TRIQUETRA ~Tributary Zone~

TRIQUETRA ~Tributary Zone~

2代目のブログです


Amebaでブログを始めよう!

随分長い間、

書き連ねてきたこのお話も。

 

今日で、お終い。。。

 

 

できれば。

2020年のうちに書き終えたい。

 

・・・と思っていたので。

 

 

ちょうどいい時期に、

終われてよかった。

 

 

******

 

 

今。

 

世界中の多くの人達が

注目しているであろうことは、

きっと。

 

 

アメリカの大統領選挙。

 

 

共和党のトランプと。

民主党のバイデン。

 

 

なんだか、今回の選挙は、

とんでもないことになっている。

 

 

いろんな情報が飛び交って、

一体、何が本当のことなのか。

 

 

けれどもなんとなく。

 

どちらの候補が勝つかによって。

 

今後の世界の進む方向が、

かなり変わっていきそうなのは。

 

誰もが予感していることのような

気がしないでもない。

 

 

トランプは。

バイデンは。

 

 

私達人類の意識の中の。

 

一体、何の象徴なのかな。。。

 

・・・なんて思いながら。

 

 

この流れを観ていた。。。

 

 

******

 

 

この、「記憶の物語」を

書くに至っては。

 

キッカケがあった。

 

 

 

ある日。

 

以前、スタディ・グループで

交流のあった人から、メールが来て。

 

その人から、シェアされたのだ。

 

「悟り」について、あれこれ語っている、

あるスピリチュアル・リーダーのブログを。

 

 

スタディ・グループにいた頃から、

彼女は。

 

「覚醒すること」を、

真面目に目指していて。

 

 

そのブログの内容に、

感動した。。。と。

 

そう言っていた。

 

 

 

でも私は。。。

 

それを読んだら、

彼女のことが、心配になったのだ。

 

 

そして。

子供達のことも。。。

 

 

今は。

 

悟りについて、饒舌に語る人は、

驚くほど増えたけれども。

 

その分、惑わされる機会も、

増えてしまったのだなぁ。。。と。

 

 

 

でも。

 

そういうことがあって。

 

気づいた。

 

 

「子供たちのために

書き遺しておきたい」

 

 

・・・という熱が。

 

 

自分の中に灯ったことを。

 

 

この「熱」が。。。

 

最後の最後まで、

私の中に残っていた熱だったの

かもしれない。。。と。

 

 

******

 

 

この「熱」というのは、

「エゴ」でもあり。

 

 

でも多分。

 

 

その「熱」が、

この世界を。

 

実際に動かしている。。。

 

 

「エゴ」が。

 

 

「我」が。

 

 

 

人は誰しも。

 

「今よりも良くなりたい」

 

「今よりも楽しくありたい」

 

「今よりも幸せになりたい」

 

 

もっと。。。

もっと。。。

 

 

・・・と願うけれども。

 

 

もし、エゴが魂のように

透明になったら。。。

 

 

自分が消えてしまうのだ。。。

 

 

その、「もっと」も、

消えてしまうのだ。。。

 

 

もし。

 

この世界にいるすべての

人が。

 

「本当に」悟ったら。

 

 

その瞬間。

 

この世界は、消滅するだろう。と。

 

私は思う。。。

 

 

 

だから子供達には。。。

 

悟りのことなんて気にせずに。

 

今を、一生懸命生きてほしい。。。

 

 

人間としての今を。

 

ひとりの人間として。

 

 

だから。

 

私がここで書いたことは。

 

まだ若いうちは、

そんなに真剣に読まなくてもいい。

 

 

若くなくても。

自分の内側に熱量が

充実しているうちは。。。

 

 

悟りなんて目指さずに。

 

今、目の前にある現実を、

十分に楽しんでほしい。。。

 

 

たくさん遊んで。

たくさん苦労して。

 

たくさん笑って。

たくさん泣いて。

 

 

 

もし。

 

自分の人生の中に

秋風が吹いてきて。

 

 

どこかに、ほんの少し、

「虚しさ」のような感覚が

湧いてきたら。

 

 

その時は、

この「遺書」のことを

思い出してみて。

 

 

******

 

 

これを読んだ時に、

子供達が。

 

何を感じて、何を思うのか。。。 

 

 

そういうことはもう、

私の手の内にはない。。。 

 

 

これが唯一正しい生き方だと

言うつもりもない。

 

 

これは単に。

 

私がどういう道を

辿ってきたのか。

 

 

・・・という、

ひとつの「記憶」でしかない。

 

 

それを私はただ。

ここに置いておくだけだ。。。

 

 

 

ここで書いてきたようなことは、

多分。

 

これまで、長い長い間、

私と一緒に生活を共にしてきた

家族であれば。

 

 

わざわざ言葉で諭さなくても、

見ていて解っただろうと思う。

 

