ダライ・ラマの講演会は二日間あって。
一日目は、普通に仏教のお話。
そして、二日目はダライ・ラマと
科学者の人達の対談。。。ということに
なっていた。
私は、その両日とも
行ってみることにしたのだった。
場所は、東京の両国国技館。
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あの時のことで、印象に残ったことが、
いくつかある。。。
まずは、初日。。。
その日は、開場時間が予定よりも
だいぶ遅れた。
そして、会場が開いて中に入ったあとも、
そこから講演会が始まるまで、
ものすごく、待たされた。
おそらく、1時間以上は
遅れていたと思う。。。
感覚的には、2時間くらいは
中で待っていた感じがするけど。
関係者の人も、多少焦っていたような
感じで。
何度もアナウンスが流れた。
「ダライ・ラマの到着が遅れています。
申し訳ありませんが、
もう少々、お待ちください」
・・・と。
そのうち、ステージの上に人が出てきて、
マイクで、状況説明をしては、
頭を下げてくれていた。。。
その時は、会場がやたらと蒸し暑くて。
しかも、私は一人での参加だったので、
誰かとおしゃべりをして気を紛らわす。
ということも出来ず。
長い間、じっと待っているうちに、
少し、具合が悪くなってきていた。
そういう時は、瞑想でもすれば
ラクに時間を過ごせるんだろうなと。
そう思ったのだけれども。
なんだか、ああいう場で。
ひとりで瞑想するのって、ちょっと、
気恥ずかしい感じがして(苦笑)
「あぁ。。。早く来て~~~」
・・・と思いながら、じっと耐えていた。
そうしているうちに、やっと。
ダライ・ラマは姿を現した。。。
でもその時。
ダライ・ラマは、なぜこんなに遅刻したのか。
みたいな話は一切しなかったし。
「遅れてごめんなさい」
・・・みたいな、謝罪の言葉も、
一言もなかった。
私は、そんなダライ・ラマの姿を見て。
いろんなことを、考えてしまった。。。
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ある人が何かを言った時は、
特に何とも思わないのに。
まったく同じ言葉なのに、
それを別の人が言うと、
なぜか腹が立ったり。
・・・みたいなことって、
よくあると思う。。。
この人が言うと、すごく感動するのに、
この人が言うと、胡散臭く感じる。
・・・とか。
いつもだったら。
相手にダライ・ラマのような態度を取られたら。
その人が、なんの連絡もなく、
待ち合わせに大遅刻してきて、
謝りもしなかったら。
私は多分。
その人の人格を疑うと思う。
けれどもあの時は、、、
ダライ・ラマのそんな態度を見ても、
不思議と、全然イライラしなかった。。。
具合が悪くなるくらい、待たされたのに。
感情的にも、まったくイライラしなかった
自分が不思議で。
だから私は。。。
いろいろと、考え始めてしまった。
なぜ私は。。。
イライラしていないんだろう?と。
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世界中を眺めても。。。
こんなに時間にキッチリしているのは、
日本だけだ。。。
・・・みたいな話を、聞いたことがある。。。
そういう日本という環境に
生まれて育った私にとって、
「時間を守る」
・・・ということは、当たり前のことであり。
そういうことに対して。
「なぜ?」
・・・という疑問を持つことさえなかった。。。
それはもう。
当たり前の常識として、
自分の中に、染みこんでいた。。。
だから私は最初。。。
あの、ダライ・ラマという人が、
大遅刻??
遅刻して、いろんな人に迷惑をかけたのに、
まったく、謝らない???
・・・と、そこにびっくりしていたのだけど。
なんだか、それ自体が。。。
私が、「小さな括り」の中に、
囚われていたことの証拠だな。。。
なんてことに、気づいたりした。。。
日本人の価値観。
日本人の物の捉え方。
・・・という、小さな括りに。。。
「時間を守る」という。。。
日本人の常識。。。
でも、その価値観に囚われたままで、
外国の人の行動を判断してしまうと。
やっぱり、色々、見誤るよね。。。
と、あの時、実感した。
人として生きるダライ・ラマの世界には。
「時間を守る」
・・・という、概念が。
私達日本人ほど、重要なものでは
ないのだろう。。。と。
そう思った。
だからと言って私は。。。
それが、良い、とも。
悪い、とも思わない。
それは、それなのだ。。。
それに私はやっぱり日本人で。
こういう環境で育ってきたので。
「時間を守る」
・・・という常識は好きだし。
それをやめようとも思わない。。。
いくら、ダライ・ラマがそうだからと言っても。
どこかのマスターがそうだからと言っても。
何から何まで、彼らと同じように
しようとは思わない。。。
日本人には日本人の在り方があって。
それはそれで、いいのだと思うから。。。
ただ、私達が時間を守ろうとするのは、、、
その根底に。。。
「人に迷惑をかけたくない」
・・・という思いがあるからで。。。
そういう「思い」は。
ダライ・ラマもまた持っている。。。
・・・ということを、私はどこかで
感じていた。。。
そして、そこが同じであることが
なんとなく解るから。
だから、イライラしなかったのだろう。。。と。
その「思い」を表現する手段は。。。
それぞれの国の「常識」によって、
色々と違うけれども。
その根底にある思いが同じであるのに、
表面的なそんな些細な違いで、
腹を立てるなんて。
それって。
すごく、馬鹿馬鹿しいことだ。。。
・・・と。
あの時、しみじみ思ったな。。。
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長々と書いたけれども。
こういうことはおそらく。
「感覚」を使えば、
瞬時に解ることなのだろうと思う。
だって私は。
ダライ・ラマが遅刻してきても、
謝らなくても。
なぜか、全く腹が立たなかったから。
その人の「本当のところ」はおそらく、
その人から、放射されている。。。
エネルギーとなって。
そのエネルギーを、瞬時に受け取るのは
やっぱり、「感覚」なのだと思う。
「頭」ではなくて。
でも、この感覚で感じたものを無視して。
「常識」から、、、つまり、「頭」から先に入って、
物事を判断すれば。
「なぜ、謝らないんだ!
遅刻した理由を言え!」
・・・みたいに、怒ってしまうのかもしれない。
ここで長々書いたことも、
結局は、あとから「頭」が理解したこと。
理解した。。。というか。
「意味をつけた」。。。というほうが、
正しいのかもしれない。。。
そして、最初に「感覚」で捉えたことを、
あとから「頭」で理解する時は。。。
「意味付け」するときは。。。
そこに、出来るだけポジティヴな意味を
見つけたいものだと。。。
いつも思う。。。
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・・・と、こんなところまで考え。
ひとりでしみじみ納得していた頃には。
ダライ・ラマの説法も、もうだいぶ
進んでいたりした。。。
私はそれを、片耳では
聞いていたけれども。。。
こうやって、あれこれ考え事を
していたから。
ダライ・ラマがあの時。
どんな話をしたのだったか。。。
ほとんど、覚えていなかったりする(苦笑)
けれども。。。
説法とは全然違う部分で、
私はやっぱり。。。
ダライ・ラマからは、
いろいろ学ばせてもらえていた。。。
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つづく