「バックパッカーがH・Ⅰ・Sの役員になった奇跡」小さな会社の未来の創り方 -57ページ目

「バックパッカーがH・Ⅰ・Sの役員になった奇跡」小さな会社の未来の創り方

出来ない事はやらないことだとHIS創業者「澤田秀雄」氏から学んだ。ベンチャー魂と自ら経験した多くの失敗が成長の奇跡を創る。伝える事よりも伝わること!直ぐに実践したくなる、熱き魂に触れてください。

「夏の思い出・・・影踏み」①


 九州の電力会社に勤める父は転勤族だった。

僕は1958年に福岡市で生まれ、2歳頃から小学校入学まで、九州各地を転々としていた。

 幼稚園に行く前だから4歳位の頃だと思う。大分県の玖珠町という所に住んでいた。そこは町の真ん中を川が流れ、周囲を山に囲まれた風光明媚な自然が溢れる田舎町だった。

 小学校は杉板を横張りにした、木造2階建ての校舎だった。その学校の隣に神社があったような気がする。夏休みになると、その神社を中心に祭りが催されていた。

中に電燈を灯した竹組みに和紙を張った巨大な人形たちが神輿に担がれ神社から町の商店街を練り歩いていた様な・・・何となく覚えている。

・・・

 夏祭りに向かう僕は、母に手を繋がれ歩いていた。小学校に通う兄は、僕たちの周囲をふざけながら歩いていた。そのうち兄は僕の影を踏み出したのである。・・・子供心に影を踏まれるのは自分自身の分身を踏まれているようで、ちょっと恐怖だった。母から手を離し、僕は兄の靴から逃げる為、一目散に走った。


自分の影を見るのは、久しぶりの様な気がする。


 初めての迷子・・・田舎の夏祭り、。・・・周辺から多くの人々が集ってくる。その雑踏に迷い込んでしまったのだ。・・・その後の事は覚えていない。


 目の前に写る自分の影とそそり立つ名古屋駅の高島屋デパートを見ていると、昔の記憶が蘇って来た。

・・・

月に一度の楽しみが、父と一緒に出かける百貨店だった。

 となりのトトロに出てくる、猫バスの様なボンネットバスに乗っていくか、茶色の車両を引っ張る蒸気機関車の列車で久大本線をデパートがある街の福岡県の日田市に買い物に行った事を覚えている。

・・・夏の思い出、怖かった影踏みと、楽しかった父との百貨店への買い物、。

 

「門出」


 弊社(ビッグ・フィールド・マネージメント) の紅一点のスタッフが、本日、目出度く挙式を終え、福岡では著名な老舗フレンチレストランにて披露宴を行った。

 会社からは僕を含め、取締役のT君、同僚のM君が参加した。宴は新郎新婦の意向で実にシンプルなものだった。主賓の挨拶や余興やお色直しも一切無く、美味しい食事を皆で頂きながら、テーブルに一緒になったもの同士が会話を楽しみ、新郎新婦の二人が各テーブルを回りながら会話の中心になっていくスタイルであった。

・・・

 僕は結婚のスタートは最低限の必要なものがあれば良いと思っている。

生活を共にする中で、ゆっくりと自分たちの身の丈にあった、欲しい物を少しずつ買って揃えていくのが楽しい事だと思う。長い夫婦生活、楽しみは長ーく持って置くべきだと思う。

・・・

 その点、本日の結婚式は親族、知人、友人たちの温かい心の篭った気持が溢れていた、とても良い結婚式だったと思う。二人の表情を見たら分かるよね。

幸せいっぱいの弊社のセクレタリーのK嬢とイケメンでナイスガイの新郎です。



 結婚おめでとう。末永く幸せになってね。会社の方もこれからも宜しくね。

「焦げている!」


 昨日(18日)から出張です。福岡でテレビの仕事が終わって、突然の激しい雨の中をタクシーで空港へ移動、それから飛行機で名古屋(中部)に飛んで、名鉄で名古屋駅へ、そこからタクシーでホテルに、翌日の講演の主催者の方がロビーで待っててくれて、フロントに荷物を預けて、居酒屋さんで乾杯&食事です。 

