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美術ACADEMY&SCHOOLブログ出動!!!

美術Academy&Schoolスタッフがお届けする、ARTを巡る冒険の日々♪

 

近代を代表する洋画家が遺した可能性

 

 


 日本近代の洋画壇で、東の黒田とならび、西の先覚者として活躍した浅井忠

 フォンタネージから洋画を学び、内国勧業博覧会などに出品、その活躍により、東京美術学校(現・東京藝術大学)の教授になります。

 1900年にパリに留学、世紀末パリに流行していたアール・ヌーヴォーに触れ、デザインに対する造詣を深めた彼は、2年後に帰国してからは、京都高等工芸学校(現・京都工芸繊維大学)で初代図案化教授となります。

 

 以後、亡くなる1907年まで、京都で教鞭を執り、関西洋画壇の発展に尽力しました。

 教育者としても優れており、教え子からは、安井曾太郎や梅原龍三郎、石井柏亭など、次代をリードする画家たちが輩出されています。
 

 同時に、陶芸家や漆芸家と図案家を結ぶ団体も設立、自らもアール・ヌーヴォーや琳派、大津絵などから斬新なデザインを考案し、京都工芸界に新しい風をもたらしたのです。


 この浅井の京都における活躍をたどる展覧会が、泉屋博古館の本館での開催の後、東京の分館に巡回中です。

 注目は、共催者の京都工芸繊維大学の美術工芸資料館が保管する、浅井をはじめ鹿子木孟郎や都鳥英喜ら、教授たちの多彩な足跡を伝える美術工芸品や、彼らが「教材」として使用した、当時の欧米や日本の工芸品。

 これまであまり紹介されることのなかった、美しく貴重な作品が並ぶ空間は、創作と教育、支援と鑑賞、美術品が持つ多様な役割を浮かび上がらせるとともに、明治という時代に彼らが獲得し、生み出していこうとしていた「美」と「文化」への熱気を感じさせます。


第一章 はじまりはパリ 万国博覧会と浅井忠

 

はじまりはアール・ヌーヴォーのポスターで。
(展示風景から)

 世紀末を迎えた1900年のパリ万博は、産業や交通網の発達により、過去最大規模の活況を誇りました。

 それは、アール・ヌーヴォー華やかなりしとき。

 芸術部門では、装飾芸術が注目され、「アール・ヌーヴォーの勝利」とまで称された内容でした。

 この場に立ち会った浅井は、日本洋画の浅薄を痛感するとともに、西洋の美術工芸品が日本の意匠を自国に合うように昇華させていることに衝撃を受けます。

 この地で、京都に工芸学校を設立を準備していた中澤岩太に出逢い、彼から図案科成就の就任を依頼されたことが、浅井の京都移住の道を拓きました。

 まずは、帰国する浅井が、教育者として教材とするために収集し持ち帰った品々を確認します。
 

アルフォンス・ミュシャ 《椿姫》 1896年
京都工芸繊維大学美術工芸資料館蔵

 

 当時パリの街を飾ったであろうポスターは、状態もよく、世紀末パリの華やぎを伝えます。

 

 万博で人気だった陶磁器の数々も持ち帰りました。

 ショワジー・ル・ロワ(フランス)、ジョルナイ(ハンガリー)、エミール・ミュラー(フランス)など、形も意匠も釉薬の妙もすばらしく、浅井の鑑識眼を感じます。
 これらは宮川香山をはじめ、日本の陶芸家たちにも大きな影響を与えたといいます。

 

ショワジー・ル・ロワ 《魚藻文花瓶》
1902以前
京都工芸繊維大学美術工芸資料館蔵
ジョルナイ工房の作品たち
(展示風景から)

 

 そしてここでの見どころは、ティファニー(アメリカ)のガラス器コレクションです。
 アクセサリーがよく知られていますが、ガラス工芸で名を成したこのブランドの最も特徴的と言われる玉虫色の光彩を持つ小器が一堂に並ぶケースは必見です。

 

ルイス・C・ティファニー 《花形ガラス花瓶》
19-20世紀
京都工芸繊維大学美術工芸資料館蔵
七色に光る形もさまざまなティファニーガラス器作品たち
(展示風景から)

 繊細で美しい花瓶とともに、京都工芸繊維大学のこれらのコレクションは国内でも有数のものだとか。
 妖しい輝きと精妙な造形にうっとりしてください!


1900年パリ万博の貴重な映像が観られます
(展示風景から)

 

 

 また、会場にはパリ万博の様子を録画した映像も流されています。

 

 これも彼らが当時持ち帰った貴重な記録。
 一見の価値ありです!

 



 

第二章 画家浅井忠と京都画壇の流れ

 

浅井の風景画が並ぶ。(展示風景から)

 朝井の渡仏は45歳の時。

 

 遅まきの欧米デビューは、すでに国内では一定の評価を得て、信頼も厚く、その制作スタンスも落ち着いていた時期といえます。

 このためか、フランスで当時隆盛していた絵画にはあまり関心を持たず、各国の芸術家が集まっていたパリ郊外の村、グレーの自然の風景と明るい光に惹かれたといいます。

 透明感のある明るい空気をとらえた作品が多く描かれました。特に水彩画に傑作を多く遺しています。

 ここでは、グレーや帰国後の日本の風景画とともに、開校当時の京都高等工芸学校で共に教鞭を執った画家たちの作品を観ていきます。
 

浅井忠 《グレーの森》 明治34(1901)年 泉屋博古館 分館蔵

 この時期の風景画は、しっかりとした構図と、柔らかく澄んだ彩色で本当に素晴らしいです・・・。
 殊に水彩の作品は、いまもみずみずしく、魅せられます。

 

大作を下絵の数々とともに。(展示風景から)


 宮内庁からの要請で描かれた、東宮御所壁画綴織のための下絵も公開されています。

 

 彼の京都時代の、そして晩年の最大級の作品は、緻密な下絵の数々と紹介され、その時間と労力を感じさせます。

 

 

 

浅井忠 《武士山狩図》 明治38(1905)年 京都工芸繊維大学美術工芸資料館蔵
鹿子木孟郎 《加茂競馬》 大正2(1913)年 個人蔵(泉屋博古館寄託)

 


 特別出品(ホール)

 

ホール展示風景

 ホールには、浅井が審査員を努め、出品・受賞もしていた内国勧業博覧会から、中澤岩太が審査部長を務めていた第5回内勧博を偲ばせる作品が並んでいます。

 

 欧米の万博を参考にしたこの催しは、国内産業の振興と民衆の教化、そして近代国家としての姿をアピールするために、国家主導で絵画、工芸の精華が集められました。

 そこには、後援者としての事業家の存在も重要であり、住友春翆もパトロンの代表として、多くの作品を購入しています。



第三章 図案家浅井忠と京都工芸の流れ

展示室Ⅱの展示風景


 パリ万博で、花鳥風月や武者絵などの伝統的なモティーフをあしらった「ジャポニスム」の限界と、新しい意匠の必要性を感じた浅井は、志を同じくする中澤や他の美術家たちと、京都で研究・教育にはげみます。

 図案家としての浅井のスタートは絵はがきや雑誌の表紙・挿絵などのグラフィックだったそうですが、やがて京都の工芸家たちとも連携して、新しい図案やその工芸作品を生み出しました。

 西洋だけではなく、日本の伝統的な様式美にも注目し、琳派や大津絵なども引用して、独自の表現を獲得していきます。

 浅井が工芸家たちと協働した精華を楽しむコーナー。
 

浅井忠 《梅図花生》
明治35-40(1902-07)年
京都工芸繊維大学美術工芸資料館蔵
浅井忠図案 杉林古香製作 《朝顔蒔絵手箱》
明治42(1909)年
京都工芸繊維大学美術工芸資料館蔵

 伝統美と斬新さが共存する意匠が、巧みな工芸家の技術によって、みごとな作品に仕上がっています。


 あるものは軽やかなリズムを持ち、あるものは精緻な美を誇り、あるものは楽しげなユーモアとともに、あるものは愛らしいシリーズで、あるものは大胆な構図で、ワクワクする楽しさです♪

 

迎田秋悦 《秋草蒔絵文台・硯箱》
明治後期-昭和初期 泉屋博古館分館蔵
(展示風景から)
浅井忠図案 迎田秋悦 《野分蒔絵文庫》
明治39(1906)年以降 個人蔵
(京都工芸繊維大学美術工芸資料館寄託)
(展示風景から)
浅井忠 《文庫図案 猪図》
明治38(1905)年
 京都工芸繊維大学美術工芸資料館蔵
(展示風景から)
清水六兵衛(五代) 《草花替わり蓋物向付》 大正時代
個人蔵 (展示風景から)
浅井忠図案 清水六兵衛(四代)製作 菊文様皿》
明治40(1907)年 京都工芸繊維大学美術工芸資料館蔵
(展示風景から)

 

浅井の図案集(展示風景から)

 


 図案集も、多様なモティーフを表し、彼のセンス満開の空間。

 

 


 殊におススメは、彼の図案を迎田秋悦が蒔絵にした《七福神蒔絵菓子器》と、浅井の日本画《鬼ヶ島》

 

浅井忠図案 迎田秋悦制作 《七福神蒔絵菓子器》 明治42(1909)年
京都工芸繊維大学美術工芸資料館蔵 (展示風景から)

 

浅井忠 《鬼ヶ島》のうち左幅 明治38(1905)年
個人蔵
(京都工芸繊維大学美術工芸資料館寄託)
しょぼくれた鬼が楽しい、2双幅揃いの展示。
(展示風景から)

 いずれもユーモアあふれる神や異人や動物を描き出していて、持って帰りたくなります…。

 この章では、もうひとつ面白い展示をしています。

住友家の欧州陶器とくらべっこ。(展示風景から)


 住友春翆のコレクションと、浅井たちが蒐集したものをティーポットとティーセットで比べます。

 伝統的なヨーロッパ陶磁器と、世紀末パリを席巻した陶磁器、精緻とモダン、それぞれの魅力を見つけて。

 


 最後に春翆の花瓶コレクションが紹介されます。

 

板谷波山 《葆光彩磁珍果文花瓶》(重要文化財) 大正6(1917)年
泉屋博古館分館蔵

住友春翆のコレクションが並ぶ。(展示風景から)
初代宮川香山 《窯変小花瓶》 明治時代
泉屋博古館分館蔵 (展示風景から)

 初代宮川香山の幅広い作風のラインナップや板谷波山の重文作品など、見 ごたえ充分ですが、中でも9種の釉薬を使い分けた香山のミニチュア花瓶《窯変小花瓶》がかわいいです。


 図案科発足後、あまりにも早かった彼の死。

 その後、まずはじめに刊行されたのが図案集であったほどに、晩年の彼のデザイナーとしての活動は大きかったのです。

 明治を駆け抜けた、画家にしてデザイナーの先駆、浅井忠が京都に残した遺産は、いまもなおその斬新さでわたしたちを魅了します。

 伝統工芸の伝承危機が叫ばれている現代、その魅力は、改めてその可能性を提示してくれたような気がしました。

 10/13まで。お急ぎください!

 

(penguin)

 
 

『特別展 浅井忠の京都遺産』
 
開催期間 :~10月13日(金)
会場 :泉屋博古館 分館 (六本木)
    〒106-0032 東京都港区六本木 1-5-1
アクセス :東京メトロ 南北線 「六本木一丁目」駅下車
        北改札正面出口より屋外エスカレーターで3分
      東京メトロ 日比谷線 「神谷町」駅下車、4b番出口より徒歩10分
      東京メトロ 銀座線 「溜池山王」駅下車、13番出口より徒歩10分
開館時間 :10:00~17:00 (入館は16:30まで)
休館日 :毎週月曜日(10/9は開館)、10/10
入館料 :一般 800円(640円)/高大生600円(480円)/
     *( )内は20名以上の団体料金
     *中学生以下は無料
お問い合わせ :Tel.03-5777-8600(ハローダイヤル)

ホームページは こちら

 

 

『特別展 浅井忠の京都遺産』
招待券を10名様へ!!(お一人様一枚)


応募多数の場合は抽選の上、
当選は発送をもって代えさせていただきます。

《申込締め切り 10月4日(水)》
お申し込みは、ticket@art-a-school.info まで 手紙
!!希望展覧会チケット名、お名前、送付先のご住所を忘れずに !!

美術ACADEMY&SCHOOL チケットプレゼント係
〒102-0083 千代田区麹町6-2-6 ユニ麹町ビル4F
電話03-4226- 3009
050-3488-8835

 

 

ささやきに耳をかたむけるプロムナード空間

 

 


 埼玉県立近代美術館では、静謐で濃密な空間が展開されています。

 それは、版画家・駒井哲郎の個展。

 東京・日本橋に生まれ、幼少から「絵画」ではなく「銅版画」に強く魅せられた彼は、生涯その繊細な感性と自由な発想で、版画作品における表現を追求し続けました。

 生み出された作品は、あるものはかわいらしく、あるものは哀しげで、あるものは不気味さを湛えて、静かなささやきで語りかけてきます。

 観る者はその詩情に、深層を見いだし、夢に漂い、幻想にあそび、物語を紡ぎます。
 
 言葉にならないことばを発する、ささやかで、それでいて印象深い作品の数々。
 美術館が寄贈を受けて所蔵する約100点のコレクションを中心に、初期から晩年までの足跡をたどります。

 同時に彼が影響を受けたアーティストたちの作品も紹介されて、戦後日本の銅版画の先駆者、駒井の創作の世界をより豊かに感じられる造りになっています。


第1章 夢の始まり 1935-1953

 

夢や幻影に変化した頃の作品(展示風景から)

 まずは、若き日の作品から。

 1938年に東京美術学校(現・東京藝術大学)に入学したころは、具象的な風景を緻密な線で描いていました。

 戦後その作風が心象的な世界に変化して、サンパウロ・ビエンナーレで在聖日本人賞を受賞します。

 初期の風景作品から、受賞作を含む幻想的風景、そして、初めての詩画集『マルドロオルの歌』の挿画制作までを追います。

 

 
貴重な初期風景作品(展示風景から)
『マルドロオルの歌』と挿画の版画作品
(展示風景から)

 戦時中は空襲に遭い、自宅とともに作品のほとんどが失われたそうで、初期の作品は貴重な出逢いです。

 49年、戦後自宅に新たなアトリエを建てて取り組んだ制作は、自己の内面や夢を見つめ、それらを表現へと昇華させていく、駒井の特徴ともいえる世界が現れます。

 「夢と現実。私にはそのどちらが本当の実在なのかいまだに解らない。」と後年述べる彼にとって、その世界は、幻想ではなく、リアルな手ごたえを持ったものであることがわかります。

 そんな作品のうち、《束の間の幻影》がサンパウロ・ビエンナーレでの受賞となりました。

 モノクロのトーンの中に、街のような建築物と、空に浮くバルーンのような幾何学体。
 ふと眼を逸らすと、その姿は消え、あるいは新しい形態が生まれるかもしれない、静止と生成を孕んだ不思議な温度を感じる作品。

 版画家・駒井哲郎の国際的なデビューです。


第2章 夢のマチエール 1954-1966

 

マチエールを追求した作品群(展示風景から)

