物件50 茨城県 日本加工製紙 高萩工場 発見と下見 | ボヤジャントの呟き。

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過去に行った廃墟探索、今後行う廃墟探索を振り返りつつ、政治経済の話題、時事問題、雑談や長年の趣味であるバイクやギターなどについて雑談して行くのです。

2005年 11月7日
第一回 合法探索

コメント・3つの摩天楼
20トン40フィートのコンテナトレーラに乗って、自分は週に一度の割合で勿来の超巨大現役化学工場に納品をしている。
その際に通る国道6号線を走行中、高萩の街中に差し掛かった辺りで沿道右手に並ぶ団地が目に入った。
「なにか様子がおかしい・・・・」その建物は完全に生気を失っており、バルコニーは朽ち落ち、窓ガラスはあちこちで割られている。駐車場にはゴミが散乱し、雑草が繁茂している。廃団地を発見の瞬間だった。外観の印象は記念すべき廃墟物件1の公務員住宅に近く、規模は小さいながらも異様な雰囲気に包まれていた。「いずれ突入してみるか」そう思いながら、暫くはその団地の事ばかりを気にしていた。
しかし、ある日同じ場所を走っている時今度はその反対側、つまり常磐線の向こう側に目をやった時何とも言いようのない「気」を感じたのである。
高萩の町全体を見下ろすが如くに聳え立つ3本の巨大煙突正にスカイスクレイパーである。その下に立つ途方も無い大きさの建屋の数々。パッと見は普通の大きな工場があるという風景でしかなかった。
前方を気にしながら工場の方を何度となく見る。
「なんか廃墟っぽい雰囲気だけど、建物も綺麗だし現役っぽい気もするなぁ。しかしいつ通っても煙突から煙が出ていないよな。構内にトラックの姿も無いし」
先ほどの団地と同様に、この工場にも生気を感じられないのだ。だが、国道からは数百メートル離れた場所に工場はある為に、そこが現役なのか閉鎖しているのかを確かめる事はこれまで出来なかった。ましてや、40フィートのトレーラーを知らない街中に乗り入れる等という冒険は絶対にしたくなかったので、通り過ぎながら何となく気にしていた程度でしか、その存在を確かめられなかった。

未既出の巨大工場
ある日仕事を終え自宅に戻り、パソの前に座りいつものように掲示板の巡回や、ブログのUPなどを行っていた時、ふとあの工場の事を思い出した。
「いけね、あの工場の事調べなければいけないんだっけか」
毎日の仕事と日常生活に忙殺されて、あの巨大工場の事をすっかり忘れかけていた。
当該物件が現役か、廃墟かを調べるに一番手っ取り早い方法は、物件名から検索しネットにその物件に関する情報を収集すれば済む。
しかし今回はまだその工場の名前を知らない。こうなると、まずはネット地図から絞り込んでいくのが正しいプロセスだ。
この方法、小さな物件だと地図に名前が載っていない場合があるので必ずしもヒットするとは限らない。だが、今回の物件は遠くから見ただけでも途方も無い大きさが有りそうな工場である、地図のサイトに入ってから間もなくその工場の名前を確認することが出来た。
「で・・・・・でけぇ・・・・」思わず自分はモニターの前でうめいてしまった。
当該物件の名称はNK製紙 高萩工場(以下NK)といい、地図で見ただけでも分かるほどに巨大な工場だった。その規模はかつて千葉廃墟の盟主だった「東京プライウッド」を軽々と凌駕し、足尾銅山をも越えるように思えた。
名前が分かれば後はそれを元にあらゆるサイトから情報を収集するまでだ。そして、ここが廃工場であるという事が判明するまでにはそう時間は掛からなかったのである。
ここで、この工場がまぎれも無い廃工場である事を裏付けたサイトを幾つかご紹介しようと思う。

萌える工場達 一番最初にこの工場の素性を知ったブログ。
この工場がドラマのロケで使われたという事に合法探索が行われている事も知った。
ほっとメール@ひたち 公明党茨城県議会議員の井手よしひろ氏のブログから。
井出よしひろの県政情報 平成15年3月県議会一般質問から。
日本加工製紙自己破産 同井出氏のHPから。
高萩民放 日本共産党高萩市議会議員 平正三氏のホームページから。

LETTER from OHATA

民主党衆議院議員 大畠 章宏氏のホームページから

いざ高萩へ
ここの工場が閉鎖されたという事は分かった。
それにまつわる従業員の皆さんの事についてはここではあえて触れない事にする。雇用問題を取り上げるのはサイトの主旨とは違うというのが最大の理由だからだ。
で、次なるステップはこの工場に先人達は突入しているのかどうかという事を調べることだ。
ところが・・・・自分が普段出入りしている数多くの廃墟サイトのどこにも、この工場に突入してレポートをUPしている先人は居なかったのである。
あれだけ大きな工場で、あれだけ設備が残っていて、だれも入っていない?その謎は実際に現場へ足を運んだ時に解けた。
以下、ブログ新徒話から引用。

 

2005年6月21日 (火)

