今日の話は長いです。
お時間のある方だけおつきあいくださいませ。
先日、赤ちゃんへの整体(マッサージ?)で乳児が死亡したというニュースhttp://matome.naver.jp/m/odai/2140999512972950001
が流れ話題になりました。
この事件で、もっぱらキーワードになったのが
・ 無資格(あんま・マッサージ師でも医師でもない)
・ マッサージで「免疫力が上がる」科学的根拠がない
・ 首をひねる、独自の施術(写真付き)
無資格に関してももちろんいいたいことがございますが
変なところですが、わたしは「科学的根拠」にひっかかりました。
「科学的」ってどういう意味か説明できますか。
実は、「科学的」って言葉自体を科学的に説明できないんですって。笑
この事件で、もっぱらキーワードになったのが
・ 無資格(あんま・マッサージ師でも医師でもない)
・ マッサージで「免疫力が上がる」科学的根拠がない
・ 首をひねる、独自の施術(写真付き)
無資格に関してももちろんいいたいことがございますが
変なところですが、わたしは「科学的根拠」にひっかかりました。
「科学的」ってどういう意味か説明できますか。
実は、「科学的」って言葉自体を科学的に説明できないんですって。笑
つまり明確な定義っていうのがなく若干曖昧らしい。。
まず、科学っていう言葉の解釈自体が歴史的に変遷しています。
古典科学や中世では知的探求はフィロソフィーと呼ばれていました。
現在のscience(科学)という言葉は、単に知識という意味でしかなかったと言われています。
そして、自然現象を単に眺めて考察するという状態から一歩進んで、自然法則が作用する環境をさまざまな撹乱要因を取り除いて人為的に作り出す試み、すなわち実験(冒険)という手法を採用して、実証的に知識体系を進歩させていくという知的営為を科学としたのが20世紀に入ってからです。
科学は大きく西洋科学と非西洋科学に分かれます。
(以下Wikipediaより)
非西洋科学は、中国科学が例としてあげられ、長らく西洋科学の先を行っていたが、天文学や物理学の分野では西洋科学に追いつかれ、追い抜かれました。
しかし、対象が生命に関する領域や、有機体論的な性格を帯びた領域では、単純に西洋が優れているわけではありません。特に医学の領域です。中国や日本における臨床結果から一定の効果があることが知られていて、症状によっては西洋医学でも治せないものが、鍼療法でなら治せるというものがあります。
中国科学の体系を西洋科学では把握することができないのです。西洋医学は西洋的な考え方をし、東洋医学は東洋的な考え方をしているといえます。(素朴な人は“科学は事実を記述している”などと思うが、それは一種の幻想なのであって)考え方・理論が異なると、同じ症状を眼の前にしても、解釈が異なり、異なった姿が描き出されることになります。症状が同じでも、考え方が異なると、そこに別の病気の実態を見ているのです。他の理論体系を理解するには、まず、ものの見方・考え方によって森羅万象が異なった姿に見えてくる、ということに気付くことが第一歩になります。それはちょうど、同じ風景を見て描いても描く人によって全然異なった風景画ができあがるのと同じようなことだといえます。
(ここまで引用)
ここが大事なところです。
生命のことに関して「(西洋)科学的根拠」のある説明をするのは非常に難しいことなのです。
今、普通に日本で科学的といえば、西洋科学にあたり、西洋科学は上述したように、生命に関する領域に関してすぐれてはいないのです。
西洋科学(西洋医学)は身体を構造物(の集合)としてとらえる傾向があり、東洋医学は相互に関連し合う機能としてとらえます。
西洋医学は、物理学、化学、生物学にたけていますので、その構造物がどんな働きをするかを装置を使って調べ、血液検査(実験・検証)によりデータをとって健常な身体のデータと比較して逸脱したものを異常ととらえ、薬を入れて望む生化学反応を起こさせるのを主たる治療手段とします。
ちなみに、物理学、化学、生物学を総称して理学ともいいます。理学療法士というのは科学を駆使してセラピーする職種なんですね。
ちなみに理学療法士physical therapistのphisycalの意味は、「身体の」という意味の他に「物理学上の」「自然の法則による」つまり自然科学のという意味があるんですね。