 夜中の12時過ぎに歩いてホテルに戻ります。夜風はスーツ姿の僕にも涼しく心地良かったです。

 市街地の真ん中だと言うのに、ホテルには温泉が付いており、疲れた身体に大浴場のお湯は十分な癒しを与えてくれました。

 しかし、部屋は冷房を入れないと暑い!!暑い!!蒸し暑い!!・・・講演は朝の10時から12時までの2時間です。エネルギー保持の為にも睡眠は必要です。しかし、エアコンにタイマーがありません。・・・愕然!・・・しかたない、風量を一番弱くして付けたまま寝る事にしました。

 案の定、朝起きた時に、喉が痛くなってました。・・・「ガーン!!」気になります。

講演は2時間テンション上げて気持ちも込めて話す事が出来、好評を頂いて終える事が出来ました。

 お蔭さまで新たに3件ほどの次の講演の依頼も受ける事が出来ました。「感謝」です。・・・お昼を主催者の方々と一緒に名古屋駅近くの店でとる為にタクシーで移動です。すき焼きをたっぷり頂き、更にパワーアップしました。「感謝」です。

 駅まで3分の道のり、ビルが揺れて見えます。蜃気楼を見るように暖まった空気が全ての物体を包み込み、物体そのもののリアルティを失わせています。・・・「どれだけ暑いんだ!」・・・ビルの温度計が35度を示していました。

 途中、新幹線で京都に下車、それからまた、新幹線で新大阪へ、駅からホテルに歩いて向かう3分間、僕自身のプレゼンス(存在感)が暑さで失われてしまいました。ココまで暑いと全てのリアルティが消滅します。ある意味、現実逃避がオートマチックに自分も巻き込んで行われてしまった感じさえします。

 ・・・僕はどこに向かっているのだろう?・・・どこだ、ここは?・・・「ウワッ!」??? 

 

 チェックインして、少し休憩して、再び、新大阪の駅に戻り、電車で滋賀県は草津に向かいます。本日の2件めの講演です。

 ・・・電車を待つ、プラットホームの人々が陽炎の様に揺れています。

 太陽から放射された光のエネルギーだけではなく、暑さをしのぐ為のエアコンの室外機からの熱風も、地表を覆う、アスファルトの路面は蓄熱されて更に温度を上げ、コンクリートのビルの壁は全ての弱きものを照り返してくる。・・・焦げてます。

間違いなく、焦げてます。


 ・・・電車の冷房によって自分を取り戻した僕は、頭の中を焦がす事がなく、草津での講演も使命を果たす事が出来ました。


 夜の電車で新大阪に帰る途中、うつらうつらしながら、夢をみました。・・・真っ黒に焦げた地球を未来から来た旅人(僕)が歩いています。ビルや高速道路、野球場や全ての物体はそのままです。でも、全ての物は色が茶色や黒に変色しています。

 川も湖も海も一滴の水も存在しません。生あるものは全て死に絶え、褐色の大地の上を辛うじて残った、昔は緑の草だったものがカラカラに乾いて熱風に踊っています。

 ・・・大丈夫かなぁ?地球?・・・

・・・新大阪に到着しました。


 今夜は喉を労わり、エアコンは消して寝ます。僕も地球も心地良く安眠出来ればよいのですが・・・お休みなさい。

 

 

 「大リーグの草分け野茂投手現役引退!!」


7月18日付、日経新聞朝刊から記事写真掲載


「野茂投手から学ぶ5つの教え」

 

