おはようございます♪


寒い朝です~

春は、どこかで寄り道をしてるようです(笑)



今週は、日曜日までお仕事です☆

がんばります☆



昨日、何気なく仕事場での休みの時に

ブログをチェックしていましたら、

アクセス数、ランキング共に一挙に上昇していました。

今までにない数字です☆



こんな未熟で、拙(まず)いブログですが、ご訪問くださり感謝します。

3.11を忘れないために、という気持ちで書いたのですが

読んでくださって、本当にうれしいです。

励みになります。


また、読者登録ありがとうございます☆


この場をお借りして、感謝します。










それと、

わたし自身、何が起きたのかわからないのですが、

約2年前の「2013年10月31日の記事『皆川優太君のこと』」

昨日から「いいね!」をいっぱい押してくださっています☆

(今も、いいね! が続いています)

また、コメントもありがとうございます☆

まだ、お返しができていません…

すみませんm(_ _ )m





2013年10月31日の記事に…

何が起きたのでしょう…?




過去記事に、現在も訪問を続けてくださってますが

どこで、この記事を知られたのですか?

こんなこと初めての事なので、ただただ驚いています。

でも、感謝です。




実はあることを、記事に書こうかと思っていました☆

そのことが、「皆川優太君のこと」の内容に非常に似ていることに

気付いたのです。



それで、

「皆川優太君のこと」を、もう一度貼(は)らせていただきました。

そして、最後に「書きたかった」ことを短く書かせていただきますね☆



良かったら、読んでいただければと思います。

年数や、数字などは、2013年当時のままです。






=======以下 再掲記事「皆川優太君」のこと=========





みなさんは、皆川優太君という名前を覚えていますか?
もう9年も前の事なんですが…



2004年10月23日に
新潟県中越地方を震源とする地震が発生しました。

最大震度7を観測した大地震だったのですが、
この時の、ある救出劇が感動を呼んだことを覚えてられるでしょうか。




「平成16年の新潟県中越地震で車ごと土砂崩れに巻き込まれ、
約92時間後に救出された皆川優太君(11)は小学6年生になった。

友達と野球をしたり、祖父、敏雄さん(77)と将棋をしたり、
残り半年となった小学校生活を楽しんでいる。

優太君の家の客間には、13日に亡くなった漫画家やなせたかしさんから
贈られた色紙が飾られている。
「優太くんへ はやくげんきになってね アンパンマンがついてるよ」との
メッセージとともに、赤いマントを羽織ったアンパンマンが描かれた色紙は宝物だ。
地震から1週間ほど後に郵送されてきたという。

現在は、新潟県魚沼市で祖父母とともに暮らし、身長は150センチを超えた。

車に同乗していて亡くなった母、貴子さん
=当時(39)=と姉、真優ちゃん=同(3)=の思い出話に
聞き入ることもあるが、
祖父の敏雄さんは「寂しい様子を見せたことはない。じいちゃんとばあちゃんと
3人でいるのが当たり前だと思っているんじゃないかな」と話す。

新潟県長岡市の事故現場は11年にメモリアルパークに整備された。
時々敏雄さんらと訪れ、手を合わせているという。」(インターネットから)



この、優太君の救出劇が、動画に残っています…


東京消防庁 ハイパーレスキュー その6 新潟県中越地震

takahiro yamashitaさんが公開(2013/03/14)




この感動的な救出のニュースを、
息をのんでご覧になった方もいらっしゃったのではないでしょうか。


通常は、土砂に巻き込まれたりして、生き埋めになった人の救出は、
72時間(3日間)が生死の境目になるといわれています。

しかし、優太君が救出されたのは92時間、4日後だったのです☆
救出されて、本当に良かったですね(*^。^*)