 1954年にフランス政府の私費留学生試験に合格、約1年半間、パリに滞在します。

 フランス国立美術学校に入学、数々の西洋銅版画の傑作に触れ、技法を学びますが、同時にその伝統と豊かさに圧倒され、自信を失って帰国します。

 ここでは、失意の中から、より強固な表現を求めた模索の様子を観ていきます。

 これまで、精緻に構成されていた画面に、筆の跡や勢いがそのまま表された作品が生まれてきます。
 リフトグランド・エッチングと言われる技法で、にじみやかすれなどが生々しく画面に留められます。

 銅版画のマチエール(画面の肌合い、素材感)に自らの心のイメージをとどめようとした探究から生まれた作品は、静かな詩情はそのままながら、そこに感情の揺らぎを封じ込めたよう。

 そして、この自信喪失と模索から脱するきっかけとなったのが、詩人・安東次男とのコラボレーションで制作した詩画集『からんどりえ』でした。

 

詩画集『からんどりえ』(展示風景から)

 フランス語の「カレンダー」をタイトルに持つこの詩画集は、彼の代表作となります。

 詩人が生み出した言葉と格闘しながら、マチエールにこだわったイメージは、単なる挿絵を超えて、互いに響き合い、まさにふたつの表現手段が奏でるみごとな「詩(うた)」に昇華しています。

 この協働の精華は、もう一冊『人それを呼んで反歌という』にも結実します。
 

 

詩画集『人それを呼んで反歌という』(展示風景から)

 どちらも詩画集のための作品を単独の版画作品にしたものも展示され、言葉と並んだときとの魅力の違いを見比べられるもの嬉しい内容です。

 



 また、ここでは、モノクロームだった画面に彩色が現れてくるものや、ちょっと不気味な水棲生物の姿などの作品も楽しめます。

 

 

 

小部屋に区切られた空間が嬉しい
(展示風景から)
淡い彩色が美しい作品たち
(展示風景から)
不気味で楽しい水棲生物たち
(展示風景から)

 軽やかな水性絵具が刷られた《妖(艶)》、サンドペーパーによるエッチングの《貝》、カラー・アクアチントの《蟹》など、さまざまな技法や素材から生みだされた、多様な表現を楽しんで。


第3章 敬愛する美術家たち

 

駒井の愛する美術家たちとともに。(展示風景から)

 この章では、駒井が敬愛し、あるいは影響を受けたアーティストたちの作品が並びます。

 

 子どもの時から書籍や雑誌を通じて憧れていた恩地孝四郎、フランスに渡ったときに出逢った長谷川潔、そしてその表現に自己の内面を表し、音楽や文学に造詣を持っていた西洋画家のオディロン・ルドンパウル・クレージョアン・ミロ

 

 彼らについては、多くのコメントを残してもいます。

 

「一木会」の版画を入れた袋と寄書。
駒井と恩地の名が見られます。
(展示風景から)
ルドンの並ぶコーナーも見ごたえたっぷり。
(展示風景から)

 恩地を中心として結成された版画研究会「一木会」に参加した際の寄書やそこに載せた駒井の作品と並ぶ彼らの版画作品はいずれも、それぞれに深い精神性を静かな画面に表わして、創作スタンスの共通点を感じさせます。

 豊かに拡がる内面の表象が共鳴し、重層的な厚みをもたらしていて、ワクワクする空間です。
 

第4章 夢の解放 1967-1975

 

晩年の風景作品たち。(展示風景から)

 詩画集により高まった評価は、駒井を多摩美術大学教授に、ついで東京藝術大学教授への道を開きます。

 1970年以降、後進の指導に当たりながら、埴谷雄高の小説に関連した作品や金子光晴の詩画集の挿画を含め、本の装丁や挿画など、積極的に制作をします。

 しかし、74年、舌癌の診断を受けた彼は、放射線治療を受けながらも制作を続け、パリに長谷川潔を訪ねたりもしますが、翌76年にわずか56歳でこの世を去りました。

 その死までの晩年の作品を観ていく章。

 自らの死期を察していたかのように、晩年の彼は、若き日のような、精密なエッチングで写実的に風景や樹木を捉える、銅版画の基本的な技法の作品を遺しています。

 同時に、とても造形的なカラフルなモノタイプ(1枚刷りの版画)の作品も制作しています。

 そのひとつ《星座》は、濃紺の宇宙に浮かぶさまざまな形態、カラフルな彩色は星雲のイメージでしょうか。
 これもまた、駒井の心にある宇宙に結ばれた星座なのです。
 星々のざわめきが聴こえてきそうな一枚です。

 


 対照的なふたつの作品群はいずれも、どこか幼年の心が躍っているようで、基本に戻り、色彩にあそんだ、彼の深層をのぞいているような気持ちになります。

 ストイックな追求心を自由に羽ばたかせた、まさに「解放」の世界だと・・・。 


第5章 夢が生まれた場所

 

制作風景を取材した雑誌とともに。
(展示風景から)

 最終章では、駒井が愛用したモノたちや、世田谷のアトリエでの制作風景を取材した雑誌などが紹介されます。


 作品にも表れる帽子、制作に使用したビュランやニードル、そして何よりの見どころは、30歳の時に、自らが設計し、工場に特別注文して造らせたオリジナルのプレス機です。
 

 

 

 

 

 

 

今も刷ってみたくなるプレス機(展示風景から)

 それから10年、6畳の小さなアトリエとこのプレス機が《束の間の幻影》『からんどりえ』などの代表作を生み出したのです。

 木材で台座も自作したというこのプレス機、アトリエ改築の際に新しいものに換えたそうですが、よくぞ残っていたな、と。

 シンプルな造りながら、それゆえに彼が望んだ機能性を感じさせて、駒井哲郎という、静かな詩情で“こころ”を刻み続けた版画家の人となりの一部を表しています。


 わたしたちが「夢」とよび「幻想」と名づける世界を、「現実」と並行してリアルに生きた駒井哲郎。
 ちょっと深呼吸して、その夢の散策から生み出されたざわめきやささやきに、眼と耳をかたむけてみませんか?

 


(penguin)

 
 
『駒井哲郎 夢の散策者』


開催期間 :~10月9日(月・祝)
会場:埼玉県立近代美術館(北浦和)
   〒330-0061 さいたま市浦和区常盤9-30-1
アクセス:JR京浜東北線北浦和駅西口より徒歩3分(北浦和公園内)
開館時間:10:00~17:30
     ※入館は閉館の30分前まで
休館日:月曜日(10月9日は開館)
観覧料:一般1000円(800円)/ 大高生800円(640円)
     *( )内は20名以上の団体料金
     *中学生以下と障害者手帳をご提示の方(付添い1名を含む)は無料
     *併せてMOMASコレクションも観覧可能
お問い合わせ :Tel.048-824-0111

美術館サイトはこちら

 

 

 

『駒井哲郎 夢の散策者』
招待券を10名様へ!!(お一人様一枚)


応募多数の場合は抽選の上、
当選は発送をもって代えさせていただきます。

《申込締め切り 9月29日(金)》
お申し込みは、ticket@art-a-school.info まで 手紙
!!希望展覧会チケット名、お名前、送付先のご住所を忘れずに!!

美術ACADEMY&SCHOOL チケットプレゼント係
〒102-0083 千代田区麹町6-2-6 ユニ麹町ビル4F
電話03-4226-3009
050-3488-8835

 

“写狂老人”アラーキー、「私写真」の原点と今を観る

 

 

 1960年代から「私写真」を掲げ、さまざまなテーマや多岐にわたる手法で写真を撮り続け、“世界のアラーキー”として評価を受ける荒木経惟。

 これでまでに発表した写真集は500冊を超え、いまなおその衰えぬ制作意欲で作品を生み出しています。

 

 その最新作の初公開を含んだ個展が、東京都写真美術館にて開催中です。

 膨大な作品から、妻「陽子」をテーマにしたものに焦点をあてた「荒木経惟 センチメンタルな旅 1971 - 2017 -」は、総合開館20周年を記念する展覧会の最期を飾るものでもあります。

 展覧会タイトルは、その始まりから現在も続く陽子への愛が生み出す「私写真」に迫ることを示します。

 会場は、写真集ごとに部屋が分けられ、じっくり作品と対峙しながら、「センチメンタルな」荒木の心中を旅する空間になっています。


1.プロローグ

貴重なポジ原版は必見!(展示風景から)


 荒木が陽子と結婚する前の、恋人同士であった頃の貴重な写真が、世界初公開されます!

 広告代理店時代の社内報の写真や、ふたりのデート風景など、“作品以前”ともいえそうな素の雰囲気が、懐かしさとやさしさを持っています。

 ここでは、ポジ原版のまま展示される100点にご注目。

 

 

〈愛のプロローグ ぼくの陽子〉1968-1970年 より

 

〈愛のプロローグ ぼくの陽子〉1968-1970年より ポジ原版100点!

 


2.センチメンタルな旅

全作品が並ぶ空間は圧倒的。(展示風景から)

 

 1971年に私家版として出版された『センチメンタルな旅』は、「彼女によって写真家になった」と荒木自身が語る妻・陽子との結婚式から新婚旅行を撮ったもの。

 

 

 

宣言も拡大展示されます。(展示風景から)

 

 


 序文に「私写真家宣言」が付されたこの作品が、彼の原点になりました。

 その後も陽子は彼にとって最も重要な被写体であり、90年代の彼女の死を超えてなお、作品の大切な要素であり続けます。

 当館所蔵のオリジナルプリント108点が全点展示される空間は圧巻です。

 新婚旅行を綴る写真には、何気ない風景も捉えられていて、「文字のないものがたり」が展開します。

 

 

〈センチメンタルな旅〉 1971年 より 東京都写真美術館蔵


〈センチメンタルな旅〉 1971年より 東京都写真美術館蔵
この写真集を知らしめた代表作


3.東京は、秋

ふたりの会話とともに楽しむ。(展示風景から)

 

 広告代理店の退職金で購入したカメラ(アサヒ・ペンタックス)で撮った東京の風景が並びます。

 皇居を背景にしたカップルの大型プリントには、この写真を見ながら話したふたりのやり取りが壁に記されているのが楽しいです。

 さまざまな貌を見せる東京の切り取りは、彼が言う「人間の散らばり具合」を感じさせる、光と影が、美と醜がないまぜになって、人のいとなみを感じさせます。

 

 

〈東京は。秋〉 1972-73年より

 

4.陽子のメモワール

陽子のさまざまな姿態が並ぶ。(展示風景から)

 

 新婚旅行と帰ってからのふたりの日常から、陽子を追っていきます。

 ときに朗らかに、ときにクールに、ときにエロティックに、ときにアンニュイに…。

 生活の中で捉えられるさまざまな表情の陽子は、そのままに「人が生きていくこと」を、愛とともに写し出しています。

 

 

〈わが愛・陽子〉 1968-1970年 より
〈愛のバルコニー〉 1985年 より

 

ひときわ美しいアップが並ぶコーナー。(展示風景から)
「今、陽子でいちばんに選ぶとしたらこれ」と荒木氏ご本人
会場にて


5.食事

手料理の接写が並ぶコーナー。(展示風景から)


 陽子の手料理を撮り続けた写真が、いちコーナーを形成します。

 それは、生と性という、人間の根本的な欲望を象徴し、なおかつ料理という人間の技をも示していて、強烈な強さを放ちます。

 カラーからモノクロへの変遷は、陽子が病を得ての退院後を隔て、 限りなく生を促がす食事に、死のイメージをまとわせています。

 

<食事> 1985-1989年 より

 

6.冬の旅

展示風景から

 

 陽子の生前最期の誕生日から、闘病生活を経て、その死と葬儀後までを撮ったもの。

 ひときわ静謐な空気を湛えるこの部屋。

 入院時の陽子、術中に眺めた空、見舞いに行く自分の影、死の際に咲いたこぶしの花、葬儀の風景、飼い猫チロの姿で、深い悲しみを表現しながら、同時に突き放して捉えてもいるのが、切なくなります。

 電車の中吊りや、枯れ枝の向こうの観覧車などへの眼差しが、なおさらに生と死、聖と俗を変わらずひとつものとして捉える荒木の悲痛な感情を伝えます。


 雪に跳ねるチロの姿を写した最後の1枚には、「生きていくことを促がされた」という本人の言葉どおり、哀しみを負って踏み出そうとする心情がこもっていて、泣きそうになりました…。

 

〈冬の旅〉 1989-1990年 より

 

7.色景

 陽子の一周忌を迎えて、彼女のピンクのコートを着てその遺影とともに写るセルフポートレート1点。
 ここからモノクロームになっていた彼の世界はふたたび色彩を取り戻していくことを象徴します。


8.空景

〈空景〉 1989-1990年の展示風景

 

 「妻が逝って、私は、空ばかり写していた」という、自宅のバルコニーから撮られたモノクロームの写真にペインティングしたものが面として展示されます。

 絵画的ともいえる作品群は、彼の喪失感や怒りなど、行き場のない感情の吐露そのままのようです。

 

 



9.近景

〈近景〉 1990-1991年の展示風景

 

 ふたりで生活していた自宅バルコニーのモノを接写した作品。

 倒れたまま放置された植物、ふたりのスニーカー、萎れた花などが示すのは、時を止め、過去となった思い出たち。

 そこには、哀しさとともに、もう一度陽子の存在を確認していくような、一歩一歩を感じます。

 


10.遺作空2

〈遺作 空2〉 2009年の展示風景

 

 陽子の死を見つめながら写真を撮り続けた荒木は、2008年に自らも前立腺癌を患い、自身の死も意識するようになります。

 復帰後、発表されたこの作品は、「空2(そらに)」と名づけられ、現実の模倣である写真の空に、何かを描くことで「もうひとつの私の空」を創ることを表しているのだそうです。

 “死”をもう一重抱えることで、その重さを感じつつも、どこか突き抜けたものを感じさせます。

 ちょうど〈空景〉と向かいわせに展示され、ふたつの死の表象の差異を確認できて印象的な空間です。

 

〈遺作 空2〉 2009年 より


11.三千空

〈三千空〉 2012年 より

 

 バルコニーから撮った空の写真をスライドショーとして発表したもの。

 3000カットを超える作品からなり、4時間以上に及ぶ大作、お時間の許す限りご堪能あれ。

 



12.写狂老人 A 日記 2017.1.1-2017.1.27-2017.3.2

展示風景から

 

 新作の初公開です。

 2017年の元旦から、陽子の命日を経て、愛猫チロの命日までを実際の日付で撮影したキャビネ判のインスタレーションは、その数742点!

 

 

 

「いつか唇に色を付けるかもしれない」と、
自作のリトグラフの前で

 

 

 日々さまざまな被写体を撮影し、彼が描いた陽子の肖像のリトグラフをはさんでその順序のままに並べられます。

 

 

ぜひ近寄って1点1点を!(展示風景から)

 

 

 

 

 

 

 

 江戸の天才浮世絵師、葛飾北斎に自らをなぞらえたタイトルを持つ新作は、まさに融通無碍。

 

 花あり、食べ物あり、街の風景あり、空あり、ヌードあり、本のページあり・・・日常と非日常が等価に浮かび上がってきます。


 ※同時開催の東京オペラシティでは、結婚記念日である7月7日のみの作品が展示中です

 

 

〈写狂老人 A 日記 2017.1.1-2017.1.27-2017.3.2〉 2017年 より


13.愛しのチロ

〈愛しのチロ〉 1988-2010年の展示風景

 陽子の死後も家族としてともに生きてきた愛猫チロ、彼女もまたその死まで荒木の大切な被写体でした。

 さまざまな姿態を捉えたポラロイド作品200点が一挙公開されます。
 22歳という大往生を遂げたチロは、賢そうな表情や愛らしいしぐさで、魅了します。
 

〈愛しのチロ〉 1988-2010年 より

 

14.エピローグ

 
 
〈荒木陽子全愛情集〉 2017年

 


 今年7月7日に刊行された陽子の著作集『荒木陽子全愛情集』を写した一枚が見送ってくれます。

 そばにいるのは、赤鬼のような荒木の姿。
 なんだかとっても嬉しげです。

 もちろんこちらも初お披露目。

 

 

 

 

 


 2020年に向けて、まだまだ意気盛んなアラーキー。

 

変らぬユーモアと情熱で会場を廻る荒木氏


 生と死も、聖と俗も、滑稽と悲哀も、等しく見つめるまなざしが、人間の存在そのものを写し出す、荒木のたくましくも繊細な感覚。

 

 「私写真」のパワーを、改めて実感してください!