 野茂投手の軌跡


1.近鉄時代に4年連続の最多勝、最多奪三振を獲得

2.メジャー11年間で通算123勝

3.日本人選手初のオールスター戦出場、また、新人王と奪三振王のタイトル獲得

4.ナショナル、アメリカン両リーグで史上4人目のノーヒット・ノーラン達成

5.大リーグ12シーズンで計7球団に所属


 大きく腰をひねる独特のトルネード投法で一世を風靡した野茂投手は1995年にドジャースに入団。

 選手会のストライキでファンの野球離れが起きていた中で、三振の山を築き、大リーグの「救世主」と呼ばれ、当時のクリントン大統領から「日本からの最高の輸出品」と言わしめた。

 当時、旅行でロサンゼルスに行った時、道路の両サイドに野茂の顔写真入りのフラッグがずっーと連続して掲げられて、風に靡いていたのを思い出します。

まさに、アメリカの中の日本人のヒーローだったのですね。


 その彼の生き方は、今の私たち日本人に大いに参考になると思います。

そこで、野茂投手の今までの軌跡から辿った部分で、彼の生き方で学べる部分を僕なりにピックアップしてみました。


 「野茂投手から学ぶ5つの教え」

 



1.先駆者=日本人選手二人目での大リーグへの挑戦。

選手登録事態が未整備であった時代、問題は山積みだったと思う。不安よりも可能性を信じ挑戦した事が素晴らしい。


2.寡黙=ピンチの時も表情を変えずに黙々と投げる姿勢は、現在の世の中に於いて、大いに見習うべき点があると思う。


3.あきらめない=彼の口癖でもある「夢をあきらめない」、故障して、もう駄目だと言われながらも、何度も復活してきた。


4.スタイルを変えない=速球とフォークの軸を変えなかった。一つの事を高めていきながら貫き通す事は一見、平凡に見えるがこれこそがもっとも非凡なることである。


5.悔いが残る=引退の記者会見で「まだやりたい!、悔いが残ります。」と発言しているが、やりたいという気持ちはとても大事な事の様に思える。ベストには際限はないし、"したい!やりたい!"という気持ちが,今と未来への人生の可能性を広げていくのではないだろうか?・・・と僕は思います。

「残して欲しい!」


福津市の恋の浦の裏海岸です。 


今日(17日)も午前中に、今年の5月に新規独立を果たした。「EL ALMUERZO」のダイビングショップ&レストラン(福岡県福津市津屋崎1187-3 2F=津屋崎漁港2F/tell:0940-52-2212)のオーナー兼イントラの草場氏と共に2本のビーチダイブを楽しんだ。

 天候も波も良好であった。先週と同じくタツノオトシゴ君にもヨウジウオ君にもミノカサゴさんにもタコおじさんにも会えたし、何と言っても驚きだったのは、恋の浦の裏、初お目見えのキンギョハナダイにも会えた。・・・


信じられません!! キンギョハナダイが福岡の海に!!大興奮です。


 ・・・しかし、しかし、ここにも問題はあるのだ。それはゴミ!!ゴミ!!ゴミ!!

どこか他所から流れ着いたものもあるだろう、。でも、間違いなく、ここを訪れたものが置き去りにしたものも多々あるのだ。・・・情けない!、。綺麗な空と海に囲まれた美しい場所で楽しむ事を目的に来た者が汚す現実、大いなる矛盾、。

海の中に手!「ギョッ!!」・・・実はゴム手袋でした。

瓶が棄てられたのでしょう。


 自分たちで持ってきたものは最低限、持ち帰るべきだ。

環境破壊はCO2やオゾンなんていう前に、地球環境は自分たちが消費したゴミによって自然の状態が失われていっているのだ。・・・


ペットボトルはあちこちに落ちてます。


ジュースの空き缶もお菓子の容器もそのままです。



 ・・・残して欲しい!!自然のままの姿を・・・

「ベースに戻るだけなんだ。」

 
予測した事が全てその通りにならないこともあるのが経営である。
ならない理由は様々である。内部の問題、外部の問題もあるだろうし、計画の中身が甘い場合もあるだろう。・・・現況、将来の状況を鑑みて難しいと判断したのならば、変更することも、取りやめてしまう事も必要な措置である。それを見栄や世間体やプライドで、ごり押しする必要性は全くないのである。
 経営の基本は企業の健全なる継続である。継続の危機が訪れるよな状況を、元のプランで進める事によって生じるのであれば、そのリスクは早期に回避する事が是である。その事は、決して引くことではないと僕は思う。ただ、一度ベース(オリジナル)に戻っただけのことである。また、そこから始めれば良いのである。
 だからこそ早期の判断をした上での決断が経営陣に求められるのである。

