TRIQUETRA ~Tributary Zone~ -22ページ目

TRIQUETRA ~Tributary Zone~

2代目のブログです

面白いな。。。と思うのは。。。

 

精神世界に関心を持ち始めた頃に、

いろいろと興味を持ったチベットは、

主に、ニンマ派の密教だったけれども。

 

それは、私の中の「男性性」を

刺激してくるもので。

 

同じチベットでも、ダライ・ラマの教えは、

私の中の「女性性」を刺激してくる

ものだったりした。

 

 

こういうのもまた。

個人的なものであり。。。

 

人によっては、ダライ・ラマの教えが、

その人の男性性を刺激してくることだって

あるのだろうな。。。とも思う。

 

 

だからこの世では。

 

マニュアルって作れないな。と

思う。。。

 

 

感じ方も、受け止め方も本当に。

十人十色。人それぞれだと思うから。。。

 

 

*******

 

 

あの頃。。。

『チベット死者の書』が面白かったので、

いろいろと、調べていると。

 

OSHOが、『バルド瞑想』という。

『チベット死者の書』に基づく瞑想というものを

教えているという情報にぶつかった。

 

 

あの頃の私にとって、OSHOという人は、

もうすでに、「過去の人」になりつつあったけど。

 

それでもまだ、「OSHO」と聞くと、

自分の中になにか、かすかな反応が

起こるのを感じていて。

 

正直言うと。

 

そういうのがちょっと。。。

うっとおしく感じていたりもした(苦笑)

 

 

もう、忘れてスッキリしたいのに、

スッキリできないもどかしさ。みたいな。

 

 

ある日、OSHOのそのバルド瞑想の

DVDが販売されていたことを知り。

 

私は、そのDVDを購入してみることにした。

 

 

それまで、OSHO関連の本やCDなどは、

ひとつも買ったことはなかった。

 

そこにはものすごく、

「抵抗」があったから。。。

 

 

でもあの時は、なんというか。

 

「これは、見るべき」

 

・・・みたいな声が。

 

自分の内側から響いてくるような

気がしたのだった。。。

 

 

今にして思えば。。。

 

あの時私はきっと。

何かを確かめたかったのだろうなと。

 

そんな風に思う。。。

 

 

*******

 

 

そのDVD。

 

実は、たったの一度しか観ていないので、

これもまた、詳細は忘れてしまったけど。

 

私はそれを観て。

 

OSHOに対して、激しい嫌悪感を

抱いたことを、今でもよく覚えている。

 

 

そのDVDの内容は。。。

 

『バルド瞑想』の指導は、ほんの少しだけで。

 

あとはほとんどが、OSHOと弟子?の

質疑応答みたいなシーンだった。

 

 

「あなたの話が聞きたかったんじゃないの~~!」

 

・・・みたいに(笑)

 

 

私は、なんだか。

詐欺にかけられたような気持ちになったし。

 

その、ほんの少しの『バルド瞑想』でさえも。

 

『チベット死者の書』というのは名ばかりで、

実際は、OSHO自身の思想に

基づいているんじゃないか!

 

・・・みたいな(苦笑)

 

そんな印象を受け。。。

 

ついつい、怒りまでもが

こみ上げてきたりもした。。。

 

 

更に、イライラしてしまったのは、

質疑応答シーンで。

 

やたらと偉そうに語る(ように見えた)

OSHOに対して。

 

ものすごくドン退いている

自分を感じたのだった。。。

 

 

そんな自分の様子を観察しながら。

自分でも驚いていた。

 

 

*******

 

 

ほんの数年前は。。。

 

OSHOのサイトで語られる彼の言葉や、

書店で立ち読みした本から

感じていたものは。。。

 

「心地よさ」

 

・・・ではなかったっけ?

 

 

それなのに、今はなぜ。

こんなに嫌悪感を抱くのだろう。。。と。

 

 

やっぱり、「文字」だけでは。

語られる「言葉」だけでは。

 

その人の「本当のところ」を、

見抜けなかったりするのかもしれないな。。。

 

なんて思ったりもした。

 

 

でも。。。

 

OSHOの在り方を見て、

自分がこんなにイラつく理由は。

 

あの頃ももうすでに、、、

なんとなく、気づいていた。

 

 

ダライ・ラマ。

 

・・・という人を深く知り。。。

 

彼から漂ってくるエネルギーを、

心地よい。。。と、心底感じた今。

 

 

OSHOの在り方は私には、、、

「傲慢」に映ってしまったのだと思う。。。

 

そこに、「謙虚さ」というものを

まるで感じることが出来なくて。

 

 

だから。

 

「イヤだ」

 

・・・と。

 

そう感じてしまったのだろうと。

 

そんな風に思う。

 

 

もっと言えば。。。

 

私が今回の人生で目指したかったのは、

「仏陀」ではなく、「菩薩」であることに、

その時はもう既に、気づいてしまっていたので。

 

 

だから。

あんな反応が起こったのだろう。。。

 

 

 

今現在の私はと言えば。。。

 

OSHOのことは、好きでも嫌いでもなく。

 

今は、彼を見ても。

何の反応も起こらない。。。

 

 

OSHOは。。。

 

私の意識からはもう。。。

完全に消えてしまった。。。

 

 

それでもきっと。

 

OSHOとも、どこかの人生ではきっと、

深いご縁があったのだろうな。とは。

 

今でも思っている。

 

 

*******

 

 

OSHOのバルド瞑想のDVDを観て、

イライラの反応が出てきた私は。。。

 

ふと、こう思った。。。

 

 

「ダライ・ラマって。。。

OSHOのことを知っているのだろうか?

 

もし、知っていたとしたら。

彼は、OSHOのことを、

どう思っていたりするのだろうか?」

 

・・・と。

 

 

それで、「ダライ・ラマ」と「OSHO」という

キーワードを入れて、検索をかけてみた。

 

すると、あるブログにぶつかった。

 

 

そのブログを書いている人は。

ダライ・ラマの教えや、OSHOの教えを

あれこれ検証していたりして。

 

いろんなことに詳しそうな人だったので。

私は一度、コメント欄で質問してみた

ことがあったのだけど。

 

その人も、ダライ・ラマがOSHOについて

何か言っていたかどうかということは、

知らないようだった。

 

 

でも私は。

実はその時点で、そういうことはもう、

どうでもよくなりかけていた。

 

なぜなら。

その人の書いているブログの内容が、

私にとっては、共感できるものが多くて。

 

面白くて。

 

なのでつい、そのブログを読むことのほうに、

気を取られてしまっていたからだ。。。

 

 

そして、その出来事がキッカケとなり。

 

新たな、もうひとつの「風」が、

吹いてくることになったのだった。。。

 

 

*******

 

 

つづく

自分の中の「女性性」を刺激してくる。。。

 

・・・という流れが、本格化してきた頃に、

吹いてきた風というのがいくつかあったけど。

 

 

そういう「風」は。。。

あの時の私にとって必要なものを、

運んできてくれていた。。。

 

 

チベットから吹いてきた風も、、、

そのうちのひとつだった。。。

 

 

*******

 

 

巷のスピリチュアル界に違和感を抱くように

なっていったのも、ちょうど、あの頃からだった

ように思うのだけど。

 

あの頃は。

 

「引き寄せの法則」のブームも

そうだったけど。

 

「考えるな、感じなさい」

 

・・・みたいなことも、だいぶ、声高々に

言われるようになったりしていて。。。

 

私は、そういうのも。

あまり好きではなかった。

 

 

こんな感じで私は。

 

ホント、好き嫌いが激しくて。

 

 

ただ。

 

この「嫌い」の理由もやっぱり。

あの頃は、頭でハッキリ解っていたわけではなく。

 

ただ、感覚的に違和感を覚えるから、

だから、近づかない。。。

 

・・・という感じだったかな。

 

 

*******

 

 

「考えるな、感じなさい」ばかりが

強調されて伝えられるようになってきた頃。

 

私はいつも。

モヤモヤしていた。

 

 

これって。。。

 

「言葉だけ」を取ってみたら、

何も間違ったことは言ってない。。。

 

 

私自身。

 

まずは、「感覚」から入るほうだから。

 

頭で先に判断しないで、

まずは、感じてみる。。。

 

・・・というのは、すごく解る。。。

 

 

なのに。

 

なぜ、こんなにイヤなんだろう?

なぜこんなに、違和感を感じるのだろうと。

 

 

その理由を。

自分でも知りたかった。。。

 

 

そしてやっぱり。

 

感覚的に解っていることを。

頭でも理解するには、時間がかかった。。。

 

 

*******

 

 

今となってはもう。

ハッキリと解っているのだけど。

 

 

「考えるな、感じなさい」

 

 

この言葉を、ただ、額面通りに

受け止めてしまったら。

 

人は、考えること自体を

放棄してしまうのでは?

