オムネク(8) 私たちは地球レベルを卒業しなければならない | ココのアセンション日記

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( 8 ) 私たちは地球レベルを卒業しなければならない

投稿者 zeranium 日付 2012年9月 1日 (土)

 

自分たちの過去世の記憶が閉ざされていることは、私たちにとっては好都合なことなのです。なぜならその準備もなく、人がいきなりあまりにも多くの記憶の洪水に飲み込まれてしまうなら、最終的には隔離施設に送られることになりかねないからです。これらの記憶は魂の知識の一部を成すものであり、私たちがそれを取り扱えるほどに成熟するまではあまり気づくことはないのです。他の時空を超えた過去世の体験を幸いにも覚えている人は誰でも、下層世界である物理的次元にはいろいろと不完全なことが多いことを知っています。

それではなぜ、私たちはこんなにも長い間、下層世界に縛られたままいつまでもここに留まっているのでしょうか? それは私たちを浄化して完成させるために作り出されたネガティブな力が、できるだけ長く私たちをここへ押し留めておこうとしているからに他なりません。そのために用いられる道具である「カルマの法則」は、「引力の法則」と同じように力を発揮し、私たちがその存在にすら気づくことのなかった遥か昔から、私たちを地球へ引き付けてきたのです。カルマの法則が目に見えないものであることを疑う人はいませんが、それがどれだけ現実的で具体的なものであるかに気づかず、知らないでいる期間が長ければ長いほど、人は物理的な世界により長く縛られることになるのです。

それは、「自分の蒔いたものは自分で収穫する」ということで、自分の行ないは自分に向けられたものなのです。かつては地球上のほとんどすべての宗教や精神的探求の指導者たちが、この普遍的な法則を説いてきました。しかし今日では、この法則を知る人は非常にわずかのようです。しばしば言われてきたことですが、心というものは便利な召使になり得ると同時に、その状態がどんなものであるかによっては酷い主人にもなり得るのです。

魂は、濃密な物質である肉体を常にコントロールしていなければなりませんが、それができていないことがあまりにも頻繁にあります。聖なる霊である魂が心をコントロールしないならば、ネガティブな「カルマ・パワー」が支配権を奪い、その結果人を虚栄心や怒り、渇望、貪欲さ、そして物質的なものへの執着という5つの激情へ溺れさせることになります。このような状態が新たなカルマの負債を生み出し続け、魂はより強くこの物質的な下層世界に縛り付けられていくのです。なぜなら、清算すべきカルマがある限り、再びそこへ生まれてこなければならないからです。肉体を持つ人間として、人は多くの輪廻転生を通して、その魂は自ら作ったカルマの「しがらみ」に巻き込まれていきます。

輪廻転生を通してかつては誰もが、貧しさと豊かさや権力と非力、有名と無名、健康と病気、利発と愚鈍などの両方の立場を繰り返し経験してきています。しかしやがて魂はバランスというものに気づくようになり、この世界での転生のサイクルが終わりかける頃、自分はなぜ存在し、なぜここにいるのか、そしてどこへ行こうとしているのか、物質的世界を超えた世界は存在するのか、存在する偉大な力とな何なのかについて問いかけるようになり、その答えを熱心に探し求めるようになります。そして宗教的な教えや伝統的な教えが、もはや自分を満足させないことに気づくようになります。この時点において人は、自分というものについて、つまり自らの感覚や思念、そして直感というものに気づくようになります。

やがて人は自分を納得させる真理を求めて、物質的領域を超えた世界を意欲的に、意識的に探求し始めるようになるでしょう。そして人の魂はもはや、現代の宗教には納得できなくなるのです。なぜならそこには十分な真理も答えも存在せず、見出せないからです。そのとき魂は、物理的な世界を超えた何かを求める準備ができているのです。そして人は霊的な教えを見いだし、魂について、そしてこの物理的世界に入って来る前の自分の存在について知ることになります。そしてこの教えを意識的に学ぶことによって、「魂の旅」ができるようになることに気づくでしょう。この技術と科学は、魂が肉体を一時的に離れることを可能にさせ、物理的な宇宙を越えた世界を訪問して探査することができます。これはたとえて言えば、宗教が天国と呼んでいる場所を、死ぬ前に行って見てくるようなものです。そしてこの体験を通してのみ、死後の世界と生命についての真実の確信を得るのです。
 

