日曜討論を途中まで見て、飽きて止めてしまう。理由は今の政治のものへの失望、あるいはそれ以上に今の政治に全然期待していない自分を発見したから。
そんなことを考えていたら、今の時点で漠然としたアイデアを一度、メモっておこうと思い追加記事を書くことにした。但し、これまでに何度も関連の記事は書いていたので新たな内容ではない。
安倍氏と統一教会の関係について、私個人は単に「WinWinの関係」それ以上でも、それ以下でもなかったのではないかと思っている。他の政党と統一教会の関係も同様だろう。
また国葬を巡る安倍氏の功罪に関しては、人により全く意見が異なるのは仕方がない。例えば以下のような内田氏の意見もある。(基本的には私も同感するところが多い、同氏のようにきちんと数字を出して議論する人が少ないのは残念)
http://blog.tatsuru.com/2022/09/01_1120.html
しかし、彼の功罪をイデオロギー的視点で判断するのは間違いだと思う。彼ほど《利益誘導型の政治》をした人物を知らない。それは爺ちゃんの岸氏以来、三代にわたる政治権力構造の中枢に偶々彼がいたからで、そうした彼の周囲に「金と権力の亡者」が集まった結果だと考える。
彼個人の人間的評価としては「口先ばかり」の人物で、国難に対して2度にもわたり「尻尾を巻いて逃げだした卑怯者」というのが私の結論。
話を元に戻そう。
政治に期待が持てないのは危険な兆候と捉えられるかもしれないが、最近はそのように考えていない。別の形の民主主義があると感じ始めている。現在の議員を介した、間接民主主義以外の道があるのではないかと。そしてその可能性は地方自治にその突破口があると感じ始めているから、希望は失っていない。
所詮、議員を選ぶのは国民の意見を代弁してくれる機能を期待してのこと。昔はそれしか方法がなかったが、もしAIを使い、国民の意見を集約し、妥協点を提供するツールが開発できれば、それは可能になるのではないか? まずそれは「試験区」として地方から試みてみる。そんな可能性が生まれてきたから。pol.isとQVを試みる試験区を作ってみてもいいのでは? 技術と理論は兎に角あるのだから。