 

考えるということ自体を、

悪いことだと思うようになって

しまうのではないのか?

 

・・・と。

 

そういう危機感のようなものが、

自分の中にあったのだと思う。

 

 

人を、思考停止状態に導く。。。

 

自分の意見を持つことに対して、

罪悪感を抱くようになっていく。。。

 

 

それをどこかで。

心配していたのだと思う。

 

ミス・リードを。

 

 

 

たしかに。

どうでもいいことを、ごちゃごちゃと

考えるのは、私達人間の。。。

 

思考の悪癖ではあるのだけど(苦笑)

 

 

でも、だからと言って。。。

 

あの言葉を、額面通りに受け止めて。

 

個人個人が、思考すること自体を

完全に放棄してしまったら。

 

それこそ、操作しやすい人の

出来上がり!

 

みたいに、なってしまうよね。。。と。

 

そんな風に。。。

 

 

*******

 

 

どこかで、、、

こんな話を聞いたことがある。。。

 

 

「悪魔は、99%の真実と。

1%の嘘で、人を操作する」

 

 

・・・と。

 

 

だから、陰謀論者的に。。。

 

スピの情報もまた、

誰かに操作されていたりするのでは?

 

・・・なんて、考えたこともあった。

 

 

でも、なんというか。

うまく言えないけど。。。

 

こういうのって、そうではなくて。。。

 

 

その「悪魔」という言葉を。

 

「私達の未熟な自我」に置き換えると。

 

 

私には、ものすごく。

解りやすかった。。。

 

 

この「未熟な自我」はというのは。

 

カバラ的に言えば、「動物意識」レベル

なのだけど。

 

それは、マインドとハートの

バランスが崩れていて。

 

いつでもマインドが、

主導権を握って離さないというか。

 

ほとんどのことを、

マインドの独断と偏見で決めている。

 

みたいな。

 

そんな状態であり。。。

 

 

そんな状態に慣れきってしまっている

私達の自我に対して。

 

「考えるな、感じなさい」

 

・・・という言葉は、、、

毒になりかねない。

 

 

だって。

その言葉を解釈するマインド自体が、

まだまだ、未熟なのだから。。。と。

 

 

そう思っていたのだろうと思う。。。

 

 

もちろん。

こういうことを、頭が。

 

マインドが理解したのもまた、

だいぶ、先のことだったけど。

 

 

*******

 

 

そんな中、ダライ・ラマは。。。

 

「懐疑心を持つことの大切さ」もまた、

説いていたりした。。。

 

「健全な懐疑心」というものを。

 

 

 

あの仏陀も。。。 

 

 「私の教えを最初から鵜呑みにせず、

疑って、いろいろ調べて。   

 

それでも正しいと思った時、

その時は学びはじめなさい」  

 

・・・とおっしゃっていたのですよ。。。と。。。  

 

 

ダライ・ラマは、そう話していた。。。

 

 

 

あの講演会の質疑応答の時。

ある女性がそのことについて

質問していた。。。  

 

 

「私は、直観で選ぶことがあるのですが、

それについてはどう思われますか?」  

 

・・・と。。。  

 

 

すると、ダライ・ラマは。。。  

 

 

「直観はとても大事ですが、

でも、それだけだと危うい」  

 

 

・・・と、そう言っていた。。。

 

 

ダライ・ラマのこういう話を聞いていると、

自分の胸が、スカッとしていることに

気づいた。。。

 

 

今流行りのスピの教えを聞いて、

モヤモヤ~っとなるのとは、

気分がまったく違っていた。。。

 

 

だから私は、あの時決めたのだ。。。

 

 

これから先も。

私は、「健全な」懐疑心を持ち続ける

ことにしようと。。。

 

 

なんでもかんでも、

無邪気に受け入れ、信じるのではなく。

 

なんでもかんでも、

そのまま鵜呑みにするのではなく。

 

 

ちゃんと自分で。

自分の頭を使って、考えよう。。。と。

 

 

でもそれは結局。。。

 

それまでの私の在り方とは、

まったく矛盾するものではなかったのだ。。。

 

 

私はそれまでもずっと。

そういうスタンスでやってきていたのだから。。。

 

 

だからこそ。

 

妙に、ハートばかりを重視する、

今どきのスピリチュアルからは。

 

ますます、距離を置くことに

なっていったのだろうと思う。。。

 

 

*******

 

 

つづく

ダライ・ラマは、仏教と量子物理学の共通点に、

とても興味を持っていて。

 

だから私も。

2日目の科学者たちとの対談では、

そういうお話が聞けるのかと思って、

とても楽しみにしていた。

 

 

でも、実際はなんだか、

そういうところとは、まったくズレた

対談となり。

 

その時の話の詳しい内容もまた、

ほとんど覚えてはいないのだけど。

 

正直。

 

「あんまり面白くないな」

 

・・・と思ったことだけは、覚えている(苦笑)

 

 

その日は、何人かの科学者の人達が

招かれていて。

 

でも、私の印象では、そこにいた

科学者の人達のほとんどが。

 

「THE 科学者」

 

・・・みたいな感じの人達ばかりで。

 

 

その道ではそれなりの権威だったの

だろうと思うので。。。

 

純粋に、最新の科学の世界について

知りたい時だったら。

 

私もきっと。

彼らの話を、面白い。。。と。

 

そう思ったのだろうと思う。。。

 

 

けれども、その日のテーマは。

 

「仏教と科学の共鳴」

 

・・・なのだから、一方的に科学の話

ばかりを語られても。。。

 

 

なんて思いながら、、、

彼らの話を聞いていたっけ(苦笑)

 

 

そして私は。

そんな彼らは、仏教に関しては、

まったくの素人。。。という。

 

そんな印象を受けた。。。

 

 

だから、彼らは。。。

 

自分たちの世界のことを

語るばかりで。

 

 

ダライ・ラマの話にも耳を傾ける。

 

・・・という姿勢が、ほとんど

感じられず。

 

 

だから私は。

 

「つまんないな」

 

・・・と、そう思ったのだと思う。

 

 

私がそういう目で見ていたからか。。。

 

ダライ・ラマも、なんとなく。

眠そうにしているように見えて

しまったりして(苦笑)

 

 

まぁ、実際のところ。。。

ダライ・ラマが、あの時何を考えて

いたのか。。。は。

 

解らないけれども。。。

 

 

*******

 

 

あの時、ダライ・ラマは、

こんな話をしていた。。。

 

 

 仏教は。。。  

 

もし分けるとしたら、「仏教科学」「仏教哲学」。。。  

そして「宗教」に分けることが出来ると思うのだけど、  

 

「宗教」の部分に関しては、

科学で説明することは出来ません。  

 

けれど、「仏教科学」の部分は、現代科学と共に  

深めていくことが出来る可能性が大いにある。。。    

 

・・・と。。。  

 

 

そして。。。  

 

宇宙論、量子物理学、脳科学、心理学。。。  

 

こういった分野については今後、仏教と  

手を取り合って研究を深めていくことが

出来るだろうと思っています。。。

 

・・・と。

 

 

でも最後に。

こんな言葉をちょこっと付け加えていた。

 

 

現代の心理学は、仏教の立場から見ると  

「幼稚園児」くらいです。。。って。

 

 

ダライ・ラマって。。。

ホント、お茶目な人だ。。。と(笑)

 

ついつい思ってしまった私。。。

 

 

*******

 

 

いまひとつ噛み合わない、

ダライ・ラマと科学者たちとの対談の中。。。

 

最後のひとりの科学者の人だけは、

なんだか少し、違っていた。

 

彼が何を話していたのかもまた、

忘れてしまったけど。。。

 

 

あの科学者が話していた時だけ。

 

今までは眠そうだったダライ・ラマの目が、

パッと開いたような感じがした。

 

 

そして私も。。。

 

「この人だったら、面白くしてくれそう。。。」

 

・・・と思っていた。

 

 

あの科学者の人は。。。

何を話したのだったっけかな?

