私ともう一人のうまく言ってないスタッフの関係について私が辛い思いをしていることに関して、「事実と思いを分離することが必要だ」というアドバイスをもらって本当にそうなのかな?と思った。

 

 

 

事実と思い込みを分けることは大事だと言われる。

 

例えばある人(Aさん)に挨拶をしたとして、返事がなかったとする(事実)

それに対して「Aさんは私が嫌いだから無視したんだ」と決め込んでしまうのが、思い込み。

 

もしかしたら、Aさんは頭が痛かっただけかもしれないし、挨拶が聞こえなかっただけかもしれない。

 

この分離が大切なのはわかる。自己評価が低いほど、「私が嫌いだから」といったネガティブな思い込みにつながりがちだし。

 

 

 

だけどここで私は勘違いしていたかもしれないと思った。

 

「事実」と「思い」を分けろと言われて、私は無意識に「事実だけを大事にせよ」ということだと思っていた。

 

 

だけど、「思い」って本当にいらないのかな?

 

会話をしていて、目線をこちらに向けてもらって、

なんとなくこの人は私を「愛してくれて」いると感じる。「大切にしてくれている」と感じる。

そういう「感覚」は確かにある。

 

 

事実だけをとりだすと、ただ「目がそこにある」というだけ。もしかしたら、こちらを見ているかさえわからない。

 

その感覚は、本当に「思い込み」なのかな?

 

「愛」とは思い込みに過ぎない?

 

「感情」というものは存在しない?

 

同時に「冷たくされていると感じる」これも本当に絶対、ただの思い込みなのか。

 

いらないものなのか?

 

 

そんな事はないと思う。

 

「思い」の中にも、事実に近い「思い」と、ゆがんだ「思い込み」がある気がする。

 

 

 

とここまで書いて気づいた。

 

「事実」から「思い込み」を分離できれば、そのとき初めて正しく「感じる」ことができるのかもしれない。

 

ここで改めて彼の態度を見ている私を冷静に思い出してみると「冷たくされている」とは別の感覚を感じた。