2005年 11月7日
第一回 合法探索
NKへの道は遠い
「アナタのレポートを見て、関東最大級の廃工場に興味を持った。よかったら情報の提供をしてもらえないか」
というコメントがその記事に寄せられたのである。
そのコメント送信元の名前を見て、自分は思い当たるところがあった。
『ロケーションコーディネーター以下C』少し前に、栗原亨氏のホームページにていまや取り壊され跡形もなくなってしまった「豊和製紙 高崎工場」にて廃墟探索史上初の合法探索ツアーなるものがCと栗原氏の主宰で開催されたという話を知っていたからである。
そういう考え方もあるのか・・・・・自分はなんとなくそう思っていた。だが、じぶんが見つけるような物件はどちらかといえばこれまで割合小粒な物ばかりが多く、それ以外の大型物件は全て知れ渡っている有名廃墟ばかりだったので、個人的に楽しむか調査団の探索活動の一環として突入するかどちらかで赴いていただけだった。合法で入ろうと考えたのは、萌える工場達のブログを見たときが始めてであった。
そこへその思いに追い討ちを掛けるように送られてきたCからの情報提供要望メール。自分はさっそくメールを送ってきたC代表のMさんに返信した。メールの具体的内容は私信の公開に繋がるので、ここでは割愛するが結果的には幾つかの要望と併せて所在地を教え、その後の使用許諾までの交渉の窓口はMさんが受け持つこととなった。
後は、動きがあるまでこちらは待つだけである。
数日してMさんからメールを受信。Mさんは実際にNKに赴き撮影のロケに使いたいので下見をさせて欲しいという事をガードマンに話したところ、以下のような情報を得たという事だった。
- 閉鎖したNKだが現在は高萩市が所有しているという事。
- そしてNKを実際に警備している会社は市の委託を受けて行っているという事。
- よって、外部の人間を敷地内に入れる事の是か非かの判断は高萩市の担当者が決めるので、警備会社にはその裁量権はないという事。
- 過去に実際ここでロケが行われたという事も聞かされたのだそうだ。戦隊モノや館ひろしの刑事モノ(おそらくあぶない刑事だろう)との事。
相手はそういうテレビ業界の人間を相手に、内部を開放したという前例があるのだから。交渉はトントン拍子に進んでいくとここまでは思っていた。
ところが、その先へなかなか話が進まなかったのである。最大の原因は自分の仕事の都合とCが伝えてくる日程が合わなかったという事。一番最初にMさんが持ちかけてきたのは、クルマ雑誌撮影の立会いの仕事だった。しかし残念ながらこちらの休日が合わず参加は見送り。その上先方のスケジュールの折り合いも付かず、結局Mさんの必死の営業活動にもかかわらず、NKへのファーストコンタクトはお流れとなってしまった。7月末の時点である。
その後NKに関する動きは8月に一時期使用許諾申請の寸前までいったものの、パッタリと音沙汰が無くなり8月9月10月と月日は流れていった。
時間の経過と共に、合法探索の希望は薄れ、それと入れ替わるように「やはり隠密で突入するしかないのか」という思いがフツフツと沸き始めていた。そんな思いを抱きながら、季節は夏から秋、そして冬へと移っていったのである。毎日の仕事に忙殺され、勿来の化学工場に向かう際も、今までと同じように遠くから眺めてはため息をつくだけとなった。
突然の電話
一日の仕事を終え、日も傾きかけた環状七号線を千葉方面へ向かう途中、ダッシュボードに乗せてある携帯電話が突然鳴り出した。
「なんだ?また姫路に行けってか?」電話に出るまではそう思っていた。イヤホンを耳にはめスウィッチを押すと、聞きなれない声が聞こえてきたのである。
「もしもし、Tavitoさんですか?CのMと言いますけど」
なんとMさんから直接電話が掛かってきたのである。勿論声を聞くのは初めてだったが、明らかに自分よりも年上を思わせる落ち着いた話し方だった。
「来月の7日なんですけど、NKでロケハンすることが決まったんですが、行きますか?」
「おお!いきなり来ましたか!・・・・ええと・・・なんとか会社に口実作って休みますから行きます行きます!」
話は突然決まった。集合時間と場所を打ち合わせし、電話を切ると、自分はロバート調査団首領kerberos氏に連絡をした。彼も仕事中故に携帯電話は留守電になっていてその場で用件を伝えることは出来なかったが、要件だけを吹き込み電話を切った。
はやる気持ちを抑えつつ会社に戻り、その足で配車係の人に有給の届け出を済ませとっとと自宅に戻った。
いざ探索が始まるとなったら、その準備があるからだ。ロケハンはもう無いかもしれないと半ば諦めていたので、バッテリー一つも充電させていなかった。
突入の際い持っていく物も仕舞ってあるのでそれも準備しなければいけない。実行の日まではまだ数日残されている。今すべてを揃える必要は無かったのだが、仕事しながらでは先延ばしになって前日になってから慌てて準備するという羽目に陥りかねない。
出来るときにやっておこう、それは時間を追って上がる一方のテンションを押さえる意味も有るのだから。
その晩、現場から上がったkerberos氏から電話が掛かってきた。返事は「行ける」というものだった。
役者は揃った。あとはその時が来るのを待つだけだ。
NK初突入
以下当日のブログから。一部コンテンツ用に追加変更した箇所有り。
2005年11月 7日 (月)茨城北部超巨大廃工場合法探索 1ついに待ちに待ったこの日が来た。 しかし、その想像以上で超ド級の敷地面積の余りの広大さ(11万坪)に圧倒秒殺され、何処から手をつけてよいか、何を今すべきかという事を頭の中で考える間もなく、あれこれファイダーを覗きながらフレーミングをしている間に時間切れとなってしまった。 その僅かな時間の間に撮影した画像数は170枚ほど。 これが限界、しかも早足で歩きながら他のスタッフとあまりはぐれてしまわないようにしながらの撮影なので、施設の中まで入ることが出来ず、引きのアングルでしか撮影が出来なかった。 そして、工場の担当者の方がおっしゃるには「今日回った場所ですが、全体の三分の一くらいですかね」との事。これにも思わず仰け反った。 一方、制作スタッフの方の反応はというと、予想以上に好感触だったようだ。若いスタッフなんかは歩きながら「すげぇ・・・こんなのみた事無い」「こりゃぁいいね、○×チャン使えるよ」と驚愕の色を隠せない言葉が思わず口に出ていたのを自分は後ろから観察していた。 「これだったら、いけるな・・・・・」 夏を挟んで、本格的に廃墟探索を再開するにあたっての開幕戦がいきなりの好カードになってしまったわけだ。 この衝撃は、東京プライウッド、足尾銅山、神岡鉱山に匹敵、いやそれ以上のものがあったと思う。しかもそれがほんの序章にすぎないというからまたそれが尋常ではない。 この工場には、今後も予定が入り次第、ロケを行い自分もそれに随行させてもらえると言う許可を頂いた。 合法的に、しかも数回に渡ってここに堂々と入れるという特権、廃墟探索と言う軽はずみには人に言えない趣味を始めてから3~4年程しかたっていないが、こんなにも早い時期にこういう展開になるとは思っても見なかった。 そして、この素晴らしい機会を下さったCのMさん、並びにこの工場の管理に当たられている関係各位の皆さんに深く感謝申し上げます。 投稿日 2005年11月 7日 (月) まち歩き | リンク用URL | コメント (0) | トラックバック (0) |