「バックパッカーがH・Ⅰ・Sの役員になった奇跡」小さな会社の未来の創り方 -61ページ目

「バックパッカーがH・Ⅰ・Sの役員になった奇跡」小さな会社の未来の創り方

出来ない事はやらないことだとHIS創業者「澤田秀雄」氏から学んだ。ベンチャー魂と自ら経験した多くの失敗が成長の奇跡を創る。伝える事よりも伝わること!直ぐに実践したくなる、熱き魂に触れてください。

「感涙のライブコンサート」

 2008年6月9日「瀬木貴将with佐山こうた」コンサート byMKホール大名

 良い音楽を伝えていくのは難しい。どんなに素晴らしい音楽でも、聴いてもらわなければ理解して貰う事は出来ない。

 世の中にはメジャーなものは数多くある。マジョリティーが全てが良いものとは限らないし、マイノリティなものが良くないとも限らない。むしろ逆の方が多いのではないだろうか? 


全身全霊でケーナを吹くミュージシャン瀬木貴将君、多くのお客様が感動してくれました。



 15年前から毎年、僕の立場が変わろうとも続けてきた事がある。それは僕の旅友である。”瀬木貴将 ”君のコンサートである。

 毎年、会場のセットアップ、集客(チケット販売)、当日のCD等の販売や打ち上げとその時の僕の所属する会社や団体の協力者に手伝って貰って運営してきた。

僕の好きな音楽を伝えたい。心から感動する音楽を聞いて貰いたいと言う思いと。聴くことによって多くの方が自然や人に対する愛おしさを覚え、優しく慣れるのではないかと、また、癒されるのではないかという思いである。もしかしたら僕の独りよがりかもしれない。・・・


佐山こうた君とのサンポーニャーのデュエット




若干緊張気味のこうた君、お父さん(佐山雅弘氏:日本を代表するジャズピアニスト)に負けないで!




 昨日のライブでは多くの方が感動の涙を流してくれた。終了後には来て良かったと多くの方から声をかけていただいた。今日も「良かった。有難う。」という電話やメールーを多くの方から戴いた。・・・嬉しい。コンサートが行えるのは僕だけの力ではなく、今回も恩着せがましく売っていったにも関らず、快く買って戴いた皆様と、僕の会社のスタッフのお陰である。いつも本当に有難うT取締役、K嬢、M君、T君、どんなに良いものでも、知ってもらわなければ伝わらないと思っている。


打ち上げです。なぜかT取締役が写ってない!何故だ?




 今回のコンサートはピアノの佐山こうた君 とのデュオで、息のあった軽快なテンポとリズムに加え、情感の篭った旋律も加わり、更に瀬木ネイチャーワールドを深めていた。


 正直言ってコンサートを運営するのは予算的にも人員的にも厳しいものである。決してビジネスとして成り立つものではない。ただ、ポピュラーではなくても良いものは良い、それを伝えていく使命を感じるのだ。

 友達を超えた彼の音楽の信奉者としてこれからも続けていきたいと思っています。

「旅の原点」


 僕の「旅への思いの原点」は小学生までに遡る事になる。

卒業文集で”20年後の自分”というテーマの中で、僕はアマゾンに行ってピラニアを釣って食べるのだ・・・なんて事を書いたなぁ・・・

 小学生時代の僕は本を読むのが好きで、ジュール・ヴェルヌの「15少年漂流記」やコナン・ドイルの「失われた世界」を読んで、見知らぬ世界に夢を馳せワクワクドキドキしていた。そんな時にテレビのドキュメンタリーでアマゾン河探検「食肉魚の脅威?」を見たのだ。・・・子供心に人間を食らう魚を釣って逆に食ってやろうと思って文集に書いたのだ。 ・・・あれから34年目に成し遂げたのだ。嬉しかった。本当に嬉しかった。


