新しい民主主義 & 『頭のよさとは何か』3 | Hiroshiのブログ

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今後不定期投稿となります

今日は勉強の代わりに少し頭を使って、これからの選挙についての考えを再度まとめてみた。ま、勉強はできなかったがヨシとしよう。これは先日のAK氏のblogにインスパイヤーされた事。

 

 



<新しい民主主義としてのpol.isとQV>
https://ameblo.jp/bigsur52/entry-12693825682.html

選挙が近づいてきたが、現在の選挙制度そのものが多分に《ダメな仕組み》でなかなか国民の意見、要望を統一的に調整する機能がない。選挙民は政治家を選ぶという遠回りな手段しか持たないし、官僚は選べない。また選ばれる政治家は自分の当選が最大の関心事で国を良くしようとする点にインセンティブがない。だから例え国のためになっても国民に苦痛を求める提案などは言えない。では民主主義は絶望的か?

道がないわけではない。それがpol.isとQVだ。そもそも選挙は手段であって目的ではない。目的は「民主」。ならばこの民主主義を達成するための別の手段を考えればいい。

つまり、政治家を間に当てる超~~間接的、方法ではなく、また別のインセンティブで動く官僚(例えば忖度)を使うのではなく、自動的に政策を決定、実行できるシステムを構築する。それが以前紹介した台湾のIT担当大臣であるオードリー・タン氏が紹介したpol.isと、それにQVいう仕組みを組み合わせたもの。これは従来型の政党政治ではなく、

『合意形成に向けて、沢山の意見に対し参加者全員が賛否票(あるいはパス)を投じ、これをグループ化したものを可視化して、自分の相対的位置を知る。そして対立軸ではなく妥協点を探る(方法)』。
https://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/6424/trackback

先日のマッチングテストの発展系だが、今のやり方だと最後には政治家を選ぶという方法をとるので、結局「信頼できるか」という点で選挙結果が変わる。それを回避するというもの。
https://ameblo.jp/bigsur52/entry-12749704722.html

其のためには国民の意見要望をデジタル化して、リアルタイムで解析できないといけない。その基礎情報のために国民の声のデジタル化が必須だ。現在細々と「老人デジタル化プロジェクト」を進めているのはそれが最終目的。

中間期は現状型との併用になるだろうが、徐々に成果を評価しながら移行していく。


1つの夢の未来を紹介しよう。

選挙日が近づいてきた。それぞれマイナンバーカードでセキュリティーを確保した上で沢山の項目について質問に答える。あのマッチングテストは僅か20問だが最大50問くらいあってもいい。数は各自任意とする。

それぞれの政策課題に「重み」をつける。最重要、重要、普通くらいでいい。さらに達成時期の因子を加えてもいい。最速など。それで投票。あとばデーターベースとAIが国民の総意としての政策決定、優先事項を決めて公示する。選挙民はその結果を見た上で再度、修正も可能とする。これで政策決定、実行は官僚が行う。

以下はイメージ図。 あ、つまりこのシステムでは《糞政治家は不要》ということ。

 

 





『頭のよさとは何か』3
面白いことが書かれていた。それは側頭葉や頭頂葉を使っていない人はいないが(生存に必要だから)、前頭葉の使い方は人それぞれらしい。これは最近M R I画像解析が可能になって分かってきたこと。ところが不思議なことに人間は他の生物に比べ異常に前頭葉が大きい。p180 

これは説明ができると思う。つまり「種」として生き延びることができるかどうかは、個体は関係ない。集団の中の大多数が前頭葉を活発に使っていて生存競争に勝ってきたら、前頭葉を使わない個体もそのお陰で生き延びれてきたということ。「日本は変わらない」という連中もそうして人のお陰でこうして生活できてきたと言いたくなる。


その他、病理解剖から分かってきたことは、85歳過ぎて癌を持たない人はいないらしい。これは以前にも聞いたことがある。つまり癌死しなくてもある程度年齢を重ねれば《皆さん癌患者》ということ。重要なのはいかに「with Cancer」を生き抜くかということだ。p192 その意味では今回のコロナもwith Coronaの時期に入ったと思う。

著者は現行のゼロコロナを厳しく批判するが、当初はコロナについて何もわからなかったから、危機管理としては最悪を想定するというのは正しいと思う。また、現状でもいつ毒性が上昇しないとも限らないから油断は禁物だが、少なくとも現下のオミクロン株にはwith Coronaでゼロコロナは副作用が大きすぎる。2年間十分に経験を積んだ。後は臨機応変に政策を変えないと行けないだろう。勿論「言うは易く」の口だが。


頭の悪い人の特徴は『変わりたくない』だそうだ。p205 これは上の『日本は変わらない』と公言する人と全く同じ。老人の「新しいことに興味を失う」というもの同じメカニズムだと思う。ともに前頭葉機能の低下、あるいは不活化あるいは抑制だ。


和田氏は(日本の)教授は『自分が育った世代の研究テーマを引きずっている』p224 という。そして新しいことに挑戦すべきという。

彼の考えは一理あるが、簡単に「次の新しいテーマを」とはいけない実情がある。というのは、教授になれば当然、講座という「所帯」をもつ。研究費を毎年取ってこないと皆が生活できない。それまで論文が書けていたテーマなら、多少レベルは落ちてもそれなりに論文が書ける。それで所帯を養っていかねばならないのだ。多分、和田氏にはそうした体験がないから言えることなのだろう。

私も癌研究に見切りをつけて老化研究に転換したが数年論文が出なかった。当然、研究費が出ない。当初は「昔の仕事で論文を出す」のつもりだったが、世間はそれほど甘くはない。何とかその後、老化研究で論文を出すことができて(これには中国の共同研究者のお陰もある)事なきを得た。そんなもんだ。

しかし、これは解決策がある。欧米のように1年ぐらいのサバティカルという自由時間を与えること。教育も管理の義務もなく、自由な時間を与える。大抵の人はその間に本を書いたりしているようだが、本来はこれを新しい分野への転換のために使うべきだ。事実スタンフォード時代にスウェーデンの教授がそうしていた。
https://ameblo.jp/bigsur52/entry-12717319999.html