判断と決断のスピードは経営者にとって、もっとも重要な資質である。

 パナソニックの創業者、松下翁語録に、水を張ったバケツに炭を入れると、その炭で水が濁る、元の様に綺麗な水にするためには、どうしたら良いかと当時の社員に問うたそうだ、社員は、皆それぞれ考えて、更に水を足していくと、何杯目かに水が完全に入れ替わって綺麗になるでしょうと答えた
。松下翁は捨てるんじゃよ。そして水を入れれば一杯で綺麗になるよ。・・・人間は、なかなか一度やり始めた事を途中で止める、元に戻る事が出来ないみたいだ。・・・ただ、元(ベース)に戻るだけなのにね。

 ・・・今(15日夜)、羽田空港のラウンジで博多の今朝の追い山の興奮を想像しながら、ブログ打ち込みしています。


「チェアマン」


・・・町が揺れた。

 15日は博多祇園山笠のクライマックスの追い山であった。

午前4時59分に一番山笠がスタートし、その後、5分おきに二番山笠から八番山笠が出発するタイムトライアルである。5kmのコースを締め込み姿の男たちが交代を繰り返して博多の町を舁き回るのである。・・・町が揺れた。


・・・街が揺れた。

 イタリアに住んで居る頃、月に二三度は何処からとも無く、顔にペイントした人々やチームフラッグを大きく振る者や、バスの窓から身体半分を出して、皆でチームの応援歌を歌いながら競技場に向かっている人々がサッカーの試合があると、溢れ出ていた。

 我が街のチーム”フィオレンティーナ”がゴールを決めると競技場が歓声で揺れた。

相手チームがゴールを決めると地団駄で競技場が揺れた。・・・我が街のチームが勝利するとフィレンツェの街が揺れた。


 日曜日の13日は僕と福山さんがパーソナリティーを務めるrkbラジオ「こだわりハーフタイム」 の番組にJリーグチェアマンの鬼武 健二 さんがゲストとしてスタジオに来て頂きました。

 その日の僕らの番組の後にrkbラジオで実況中継された、地元のアビスパ 福岡の試合を視察に来られたのです。


 チェアマンとしてJリーグの活性化(スポーツビジネスとしての成功=事業としての採算化)というのが、重要なミッションだと僕は思っています。


中央が鬼武チェアマンで右が相方のパーソナリティの福山さんです。rkbラジオスタジオにて


 その点、鬼武チェアマンは現役時代は俊足フォワードとして活躍し、引退後はヤンマーの監督に就任、3度にわたり天皇杯優勝に導き、また、ビジネスマンとしてはヤンマーマリナックスの社長を務め、その後、セレッソ大阪の社長に就任、同チームをJリーグに昇格させた実績を持っています。

 この事からサッカースポーツの当事者でもあり、マネージメントスキルの高い経営者でもあるといえます。


 インタビューをさせて頂きましたが、スポーツマンシップに溢れる紳士であり、また、情熱家でもあると感じました。

 チェアマンの言葉、一言一言が、クラブチームとしての事業としての健全化、また、選手達のモラールの健全化を成し得て行って、本当に人々に愛されるスポーツとして発展していく事に尽力されている様子が伝わって来ました。

 日本のサッカーが人々から我が町・街のクラブチームとして本当に心から愛して、応援される事を願っています。

 

