オムネク(14) 最終回 キリストの名が利用されて「キリスト教会」が組織された | ココのアセンション日記

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「私はアセンションした惑星から来た」金星人オムネク・オネクのメッセージ

(14)最終回

 キリストの名が利用されて「キリスト教会」が組織された

投稿者 zeranium 日付 2012年9月 5日 (水)
 

イエスの子供時代は何事もなく静かに過ぎていきました。ヨセフは大工の仕事をしながら家族を養い、マリアはイエスの父親から学んだ原理をイエスに教えていました。イエスもまた定期的に父親と会い、彼から地球の歴史のすべてを学びました。そして12歳を迎えた頃、イエスは自分自身の体験を通して学ぶために旅に出ました。秘教を学ぶことが目的の彼の旅は、エジプト、チベット、そしてインドにまで及びました。

彼はチベット北部のカツパリ修道院の長であるフッビ・クウォンツのもとで、3年間教えを受けました。そこで彼は「至高なる神性の法則」の秘密を学び、彼の霊的な名前である「ジーザス」と「キリスト」という名を授かりました。「イエス」は「ユダヤの王」という意味でもあり、彼の伝える教えが新しいものであるために付けられた「キリスト」という名は、「真理を運ぶ者」という意味です。

その後、家族のもとに戻ったイエスは30歳になっており、すでに自分の民族に教え始める準備ができていました。彼には12人の弟子たちがいました。彼らはその性格や、イエスとのカルマ的なつながりや、そしてそれぞれが自分の人生で果たすことになる役割によって選ばれていました。

イエスはそのうちの一人が彼を裏切り、もう一人が彼を否定するであろうことも知っていました。彼はまた自分の亡き後は、シモンがその仕事を引き継ぐであろうことも分かっていました。イエスは彼ら弟子たちに会った際に、内なる英知によってこれらのことを示されました。彼はとても霊的な人物で、精神的な法則について多くのことを知っていました。

魂のさまざまな次元世界への旅や、各個人の能力に関する彼の教えは、おもに寓話(グウワ)のかたちで与えられました。なぜなら、彼のいた時代の人々の知識は非常に乏しく、あまり高い意識レベルに達していなかったからです。「至高なる神性の法則」の原理は、キリストのメッセージの中に象徴的に示された言葉に認めることができます。「最初に天の王国を求めよ」という教えは、人間は死によって肉体を去る前に高次元の世界を体験することができ、またそうするべきであるという意味です。これは非常に数多く存在する例のうちのたった一つにしか過ぎません。

人々の学びに必要な病気を癒したイエス

残念ながら人々にとっては彼の教えることよりも、彼自身のほうがより重要なものとなってしまいました。彼は精神的な指導者というよりも、崇拝される名士のようになっていったのです。彼は人々を無知の状態から英知へと導こうとしていたのですが、ついに、何も分からない彼らへの哀れみのほうが上回ってしまったのです。なぜなら、あまりにも多くの民衆が癒しを求めて彼にしがみついてくるようになり、彼はもはや、それを拒む意志を持つゆとりも持てないほどに、哀れみの情に呑み込まれていました。

彼は多くの病める人々を癒し、苦悩する人々を助けましたが、このようにして彼は、貧しく苦悩する人々への深い同情の気持ちに屈してしまい、彼らを癒すことが彼らに必要な「学びの機会」を取り去ることになり、やがて自分がその報いを受けねばならなくなることも分かっていました。

そして彼はその報いを今回の人生で受ける必要がありました。なぜなら彼の今回の地球での転生が、物理的な体を経験するための最後の転生であったからです。ですからイエスが、「人々の罪を引き受け、そのために死んだ」ということの意味は、「自らの学びのために病むというカルマを抱える」人々を、彼が奇跡的治癒により助けてしまったことで、まさにその人々の多大なカルマを背負わされた結果、そのすべてが肉体の拷問による死という形ちで、報いとして帰結したということなのです。

聖書にはキリストが荒れ野に行って祈ると、偉大な存在が彼のもとに現れたと書かれています。イエスの父親を含むその当時の他の惑星からやってきていた精神的指導者たちは彼に対し、彼は哀れみの情に屈したことで自身の教えから逸れてしまったために、この人生において肉体的な苦痛を受けるか、あるいは再び地球に転生することでカルマを解消しなければならないだろうと告げました。