4年前の46歳の時に行ったボリビアのトリニダから小船をチャーターしてアマゾン河に繰り出した。




 19歳に初めて行ったヨーロッパから31年間で100カ国を超える国に出かけてきたが、僕の旅の原点は小学校の卒業文集に書いた「・・・への思い」である。

 これからも旅に誘う気持ちの思いを強く持って生きていきたいものだ。その為に、いつまでも好奇心を失わないでいたい。

「誕生日は永遠に。」


 土曜日(6月7日)は愛犬(家族以上)の”ちゃら”の誕生日だった。

3年前に亡くなったゴールデンリトルバーの”ちゃら”は9歳になる直前に病に倒れてしまった。なくなったのは誕生日の一週間前の事だった。僕がオーストラリアの出張から帰ったその日に息を引き取った。家族の誰もが失意のどん底に落とされた。

・・・それだけ家族以上の・・・存在だった。

 バナナが好きだった彼女の為に、誕生日にはバナナケーキーとバナナとミルクのご飯を食べさせていた。・・・目を細めて嬉しそうに、。本当に嬉しそうに食べていた。

 物静かな彼女は吠える事は殆どなかった。ただ、見知らぬ怪しい人が近くに来ると、普段だと信じれぬくらいの唸り声を上げて牽制していた。家族であり、時には僕らの用心棒だった。

 今でも、僕らと共に生きている。家族の誰かが生きている限り、彼女の誕生日は永遠である。・・・「ちゃら、おめでとう。、又、来年、。」


僕たち家族の天使だった”ちゃら”はいつまでも僕たちの中で生き続けている。



Oの焦点」2008.06.06 rkb今日感テレビ

「熟年離婚、過去最高!!」



今朝の朝日新聞に「熟年離婚。前年比16%増」の記事が掲載されていました。

 実は離婚自身は5年連続の減少なんですが、結婚生活35年以上の熟年世代の離婚数が突出した現象になったのです。

 なぜだと思いますか?

大きな原因として二つ挙げられます。



 一つは昨年4月から始まった「年金分割制度」です。この制度を簡単に説明すると、サラリーマンの夫と専業主婦の夫婦が離婚した場合は、以前は厚生年金を払ってきた夫だけが年金を受け取れて、妻は僅かな金額しかない老齢基礎年金しか受け取る事が出来なかったのです。改正後は、半分の5割は妻に分ける事が可能になったのです。



 もう一つは団塊世代の大量定年が重なった事です。奥さんとしてみれば夫の退職を機会に新しい生活をしてみようと思っているのではないでしょうか?

年金も半分入ることだし、退職金も半分貰って、長い間、我慢してきた生活にピリオドを打って、自分の生活をエンジョイしていこうという気持ちは理解出来ますね。

 そこで、今日は奥さん達に求めるのではなく、男性として懺悔の気持ちで妻に捨てられない3つの鉄則を考えてみました。川上さん  しっかり聞いて下さいね。



「妻に捨てられない3つの鉄則」



1. 名前で呼ぶ=「おい!」「おまえ!」は失礼ですよね。

2. 束縛しない=「どこに行くの?」「何をするの?」いちいちうるさいです。うんざりですよね。もっと自由にしてあげるべきです。

3. じっくり話を聴く=大体男は妻の話を聞かないですね。殆どいい加減に相づち打って適当に聞いてます。しっかり聞いてあげるだけで本当にコミュニケーションは保てますよね。



 これが、僕自身の自己反省から思ったものです。奥さんに捨てられない為にも、ご主人達、分かりました!!

しかし、離婚した方がお互いに幸せになる場合もあります。判断はあなたです。

「実行力」


 ためらう事は何か? なぜ、行動に移せないのか?

機械でもスイッチを入れないと動く事はない。もちろんスイッチを入れる前に電源(エネルギー)に繋がっている事が前提である。

 そのエネルギーも正しいエネルギーでなければならない。適合しないものを供給すると壊れるし、間違った動きをしてしまう。

 人も同じだ。先ずは正しいエネルギーの供給、そのベースは正しい食事と睡眠である。肉体と精神のバランスがしっかり取れている事が重要である。

 そしてスイッチを入れなければならないのだ。自ら押す事が出来なければ別のものが押さなければ動かないのだ。

 自らスイッチを入れるためには、自分自身のモチベーションを高めなければならない。他人が押す場合は、押された人間は素直に従う事が求められる。

 物事が実行される為には、上記の前提をクリアーしなければ為らないのだ。

実行させる為には、一つは士気の高いスタッフの育成と、素直に従うスタッフの雇用である。しかし、一度実行に移せたものでも、継続させる事は更に難しい。モチベーションの継続、素直さの継続、力で行う事も可能だが、なかなか長続きはしないし、不正や反乱の要因になる恐れもある。肝心なのは自らやってみようという気持ちの継続力である。だから仕事は楽しく、そして明るくなければならないのだ。但し、継続して高めていく為には厳しさも必要である。全てが慣れてしまって安易になれば人は飽きてしまう。だからこそ若干の厳しさが面白さに変わり、モチベーションの継続となるのだ。「したい!」「やりたい!」その気持ちを持つ事が実行する力となるのだ。