自然科学の法則を使う療法士です。いいですね。かっこいいですね。
話がそれましたが、つまり西洋医学というのは
たとえば、A君を「とても元気がよくてやんちゃでよくしゃべる男の子」と定義したとします。
ある日、全然元気がなく黙り込んでいるとします。
そしたらA君は元気がよくてよくしゃべるのが正常だ。異常事態だ!と大騒ぎするのがそれです。
でも、A君は仲の良い友達と過ごしているときは元気がよいが
先生を目の前にしたら、緊張してしゃべれなくなる
お父さんには、萎縮して黙り込んでしまう
お母さんには、生意気なことを言っていたずらして困らせている
そう、周りとの相互関係で行動が違うかもしれないのです。
東洋医学は、その関係性を見て機能を評価しているのです。
だから、多少黙り込んでいたって周りの環境を見てマッチしていればそんなおかしな事態ではない訳です。
西洋科学とは「AはBである」「AしたらBになる」ということが証明されなければ根拠としてはならないという学問です。
その学問体系では、先のA君の行動は理解できません。
そう、要するに「視点を変える」という行為をしなければ、A君の行動は理解できない訳で、同じA君を見ているのに人によって印象や評価が違うのも、その人が見る視点もしくは関係性、持つ理論体系が違うからです。
治療も同じで、同じ症状を見るのに解釈が異なってくるわけです。そしてそれは、悪いことではありません。
どちらの見方でも、最終的に治ればいいのです。
だから、一元的に「科学的根拠がない」という方法、手段(ここではマッサージ?)が効果がないものと決めつけるのは、自分の幅を狭めると思います。とくに生命、身体における分野については。
あ、今回のニュースになった首をひねる独自施術を肯定している訳では決してありませんので。
構造の理解も、非常に大事です。
プラモのガンダムの肘を反対に曲げたら折れるでしょ。
関節をあらぬ方向に曲げたら、筋、血管、神経、靭帯に圧迫や過伸張やらで傷つくでしょ。そこに反射入って筋収縮が起こったりしたら断裂もするでしょ。
ただ、何でもかんでも科学的根拠が、、っていうのもどうかと思います。
どっちの視点も大事です。
物理学、化学、生物学(理学)療法士にも、東洋医学の視点を入れると強いと思うなぁ。
この方は、構造の理解の部分で大失敗したがために、東洋医学的な視点までついでに根拠がないと批判されちゃってるんでないかなと思いました。詳しくは知らないんですけど、きっと、やっていることの全部が全部おかしい訳ではなかったと思うんで残念です。
何よりも赤ちゃんへのマッサージやタッチセラピーの類にマイナスイメージがついてしまうことが残念です。
そして、亡くなられた赤ちゃんのご冥福をお祈りいたします。
Hitomi
まず、科学っていう言葉の解釈自体が歴史的に変遷しています。
古典科学や中世では知的探求はフィロソフィーと呼ばれていました。
現在のscience(科学)という言葉は、単に知識という意味でしかなかったと言われています。
そして、自然現象を単に眺めて考察するという状態から一歩進んで、自然法則が作用する環境をさまざまな撹乱要因を取り除いて人為的に作り出す試み、すなわち実験(冒険)という手法を採用して、実証的に知識体系を進歩させていくという知的営為を科学としたのが20世紀に入ってからです。
科学は大きく西洋科学と非西洋科学に分かれます。
(以下Wikipediaより)
非西洋科学は、中国科学が例としてあげられ、長らく西洋科学の先を行っていたが、天文学や物理学の分野では西洋科学に追いつかれ、追い抜かれました。
しかし、対象が生命に関する領域や、有機体論的な性格を帯びた領域では、単純に西洋が優れているわけではありません。特に医学の領域です。中国や日本における臨床結果から一定の効果があることが知られていて、症状によっては西洋医学でも治せないものが、鍼療法でなら治せるというものがあります。