 

 

 

 

 

(penguin)

 
 
 
 
 
『荒木経惟 センチメンタルな旅 1971- 2017-』


開催期間 :~9月24日(日)
会場:東京都写真美術館(恵比寿)
   〒153-0062 東京都目黒区三田1-13-3 恵比寿ガーデンプレイス内
アクセス:JR恵比寿駅東口より徒歩約7分、東京メトロ日比谷線恵比寿駅より徒歩約10分
      ※駐車場はありません。近隣の有料駐車場をご利用ください
開館時間:10:00~18:00 (木・金は20:00まで)
     ※入館は閉館の30分前まで
休館日:月曜日(9月18日は開館)、9月19日(火)
観覧料:一般900円(720円)/ 学生800円(640円)/中高生・65歳以上700円(560円)
     *( )内は20名以上の団体料金
     *小学生以下、都内在住・在学の中学生および障害をお持ちの方とその介護者は無料
     *第3水曜日は65歳以上無料
お問い合わせ :Tel.03-3280-0099

美術館サイトはこちら

 

 

 

『『荒木経惟 センチメンタルな旅 1971- 2017-』
招待券を10名様へ!!(お一人様一枚)


応募多数の場合は抽選の上、
当選は発送をもって代えさせていただきます。

《申込締め切り 9月12日(火)》
お申し込みは、ticket@art-a-school.info まで 手紙
!!希望展覧会チケット名、お名前、送付先のご住所を忘れずに!!

美術ACADEMY&SCHOOL チケットプレゼント係
〒102-0083 千代田区麹町6-2-6 ユニ麹町ビル4F
電話03-4226-3009
050-3488-8835

 

古美術品と食文化との円環を楽しむ

 

 


 根津美術館が連続企画として展開する「やきもの勉強会」。

 今年のテーマは、陶磁器の歴史や製法などではなく、今に伝わる作品から、当時の人々がどのような目的で制作し、実際に使用してきたのか、という身近な視点からアプローチします。

 

 人々が生活する上で欠かせないお皿、いまでこそ当たり前のように食卓にはさまざまな皿が並びますが、「盛る」という食事の文化がいつ頃から現れたのかは、実はよく分かっていないのだそうです。

 

 

 

 

展示風景から

 中国や日本の陶磁器から皿に注目、食のシーンを表した画や綴られた書簡などとともに、「食卓の物語」からその魅力に迫る展覧会の内容です。




 
展示室1・2

大皿のはじまりはいつ?/中国で流行した蓮弁文の皿

 

展示風景
まずは盆のように使用されたと思われるものから。


 古代土器にも見られるように、酒や水を注ぐ器や杯は早くから使用されていたようですが、盛る器は見られないのだとか。

 盤のような器が、小さな杯を置いた形で出土していることから、当時は皿ではなく、お膳のように使用されていたことがうかがえるそうです。

 また、6世紀ころから中国では蓮の花弁文様のある大皿が作られていました。これも花弁の上に置かれていたのは、杯であった可能性が高いそうです。

 まずは、そのように膳として使用されていたと考えられる皿を、9世紀頃の日本の須恵器や唐三彩、可憐な白磁で確認します。


小皿が重宝された時代/イスラムで好まれた大皿

 

展示風景から
持つもの大変そうな大皿の青磁は壮観!

 盛る器としての皿と、各自が食する際に使用した小皿の存在は、12世紀の中国では、遺された壁画からうかがえます。

 日本では、青磁の大皿のほかには、漆器が使用されることが多かったようです。

 やきものの小皿に料理を盛る姿は、絵巻に描かれているところから、鎌倉や博多から多く出土した青白磁や白磁の小皿が相当するとされています。

 また、宋時代に作られた中国の超大型の皿は、中近東の国々へ輸出されました。

 トプカピ宮殿の細密画に描かれたスルタンの食卓の風景では、卓を囲む人々が、スプーンを持っており、小皿は使用されていなかったことがうかがえます。

 国内の染付や景徳鎮窯の陶磁器から、龍泉窯を中心にした、美しくも圧倒的な大きさの青磁皿まで、それぞれの国、時代の食卓の風景を作品と描かれた姿のパネルなどからたどります。

 

 

《染付寿文字大皿》 肥前 施釉磁器 日本・江戸時代 17世紀
根津美術館蔵 山本正之氏寄贈

 肥前で作られた施釉磁器には、「壽」の文字があしらわれています。
 めでたい席で、ご馳走を盛り、食卓に華やぎと寿ぎをもたらしていたのでしょうか・・・。
 17世紀初頭に流行したこうした皿は、遠く青森のあたりまで運ばれていたことが知られています。

 

展示風景から
畳の上に並ぶ小さなお皿たちがかわいい♪

 この大皿と一緒に展示されるのが、ことのほか小さな皿の数々。

 

 手塩皿や向付に使用されるものなど、形、文様、サイズともに、それぞれの工夫が楽しめて、嬉しくなってくる一画です。

 

 

 

 

 

《染付蝶文小皿》 景徳鎮窯系 施釉磁器 中国・明時代 17世紀 根津美術館蔵

 染付のデザイン化された蝶が軽やかな、上品な小皿です。

 描かれ方や濃淡に微妙な違いがあるのも揃えてみたくなります。

 


呉須赤絵と呉須染付の大皿/古染付と祥瑞の皿

 

展示風景から
あでやかな呉須赤絵たち。

 世界に輸出された大皿としては、日本で「呉須手」と呼ばれている、細やかな文様が、朱や緑、青で華やかに描かれた大皿も知られています。

 漳州窯の製品が知られるこれらの使われ方は輸出先でさまざま。西欧では館の装飾品としても用いられました。

 日本では、富裕層の祝宴や食卓を飾ったのでしょう。

 

  他に、日本人が特に好んだのが、中国の青花磁器である古染付と祥瑞でした。
 これらは、注文により作られたもので、自分たちの好みを反映させて、和様の文様を持ちます。

 ここでは、呉須手の絢爛な品々と、古染付や祥瑞の涼やかな作品に、染付の精緻さを堪能します。

 

《赤絵五角小皿》 漳州窯系 施釉磁器 中国・明時代 17世紀 根津美術館蔵

 5つの器が、美しい五弁の花を形成します。
 不成形な五角形に描かれた華やかな牡丹(?)が、個別に盛られても楽しめますが、まとまって出されても嬉しい小皿です。
 朝鮮半島でも宮廷の食卓で使用されていたとか。


志野、織部、備前…各地の皿の登場

 

展示風景から
形も質感もバラエティに富む日本の陶器たち。

 日本で陶器が作成されるようになると、各地の特色を活かしたさまざまな小皿が作られるようになっていきます。

 戦国から桃山は、江戸時代にかけて、価値観が変わり、交通網も整い、各地の交流や交易が盛んになっていく時代。

 宮廷から武士、商人、庶民の各階層の好みを反映しつつ、多くの皿が作られ、それにより使用も増える相乗効果が、日本の食卓を豊かにしていきます。

 日本独自の意匠や製法により多彩になっていく皿の姿を、楽しい逸品で味わうコーナー。

 

 

《黄瀬戸小鉢》 美濃 施釉陶器 日本・桃山時代 16世紀
根津美術館蔵 (展示風景から)

 底にあしらわれた小花の文様がなんとも愛らしいセットです。
 やわらかい黄色の地が、さりげなく花弁を形作っているのもにくいあしらい。

 

 

《備前州浜形皿》 備前 焼締陶器 日本・桃山時代 16世紀
根津美術館蔵 (展示風景から)。

 洲浜をイメージした備前焼の一枚は、形の面白さと皿底の焼きにより浮かぶ文様が渋い、まさに和好みな一品。
 このまま飾っていてもよいくらい、風情があります。

 

 

《御深井写皿》 瀬戸 施釉陶器 日本・江戸時代 17世紀
根津美術館蔵 (展示風景から)

 縁の一部が不規則にゆがんだフォルムが、非対称を好む日本人らしさを感じさせます。
 渋い地の色に対し、鮮やかな青の釉の輝きが、静かな華やかさを添えています。
 温かさと涼しさを併せ持っていて、写しながら個人的にはお気に入りでした♪


日本では唐物の皿が主役/宴の器/伊万里の染付大皿

 

展示風景から
食卓をイメージして並ぶ小皿たち。


 中国では磁州窯で焼かれた「洗」といわれる平底の鉢が庶民の器(道具)として使用されていました。

 日本でも青磁や黄釉の平底の盤が中世の遺跡から発見され、絵巻にも描かれていることから、こうした器が漆器とともに使用されていたことがわかるそうです。

 

 

 

 

展示風景から
豪華な染付の大皿。


 そして日本で大皿に料理を盛って饗するようになるのは、桃山時代から江戸初期と考えられています。

 江戸も中期になると、小皿が好まれ、時代劇などでわたしたちにもなじみのある膳と椀の形が定着し、小皿が主役となっていくようです。

 ただし、武将たちの宴席では、大皿に料理を山盛りにして饗した様子が屏風や幕末の浮世絵などに描かれます。

 ここでは、定着した小皿の意匠や豪華な大皿から、当時の食卓の華やぎに想いを馳せます。
 

 

《色絵花文琵琶型皿》 南紀高松窯 施釉陶器 日本・江戸時代 19世紀 根津美術館蔵

 和歌山にあった高松窯で焼かれた琵琶型の皿には、それぞれ異なる草花が描かれています。
 驚くほど薄く焼かれていて、端正な技術をうかがわせます。

 

《織部大皿》 瀬戸濃 施釉磁器 日本・江戸時代 19世紀 根津美術館蔵

 織部のみごとな大皿。
 釉薬の大らかな色のハーモニーと文様の幾何学的な硬さが絶妙なバランスを持っています。
 ふたつ目のお気に入りです♪

 

 宴席での各自の膳に載せられた小皿の色、形、文様を堪能し、宴が進むにつれ、大皿の豪華な模様が見えてくるのも、主の技量とセンスを示し、出席した人々を眼で楽しませたことでしょう。



 わたしたちが普段あたり前に使用し、あるいは宴席で目にする大皿、小皿。

 時を超え遺された名品の数々に食の物語を読み取ることで、変らぬ人間の営みと器への愛を見いだすとき、美術品の「やきもの」たちはより身近に感じられ、また日々の食卓への意識も豊かになるのではないでしょうか?

 


【同時開催】

展示室5 舞の本絵巻

 

展示風景から
絵巻3作が贅沢に並びます。

 日本で独特の完成と発展を見た絵巻。

 説経や偉人の伝記、事件の記録から、能や歌舞など、さまざまな物語が絵巻として作られてきました。

 室町期から江戸時代はじめにかけて武士を中心に流行した「幸若舞」は、武士の華やかで哀しい物語をテーマにして人気を博します。

 語りと舞の芸能は、その人気から読み物にも転用されました。


 「舞の本」といわれたこの物語に絵を添えて絵巻にしたもののうち、当館所蔵の3作品が紹介されます。

 港の建設が難航する平清盛が人柱を立てることを命じたのを機に始まる親子夫婦の恩愛を描いた『築島』
 兄頼朝に討たれた義経の想い人であった静御前の人品の尊さを示すエピソードを描いた『静』
 衣川の戦い前夜の義経主従の別れの宴と、合戦での弁慶らの奮闘の姿で、忠義や殉死を描いた『高館(たかだち)』

 

 

《築島》(部分) 1巻 紙本着色 日本・室町時代 16世紀

根津美術館蔵

《高館》(部分) 2巻 紙本着色 日本・江戸時代 17世紀
根津美術館蔵 (展示風景から)

 

 源平合戦にテーマを求めながら、多様な悲劇を描いた3本の絵巻は、稚拙な感じが「へたうま」な味を出しているもの(築島)、正当な画技を持っていたと思わせるもの(静)、狩野派の技巧が確認されるもの(高館)、とその画の雰囲気もそれぞれ。

 物語とともに、その違いも楽しんでください!


展示室6 盛夏の茶

展示風景から
大らかな墨蹟とともに清涼感の演出を感じて。


 日中の酷暑を避けて、早朝や夕刻に開かれるという、真夏の茶事。

 涼やかさを演出する季節の茶道具約20件が紹介されます。




 

《蟹蓋置》 道斎作 青銅 日本・江戸時代 18世紀
根津美術館蔵
《法花蓮花文水指》 施釉陶器 中国・明時代 16世紀
根津美術館蔵 (展示風景から)

 左:蟹は茶の湯では代表的な七種の蓋置のひとつだそうです。
 足利家伝来の名物を姫路藩主が写させたものです。

 

 右:中国・明時代の逸品。
 法花蓮の大胆なデザイン、釉薬の微妙な色合いがとても美しい水指です。
 口縁のコバルトブルーが全体を引き締めています。

 ふたたび猛暑復活の夏、涼を呼ぶ茶の空間で、一息ついてみませんか?
 

まもなく終了です~。

 

(penguin)

 

 

 

企画展 「やきもの勉強会 食を彩った大皿と小皿」

 

開催期間:~9月3日(日) ※9/4~9/13は展示替えのため休館
会場 :根津美術館 (青山)
    〒107-0062 東京都港区南青山 6-5-1
アクセス :東京メトロ 銀座線・半蔵門線・千代田線 表参道駅下車
       A5出口(階段)より徒歩8分/B3出口(エレベーター・エスカレータ)より徒歩10分
       B4出口(階段・エスカレータ)より徒歩10分
開館時間 :10:00~17:00 入館は16:30まで
休館日 :毎週月曜日
入館料 : 一般 1,100円(900円)/学生 800円(600円)
     *( )内は20名以上の団体、障害者手帳提示者および同伴者1名の料金
     *中学生以下無料
お問い合わせ :Tel.03-3400-2536

公式ホームページはこちら




 

 

 

 

たなごころの雅を楽しむ

 

 

 世田谷の静嘉堂文庫美術館では、その豊富なコレクションから、「香」の文化が育んだ精華を楽しむ香合と香炉の展覧会が開催されています。

 そもそも仏前でその空気を浄化するために芳香を献ずるものであった「香」の文化は、6世紀、仏教伝来とともに日本に伝えられました。

 やがて部屋や衣服に焚き染めたり、香りそのものを楽しむようになり、室町時代、東山文化の中で「香道」が大成したといわれています。

 香を焚き、聞きあてるための道具も発展し、中国や東南アジアから輸入されたものは「唐物」として珍重され、茶道具としても採りこまれていきました。

 

 

展示風景から
まずは天然香料の種類から学べます。

 静嘉堂美術館には、120件強の香炉、約250件の香合が所蔵され、質・量ともに有数のコレクションとして知られています。


 それらの中から選りすぐりの約100件で魅せる、「かおりを飾る」珠玉の名品たち。

 

 香合のコレクションは20余年ぶりの大集合とのことで、見ごたえたっぷり。

 香炉では、野々村仁清の重要文化財を含む2点が揃って登場、中国陶磁器の世界的にも貴重な逸品や室町期の名品、豪華な江戸時代の香道具などが紹介されます。

 香合ではさまざまな素材、製法により、さまざまな意匠を凝らした作品が、その美を競います。

 

 また、江戸時代に作成された、茶道具の陶磁香合のランキング、通称「香合番付」といわれる『形物香合相撲』の原本が、そこで評価されている作品と合せて見られるのも嬉しい機会です。

 現在展示はすでに後期に入っていますが、一部見どころをご紹介します!


