迷子の達人

迷子の達人

人生で、本当にやりたい事を思い出すために行動する。やってみたいことをひとつひとつ実現していく。そんなことをやってみたい人のためのコーチングです。NLPなど潜在意識系スキルも活用しています。




テーマ:

 

 

私ともう一人のうまく言ってないスタッフの関係について私が辛い思いをしていることに関して、「事実と思いを分離することが必要だ」というアドバイスをもらって本当にそうなのかな?と思った。

 

 

 

事実と思い込みを分けることは大事だと言われる。

 

例えばある人(Aさん)に挨拶をしたとして、返事がなかったとする(事実)

それに対して「Aさんは私が嫌いだから無視したんだ」と決め込んでしまうのが、思い込み。

 

もしかしたら、Aさんは頭が痛かっただけかもしれないし、挨拶が聞こえなかっただけかもしれない。

 

この分離が大切なのはわかる。自己評価が低いほど、「私が嫌いだから」といったネガティブな思い込みにつながりがちだし。

 

 

 

だけどここで私は勘違いしていたかもしれないと思った。

 

「事実」と「思い」を分けろと言われて、私は無意識に「事実だけを大事にせよ」ということだと思っていた。

 

 

だけど、「思い」って本当にいらないのかな?

 

会話をしていて、目線をこちらに向けてもらって、

なんとなくこの人は私を「愛してくれて」いると感じる。「大切にしてくれている」と感じる。

そういう「感覚」は確かにある。

 

 

事実だけをとりだすと、ただ「目がそこにある」というだけ。もしかしたら、こちらを見ているかさえわからない。

 

その感覚は、本当に「思い込み」なのかな?

 

「愛」とは思い込みに過ぎない?

 

「感情」というものは存在しない?

 

同時に「冷たくされていると感じる」これも本当に絶対、ただの思い込みなのか。

 

いらないものなのか?

 

 

そんな事はないと思う。

 

「思い」の中にも、事実に近い「思い」と、ゆがんだ「思い込み」がある気がする。

 

 

 

とここまで書いて気づいた。

 

「事実」から「思い込み」を分離できれば、そのとき初めて正しく「感じる」ことができるのかもしれない。

 

ここで改めて彼の態度を見ている私を冷静に思い出してみると「冷たくされている」とは別の感覚を感じた。


テーマ:

※現在私は、長野県安曇野地球宿というところで宿主の望さん、スタッフの萩麻君とともに働いている。

 

ゲストハウスのホスト側になって何年かたつけど、友だちのように接するのはまだまだ勇気がいる。「やっぱりどこかお金をもらっているのだから丁寧語で話さなければならないんじゃないか」と今もまだ思っているんだろう。無礼な!と思われるのが怖いのかもしれない。

 

 

私が大学を出て初めての会社に就職したとき、仕事とプライベートは完全に分けて考えていたし、お客様は完全に「壁の外の人」と言う感覚だった。友だちにるという発想すらうかばなかった。へこへこしていた。

 

だけどあるとき営業先へ同行してくれた上司から「商談のとき、お客さんとの間にみえない壁があるような気がする」と言われ、はっとした。

 

確かに、私は完全に壁を作っていた。別世界の人として扱っていた。「でもそんな風に扱わなくてもいいんだ、友だちになってもいいんだ。」と気づいた。

 

それからは壁をなくして友人と同じように接する意識で商談に望んだら顧客との距離は縮んだし、プライベートで飲みなどに誘われても楽しく出かけられるようになったし、若かったこともあり良くおごってもらった(私の会社には幸い接待と言う考え方はなかった)

 

 

それでも、サービスを提供する側・される側というのは確固としてあった。だけどゲストハウスではそこがさらにあいまいだ。宿側がゲストにタメ口で話をしたり、時にはお手伝いをお願いしたりもして、ゲストもそれを嬉しそうに受け取る、と言う世界がそこにはあった。

 

 

お金を払って何かをしてもらう、これは簡単。

お金のやり取りなしに、何かをしてほしいとお願いする。これは少しだけ心理的ハードルがあがる。

お金をもらった上に、お手伝いをお願いする。これは相当ハードルがあがる。

 

 

だけど、ゲストハウスにはそれがかなう空気感がある。とはいえ礼儀や感謝の気持ち、気配りは忘れてはいけないし、相手によってどこまでOKかというのも違うし、ゆっくりしたいときもあるだろうから簡単ではない。

 

多分そこは、通常の(お金を介さない)人間関係で意識することとそんなに変わらない。

 

常識的な考え(お金をもらってるんだからサービスしないといけないだろう)にとらわれずに相手が本当に喜ぶのはなんだろう、ということを考え、感じ続けることが大切だと思う。「手伝うことが楽しい」という人だってたくさんいるのだから。