イエスは最初はそのような報いを受けたくありませんでしたが、遅かれ早かれ自分のカルマは自分で清算しなければならないことを理解してこう言いました。「私の願いではなく、御心のままに」。 彼は霊的な法則に従わなければならないことを知っていたので、先延ばしにして今の自分を守ろうとするよりは、むしろ受けるべき苦痛を今受けることによって、それを終わらせようと決意したのです。

晩年にかけてキリストは非常に多くの人々を癒し、たくさんの奇跡を行いました。それはユダヤとローマの指導者たちに脅威(キョウイ)を与えるに十分なものでした。そしてやがて彼は追い詰められて捕われることになりました。しかし総督ピラトはキリストを深く尊敬していたので、彼が自分を守るために動くように説得に努めましたが、キリストはそれを拒みました。彼には自分の作ったカルマは自分で贖(アガナ)わなければならないことがわかっていたからです。

実は、ローマとユダヤの指導者たちは、アトランティスの時代に何が起きたかについて知っていました。そして彼らはいくつかの古代のテクノロジー装置を、自分たちの権力とその行使のために隠し持っていたのです。彼らはキリストがいかに彼らにとって危険な存在になりつつあるかが分かっていました。なぜならキリストは過去の歴史を曝露(バクロ)し、彼らがある計画のもとに組織立てた「教会」に対して、人々に背を向けさせつつあったからです。

彼らは1人の囚人を釈放することで人々に選択させようとしました。そうすれば自分たちが責任を負わずに済むからです。それは殺人者・盗賊として知られていたバラバとキリストの、どちらを釈放するかということでした。彼らは群集の中に兵士たちを送り込み、バラバの釈放を叫んだ者に黄金を与えるという策略を行いました。

キリストの名を利用してキリスト教会が組織された

そして計画の第二弾は、キリストの処刑後に、キリストの名前を使って統一された宗教を組織することでした。彼らはキリストが復活するという預言を知っていたのです。彼らはまたカルマの法則についてもよく理解していました。もし彼らが、未来の世代にキリストを崇拝させ、その子供たちに洗礼を受けさせ、その全生涯とすべての行ないをキリストのために捧げるような信仰を持たせることができれば、それらの人々がもたらすカルマはキリストに負わされ、その結果彼の精神的な進化は遅れることになり、その結果ある次元に拘束されることになり、そうなればもはや、キリストは脅威の存在ではなくなると考えたのです。

キリストが予想だにしなかったことは、彼を崇拝して自らの師と考える未来のすべてのキリスト教信者に至るまで、彼がそのすべての責任を負わなければならないということでした。彼は自分のシンプルな教えが宗教にまでなり、自らが教えようとしたことよりも、自分自身の存在のほうがより重要視されることになろうとは夢にも思わなかったのです。つまり彼を滅ぼす手助けをしたのと同じ勢力が、今や、手の平を返したように彼を担ぎ上げ、彼を神の息子として崇拝させようとしていたのです。

そして今ではユダヤ民族でさえが、彼らのためにやって来たキリストであるのに、その生涯が一冊の本になって全世界に広められるのを許しています。それはあなた方が聖書と呼ぶ本のことで、イエスが教えた真理のいくつかは除外されています。そしてほとんどの伝統的な教会にあるキリストの肖像は、拷問を受けて血を流している姿のものなのです。

十字架上で苦しみながら、自分が癒した人々に嘲(アザケ)られながらも、キリストは自分が背負うことになったカルマのほとんどを解消しました。その一方で彼は、人々を哀れんで神に願いました。「彼らを許してください。彼らは自分たちがしていることを何もわかっていないのです!」 彼の苦しみはさらに度合いを増し、それは彼が思っていたよりもずっと長く続きました。そして彼は、その苦しみが終わるまで肉体を去ることができませんでした。しかも彼の父親が宇宙船で接近して助けにも来てくれないので、彼は叫びました、「父よ、私の父よ、なぜ私を見捨てるのですか?」 

しかしキリストの母星の人々はある計画を持っていました。それは彼が「できれば苦しみを受けたくない」と彼の父に懇願したあの荒れ野で、彼の父はその計画をキリストに話してありました。それは人々に対して教えるためであり、「肉体が死んだ後にも人生は続くこと」、また「肉体とは単なる魂の乗り物に過ぎず、魂はそれを離れたり、再び宿ったりすることができること」を示すことでした。しかし、キリストの時代の人々は、肉体は死んでも魂は生き続けるという復活をそのようには解釈せず、キリストの偉大な奇跡の一つだと思ってしまったのです。

