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「美術めぐり」レポート

420に、伊藤忠青山アートスクエアでの「江戸切子15人展」を訪問しました。

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⇐エントランス

このギャラリーは、青山通りに面していてとてもおしゃれな場所にあります。

伊藤忠商事のビルの隣のCIプラザにあり、とても分かりやすくカジュアルな気分でアートを鑑賞できる素敵なスペースとなっています。



ART TRANSITのブログ ⇐左手に伊藤忠青山アートスクエアがあります。

伊藤忠青山アートスクエアは、新進アーティストなど若手を支援するという伊藤忠商事()の理念を実践する施設の一つで、今回のような若手作家の紹介の機会を多く手掛け、今後も企画していくとのことです。

 

江戸切子・・・というと、「日本の伝統」「古典的作風」「渋い、詫び寂び」といった印象が一般的かもしれません。そんな「江戸切子」と「今後を担う若手」と「トレンディな青山」の3つの出会いを楽しむ、そんな「美術めぐり」でした。

 

今回は、作家の堀口徹氏にギャラリートークをお願いしました。なんと、彼のアーティストとしての育ての親ともいうべき、ギャラリストの和田卓也氏も同席していただくという豪華なゲストを招いての「美術めぐり」でした。(中央の黒い半袖を着ていらっしゃる方が堀口氏、一番左の背広姿の方が和田氏です)



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堀口徹氏は、2008年に三代目秀石を襲名していらっしゃいます。切子は1834年に江戸で始まります。薩摩切子のほぼ10年前です。江戸切子が庶民の手による実際に使用する日常器なら、薩摩切子は薩摩藩主による藩の手厚い庇護の下、鑑賞用として誕生・発展したという違いがあります。1873年に、明治政府の殖産産業政策の一環として「品川興業硝子製造所」が開設され、日本での近代的な硝子生産が始まりました。1881年にイギリスから技師エマニエル・ホープトマンが来日し指導にあたります。その弟子、名人大橋徳松(大橋巨泉の祖父)の直系である堀口市雄は初代秀石、堀口徹さんのおじいさんです。
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堀口さんの作品や他の方の作品の前で、たくさんのお話しをお聞きすることができました。多くの講演もされている堀口さんはとてもお話し上手で、切子の歴史、切子のつくり方、切子の将来など、「江戸切子周辺」の話題にまで精通していらっしゃるのには本当にびっくりしました。

でも、私たちの関心は、やはり「アーティスト秀石」としての作品にまつわる話。職人と作家の違い、作品に対する思いなど熱い心を伝えていただきました。

 

私からは、レジュメを中心に「江戸切子の歴史」「切子のつくり方」などを説明致しました。その後、ゆっくり作家15人の作品を鑑賞しました。



ART TRANSITのブログ ART TRANSITのブログ  ⇐会場内

若手作家の方たちは、まったく経験も無く新しい切子の世界に飛び込んだ人、若い女性作家、サーファーの方など様々で、作風も「これも切子?」と思わせるような斬新なデザインがありました。

 

下の画像はオープニングの時にあいさつされた、若手切子作家の方たちです。「若手と言ってもいい歳なんです・・・」とおっしゃっていましたが、伝統工芸という道は深くて長いとのこと。頑張ってほしいと思います。


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 (挨拶をされている方の向かって右に、堀口さんがいらっしゃいます)

トークの最後にこんな話がありました。堀口さんが「江戸切子は日常の器としてもアート作品としてもまだ知名度が低い。」とお話しになると和田さんが「ギャラリストも陶器・磁器は解る、好きという人は多いが、硝子となるとわかる人が少ない。私もまだまだです」とのこと。もちろん謙遜されてのことでしょうが、若い人に切子ファンが増えるようにしたいと堀口さんはお話しされました。「陶器・磁器が何百年という歴史の上にその価値を築いているのなら、硝子の歴史のこれからの何百年のために、これから私たち若手が頑張って行こうと思っている。」と決意を述べられました。私たちもアートファンとして、切子を見守っていきたいと思い、これからは積極的に日本のガラスアートに注目していきたいと感じました。(エデュケーター 中村 宏美)