 

私は。

 

言葉で語り聞かせるよりも。

 

自分がそれを生きることで、

子供達に見せてあげたかったから。。。

 

 

 

でも。 

 

記憶というものは、

いつか薄れていくものだし。。。 

 

 

それは時と共に。

 

想い出の中で、

変化してしまうものだし。

 

 

だから。

 

目に見える形として。

 

ひとつの記録。

ひとつの物語として。

 

ここに遺しておきたくなった。

 

 

 

これはきっと。

 

私の最後の「エゴ」だ。。。と。

 

 

そう思いながら。

 

 

 

そして。

 

「物語」というものは。。。

 

読み返すたびに、

その内容が変わるものだから。。。 

 

 

子供達が、ふと思い出して、

読み返すたびに。

 

 

この物語もまた。 

きっと。 

 

その姿を

変えていくのだろう。。。

 

 

******

 

 

今、Huluで観ている、

 

『オスマン帝国』を舞台にした、

スレイマン1世とヒュッレムのドラマも。

 

もう、秋風が吹きまくり。

そろそろ冬を迎えそうだ。

 

 

あのドラマは数年前に、

YouTubeで、英語字幕付きで

一度観てしまったので。

 

結末はもう、知っているのだけど。

 

 

やっぱり、日本語字幕つきは、

いいね。。。

 

細かいところも、よく解る。

 

 

ドラマと言えば。

 

最近は、ドラマが普通に、

観れるようになった。

 

 

前は、子供達のお遊戯会を

観ているようで。

 

全然観る気が起きなかったのに。

 

今はなんだか、

素直に楽しめている。

 

 

横浜流星くんが。

 

子供達よりも年下なことに、

時の流れをしみじみ感じながら(笑)

 

 

『鬼滅の刃』は、

4話まで観て脱落したけど。

 

また今度。

続きを観てみようと思う。

 

 

・・・と、思いながらもう。

とんでもない時間が過ぎた。。。

 

 

そして最近は。

 

若者たちの音楽が、

軽くて耳に心地よい。

 

 

あとは。。。

 

家族でずっと追ってきていた、

我が家のご先祖のことや。

 

諏訪に関わることも。

 

ある程度、

見えてきたものがあった。

 

 

これからも家族で。

それを楽しんでいくのだろう。。。

 

共通の趣味。のようにして。

 

 

******

 

 

夏の夕暮れ時。。。

 

綺麗な音色の風鈴に、

豚の蚊取り線香。

 

浴衣姿で。

 

そして、うちわであおぎながら。

 

縁側に座って、

庭をボーッと眺める。。。

 

 

そんな風景が。

 

最近よく、

脳裏に浮かぶ。。。

 

 

 

残りの幻想世界生活は。

 

そんな風に。。。

 

 

******

 

 

おわり

 

 

 

 

「何もしない」というのは。

 

何も自ら意図的に、

何もしないわけではなく。。。

 

 

正確に言えば、それは。

 

「何も起こらない」

 

・・・であり。

 

 

その「起こらないこと」に対して、

心底、幸せを感じている。

 

・・・ということ。

 

 

 

「何も起こらない」

 

・・・というのは。

 

 

例えば。

 

こうしている間にも、

世は、新型コロナウイルスのことで、

バタバタしていて。

 

だから、実際は、

何も起こっていないわけではないし。

 

 

世界の状況を、

完全に他人事として。

 

まったくの「無関心」に

なっているわけでもないのだけど。

 

 

そういう状況の中にいても。

 

私自身は、

何も変わらないのだ。。。

 

 

コロナが起こる前と、

起こった後で。

 

私は、何も変わらない。。。

 

 

 

自分の中に何か。

 

静かで、不動なものがあって。。。

 

 

 

そして、どこかで。。。

 

私はもう。

「引退」してしまっている。

 

・・・という感覚がある。

 

 

 

この世界にいながら。。。

 

なんだか、どこか遠くから、

この世界を眺めている。

 

 

静かに。。。

 

ただ、静かに、

それを観ている。。。

 

・・・みたいな。

 

 

 

この感覚は。。。

 

「すべてである私」

 

・・・の感覚に近くて。

 

 

昔。

 

鬱状態を経験した時は、

自分が。。。

 

 

人間Lyrica(自我)が、

この「すべてである私」の意識と

同化してしまうことに。

 

心地よさを感じつつも。

 

でも、どこかで抵抗していて。

 

 

「戻りたい、戻りたくない」

 

 

・・・というジレンマの中でもがき。

 

ものすごく疲労してしまったけど。

 

 

今は。

 

そういうジレンマがもう、

ないのだ。

 

 

無気力、とか。

無感動とか。

 

そういうのともまた、

違う。。。

 

 

映画を観れば、

相変わらず、号泣するし。

 

