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皆さま、こんにちは!

 

前回のブログで

高徳線・八栗口(やくりぐち)駅の訪問記をUPしました。

 

(前回のブログもチェックくださいね)

 

昭和36年に停留場タイプの駅として開業。

その姿を変えぬままJRに引き継がれましたが、

平成10年、列車の行き違いが可能な駅に改装された際に

300メートルほど東側に移転されたのです。

 

下は国土地理院のサイトから転載した

昭和51年撮影の航空写真ですが、

元々はこの位置に駅があったみたいですね。

画像を見るとわかりますが、

旧駅は西側に大きなカーブがあたっために

この位置のままでは交換設備を設けることが出来ず、

これが理由で移転されたとのこと。

 

旧駅は現在の八栗口駅と同様に

国道11号線に面した位置にホームがあったそうです。

八栗口駅の歴史を知ったら

旧駅跡の現在の様子を知りたいと思いません?

そんなことどうでもいい?

いやいや、自分の心にウソをついちゃいけませんって!

 

そこで現在地よりも300メートルほど西側にあったという

旧駅跡を訪ねてみました。

目印はカドにJA香川県牟礼支店さんの店舗がある交差点です。

 

旧駅の出入口は

この交差点に面した踏切の手前側にありました。

 

ちなみにこの交差点の名は「八栗口交差点」。

この地に国道11号線バイパスが開通したのは

八栗口駅(旧駅)が開業した以後のことなので、

ここに八栗口駅があった名残りで間違いないでしょう。

 

こちらが旧駅のそばにあった踏切です。

 

踏切名も「八栗口」なのかと思いましたら、

戎(えびす)踏切だったみたい。

なんとも勇ましそうな踏切名ですが、

古戦場の近くにあることと関係してるのかしら?

 

旧駅の単式ホームは

画像から見て国道の歩道寄りにあったはずです。

 

旧駅跡から見た現在の八栗口駅の様子です。

新しいバラストが敷かれた位置に

旧駅のホームがありました。

バラストが新しいのと駅の移転は関係ありませんので

念のために言っておきますね。

 

旧駅の遺構がないか入念に見て回りましたが、

残念ながらそれらしい痕跡は残ってないっぽく。

 

唯一見つけられたのが、矢印の先に見える

ホームの出入口にあった階段を撤去した跡でした。

線路に対して直角に置かれた

コンクリート製の堰に注目ください。

 

さてさて、

国道11号線バイパスが開通するよりも

八栗口駅(旧駅)の開業が早かったことを

先に書きました。

パイパスが開通する以前は

八栗口駅の西側に伸びる讃岐街道がメインロード。

旧駅もここから駅前通路が伸びてたようです。

せっかくなので

ここからも旧駅跡を眺めてみましたよ。

奥に見えるのが戎踏切ですが、

ここが駅前道路だった空気が漂ってると思いません?

 

讃岐街道から見た戎踏切です。

昔はクルマも走行が可能だったのでしょうか?

 

踏切に近づくと、とある場所が目に入りましたの。

 

踏切のそばにあるこの空き地、

旧駅時代に使われていた駐輪場跡じゃないです!?

 

旧駅跡の遺構らしきモノが見れて

ニヤケが止まりませんでした。

ニヤニヤしながら空き地を眺めている自分。

辺りから見たら絶対に怪しまれてるだろうな…

でもでも、旧駅の痕跡を見て嬉しくなっちゃう人、

自分だけじゃありませんよね。

 

八栗口駅を訪れるのなら、

旧駅跡巡りも必須事項ですのでぜひ!

 

 

 

 

訪問駅リスト(JR線)

高徳線

 

↑(高松駅方面)

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栗林公園北口駅(令和3年4月9日)

栗林駅(令和元年8月5日)

木太町駅(令和元年8月5日)

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古高松南駅(令和元年8月5日)

八栗口駅(令和元年8月5日) 前編後編

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