優太君も、9年の月日が経(た)って小学6年生になったとのことですが…



ここからが、今日の記事のメーンになるのですが、
優太君が、レスキュー隊員に助けられた時に、


「お母さんと一緒で、ずっと励ましてくれたから怖くなかったよ」

「お母さんが、歌を歌ってくれてたんだよ」



と、話したということが、伝えられています。


崩落現場に到着した隊員が、

「女性の声が聞こえます!」

「子どもがいる、と言ってます!」


と言ったことで、テレビの中継画面には「2名生存」というテロップが流れました。



しかし…
お母さんは、車が崩落した岩石や土砂の下敷きになった時に
「即死」していたことが判明しました。



お母さんは、亡くなっていました。


では、優太君が

「お母さんがずっと一緒にいて怖(こわ)くなかった」
「お母さんが歌をうたってくれていた」

というのは、どう理解したらいいのでしょう…


そして、現場に到着した隊員が、はっきりと女性の声を聴いたこと、
それで、子どもがいることが分かったことはどう理解したらいいのでしょう。

死してなお、愛する子どものそばにとどまり
励まし続け、隊員に、「子どもがいます!」と伝えたお母さん。。
母の愛が、92時間もの間、子どもが生き続ける力になったことは
明らかですね♪


それと、もう一つ・・
優太君が、なぜ車の外にいたのかもわかっていないそうです。
車と、岩石の間のわずかな空間にいたことも、生き延びる原因に
なったということですが…


この世界には、人間の知恵では理解できないことが起きるということを
改めて教えられた出来事でした。





$いなか道のブログ

   左下に、救出された優太君が映っています。





最後になりますが、
わたしたちが、今日朝を迎えることができたことも、
大きな奇跡なのかもしれませんね♪



ほな(笑)…


  ペタしてね





===========  再掲記事 ここまで ===========





読んでくださってありがとうございました。

思い出してくださった方もいらっしゃるかもですね♪

非常に、感動する内容でしたが…

死してなお、最愛の我が子を守り続けたお母さん…

そして、レスキュー隊に「子どもがいます!」と伝えたお母さん…


愛は、死を越えることがわかりました☆





☆ここからが書きたかったこと…です♪


【3.11震災から4年】被災地で亡くなられた方の目撃が多いこと☆



被災地では、地震、津波の犠牲となって亡くなられた方の姿を

目撃される方が多いということを知りました。


記事ソースには「幽霊」という表現でしたが

わたしは、敢(あ)えて「亡くなられた方」とさせていただきます。




・ 見守られている感覚が、生きる希望に

河北新報の2015年1月4日の記事で紹介されているジャーナリストの

奥野修司さんは、被災地を回り、犠牲者の霊を見たという家族や知人からの

聞き取りを進めています。


そのきっかけは、医師への取材で、死者の「お迎え」の重要性に気づいたから

だといいます。

その医師によれば、いまわの際(きわ)に、亡くなった両親や親類の

姿を見る患者さんは非常に穏(おだや)やかに亡くなられるということです。



最愛の夫を亡くしたある女性は、自暴自棄になり、死にたいと思う日々を

送っていたが、ある時、夫の霊に会い、見守られている感覚が芽生(めば)えて

「お父ちゃんと一緒に生きよう!」と思い直したそうです。



確かに、被災地で亡くなられた方を見たという話の中には、

単なる興味本位の怪談で終わっているものもあります。


しかし、亡くした肉親や友人との 「再会」 を果たしたというケースでは、

恐怖よりも感動の方が先立つことが非常に多いようです。

「日本人の約2人に1人が幽霊の存在を信じている」という調査報告も

あるようですが、震災で大切な人を失った被災者にとって、

「たとえこの世にいなくても、あの世で生きている」と考えることが、

明日へ一歩を踏み出すための大きな力になっている可能性があります。



多くの死者が出た大災害で、

亡くなられた方の目撃の話をすることは「不謹慎(ふきんしん)」に

感じられる気持ちも理解できます。


しかしそれ以上に、犠牲者の肉親や知人など、残された人々にとっての

救いに繋(つな)がる面もあることを理解しようとする姿勢が

大切ではないでしょうか。




「人は死なない」

それが真実なことのようです。




以上ですが、

ここまで書き進めているうちに、あることに気が付きました☆

それは、今回、皆川優太君の記事を再掲しましたが、

何か、優太君のお母様に導かれているような気がします。


お母様、いなか道は、記事を書かせていただきましたよ♪







      レスキュー隊員に抱きかかえられる優太君(当時2歳)





     優太君のお母様と、姉の真優ちゃん。真優ちゃんは亡くなりました。
     こころからご冥福をお祈りいたします。





          優太君(12歳)は、もうこんなに大きくなりました☆





今朝も、

いなか道のブログを最後まで読んでいただきありがとうございました。