家族とは、馬鹿ばっかり言い合って、

毎日、大笑いしているし(笑)

 

 

でもそういう自分が、

自分の中で。。。

 

 

ただ起きては消えていく、

自分なのだ。。。

 

 

*******

 

 

魂。というのは、、、

 

この「すべてである私」の欠片。

 

・・・というか、自分が本当は、

「すべてである私」である。

 

・・・という意識というか、

自覚を保ちながらも。

 

 

同時に、「すべてである私」には、

実感することの出来ない「感覚」

 

「個としての自分」という

感覚を持っているものだと。

 

 

私は思っているのだけど。

 

 

今の自分の状態はおそらく。

 

Lyricaとしての自我が。。。

 

その魂の感覚に、シンクロしてきた

状態なのだろうな。。。と。

 

そんな気がしている。

 

 

*******

 

 

もし今。

 

自分に「死」が訪れたとしても。

 

それはそれだな。と。

 

そう思っている。

 

 

かと言って。

 

自ら死のうとか、

そういうことは、まったく思わないし。

 

この、「人間の身体」を

纏っている以上。

 

本能で。

 

自らの命を守ろうとは

してしまうだろうけど(笑)

 

 

もし、今日死んだとしても。

 

後悔することは、何もない。

 

 

 

昔は。。。

 

まだまだ小さな子供達をおいて

逝くことは、決して出来ない。。。と。

 

そう思っていたけれども。

 

 

今はそういう思いも。

かなり、薄れてきた。。。

 

 

本当に、人生とは。。。

 

成るように成っているものだ。と。

 

しみじみ思う。

 

 

*******

 

 

カルマがなくなってきた。

 

・・・と言っても。

 

ここにこうして。

 

人間として生きている以上。

 

まだきっと。

何かは残っているのだろう。。。

 

 

本当に何もなくなったら。

 

ここにいる必要も

なくなるだろうから。。。

 

 

それが何かはもう、

よく解らないし。

 

追求する気も、もうない。

 

 

先のことなんて、

解らないし。

 

 

あとは本当に。

 

ただユラユラと。

 

流れにまかせていくだけだ。

 

 

*******

 

 

昔は。。。

 

・・・というか、つい最近まで。

 

この「人間」というものを、

十分に楽しむこと。

 

それが私の生きがいで。

 

 

この世界は。

 

本当に「貴重なもの」だと

思っていたから。。。

 

 

だからたとえ、

死んだあと、またこの世界に

戻ってきたとしても。

 

それはそれだ。と。

 

そう思っていた。

 

 

人間的時間の感覚でいったら。

 

それは、遠い未来かもしれないし、

長く果てしない時間が

かかるのかもしれないけど。

 

 

でもいずれは。

 

どんな人でも必ず。

 

「すべてである私」に

戻っていくものだと。

 

 

それを私は。

 

信じて疑っていなかったから。

 

 

それが私にとっての、

事実だったから。

 

 

人間には果てしなく長い

その時間さえも。

 

「あの私」にとっては。。。

 

「すべてである私」にとっては。

 

ほんの一瞬のこと。

 

・・・でしかないのだから。。。

 

 

 

仏教者が「解脱」を目指したり、

キリスト教信者が、「天国」を

目指したりするのを見て。

 

ニューエイジ信奉者の人達が、

「アセンション」を夢見るのを見て。

 

 

どうしてみんな。。。

 

この人間の世界を。

「今」を。

 

そんなに嫌うのだろう。。。と。

 

そう思っていた。

 

 

そういう人たちは、きっと。

 

ここで、幸せを

実感できていないのだろうと。

 

 

そう思っていた。

 

 

でも。

 

この貴重な世界の中で、

心底、満足しなければ。

 

満たされなければ。

 

またきっと。

ここに戻ってくるだろうに。と。

 

そう思っていた。

 

 

ずっと。

 

そう思っていた。

 

 

 

けれども。

 

最近は、思うのだ。

 

 

「なんだかもう。

人間の体験も、お腹いっぱいかも」

 

・・・と。

 

 

この、「人間ゲーム」はもう。

 

やり尽くしたかも。。。

 

・・・と。

 

 

*******

 

 

「人間ゲーム」

 

そのゲームの世界はきっと。

 

そこに、「私」と「あなた」がいる世界。

 

そこに、「他者」がいる世界。

 

 

この地球も含めた、

私達人間が想像できる、

ありとあらゆる宇宙には。

 

そこに、「私」と「あなた」がいて。

 

あらゆる、ドラマを

繰り広げている。。。

 

 

自分自身がその、

登場人物になって。

 

 

繰り返し、繰り返し。。。

 

 

もう、やりたいことがなくなるまで、

遊び続ける。。。

 

 

 

時代と共に、

物語の舞台や背景は変わるけど。

 

 

そこにはいつも、

 