プロローグ
 
 入り口では、中国・明時代の香合とともに、仁清の白鷺型の香炉が迎えてくれます。

 

「銹絵白鷺香炉」 野々村仁清作 御室窯
江戸時代(17世紀) 静嘉堂文庫美術館蔵

 長い首をすっと伸ばした姿がなんとも優美です。
 よくぞこの細い首が折れずに遺された…と、感謝したくなります。
 羽根を表す紋様や、座っている脚まできちんと付けられているのにご注目。


香炉(ほか香道具)

展示風景
きらびやかな香炉や香道具が並ぶ。

 


 単に香を焚くための器としてだけではなく、調度品として置いてあること自体を鑑賞することも意図して造られた香炉たち。

 仏具としての銅製のものから、龍泉窯や景徳鎮窯の中国青磁、京、備前、薩摩などの国産、豪華な蒔絵が施されたものまで、あるものは舟や動物を象り、あるものは人物や花鳥を描き、多彩な作品が、空間を彩ります。

 

 

重要文化財 「色絵法螺貝香炉」 野々村仁清作 御室窯 江戸時代(17世紀) 静嘉堂文庫美術館蔵

 こちらも京都で色絵陶器を完成させた仁清の作品。
 大きな法螺貝の形の精妙さはもちろんですが、五色の糸を巻きつけたようなその彩色に感嘆します。

 

 

「菊蒔絵阿古陀形香炉」 室町時代(15~16世紀) 静嘉堂文庫美術館蔵

 カボチャを表す古語がつけられた香炉は、高蒔絵で菊花があしらわれた、品格のひと品。
 ぽってりとした六花の形も安定感をだして、ひときわ存在感を放っています。

 

 

「吉野山蒔絵十種香道具」 江戸時代 (18世紀) 静嘉堂文庫美術館蔵

 こちらは、婚礼調度として造られた香道具一式。
 江戸時代の女性の教養として重視された「組香」のための道具です。
 金地に金・銀の高蒔絵と金貝技法で桜の咲き乱れる吉野山の風景が描かれた、ゴージャスできらびやかなセットです。

 

展示風景から
「吉野山蒔絵十種香道具」 の一部。
展示風景から
「吉野山蒔絵十種香道具」 の一部。

 工芸技術にうっとりですが、手書きの香包も豪華!

 

 

展示風景
青磁香炉の造形も注目!
「色絵鳥兜香炉」 京焼(小清水) 江戸時代(18世紀)
静嘉堂文庫美術館蔵 (展示風景から)

 このほか、中国の青磁香炉の数々も魅力ですが、俵の上で憩う猫や彩色された鶉の姿の備前焼のものや、その色合いと形態に一目で魅せられる京焼の鳥兜型など、日本の動物シリーズが楽しいです♪


香合

 

展示風景
ズラリと並ぶ香合はかわいらしくも壮観。


 香合は桃山時代に炉または風炉に墨をつぎ、香を入れる「炭手前(すみでまえ)」が成立して、茶席で香合のみが用いられるようになって、ますます茶人たちの好みを反映して多様化したといいます。

 夏場の「風炉」の季節には香木を入れた「木地香合」や「漆芸香合」が用いられ、冬場の「炉」の季節には練香を入れた「陶磁香合」が用いられます。

 中国や東南アジアからの輸入品である「唐物」と日本製の「和物」に大別され、素材は漆器・陶磁器・木製や象牙製品、金属や貝などさまざま。

 約80件の香合は、その製法別に紹介されています。

 

展示風景
漆芸香合のコーナー。

漆芸香合

 

 まずは明時代のみごとな漆の香合が並びます。

 

 

 

 

 

 

 

 

「堆朱雲龍文大香合」「大明宣徳年製」銘 中国・明時代・宣徳(1426~35)年間 静嘉堂文庫美術館蔵

 官製であることを示す銘の入った貴重な作品。
 蓋と側面に彫られた龍は、5本爪、9匹で皇帝を示す意匠です。

 

 

「堆朱三聖人香合」 中国・明時代(15~16世紀) 静嘉堂文庫美術館蔵

 漆を厚く塗り重ねて、そこに深さを変えて文様を彫ることで、鮮やかに浮かび上がらせる「彫漆」技法が施されています。
 老子・釈迦・孔子の三聖が表され、内部は黒塗りだそう。(ちょっと見てみたい…)


 ついで和物たち。

 

「撫子蒔絵錫縁香合」 桃山時代(16~17世紀) 静嘉堂文庫美術館蔵

 錫の置口をつけた合子。「錫縁香合」といわれ、和物香合では格の高いものとされているそうです。
 この種のものは、元は化粧容器のひとつとして手箱に納められていたもの。
 美しい金蒔絵で撫子が描かれています。
 

 

「小手鞠形蒔絵香合」 江戸時代(18~19世紀)
静嘉堂文庫美術館蔵 (展示風景から)


 このほか、蒔絵では江戸期の葉と小手鞠を合せたもの、明治期の香包の形をしたものが、意匠の工夫に富み、美しさもひとしおです。

 また、中国製の象牙に人物を彫ったもの、青貝で楽人を表したものから、ミャンマーの漆芸作品まで、バラエティに富んでいるのを確認できます。




陶磁香合

 

展示風景
陶磁香合のコーナー。


 本展示で最も数の多いコーナーは、中国は漳州窯(田坑窯)、景徳鎮窯、龍泉窯から、「交趾」(ベトナムからの交趾船でもたらされた三彩)、染付の「祥瑞」「古染付」、「呉州」「青磁」など、江戸時代に注文制作されたものを中心に、桃山から江戸・明治期に日本の各地で焼かれた独創的なデザインが並びます。

 

 

 

 

 

「交趾狸香合」 中国・漳州窯(田坑窯) 明時代(16世紀末~17世紀前半) 静嘉堂文庫美術館蔵

 狸…?とされていますが、猿かもしれないという楽しい香合。
 その形と貴重な「交趾」として、著名な作品なのだそうです。

 こちらには、収納のための次第(付属品)も共に展示されています。
 今回、こうした名品のいくつかは次第とともに紹介されているのも本展のお楽しみのひとつです。

 

 

「古染付荘子香合」 中国・景徳鎮窯 明時代(17世紀前半) 静嘉堂文庫美術館蔵

 白地に青が美しいかっちりとした作品。
 蓋の蝶のあしらいが絶妙です。タイトルの「荘子」から、“胡蝶の夢”の故事が想起される、文化的香りの高いひと品です。

 

 

「織部六角蓮実香合」 美濃窯 桃山~江戸時代(17世紀) 静嘉堂文庫美術館蔵

 利休に師事し、自らの美学を打ち立てた古田織部が創始した織部焼の香合です。
 不規則な六角形の面取りと流れるような鉄顔料の釉薬に、ぽちっと緑釉でその特徴を捉えているのが愛らしくも数寄な風情です。

 

 

『形物香合相撲』 江戸時代・安政2年(1855)刊 静嘉堂文庫美術館蔵

 そして、江戸時代に作られた相撲の番付表になぞらえた、香合ランキング一覧。
 当時の道具商が集い発行したものとされ、現在でもこの評価が有効なのだとか。

 なんと、静嘉堂コレクションが、30種以上も入っているそうです!!
 ぜひ、一覧と掲載されている作品を一緒に確認してください。

 

 

展示風景
景徳鎮窯の青磁はモダンです。

 

 このほか、景徳鎮窯の青と白の格子模様がモダンなもの、仁清工房の蝸牛を表したユーモラスなもの、羽子板の形をした大胆なもの、永樂保全の交趾小亀の写しとその元作品の並列に、奥田木白の色絵ものなどなど・・・。 

 

 前後期で入れ替わりはありますが、さまざまな意匠からお気に入りを見つけて。

 

 

 

仁清蝸牛香合 京焼(「仁清」印) 江戸時代(17世紀)
静嘉堂文庫美術館蔵 (展示風景から)*前期展示
仁清羽子板香合 京焼(「仁清」印) 江戸時代(17世紀)
静嘉堂文庫美術館蔵 (展示風景から)*前期展示
「保全交趾写小亀香合」 永樂保全(1795〜1854)(「永樂」印) 江戸時代(19世紀)
静嘉堂文庫美術館蔵 (展示風景から)

 

 ロビーに出ると、こちらが。
 

「青磁香炉」 中国・南宋官窯 南宋時代(12~13世紀) 静嘉堂文庫美術館蔵

 現在進む調査の中で、中国の文献にも名高い「修内司官窯」の作である可能性が高くなっているという世界的にも逸品といわれる香炉です。

 どっしりとしたたたずまい、これぞ青磁という肌に計算されたかのように入った細かい罅が美しく、圧倒的な迫力。自然光で観られるのも嬉しい趣向です。
 

 技も品も豪華な名品で観るみごとな香炉たち。
 手のひらに収まるほどのかわいらしいサイズの香合たち。

 

 その工夫とアイデアは、それぞれに一個の宇宙を持ち、感嘆や微笑を誘います。
 かおりを飾り、空間を彩る、小さくてもしっかり存在感を持つ彼らの競演をその目で“聞いて”ください!


【おまけ】

国宝 「曜変天目」(「稲葉天目」) 中国・建窯
南宋時代(12~13世紀) 静嘉堂文庫美術館蔵


 茶道具としても用いられる香合・香炉にちなみ、本美術館の至宝《曜変天目》も、会期中はお目見えします。

 

 暑い夏、涼やかでかつ妖しい光を放つ、小宇宙の輝きも堪能して!

 

 

 

 

 

 

 

 


(penguin)

 



『~かおりを飾る~ 珠玉の香合・香炉展』

 

 

開催期間:~8月13日(日)
会場 :静嘉堂文庫美術館 (世田谷)
    〒157-0076 東京都世田谷区岡本 2-23-1
アクセス :東急大井町線・田園都市線(地下鉄半蔵門線直通) 「二子玉川」駅下車、
        駅前④番バス乗場より東急コーチバス「玉31・32系統」で「静嘉堂文庫」下車。徒歩5分
        または二子玉川駅からタクシーで約10分
       小田急線 「成城学園前」駅下車、南口バス乗り場から「二子玉川」行きバスで「吉沢」下車
       徒歩10分
       *駐車場が美術館前に20台分あります。美術館入館のお客様は無料でご利用いただけます
開館時間 :10:00~16:30 (入館は16:00まで)
休館日 :毎週月曜日
入館料 : 一般 1,000円/大高生 700円(20名以上団体割引)/中学生以下無料
お問い合わせ :Tel.03-5777-8600(ハローダイヤル)

公式ホームページはこちら

 

 

 

究極がまとう緊張美と粋のしつらえ

 

 


 “刀剣女子”という名が流布するほどに、ゲームキャラクターの設定から若い女性ファンが増えている刀剣の世界。

 武器としての究極の理想を実現するとともに、刀工たちがその錬成の際には禊をするほどに神聖なものとして制作され、時には神への奉納品としても、美しさを追求されてきたそれらは、武士の技の証として、同時にステイタスとして機能し、大切に伝来されてきました。

 それらの名品は、時に妖しいまでの怖さをともなって、その姿、切先、刀文ともに私たちを魅了します。

 現在は抜き身の状態で展示されていますが、かつては、鐔、目貫、それらを留める金具や併せの小柄などの拵えが使用に耐えうるようにしつらえられ、いずれも持ち主や本体の由来にふさわしい意匠や素材で装飾されてもいました。

 泉屋博古館 分館では、こうして遺されてきた名刀と刀装具の逸品を楽しむ展覧会が開催中です。

 愛刀家には知られる、黒川古文化研究所が所蔵する国宝二口・重文十口を含む日本刀の一大コレクションが、東京ではほぼ初公開されています。

 平安時代から江戸期まで、ふだんはなかなか観ることが叶わない珠玉のコレクションから、指定文化財の十二口のオールスターをはじめ、30口もの名品が一堂に揃う貴重な機会!

 また、刀装具や武士が描いた絵画なども併せて紹介される空間は、武士階級が持ち、育んできた美意識が感じられる構成になっています。

 刀剣は詳しくないのですが(汗)、見逃すには惜しい内容、拙いながら一部ご紹介します~。

 

 

第1展示室

Ⅰ.刀剣

 

展示風景
ズラリと並ぶ刀剣は圧巻です。

 平安時代後期には成立したと考えられている反りのある「日本刀」、まずは、鎌倉~室町期の名品たちを。

 室町時代には騎馬での戦闘が主だったこともあり、刃が下向きで長さもある「太刀」が生産されます。

 徒歩戦に移行する戦国期には、刃を上向きにして携帯する「刀」が主流となり、江戸時代にはわたしたちがイメージとして見慣れている、刀と脇差の二本差しが通常となるそうです。


 やはり初期の刀工が多く活躍したのも都が置かれた京都でした。
 
 謡曲「小鍛冶」でも知られる平安の三条宗近をはじめとし、鎌倉期には来派の国俊や国光、粟田口の国友、久国、国安、国清、有国、国綱の六兄弟が活躍、そして後継の国吉、国光、吉光らが名を残します。

 

国宝 短刀 銘 来国俊 鎌倉時代(13~14世紀)黒川古文化研究所蔵

 売立目録から大和郡山藩主柳沢家伝来とわかり、将軍綱吉から柳沢吉保の長男に賜ったものとされる短刀。すらりとした姿が凛として美しいです。

 

 

重要文化財 太刀 銘国光 鎌倉時代(13世紀)黒川古文化研究所蔵

 國光の銘を持つ太刀。
 後世に短く切り詰める「磨上げ」が行われたようで、当初は10~20cmほど長かったと考えられるそうです。
 質実剛健な鎌倉武士にふさわしく感じられる一太刀です。

 

展示風景
備前産の名品たちのコーナー。

 

 また、備前も日本刀の一大産地として知られます。

 「古備前」と呼ばれる包平や正恒らから、鎌倉中期には刃文が華やかになる特徴をまとめて観られます。

 

 

 

 

 

 

重要文化財 太刀 銘備前国長船住景光 鎌倉時代(14世紀)黒川古文化研究所蔵

 反りが深く、刃文もさまざまな目が交ざり、確かに華やかです。

 

 

重要文化財 太刀 無銘(菊御作) 鎌倉時代(12~13世紀)黒川古文化研究所蔵

 区下に菊紋が彫られた一作。

 後鳥羽院が月毎に各地の名工を呼び寄せて作刀させるとともに、自らも鍛造し菊紋の刻まれたものが御作として、臣下に賜ったと伝承されるそうです。


 さらに、その名刀の由来を保証する鑑定書も紹介されます。

 