 

本当にもう、、、忘れてしまったけど。

 

でもひとつだけ、印象に残っている、

科学者の彼とダライ・ラマの会話がある。。。

 

 

「これからの世界は。

もっともっと、精神的な世界に

目を向けるべきですよね」

 

・・・と、その科学者の人は言った。

 

 

すると、ダライ・ラマはこう答えていた。

 

 

「それは、あなたたちのように、

豊かな国に住んでいる人はそうです。

 

でも、世界中には貧困で飢えている

人達が、まだまだたくさんいて。

 

そういう人はまず、

物質的に満たされることが先です」

 

 

・・・と。

 

 

もう。。。

 

本当に、本当にその通りだ。と。

 

私も思った。。。

 

 

*******

 

 

どこかで見た、ある、言葉で。。。

 

目の前にお腹をすかせている人がいたら、

その人には、一匹の魚を与えるのではなく、

魚の採り方を教えてあげなさい。

 

・・・というのがあって。

 

 

私はそれを読んだとき。。。

 

「なるほど。まったくだな」

 

・・・と思った。。。

 

 

だって。

魚を一匹あげたところでそれは、

一時の空腹を満たすだけで。

 

その人はきっとまた、

同じようにお腹をすかせるだろうから。

 

だったら、魚の採り方を教えてあげたほうが、

この先もその人は。

 

ずっと、飢えなくて済むだろう。。。と。

 

そう思ったから。

 

 

でも。

 

ダライ・ラマのこの言葉を聞いた時、、、

ハッと気づいた。。。

 

 

死にそうなくらいお腹をすかせている人に、

魚の採り方を教えようとしたところで。

 

その人はそれを学ぶどころか、

飢えで死んでしまうだろう。。。と。。。

 

 

 

昔、母が。。。

 

紀野先生から言われたことを、

そのまんま私に伝えることによって。

 

私はあれこれ混乱し。

 

同じものが、ある人には薬になり。

またある人には毒になることがある。

 

・・・と、そう思ったことがあったけど。

 

 

それと同じことなんだよね。。。と。

 

・・・と。

 

あの時、そう思った。

 

 

目の前にいる人にとって、

今は、何が一番有益なのか。

 

 

それを見極める目を持つことの

大切さを。。。

 

あの時、本当に理解した。。。

 

 

 

それでも私は。

 

その後も。。。

こういうことに関して、失敗を

繰り返すのだけど(苦笑)

 

そういうことはまた、

少し先に書こうと思う。。。

 

 

*******

 

 

つづく

以前のブログに、、、

ダライ・ラマの講演会に行った時のことが、

いろいろと、詳しく書いてあった。。。

 

 

 

ダライ・ラマの法話

 

ダライ・ラマ講演 仏教と科学の共鳴

 

直観と猜疑心

 

 

 

初めてダライ・ラマの声を生で聴いた時。。。

 

生。。。といっても、マイク越しでは

あったけれども。

 

ダライ・ラマの声って、

野球の野村監督の声に似てるな。

 

・・・なんて思ったことを覚えてる。。。

 

 

野村監督の声が、もう少し澄んだ感じ。

 

だと思った。。。

 

 

先日。。。

野村監督が亡くなった時も。

 

そう言えば私は。。。

このことを思い出していたな。。。

 

 

 

一日目、法話が終わり、質疑応答などの

時間になると。

 

ダライ・ラマはおもむろに。

着ている袈裟と同じ色をした、

赤いキャップ帽(サンバイザーみたいな)を

かぶりだし。

 

私はもう。。。

 

その姿が、野村監督にしか

見えなくなってきてしまって。。。

 

ひとり、笑いをこらえるのに苦労した^^;

 

 

なんで、ダライ・ラマ。。。

あんな帽子を被っているの??

 

これは、お茶目な彼の、

ギャグなの???

 

・・・なんて思ってしまったけど(笑)

 

 

もちろん、そんなわけはなく。

 

あれはおそらく、スポットライトが

眩しいから被っていたのだ。。。

 

・・・ということが、あとになって解った。

 

 

いろんなこと、忘れてしまっているのに、

こういう、くだらないことは、

けっこう、覚えていたりする(笑)

 

 

*******

 

 

チベット仏教は、、、

 

「慈悲の心を持つことの大切さ」

 

・・・を、ものすごく強調する。。。

 

 

そして私は、、、

そういうところが大好きだ。。。

 

 

チベットのお坊さんたちは。

 

「慈悲心」は、喩えていうなら、

「母親が子供を思う気持ち」だと

言っていた。

 

 

何度も書いたけど。

 

ミッション・スクール時代は、

神に奉仕しなさい、隣人に奉仕しなさいと、

うるさく言われて。

 

でも私は、

そんなことは不可能だと思っていた。

 

人間には無理だと思っていた。

 

だからすべてが、

「偽善」にしか見えなかった。

 

 

でも。

自分が、実際に母親になった時に

初めて。

 

自分の中に、その兆しを感じた。

 

何も無理することなく。

演技することなく。

 

子供に対しては自然と、

そういう気持ちが湧いてくる自分に、

すごく、驚いた。。。

 

 

そしてそこで。

人間の中にある「可能性」を感じた。。。

 

 

もしかしたら。。。

出来るのかもしれない。。。と。

 

 

 

自分自身に

こういう経緯があったから。

 

チベット仏教の喩えは。

 

私にはとても、共感できた。。。

 

 

そして。

この、「慈悲の心」がまずなければ、

奉仕の心も、利他の心も生まれない。と。

 

私は思う。。。

 

 

たとえ、密教で一足飛びに、

「すべてである私」の意識に到達して、

真理を理解したとしても。

 

「人間としての私」というのは、

未熟なままで。。。

 

 

そこが未熟なままなのに、

真理を知ったということに胡坐を

かいてしまったら。

 

それはもう。

落とし穴に落ちた。。。

 

・・・ということで。

 

 

だからだと思う。。。

 

ダライ・ラマはこう言っていた。

 

 

密教の修行をする前に、

まずは、顕教を学ぶことが大切です。

 

・・・と。

 

 

そして彼らがその顕教の中で、

一番大切にしているものがこの。

 

「慈悲心」

 

だった。。。

 

 

*******

 

 

あの日、質疑応答の時間の時、、、

ある女性がダライ・ラマに、

こんな質問をしていた。

 

 

 「常に愛情いっぱいで過ごしていたのに、

ある日突然、愛する家族を交通事故で

なくされた方の支援をしています。。。   

 

たとえばその事故の相手が、

悪質な飲酒運転だったりとかした時。   

 

それでも、その相手に対して利他の心や

慈悲の心を持つことが、私には難しく。。。

とても出来ないのですが。。。」  

 

・・・と。。。

 

 

この質問に対して、ダライ・ラマは

たった一言で答えていた。

 

 

「それでも。。。

慈悲の心を持つのです」

 

・・・と。

 

そう言いきっていた。

 

 

また、他の女性がこんな質問をしていた。

 

 

「中国共産党が、チベットに対して、

どれだけひどいことをしてきていたのか。

私達は知っています。

 

どうにかして、中国共産党をチベットから

追い払い、平和なチベットを取り戻して

あげたいと、強く思っています。

 

私達に出来ることはなんでしょうか?

私達にしてほしいことがあったら、

教えてください」

 

 

・・・と。

 

 

彼女はこう言いながら、感情が高ぶってきたのか、

途中、涙ぐんで言葉をつまらせたりしていた。

 

おそらく、彼女につられて涙ぐんだ人も、

あの会場の中にはたくさんいたと思う。。。

 

そんな雰囲気だった。

 

 

それに対して、ダライ・ラマは

こう言った。

 

 

「はい」

 

・・・と。

 

彼が言ったのは、その一言だけだった。。。

 

そしてその様子は、

ものすごく淡々としていて。

 

マイクをまわす、司会者の人も、

一瞬、戸惑っていた。

 

 

これらの質問をした女性たちよりも前に、、、

 

今が苦しくてしかたない。。。

どうしたらいいのか。。。

 

・・・というような質問をしていた

ある若い女性がいて。

 

ダライ・ラマは、彼女に対しては、

とてつもなく優しい態度で。。。

 

それこそ、包み込むような感じで、

彼女にたくさんのアドバイスをしていた。

 

 

けれども、あの二人の女性たちの

質問に対しては、それとは打って変わって、

すごく、淡々とした態度だった。

 

 

私は、そんなダライ・ラマの在り方を見て。

 

さすがだな。。。

 

・・・と思った。。。

 

 

*******

 

 

その日の帰り道。。。

 

両国の駅のホームで、

二人の年配の女性たちが話している

声が聴こえてきた。。。

 

彼女たちも、先ほどのダライ・ラマの

講演会に参加していた人達のようだった。

 

彼女たちは、こんな風に言っていた。。。

 

 

「ダライ・ラマは、、、あれでしょ?

兄弟とか、亡くされていないんでしょ?

だからやっぱり、解らないわよねぇ。。。」

 

 

・・・と。

 

 

その言葉が耳に入ってきた時、、、

私はものすごく、複雑な気持ちになった。。。

 

 

誰にも。。。

ダライ・ラマの真意は解らないの???

