オムネク(6) 人は精神的に成熟すると宗教に満足できない | ココのアセンション日記

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(6)人は精神的に成熟すると宗教に満足できない

投稿者 zeranium 日付 2012年8月30日 (木)

 

もし人々が、自らの行為のすべてといつか必ず真正面から向かい合うことになるということを知っていたなら、正常な心の持ち主であれば、他人を苦しめたり悲しませたり、傷つけようなどとは決して思わないでしょう。それは、自分がして欲しいと思うことを人にもするということなのです。他人に為した行為は、いつか必ず自分にも為されるということで、それは自分が与えたものをいずれ自分が受け取るということなのです。

私は地球に来て、慈悲についてのシンプルな教訓を学びましたが、それはどの惑星に生きる人々であっても、その人なりの学びがあるということと同じことです。また私の地球での人生は、金星のような進化した惑星に転生したからといって、過去世で作った自分のカルマという課題からは、逃げられるものではないということを証明するものでもあります。

数十年前までは、人々は私が述べたような考え方を受け入れる準備はまだできていなかったでしょう。しかし多くの意識や認識が新しい段階を迎えたことが、この本の出版を可能にしました。そして人々の私に対する反応いかんによっては、さらに多くの私の仲間たちが自らの出身を告白するようになるかもしれません。私が地球に来ている個人的な理由以外に、私たちは地球人の意識というものについて非常に深い関心を持っています。これは生命や宇宙についての基本的な理解に関わることであるとともに、全体における自分というものの認識に関わるものです。

今の地球において私たちの全体的な関心は、地球人の精神的な覚醒に向けてある役割を担うことです。それは政治的、社会的な変革が私たちの直接的な目標ではないからです。誰の生き方もそうであるように、地球の人々の生き方は、自らの精神的な開花の程度だけ、あるいは個々の意識の目覚めの程度だけを反映したものに過ぎないということです。物理的な3次元的宇宙に生きる理由は、霊的な覚醒のためにほかなりません。ですから人々のどのような人生の局面においても、この大きな計画から逸(そ)れるものはないのです。

地球には聖職者と言われる人々がいますが、それについての私たちの考え方も、おそらくあなた方が期待するようなものではないでしょう。つまり霊的な覚醒とは、宗教的な献身者になったり、または聖者のように生きようとしたりすることではないからです。私たちの精神的な教えとは、実際には高度な形の科学なのです。

霊的なものと科学とは、本来一つのもののある側面を言い表しているに過ぎず、別々のものではないのです。その真理の一端に、神や命や死について、また来世や転生についてなどの理解があり、この側面が地球の人々が宗教的に、また精神的なものとして探求しているものです。そしてもう一端のスペクトルには、物理的な宇宙とその法則の完全なる理解が示されており、それは驚くほど素晴らしいテクノロジーとして反映されているものです。

過去の時代において、金星から地球へと精神的な指導者が送り込まれてきましたが、彼らがもたらした教えのいくつかは、その後宗教として発展したものがありました。その教えの多くは今日では、とても限定された意味での自由や英知、そして愛を教えています。しかし私たちはそれらの教えのどれをも非難することはできません。なぜならそれぞれの教えが、一定の意識レベルの信奉者を引き付けており、そのレベルは多様なのです。

もしその道が一個人の求めているものを提供することができ、その人を満足させるのであれば、それは彼にとって良い方向だと言えるのです。けれども人が精神的に成熟すると、彼はもはや伝統的な宗教やそれらが示す探求の道に満足しなくなります。なぜならそれらには、何か重大なものが欠けていることを理解するようになるからです。

私はテネシー州で過ごした子供時代に、プロテスタント系の教会に通わされました。その教えは私にはとても原始的に感じられました。私はこの国で出会ったさまざまな精神的教えに幻滅させられ、その制限の多さに苦痛を感じるようになりました。金星人たちは、人が作った法則よりも、自然のあらゆる面において神聖で自然な法則に従って生きています。これはまさに、地球と他の惑星との基本的な相違なのです。個人的な体験というものは「極めて自然な何か」なのですが、それは地球にある伝統的なあらゆる宗教や探求の道において、明らかに欠落しているものです。

金星では、「オム ノシア ゼディア」と呼ばれる至高なる神聖な教えがあります。それは普遍的な教えのことであり、名前は変わることがあっても教えは変わりません。それは然るべき時に、そして人々が受け入れる準備ができた時にもたらされることでしょう。その「教え」は地球に植民が行なわれるようになった時以来、存在しているものです。

そしてそれ以来、多くの異なる名前で教えられてきました。ある時にはオープンに、またある時には密かに、人から人へと伝えられてきました。レムリアやアトランティスの時代にはオープンに教えられていましたが、ほとんどの時代においてはカモフラージュして教える必要がありました。