キリストが息を引き取ると同時に、凄まじい嵐が巻き起こり、真っ黒な雲が太陽を覆(オオ)いました。これはキリストを信じなかった者たちを震え上がらせ、後に書かれたキリストの物語において大いに強調されました。この嵐は実際には、キリストの信奉者たちによる集合的なサイキック・パワーによって引き起こされたものでした。彼らは怒りの神こそ絶対権力者だと信じていたのです。

キリストの死後、彼の遺体はマリアやキリストの友人たちによって用意されていたお墓に移されました。権力者たちはその遺体が人々によって盗まれないように墓に護衛を配置しました。しかし実際には彼らは、キリストの遺体がある者たちによって運び出される計画を知っていたのでそれを防ごうとしていたのです。

そして宇宙船がキリストの墓の近くに着陸したとき、護衛たちはその光と強烈なエネルギー場の影響で気を失って倒れてしまいました。そしてキリストの遺体は修復のために運び出されました。遺体の肉体の修復のために彼の父親が準備をしている間、キリストは彼のアストラル体の中で待機していました。なぜなら死後24時間以内の肉体は、細胞と組織を再生する放射線によって修復することが可能なのです。そして魂は再び、その中に宿ることができます。

キリストの墓にやってきて、彼の遺体が消えていることに最初に気づいたのはマグダラのマリアでした。彼女は意識を取り戻してから眼の前で起きたことの詳細を思い起こしました。彼女がちょうど墓に着いた時、そこにはきらめく長い衣服をまとい、輝きに包まれた天使たちがいました。そしてマリアに、キリストは生きているという知らせを告げたのでした。彼女の記憶では、彼らは墓の入り口の大きな石を転がしながらこう言いました。「怖れてはいけません」。彼女は天国から来た天使たちがイエスを癒したのだと信じ、彼を探すために出かけて行きました。

聖書には、キリストが多くの信奉者たちの目の前に現れた時に、彼が話しかけるまでは、彼らは誰もそれがイエスだとは気づかなかったという記述が多数あり、またキリストの墓のそばに、光沢のある長い衣服を着た存在たちがいたという記述も複数あります。マグダラのマリアの前に現れたキリストはこう言いました。「私の体はまだ完全ではないので、私に触ってはいけない。私はまた戻って来る」。

彼はこのようにして大勢の人々の前に姿を見せ、アストラル体によって扉や壁を通り抜けました。そして彼の肉体は宇宙船内で修復されて後、そこに再びキリストの魂が宿ったのでした。それから彼は再び人々の前に現れて体を示し、彼らがそれに触り、傷口に手を触れることを許したのです。

彼は人々に言いました。 「私はここを去ります。それは天におられる父のもとでともに暮らすためです。」 人々は彼の説明を、自分たちに理解できるように最善を尽くして解釈しました。つまりキリストが宇宙船で去ったことを、天国への上昇と言う表現で伝えたのです。その後イエスは父親とともに地球へ戻ってきて、マグダラのマリアと結婚し、のちにサラという娘をもうけました。そして彼は再び肉体の死を迎えるまでの長い間を地上で過ごしました。

キリストはその後も、彼の同胞民族たちの多くを、彼らの多くの生涯にわたって導いています。キリストは自分自身に救いを見出したすべての人々に対して、精神的な責任というカルマを負っているのです。そのために彼はそれぞれの個人の指導をできるだけ引き受け、一人一人をキリスト教から離れさせ、そのような枠を超えたより偉大な霊的な道へと導いています。彼がこのようなことをする理由は、下層世界であるコーザル界に自分を引き止めているカルマから解放されるためなのです。

そしてキリスト教化された地球の多くの領域では、あらゆる行為が彼の名のもとに行なわれています。あらゆる戦争が彼の名のもとで戦われ、あらゆる子供たちが洗礼を受け、あらゆる人々がキリストの名のもとに自らの人生を生きています。このような状態がさらに彼を下層世界に縛り付ける鎖となっているのです。

つまりキリストが全ての誤解から解放され、キリスト教のもとにいるこれらすべての魂たちが、本来の真実の霊的な道に出ていくまで、キリストは下層世界の時空であるコーザル界に留まっていなければならないのです。この下層世界のコーザル界にある天国のような場所は、集合意識によって創られたものです。その集合意識とは、この地球上におけるすべてのキリスト教徒の信仰が作り出しているものなのです。


📕「私はアセンションした惑星から来た」金星人オムネク・オネクのメッセージ オムネク・オネク著 徳間書店 抜粋

転載元: http://8729-13.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/post-10ea.html


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