 

・・・と。

 

少し、ガッカリした気持ちに

なったりした。。。

 

 

そして。。。

 

そういうこともすべて解りながら。。。

 

それでも、毅然とした態度で、

一貫して慈悲の大切さを説き続ける

ダライ・ラマという人は。。。

 

本当に、強い人だ。。。と。

 

 

あの時私は。。。

ダライ・ラマを、心から尊敬した。。。

 

 

*******

 

 

つづく

ダライ・ラマの講演会は二日間あって。

 

一日目は、普通に仏教のお話。

 

そして、二日目はダライ・ラマと

科学者の人達の対談。。。ということに

なっていた。

 

 

私は、その両日とも

行ってみることにしたのだった。

 

場所は、東京の両国国技館。

 

 

*******

 

 

あの時のことで、印象に残ったことが、

いくつかある。。。

 

 

まずは、初日。。。

 

その日は、開場時間が予定よりも

だいぶ遅れた。

 

そして、会場が開いて中に入ったあとも、

そこから講演会が始まるまで、

ものすごく、待たされた。

 

おそらく、1時間以上は

遅れていたと思う。。。

 

感覚的には、2時間くらいは

中で待っていた感じがするけど。

 

 

関係者の人も、多少焦っていたような

感じで。

 

何度もアナウンスが流れた。

 

「ダライ・ラマの到着が遅れています。

申し訳ありませんが、

もう少々、お待ちください」

 

・・・と。

 

 

そのうち、ステージの上に人が出てきて、

マイクで、状況説明をしては、

頭を下げてくれていた。。。

 

 

 

その時は、会場がやたらと蒸し暑くて。

しかも、私は一人での参加だったので、

誰かとおしゃべりをして気を紛らわす。

ということも出来ず。

 

長い間、じっと待っているうちに、

少し、具合が悪くなってきていた。

 

 

そういう時は、瞑想でもすれば

ラクに時間を過ごせるんだろうなと。

 

そう思ったのだけれども。

 

なんだか、ああいう場で。

ひとりで瞑想するのって、ちょっと、

気恥ずかしい感じがして(苦笑)

 

「あぁ。。。早く来て~~~」

 

・・・と思いながら、じっと耐えていた。

 

 

そうしているうちに、やっと。

ダライ・ラマは姿を現した。。。

 

 

でもその時。

ダライ・ラマは、なぜこんなに遅刻したのか。

みたいな話は一切しなかったし。

 

「遅れてごめんなさい」

 

・・・みたいな、謝罪の言葉も、

一言もなかった。

 

 

私は、そんなダライ・ラマの姿を見て。

いろんなことを、考えてしまった。。。

 

 

*******

 

 

ある人が何かを言った時は、

特に何とも思わないのに。

 

まったく同じ言葉なのに、

それを別の人が言うと、

なぜか腹が立ったり。

 

・・・みたいなことって、

よくあると思う。。。

 

 

この人が言うと、すごく感動するのに、

この人が言うと、胡散臭く感じる。

 

・・・とか。

 

 

いつもだったら。

相手にダライ・ラマのような態度を取られたら。

 

その人が、なんの連絡もなく、

待ち合わせに大遅刻してきて、

謝りもしなかったら。

 

私は多分。

その人の人格を疑うと思う。

 

 

けれどもあの時は、、、

 

ダライ・ラマのそんな態度を見ても、

不思議と、全然イライラしなかった。。。

 

 

具合が悪くなるくらい、待たされたのに。

 

感情的にも、まったくイライラしなかった

自分が不思議で。

 

だから私は。。。

いろいろと、考え始めてしまった。

 

 

なぜ私は。。。

イライラしていないんだろう?と。

 

 

*******

 

 

世界中を眺めても。。。

 

こんなに時間にキッチリしているのは、

日本だけだ。。。

 

・・・みたいな話を、聞いたことがある。。。

 

 

そういう日本という環境に

生まれて育った私にとって、

 

「時間を守る」

 

・・・ということは、当たり前のことであり。

 

そういうことに対して。

 

「なぜ?」

 

・・・という疑問を持つことさえなかった。。。

 

 

それはもう。

当たり前の常識として、

自分の中に、染みこんでいた。。。

 

 

だから私は最初。。。

 

あの、ダライ・ラマという人が、

大遅刻??

 

遅刻して、いろんな人に迷惑をかけたのに、

まったく、謝らない???

 

・・・と、そこにびっくりしていたのだけど。

 

 

なんだか、それ自体が。。。

 

私が、「小さな括り」の中に、

囚われていたことの証拠だな。。。

 

なんてことに、気づいたりした。。。

 

日本人の価値観。

日本人の物の捉え方。

 

・・・という、小さな括りに。。。

 

 

 

「時間を守る」という。。。

日本人の常識。。。

 

でも、その価値観に囚われたままで、

外国の人の行動を判断してしまうと。

 

やっぱり、色々、見誤るよね。。。

と、あの時、実感した。

 

 

 

人として生きるダライ・ラマの世界には。

 

「時間を守る」

 

・・・という、概念が。

 

私達日本人ほど、重要なものでは

ないのだろう。。。と。

 

そう思った。

 

 

だからと言って私は。。。

 

それが、良い、とも。

悪い、とも思わない。

 

それは、それなのだ。。。

 

 

それに私はやっぱり日本人で。

 

こういう環境で育ってきたので。

 

「時間を守る」

 

・・・という常識は好きだし。

 

それをやめようとも思わない。。。

 

 

いくら、ダライ・ラマがそうだからと言っても。

どこかのマスターがそうだからと言っても。

 

何から何まで、彼らと同じように

しようとは思わない。。。

 

 

日本人には日本人の在り方があって。

それはそれで、いいのだと思うから。。。

 

 

 

ただ、私達が時間を守ろうとするのは、、、

その根底に。。。

 

「人に迷惑をかけたくない」

 

・・・という思いがあるからで。。。

 

 

そういう「思い」は。

ダライ・ラマもまた持っている。。。

 

・・・ということを、私はどこかで

感じていた。。。

 

そして、そこが同じであることが

なんとなく解るから。

 

だから、イライラしなかったのだろう。。。と。

 

 

その「思い」を表現する手段は。。。

 

それぞれの国の「常識」によって、

色々と違うけれども。

 

その根底にある思いが同じであるのに、

表面的なそんな些細な違いで、

腹を立てるなんて。

 

 

それって。

すごく、馬鹿馬鹿しいことだ。。。

 

・・・と。

 

あの時、しみじみ思ったな。。。

 

 

*******

 

 

長々と書いたけれども。

 

こういうことはおそらく。

 

「感覚」を使えば、

瞬時に解ることなのだろうと思う。

 

 

だって私は。

 

ダライ・ラマが遅刻してきても、

謝らなくても。

 

なぜか、全く腹が立たなかったから。

 

 

その人の「本当のところ」はおそらく、

その人から、放射されている。。。

 

エネルギーとなって。

 

 

そのエネルギーを、瞬時に受け取るのは

やっぱり、「感覚」なのだと思う。

 

「頭」ではなくて。

 

 

でも、この感覚で感じたものを無視して。

「常識」から、、、つまり、「頭」から先に入って、

物事を判断すれば。

 

「なぜ、謝らないんだ!

遅刻した理由を言え!」

 

・・・みたいに、怒ってしまうのかもしれない。

 

 

 

ここで長々書いたことも、

結局は、あとから「頭」が理解したこと。

 

 

理解した。。。というか。

 

「意味をつけた」。。。というほうが、

正しいのかもしれない。。。

 

 

そして、最初に「感覚」で捉えたことを、

あとから「頭」で理解する時は。。。

 

「意味付け」するときは。。。

 

そこに、出来るだけポジティヴな意味を

見つけたいものだと。。。

 

いつも思う。。。

 

 

*******

 

 

・・・と、こんなところまで考え。

ひとりでしみじみ納得していた頃には。

 

ダライ・ラマの説法も、もうだいぶ

進んでいたりした。。。

 

 

私はそれを、片耳では

聞いていたけれども。。。

 

こうやって、あれこれ考え事を

していたから。

 

ダライ・ラマがあの時。

どんな話をしたのだったか。。。

 

ほとんど、覚えていなかったりする(苦笑)

 

 

けれども。。。

 

説法とは全然違う部分で、

私はやっぱり。。。

 

ダライ・ラマからは、

いろいろ学ばせてもらえていた。。。

 

 

*******

 

 

つづく

『チベット死者の書』は、たしか。

「埋蔵経」のひとつだったと思う。

 

 

経典を書いてから、それをどこかに

埋めて隠す。。。

 

みたいな習慣?が、チベットにはあって。

 

その隠された経典はいつか。

それが必要となった時代に、自然に発見される。

 

・・・という考え方をする。

 

 

『チベット死者の書』もまた。

そうやってある時、偶然、

発掘されたものだった。。。

 