 


テーマ:

※現在私は、長野県安曇野地球宿というところで宿主の望さん、スタッフの萩麻君とともに働いている。

 

昔、考えたことがあった。世界中で、大企業に搾取されている貧しい人達がいるという。お金のために大変な仕事をしている人達がいると言う。どうして「お金をもらう人は払う人のいいなりにならなければならない」という暗黙のルールがあるんだろう。

 

地球上には全人類にいきわたるだけの食料は十分にあると言う。土地だってそうだろう。それならばなぜ、飢えて亡くなる人がいるのか、家をもてない人がいるのか。

 

お金とか関係なく、みんなが助け合い食べ物を分け合うことができたら、みんな幸せになれるんじゃないか。

 

 

 

 

先日参加した池田町移住トークイベントで印象的だったのが、スピーカーの一人がゲストハウスを始めるにあたって望さんに話を聞きにいって「『サービスの提供』と言うことに抵抗を感じる。敬語とか使いたくないし(笑)」と言ったという。

 

すると、望さんに「たとえばホテルみたいに『いらっしゃいませ、お飲み物何になさいますか?』といったら一気に相手との距離ができると思わない?お金をもらった分のサービスをするという考え方も大事だけど、そういった対価主義(お金をこれだけもらったからこれだけのことをする)というのを超えていかないと、本当の人と人とのつながりは生まれないんじゃないかな?」

 

というようなことを言われて、大いに宿運営の参考にした、という話だった。

 

私がゲストハウスを大好きな理由のひとつはここだ。

 

私がゲストとして訪問したとして、友だちのように接してもらえると嬉しいし、あまりに相手が丁寧すぎると逆に距離を感じてさびしい。

 

時にはゲストさんがお茶をついでくれたり、料理して振舞ってくれたり、お土産を持ってきてくれたりもする。普通のサービス業だったらありえないだろう。

 

ゲストハウスでは、お金をもらった上に、お手伝いまでしてもらったりする。それでも喜ばれ、リピーターとなる。

 

ゲストハウスに慣れるとそれが当たり前すぎて気づかないけど、よくよく考えたらすごいことだと思う。

 

そういえば、過去に宿主たちが「手伝ってもらったゲストさんほどリピート率が高い気がする」仲間意識を感じてもらえるからだろうか、と言っていた。

 

 

 

5年ほど前に、ゲストハウス開業合宿開催前の打ち合わせで望さんを訪れたとき「宿を始めるときちゃんと稼いでやっていけるか不安はなかったですか?」と聞くと

 

「ここに宿帳があるけどこれは俺にとっては友だちリストなんだ。これだけ友達がいれば、もし何かあったとしても誰かが助けてくれるから大丈夫だ」というようなことを言っていた。

 

それまでの私は「どうしてお金をもらったら、払った人につくさなければならないと言う暗黙のルールがあるのか」ずっと疑問だった。だからこそ、望さんの言葉に大きく心を動かされた。

 

(最近では、お金をもらっても自分の好きなようにやっている人もいるということもわかってきたけど)

 

望さんにとっては、みんな友だちなんだな。生きていくために宿代はもらうけれども、お金とは関係のないところで、「出会う人すべてが友だちなんだな」と思った。

 

それは、「お金を払うかわりに一時のサービスを受けるだけ」の関係より、何百倍も嬉しいことだと思う。

 

(もちろん一時のサービスを受けたいだけのときもあると思うから一概にどちらがいい悪いというわけではないと思う)

 

ここでは、お金はたまたまゲスト→ホストへ流れてるだけで、人として対等なんだな。これからお金とサービスの交換ということにこだわらず、誰もが友だちとして助け合うことができれば、いつかお金はいらなくなるのかもしれないな。

 

ゲストハウスには「お金を超えた人間関係作り」にすごく可能性を感じる。人と人がより幸せにつながれる関係だと思う。

 


テーマ:

最近出会ったある方が、その人は先日自分の事業を手放して無職状態でいろんなところを回っている人なんだけど、「どこへいってお金がもらえるとかもらえないとか関係ない。そこにこだわらないおかげでいろんな経験ができる」というようなことを言っていた。自分と似たことを考えている人がいてちょっと嬉しかった。


私は地球宿で無給で長期の居候させてもらっているが、お金をもらっていないことで自己価値を低めるのではないかとか、スキルを安売りしていないか、スキルに見合った給与交渉をすべきではないか、そうでなければ周りにも迷惑がかかるなのではないかなどと不安に思う気持ちがなくもなかった(※1)
 

