「嬉しかった、。・・・友の変わらぬ言葉遣い」
何年振りに話しただろうか? 高校を卒業をする間際に知り合い、それからだから、32年間の付き合いになる。ここ3年間位は会う事も無ければ、電話で話す事もなかった。・・・彼(先輩で友人)にとっては、身体的にも精神的にも辛い時期だったこの3年間は一切の付き合いをフリーズしていたのだ。
年賀状・・・昨年も一昨年も来なかった。出したけれども来なかった。今年の正月に来ていた。一言、「元気だよ。いつもテレビで見てるよ。」・・・嬉しかった。少し安心した。
彼は僕が東京で四畳半一間のアパート生活している時に、バッグ一つでやって来た。それから我が家の居候になったのだ。
地元福岡の大学を中退して”絵”で食べていく為に上京したのだ。・・・流石に男が二人で四畳半一間は狭すぎる。
近くに2DKのアパート借りての共同生活が始まった。
二人とも様々なバイトをやりながら、飯を作り、掃除をして、散歩をして、夜中まで話し込み、時には喧嘩もしながら生活を共にした、下手な夫婦よりもお互いの心が通じ合い、本当に仲が良かったと思う。彼と居ると僕は本当に安心出来たのだ。お金は無かったけど、夢だけは溢れたいた。今思えば、僕の我侭を寛容に許してくれた彼(友)が居たから、今の僕がいるのだ。と思う。
31年前に当時の僕を書いてくれたものです。「うーん、あの時の長い髪は何処に行ったのかなぁ?」
彼はアニメのカメラマンを経て建築パースの事務所の職に就いた。図面から絵を起こす仕事である。僕が2回目の旅(ヨーロッパ)に行く事になって、彼は福岡に戻り、独立した。
・・・僕がヨーロッパから帰国して、福岡に戻り無職で結婚して、生活が苦しかった頃、僕は彼の事務所に転がり込み、写真やプロモーターの仕事を始めた。食えない僕たちに食事をご馳走してくれ、仕事も出してくれた。
感謝しても感謝しきれない友である。・・・僕は初めての子供(長男)に彼の名前を付けた。・・・彼のように思いやりのある人間に成って欲しいと思い、その名を我が子に授けたのだ。
その後、僕はベンチャー企業に就職、企業の成長と共に時間の殆どを仕事に費やして来た。彼とは電話でたまに話すくらいで、会う事は殆どなかった。でも、電話で話すと、いつも辛口トークでお互いを苛め合い楽しんでいた。
・・・3年ぶりである。午前中に電話をしてみた。・・・とってくれた。変わらぬ声で変わらぬ応対であった。相変わらず辛口トークである。・・・嬉しかった。元気そうな声と昔とまったく変わらない言葉遣いが嬉しかった。
友とは、会って無くても、話して無くても、昔の関係は変わらないものである。