一定の覚者がいて。

 

一定の王族がいて。

 

一定の聖職者がいて。

 

一定の芸術家や科学者がいて。

 

一定の庶民がいて。

 

他にもいろいろあって。

 

 

やりたい役を演じる。。。

 

 

魂は、次から次へと

発生してきて。

 

だから。

 

このゲームに飽きて、

どこか他に旅立った魂がいても。

 

 

次にはまた新たな魂が。

 

このゲームの中に

吸い込まれてきて。

 

 

そうやってずっと。

 

ここは、保たれているような。

 

そんな気がした。

 

 

 

この人間ゲームに飽きた魂が。。。

 

次にどこに行くのかは。

 

私には解らない。。。

 

 

 

今回の人生の物語が

終了したら。。。

 

 

私の魂は。

 

まだまだ、幻想の世界に留まり続け。

 

今の私には想像もできなかったような

違うゲームをプレイしにいくのか。

 

 

それとも、「すべてである私」の中に

溶けて消えていくのか。。。

 

 

それも解らないし。

どっちでもいいや。。。とも思う。

 

 

ただもう。

 

人間ゲームは飽きたかな(苦笑)

 

 

 

・・・といいつつ。

 

またここに吸い込まれたとしても。

 

 

それはそれだ。。。

 

 

*******

 

 

こういう私のもとで育った

子供達は。。。

 

ある頃までは。

 

こういう考え方が当たり前として、

生きてきたけれども。

 

 

ある程度大人になり。

 

自分の足で、

社会の中に踏み込んでいった時。

 

 

今までの自分の在り方。

 

・・・というか、我が家の在り方が。

 

 

世間一般の在り方とは、

相当ずれていることを、

実感したらしい。。。

 

 

やっと。

 

 

 

私が普通の社会の中で。

 

どれだけ、自分を演じながら、

周りに合わせながらやってきて

いたのかが。

 

やっと、解ったらしい(笑)

 

 

 

私の在り方と。

 

子供達が今、

外で関わっている人たちの在り方と。

 

 

一体どちらが正解なの?

 

 

・・・ということで、

特に娘は一時、混乱していた。

 

 

そんな彼女の姿を見て。

 

大人になったなぁ。。。と。

 

しみじみ思った。。。

 

 

 

「どっちがラク?」

 

・・・と訊いたら、娘は。

 

「こっち」

 

・・・と、答えた。

 

 

けれども、外で。

 

家での在り方そのままで

やったら。

 

きっと、浮いてしまうだろうとも。

 

娘は言っていた。

 

 

 

「どっちが正解かなんてことは、

ママが決めることではない。

 

あなたはあなたの目で

よく見て。

 

そして、

自分の生き方は、

自分で決めなさい。

 

あなたが自分で決めたことなら、

ママはそれを尊重するよ」

 

 

・・・とだけ、言っておいた。

 

 

*******

 

 

つづく

 

 

 

 

昔、『源氏物語』を読んでいたら。

 

主人公の光源氏は、晩年。

 

最愛の紫の上に先立たれ。

そして、最後は出家していた。

 

 

生前、その紫の上も、

人生や、その他いろいろなことに

思うことあって。

 

源氏に再三、出家したいと

申し出ていたけれども。

 

最後まで、源氏はそれを

許さずに。

 

彼女を自分の手元に、

置き続けた。。。

 

 

 

源氏物語は、紫式部の

創作の物語ではあるけれども。

 

でも。

あのお話の中に出てくる

生活スタイルとか、人の在り方とか。

 

そういうものは、当時の。

 

平安時代の貴族たちの

生き方がそのまま、反映されて

いたりするのだろうなぁ。。。と。

 

そう思っていた。

 

 

 

あれだけ、華やかな人生を

送った光源氏も。

 

晩年には、秋が来て。。。

 

 

彼も最後は、出家して。

仏の道に入っていったけど。

 

 

源氏のああいった姿を、

どういう風に捉えるのか。

 

・・・というのもまた。

 

人それぞれなのだろうと。。。

 

そう思う。。。

 

 

自分には、彼の姿が

どういう風に映っているのか。。。

 

 

そこを観察すればきっと。

 

「今の自分」がそこに、

見えてくるのだろう。。。

 

 

*******

 

 

源氏が出家した年齢というのが、

たしか、50代だった気がして。

 

調べてみたらそれは、

どうやら、52歳だったようだ。。。

 

 

平安時代の人達と、

私達現代人は違う。。。と。

 

誰しもそう思うと思うし。

 

私もそう思っていた。。。

 

 

だから。

 

英会話の先生が。

 

「50歳になったら引退したい」

 

・・・と言っているのを

聞いていた時も。

 

 

「そうだよね。。。

私もそうしたい」

 

 

・・・と思う自分がそこに

いながらも。

 