展示風景
本阿弥家の花押の入った鑑定書

 琳派の始祖とされる本阿弥光悦を輩出した本阿弥家は、刀剣の目利きを行った家柄でした。

 

 戦国期に秀吉から鑑定結果を「折紙」として発行することを許され、江戸時代には、幕府御用として、数々の鑑定に、「磨上げ」や「研ぎ」を行いました。

 彼らの鑑定書とともに、結果名物とされた(それまでは無銘のものが多かったとのこと)作品を観ていきます。

 

 

 

国宝 短刀 無銘(名物 伏見貞宗)鎌倉時代(14世紀) 黒川古文化研究所蔵

 ややぽってりとした身幅がふくよかな印象を与え、リズミカルな刃文とともに、余裕を感じさせる短刀です。
 貞宗は正宗の門人といわれ、彼らに次ぐ人気を得た刀工ながら、在銘の作は見つかっておらず、多くは本阿弥家の鑑定により定められたものなのだとか。

 

 

重要文化財 刀 無銘(伝長谷部国重) 南北朝時代(14世紀)黒川古文化研究所蔵

 反りが浅く、派手な刃文とその身幅から、勇壮な一口です。
 折紙の記述から、紀伊徳川家の所有から水戸徳川家に贈られたものとみられているそうです。

 

 

展示風景
ケースには徳川家の家紋入りの拵えも。


 一堂に並ぶ刀剣の、クールな輝きが壮観な展示室。
 東博でもここまでの一堂展示はなかなかないかと・・・。

 それぞれの刀の反り、地肌、刃文の違いを比べられるのも嬉しいです。

 

 

 

 

 

ホール

 

新刀

 

展示風景
江戸期の新刀が並ぶホール風景

 中世の刀鍛冶は、戦国の動乱で各地に分散し、大名のお抱えになるなどしていきます。

 

 交通網の発達によって、地域性も薄れた江戸期、慶長以降の刀剣は、それ以前と区別して「新刀」と呼ばれます。

 ここでは、新刀の名品たちが紹介されます。

 これまで観てきたものよりも、全体的に大振り、どこか象徴的で、飾り物としての要素の方が強くなっているように感じられるのは、平和な時代に生み出されたからでしょうか。

 美しいのですが、それまでの機能と美の拮抗する怖さに通じる緊張感がなくなっているような・・・。

 

 

 

展示風景
第2展示室の展示風景

第二展示室

 

Ⅱ.拵えと鍔・刀装具

 ここからは刀の機能を補完する、柄や鞘、鐔などの「拵え」の精華を楽しみます。

 中世に主流であった太刀拵えは、近世には儀礼的なものになり、贈答や下賜のための華やかで装飾的なものへと変っていきます。

 

 江戸期は、腰に差す「打刀拵」が一般的になります。

 

展示風景
小さいのに細やかな細工の目貫が並びます。

 これらも、もともとは機能性を重視され、華美なものも禁じられていましたが、やがて、身に着ける刀の格や持ち主の美意識を反映し、優美なものや、知的なもの、あるいは持ち主の主張を表すものが求められていきます。

 

 

 

展示から。小さななすびには「一富士二鷹三茄子」が!
大月光興 初夢図目貫 銘 大龍斎光興
江戸時代(18~19世紀) 黒川古文化研究所蔵

 

 


 工芸師たちも自らの力量を示す技巧を凝らし、武士たちのニーズに応えていったことが、精緻な造り、豪華な素材、機知に富んだ意匠などから感じられます。

 

 

 

 

 

 

展示風景
デザインが楽しい鐔のコーナー♪

 元禄以降には、文化の爛熟にともない、より個性的な意匠の刀装具が求められ、それらに対して町彫工らも台頭してきます。

 浮世絵師であった英一蝶に下絵を求め、金工を施して人気を博した横谷宗珉や土屋安親らの江戸の彫物師。

 

 円山応挙らが進めた写生を旨として対象を把握していく動向に共鳴し、金工に新たな革新をもたらした一宮長常や岡本尚茂ら、京都の彫物師。

 

 そして御用彫物師の家に生まれながら、明治へ向けて新たな技法や素材を見出した後藤一乗らの、技と工夫を堪能します。

 

 

重要文化財 土屋安親 豊干禅師図鐔 江戸時代(18世紀)  黒川古文化研究所蔵

 武士道と禅はとても密接な関係がありました。
 武士のたしなみとしての知識をさりげなく鐔にあしらう、そうした思想的な背景を感じさせるひと品です。

 

 

岡本尚茂 鈍太郎図目貫 銘 鉄元堂正楽 江戸時代(18世紀) 黒川古文化研究所蔵

 小さな目貫がここまで細やかな表情と衣装を持つ人物に彫られている技術に感嘆です。
 彫師の得意げな顔が浮かびます(笑)。
 

 

後藤一乗 瑞雲透鐔 江戸時代(1835年) 黒川古文化研究所蔵

 足利将軍に仕えた祐乗を初代とし、17代にわたって将軍家御用をつとめた後藤家の最後の名工といわれた一乗の一作。
 シンプルな瑞雲の透かし彫りは、現代的といえるほどにデザインとして完成されています。

 

 

 

展示風景
武士のたしなみのひとつ、絵画作品のコーナー

Ⅲ.絵画―武士が描いた絵画


 刀に託した武士たちの想い、そして刀装具にこだわったその知性は、絵画にも表れています。

 

 最後に武士たちが嗜み、遺した絵画作品で、その美意識の表れを補強します。

 花鳥画や禅にテーマを求めた作品たちは、やがては消えゆく武家社会の在りし日の姿を、刀剣美とともに浮かび上がらせています。

 

 

 まもなく終了。
 未見の方はお急ぎを! 

 

 

(penguin) 





『名刀礼賛 もののふ達の美学 』
 
開催期間 :~8月4日(金)
会場 :泉屋博古館 分館 (六本木)
    〒106-0032 東京都港区六本木 1-5-1
アクセス :東京メトロ 南北線 「六本木一丁目」駅下車
        北改札正面出口より屋外エスカレーターで3分
      東京メトロ 日比谷線 「神谷町」駅下車、4b番出口より徒歩10分
      東京メトロ 銀座線 「溜池山王」駅下車、13番出口より徒歩10分
開館時間 :10:00~17:00 (入館は16:30まで)
休館日 :毎週月曜日      
入館料 :一般 800円(640円)/高大生600円(480円)/
     *( )内は20名以上の団体料金
     *中学生以下は無料
お問い合わせ :Tel.03-5777-8600(ハローダイヤル)

ホームページは こちら

 

文字と紙と。華麗な組み合わせが魅せる日本の美。

 

 


 日本の古美術をもっと楽しめたら…という意図で、根津美術館が昨年から、企画している「初めての古美術鑑賞」シリーズ。

 第2弾として、今年は「書」に親しむきっかけとしての装飾された紙――料紙の美からアプローチする展覧会が開催されています。

 古来より日本では、写経や和歌など、貴重な文献や大切なメッセージを残す手段として、美しく装飾された紙にしたためてきました。
 それらは、一部や断簡となってもその美しさから、掛軸や巻物、画帖などに改装されて、現代まで遺されています。

 根津美術館のコレクションを中心に、こうした「書」の書かれた料紙を、その技法と併せて紹介、楽しみ方を提示してくれます。


 中国から来日したさまざまな技術とともに、日本独自の工夫も凝らされた料紙の数々と、そこに残された世に“三筆”や“三蹟”と讃えられた筆者をはじめとする達筆は、紙の輝きや紋様に、墨の強弱、濃淡が呼応し、ひとつの世界を創っています。

 


雲母に光を!

 

展示風景
雲母を魅せるライティングに注目!


 浮世絵の「雲母摺り」でも知られる雲母(きら)は、鉱物や貝を粉末にして使用するもの。

 

 光のあたり方でキラキラと光を見せることからこの読み名がつきました。

 もちろん、江戸期だけではなく、平安時代から、多くの書がこの雲母が使用された紙に書かれています。

 まずは、平安の三蹟である小野道風や藤原行成の手と伝えられる名蹟や、聖徳太子の筆と考えられている古筆切や本阿弥光悦の作による色紙などで、このきらめきに惹きつけられます。

 

 

「尾形切」 伝藤原公任筆 1幅 彩箋墨書
日本・平安時代 12世紀 根津美術館蔵

 平安時代に文芸で名を上げていた公卿、百人一首にも歌を残す藤原公任のものか、とされている古筆切。

 「具引き」といわれる胡粉に色を混ぜて紙の全面に塗る技法の上に「雲母摺り」が施され、さらに銀泥で小鳥などが細やかに描かれた「銀泥下絵」が使われている凝った料紙です。

 やわらかい仮名まじりの書の響きが紙に文様として浮かび上がったかのような印象さえもたらします。


 今回新しい照明器具で照らされた作品たち、さまざまな角度から、雲母のささやきを確認してください!


「染め」のバリエーション

展示風景
カラフルな料紙が並びます!


 次いで、紙を染めることで表情を出した料紙たちの書を観ていきます。

 はじめは防虫を兼ねていたと考えられる染めは、やがてさまざまな技法を生み出し、紙を飾る意図を強くしていく様子が見られます。

 染にはできあがった紙を染料に浸ける「浸染め」、刷毛で塗る「引染め」のほか、色のついた繊維を漉き込む「漉染め」などがあります。
 
 現在は断簡となっているものでも、当時は色違いの紙を重ねて冊子だったものあり、その配色の美を楽しむものでもあったとか。

 平安の時代、ラブレターである和歌を送る際に、その紙のかさねの色合わせが、その人のセンスの高さと教養を示したことを思い出します。

 

 

国宝 「無量義経」 1巻 彩箋墨書 日本・平安時代 11世紀 根津美術館蔵

 根津美術館が所蔵する中でも特別に高雅な名品。
 「引染め」「金切箔散らし」「金泥界」が施されています。
 濃淡の茶色に染めた紙を交互に継いだ紙に、細かい金箔を散らし、罫線は金泥です。
 大乗仏教の経典のひとつは、ありがたい内容にふさわしい豪華さで示されたのでしょう。

 

 

「紫紙金字華厳経」 1枚 紫紙金字 日本・奈良時代 6世紀 根津美術館蔵

 こちらは「浸染め」「銀泥界」の華厳経です。
 紫の染料に何度も浸して染めた地に、銀泥の線と金泥の文字がとても美しいです。

 

 

「八幡切」 伝明日香井雅有筆 1幅 彩箋墨書
日本・鎌倉時代 13世紀 根津美術館蔵

 「打曇り」という、藍や紫の繊維を漉きかけて、雲のようなグラデーションを見せる技法が施されています。
 意図と偶然が、みごとな拮抗を示した漉き技がすばらしいです。
 墨文字も、強弱・濃淡ともに絶妙な配置です。


 このほか、藍の繊維の分量により多彩な濃さの青を出せる漉染めの例から、藤原教長筆《今城切》(いまききれ:教長の書がまたことのほか美しい・・・)や、
 藍と紫の繊維をまるで雲のように散らす「飛び雲」の料紙が使用された、奥州藤原氏の系譜である藤原惟経の筆と考えられる《難波切》などで、多彩な染めと、それぞれに美しい書のコラボレーションを楽しめます。


金銀の多彩な飾り

 

展示風景
古筆切から絵画、屏風まで華やかに並びます


 平安時代以降、貴族文化の隆盛の中で、ますます紙の装飾の工夫は多様化します。

 その中で特に金銀を使用した華麗な料紙を観ていきます。
 基本的な装飾は、箔と泥。

 箔には、小さく切った「切箔」、細く切った「野毛」、粉末の「砂子」などがあり、膠や布海苔を塗った上から撒きます。

 泥は、これまでの写経などでも見られたように、金銀を膠で溶いた絵具として使用されるもの。
 日本画でも使用されているので、もっとも身近な技法でしょう。

 

 

 
「百人一首帖」 智仁親王筆 1帖 彩箋墨書 日本・江戸時代 17世紀 根津美術館蔵

 「具引き」「金切箔・砂子散らし」「金銀泥下絵」と、たくさんの技法が使われた豪華な百人一首帖。
 江戸時代になると、大胆な意匠も目立ってきます。 

 ちょっと手に取ってみたくなります・・・。

 

「箔切」 伝 藤原為家筆 1幅 彩箋墨書
日本・鎌倉時代 13世紀 根津美術館蔵


 こちらは金銀の「野毛・砂子」による霞引きと呼ばれる技法の料紙に書かれた『金葉若集』の古筆切。

 

 この和歌集のものは数少ないそうで、貴重なひと品です。

 


 こうした技術は絵画にも採りこまれていきます。

 本展では、その典型ともいえる静嘉堂美術館所蔵の《勅撰集和歌屏風》(松花堂昭乗・筆)が招かれています。

 

 金銀のあらゆる技法が使用された輝くばかりの風景の中に、和歌を張り紙風に配した、ゴージャスながら燻したような落ち着きを持つ屏風は必見。

 併せて、《風俗図》が並びます。
 「金切箔」「砂子散らし」がふんだんに使われ、侍、遊女、若衆の背後の風景を浮かび上がらせます。

 

重要美術品 「風俗図」 3幅のうち
紙本着色 日本・江戸時代 17世紀
根津美術館蔵
重要美術品 「風俗図」 紙本着色 日本・江戸時代 17世紀 根津美術館蔵
展示風景

 やがて江戸に浮世絵の流行をもたらす、江戸初期と思われる風俗図は、人物表現にも注目です。

 

 

重要美術品 「五徳義御書巻」 伝 後陽成天皇筆 1巻 彩箋墨書
日本・桃山時代 16-17世紀 根津美術館蔵小林中氏寄贈 展示風景

 このほか、

 金泥、金銀の砂子、金切箔、野毛を駆使した風景の上に、豪快な筆が迫力の、後陽成天皇の筆と伝えられる《五徳義御書巻》(重要美術品)や、

 金泥の木版で蔦や竹をあしらい、遊ぶように筆を配する、本阿弥光悦と伝えられる、実に洒脱な《花卉摺絵古今集和歌巻断簡》など、多様な金銀の“色彩”を堪能できます。

 

 


さまざまな装飾技法

展示風景
技巧を凝らした料紙が見ごたえたっぷり!


 最後の章では、中国からもたらされた唐紙の一種で、具引きした紙の下に版木を置いて表面を固いものでこすり紋様を出す手法を引用した「蝋箋」や、

 異なる紙をパッチワークのように貼り継いで1枚の紙にする「継紙」、水に墨と油を落とし、そこにできる模様を染めた「墨流し」など、さらに手の込んだ技法の料紙に書かれた作品を観ていきます。

 

 

 

 

「大聖武」 伝 聖武天皇筆 1幅 彩箋墨書
日本・奈良時代 8世紀 根津美術館蔵

 文字の立派さから聖武天皇に仮託される断簡は「荼毘紙」と呼ばれる特殊な料紙です。

 紙の原料でもある檀(まゆみ)の木の表皮を粉末にしたものが紙に漉き込まれています。
 表面にはブツブツが現れ、それを釈迦の骨に見立てた命名とか。

 しっかりした文字に渋く品格を感じさせる紙の表情がとても合っています。

 
 ここでは、これまでに見てきたさまざまな技法の集大成ともいえる「本願寺本三十六人家集」「平家納経」の模本も展示されています。

 

 模本といっても、大正から昭和初期に、田中親美により、伝わる技法に忠実に造られた、すばらしい作品。
  あでやかで鮮やかなその装飾紙の美を堪能できます。

 

「本願寺本三十六人家集」(模本)より「伊勢集」
田中親美模 6帖のうち 彩箋墨書
日本・大正~昭和時代 20世紀(原本:天永3年(1112)頃)
東京国立博物館蔵 展示風景から
左 部分拡大
すばらしい重ね継ぎと金銀箔はぜひ近くで!