 

*******

 

 

中国共産党に侵攻され。

国がなくなってしまったことは。。。

 

チベットの人達にとっては、

大変な悲劇だった。。。

 

 

でも。。。

 

もっともっと先の世になった時は。。。

これもまた、必然の流れだったことに、

私達はきっと、気づくのだろう。。。

 

大いなる目でそれを眺めれば。

 

それもまた。

完璧なことだったのだ。。。と。

 

 

*******

 

 

チベットは長い間ずっと、

閉ざされた国で。

 

まるで、江戸時代の鎖国していた

日本のように。

 

外国人の進入を、

拒み続けてきていた。。。

 

そうやって長い間、孤立してきたおかげで。

チベットの中で、保たれていた

ものがあった。。。

 

 

時代の流れとともに生き。。。

その波に乗ってきた人たちが、

すっかり忘れてしまった心を。

 

彼らは、保存してきていた。。。

 

長い間、ずっと。

 

 

それが。。。

ある時、中国共産党の侵攻によって、

その扉を無理矢理こじ開けられ。。。

 

外国への亡命を

余儀なくされたラマ僧達は。。。

 

その先々で。

チベット人の在り方を体現することで。

 

近代文明を生きる私達に。

私達の意識に、様々な影響を

与えることになった。

 

 

変化し、進化することも大事だけど。

失くしてはいけない古いものもあって。。。

 

チベットはきっと。。。

 

その、古くて大切なものを、

形を変えずにそのまま保存し。。。

 

いつの日か。。。

 

私たちの心に、

それが必要となった時に。

 

私達に、それを受け取るための

準備が整った時に。。。

 

 

チベットは、世界に放たれるように。。。

 

そんな風に出来ていたのだろうと。。。

 

 

そう思った。。。

 

 

*******

 

 

ただ。

そうは言っても。。。

 

そのために。

多くのチベット人が血と涙を流した。。。

 

 

起こる出来事がすべて完璧で。。。

 

本当は、悪いことなど

ひとつも起こっていないと

解ってはいても。。。

 

 

その時彼らが、、、

 

どんなに辛い思いをしたのか。。。

どんなに悲しかったか。。。

どんなに悔しかったか。。。

 

どんなに、苦しかったか。。。

 

 

それを思ったら。。。

 

「これは、良いことなんですよ」

 

・・・なんてことは。

 

とても言えない。。。と、思った。

 

 

その時、その渦中にいた

ダライ・ラマたちの心情を思ったら。。。

 

 

 

だから私は。。。

 

もし目の前に、悲しむ人がいたら。。。

 

その時は、その人と一緒に、、、

泣くことを選ぶだろう。。。と。

 

 

あの時、、、そう思った。。。

 

 

*******

 

 

そうやって。。。

 

チベットのことを知れば知るほど。。。

 

ダライ・ラマの生き方に、

ますます、感動するようになり。。。

 

 

そんなある日。

 

ダライ・ラマの来日講演会があることを知り。。。

 

 

私はひとりで。。。

 

それに出かけることにしたのだった。。。

 

 

*******

 

 

つづく

チベットやダライ・ラマのことを、

深く知っていこうとすれば。

 

必ずぶつかる、ある問題があって。

 

それが、中国共産党による、

チベット侵攻という事実。。。

 

 

『セブン・イヤーズ・イン・チベット』の

映画の中でもそれは、少し触れられて

いたけれども。

 

ダライ・ラマの自伝の中では、

より詳細なことが語られていて。

 

 

私はその実態を知った時。。。

言葉を失った。。。

 

 

ダライ・ラマは、感情的になることなく、

ただ淡々と、事実のみを語っていたけれども。

 

それを読みながら私は。。。

 

もう、なんというか。。。

 

息が出来ないくらいに、、、

胸が痛くなった。。。

 

 

その胸の痛みと共に、、、

 

同時に、なんとなく

感じていたことは。。。

 

 

「今は、、、ここにあったんだ。。。」

 

 

・・・という感覚だった。

 

 

*******

 

 

「それ」。。。が生まれたのはやっぱり。。。

 

シュメール文明が興った頃から

だったのだと感じていて。。。

 

 

バベルの塔を建設しようとした?

古代のバビロニアとか。。。

 

皇帝ネロがいた、

古代ローマ帝国。。。

 

魔女狩りの頃の、

ヴァチカン。

 

そして、ヒトラーの

ナチス・ドイツ。

 

 

歴史を通じて「それ」は。

どこかに集中して、現れる。。。

 

 

それが今は、、、

中国共産党にあるのか。。。と。

 

 

ダライ・ラマのお話を読んでいたら。。。

 

なんとなく、それを、

実感してしまった。。。

 

 

 

「それ」。。。というのは、

私の中では。

 

人間の自我の暴走。

 

極端に男性性に傾きすぎた、

人類の「動物意識」

 

まだまだ未熟な。

私たちの意識。

 

 

今を生きている私達、、、

すべての人間の中にある「それ」を。

 

「象徴的」に。。。

 

目に見える形で、解りやすく

見せてくれる場所が。

 

今まで、必ずどこかに出現してきていた。。。

 

 

それがこの現代では。

 

中国共産党だったんだね。。。と。

 

そう思った。。。

 

 

*******

 

 

自分の目に見えている世界は。。。

 

自分の内側が反映されたものだ。と。

 

私は思っていたりする。。。

 

 

そしてそれが、どんなに愚かで、

残虐なことだったとしても。

 

おそらくそれは。

 

そこに関わる魂たちが協力して

起こしている出来事であるはずだ。。。と。

 

そう信じていたりする。。。

 

 

それぞれの自我に。。。

気づきを与えるために。

 

 

だから。

昔のヴァチカンとか、ナチスとか、

中国共産党とか。

 

そういう、歴史上の大きな出来事、、、

世界中の人達に知られるくらいの

重大な悪事。。。というのも、おそらく。

 

人類全体の魂が協力して。

このドラマを生み出し。。。

 

私達はそれぞれが、、、

それぞれの役を演じているのだと、

私は思っている。。。

 

 

ただ、誰がどの役を演じるかは。

 

個人のカルマも関わってくるの

だろうから。。。

 

だから、人を苦しめる役を演じている

人達に対して。

 

「そのままでいいんですよ」

 

・・・なんてことは、決して言えないし。

 

「人として」は、赦すことも

出来ないけれども。

 

 

けれども。

 

深いところでは、、、

こう思ってる。。。

 

 

そういう人たちもまた。。。

 

魂の視点から見れば。

みんなが親友であり。。。

 

「すべてである私」の視点から見れば、

そういう、「悪役を演じる人たち」ですら、、、

 

自分なのだ。。。

 

・・・と。

 

 

*******

 

 

だからよけいに。。。

苦しくなる。。。

 

辛くて仕方なくなる。。。

 

 

「なんて悪い人たちなんだ!

 

そういう輩は、

倒さなければならない!

 

私達の命や権利を守るために!」

 

 

・・・と、簡単に思えてしまったほうが、

実は、楽だったのだろうな。。。と。

 

いつも、思っていた。。。

 

 

でも。

 

19歳の時に、すべてが自分であることを、

本当に知ってしまったことで、、、

 

私は、どうしても。

 

そういう風に思うことは出来なくて。

 

 

でも、この「感覚」は。。。

なかなか解ってもらえなくて。。。

 

 

だから。。。

 

ダライ・ラマの本を読んだときは、、、

すごく、嬉しかった。。。

 

 

ダライ・ラマは、、、

 

その感覚を実際に、

「体現している人」だと。

 

そう感じたから。。。

 

 

まだまだ弱い私には。。。

勇気がなくて、躊躇してしまうことを。

 

ダライ・ラマは、愛と勇気をもって、

成し遂げていると。

 

そう感じたから。。。

 

 

なんだかすごく。。。

嬉しかったのだ。。。

 

 

*******

 

 

たとえば、聖書の中では。。。

 

「それ」は、「罪」と呼ばれてる。。。

 

 

蛇(サタン)にそそのかされて、

エバが知識の木の実を食べた時。

 

私達は、神を裏切って、

楽園から追放された。。。と。

 

そう表現されている。

 

 

だからそれ以降、私たちの中には

神(愛・良心)の他に、同時に

悪魔(罪)が棲みつき。。。

 

その状態は、、、

終末の時まで続いていく。。。

 

それが、、、

 

人間の「原罪」なのだと。

 

そう言われている。

 

 

 

この。。。

「罪」とか「悪魔」という表現というか、、、

「物の捉え方」が、私にはものすごく、

ネガティヴに見えるので。

 

あんまり好きではないのだけど。

 

でも。

言いたいことは、重々わかる。。。

 

 