チャンス到来


 サブプライム問題によるアメリカ経済のデフォルト寸前、その影響による投機筋の動きによる原油高。あれよあれよという間に日本のガソリンは170円を突破するところまで・・・アメリカ消費に頼った自動車産業も下方修正へ・・・

 その影響は目に見えぬ形から現実的に物価上昇と物不足に転じ、暗雲立ち込める日本経済の行く手は・・・


 原材料の値上げに悲鳴を上げる中小企業、販売価格に転嫁出来ずに利益圧縮、何とか知恵を絞り、汗を流し、コスト削減の努力をするも、消費低迷、マーケット縮小による更なる競争激化!!・・・死活問題である


 全てが上手くいって来た事はない!逆に上手く行かなかった事のほうが多かった。

 いつも元気でテンション高く動けたわけではない。

問題は常にある。

上手くいかない理由は全て、上手くいかないようにしている人間にあるのだ。

社会が悪いわけでもない。他人が悪いわけでもない。


 だからこそ、今の状況を神から与えられたチャンスと思い、更なるコスト削減は筋肉質の体制を作るための良い機会だと進んで取り組みをするべきで、世の中暗ければ、なお更、明るく元気に振舞い、皆(社員)に勇気を与え前進しよう。

 困ったときの知恵こそ、価値があり、大変な時の苦労こそ、成長への布石となり、競争力を持つ事が出来るコア・コンピタンスを創造し、真の価値を生むチャンスである。

 今こそチャンス!危機は大いなるチャンスを掴む絶好のタイミングである。


高い波を超えたところにボトムの底があり、更なる高い波が目の前に聳えるが、何度も繰り返していくうちに、いつの間にか穏やかな波が来るのだ。

波に呑まれ沈むのか、乗るのか・・・それは気持しだいで大きく変わるのだ!!

チャンス到来! トライ! トライ! トライ!


「ダイビングのタイミング」②


  日曜日(6月1日)のダイビングの続きです。

一本目が終わり、港に一度戻り、休憩をとった我等5人のメンバーとイントラK氏とガイドの先生、一行6名(1名はこの日は一本で終わりです。)は再度、出航、2本目をトライです。15分ほど、航行後、ポイントに到着、先ずはガイド先生がエントリー、次にメンバーK氏がエントリー、やはり透明度が悪く、流れもある為、ガイド先生が戻ってきました。K氏も戻ってきて、次のポイントに移動です。

 この日は波も穏やかで天候も晴れ、夏日で気温も高くダイビング日和なのに、流れが強く、透明度が良くありません。約1時間ほど漁船であちらこちらとポイント探し、ようやく到着です。・・・

・・・順番にエントリー、ここも流れが速く、アンカーロープを掴んでの潜降です。一本目よりは透明度も回復、それでも5m前後しかありませんが、岩礁の為、魚の姿は見られます。メバルにイシダイ、ハゼにコチ、食べられる魚が結構泳いでいます。

魚の姿が見れるだけでも嬉しいものです。ウエットスーツの僕は水温20度の冷たさを堪えながらも目の前を泳ぐ魚を眺めます。やはり愉しい!! 寒さに震えながらも楽しい!! ウミウシ君たちもいっぱいいます。大き目の色鮮やかな彼らの姿は艶やかさと色っぽささえ感じてしまいます。自然が生み出す神秘な生物と情景に感激です。南国の海とは違い、色鮮やかな魚たちはいませんが、ここはここで(地元)の海も楽しめます。是非、ご覧下さい。