でも、マインドはまた、

あれこれ言っていた。

 

 

「気持ちはすごく解るけど。

でも、それは理想だよ。。。

 

現実問題、それはやっぱり

難しい」

 

・・・ってね(苦笑)

 

 

生きていくには、

お金は必要だし。

 

そのためには、

働かなくてはいけないし。

 

・・・みたいな。

 

そういう、現実的なことを、

どこかで考えてしまっていたりした。

 

 

ただ。

 

そういう「現実的なこと」は、

脇に置いておいて考えてみれば。

 

 

あの頃の私の中には、

既に。

 

「なんだか。

やることはもう、やりきったなぁ」

 

・・・という感覚があったのは、

確かで。。。

 

 

だから。。。

 

この社会から。

 

本当に一線を引けるなら。

 

引退できるのであれば。

 

それは私にとっての、、、

「本当の幸せ」かもしれない。と。

 

 

どこかで、うっすらと。

感じていた。。。

 

 

 

たしかに。。。

 

平安時代と現代とでは。。。

 

纏う衣装は変わったけれども。。。

 

 

人間そのものは。。。

 

「生命の法則」は。

 

 

その、、、

根底にある「生命の樹」は。。。

 

 

きっと。

今も昔も。

 

何も変わっていないと。。。

 

 

*******

 

 

イエスやブッダが。。。

 

生き生きと活躍していたのは。

 

たしか。

30代くらいだったと思う。

 

 

私自身、今。

 

自分の人生を振り返ってみても、

感じる。。。

 

 

その時期が。

人生の中でも一番。

 

 

「人間を、

しっかりやっていたなぁ」

 

 

・・・と。

 

 

25歳くらいから。

40代前半くらいまで。

 

 

 

うまく言えないけれども。

 

私が。。。というよりも。

人間という生き物は。

 

そのくらいの時期が一番。

 

社会に貢献できる時期

なのかもしれない。。。と。

 

そう感じたりした。

 

 

「エネルギー的」。

 

・・・な意味で。

 

 

 

そういう時期を過ぎると。

 

人生に秋が来て。。。

 

 

その「秋」を。

 

自分の中でどう捉えるのかに

よって。

 

その後の残りの人生の、

過ごし方もまた。

 

変わってくるのだと思う。。。

 

 

 

通り過ぎてきた、春や夏に

ずっと心を囚われたまま

生きていくのか。。。

 

 

それとも。

 

冬そのものの美しさを、

堪能しながら生きるのか。。。

 

 

*******

 

 

19歳の時に。。。

 

「すべてである私」

 

・・・としての自分の記憶が蘇り。

 

 

私は、最初から。。。

「あの私」であったことを知った。

 

 

自分はひとりの人間であると

信じこんでいた。。。というか。

 

そんなことすら、考えずに、

人間であることを当たり前として

生きていた時ですら。

 

本当は。

 

「あの私」でしかなかったことを、

思い出してしまった。

 

 

 

そうしたら。

 

こうして今、この幻想の世界で。

 

「Lyrica」という人間として

存在しているという「感覚」で

いられること。

 

その感覚を、

ここまでリアルだと感じられること。

 

 

それはまるで、

奇跡のように思えた。

 

 

宗教や、スピリチュアルの世界では、

その「分離」の感覚こそが、

私達人間を不幸にしている。

 

・・・と、説くけれども。

 

 

でも、本当はそうじゃない。

 

 

その「分離の感覚」が

あるからこそ。

 

私達はこうして。

ここで、物語を繰り広げられる。

 

 

その物語を通して。

いろんなことを感じたり。

考えたりできる。

 

 

自分が自分の物語の

主人公になって。。。

 

「他者」。

 

・・・が、そこにいて。

 

 

愛し合ったり、

いがみ合ったり。

 

 

そういうことが、出来るのだ。。。

 

 

 

本当は。。。

 

私は、ひとりなのに。。。

 

本当に存在しているのは。

 

「すべてである私」という、

自分だけなのに。

 

 

まるでそこに。。。

 

「自分ではない人」が

いるかのように感じられる

この感覚というものは。

 

もう、奇跡だ。。。

 

 

 

私達はその、「分離の感覚」が

あるからこそ。

 

人間という「制限」があるからこそ。

 

記憶喪失になっているからこそ。

 

 

こうして。

 

ドラマを楽しめている。。。

 

 

 

19歳のあの時。。。

 

だから今って。。。

なんて、貴重なんだろうと。

 

そう思った。。。

 

 

こんな。。。

 

自分が人間であると、

疑えないほどにリアルに。

 

それを感じることのできる

今って。

 

なんて、

素晴らしいことなんだ。。。と。

 

 

だから。。。

 

どんなことがあったとしても。

何が起こったとしても。

 

それを今、

体験しつくさなければ。

 

もったいない。。。と。

 

