以前のブログの中に。
この『セブン・イヤーズ・イン・チベット』を
観た時の感想が書かれていたので。
少し抜粋を。。。
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数年ぶりに観ました。
以前観た時とは、
全く受け取るものが変わっていました。
ブラッド・ピット演じるオーストリアの登山家、
ハインリヒ・ハラーと幼い頃の
ダライ・ラマ14世の交流の物語。
実話です。
チベットに侵攻してきた中国の将軍が、
幼いダライ・ラマに謁見したあと
その場を去る際につぶやいたセリフ。。。
「宗教は毒だ。」
この言葉を。。。
とても複雑な気持ちで見ていました。
そして、印象に残ったのは。。。
ダライ・ラマがハラーに
「なぜ登山をするの?」
と問い掛け、
その質問にハラーが答えるシーン。。。
「山を登っているとそのうち
頭が空っぽになってきて、
悩みも消える。
ただ、登ることだけを考えるようになる。
そのうち、景色が濃く見えてきて、
音も大きく聞こえてくる。
内側から生命力がみなぎってくるのです。
そして、それと同じ感覚を、
あなたと一緒にいる時にも感じる。」
・・・と。
中国に侵攻され、チベットはこれからが大変だ。。。
という時に、ダライ・ラマは、ハラーに、
国に帰って息子に会いなさい。。。
とすすめる。
自分が一番大変な時なのに、
彼を手放す。。。
なかなか出来ることではないな。。。と思いました。
やっぱりダライ・ラマという人は、
すごい人なんだな。。。
・・・と、素直に感じました。
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余談だけど。。。
この映画の監督は、フランス人の、
ジャン・ジャック・アノーだったことを。
昔の日記を読んでいて思い出した。
この監督の、『ラ・マン』という
映画を観て。
私は、作家のマルグリット・デュラスのことが、
とても好きになった。
『セブン・イヤーズ・イン・チベット』の映画と、
『ラ・マン』の映画にはどことなく、
同じ匂いが漂っていて。。。
私は。。。
その匂いがとても、
好きだったな。。。と。
そんなことも今、ふと。。。
思い出したりした。
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山を登ると、景色の色が濃くなる。。。
感覚が普段より鋭くなる。。。
・・・というのは、どうやら、本当のことらしい。
以前、登山が趣味で。
しょっちゅう山に登っているんだ。
・・・という人からも、そんな話を
聞いたことがあった。
その人曰く。
「高い山では、酸素が薄くなるから、
そういう現象が起こるんだよ」
・・・なのだそうだけど。
そんな状態で観る登頂からの景色は、
この世のものとは思えないほど、
美しいのだとか。。。
その人は。。。
かなり年配のおじいちゃんだったのだけど。
彼は、いたずらっ子の顔をして。
「ほらぁ。若い頃はさ、
よくマリファナ(大麻)を吸ったけど。
ああいう時と一緒だよ」
・・・って、言ってた(苦笑)
山を登り切った時に見える。。。
この世のものとは思えないほど
美しい景色。。。
その景色を写真に撮って、
あとで見てみても。
そこには、普通の景色しか映って
いないのだそうで。
だからああいうものは。
実際に山を登った人でないと、
観ることは出来ないんだよ。。。と。
その人は、言っていた。。。
登山家であったハインリヒ・ハラーも
きっと。。。
そういう美しさを、自身で
体験していたのだろうと思う。。。
そして。
内側から生命力がみなぎってくる。。。
そういう「感覚」を、
周囲の人に起こさせるダライ・ラマって。。。
彼の放つエネルギーは。。。
どれだけ、美しいのだろうか。。。
・・・と。
私はすごく、感動してしまった。。。
そして。
自分もいつか。。。
そんな人になれたらいいな。。。と。
そう思ったな。。。
この映画を観た時。。。
愛を、放射出来る人。。。
無言で。。。
ただ、エネルギーで語れる人に
なりたい。。。
・・・と。
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あの時も私は。。。
チベットの仏教を、深く学びたい。。。
・・・という気持ちは、ほとんど起こらなかった。
ただ。
そんなエネルギーを放つことが出来る、
ダライ・ラマ。。。という人の生き様を、
もっとよく、知りたくなった。。。
だから、こんな本も読んだ。。。
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この本を読んだとき。。。
ダライ・ラマって、「宗教家」というより、
「政治家」だな。。。と。
そんな印象を受けたのを覚えている。
でも。。。
もし、国のリーダーが、ダライ・ラマのような
人達ばっかりだったら。。。
世界はきっと。
平和になるだろうな。。。と。
そんな風に思った。。。
この本の表紙の写真をみた娘が。。。
「ねぇ、ママ。
ダライ・ラマって、なんだか普通の、、、
そこらへんにいるおじいちゃんに
見えるんだけど」
・・・と言った。
そして私は。。。
そこが、チベットの素晴らしいところだ。。。と。
そう思った。。。
観音菩薩の化身と言われている
ダライ・ラマ。。。
彼のその自伝の。
一番最後に書かれていた部分を。
今という時にまた。。。
ここに、載せておこうかと思う。。。。
この苦しみは無知によって引き起こされており、
人は己の幸せと満足を得んがため
他者に苦痛を与えているのだと固く信じている。
しかし真の幸せは心の平安と充足感から生まれるものであり、
それは愛他主義、愛情と慈悲心を培い、そして怒り、自己本位、
貧欲といったものを次々と根絶してゆくことによって
獲得できるものなのだ。
ある人々には、これは無邪気すぎるように
聞こえるかもしれないが、
その人に言いたい。
どんな世界から私達が生まれてこようと、
根本的にわれわれは同じ人間なのだ、と。
私達全ては幸せを求め、
苦痛を避けたいと思っている。
われわれの基本的要求と関心は同じなのだ。
さらに、私達全ては自由を欲し、
個人として己の運命を決定する権利を求めているのだ。
これが人間性というものである。
<中略>
今日われわれが直面している諸問題、武力衝突、
自然破壊、貧困、飢えその他諸々は、ほとんど人間が
作り出しているのだということを忘れてはならない。
それらはきっと解決しうる。
だが、それは人間的努力、相互理解、兄弟姉妹感を
育てることによってのみ可能なのだ。
これを成し遂げるには、善意と自覚に立って、
お互いに対する、そしてわれわれが共有する地球への
普遍的責任感を深めていかなければならない。
愛と慈悲の心を育ててゆくうえで、わたしにとっては
仏教が役立っているが、愛や慈悲といった資質は、
宗教があってもなくても誰でも深めてゆけるものだと
確信している。
そしてわたしはさらに、すべての宗教はみな同じ目標、
善なるものを培い、すべての人間に幸せをもたらす、
という共通の目標を追求していると信じている。
方法こそ違っているように見えても、目標は同じなのだ。
私達の生活に、科学がますます大きな影響を及ぼすにつれ、
宗教と精神性もまたわたしたちの人間性を考えさせるうえで
いっそう大きな役割を担ってきている。
両者の間に矛盾はない。
どちらも互いへの貴重な洞察をもたらしてくれる。
科学と仏陀の教えはともに、すべてのものの
基本的合一性を私たちに告げているのだ。
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つづく