なぜならこの「教え」は、人々に自由をもたらし、気づきを与えるものであるからです。そのために、組織化された伝統的な宗教団体や支配者たちは、この「教え」は自分たちの繁栄と安泰を脅かすものであると考えています。それで、これまでにも権力者によって何らかの抑圧を受けてきました。そしてピタゴラス(紀元前5、6世紀のギリシャの哲学者、数学者)はその教えをマスターし、哲学という隠れ蓑に隠してそれを密かに伝えていた人でした。

イエスは愛の英知としてその教えをもたらしました。このもっとも古い教えは、何千年もの間チベットで知られており、最初に地球に植民が行なわれた当時からここでは知られていたのです。ある時代に、強い勢力を持った宗教団体によって計画的に、この「教え」がしっかり抑圧されてしまったことがありました。そこで地球に再び、この「教え」をもたらすことが必要になり、そこでヒマラヤの奥深い場所が選ばれました。そこではこの「教え」の根本となるものが今日でも厳重に護られています。

もしティサニァ(金星)の人々の進化にさらなる貢献をした要素を一つ上げるとすれば、それはこの「教え」の科学であると言えます。それは至高なる神聖な法則ともいえるものです。それは私たちに、時間と空間、物体とエネルギーという宇宙の最奥の秘密を発見させてくれました。さらに私たちは、人間そのものや心というもの、また意識というもっとも深遠な神秘の扉を開けることができました。

これらのすべてが金星での生活において、そして地上の楽園のような世界として反映されています。金星には貧困や戦争はありません。そして私たちは病気というものも知りません。人々の寿命は何百歳にも及び、肉体の加齢は20歳から30歳の間で止まります。(訳者註: 物理的な世界の金星人の寿命は500歳をも超えるが、アストラル界に属する金星においては時間の概念が異なるようである) 


都市のサイズは大きくなく、シンプルなデザインで設計されています。そして犯罪は存在しません。金星ではずっと昔に磁気と太陽エネルギーが開発され、それが私たちの生活を根本的に変えました。宇宙とは私たちにとって最大のチャレンジの場所でもあります。宇宙とは、常にさらなる学習ができるようにデザインされているところなのです。

私たちの宇宙船は重力や摩擦、それに光速といわれているものからも自由で、私たちの宇宙船は光よりも速く飛行することができます。宇宙船の母船のサイズは何キロメートルにも及ぶものがあり、太陽系の他の惑星まで行くのに数日しか要せず、むしろ別の太陽系に行くほうがもっと速いのです。

私たち金星人は、誰もが自分の心と意識の力についてよく知っています。あなた方地球人が超能力と呼ぶ能力は、私たちにとってはほんの初歩的なものであり、子供だましにしか過ぎません。テレパシーは私たちの通常のコミュニケーション手段です。そして私たちは未来を展望することも、過去世を思い出すこともでき、また思念の力で物体を動かすこともできます。私たちの多くは、時間の中を前進したり後退したりすることを学びました。しかしこのような能力を行使しようとする者は、その能力に対して責任が取れるほど精神的に成熟していなければなりません。

ネガティブな惑星に生きていると、このような力をすぐ誤用してしまうことになります。そして地球にもそのような人たちがおり、その能力を無分別に軽い気持ちで使っていますが、彼らはその代償を数多くの来世において支払い続けることになるでしょう。私はそのような能力はもっとも緊急を要する時以外は決して使いません。そしてその際には、細心の注意を払う必要があるのです。

私たちはこの物理的な宇宙を越えた別の宇宙が存在することを発見しました。そして自由に、その世界を行き来できるようになったのです。金星においてはそれ自体が科学そのものになりました。地球のある人々はこの世界を「平行宇宙」と呼んできました。そのような世界は実際に確かに存在しており、そこでは別な秩序である座標の時間や空間、物質、そしてエネルギーが支配しています。

また時間や空間、物体、エネルギーを超越した世界も存在しています。それらの世界を発見し、探求していく中で、私たちは「死」と呼ばれる神秘も解き明かすことができました。それは別世界の中の一つへ移行していくだけのことであり、それぞれの人生における単なる自然の側面でしかなかったのです。

死は地球においては、依然として不可思議なものであり続けています。それは単に、これらさまざまな現実や存在を発見したり探求したりする人がいないからなのです。地球人たちには、これから解明していかなければならない宇宙における生命の神秘が、大きな課題として横たわっています。私の述べることが、あなた方の暮らす世界とご自身の内面の世界を、より深く探求し、解明していくことを願っています。

私はたとえあなた方が、私の話す金星の話を想像の産物として結論づけたとしても、心を乱されることはありません。人間が創造したすべてのもの、またあなた方の周りにあるあらゆる人工物は、想像から生まれたものなのです。想像力とは人間のもっとも強力な能力であり、人間が超人類となるための鍵でもあるのです。想像力を有する人間は、神ご自身と等しい創造者なのです。


📕「私はアセンションした惑星から来た」金星人オムネク・オネクのメッセージオムネク・オネク著 徳間書店   抜粋 
http://8729-13.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/post-9892.html

 


( 7 ) へつづく



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