運命の出会い 156 | TRIQUETRA ~Tributary Zone~

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2代目のブログです

以前、チベット仏教のラマ僧に会った時に。

 

虹の身体を獲得したら、、、

もう生まれ変わってこないのですか?

 

・・・と訊ねたけれども。

 

 

あの時彼は。

 

「いいえ」

 

・・・と答えた。

 

苦笑いしながら。。。

 

 

 

『チベット死者の書』を読み。。。

 

死んでもまだなお、

私達は眠りの中にいるんだ。。。

 

・・・ということに確信が持てた私は。

 

あの時のラマ僧の、

あの苦笑いの意味が。

 

ハッキリ解ってしまったような気がした。

 

 

やっぱり彼は。。。

解っていたのだろうな。と。

 

そう感じた。。。

 

 

 

ラマ僧たちはみんな。

一見、大人しそうな普通のおじさんにしか

見えなかったりするけど。

 

密教系のエキスパートでもある彼らは、

肉体を非物質化して、壁を通り抜けたり、

瞬間移動したり、自分で意図的に死んだり。

 

そういうことさえ、普通に出来てしまうし。

 

虹の身体の獲得は、、、

そういう修行の集大成のようなものだけど。

 

 

でも彼らは。。。

 

たとえ、それが出来るようになったとしても、

それで輪廻の輪から外れることが

出来るようになるわけではない。。。

 

本当に大切なのはそこではない。

 

・・・ということを、ちゃんと理解していて。。。

 

 

みんな最初は、体外離脱だとか物質化だとか。

 

そういう、超常的な力を獲得することに

目が行きがちだけど。

 

 

それが出来るようになったところで。

それだけでは、また生まれ変わってくるだろう。。。

 

 

・・・ということを、ラマ僧達自身が、

もう、知っていたからこそ。

 

 

あのラマ僧は、あの時、、、

苦笑いしたのだろうな。。。と。

 

そんな風に思った。。。

 

 

*******

 

 

そんな『チベット死者の書』と一緒に

借りてきたもう一冊の本。

 

ダライ・ラマの本は。

 

ダライ・ラマがまだ若い頃に行った

講話の内容を記した本だったと。

 

そう、記憶しているけど。。。

 

 

これもまた。。。

その詳しい内容は、忘れてしまった(苦笑)

 

 

ただ。。。

 

私はこの本を読んだとき、、、

 

「あぁ。。。やっぱり、これだよね」

 

・・・と。

 

強く、感動したのを覚えている。

 

 

ダライ・ラマが説くのは、、、

 

菩薩の道。。。

菩薩の在り方。。。

 

 

その在り方が。。。

 

私自身のポリシーというか、信念というか。

 

それと見事に一致していて。

 

ものすごく、スッキリしたのを、

今でもよく、覚えている。。。

 

 

 

それまでに出会ってきたもの。。。

 

たとえば、OSHOの教えとか、

カバラとか。

 

そういうものから、強く感じていたのは、

 

「仏陀の道・仏陀の在り方」

 

だった。

 

 

OSHO、カバラ。というよりは。

 

インドとかユダヤと言ったほうが

いいのかもしれないけど。

 

 

なんというか。

 

男性的な匂いを。

 

そこからは、強く感じていた。

 

 

そういうのも。

私は決して、嫌いではなく。

 

むしろ、すごく好きなのだけど。

 

 

でも。

どこかで何か、違和感を感じるのは。

 

今生。

私は女性だからなのかもしれないと。

 

そんな風に思ったりもした。

 

 

そして。。。

今回自分が、こうして女性として生まれたのにも、

きっと何かの理由があるはずで。。。

 

 

今、女性としての私が。

 

何の違和感も持たずに、スッと

受け入れられるものはやっぱり。

 

仏陀の道。。。ではなくて。

菩薩の道なのだろうと。。。

 

それを強く、実感した。

 

 

実感すると同時に。

自分の中にあった霧が消えて。

 

見事に空が、晴れ渡ったような

感じがした。

 

 

*******

 

 

ゾクチェンというのは。。。

 

仏教というよりかは、チベットに古くから

伝わってきていたボン教に属するもので。

 

インドから伝来してきた仏教は、、、

そういうチベットの土壌の上では。

 

多少、形を変えたりもした。

 

 

大乗仏教は。

本来の仏教ではない。。。と。

 

そんなことを言う人もいる。。。

 

 

たしかにそれは。

原始仏教と、多少ずれているところが

あったりもするのだけど。

 

 

そういうのもまた。。。

必然の流れだったのだろうなと。

 

そんな風に思う。。。

 

 

 

そういう流れは、なにも仏教だけでなく。

 

ユダヤ教だって。

 

ある時、ユダヤ人のイエスによって。

そこに、新たなエッセンスが加えられた。。。

 

 

そうやって私たちは。

すこしずつ、変化しながら。

 

「心」を進化させてきたのだろうとも思う。。。

 

 

 

仏陀の道。。。

 

私の中では、「男性性の道」である。。。

 

原始仏教やユダヤ教ですら。

 

そこが始まりではなくて。。。

 

 

それ以前には、私達人類には、

アニミズムやシャーマニズムの宗教があった。。。

 

そういうのが、魔女の宗教だったりするし。

 

チベットのボン教もおそらく、もともとは、

そっち系だったのだろうと思うのだけど。。。

 

 

その頃の私たちの意識は、

おそらくまだ、植物意識で。。。

 

自我もまだ、しっかりと

確立されていなくて。。。

 

だからこそ。

スピリットとテレパシックに

繋がることも容易だったのだろうなと。

 

そんな気がする。

 

 

人類の、自我の確立と共に、

シッダールタ王子のような人が現れ。。。

 

更なる意識の成長と共に、

今度は、イエスのような人が現れ。。。

 

 

仏教もユダヤ教も。

 

ただひたすら悟りを目指す形から。

 

愛の重要性を説く形に

変化していき。。。

 

 

ただただ、天に還りたい。。。

元に戻りたいという思い。。。から。

 

次は、人として、

心が充実した生き方を

求めるようになっていき。。。

 

 

だから。

大乗仏教や、イエスの言葉は。

 

私にとっては、「女性性」のイメージで。

 

 

なんだか。

 

自分のことを振り返ってみれば。

 

私個人が通ってきた道もまた。

 

人類全体が辿った道と、

同じなのだろうな。と。

 

そんな気がしてならなかった。

 

 

みんな結局は。。。

 

「生命の木」

 

・・・という、大きなひな型に沿って。

 

自分自身の道を、

辿っているのだろう。。。と。

 

 

*******

 

 

あの時。

 

ダライ・ラマの言葉に。。。

はじめてまともに触れて。

 

それ以降私は。

彼の、大ファンになってしまった(笑)

 

 

そしてふと。

 

昔観た、映画のことを思い出した。。。

 

 

ブラッド・ピット主演の

『セブン・イヤーズ・イン・チベット』

という映画。

 

 

 

 

 

 

あの映画を、初めて観た当時は。

 

あまり、面白いと思わなかったし、

その内容も、ほとんど忘れてしまっていた。

 

 

でも、ダライ・ラマに関心が出てきた時に、

再びその映画を観た時は。

 

感動する。

 

なんてものではなかった。。。

 

 

どうして昔は。。。

何も感じなかったのだろうと。

 

自分でも不思議に思ってしまうくらい。

泣けて泣けて、しかたなかった。

 

 

今頃になって私はやっと。

 

これを受け取る器の準備が

出来たのだろうな。。。と。

 

そう思った。。。

 

 

*******

 

 

つづく