福岡県福津市津屋崎沖の水深16mの魚たちです。









ウミウシやクラゲ、イソギンチャク君達です。フラッシュを焚くとこんなにも色鮮やかなのです。















 この日は水温もまだまだ低く(19度から20度)、流れも速く、水深も20mから16mと深く、一番問題だったのが、透明度の悪さ1mから5m前後で2本目は船のアンカーロープさえ見失う状況でした。それでも優秀なイントラK氏とガイド先生の落ち着いたエクジットで無事に安全に船に戻る事が出来ました。

 海は侮れませんね。ダイビングのタイミングはとても大事な事だと思います。

今回は初の地元の海でのボートダイビングでしたが、次回はいつものようにビーチでまったりゆったりダイビングを愉しみたいと思います。タツノオトシゴ君待っててね。

「ダイビングのタイミング」①


 日曜日(6月1日)に久々に地元の海に潜りに行きました。

僕がライセンスを取得した(Cカード、アドバンス)、ショップのイントラK氏が独立を果たし、福岡県福津市の津屋崎漁協の"お魚センター海がめ"2Fにレストランを併設するショップをオープンさせたのです。名前は”EL ALMUERZO/アルムエルソ”津屋崎漁港の目の前で海の香りと景色を楽しめるとこです。

 1Fのお魚センターでは新鮮な魚や野菜を買う事が出来ます。もちろん、レストランの食事も美味しいですよ。

 

 さて、今回は漁協の漁師さんが漁船を出してくれてのボートダイビングです。お馴染のメンバーも集まってます。5名の参加者とイントラK氏とガイド(先生です。)さんです。


津屋崎沖を穏やかに航行中です。



 僕はココ(恋の浦)では始めてのボートダイビングです。入梅前の天晴れ天気で暑い夏日で、船酔いの心配もないほどのべた凪でした。

 快調に出航です。


風にそよぐフラッグです。ここまでは気分ウキウキでしたが・・・



 船は快調に波を切って進みます。フ
ラッグが風に靡いてます。潮風も気持ち良いです。

10分くらいで、ポイントに到着です。アンカーを落とし停泊します。波は穏かですが

結構流れがあります。51本目にして初のバックロールでエントリーです。思ったよりきつい流れです。身体が流されていきます。アンカーロープまで泳ぐのに大変です。船のへりに摑まって移動します。さぁ、BCのエアーを抜いて、息を吐きながら潜降です。1m先も見えません。


透明度1m~3m位の最悪の状況です。



それでも、潜降を続けます。先に降りたメンバーも見えません。「うっぅ・・・」急に不安になってきました。・・・息が、。!吸いたい!・・・呼吸が荒くなってきます。、。・・・上がりたい!!やばいぞ!!、。息が速くなって来ました。上昇します。上がりたい。・・・そこにイントラが現れました。少しホットしました。・・・僕の表情を見てパニックになっているのが分かったのでしょう。ボードーに「ゆっくり落ち着いて呼吸をするように」と書いてくれました。、。ゆっくり呼吸を繰り返すうちに、少し落ち着いてきました。・・・怖かったです。・・・やっと落ち着いて潜降再開です。底に着地すると皆が待ってました。20mの海底は砂だけで何もいません。辺りをゆっくりと廻ってみても何も見えないし、何もいません。タンクの残圧が60になったところでエクジットです。アンカーロープを掴んで上昇、5m手前で安全停止を5分間、約35分のダイビングでした。見えたものは砂と珊瑚に似たものだけでした。

19度の水温はウエットスーツの僕には寒すぎて・・・痺れました。

やはりダイビングは侮ってはいけません。慎重に慎重に・・・ですね。

 ほっとしたところで、一度、港に戻ります。・・・・

「7days,セーヌの流れよ再び~オヴォワール パリ。」⑮(2008.05.20-21)


 今日でパリともお別れです。セーヌ左岸とモンパルナス界隈を歩いてみようかなぁ。・・・始めてパリを訪れた31年前、シテ島で食事をして飲みすぎた赤ワインの酔いを醒ますためにセーヌの流れに沿って左岸を歩いたのを思い出します。

 あの時は夜の10時を過ぎて、青空が茜色に変わることなく、いきなり暗幕が惹かれてていく様に黒く暗くなっていくのに驚きました。時間は違うけど、同じ場所を歩いてみます。


大理石で造られた橋の下を船が行き交います。あの時と同じです。




バトームーシュ(遊覧船)には一度も乗った事がありません。次は乗ってみようかなぁ!