そして私にはあの物語は、、、

 

人間の堕落。。。ではなくて。

 

 

私達人類の意識の中に。

自我が目覚めた時の物語なのだと。

 

そう感じている。。。

 

 

自我。というか。

 

「動物意識の目覚め」

 

なのだと。

 

 

そしてこの動物意識は。。。

マスターすることが、本当に難しくて。。。

 

あれからもう。

何千年も経ったのに。

 

私達はまだ。

そこで立ち止まったままで。。。

 

 

 

聖書では。。。

 

「人類がこの原罪を背負って生きること」

 

・・・は、いずれ終わる。。。と。

 

そう預言されていたりする。。。

 

 

でも。

 

それが終わる前には、

いろいろと、大変なことが起こるとも、

言われていた。

 

 

それがよく聞く。

聖書の終末預言。。。

 

 

 

真の愛を体現している人間に。。。

 

ダライ・ラマに出会った時。。。

 

 

いつか私たちも。。。

 

この「動物意識」をマスターして。

 

自我を、、、

魂と同じレベルにまで成長させて。。。

 

自分の中に、「人間意識」を。。。

 

「美」を出現させることが

出来るように。。。と。

 

 

透明になれるようにと。。。

 

 

あの頃からずっと。。。

そう願い続けてきたけど。。。

 

 

どうなのかな。。。

 

 

 

今のこの。。。

社会の混乱を見ていると。。。

 

 

果たして私は。。。

それがどこまで出来ていたのだろうかと。。。

 

 

つい。。。

いろいろ考えてしまう。。。

 

 

*******

 

 

つづく

以前のブログの中に。

 

この『セブン・イヤーズ・イン・チベット』を

観た時の感想が書かれていたので。

 

少し抜粋を。。。

 

 

*******

 

 

セブン・イヤーズ・イン・チベット

 

 

数年ぶりに観ました。  

 

以前観た時とは、

全く受け取るものが変わっていました。  

 

 

ブラッド・ピット演じるオーストリアの登山家、

ハインリヒ・ハラーと幼い頃の

ダライ・ラマ14世の交流の物語。  

 

実話です。  

 

 

チベットに侵攻してきた中国の将軍が、

幼いダライ・ラマに謁見したあと  

その場を去る際につぶやいたセリフ。。。  

 

 

「宗教は毒だ。」  

 

 

この言葉を。。。  

とても複雑な気持ちで見ていました。 

 

 

そして、印象に残ったのは。。。  

 

ダライ・ラマがハラーに

 

「なぜ登山をするの?」

 

と問い掛け、

その質問にハラーが答えるシーン。。。  

 

 

「山を登っているとそのうち

頭が空っぽになってきて、

悩みも消える。

 

ただ、登ることだけを考えるようになる。   

 

そのうち、景色が濃く見えてきて、

音も大きく聞こえてくる。   

 

内側から生命力がみなぎってくるのです。     

 

そして、それと同じ感覚を、

あなたと一緒にいる時にも感じる。」  

 

 

・・・と。  

 

 

中国に侵攻され、チベットはこれからが大変だ。。。

という時に、ダライ・ラマは、ハラーに、

国に帰って息子に会いなさい。。。

 

とすすめる。  

 

自分が一番大変な時なのに、

彼を手放す。。。  

 

なかなか出来ることではないな。。。と思いました。  

 

やっぱりダライ・ラマという人は、

すごい人なんだな。。。  

 

・・・と、素直に感じました。 

 

 

*******

 

 

余談だけど。。。

 

この映画の監督は、フランス人の、

ジャン・ジャック・アノーだったことを。

 

昔の日記を読んでいて思い出した。

 

 

この監督の、『ラ・マン』という

映画を観て。

 

私は、作家のマルグリット・デュラスのことが、

とても好きになった。

 

 

『セブン・イヤーズ・イン・チベット』の映画と、

『ラ・マン』の映画にはどことなく、

同じ匂いが漂っていて。。。

 

私は。。。

 

その匂いがとても、

好きだったな。。。と。

 

 

そんなことも今、ふと。。。

思い出したりした。

 

 

*******

 

 

山を登ると、景色の色が濃くなる。。。

 

感覚が普段より鋭くなる。。。

 

・・・というのは、どうやら、本当のことらしい。

 

 

以前、登山が趣味で。

しょっちゅう山に登っているんだ。

 

・・・という人からも、そんな話を

聞いたことがあった。

 

 

その人曰く。

 

「高い山では、酸素が薄くなるから、

そういう現象が起こるんだよ」

 

・・・なのだそうだけど。

 

 

そんな状態で観る登頂からの景色は、

この世のものとは思えないほど、

美しいのだとか。。。

 

 

その人は。。。

かなり年配のおじいちゃんだったのだけど。

 

彼は、いたずらっ子の顔をして。

 

 

「ほらぁ。若い頃はさ、

よくマリファナ(大麻)を吸ったけど。

 

ああいう時と一緒だよ」

 

 

・・・って、言ってた(苦笑)

 

 

 

山を登り切った時に見える。。。

この世のものとは思えないほど

美しい景色。。。

 

 

その景色を写真に撮って、

あとで見てみても。

 

そこには、普通の景色しか映って

いないのだそうで。

 

 

だからああいうものは。

 

実際に山を登った人でないと、

観ることは出来ないんだよ。。。と。

 

その人は、言っていた。。。

 

 

 

登山家であったハインリヒ・ハラーも

きっと。。。

 

そういう美しさを、自身で

体験していたのだろうと思う。。。

 

 

そして。

 

内側から生命力がみなぎってくる。。。

 

 

そういう「感覚」を、

周囲の人に起こさせるダライ・ラマって。。。

 

 

彼の放つエネルギーは。。。

どれだけ、美しいのだろうか。。。

 

・・・と。

 

私はすごく、感動してしまった。。。

 

 

そして。

 

自分もいつか。。。

そんな人になれたらいいな。。。と。

 

そう思ったな。。。

 

この映画を観た時。。。

 

 

 

愛を、放射出来る人。。。

 

無言で。。。

 

ただ、エネルギーで語れる人に

なりたい。。。

 

・・・と。

 

 

*******

 

 

あの時も私は。。。

チベットの仏教を、深く学びたい。。。

 

・・・という気持ちは、ほとんど起こらなかった。

 

 

ただ。

 

そんなエネルギーを放つことが出来る、

ダライ・ラマ。。。という人の生き様を、

もっとよく、知りたくなった。。。

 

 

だから、こんな本も読んだ。。。

 

 

 

 

 

 

この本を読んだとき。。。

 

ダライ・ラマって、「宗教家」というより、

「政治家」だな。。。と。

 

そんな印象を受けたのを覚えている。

 

 

でも。。。

 

もし、国のリーダーが、ダライ・ラマのような

人達ばっかりだったら。。。

 

 

世界はきっと。

平和になるだろうな。。。と。

 

 

そんな風に思った。。。

 

 

 

この本の表紙の写真をみた娘が。。。

 

 

「ねぇ、ママ。

ダライ・ラマって、なんだか普通の、、、

そこらへんにいるおじいちゃんに

見えるんだけど」

 

 

・・・と言った。

 

 

そして私は。。。

 

そこが、チベットの素晴らしいところだ。。。と。

 

そう思った。。。

 

 

 

観音菩薩の化身と言われている

ダライ・ラマ。。。

 

彼のその自伝の。

 

一番最後に書かれていた部分を。

 

 

今という時にまた。。。

 

ここに、載せておこうかと思う。。。。

 

 

 

この苦しみは無知によって引き起こされており、

人は己の幸せと満足を得んがため

他者に苦痛を与えているのだと固く信じている。   

 

しかし真の幸せは心の平安と充足感から生まれるものであり、   

それは愛他主義、愛情と慈悲心を培い、そして怒り、自己本位、   

貧欲といったものを次々と根絶してゆくことによって

獲得できるものなのだ。   

 

ある人々には、これは無邪気すぎるように

聞こえるかもしれないが、   

その人に言いたい。   

 

 

どんな世界から私達が生まれてこようと、

根本的にわれわれは同じ人間なのだ、と。

 

 

私達全ては幸せを求め、

苦痛を避けたいと思っている。

 

われわれの基本的要求と関心は同じなのだ。     

 

 

さらに、私達全ては自由を欲し、

個人として己の運命を決定する権利を求めているのだ。

 

これが人間性というものである。  

 

 

<中略> 

 

 

今日われわれが直面している諸問題、武力衝突、   

自然破壊、貧困、飢えその他諸々は、ほとんど人間が

作り出しているのだということを忘れてはならない。   

 

それらはきっと解決しうる。   

 

だが、それは人間的努力、相互理解、兄弟姉妹感を

育てることによってのみ可能なのだ。

 

これを成し遂げるには、善意と自覚に立って、

お互いに対する、そしてわれわれが共有する地球への

普遍的責任感を深めていかなければならない。   

 

 

愛と慈悲の心を育ててゆくうえで、わたしにとっては

仏教が役立っているが、愛や慈悲といった資質は、

宗教があってもなくても誰でも深めてゆけるものだと

確信している。   

 

そしてわたしはさらに、すべての宗教はみな同じ目標、

善なるものを培い、すべての人間に幸せをもたらす、

という共通の目標を追求していると信じている。   

 

 

方法こそ違っているように見えても、目標は同じなのだ。   

 

 

私達の生活に、科学がますます大きな影響を及ぼすにつれ、   

宗教と精神性もまたわたしたちの人間性を考えさせるうえで   

いっそう大きな役割を担ってきている。   

 

両者の間に矛盾はない。

 

どちらも互いへの貴重な洞察をもたらしてくれる。

 

科学と仏陀の教えはともに、すべてのものの

基本的合一性を私たちに告げているのだ。 

 

 

*******

 

 

つづく

 

 

以前、チベット仏教のラマ僧に会った時に。

 

虹の身体を獲得したら、、、

もう生まれ変わってこないのですか?