 

いつも。

 

そう思っていた。。。

 

 

 

そのうち。。。

 

この幻想の世界の中には、

法則があることを知り。

 

 

私はその法則に。。。

 

生命の樹にのっとった、

このゲームに夢中になった。。。

 

 

「すべてである私」に

とっては。

 

これは、ゲームなのだ。。。

 

 

けれども。

 

魂も含めた、「人間Lyrica」という

個人にとっては。

 

これは、自分の人生の物語であり。。。

 

 

その両方の感覚の間を。

 

私はいつも、、、

行ったり来たりしていた。

 

 

・・・というより。

 

そのふたつの感覚を、

同時に生きていた。

 

 

今回の人生の物語の中では。。。

 

 

 

そうしているうちに、

だんだん、実感として。

 

解ってきた。

 

 

この世界で。

 

地球という舞台上で

繰り広げることのできる、

「人間ゲーム」の。

 

その、

真のラストシーンが。

 

どういうものなのかを。

 

 

 

それは多分。。。

 

人間としての自分が。。。

 

 

この世界の中でできることを

十分に生ききって。

 

 

そして。

この世界に対して。

 

心底、飽きること。

 

 

多分、人って。。。

 

自分のカルマがほとんど

なくなると。

 

 

この世界に飽きるのだと。

 

 

そう思った。

 

 

 

そうやって飽きた時に、

初めて。

 

 

自分の中に。

 

「すべてである私」と同じ。

 

「静寂さ」

 

・・・が、出現してくる。。。

 

 

その時。

人間である私の意識は。

 

「すべてである私」の意識と、

ほとんど同化したようになり。。。

 

 

今まで、体験したことも

なかったような。

 

「幸せ」が。

 

やってくるのだな。。。と。

 

 

それは。

 

「何もしない」

 

・・・という幸せ。

 

 

 

「磁力」が発生しなくなる。

 

その「磁力」は、「縁」であり。

 

「縁」とは「カルマ」でもあるから。

 

 

 

カルマがなくなると、

何にも引き寄せられないし。


「刺激」ももう、

必要なくなる。

 

 

何も起きなくなるし。

 

起こそうとも思わなくなる。

 

 

「衝動」が。

起こらなくなる。

 

 

 

そしてそこには。



ただ、静かに。。。

 

 

起きては消える、

一瞬の幸せではなく。

 

永続する幸福感だけが残る。

 

 

 

生きていることそのものが。

 

瞑想状態になる。。。

 

 

だから私は今。。。

 

瞑想すらもう、

していない。

 

 

*******

 

 

つづく

 

 

 

ヒーラーの仕事を始めて、

あれこれ忙しくなり。。。

 

 

ダンスをやめ。。。

歌をやめ。。。

 

 

そして。

 

あの頃はもう、友達と会って

ゆっくりおしゃべり。。。

 

みたいなことも、ほとんど

しなくなっていたし。

 

したい。という気持ちすら、

ほとんどなくなっていた。

 

 

そんな中。

 

あの英会話のレッスンだけは、

ずっと続けていた。

 

忙しいから、休みたい!

 

・・・と思ってしまう日もあったけど。

 

それでも、続けていられたのは、

多分。

 

「翻訳をチェックしてもらう」

 

・・・という、大きな目的が

そこにあったからなのだけど。

 

 

でも、今にして思えば。

 

先生との会話そのものが。

 

あの頃の私の、

癒しになっていたのだろうな。

 

・・・とも思う。

 

 

「英会話レッスン」という

名目はそこにあったとしても。

 

実際、その中身は。

 

すごく気の合う友達と。

楽しくおしゃべりしていることと、

なんら、変わりなかったのだし。

 

その会話は私にとっては、

どこまでもどこまでも、

心地よく。

 

 

 

だからそのうち、

母が倒れ。。。

 

ヒーラーのお仕事も辞め、

スタディ・グループも辞め。

 

その時に自分の身の周りに

あった繋がりを。

 

ほとんど断ち切った後でも、

私は。

 

英会話のレッスンだけは、

続けていた。

 

 

そこだけは、まだ。

手放さなかった。

 

 

*******

 

 

英会話の先生との

付き合いで。

 

私の中で、最大級に

ラクだったことは。

 

 

その場を離れた途端。

 

お互いが完全に、

「他人」になれることだった。

 

 

私達はお互い。

 

精神的に。というか、

哲学的に。というか。

 

そういう部分では、

どこまでもどこまでも

深いところまで入り込んで

話をしたけれども。

 

そして、家族とか仕事とか。

自分の趣味や交友関係とか。

 

そういう、プライベートなことも

あれこれ正直に話していたけど。

 

 

でもなんというか。

お互い。

 

必要以上に、相手のことに

干渉しなかった。というか。

 

しなくて、済んだ。というか。

 