静かに流れるセーヌ河、中州のシテ島からパリの歴史が始まったのです。


 久しぶりのセーヌ河左岸(南側)の散策、気持ち良いですね。31年前の流れも、もっと昔の流れも変わらず続いて、時の流れの人々の生き様を何も言わずに見てきたのでしょうね。

 僕の大好きな街、モンパルナスに移動です。庶民的な街です。安ホテルが多く、レストランや小劇場などもあって楽しめました。

 モンパルナス駅の正面右側にInnoというスーパーがあって、そこによく買出しに行ってました。紅茶も香辛料もチョコレートも安くお洒落な瓶に入ったものが買えたのです。もちろん野菜や果物、お魚にお肉のディスプレイを見るだけでもウキウキしました。探したけどInnoが消えてます。おかしいなぁ? ・・・同じ場所に行ってみると”MONOPRI/モノプリ"という名前に変わっていた??、。まぁ、いいや。入ってみると中はそれほど変わったないような・・・気がする。そこで、チーズの買い物をしました。


魚売り場のディスプレイでもアートになってしまう。


この界隈は美味しいレストランも多いのだ。旅の最後、昨日はテイク・アウトの中華で夕食を済ませたから、ちょっと奮発してミシュランの星で輝く、レストランでランチを頂きました。


店の中の雰囲気です。


ワインは赤のテーブル1/4、前菜はムール貝のつみれのフリッタです。


カニのサラダです。・・・頬が落ちそうでした。美味しかったです。

 

あまりの美味しさにメインとデザートのパチリを忘れてしまいました。

 大満足のランチを済ませて、最後は珈琲を飲んで、ちょっと休憩です。

メトロに乗って、ホテルに戻って荷物をピックアップして、また、メトロ&RER(高速鉄道)でシャルル・ドゴール空港へ18時発のJLの名古屋便です。

 3時間前に空港へ、いつもの様にラウンジでメールチェック、シャワーを浴びてすっきりしてボーディングラウンジーへ急ぎます。

 下のフロアーには免税店の屋根が覗けます。最後までパリはお洒落でした。


空港免税店の屋根になります。上のフロアーから覗いた様子です。



 次の旅は8月16日より、残った世界一周のチケットで、日本⇒ニューヨーク⇒パリ⇒ブタペスト⇒ローマ⇒香港⇒日本です。

 旅ブログはその時に、また、お届けします。①~⑮編まで見ていただいて有り難う御座いました。

 今は無事に帰国、元気に仕事に励んでます。日曜日(6月1日)は久々の福岡でのダイビングです。 また、ブログでアップします。



 いよいよ旅のファイナルを迎えました。7日間で北半球一周の旅、駆け足だったけど、出来るものですね。初日のニューヨーク、大西洋に浮かぶミステリアスな島国、バミューダー、そして再びのニューヨーク、最後のパリとそれぞれ一泊ずつの、移動時間とほぼ同じの滞在時間だったけど、楽しめました。ここ、久しぶりのパリもユーロ高で財布はさびしくなったけど、昔日の姿は変わらぬままです。

「高岡商工会議所 青年部様 元気が一番!!2次会だ!」②


 厚かましくも2次会にも同席させて頂きました。会場は高岡商工会議所青年部の会員でもある藤田礼美ママが経営する*”Amour/アムール”です。

*富山県高岡市桐木町68-5 ネクサス桐木 1F 電話:0766-28-1242


バイカーでもある、元気ハツラツ美人ママです。



 この2次会会場でも、皆さんと楽しく談笑させて頂きました。


石浦専務理事のご挨拶です。


 夜も結構、更けて来ました。皆で一本締めをした後、ホテルまで送って頂きました。

外に出ると雨です。この雨は感激の感涙ですね。

 富山県高岡市・・・来年で生誕400年を迎えます。この様な熱い真面目な方々が累々と紡いで繋いで来たのですね。・・・次の500年を目指して、その熱き情熱を繋いで下さい。

 本当に有り難う御座いました。高岡商工会議所青年部の皆様、多々感謝です。