 博多祇園山笠の様に博多の町が男たちの熱気と観客の興奮で揺れた様に、アビスパ福岡の試合も福岡の街が心地よく揺れる事を願っています。


 これからのJリーグの発展と、鬼武チェアマンのご活躍を心より祈っています。

「外道にびっくり~太公望に!」②


  昼食後、竿に餌を付けての再開です。「よしっ!!」皆に気合が入ります。イサキの大物目指して、仕掛けを投入です。

・・・

 それにしても、全くの無風状態です。ベタ凪状態の海面に浮かぶ漁船は水を張ったタライの中のおもちゃを見ているようで全く微動だにしません。

 陽射しも雲の間から”ジリッジリ”と身体を覆った服や帽子やタオルや靴の隙間を縫って露出した部分を容赦なく照らします。気が付いたら赤く焦げた様になっていました。


昼食後、満腹感と共に眠気が襲ってきて”ぼっー”として船べりに腰をかけてしまいました。


 ”ぼっー”とした頭で竿先をぼんやりと眺めていると船先の方で大きな声がします。船頭が駆けつけると、クライアントの専務の竿が弓の弧を描くように曲がっています。イサキではない様です。船頭が声をかけます。ゆっくり、ゆっくり、緩めて、巻きあげて、・・・しばしの格闘後、海面に姿を現したのは大きなタイ(真鯛)でした。・・・

「すっごぃ!!」 タモに入れられたタイは40㎝はあります。・・・満足そうな専務、。皆、秘かに心に誓いました。「次は自分だ!」・・・暫くは誰もが無口になり。、竿をしゃくり、電動リールのスタートボタンを押して、巻き上げます。上がってくるのはイサキばかりです。・・・なぜか本命のイサキ釣りが、外道狙いになってしまったような雰囲気です。・・・そんな時です。僕の竿がいきなり海中に持っていかれそうになりました。

慌ててしゃくり、電動リールのスタートボタンを押します。それにしても強い曳きです。尋常ではありません。船頭が大きな声でストップボタンを押せと叫んでいます。

慌ててスイッチを押し、停止させ、ゆっくりとじっくりと少しずつリールを手動で巻き上げながらの格闘です。10分程度すると、巨体(・・・そんな大げさな)が海の中から上がって来ました。「うっわぁ!!」皆「すっごい!!」僕「ウエェッ!!」「皆「すげっぇ!!」


丸々と太った鯛です。ちょっと放心状態な僕です。


・・・タモに入った魚は、先ほど専務が釣り上げた鯛のひと回り以上大きな、鯛でした。・・・僕は一気に力が抜け、放心状態です。満足を越えた先には心地よい脱力感と大いなる幸福感が残りました。

 その後の事は、あまり良く覚えていません。・・・港までの2時間は船室で横になって寝ていました。

 釣果です。イサキは5人で170から180匹です。

これでも少ない方だと言う事です。釣れる時は300を越えるとか?凄いです!


 外道はT社長がカワハギを2匹、T支配人がサンバソウ(石鯛の子)を一匹、S支配人はイサキの30㎝を越える大物を釣り上げ、O専務が40㎝級の鯛、そして僕が70㎝の大物の鯛を釣り上げたのです。


左がO専務、右が僕です。同じ鯛でも大きさ違うでしょう!(しかし二人と同じ年の50歳コンビです。)


大きさは歴然と違いますね。ちょっと誇らしげです。


初めての大物です。「オッ!重いです。」真っ赤に焼けた顔も嬉しくて、。えへっ、。



 本命のイサキ釣りが外道の鯛に踊らされてしまいました。70㎝、7㎏を越える大物
です。初めての体験にこれからの釣りがどんなものでもつまらなくなってしまうのか?はたまた、マグロを狙う事になるのか?それとも満足を越え、陸釣りに専念か?・・・微妙だなぁ?でも、久しぶりの興奮する出来事でした。T社長誘って頂きまして本当に有難うございます。心から楽しめました。


左が船頭です。本当に感謝です。釣る事が出来たのも船頭の巧みな指導があったからです。



 太公望・・・これを機会に本物の釣り好きになるかしら? ・・・しかし、今の時期のイサキは美味しいですよ、塩焼き、煮付け、刺身、吸い物、ムニエル、唐揚げと何でもいけます。

  鯛? もちろん頂きました。皆で食べても食べ切れなーい、凄ーい量でした。

ブログテーマもまんざら、大げさでもないでしょう? 「外道にびっくり~太公望に!」


「外道にびっくり~太公望に!」①


 釣り好きかもしれない?