 

例えば。

 

レッスンが終わって、

また今度。

 

・・・と、別れた瞬間。

 

 

もう。

 

次に会うその時まで。

 

お互いの世界から、

相手の存在が完全に

消えている。

 

・・・みたいな。

 

 

 

そういう形が。

 

 

私にとってはものすごく、

ラクだった。

 

 

 

多少の言葉の壁が

あったことで。

 

少しそこに、

誤解がありそうな時でも。

 

英語で説明するのが

めんどくさくて。

 

 

「ま、いっか」

 

 

・・・で、ほとんど

済ませられてしまっている

自分が。

 

 

本当にラクだと思ったし。

 

 

それが、結果的に。

 

いろんなことを、

スムーズにしていた。。。

 

 

相手が日本人だったら。

言葉が通じてしまうだけに。

 

相手に対して、

真剣になればなるほど。

 

あれこれ、説明したくなったり。

解ってもらいたくなったり。

 

・・・という、そういうエゴが

騒いでしまっていたけど。

 

 

彼がイギリス人だった故に。

 

そういうエゴはもう、

簡単に手放せた。

 

 

 

以前、夫や娘に。

 

「ママに必要なスキルは、

スルー術だよ」

 

・・・と言われたことがあったけど(笑)

 

 

そういうことか。と。

 

 

英会話の先生との交流を通して、

自分の中にあった「重さ」に、

気づくことが出来た。

 

 

それをやめれば。

 

こんなにラクなんだな。

 

・・・ということも。

 

 

*******

 

 

まぁ、でも。

ある時、思ったんだよね。

 

思ったというか、

本当はもう、解っていたこと

だったけど。

 

 

結局。

 

自分がその相手のことを、

好きか、嫌いか。

 

もうホント。

 

これに尽きるよな。と(苦笑)

 

 

 

そして。

 

その相手のことを、

好きになるのか。

 

それとも、

嫌いになるのか。

 

 

何がどうなると、

そうなるのか。

 

 

そういうのはもう、

よく解らない。に尽きる(笑)

 

 

 

好きになる。

嫌いになる。

 

 

そこに理由をつけようと思えば、

なんとでも、つけられると思うけど。

 

 

そんなのは結局。

 

自分を納得させるための、

マインドによる、

後づけの理由でしかなく。

 

 

そんなものを基に、

自分マニュアルを作るのも、

なんだか、馬鹿馬鹿しい。。。

 

 

だからもう。

 

成るように成る。

 

・・・としか、言えない。

 

 

相手のことを好きになろうが、

嫌いになろうが。

 

それはそれだ。。。と。

 

 

 

けれども。

 

「好き」も「嫌い」も、

そこに「磁力」が。。。

 

「縁」がなければ。

 

起こらないのだと。

 

私は思っているから。。。

 

 

好きな人のことも。

嫌いな人のことも。

 

 

深いところではみんな。

 

愛している。。。

 

 

*******

 

 

母が手術して。

いろいろ大変になってきた頃。

 

 

私はだんだん、

そちらに集中するようになり。

 

英会話に通うことに対しての、

「熱」を失っていることに。

 

そこに「磁力」を

感じなくなっている自分に。

 

ある時、ふと、気づいた。

 

 

それに気づいてしまったら、

もう。

 

続けられなくなってしまうのが、

私で。。。

 

 

それまでも、

母のことは先生に話していたから、

レッスンを辞めると伝えた時も、

彼はすぐに、理解してくれた。

 

 

「また、通常に戻ったら、

連絡して」

 

・・・と、彼は言い。

 

「解った。連絡しますね」

 

・・・と、私は言ったけど。

 

 

結局。

それっきりになった。

 

 

でもあの時も私は。。。

 

寂しい。とは。

 

思わなかったな。。。

 

 

*******

 

 

例えば、今現在は。

 

もう、あれこれ落ち着いているから、

また、英会話を再開しようと思えば。

 

私が彼に連絡をすれば。

 

いつでもまた、

再開できるのだろうけど。

 

 

なんだかもう。

そういう気分にはならない。。。

 

 

だから思う。。。

 

タイミングって、あるんだな。と。

 

 

 

今、

彼は日本にいるのだろうか?