 

 

「平家納経」(模本) 田中親美 4巻のうち 部分
彩箋墨彩書 日本・大正~昭和時代 20世紀(原本:長寛3年(1164))
東京国立博物館蔵 展示風景から
左 部分拡大
書も3色で書き分けられている精緻さに驚嘆します。

 

 

 技と贅を凝らした料紙に書かれた美しい文字、その組み合わせのセンスに加え、それらを愛でて断簡でも拾い上げ、軸や巻物にした後世の美的感覚、そして現在にその妙なるコラボレーションを観られるわたしたち。
 
 たとえさらさらと読めなくても、そのリズムと精緻な装飾を楽しむだけでも、「書」の世界を堪能できるはず。
 まずは、こうした紙の美から、スタートしてみませんか? 

 

 ※展示は単眼鏡でご覧になることをおススメします。お持ちの方はぜひご持参ください!お持ちでない方もミュージアムショップでお求めいただけます。この機にいかがですか?

 


【同時開催】

展示室5 焼き締め陶

 

展示風景
それぞれの産地で味が出ているのが楽しい


 茶の湯の世界でも愛された、釉薬を掛けずに約1300度という高温で焼き、素地を硬く固める「焼き締め陶」の世界を紹介します。

 会場は「信楽と伊賀」「備前」「丹波」の産地別に作品が並び、その土地の土や造形の違いを比べられるようになっています。

 

 

 

 

 

「蹲花入」 信楽または伊賀 1口 無釉陶器
日本・室町〜桃山時代 16世紀 根津美術館蔵

 こちらは信楽または伊賀の陶器。
 手書き風の桧垣文と赤い胴部に青緑色で流れる自然釉の景色が味になっています。

 

 

「肩衝茶入 銘 面壁」 備前 1口 無釉陶器
日本・桃山~江戸時代 17世紀 根津美術館蔵
展示風景から

 備前の茶入は、箆で付けられた跡がどこか勇壮な表情を持っています。

 

 桃山の造形が加えらているというのもうなずける、武士好みでは?
 


 素朴にも見える作品たちは、いずれも土のパワーと手の跡が感じられる力強さが魅力ですが、それぞれにその肌触り(触れませんが:笑)や色合いに特徴を持っていて、世界が広がります。

 お気に入りの産地を見つけてください!

 



展示室6 涼一味の茶

 

展示風景
清涼感のある空間をその目で確認して!


 茶の展示は、夏に合わせて涼やかさ、清々しさを演出する茶室とお道具がしつらえられます。

 

 

 

 

 

 

 

 

「祥瑞瑠璃釉瓢形徳利」 景徳鎮窯 2口 施釉磁器 中国・明時代 17世紀 根津美術館蔵

 景徳鎮窯で焼かれた、美しい瑠璃釉の対徳利は、型押しで七宝文や毘沙門亀甲文などがあらわされた、「祥瑞」と呼ばれる日本人好みの器。
 形も色も、目に嬉しく、夏にぴったりです。

 

「黒楽茶碗」 伝 山田宗徧作 1口 施釉陶器
日本・江戸時代 17-18世紀 根津美術館蔵
展示風景から


 黒楽茶碗も口縁が薄手で、軽やかさを感じさせ、その白い点が浮かぶ黒は、夏の夜のようです。

 


 茶室の戸は葦戸に変え、自然の風が入るようにされ、焼き締め陶は水に濡らして、肌に湿り気を与えるのだそうです。

 そんな風景を想像しながら、賢江祥啓筆と伝えられる《山水図》の掛かる室をみれば、爽やかな夏の風を感じられるかも。

 

 


(penguin)

 

 

 

企画展 「はじめての古美術鑑賞 -紙の装飾-」

 

開催期間:~7月2日(日)
会場 :根津美術館 (青山)
    〒107-0062 東京都港区南青山 6-5-1
アクセス :東京メトロ 銀座線・半蔵門線・千代田線 表参道駅下車
       A5出口(階段)より徒歩8分/B3出口(エレベーター・エスカレータ)より徒歩10分
       B4出口(階段・エスカレータ)より徒歩10分
開館時間 :10:00~17:00 入館は16:30まで
休館日 :毎週月曜日
入館料 : 一般 1,100円(900円)/学生 800円(600円)
     *( )内は20名以上の団体、障害者手帳提示者および同伴者1名の料金
     *中学生以下無料
お問い合わせ :Tel.03-3400-2536

公式ホームページはこちら

 

クールな抒情が語る人生哲学

 

 


 ただいま、Bunkamura ザ・ミュージアムでは、“伝説”の写真家、ソール・ライターの日本初の回顧展が開催されています。

 ソール・ライターは、1950年代からニューヨークで人気のファッション・カメラマンとして活躍しながら、80年代にスタジオを閉鎖、商業写真から退いて、世間の話題から姿を消しました。

 彼が再び脚光を浴びるきっかけとなったのが、2006年にドイツのシュタイデル社から刊行された写真集『Early Color』。
 彼がプライベートに撮り続けていた繊細で美しい写真に、世界が驚愕します。
 時にライター83歳!
 その後各地で個展が開催されます。自身を売り込むことを嫌った、寡黙な写真家の遅咲きの世界デビューでした。

 その独特の人生哲学を映し取ったドキュメンタリー映画も制作され、2015年に日本でも公開されたことをご記憶の方もいらっしゃるでしょう。

 2013年、彼の没後、初めての回顧展である本展では、世界を魅了したカラー写真はもちろん、初期のファッション写真から、自身を画家と認識していた彼の絵画作品も初公開、貴重な資料と合せて200点以上で、その数奇な写真家の軌跡をたどります。

 会場は、作品の持つテーマで5つに分けられ、あちこちにライターの示唆的な「ことば」が綴られて、ファインダーをのぞく彼の信念や人生観を、その作品とともに感じられる空間になっています。


ファッション

 

展示風景

 

 敬虔なユダヤ教のラビを父に生まれたライターは、跡を継ぐべく神学校に進みますが、絵画への情熱を捨てられず、両親の反対を振り切って、ペンシルバニアからニューヨークへ出ていきます。

 時は1946年。ニューヨークでは抽象表現主義の芸術運動が興り、世界のアートの中心地として時代を牽引していく時代。

 写真の世界でも、ロバート・フランクやウィリアム・クライン、ダイアン・アーバスなどの「ニューヨーク・スクール」と呼ばれたアーティストたちが出てきた時代でもありました。

 画家を目指していたライターは、知り合った抽象表現主義の画家から写真の手ほどきを受け、生活のために写真を撮り始めます。

 絵画で培った色彩感覚に、生来の繊細さと独特のユーモア、エレガントなセンスが融合した彼の写真は、『ハーパース・バザー』のアート・ディレクターをはじめ、『エル』や『ヴォーグ』の編集者の目に留まり、一躍人気のファッション・フォトグラファーとして脚光を浴びます。

 そうした洗練された彼のファッション写真から観ていきます。

 

 

 
ソール・ライター 《映画『Beyond the Fringe』 のキャスト(ダドリー・ムーア、
ピーター・クック、アラン・ベネット、ジョナサン・ミラー)とモデル『Esquire』》
1962年頃 ゼラチン・シルバー・プリント
ソール・ライター財団蔵 ⒸSaul Leiter Estate

 映画『Beyond the Fringe』のスターたちとモデルを写した一枚。
 モノクロームの世界に、当時最先端の人々のファッショナブルな印象とともに、都市のけだるさと虚無が垣間見えるようです。

 

 

ソール・ライター 《カルメン、『Harper’s Bazaar』》 1960年頃
発色現像方式印画 ソール・ライター財団蔵 ⒸSaul Leiter Estate

 『ハーパース・バザー』のためのカラー写真は、大胆に空白を活かした構図に、彼がこよなく愛した浮世絵の影響が感じられます。
 鏡の効果も彼の作品には多く見られるもの。
 メッセージカードにしたい一枚です。

 
ストリート

展示風景

 

 ライターは、フランス人写真家、アンリ=カルティエ・ブレッソンに憧れていました。
 あまりの憧れに、近くまで行って彼を撮影しながら、声をかけることもできなかったという逸話もあるほど。

 ブレッソンの瞬間を捉える写真に似た作品も多く撮っています。

 ニューヨークの街の、普通なら見過ごされがちな一コマを、彼らしい視点で切り取ったモノクロ写真で、その憧憬からライター独自の表現を獲得していくのを確認します。

 

 

 
ソール・ライター 《スカーフ》 1948年頃 ゼラチン・シルバー・プリント
ソール・ライター財団蔵 ⒸSaul Leiter Estate

 タイトルが示す通り、スカーフが端正な少女の顔をより印象づけます。
 朝の光の中これから彼女はどこへ向かうのか・・・物語を紡ぎたくなる、ステキな作品です。

 

 

ソール・ライター 《ペリー・ストリートの猫》 1949年頃 ゼラチン・シルバー・プリント
ソール・ライター財団蔵 ⒸSaul Leiter Estate

 おそらくは木から((?)飛び降りたのであろう猫の瞬間をとらえます。
 人気のない通りの背景と敢えて前足が切られているアングルが、その動きをより強調します。


カラー


展示風景

 

 

 日本の琳派や浮世絵への愛好とならび、彼が特別に愛したのがボナールをはじめとするナビ派の画家たちでした。

 大胆な構図と装飾的な平面性に、親密でどこか背徳的な雰囲気を持つ、柔らかい色彩の彼らの作品への嗜好が感じられるのが、ライターのカラー写真たちです。

 世界に衝撃を与えた、彼の視点と色彩感覚を堪能するコーナー。

 

 

ソール・ライター 《足跡》 1950年頃 発色現像方式印画
ソール・ライター財団蔵 ⒸSaul Leiter Estate

 見下ろしたアングル、斜めに切られた道、まるで一幅の浮世絵のようなこの作品から始まるのは、とても印象的。
 すべてがモノクロームの中、赤い傘の色彩が鮮烈に、しかし上品に響きます。

 


 ちょっとした茶目っ気と皮肉をまじえながら、彼の目は、ニューヨークに生きる人々の、何気ない日々や生活に向けられています。

 それらは、時にガラスや雪を通して、時に天蓋や車窓、板の間から覗くように切り取られます。

 

 

ソール・ライター 《郵便配達》 1952年 発色現像方式印画
ソール・ライター財団蔵 ⒸSaul Leiter Estate

 

ソール・ライター 《雪》 1960年 発色現像方式印画
ソール・ライター財団蔵 ⒸSaul Leiter Estate

 

ソール・ライター 《看板のペンキ塗り》 1954年 発色現像方式印画
ソール・ライター財団蔵 ⒸSaul Leiter Estate

 

 都会の喧騒と同時に静寂を表す作品たちは、温かい湿度の中にさみしさとやさしさを同居させ、乾いた空気の中に人の温度を伝え、クールなのに、限りなく抒情を湛えていて、静かに強い余韻を残します。

 

ソール・ライター 《赤信号》 1952年 発色現像方式印画
ソール・ライター財団蔵 ⒸSaul Leiter Estate

 

ソール・ライター 《床屋》 1956年 発色現像方式印画
ソール・ライター財団蔵 ⒸSaul Leiter Estate
ソール・ライター 《タクシー》 1957年 発色現像方式印画
ソール・ライター財団蔵 ⒸSaul Leiter Estate


 色彩は美しく、鮮やか、だけど柔和で、時に作品が抽象絵画のように見えるものもあります。

 

ソール・ライター 《板のあいだ》 1957年 発色現像方式印画
ソール・ライター財団蔵 ⒸSaul Leiter Estate

ソール・ライター 《天蓋》 1958年 発色現像方式印画
ソール・ライター財団蔵 ⒸSaul Leiter Estate

 

 

 

絵画

展示風景


 日本びいきのライターは、和紙に水彩で多くの絵画作品を作成していました。

 ファッション・フォトグラフから退いて後、彼は朝起きると絵を描き、その後はカメラを持って、なじみのストランド書店まで散歩、一休みにコーヒーを飲んで帰宅、愛猫のレモンの世話をする日々だったとか。

 その日課は、世界的な評価を得ても変わることなく、好きな絵と、ささやかで小さな街の断片を拾い続けたのです。

 繊細な支持体に描かれたこれらの水彩画、本邦初公開!

 

 

 
ソール・ライター 《無題》 制作年不詳 紙にガッシュ、カゼインカラー、水彩絵具
ソール・ライター財団蔵 ⒸSaul Leiter Estate

 抽象画にもその色彩が輝き、それは写真作品と通じる抒情を感じます。


ヌード

 

展示風景
展示風景


 ライターは、1950年代から、自身の近しい女性たちのヌードを写真や写真に彩色した作品に遺していました。

 部屋を覗いたようなアングルや赤裸々なクローズアップのそれらは、まさに“プライベート”な世界。
 そして、敬愛するボナールの「アンティミスト」と言われた作品群を思わせます。

 

 

ソール・ライター 《ジェイ》 写真1950年代 ・ 描画1990年頃
印画紙にガッシュ、カゼインカラー、水彩絵具
ソール・ライター財団蔵 ⒸSaul Leiter Estate

 50年代の写真に彩色し、和紙に貼られた女性の姿は、鏡に映った像を描き写したようにも見えます。
 美しい青の階層で、アンニュイな雰囲気がただよいます。

 

 

 

《東57丁目41番地で撮影するソール・ライター、2010年》
(撮影:マーギット・アーブ) ⒸSaul Leiter Estate


 「私が写真を撮るのは自宅の周辺だ。
 神秘的なことはなじみ深い場所で起きると思っている。
 なにも、世界の裏側までいく必要はないんだ。」


 「写真を見る人への写真家からの贈り物は、日常で見逃されている美を時々提示することだ。」  

 


 限りなくさりげなくて、静か。それでいて、豊かな情感を湛えた、ここちよい湿度を持つ世界――。
 彼の言葉とともに、ちょっと人生の歩みを止めて、周りの風景を見つめ直してみるのはいかが?


 【おまけ】
 2015年に公開されたドキュメンタリー映画「写真家ソール・ライター 急がない人生で見つけた13のこと」
も期間限定で再上映中。詳しくは公式ホームページでチェックを!

 


(penguin) 




『ニューヨークが生んだ伝説 写真家 ソール・ライター展』

 

開催期間:~6月25日(日)
会場 :Bunkamura ザ・ミュージアム (渋谷)
    〒150-8507 東京都渋谷区道玄坂 2-24-1
アクセス :JR「渋谷駅」(ハチ公口)より徒歩7分
       東京メトロ銀座線、京王・井の頭線「渋谷駅」より徒歩7分
       東急・東横線、東急田園都市線、東京メトロ・半蔵門線、
       東京メトロ・副都心線「渋谷駅」(3a出口)より徒歩5分
     * お車の場合、専用駐車場はありません。東急本店駐車場(有料)をご利用ください
開館時間 :10:00~18:00
       (毎週金・土曜日は21:00まで、入館は閉館の30分前まで)
休館日 : 無休
入館料 : 一般 1,400円(1,200円)/高校生・大学生 1,000円(800円)/小・中学生 700円(500円)
     *( )内は20名以上の団体料金(電話での予約必要 Tel.03-3477-9413(Bunkamura))
     * 学生券をお求めの場合は学生証の提示が必要
     *障害者手帳の提示で割引料金あり。詳細は窓口でお尋ねください
お問い合わせ :Tel.03-5777-8600(ハローダイヤル)

公式サイトはこちら

 

 

 

『ニューヨークが生んだ伝説 写真家 ソール・ライター展』
招待券を10名様へ!!(お一人様一枚)


応募多数の場合は抽選の上、
当選は発送をもって代えさせていただきます。


《申込締め切り 6月15日(木)》

お申し込みは、ticket@art-a-school.info まで 手紙

!!希望展覧会チケット名、お名前、送付先のご住所を忘れずに!!

