車検後編は木曜 & 『古代の福岡』2 | Hiroshiのブログ

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今後不定期投稿となります

今朝は早起きしたので、早々にアップ。

 

 

<役場の動かし方>

先日K氏のところでの話題に関して、私流「役場の動かし方」を紹介した。ここでも再録しておく。

https://ameblo.jp/xuzhoumeso/entry-12797407693.html

 

ポイントは担当部署を挙げて、もし問題があれば「この部署の責任」ということを「それとなく」指摘すること。以下はその実例。

 

1)役場の多様なSNSを1本化すること。この時「遊びでやるな!」的な雰囲気を出しました(汗)

https://ameblo.jp/bigsur52/entry-12789132834.html

https://ameblo.jp/bigsur52/entry-12747387827.html

 

2)「のるーと」アプリのバグ解消。これは早かった。役場とは別の専門の会社がやっているからだろう。

https://ameblo.jp/bigsur52/entry-12784457662.html

 

3)役場の提供するデーターをCSVファイルやExcelでも提供させること。それまではpdfという使い出のないタイプで、「やってます」だけの格好だけ。典型的な役場仕事。

https://ameblo.jp/bigsur52/entry-12786174140.html

 

4)自治公民館へのWiFi導入。これは町長や議員さんなど方々に働きかけた。

https://ameblo.jp/bigsur52/entry-12751021605.html

 

ウザイ住民に磨きがかかります(笑)

 

 

 

 

<新しい民主主義>

今日は統一地方選挙の日だが、地元は無選挙。すでに興味は失われた。新しい民主主義が求められる時代。

https://ameblo.jp/bigsur52/entry-12762438503.html

https://ameblo.jp/bigsur52/entry-12749777420.html

 

問題はどのようにしたらそんな動きが可能になるかだ、知恵を出せ! その間は使えるものは何でも使う

https://ameblo.jp/bigsur52/entry-12763990808.html

 

 

 

 

<車検1日で終わらず>

昨夜はSalsonなしでTangoイベントの日。それで昼過ぎから車検の手続きを入れていたのだが、1時半から6時まで車検で潰れる。それでもまだ終らず、一部次の木曜日に持ち越し。古い車ですから色々交換や修理があります。特に今回はバッテリーを交換することにした。そんなわけで、今年はかなりお金がかかりそう(汗)

 

最後にスタッフにQRコードでの車検予約のアプリの問題点を指摘。予約しても確定の返信メールが来ない。これでは予約がきちんと出来たか使用者には分からない。それで返信メールを自動的に出すようにシステムを改善してもらうように提案。説明した若い営業員、ちゃんと問題点を理解したのか疑問。

 

同様な問題点は検診予約アプリにもあったが、今回から改善されていた。日本はこのアジャイルという概念が希薄

https://ameblo.jp/bigsur52/entry-12793067294.html

 

 若いからといって今のデジタル化について判っているわけではない

 

帰りは遠回りをして昔の職場と出張授業していた関連大学2つ、合計3つの大学の周辺を5年ぶりに車を回しながら1時間半かけて帰宅。それにしても現役時代は毎日2時間もかけて職場まで通勤していたことに今更ながら驚く。職場の近くだったので利用していた今回の営業所だが、今後は自宅の近くに変更予定。

 

ところで昔の馴染み定食の店が多く閉店していた。やはりコロナの影響か? 大手のレストランは健在。やはり学生対象の店はこのコロナで生き残れなかったのか?? その分コンビニの店が沢山生まれていたような? 裏道を走ったのは4〜5年振りなので昔の風景が一変していた。

 

 

 

<梅の木、その後>

梅の木の半分に影を作っていた、棕櫚の木の葉っぱを大量に取り除いた後、少し梅の枝に緑が戻り始めた。

 

奥の半分の枝には緑が茂っているが手前はまだ緑が十分戻っていない。

 

梅の実も少しだけ。

 

 

 

『古代の福岡』2

伊都国は石斧の生産で富を得て北部九州全域に広がる流通ネットワークを構築したが、やがて金属器の時代になってもこのネットワークは引き継がれたという。しかもそれは金属器以外の文物も含む、更に半島経由での流通の窓口として機能した。p42  

 

当時は糸島半島の東西の入り江が深く入り込んでいたよう。今でもその名残の名前が半島中心部に残っている。内陸に入った場所に「波多江」という地名があるが、これはその名残か?

https://www.google.com/maps/@33.5627124,130.2256756,13z

 

国土地理院の3D地図にしても、殆ど平地。もしかすると糸島は文字通り「島」だったのかも? それにしてもここらは古墳が非常に多い!

https://maps.gsi.go.jp/index_3d.html?z=14&lat=33.56789571106388&lon=130.22369384765625&pxsize=1024&ls=std#&cpx=-60.767&cpy=115.347&cpz=54.795&cux=-0.114&cuy=0.369&cuz=0.923&ctx=0.000&cty=0.000&ctz=0.000&a=10&b=0&dd=0

 

また伊都国は魏志倭人伝によれば鴻臚館のように楽浪郡や帯方郡からの使者の長期滞在する場所になったよう。p50

 

江戸時代までにかなり遺跡が発見されたようだが、そこから入られた史料の多くが散逸したらしい。考古学の重要性が認識されるのには近代以降でやはり時間がかかるみたいだ。p45

 

多くの遺物が個人所有になり、散逸したみたいだ。

 

弥生時代から古墳時代に持ち込まれた中国銭貨は日本で製造された青銅器の原料となったとか。p49

 

これは同位体分析とかで結論されたのだろうか?

 

不弥(フミ)国は宇美(ウミ)と発音が見ているが、同様に山を越えた飯塚の穂波(ホナミ)も不弥国の候補に挙げられているとか。p72