・・・中学生の頃は、毎週土曜日になると、学校から帰ってきたら即、カバンを置いて、すぐ、睡眠、夜中に起きて、友人達と自転車で3時間位掛けて、海に出かけ、砂浜、磯、岸壁と様々な釣りを楽しみ、それに小遣いの大半を費やしていた。


・・・放浪の旅から帰国して、無職で結婚して、髪結いの亭主状態だったときは、日々、山に分け入り渓流釣りに没頭していた。・・・何もする事が無かったからかもしれない。

 それから25年、その間、殆ど釣りをする事が無かった。二三度、海外で鱒釣りや、リゾートの海でお遊び程度に遣っただけである。


 ・・・それが12日の土曜日にクライアントの社長さんから釣りに誘われて山口県の仙崎の漁港から高速漁船に乗ってのイサキの船釣りに行って来ました。


夜中の4時です、暗い中、出航準備です。


 朝、4時半に出港、2時間ばかり猛スピードで沖合いのポイントに向かいました。

途中、朝焼けが雲と海面を薄赤く染めていました。

必ず朝は来るのですね。久しぶりに朝焼けを拝みました。


 あらかじめ酔い止めの薬も飲んでいたし、ポイントに到着するまで、横になって寝ていたので、まったく酔う事も無く、戦闘態勢へ入る事が出来ました。

 仕掛けは3から5本の針に150gの重りと、撒き餌様の籠を付け、電動リールで、予め魚群探知機で確認した棚の深度に小エビの餌を付けて降ろします。深さは棚によって違うけれど、20mから30m位です。


撒き餌と餌用のバケツ、それと電動リールをつけた竿です。


 船頭から説明を受け、早速、仕掛けを降ろします、棚に着いて、若干時間を置き、二三回、竿をしゃくります。撒き餌の餌(餌と同じ小エビ)を振り撒くのです。

 そうすると竿先の部分がピク!ピクと軽く上下に触れます。そこで竿を持ち上げて合わせ、電動リールのスタートボタンを押して巻き上げるのです。

 「やった!!」最初に見事なイサキがヒットしました。次から次に僕だけにヒットします。暫くすると他の仲間にもヒットし始めました。凄い!!入れ食いです!時々、二匹、三匹とかかってきます。

 当たりがなくなると、ポイントを移動します。午前中だけで5人で100匹は超えたでしょう。・・・

 まったく当たりがなくなったのでお昼を取ることにします。

しばしの休息時間です。


本当に日本海とは思えない、ベタ凪でした。


 細波も立たない静かな海面を眺めながら、遠くに薄白いモヤがかかった島影が見えます。何だか幻想的な雰囲気です。・・・②にへと続きます。



「眠いです。」


 昨夜の睡眠時間が3時間で今まで起きています。

そうです。

 北九州のクライアントの社長さんから招待されて、釣に行ってきました。

昨夜は仕事が終わって21時前に社長宅に到着、お風呂を頂き、デザートの美味しいスイカを頂き、色々と話し込んでいたら、夜の22時過ぎになり、あわてて布団に入りましたが、なかなか寝付けず、新聞を読みながら、23時過ぎにようやく熟睡へと・・・それから約3時間後、夜中の2時に起床、会社の方がお迎えに来られ、一路、山口県の仙崎へ向かいました。朝4時半に出港、・・・


 僕にとってはエキサイティングな事がありました。・・・「外道が本道!!」です。??

 それから今まで、起きています。

今から寝ます。

 ・・・釣の事は写真付きで、明日のブログで発表します。

お休みなさい。・・・・