美術ACADEMYSCHOOL チケットプレゼント係
〒102-0083 千代田区麹町6-2-6 ユニ麹町ビル4F
電話03-4226-3009
050-3488-8835

 


文字と画と。高めあう魅力の再確認

 

 

 

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 わたしたちが情報を得たり、学んだり、楽しんだりする書物。

 なかでも書かれていることの解説や情景が絵として入っているものは、より分かりやすく、よりイメージを喚起させ、広い層に支持されてきました。

 

 特に日本ではマンガとしても発達し、今や世界へ発信するカルチャーとして定着しています。

 そんな文字と絵の幸せな融合が形となった“挿絵本”を振り返り、その時代、その息吹から、改めて豊かな表現世界の魅力をたどる展覧会が、東京・静嘉堂文庫美術館で開かれています。

 当館が所蔵する膨大な書物から、中国の明・清時代と日本の江戸時代に作られた貴重な挿絵本で、文字と絵が奏でる豊かで多様な世界を確認します。

 

 

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展示風景から
お出迎えは《新版錦絵当世美人合》の錦絵

 入り口では江戸後期の人気浮世絵師、歌川国貞の美人画が迎えてくれます。

 ぱっと見はその時代の美人の肖像ですが、「コマ絵」といわれる上端の記述と合わせたとき、そこにさらに絵に含ませたもうひとつの意味が見えてくる・・・洒脱を楽しんで。

 

 

 

 

Ⅰ.神仏をめぐる挿絵

 

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展示風景から
貴重な絵巻『妙法蓮華経変相』からスタート

 

 洋の東西を問わず、画の入った書物は、宗教から始まります。

 ここでは仏教や道教など、古く中国で作られた経典に関わる挿絵本を観ていきます。

 説経の内容や描かれているシーンの視覚化で、より広い理解と浸透を意図して作られました。

 聖なる存在や、釈迦の生涯など、人々の願いやドラマティックなストーリーに対する想像力が、こうした目には見えないものを造形化し、活き活きとした臨場感を文字の世界にもたらしたのです。

 本といっていますが、形態もいわゆる「冊子」ではなくて「折本」や「巻物」から。
 やがて印刷技術や製本技術が発達して、現在でもなじみある「冊子」の形が一般的になっていくのも確認できます。

 

 

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『妙法蓮華経変相図』 中国・[南宋時代前期(12世紀)]写 静嘉堂文庫蔵

 仏教経典中もっとも重要とされる法華経、この「変相図」はそこに説かれた仏の世界を絵画化したものです。
 南宋前期頃の作と考えられる、類例の少ない貴重な作品、本邦初公開です。


 法華経の中のさまざまなエピソードがみっちりと描かれていますが、ぜひ近くでじっくりと。
 シンプルな線描の表情がキュートな仏さまや、のちの風神・雷神像につながるちょっとユーモラスな鬼神さまなど、楽しくなってきます。


Ⅱ.辞書・参考書をめぐる挿絵

 

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展示風景
明時代の『三才図絵』から
展示風景
清時代の『欽定古今図書集成』から


 続いて、紹介されるのが、辞書の世界。

 中国では、早くも紀元前から言葉や文字を解説する辞書のようなものは編纂されていましたが、図入りとなる大きな契機が、隋の頃から始まりおよそ1300年続いた官吏登用試験「科挙」の存在でした。

 膨大な知識と幅広い見地が求められ、浪人し続けて歳を取ってしまう人もいたというこの試験のために、民間でも多くの辞書や参考書が刊行されたそうです。

 こうした辞典や受験参考書から、科挙の過酷さとともに、勉強をいかに分かりやすく解説するか、という、今も変わらないニーズへの工夫が読み取れて興味深いです。
 

 

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『纂図互註礼記』 中国・漢鄭玄注 唐陸徳明釈文 南宋時代(12世紀前半~13世紀後半)刊 静嘉堂文庫蔵

 科挙の受験参考書として作成された図解入りの「礼記」。身分による帯の違いや、冠衣の見分けなどが、注記とともに記載されます。
 厳格な礼儀作法が重要な規則として定められていた時代、受験生には必携の書であったことだろうと…。

 


 日本からは、江戸期に流行した百科事典や生活事典(いまでいう「家庭の医学」や「お薬事典」みたいな…)などが紹介されています。

 

 

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『訓蒙図彙』 中村惕斎撰 江戸時代・寛文6年(1666)序刊 静嘉堂文庫蔵

 江戸前期の子供向け(初心者向け)図解国語事典。
 タイトルは現代風にすると「絵で見てわかる。はじめての事典」とでも…?(笑)。

 天文・地理から人物や衣服、鳥獣、草花まで、17の部門からなる事典には、和漢の名前が併記され、短い註で解説が付されています。
 特に自然界の事物に多くが当てられているのは、今も変わらぬ事典のルーツをうかがわせます。

 わかりやすく、画も美しいことから高い人気を得て、以後この本の影響下で編纂された辞書類は30種を超えるのだそうです。
 

Ⅲ.解説する挿絵

 

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展示風景から
美しい彩色や精緻な画の挿絵本が並びます


 辞書とは異なり、ある出来事や物事の内容や意味、あるいはその仕組みや効果などを説明するものに、「解説書」があります。

 いまならカタログとか図説などと言われるこうした解説書として遺されている挿絵本を観ていきます。

 明代中期から清代初期の中国では、現在にも名を残す挿絵師や刻工が多く登場し、こうした解説書の刊行も隆盛を誇ったそうです。

 日本では、その器用さでブームを作った「機巧(からくり)」の仕掛けを解説した書物や美しい彩色の植物図鑑などを。

 また、画に文字が添えられることで、より描かれた世界が魅力的になる水墨画の世界も、併せて紹介されるのはなかなかに粋な趣向です。

 

 

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『程氏墨苑』 中国・程大約撰 明時代・万暦34年(1606)刊 静嘉堂文庫蔵

 製墨師(書道で使用する墨を作成する人)である程大約による、墨のデザインカタログ。
 摺って使用してしまうのがもったいないくらい美しい墨のデザインは515図にものぼるのだそうです。

 

 当時の名高い文人たちの詩や文がデザインを解説しているものもあり、質の高い作品集としても楽しめます。

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展示風景から
ライバル方于魯の『方氏墨譜』

 また、イタリアのイエズス会士から提供された、キリスト教関係の図案もあり、当時の中国の文化交流がうかがえるのも興味深いです。


 となりに師弟関係で後にライバルとなった方于魯の墨譜もならび、デザインを競っています!

 

 

 

 

 

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『機巧図彙』 細川頼直撰 江戸時代・寛政8年(1796)刊 静嘉堂文庫蔵

 日本のからくりの仕組みを解説した本書には、和時計4種(掛時計・櫓時計・枕時計・尺時計)と9種の座敷からくり(茶運人形・五段反(かえり)・連理反・龍門滝・鼓笛児童・遥盃・闘鶏・魚釣人形・品玉人形)の仕組みが、詳細な部品図とともに丁寧に解説されています。

 部品を揃えれば、そのまま自作できてしまうほどに精緻な図解本は、ちょっとお持ち帰りしたいかも…(笑)。
 実際に作られたからくりたちと一緒に見てみたくもなります。
 

 

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『本草図譜』[射干(ひおうぎ)] 岩崎灌園撰
江戸時代・天保15年(弘化元年・1844)頃写 静嘉堂文庫蔵
『本草図譜』[桃] 岩崎灌園撰
江戸時代・天保15年(弘化元年・1844)頃写 静嘉堂文庫蔵

 日本で最初に作られた本格的な彩色植物図譜。
 掲載数なんと約2000種!20余年の歳月をかけて完成されました。

 シーボルトとも植物談義をした、時代を代表する博物学者の作です。 
 精緻な写実はもちろんですが、彩色の美しさにうっとりします。

 江戸後期は、西洋近代化の中で興隆した博物学の影響を受け、日本でも自然科学への関心が高まり、こうした図譜が多く作られるようになっていきます。


 そして、これらの間に並べられた掛軸も注目です。(ぜひ会場で~!)

 賢江祥啓による《巣雪斎図》と作者不詳の《梅渓図》。2点とも重要美術品。
 峻厳な雪山の中に巣籠もりするような庵一屋。
 梅の名所である羅浮山を遠く眺める図にしたやわらかい空気と梅の香が漂ってきそうな風景。

 特別公開の渡辺崋山《芸妓図》(重要文化財)。
 崋山直筆の賛により、惚れた芸妓を描いたものと分かります。
 なよやかな芸妓の色香と、濃淡の着物の紋様、帯や髪の陰影の美しさが印象的です。
 
 いずれも画だけでもよいですが、今回はぜひ賛に書かれた言葉の意味とともに楽しんでください。
 (入館者にはもれなく館長による解説文がもらえます)
 

Ⅳ.記録する挿絵

 

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展示風景から
北方の異文化や生物の記録が並ぶ


 さまざまな体験も記録として書物に残されます。
 まだ写真も動画もなかった時代、挿絵は重要な役割を担います。

 交通網が整い、庶民の生活も安定、向上して、江戸中期以降には国内でも旅ブームが興ります。

 印刷技術も発達していたため、こうした道中の記録やエピソードは浮世絵をはじめとして、紀行文としても多く遺されました。

 また、江戸後期にはさまざまな国が日本の沿岸に姿を見せ、開国を迫るようにもなります。
 四方を海に囲まれた日本では、国防の観点からも、各国の情報や北端や南端の情勢を把握するために、記録は重要になっていくのです。

 旅や非日常的な体験を後に伝え、記録とするために書かれ、描かれた書物を紹介するコーナー。

 


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『環海異聞』 大槻玄沢編 江戸時代後期(19世紀)写 静嘉堂文庫蔵

 1793(寛政5)年、石巻から江戸に向かった船が難破し、アリューシャン列島の島に漂着します。
 乗組員16名のうち、希望者4名が帰国したのは1804(文化元)年。ロシア艦により、長崎に帰着しました。
 この時、ロシアは通商を求めますが、幕府は拒否。この態度に怒ったロシア側は択捉島、利尻島、礼文島などを攻撃、事件は幕府に北方警備の必要性を痛感させる契機となります。

 この帰国者からの聞書きにより、記録されたのがこちら(↑)。江戸時代の漂流記の代表作です。
 ロシア人の衣装や、ロシアの風俗が活き活きと描かれています。

 

 

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『亜墨新話』(初太郎漂流記) "前川文蔵・酒井貞輝編 守住貫魚画" 江戸時代末期(19世紀)写 静嘉堂文庫蔵

 1841(天保12)年に兵庫から奥州へ向かった船が同じく難破し、スペイン船に救助されてカリフォルニアを経て、メキシコから帰国した乗組員からの聞書きを記録したもの。
 こちらも繊細で美しい彩色の挿絵が載せられています。


Ⅴ.物語る挿絵

 

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展示風景から
伊勢物語のコーナー♪


 やはり「挿絵本」といわれて、まず挙げられるのは、物語本でしょう。
 最終章は、日本と中国、ふたつの国の物語の挿絵本を確認します。

 絵巻という形態で8世紀から絵と詞の物語を楽しみ、親しんできた日本ですが、絵巻はまだまだ限られた階層のものでした。
 挿絵本が日本の庶民にも普及するのは、江戸時代中期以降です。

 中国では元代に挿絵のある物語が誕生し、明代には庶民の消費文化が拡大するに伴って急速に発達したそうです。

 

 

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『琵琶記』 中国・高明撰 明時代・万暦(1573-1619)刊 静嘉堂文庫蔵

 中国元代末に著された戯曲、南曲の最高傑作の一つといわれる作品とのこと。
 その極細の彫りが生み出す精緻な世界は、いかに当時の中国の版画技術が勝れていたかを実感させ、ため息が出ます。

 

 

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『羅生門』(奈良絵本) 江戸時代前期(17世紀)写 静嘉堂文庫蔵

 こちらは江戸前期に作られた「奈良絵本」といわれる豪華な挿絵本。
 金彩も極彩色もあでやかに、室町中期に成立したとされる御伽草子を描きます。
 内容は、大江山の鬼退治の後日譚です。

 その鮮やかさときらびやかさからか、海外でも最も人気のある日本古書のひとつになっているのだとか。

 

 

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展示風景から
宿屋飯盛・編、北尾政演(京伝)画の狂歌本

 このほか、伊勢物語の左右の色違いの料紙が素敵な冊子と、平安の雅を残す絵巻、山東京伝や葛飾北斎らによる狂歌本など、わたしたちにも親しい作品が紹介されます。

 

 

 

 

 

 

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展示風景から
《冊子散蒔絵印籠》と《宇津山蒔絵笈形香棚》

 

 

 また、物語のシーンや、挿絵本そのものをモティーフにした工芸品、蒔絵で表した印籠なども展示され、日本の洒落た美しい意匠に嬉しくなります。

 

 

 

 

 

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展示風景から
出口付近から臨む


 文字が綴るものを、想像で、写実で表した挿絵たち。
 絵にされたものを、その「ことば」と「かたち」で膨らませる文字たち。

 それらは、互いに単なる補完ではなく、交ざりあい、響き合って、ひとつの豊かな世界を創っていきます。

 なんとなく当たり前のように見ている挿絵本。
 改めてその力と魅力にハッとさせられる空間です。

 

 

 

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ミニブック『挿絵本の楽しみ』
350円(税込)

【おまけ】


 本展覧会の解説が、かわいいミニブックに!。

 サイズも、お値段も、嬉しい一冊。
 展覧記念におススメです!