「ミュシャ展 パリの夢 モラヴィアの祈り」

展示は6つのカテゴリーに分かれています。


1.チェコ人ミュシャ

ミュシャをフランス人と思っている人も多いかも知れません。1860年、現在のチェコ共和国東部、モラヴィア地方にあるイヴァンチッツェという小さな村の生まれ。

13世紀にボヘミア王家領になったイヴァンチッツェは、異民族の侵略や略奪、宗教戦争等の苦難の歴史を歩みます。

17世紀中頃には、ハプスブルグ家のチェコ人に対する支配が進み、チェコ文化と言語が弾圧されます。公用語はドイツ語となるのです。

18世紀後半になると、民族復興運動が広まり、ミュシャの生まれた年に、チェコ語の新聞や雑誌が始めて出版されます。

ミュシャは故郷のイヴァンチッツェで、10代の時から運動の為のチラシやパンフレットのデザイン、演説会場の室内装飾の手伝いなど、地元の政治活動に参加していました。


ミュシャの故郷への想い、スラブ民族としてのアイデンティティーは、挿絵画家からポスターデザイナーとしてパリで活躍し、アール・ヌーヴォーの巨匠となってからも、ずっと心の中にあったのです。

 

2.サラ・ベルナールとの出会い

19歳の時、ミュシャはウィーンへ修行に行きます。その後、ミクロフの大地主からの援助でミュンヘンやパリのアカデミーで学びますが、29歳の時援助が打ち切られ、パリやプラハの挿絵描きで生計を立てます。

その後順調に挿絵画家として歩みますが、1894年34歳の時にフランスの大女優サラ・ベルナールのポスターをデザインすることになります。友人の依頼で校正の仕事をしていた印刷所に依頼が来た時、専属デザイナーがクリスマス休暇でいなかったため、急遽ミュシャが制作することになったのです。


年末12月20日に一旦幕を閉じ、新年1月4日から再開する芝居の元旦の告知ポスターだったこの作品は、新春のパリの街に飾られるや大評判となりました。

判を二枚継ぎ合せて縦長にし(真ん中に継ぎ目があります)、等身大に近いサラは、手に棗椰子をもち、キリスト教の「枝の主日」の行列に参加するアテネ公妃ジスモンダを演じています。

背景の、ヴィザンチン風タイル装飾はスラブ的なデザイン。エキゾチックです。

 

3.ミュシャ様式とアール・ヌーヴォー

ミュシャがパリでポスター作家として活躍し始めた頃、アール・ヌーヴォー様式の装飾が花開こうとしていました。

同時に、印刷技術の向上や消費文化の発展により企業間の商品競争や自社製品のアピール強化が進み、ポスターの黄金時代が始まります。

アール・ヌーヴォーとは、19世紀末から20世紀初頭にかけて、ヨーロッパを中心に流行した芸術様式。植物のモチーフや蔓を模した曲線が特徴。豊かな髪やたばこの煙の曲線はアール・ヌーヴォー調。生命感あふれる動きのある画面がこのポスターにも表現されています。

このポスターからミュシャスタイルが確立し、ミュシャガールたちはパッケージにも登場するようになります。

 

4.美の探究

ミュシャは、宣伝ポスターから広告文字を取り除いた「装飾パネル」というジャンルを確立します。これは大衆のための身近な美術品として広まっていきました。

  

ミュシャは、芸術とは自分が信じる美のメッセージを大衆に伝える手段だと考えていました。

美を効果的に伝え人々を魅了するための様々な工夫は、優美な女性、調和のとれた構図、心地よい円形、曲線の多様、花や自然のモチーフなどでした。

また、ミュシャは、スラブ的な要素を取り入れることも忘れませんでした。モラヴィア地方の刺繍やレースやスラブ教会の聖画の光輪のような円形の背景などミュシャのトレードマークです。


5.パリ万博と世紀末

1900年のパリ万博でミュシャは幅広いジャンルで仕事を受けることとなりますが、当時オーストリア=ハンガリー帝国の占領下にあったボスニア=ヘルツェゴヴィナのパビリオンの内装も請けました。このスラブの同胞のための仕事は、ミュシャにスラブ民族の置かれた複雑な民族問題を改めて実感させることとなりました。同時に、祖国が独立したアイデンティティーさえ持たないことに気づき、祖国とスラブ同胞のために働くことを決心し、≪スラブ叙事詩≫の構想が生まれました。