 

・・・と訊ねたけれども。

 

 

あの時彼は。

 

「いいえ」

 

・・・と答えた。

 

苦笑いしながら。。。

 

 

 

『チベット死者の書』を読み。。。

 

死んでもまだなお、

私達は眠りの中にいるんだ。。。

 

・・・ということに確信が持てた私は。

 

あの時のラマ僧の、

あの苦笑いの意味が。

 

ハッキリ解ってしまったような気がした。

 

 

やっぱり彼は。。。

解っていたのだろうな。と。

 

そう感じた。。。

 

 

 

ラマ僧たちはみんな。

一見、大人しそうな普通のおじさんにしか

見えなかったりするけど。

 

密教系のエキスパートでもある彼らは、

肉体を非物質化して、壁を通り抜けたり、

瞬間移動したり、自分で意図的に死んだり。

 

そういうことさえ、普通に出来てしまうし。

 

虹の身体の獲得は、、、

そういう修行の集大成のようなものだけど。

 

 

でも彼らは。。。

 

たとえ、それが出来るようになったとしても、

それで輪廻の輪から外れることが

出来るようになるわけではない。。。

 

本当に大切なのはそこではない。

 

・・・ということを、ちゃんと理解していて。。。

 

 

みんな最初は、体外離脱だとか物質化だとか。

 

そういう、超常的な力を獲得することに

目が行きがちだけど。

 

 

それが出来るようになったところで。

それだけでは、また生まれ変わってくるだろう。。。

 

 

・・・ということを、ラマ僧達自身が、

もう、知っていたからこそ。

 

 

あのラマ僧は、あの時、、、

苦笑いしたのだろうな。。。と。

 

そんな風に思った。。。

 

 

*******

 

 

そんな『チベット死者の書』と一緒に

借りてきたもう一冊の本。

 

ダライ・ラマの本は。

 

ダライ・ラマがまだ若い頃に行った

講話の内容を記した本だったと。

 

そう、記憶しているけど。。。

 

 

これもまた。。。

その詳しい内容は、忘れてしまった(苦笑)

 

 

ただ。。。

 

私はこの本を読んだとき、、、

 

「あぁ。。。やっぱり、これだよね」

 

・・・と。

 

強く、感動したのを覚えている。

 

 

ダライ・ラマが説くのは、、、

 

菩薩の道。。。

菩薩の在り方。。。

 

 

その在り方が。。。

 

私自身のポリシーというか、信念というか。

 

それと見事に一致していて。

 

ものすごく、スッキリしたのを、

今でもよく、覚えている。。。

 

 

 

それまでに出会ってきたもの。。。

 

たとえば、OSHOの教えとか、

カバラとか。

 

そういうものから、強く感じていたのは、

 

「仏陀の道・仏陀の在り方」

 

だった。

 

 

OSHO、カバラ。というよりは。

 

インドとかユダヤと言ったほうが

いいのかもしれないけど。

 

 

なんというか。

 

男性的な匂いを。

 

そこからは、強く感じていた。

 

 

そういうのも。

私は決して、嫌いではなく。

 

むしろ、すごく好きなのだけど。

 

 

でも。

どこかで何か、違和感を感じるのは。

 

今生。

私は女性だからなのかもしれないと。

 

そんな風に思ったりもした。

 

 

そして。。。

今回自分が、こうして女性として生まれたのにも、

きっと何かの理由があるはずで。。。

 

 

今、女性としての私が。

 

何の違和感も持たずに、スッと

受け入れられるものはやっぱり。

 

仏陀の道。。。ではなくて。

菩薩の道なのだろうと。。。

 

それを強く、実感した。

 

 

実感すると同時に。

自分の中にあった霧が消えて。

 

見事に空が、晴れ渡ったような

感じがした。

 

 

*******

 

 

ゾクチェンというのは。。。

 

仏教というよりかは、チベットに古くから

伝わってきていたボン教に属するもので。

 

インドから伝来してきた仏教は、、、

そういうチベットの土壌の上では。

 

多少、形を変えたりもした。

 

 

大乗仏教は。

本来の仏教ではない。。。と。

 

そんなことを言う人もいる。。。

 

 

たしかにそれは。

原始仏教と、多少ずれているところが

あったりもするのだけど。

 

 

そういうのもまた。。。

必然の流れだったのだろうなと。

 

そんな風に思う。。。

 

 

 

そういう流れは、なにも仏教だけでなく。

 

ユダヤ教だって。

 

ある時、ユダヤ人のイエスによって。

そこに、新たなエッセンスが加えられた。。。

 

 

そうやって私たちは。

すこしずつ、変化しながら。

 

「心」を進化させてきたのだろうとも思う。。。

 

 

 

仏陀の道。。。

 

私の中では、「男性性の道」である。。。

 

原始仏教やユダヤ教ですら。

 

そこが始まりではなくて。。。

 

 

それ以前には、私達人類には、

アニミズムやシャーマニズムの宗教があった。。。

 

そういうのが、魔女の宗教だったりするし。

 

チベットのボン教もおそらく、もともとは、

そっち系だったのだろうと思うのだけど。。。

 

 

その頃の私たちの意識は、

おそらくまだ、植物意識で。。。

 

自我もまだ、しっかりと

確立されていなくて。。。

 

だからこそ。

スピリットとテレパシックに

繋がることも容易だったのだろうなと。

 

そんな気がする。

 

 

人類の、自我の確立と共に、

シッダールタ王子のような人が現れ。。。

 

更なる意識の成長と共に、

今度は、イエスのような人が現れ。。。

 

 

仏教もユダヤ教も。

 

ただひたすら悟りを目指す形から。

 

愛の重要性を説く形に

変化していき。。。

 

 

ただただ、天に還りたい。。。

元に戻りたいという思い。。。から。

 

次は、人として、

心が充実した生き方を

求めるようになっていき。。。

 

 

だから。

大乗仏教や、イエスの言葉は。

 

私にとっては、「女性性」のイメージで。

 

 

なんだか。

 

自分のことを振り返ってみれば。

 

私個人が通ってきた道もまた。

 

人類全体が辿った道と、

同じなのだろうな。と。

 

そんな気がしてならなかった。

 

 

みんな結局は。。。

 

「生命の木」

 

・・・という、大きなひな型に沿って。

 

自分自身の道を、

辿っているのだろう。。。と。

 

 

*******

 

 

あの時。

 

ダライ・ラマの言葉に。。。

はじめてまともに触れて。

 

それ以降私は。

彼の、大ファンになってしまった(笑)

 

 

そしてふと。

 

昔観た、映画のことを思い出した。。。

 

 

ブラッド・ピット主演の

『セブン・イヤーズ・イン・チベット』

という映画。

 

 

 

 

 

 

あの映画を、初めて観た当時は。

 

あまり、面白いと思わなかったし、

その内容も、ほとんど忘れてしまっていた。

 

 

でも、ダライ・ラマに関心が出てきた時に、

再びその映画を観た時は。

 

感動する。

 

なんてものではなかった。。。

 

 

どうして昔は。。。

何も感じなかったのだろうと。

 

自分でも不思議に思ってしまうくらい。

泣けて泣けて、しかたなかった。

 

 

今頃になって私はやっと。

 

これを受け取る器の準備が

出来たのだろうな。。。と。

 

そう思った。。。

 

 

*******

 

 

つづく

 

 

19歳であの体験をした時、、、

 

自分が本当は何であったのかを知り。。。

自分の本来の姿を思い出し。。。

 