 

 

 

 

 

 

 

(penguin)

 

※サイト内の文章・画像等の内容の無断転載及び複製等の行為はご遠慮ください




『挿絵本の楽しみ ~響き合う文字と絵の世界~』

 

開催期間:5月28日(日)まで
会場 :静嘉堂文庫美術館 (世田谷)
    〒157-0076 東京都世田谷区岡本 2-23-1
アクセス :東急大井町線・田園都市線(地下鉄半蔵門線直通) 「二子玉川」駅下車、
        駅前④番バス乗場より東急コーチバス「玉31・32系統」で「静嘉堂文庫」下車。徒歩5分
        または二子玉川駅からタクシーで約10分
       小田急線 「成城学園前」駅下車、南口バス乗り場から「二子玉川」行きバスで「吉沢」下車
       徒歩10分
       *駐車場が美術館前に20台分あります。美術館入館のお客様は無料でご利用いただけます
開館時間 :10:00~16:30 (入館は16:00まで)
休館日 :毎週月曜日
入館料 : 一般 1,000円/大高生 700円(20名以上団体割引)/中学生以下無料
お問い合わせ :Tel.03-5777-8600(ハローダイヤル)

公式ホームページはこちら

 

 

掌の中に450年の宇宙を観る
 

 


 安土桃山時代、侘び茶を完成させた千利休の創意に応えて、「日本の茶碗」を完成させた初代長次郎

 室町時代より唐物が最高級品として珍重されてきた中で、自身の茶の世界に合う茶碗を求めた利休は、唐三彩の技術を伝えた渡来人・阿米也の子とされる長次郎に茶碗の制作を依頼します。

 ここで完成したのが、「赤樂」といわれる土色の茶碗と「黒樂」といわれる漆黒の茶碗。
 あらゆる装飾をそぎ落としたシンプルな器は、華やかな桃山文化の中で異彩を放ちます。

 利休の「侘び」を体現した、究極の美は、現在でもその前衛性を失わず、わたしたちを魅了します。

 この制作の技は、秘伝・奥義として、樂家により代々一子相伝され、平成の現代、その継承は15代まで、そして16代が控え、なんと450年続いているのです。

 東京国立近代美術館では、歴代15名と次期当主の作品などを一堂に、樂家16代にわたろうとする歴史を作品で概観する展覧会が開かれています。

 

 中には、普段は一般公開されないお茶碗もあり。これまでにない、そしてこれからなかなかもありえないだろう、貴重な内容です。

 それぞれの後継者が、初代の意思を受け止めつつ、自身と自身の生きる時代の風を盛り込みながら、伝統に新しさを求めて「形」にしていったことを、作品でたどれる、嬉しい機会です。

 まもなく終了(汗)の本展、現在観られるものを中心にご紹介します~。

 会場の章立ては、分かりやすく歴代当主ごとにたどっていきます。
 それぞれの茶碗のたたずまいやけしきと合わせ、ぜひその銘にもご注目。
 秀逸な銘がより作品の魅力を引き立てています。


初代 長次郎

 

 まずは利休とともに樂焼を完成させた初代長次郎の作品から。
 入り口では禅の空を表すような円環とともに、長次郎作の獅子がお出迎えです。

 

展示風景から
ユーモラスな姿の獅子がお出迎え~♪


 

初代長次郎の空間。


 暗い空間に浮かび上がる茶碗たちは、いずれも両手におさまる小ぶりなたたずまいに、素朴ともいえるシンプルさながら、圧倒的な存在感を持っています。

 

 《大黒》は、長次郎の黒樂を代表する作品。
 釉のムラが黒色をより魅力的にしています。

 

 赤樂《太郎坊》は、「聚楽土」といわれる聚楽第付近の土を用いて制作されたそうです。
 茶碗自体がいまだ熱を発しているような赤が印象的です。

 

 《禿》は、利休が常にそばに置いて愛でていたといわれる黒樂の茶碗です。
 表千家に伝来する重宝で、利休の年忌にのみ使用される、めったにお目にかかれない一品です。

 

 長次郎の黒樂作品の中では殊にどっしりとした重量感を持つ《シコロヒキ》は、利休の孫宗旦により銘が与えられたのだそうです。
 「シコロヒキ」とは、平家の武者・景清が兜の後ろ部分錣(しころ)を引きちぎったという逸話から。
 底部に残る傷をその跡に見立てたのだとか。

 


 このほかにも、《太郎坊》と同時期に制作された《二郎坊》、きゅっと両手でしぼったようなやや縦長なシルエットを持つ《杵ヲレ》、口縁がややうねりを持つ平たい《太夫黒》など、こんなにまとめて長次郎の作品を観られることにも感動です。


田中宗慶

展示風景
田中宗慶の作品。


 歴代には数えられておらず、系図からも抹消されており、作品数も少ないそうですが、樂家直系の家祖、長次郎の妻の祖父にあたり、孫とともに樂焼の窯を構えた人です。

 長次郎の死、利休自刃後の作品と、樂家で残る最古の水指が観られます。
 

 


二代 常慶

 

 田中宗慶の子で、長次郎亡き後、現在の樂家までの基盤を確立した人物です。

 時代は徳川政権に移る頃。茶の湯では織部が活躍し、大胆な変形や多彩な文様の茶器がもてはやされる中、彼は、同じ時代の空気を吸収しながらも、織部とは異なる独自の作風を打ち出します。

 長次郎の黒樂を踏襲しながらも変形を大きくし、動きを見せているのが感じられます。

 横に低い《黒木》、縦に長い《長袴》、胴の真ん中がへこんだ《不是》など。
 彼が発案した白樂様式の《香炉井戸形茶碗》は、赤・黒の世界から新しい色彩としてハッとさせます。


三代 道入

展示風景
三代 道入の作品。ポイントのあしらいがかっこいい


 常慶の長男で、別名「ノンコウ」の愛称で呼ばれているそうです。

 本阿弥光悦との親交が深く、光悦の作陶に協力し、自身も彼の芸術精神に大きな影響を受けたようで、光悦が好みそうな作品が並びます。

 初代よりサイズもやや大ぶりで、その肌には光沢が生まれ、処々に抽象的な装飾がアクセントになっていたり、釉薬のたまりがよいリズムを生んでいる作品は、モダンな感じです。

 

 艶のある黒釉に「黄抜け」の意匠が施された《青山》は、釉薬が生む偶然の形が、軽やかな印象を与え、黒の深みをより強調します。

 

 《僧正》は、赤樂に正方形を3つ白く抜いたデザイン。とても17世紀の作品とは思えないモダンさを持っています。
 口が一か所すぼまって三角形を作っているのも斬新。華やかな一品です。

 

 《鵺》は、赤い胴部に黒い刷毛跡が印象的です。どのような釉薬が使用されているのか不明なのだそうです。
 銘が、妖しく赤む夜空に現れた漆黒の妖怪を思わせます。
 
 
 ここでは本阿弥光悦作の茶碗も観られます。

 

展示風景
光悦の作品。奥が《冠雪》です


 琳派の元祖といわれる光悦ですが、マルチ・クリエイターであった彼は、茶道にも深い造詣があり、自身でも多くの茶碗を制作しています。

 光悦村で自由な作陶を試みた彼の作品の多くは樂家の窯で焼かれたといいます。

 

 形も釉の施し方も、自由に羽ばたいている感じのする茶碗たちは、それでいて、気持ちのよい緊張感を持っていて、さすがです。

 

 「ふっくり」という言葉がぴったりした形と色を持つ《乙御前》は、赤がほんのり染まったような柔らかさを持ち、薄い口縁の可憐さがこの銘を持つのも、なるほど、と…。

 また、現在3点のみが確認されている光悦の白樂茶碗《不二山》《白狐》《冠雪》のうち、《冠雪》も観られます。


四代 一入/五代 宗入

 

展示風景
四代 一入と五代 宗入の作品たち


 一入は、道入の長男。早くに父を亡くし、供に制作した期間は少なく、若くして代を継いだ彼は、父の作品から多くを学び、そこから独自の表現を模索していきます。

 

 特徴としては、抽象文様を入れた父に対し、線によるプリミティブな具象的な図を描いているところです。

 

 
 

 宗入は、尾形光琳・乾山の生家、雁金屋・三右衛門の子で、2歳の時に樂家に養子に入りました。光琳らとは従兄弟にあたるそうです。

 彼が生きた元禄時代は、装飾的で豪華な様式美が好まれ、流行していましたが、利休没後100年ということで、初代長次郎回帰のブームの中、宗入は、誇張や装飾をできる限り排した静かな作品を遺しています。

展示風景
二代の獅子が並ぶのはカワイイ

 とはいえ、見た目こそシンプルに、初代のテイストを持っていますが、どっしりとした重量感や厚みは、時代を反映した彼の独自性を獲得しています。


 ここには四代と五代が制作した獅子型の香炉が赤樂、黒樂で並んでいるのがほほえましいです。

 

 

 

 



六代 左入/七代 長入/八代 得入/九代 了入

展示風景
六代 左入と七代 長入の作品


 宗入の入婿として継いだ左入は、血族ではないその出自を活かした新しい作風を樂家にもたらしたとされています。

 

 「左入二百」といわれる赤黒樂茶碗の連作200椀を遺し、現在でも茶人の間で重宝されているそうです。

 長入左入の長男で、15歳で家督を継いでから、約40年に渡り、茶の湯の家元制度の確立の時代に作陶を続けました。

 

 その安定を示すかのような、大ぶりでどっしりとした作風は、彼のおおらかさをも感じさせるものです。

 長入の長男であった得入は30歳の早世であったため、数も少なく、作風も確立しきれないままながら、遺された作品は、完成度が高く、惜しまれる才能であったことがうかがえます。

 

展示風景
九代 了入の作品は箆の跡が斬新
 


 了入は、早世の兄を継いだ、長入の次男です。
 天明の大火で大きな被害を蒙った樂家の「中興の祖」といわれる存在。
 
 65年に及ぶ長い作陶活動の中で、箆(へら)による削りや造形を主軸として、彫刻的な表情が特徴ある作品を遺しています。
 その推移を感じさせる3点の作品で確認できます。

 

 


十代 旦入/十一代 慶入/十二代 弘入

展示風景
十代 旦入の
《不二之絵黒樂茶碗》と《赤樂茶碗 銘 秋海棠》


 了入の次男旦入が、早逝した長男に代わり家督を継ぎます。

 

 時代は、文化文政から幕末期、京都では華やかな京焼の仁阿弥道八らが活躍する中で、父譲りの箆使いをより多彩にし、美濃焼や唐津焼の作風も採りいれながら新しい造詣に挑戦しています。

 慶入酒造家の三男から旦入の養子になり、その後彼の娘婿になります。

 

 幕末から明治維新の変革期、江戸文化が否定されていく中で、パトロンも減る苦難の時代に家督を継いだのが慶入です。

 

 京都御所から出火した大火により、樂家も土蔵ひとつを残して焼失するという不幸に見舞われながらも、茶碗にとどまらず、皿や鉢、煎茶道具など幅広い作品を手がけて、道入、了入に次ぐ名工と追われているそうです。

 その作品は、厳しい時代背景を感じさせない、静かな落ち着きと軽やかな風味をたたえ、自己主張が強くないのに、個性を光らせていて魅力的です。

 慶入の長男弘入も、明治期の茶道衰退期の苦労を共にした相伝者でした。
 小ぶりな茶碗に、了入以来の箆の効果を使いながら、作風はより華やかで装飾的になっています。

 父とともに、初代長次郎三百回忌の記念として、赤茶碗300椀を作成した、そのうちの1点も出品されています。


十三代 惺入/十四代 覚入

 

展示風景
十三代 惺入の作品


 ふたつの大戦の激動期を過ごした昭和初期の二代は、弘入の長男惺入その長男覚入です。

 制作に必要な資材の調達もままならない中でも、各種の鉱石を使った釉薬の研究で新しい表現を創りだした惺入。

 

 

 

展示風景
十四代 覚入の作品

 

 


 第二次大戦に従軍していたため、その父の死に目にも会えず、戦後ひとりで樂家を立て直した覚入。

 

 彼は帰国後東京美術学校で彫刻を学び、伝統の上に、新たな造形力を持った表現を目指し、現代にふさわしい樂茶碗の世界を創造します。

 伝統と現代芸術との融合をもたらし、茶碗でありながら、ひとつの芸術表現として立ち上がってくるもの。それを作品で確認します。

 

 

 黄土と白土の化粧により、デザイン化された意匠を持つ茶碗《杉木立》は、銘と併せて、茶碗に描かれた現代絵画のようです。

 
 この精神と作品へのスタンスは、当代の十五代・吉左衞門へと受け継がれていくのです。 
  

十五代 吉左衞門(当代)/篤人(次期十六代)

 

展示風景
宇宙空間のような当代の作品展示!


 覚入の長男で、現当主が吉左衞門です。

 父と同じく東京藝術大学彫刻家を卒業後、イタリアに留学し、1981年に十五代を襲名しました。

 初代長次郎からの伝統を継承しながらも、その長次郎が“彼の生きた現代”に突き付けた革新性の精神を重視して、“自身の現代”の表現と創造性を問い続けて制作しています。

 その前衛性は陶芸美術界にも大きな衝撃を与え、国内にとどまらず海外での評価も獲得、さらには、陶芸だけではなく、佐川美術館に「樂吉左衞門館」として茶室を自ら設計するなど、幅広い創作活動も注目されています。

 彼の茶碗が並ぶ一室は、初代の部屋同様に、暗い中にケースが浮かび上がり、まるでどこか異星の地かガラスと陶芸の森の中に迷い込んだかのような宇宙的な世界になっています。

 あまりの数に圧倒されますが、ぜひひとつひとつをゆっくり確認してください。
 銅釉やコバルト釉が使用されたもの、複数の釉を組み合わせたもの、これまで樂焼きでは使用されたことのない金彩や銀彩が施されたもの、カクカクとしたもの、丸みを帯びたもの――大ぶりでさまざまな輝きと形の茶碗たちがささやき、ざわめき、喝を飛ばしていて、見ごたえたっぷり!


 ギラギラした迫力と、強いメッセージのタイトルは、「お茶碗」を超えた「アート作品」になっています。

 

 個人的にはもう少し枯れた方がよいな、と感じましたが(笑)、その新しいものを生み出そうとするエネルギーに満ちた空間は刺激的です。  

 そして、未来への継承、吉左衞門の長男篤人の作品も並びます。
 父と同じ道をたどり、大学卒業後はイギリスへ留学、帰国後、後継者として作陶を始めたそうです。
 
 どちらかというと峻厳な感じがするお父さんの作風に対して、やわらかさを持っているように感じました。
 まだまだ成長過程、とはいえ、静かな美しさを持った作品は、今後の可能性が秘められていて、楽しみです。


 たったひとりだけがつないで、450年を重ねてきた15人の茶碗。
 代ごとに、継承を志しながら、ある者は初代に近づき、ある者は初代から離れ、それぞれに樂家を体現する、その揺り戻しのような波を感じるもの面白いです。

 ひとつひとつに、時代の空気と制作者の想いが込められ、その小さな器の中には、計り知れない時空が拡がります。
 それは、実際に手には取れないけれど、手の中で無限を感じる、まさに「茶碗の中の宇宙」。

 ひたすらお茶碗ばっかり、と思わないで。
 それらが並ぶ空間、それ自体もまたひとつの宇宙を形成しています。

 茶碗の中の宇宙を覗く、美術館という宇宙空間、今週いっぱいまで。お急ぎを! 

 

 

(penguin)




『茶碗の中の宇宙 樂家一子相伝の芸術』

 

 

開催期間:~5月21日(日)
会場 :東京国立近代美術館 (竹橋)
    〒102-8322 東京都千代田区北の丸公園 3-1
アクセス :東京メトロ東西線「竹橋駅」1b出口、徒歩3分
     * 駐車場はありませんので公共の交通機関をご利用ください
開館時間 :10:00~17:00
       (金曜日は20:00まで、入館は閉館の30分前まで)
休館日 : 月曜日
観覧料 : 一般 1,400円(1,200円)/大学生 1,000円(800円)/高校生 500円(300円)
     *( )内は20名以上の団体料金。中学生以下は無料(学生証をご提示ください)
     * 心身に障害のある方とその付添者1名は無料
      (入館の際に障害者手帳をご提示ください)
     * 本展の観覧料で当日に限り同時開催の
      「マルセル・ブロイヤーの家具:Improvement for good」および
      所蔵作品展「MOMATコレクション」も観覧可能
お問い合わせ :Tel.03-5777-8600(ハローダイヤル)

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