⇩ミュシャの娘を描いた≪ヤロスラヴァの肖像≫1927-35

→本展のチラシに採用されていますね。



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パリが万博の準備に沸いていたころ、ミュシャはフランスのフリーメイソン組織に入団し、1918年に祖国がチェコスロバキア共和国として独立すると、チェコのフリーメイソンを復活させて、1923年に初代のグランド・マスター(最高大総監)になります。

そのころから、ミュシャの描く女性は、世俗的で官能的な美の化身から、意志の強さを表す女性の姿も登場してきます。

≪ヤロスラヴァの肖像≫の目力はすごいですね。指輪がずれていて第3の目のようです。花がだらりとしているのも、かえって女性の堂々とした姿を強調しているようです。

 

6.ミュシャの祈り

1910年に、パリ時代から温めていた≪スラブ叙事詩≫を実現するために、祖国へ戻ります。

プラハでの最初の仕事として、新築のプラハ市民開館の装飾を手がけます。


1911年、市民会館の仕事を終え、西ボヘミア地方のズビロフ城をスタジオとして借り、17年の歳月をかけ≪スラブ叙事詩≫を制作します。

巨大なカンヴァス20点に描かれた連作≪スラブ叙事詩≫は、チェコ人とスラブ同胞たちがともに経験した栄光と悲哀の歴史画であり、スラブ民族に捧げられた記念碑です。

 

1939年の春、ドイツ軍がプラハに進行し、祖国は再び独立を失います。その年の7月、ミュシャは79歳の誕生日を目前に無くなります。ナチの尋問によるストレスからとも言われています。

カタログにはこう書かれていますー「今、世紀を越え、世界は大きく変化したかに見える。しかし、2度目の大戦と冷戦の終結を経て、未だに世界中で紛争が絶えない現在、ミュシャの祈りは、そのまま、この21世紀を生きる私たちの祈りでもあり続けているのではないだろうか(カタログ135㌻)」

 

4月4日メトロポリタン テレヴィジョンでの「美術館へ行こう」のコーナーで

「ミュシャ展」を紹介いたします。

その後、You Tubeにもアップされます。

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ART TRANSITのアート・エデュケーターでもあり、アートナビゲーターの中村宏美さんからのレポートでした♪

皆様も是非お出かけください♪

3月9日に美術めぐり第二回目でブリジストン美術館を訪問しました。

前回は、現代美術の「会田誠展」でしたが、今回は美術の王道?である西洋美術を鑑賞することにしました。


ブリジストン美術館のコレクション展「筆後の魅力―点・線・面」は、画家たちの筆あとが特徴的な28点を紹介するとともに、印象派前夜から20世紀に至る美術の展開、そして日本近代洋画、戦後の抽象画絵画までと、約170点が展示されていました。



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参加者の皆さんは、ブリジストン美術館は何度も訪れている方たちがほとんど・・

西洋美術史にもよく登場する著名な画家たちの絵画作品をどう楽しく鑑賞していくのか、正直ちょっと悩みました。

 

それで、展覧会会場でのキャプションに書かれている「展・線・面」についての記述がどの作品を表しているのか、クイズをつくってみました。


 即興的な線

 どっしりとした幅広の筆あとの線

 動的な運動を感じさせる面

 斜めの線でできた色面

 輪郭線と色面による装飾性

 幾重にも重なった線

 単純で明快な色面

 色面と太い線と点の競合と調和

 効果的な黒い色面

 毛髪のような美しい描線

 

答え・・

 佐伯祐三≪テラスの広告≫

佐伯の素早い線による広告や室内の描写は、パリの日常を感じさせます。どんな日常?私にとっては、がたつく椅子やテーブル、はがれかけたポスター(笑)。でも、そんなパリに「大人のパリ」を感じます。佐伯が無くなる1年前の作品。


 ピエール・スーラージュ≪絵画26May 1969

スーラージュは、「作品の完成は、作品・作者・観者の三つが存在して成り立つ」といっています。観る者の立ち位置、光、感情によって作品は変化するー確かに、太く描かれた筆あとは、視線を変えることで新しい表情をみせてくれます。


 ハンス・ホフマン≪Push and Pull

美術理論を展開したホフマンはその理論を実証する作品を多く描いています。これもその作品。描かれた図形のかたち・色・タッチによって、前後、左右に画面が動いて見えるから不思議です。