「魂の旅」は「至高なる神性の法則」の持つ主要な特色であり、他の教えとは一線を画すものです。肉体というものが、魂が学びを得るための乗り物に過ぎないことを理解するとき、人はもはや物質的で濃密な世界にこれ以上転生する必要を感じなくなります。また魂がカルマを清算しなければならない領域は、何も物理的世界だけではないのです。魂はこれまでにもアストラル界やコーザル界、メンタル界でも過ごしてきているので、当然カルマを作ってきているからです。魂である私たちはより精妙で繊細な上層世界へ向かう旅の中で、まず下層世界でやり残していることをすべて片付けておかなければならないのです。

カルマのしがらみと輪廻転生から解放されると、魂は霊的な世界にしっかりと根付くことができます。そこは魂の世界(ソウル界)と呼ばれる時空を超えた領域です。あなたはここで、自分が魂の存在であることを初めて完全に認識することになります。このソウル界よりも5、6層上の領域には、さらに高次の霊的世界があり、そこは神の意識に到達した領域です。ここにおいて魂は自身と至高なる神が同一つであることに気づきます。魂はここで完全な悟りを得るのです。この状態は、あなたが未だ肉体とともにある状態であっても到達することが可能です。そしてここにおいてさえ、魂の成長は終わりではなく、その上には上があり、永遠にわたって常にひとつ上の領域というものが存在するのです。

「至高なる神性の法則」は、あらゆる惑星に存在する教えです。私たちはそれが金星の霊的な教えであることを公然と認識しています。これは濃密な次元世界を超えたところに源を発する教えであり、宇宙の他のどの惑星においても実践されているもので、さらなる成長への準備ができている魂を助けています。濃密な物質的世界には、その場所においてさらなる経験を積む必要のある魂のために、適応した独自の教えが途方もなくたくさんあります。そしてそれらは、魂が密度の濃い世界から脱出できるほどの強さと気づきを得るまでは、そこに縛り付けておくために作られたものなのです。

そこにある真理は限られたものでありながらその役割はよく果たされており、その世界における多くの意識レベルに対応できる多様性を持っています しかしながらそれぞれの人はその教えが、自分が求めている真理であって自分の内的欲求を真に満たすものであるのかどうかに注意し、そうでない教えには囚われないように気をつける必要があります。また真理を探究する者は、カルマの領域にある下層世界の一部を、霊的なものと間違えないように慎重にならなければなりません。

今日のアストラル界(物質世界の一つ上の領域)を、そこが究極の天国だと信じ込んでいる人々が多くいます。そこは確かに、物理的な世界よりも遥かに美しいところには違いありませんが、それは霊的に生きる人々が住む場所はどこでも、地球の人々にとっては天界のように思えてしまうからです。けれどもどのような世界であれ、その世界はそこに住む人々の意識状態を反映したものに他なりません。この原理は地球世界にも当てはまるもので、多くのネガティブなカルマを持った人々は互いに惹(ひ)かれあって一つの惑星に集まるものであり、その結果ネガティブな体験をすることが可能な状態を作り出してしまうのです。

私は地球のすべてが、完全にネガティブな惑星だと言っているのではありません。地球もまた、そこに生きる生命のためにポジティブなほうにバランスがとられるのです。つまり濃密な物質世界に存在するどのような領域のいかなる惑星に生きていても、ポジティブに感じて生きるか、あるいはネガティブに感じて生きるかは、本人の態度と意識次第であるということです。なぜなら自分の私的な世界を創造しているのは、自分の思考であり感情であり、思念の力であるからです。つまりは、あなたの意識的な気づきの度合いによるのです。

すでにお話しましたが、金星もかつては現在の地球のように非常にネガティブな惑星であったのです。そして何百万年もの歳月をかけて、金星の人々はある精神的な開花の段階にまで進化を遂げました。それは特別なことではないのですが、それを未だ経験したことのない地球の人々にとってはそう見えるかもしれません。私たち金星の人々の精神的な成長と科学的な進歩はとてもポジティブなものであったので、わたしたちの文明全体が、もはや物理的な世界に存在する必要性がなくなったのでした。つまり物理的な惑星として活動する金星はそのまま残りましたが、その文明とすべての人々はアストラル・レベルへの移行段階に到達したのです。


📕「私はアセンションした惑星から来た」金星人オムネク・オネクのメッセージ オムネク・オネク著 徳間書店  抜粋

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( 9 ) へつづく



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