地球宿ではここ数年4-12月の間だけ有給スタッフを募集している。私が「地球宿に行きたい」と突然思い立ったのは(※2)今年の3月で、宿主である望さんに連絡を取ったときには、すでに別のスタッフが決まっている状況だったし、これまでも別のゲストハウスで働いた経験などから、他に雇う余裕がないだろうこともわかっていた。給与の話をしたらここでは働けなかったと思う。
 

お金は道具に過ぎない。必要なときに必要なだけあればよいし、あるところからもらえばいい。
冬暖炉に薪をくべるために、不要な木を持っている人に「薪をください」というのと同じことだ。(ここでは、年老いたりなどしたりんごの木を切り倒すのを手伝う代わりにそれを薪としてもらって来ている)
でも「お金は自己価値と比例している」とか、人間がいろいろ意味を与えるから、それぞれにとっての意味が生まれるんだと思う。

先日、「喜びを提供した対価としてお金がはいってくる」と言う話をきいて、少しひっかかってしまった。
それが事実だとしたら、無給の私より有給スタッフのもう一人の方がより喜びを与えているっていうことになるの?と短絡的に思ってしまった。
 

だけど、少し考えると、「喜びの対価としてのお金」も事実だけど、喜びを与えてもお金が入ってこないこともあるとわかる。ボランティアもそうだろう。
 

お金が入ってくるためには「喜びの提供」だけでなく「仕組み」が必要なんだと思う。もっと簡単に言うと「これだけお金をください」ということ。
 

私は望さんとの契約でお金が入る仕組みを組み込まなかっただけのことだ。(生活費もかからないし貯金も少しあり、自分でもネット経由などで多少は稼いでいたので、その必要もなかった)いくらりんごの木を持っている人を喜ばせても「薪ストーブがあるので薪をください」と伝えなければ薪はもらえないだろう。


喜びを提供してお金が入ってくることもあれば、薪がもらえることもあれば、もっと喜びが帰ってくることもある。「喜びの対価としてお金が入ってくる」というのは上記の事実の一部を切り取っただけのことだ。

 

道具の中でお金だけを特別視して、「自己評価の象徴だ」とか「名誉の証だ」とか考えるから話がややこしくなるのだろう。


テーマ:

この4月から縁あって長野県は安曇野地球宿というところに働きに来ていて、心理セッションは基本的にはお休みしている。

 

今、様々なゲストハウスに長期スタッフとして滞在して学んだことを一冊の本にまとめるという目標があり、その準備もかねて、日記ブログをはじめることにしました。
(過去ブログの再活用なので正確には再開ですね)


先日地球宿に来たウーファーさんと地球宿の宿主である望さんとがエゴマ叩き(農作業)をしながら話していて、ウーファーさんの将来ゲストハウスをしたいと言う話に、「それなら今からでもブログとかで発信をはじめるといいよ」と言う話をしていた。


望さんのブログは面白くて、ふとどういうことを心がけて書いているかきいてみたくなった。
「宿を開業する前からブログを書くということは、読む人の共感を集めるということだと思ったんですけどあってますか?」「心がけていたことはなにかありますか?」と。
 

そうすると「素直に書くことかな」と返ってきた。
 

素直に書くために気をつけたのは「(自分を)守ってないか」ということ。たとえば人の話を聞いているときにも聞けてないときは「守っているな」と気づくんだとか。
 

でも一方で守ることが必ずしも悪いことではないと思うとも言っていた。なぜそれを守っているのか、自分の内面を見つめて、それが大切だから守っているならこれからも大切にすればいいし、そうでなければ守るのをやめるという話だった。
 

私は一度望さんの書いた文章を読んでがっつり心を掴まれたことがある。

 

その時に思い出したのは、私は大学1回生のときに心理学関連の授業で発表がありテーマは忘れたけど自分の内面を掘り下げる内容で、当時は直球勝負しかできなかったから、必死で掘り下げて発表したら思いがけず他の受講生たちから大きな拍手をもらえたことがあった。発表者の中で私だけが拍手をもらえた。予想してなかったのでびっくりした。


だけどそれからあるきっかけで周りと円滑にやっていくためにうそをつくことを覚えてしまった。ばか正直にばっかり生きていると周りと折り合いをつけるのが大変なので「相手に迷惑をかけない程度ならいいや」むしろ、そのほうがみんなのためにもなると思った。

 

そしたら本当は自分がどう思っているのかがわからなくなっていってしまった。それを21~31歳くらいまで10年も続けたらもう何が自分の本心かわからない。「楽しい」って口では言ってるけどそれが本心なのか周りを喜ばせるために言っているのかがわからないような状態になってしまった。
 

もう一度自分の本当の気持ちを取り返すためにもこのブログを書いていきたいと思う。必要のない「守り」をやめる努力をしよう。

Ameba人気のブログ