 ポール・セザンヌ≪サント=ヴィクトワール山とシャトー・ノワール≫

まだヴィクトワール山の連作の中で、建物が描かれている作品。山、空、森、建物を固有物と捉えず「塊」として描き、それらは斜めの線を集めた面の集合で表現されています。印象派に「堅牢で永久性のある権威」を付加したいと考えたセザンヌの「秩序」への関心が伺えます。


 ポール・ゴーガン≪乾草≫

なんだか美しい絵画・・それもそのはず、ブルターニュの小さな宿屋の食堂を飾るために描かれた絵画ですから。3本の木が真ん中に描かれていて、私にとっては、ハズシのない画面構成の印象です。輪郭線といい、ちょっと日本の影響があるのでしょうか?


 ジャン・フォートリエ≪人質の頭部≫

何層にも重なった線で描かれた「人質」の目、鼻、口は、定まらない彼の視線や思考を想わせます。「悲しい」とか「辛い」を超えた苦痛の表現。こんな境遇になりたくないし、加害者にもなりたくない。


 藤島武二≪東海旭光≫

藤島、晩年の作品。何度か当館で鑑賞した作品ですが、となりにザオ・ウーキーの

作品が並んだことで、藤島は昼、ウーキーは夜を描いているような錯覚になりました。

藤島の「サンプリシテ(単純化)」の典型的な作品。


 パウル・クレー≪島≫

展・線・面が調和した作品。作品名≪島≫と明記されていなかったら何に見えるか?私はサーキットコースに見えました。一筆書きの線だからでしょうか。暖かいオレンジ色のグラデーションの画面に几帳面に描かれた点は、線でできた面を埋めています。


 安井曾太郎≪薔薇≫

フランス留学からもどっての長いスランプの後、1929年に描いた女性の座った姿の作品から、安井スタイルが確立していきます。この薔薇は、まさに安井調の薔薇。背景の黒が薔薇を浮き立たせています。それにしても、どっしりした男らしい薔薇だこと。


 藤田嗣治≪猫のいる静物≫

同時代に描かれた、東京国立近代美術館≪闘争≫の猫と比較しても楽しい作品。面相筆で描かれた繊細な線は必見です。西洋の絵画題材である静物画に、東洋の日本画的な線で描かれた食材や猫、鳥がプラスされた作品。上から目線の猫は藤田自身でしょうか。

 

別の展示室では、同じ作家の作品が並べて展示されていましたので、二点づつ比較しながら鑑賞しました。

・ほぼ、同時代のカミーユ・コローの太陽光の描き方の違い

・37歳と51歳の時のギュスターヴ・クールベの雪の描き方の違い

・印象派前と後の、影の描き方に注目したアルフレッド・シスレー



その他、カミーユ・ピサロ、クロード・モネ、アンリ・ルソー、ジョルジュ・ルオー、ラウル・デュフィ、ジャン・デュビュフェのそれぞれ二枚を比較し

最後に私が得意の?ファッションネタで田中敦子≪作品(たが)≫を解説して終了しました。

 

2時間、たっぷりと(立ちっぱなしで)鑑賞した西洋美術でした。参加者の方たちの熱心な鑑賞や感想に助けられて、楽しい時間を過ごしました。

美術館でのトークは、知識による解説でなく鑑賞にしたいと考えています。

まずは第一印象、次によく見て発見、つぎに描かれているものの選択や描き方などの効果。

その次に情報の提供にしたいと思い、今回は私の感想を多くお話しした美術めぐりでした。

 

次回は、4月20日   伊藤忠アートスクエアで「江戸切子 若手15人展」 です。

お待ちしております。




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今回ガイドをご担当いただきました中村宏美さん(ARTTRANSITエデュケーター・アートナビ会員)のレポートでした。

美術めぐりは、月に1度、ひとつの美術館・ギャラリーに赴き、解説や対話をしながら美術を鑑賞しようというプログラムです。
美術鑑賞にまだ慣れてない方、いろいろな意見や情報を聞きながら作品をもっと理解したいという方にもお気軽にご参加いただきたいと思っております。
もちろん、美術愛好家の方も、違う発見を求めてご参加いただきたい内容になっておりますので、どしどしご参加いただけたら幸いです。