中国科学の体系を西洋科学では把握することができないのです。西洋医学は西洋的な考え方をし、東洋医学は東洋的な考え方をしているといえます。(素朴な人は“科学は事実を記述している”などと思うが、それは一種の幻想なのであって)考え方・理論が異なると、同じ症状を眼の前にしても、解釈が異なり、異なった姿が描き出されることになります。症状が同じでも、考え方が異なると、そこに別の病気の実態を見ているのです。他の理論体系を理解するには、まず、ものの見方・考え方によって森羅万象が異なった姿に見えてくる、ということに気付くことが第一歩になります。それはちょうど、同じ風景を見て描いても描く人によって全然異なった風景画ができあがるのと同じようなことだといえます。
(ここまで引用)
ここが大事なところです。
生命のことに関して「(西洋)科学的根拠」のある説明をするのは非常に難しいことなのです。
今、普通に日本で科学的といえば、西洋科学にあたり、西洋科学は上述したように、生命に関する領域に関してすぐれてはいないのです。
西洋科学(西洋医学)は身体を構造物(の集合)としてとらえる傾向があり、東洋医学は相互に関連し合う機能としてとらえます。
西洋医学は、物理学、化学、生物学にたけていますので、その構造物がどんな働きをするかを装置を使って調べ、血液検査(実験・検証)によりデータをとって健常な身体のデータと比較して逸脱したものを異常ととらえ、薬を入れて望む生化学反応を起こさせるのを主たる治療手段とします。
ちなみに、物理学、化学、生物学を総称して理学ともいいます。理学療法士というのは科学を駆使してセラピーする職種なんですね。
ちなみに理学療法士physical therapistのphisycalの意味は、「身体の」という意味の他に「物理学上の」「自然の法則による」つまり自然科学のという意味があるんですね。
自然科学の法則を使う療法士です。いいですね。かっこいいですね。
話がそれましたが、つまり西洋医学というのは
たとえば、A君を「とても元気がよくてやんちゃでよくしゃべる男の子」と定義したとします。
ある日、全然元気がなく黙り込んでいるとします。
そしたらA君は元気がよくてよくしゃべるのが正常だ。異常事態だ!と大騒ぎするのがそれです。
でも、A君は仲の良い友達と過ごしているときは元気がよいが
先生を目の前にしたら、緊張してしゃべれなくなる
お父さんには、萎縮して黙り込んでしまう
お母さんには、生意気なことを言っていたずらして困らせている
そう、周りとの相互関係で行動が違うかもしれないのです。
東洋医学は、その関係性を見て機能を評価しているのです。
だから、多少黙り込んでいたって周りの環境を見てマッチしていればそんなおかしな事態ではない訳です。
西洋科学とは「AはBである」「AしたらBになる」ということが証明されなければ根拠としてはならないという学問です。
その学問体系では、先のA君の行動は理解できません。
そう、要するに「視点を変える」という行為をしなければ、A君の行動は理解できない訳で、同じA君を見ているのに人によって印象や評価が違うのも、その人が見る視点もしくは関係性、持つ理論体系が違うからです。
治療も同じで、同じ症状を見るのに解釈が異なってくるわけです。そしてそれは、悪いことではありません。
どちらの見方でも、最終的に治ればいいのです。
だから、一元的に「科学的根拠がない」という方法、手段(ここではマッサージ?)が効果がないものと決めつけるのは、自分の幅を狭めると思います。とくに生命、身体における分野については。
あ、今回のニュースになった首をひねる独自施術を肯定している訳では決してありませんので。
構造の理解も、非常に大事です。
プラモのガンダムの肘を反対に曲げたら折れるでしょ。
関節をあらぬ方向に曲げたら、筋、血管、神経、靭帯に圧迫や過伸張やらで傷つくでしょ。そこに反射入って筋収縮が起こったりしたら断裂もするでしょ。
ただ、何でもかんでも科学的根拠が、、っていうのもどうかと思います。
どっちの視点も大事です。
物理学、化学、生物学(理学)療法士にも、東洋医学の視点を入れると強いと思うなぁ。
この方は、構造の理解の部分で大失敗したがために、東洋医学的な視点までついでに根拠がないと批判されちゃってるんでないかなと思いました。詳しくは知らないんですけど、きっと、やっていることの全部が全部おかしい訳ではなかったと思うんで残念です。
何よりも赤ちゃんへのマッサージやタッチセラピーの類にマイナスイメージがついてしまうことが残念です。
そして、亡くなられた赤ちゃんのご冥福をお祈りいたします。
Hitomi