場ではありえない、様子がだんだんと目に付くようになってきたのである。
「まちがいねぇ・・・こりゃ廃墟だな」トレーラーのハンドルを握りながらそう確信した自分は、まず建屋の壁面にデカデカとかかれている会社の名前を頼りにネットで検索をかけてみた。
結果は「全く別の同名業者」がヒットするだけで、全く手がかりなし。
データベースにも掲載されていないところを見ると、ただ単なる倒産とかではなく、操業すること自体をとめられた可能性がある、つまりは認可を取り消された可能性もあると考えた。
「ますますアヤシイですね」
実はこの国道沿いの更に南下した越谷に、かなり前から一見して「廃」と分かる工場を、これまたトレーラーに乗りながら発見していて、いずれ突入してやろうと思い休日を調整していたのである。
そこへもって、この栗橋の廃工場の発見、にわかに計画は動き出す運びとなったのである。
そして、この日午後からのスターととなってしまったのと、移動ルートの関係で越谷の工場を先に回ってしまった為に、日没間際の突入となってしまった。
しかし内部の様子は外からは全く想像できないほどに、荒れ果てていたのである。
遺物は沢山ある、しかしその殆どは処理し切れなくて放置してあるドラム缶ばかり。
しかもその中身が反応してか腐食してか知らないが、破裂寸前までパンパンに膨れ上がっているのも多数見受けられてかなりヤヴァイ状況になっている。
それに加えての「異臭」とにかくごみを集めて加熱処理やらなんたらをして固形燃料にするような工場だ、分かっていても臭くてたまらん。
これから気温が上がってくる夏場は、相当の覚悟をして入らないと、そのあまりの臭さに探索心もなえてしまうことだろう。
敷地内部への突入はいたって簡単で、人目を避けたければ、国道側から入ったほうがいい。
今の季節は国道と歩道を隔てる植え込みがジャングルのように成長してしまい、車道側からはまったく人が居るかどうかを見ることは出来ないからだ。
加えて、歩道そのものも「廃道」と化していて、人が歩いてくることもない。
どうしても車の行き来が気になるのなら、近くに遊水地から放流されている川がある、その土手沿いの道路からオーバーフェンスそれば、突入は可能だ。
しかし土手沿いの道は、散歩は釣りをしている人もポツポツと見受けられるので、あまり利口な方法とは思えない。