関東最大級廃工場

先日の勿来への仕事途中で見つけたT市の巨大工場が、果たして廃工場なのか?という話があった。
その後、早くもその実態を確認する事が出来たのである。
某所の工場萌えブログにて、当該工場内部が撮影されていて、それに関するレポートが公開されていたのである。
まず結論から言うと、当該工場は紛れも無い「廃工場」である。3年程前に操業を終了し、保安要員以外の全職員を解雇。
当初T市のハローワークは、解雇された社員達で一時騒然となったそうだ。
ブログで公開されている写真の中には、高い所に登って俯瞰で撮影されたものもあり、かなり自由に場内を動き回っている事が見て取れる、しかしこのいずれの画像も全て「合法許可」の元で行われたという事が分かった。
当日ブログの管理人の知り合いである脚本家が、管理人に「T市の工場で、ドラマの撮影があるのだけど行く?」との誘いを受け現地入りしたものである。

廃工場であることが分かった以上、じっとしている訳には行かない。ということで、さっそく先週の土曜日に現地に赴いたのである。
運転は無理にお誘いしてしまったお馴染みロバート調査団のリーダーkerberos氏にお願いした。
昼過ぎに出発し、夕方4時ごろに到着。

そして、実際に工場を目の当たりにしたときの感想は・・・・・・。

で・・・・でか過ぎ(大汗

とにかく、これまで色々な大型物件を見てきたが、その規模は『東京プライウッド」や「神岡鉱山栃洞鉱」はてまた「足尾銅山本山精錬所」などは足元にも及ばない、途方も無い巨大さで我々の眼前に佇んでいた。工場のシンボルとともに町のランドマークともなっている3本の巨大煙突。
市原あたりにの化学工場と充分渡り合えるような高さである。
「あの煙突に登って工場全景を撮影できたら、神だな」
そう思ってしまった。
鉄道の引込み線もある、その先にはディーゼルカーも居る、線路の先の建物の高さはマンション5~6階建てに匹敵する。
塀の隙間から中をのぞいてみたが、中央部の通路の長さはざっと見ても300~400メートル近くはある。
場内に信号機まである事も発見した。

但しこれでオールウェルカムになっているのであったら、とっくにあちこちのサイトで紹介されているに違いない。
しかし出入り口は一箇所しかないらしく、バリケードがされている、そして守衛所の中には明かりが点り、テレビを見ているガードマンの姿も見えた。
とりあえず工場の周囲をグルリと周り、一回目のロケハンは日没とともに終了した。相棒のkerberos氏は「こりゃ入れないな」とすっかり諦めている。
だがオレは充分に抜け穴があると踏んでいる。侵入口や退路、緊急時に身を隠す場所も十二分にある。
今後十二分に作戦を練る必要があると見た。
とにもかくにも久々の新規超巨大物件発掘に胸躍る自分を抑えるので精一杯なのが現状だ。

投稿日 2005年6月21日 (火) まち歩き | リンク用URL | コメント (2) | トラックバック (0)

6月18日に現場下見を行った際の写真が見られます。

迷いと新展開
実際NKに足を運び、その圧倒的なスケールの前に言葉を失った日から、数日が経ったその日もテンションは下がることは無く、まるで探検に出かける前のドキドキワクワク感がいつまでも続き、仕事に支障が出るのではないかと思うほどに浮かれていた。
だが、冷静になって考えてみれば、あのNKがこれまでにどこの廃墟サイトも取り上げなかったという理由は良く分かっている。
街中にあるという立地条件、24時間体制で巡回するガードマン。廃墟へ突入する時にもっとも大きな障壁となるのは、周辺住民の目と警備員の存在だ。
夜討ち朝駆けという事も出来ないことは無い、暗くなってから突破口から突入し、巡回する警備員をかわしながら広大な敷地の中を忍者のようにかけ回り、撮影を続け、日の出と共に脱出する。そういう方法も考えた。だが、閉鎖された工場は夜ともなれば明かり一つなくなるはずである。そして、ストロボを焚いて撮影した画像というのはどれもこれも同じような写り方となり、味気ない出来栄えとなってしまう。しかも、警備員にストロボの光を見せないようにするという難しい技術も求められる。漆黒の廃墟の中を移動しながら且つ、物音を立てないようにするというのは非常に難しい。足場が良いという保証は無い。
以上の事を考えると夜間隠密活動のリスクは如何に高いかが分かる。そこまでして撮影しようかとは正直なかなか踏み切れない。
この時点では、萌える工場達の管理人wami氏と仲良くなって、NKでロケがある時には誘ってもらえるように親交を深めようと考えていた。
NKが合法で過去に何度もロケーションの舞台として使われていたという事実を知ってしまった限り、その可能性に掛ける方がずっとリスクは低く出来るし、現実的だ。ただ、最大の難点は自分単独の判断で突入することは出来ないという事だ。こればかりは我慢して機が熟すのを待つしかなかった。
あてのない誘いを気を長くして待つという事は、廃墟探索家Tavitoにとっては半ば「諦めれ」と宣告されているようなものだった。
だから、日にちが経つにつれてNKに対する憧憬の念は強くなる一方、諦めと次なる廃墟の発掘に気持ちは傾いていった。

そこに、これまでの膠着した状況を根底から覆すインパクトを与えてくれたメールが自分の元に送られてきたのである。