人は死んだらみんな、、、

これに戻るんだ。。。

 

「私」に戻るんだ。。。。と。

 

そう思った。

 

 

だから。

死ぬことが、全然怖くなくなった。

 

人として死んだら。

私達は、「元に戻る」だけなのだから。。。と。

 

 

そして。

よく言われている前世もなければ、

幽霊もいるはずない。。。と。

 

そう思っていた。

 

 

スピリチュアルの世界に出会うまでは。。。

 

 

*******

 

 

占い師の彼に、、、

自分のこういう思いを語った時。。。

 

 

「そんなに簡単には戻れませんよ」

 

・・・と言われ。。。

 

私は内心、ムッとしていた(苦笑)

 

 

そんなこと言ったって。

現に、私は一度戻ったし。。。

 

戻れない。。。なんて。

 

どうして、そんな断言できるんだろう。。。と。

 

そう思っていた。

 

 

けれどもあの頃、、、

 

彼をはじめとする、様々な人と、

前世?と思えるようなヴィジョンが

次々とシンクロしていったり。。。

 

彼から、「この世の仕組み」。。。というか。

 

例えば、カルマとか、霊界とか、

そういう感じの話を、たくさん聞いているうちに、、、

 

また、カバラを深めていくうちに、、、

 

そして、自分自身の経験などを

検証したりしているうちに。。。

 

いつしか。

 

「あぁ。。。それはアリかもしれないな。。。

 

今まではそういうことについて、

あんまり深刻に考えたことなかったけど。

 

おそらく、そういうものなのだろう。。。」

 

・・・と、自分の考え方が、

少しずつ、変わっていった。。。

 

 

 

私は、19歳の時からずっと。。。

 

この世は幻想の世界で。

夢の世界で。

 

私達は今は、夢の登場人物に

なりきっているだけで。。。

 

 

だから、死んだら目が覚めて。。。

 

それはまるで、夢から醒めるかのように、

元の自分に戻っていくのだ。。。と。

 

それだけを信じて生きてきたけど。

 

 

この幻想世界には、「法則」があって。

 

その法則をクリアする。。。というか。

 

これまでに自分で蒔いてきた種を、

全部綺麗に刈り取らなければ。

 

たとえ死んでも、元には戻れない

仕組みになっているんだ。。。

 

これは。

そういうゲームだったんだ。。。と。

 

そう思うようになっていった。

 

 

まぁ、その時点で私もまた。

 

法則に囚われた。。。ということ

だったりするのだけど(苦笑)

 

 

けれども結局。

 

あのまま、何も知らずにいたら。。。

 

たとえ、10代の時にああいった

悟り体験をしていたとしても。

 

それだけでは、私は、きっとまた。

法則の力によって、夢の世界に引き込まれる

ことになったのだろうな。。。と。

 

今は、思う。

 

 

*******

 

 

・・・とは言っても。

 

私がすぐに、こういう結論に辿り着けた

わけではない。。。

 

 

何と言っても。。。

 

10代の時のあの体験が強烈すぎて。

 

「そんなこと言ったって。。。

戻れるもん」

 

・・・みたいな(笑)

 

そういう思いが強かったから。

 

 

占い師の彼が話すことに対して、

かなり長い間ずっと、半信半疑の

状態は続いたものだ。。。

 

 

一度納得しても、また考え直し。。。

 

・・・みたいな時期は。。。

 

占い師の彼との交流が終わった後も、

しばらくは、続いていたりした。

 

 

でも。

自分の中のその問題が、この。

 

『チベット死者の書』を読んだことで、

一気に、解決したのだった。

 

 

*******

 

 

『チベット死者の書』によると。。。

 

たしか。。。

 

死ぬと私たちは、、、

次々に、いろんな存在に出会うことに

なっていたのだったと思うけど。

 

どんなものに出会うのだったのか。

 

その、詳細はもう、忘れてしまった。

 

 

けど、死者の書の語り部は言う。。。

 

そういう存在に会っても、それは無視して、

光の方に進みなさい。

 

・・・と。

 

 

光の方に進むチャンスは何度もあるのだけど、

それを逃して、存在に気を取られ続けるうちに。

 

私達は最後。

 

再び、この世界に生まれ変わってしまう。。。

 

そして、死んでからそこまでがたしか、

四十九日間だと言っていたような気が。。。

 

もう、うろ覚えだけど(苦笑)

 

 

 

なるほど。。。と思った。

 

 

その時、光の方に進めば。

私達はきっと、「元に戻る」のだろうな。と。

 

そう思った。。。

 

 

でもそれって。

口で言うのは簡単だけど。

 

多分、ほとんどの人が出来ないと思う。

 

何も知らなければ。

無意識でいれば。

 

 

だって。

 

そこに現れる存在とか事象が。

 

自分が心から愛しているものだったり、

ものすごく大事なものだったりしたら。。。

 

そしてそれが。。。

まるで「本物」であるかのように生々しく、

自分を誘ってきたら。。。

 

誰だってつい、フラフラ~~っと

なってしまうだろうと思うから。。。

 

 

亡くした家族とか、恋人とか。。。

 

御馳走とか、豪邸とか、お金とか。

 

イケメンとか美女とか(笑)

 

生前、行きたかった場所とか。。。

綺麗な景色とか。。。

 

 

あとは、たとえば。

 

バレエの舞台の主役のチャンスとか。。。

ステージのスポットライトとか。。。(笑)

 

 

 

たとえ、スピに詳しい人であっても。

 

たとえば。

キラッキラの光の存在たちが、

まばゆい光と共に現れて。。。

 

そういう。

天使です、アセンデッド・マスターです、

〇〇星人です。。。みたいな高次元的な存在に。

 

あなたを迎えに来ました。

あなたは、我々の仲間です。

 

なんて言われたら。

 

やっぱり、至福を感じながら。

フラフラとついて行ってしまいそう。

 

 

でも。

そういうものをすべて振り切って。。。

 

ただの光の方へと進まなければ、

また、生まれ変わってくる。

 

 

・・・と、『チベット死者の書』は

言っていた。。。

 

 

*******

 

 

私がこれを読んで、確信したのは。。。

 

私達は、死んでもまだ。

夢からは醒めないんだ。。。ということで。

 

 

人間の私達から見た、「あの世」。。。

今風に言ったら、5次元的な世界。。。

 

・・・みたいな世界もまた。

この「夢の世界」の一部であって。。。

 

 

死んで、生まれ変わる。。。という。

いわゆる、輪廻転生もまた。

 

「すべてである私」が見ているこの、、、

夢の世界の中で起きていることだった。。。と。

 

それも含めた、夢だったのだ。。。と。

 

 

そこが解った時。。。

それまでに自分の中にあった謎が、

すべて氷解した。

 

 

あぁ。。。そうか。

 

死んでも、、、

目が覚めるわけではないんだ。。。

 

死んでも。。。

思い出すわけではないんだ。。。

 

「すべてである私」としての

自分のことを。。。

 

 

目が覚めないから。。。

 

夢の中でまた、輪廻するんだ。。。

 

眠ったままで。。。

 

 

だから私には、こんなに前世らしき

記憶のようなものがあって。

 

・・・ということは。

 

今までの私は、もうずっと。

 

光の方へと行かないで。

フラフラと何かについて行っていた。

 

・・・ということだよね。。。と(笑)

 

 

娘は生まれる前に、、、

お地蔵様に、「お手手はありますか?

お目目はありますか?」と訊かれた。。。と。

 

そんな話をしていたけど。

 

 

あれってやっぱり。。。

ここ。。。

 

チベット仏教で、「バルド」と呼ばれている、

ここで起こった出来事だったのかもな。と。

 

そんな風に思ったりした。

 

 

*******

 

 

この夢の世界は。。。

 

別に、悪いところではないと思っている。。。

 

 

なぜならそれは。。。

 

「すべてである私」の望みを叶える

場所でもあるのだから。。。

 

 

夢の世界。。。というのは、何も。

この地球。。。というか。

 

私達人間が認識している世界だけでなく。

 

今のスピ系の人達がよく言う、

5次元的な世界ですらも。

 

夢の世界の一部であって。。。

 

 

そんな夢の世界というのはきっと。

まだまだ、探索するところはたくさんあるのだろうし。

 

だから、人間であろうと。

人間とは違う何かであろうと。

 

また、生まれ変わってくること自体は、

別段、悪いことではない。。。と。

 

私は思っている。。。

 

 

でも。

 

その時期が来た時は、どんな人でも。。。

 

夢から醒めたい衝動に駆られるように、

出来ているのだとも思う。。。

 

 

そして。

いずれ、元の自分に戻っていくことに

なるのだろうと。。。

 

 

*******

 

 

つづく