 

それすらも、解らない。

 

 

 

あの頃、彼は。

 

50歳になったら、

仕事も何もかも辞めて。

 

そして引退後は、

ギリシアに移住して。

 

のんびり過ごしたい。と。

 

いつも言っていた。。。

 

 

 

彼が、ああいう風に

言うのを聞いて。

 

 

そうだよねぇ。。。

 

 

引退はやっぱり。

50歳だよねぇ。。。と。

 

 

そう思っていた。。。

 

 

 

そのあたりで引退するのが、

実はとても自然なことなのでは。。。

 

・・・と。

 

 

私も。

 

そう思っていたから。。。

 

 

*******

 

 

つづく

翻訳をチェックしてもらう

ことになったので。

 

英会話の先生に、

事前に、『ドールマン』の小説を

読んでおいてもらうことにした。

 

 

彼は、読書家だったから。

きっと、すぐに読み終わって

しまうだろうし。

 

 

これから。

どっちに転ぶかなぁ。。。と。

 

 

期待と不安の入り交じった

気持ちで。

 

次のレッスンの日を待った。

 

 

結果としては。

 

「読んでもらってよかったな」

 

・・・と、感じられるような方向へと、

その後、進んでいった。

 

 

小説の内容云々というよりも。

 

Lyricaという人は、

こういうのを読む人なんだ。

 

・・・ということを、

そのまま受け入れてもらえた。と。

 

私がそう、感じられたことが、

私にとっては大きな安心に

繋がったし。

 

 

彼もなんだかそこから、

更に本音を語るようにもなり。

 

 

なんというか。

 

ドールマンのことがキッカケで。

 

お互いますます、

なんでもそのまま。

 

「正直」に話せるように

なっていった。

 

 

 

元々。

 

射手座の人は、「正直さ」が。

 

馬鹿正直とも言えるほどの

正直さが、売りだけど(笑)

 

 

それでもやっぱり。

 

人間誰しも。

 

なんでもかんでも、最初から、

大っぴらには出来ない

ところはある。

 

 

けれども、あの時を境に。

 

私たちの、お互いに対する

正直さには。

 

更に、

磨きがかかった気がした。

 

 

だから私は。。。

 

ますます、ラクになっていった。

 

 

*******

 

 

ジェームズの小説を読みながらも。

 

私たちはそれでも。

 

その小説の内容について、

あれこれ、議論するということは、

ほとんどなかった。

 

 

なんというか、例えば。

 

教会では、神父や牧師が。

 

「今日は、創世記〇章〇節です」

 

・・・とか言って、

その部分を読みあげ。

 

そのあとに、その内容について、

 

ここは、こういう意味です。

 

みたいな説明を。。。

 

説明。。。というか、

お説教というか。

 

そういう話を、

長々と語る。

 

・・・なんてことが、常だけど。

 

 

私たちは。

 

ジェームズの小説の内容について、

そういう系の話をしたことは、

まったくなかった。

 

 

どんな話をしていたかと言えば。

 

 

英語圏のネイティヴからすると。

 

ジェームズの文章には、

ちょっと不自然に感じるところも

多々あって。

 

だからおそらく、

ジェームズは、英語圏で

生まれ育った人ではないのかも?

 

・・・とか。

 

 

ジェームズの話を読んでいると、

彼はきっと、こういうところから

影響を受けたように感じるね。

 

・・・とか。

 

 

そういう感じで。。。

 

 

 

私はなんだか。。。

 

 

そういう話をする、

英会話の先生は。。。

 

 

私と同じような読み方。というか。

物の見方をする人だなぁ。。。と。

 

いつも感じていた。

 

 

 

小説を通して。。。

 

その物語そのものを分析

するのではなく。

 

それを書いた人物のほうを、

分析するのだ。。。

 

 

ジェームズは。。。

 

「私が匿名のまま、表に出ないのは、

私ではなく、作品そのものに

集中してもらいたかったからだ」

 

・・・と言っていたけれども。

 

 

でも、やっぱり。

 

作品には、どうしたって、

その作者のエネルギーが乗るから。

 

 

作者の自我が強いか。

それとも、魂が強いか。

 

・・・の違いはあれど。

 

 

どちらにしたって。

自身のエネルギーは乗るから。

 

 

だから私は、

ジェームズのマテリアルと

関わるとき。。。

 

どうしても、作品そのものよりも、

ジェームズ自身のエネルギーを

分析してしまう傾向が、

強くあったのだけど。

 

 

そういうところは、

英会話の先生も同じだな。と。

 

そう感じていた。

 

 

私達が、ジェームズの小説の

内容そのものを分析しなかったのは。

 

 

ジェームズの作品が、

「ユニーク」ではなかったからだ。

 

 

ユニーク。。。

 

唯一のものではなかったから。。。

 

 

ジェームズの物語が、

着ている衣は、たしかに

ユニークだし。

 

現代的な、新しい衣装では

あるけれども。

 

好みの衣装では

あるけれども。

 

 

その衣装自体に。

 

私はさほど、重きを

おいてはいなかった。

 

 

それよりも、大事だったのは

やっぱり。

 

その「骨格」であり。。。

 

 

そしてその「骨格」は。

 

ある意味。

 

この世界の、変わることない

「法則」に従っていて。。。

 

とてもとても。

古いものだとも言えて。。。

 

 

先生もきっと。。。

 

もう既に、そういうところは、

重々、理解していたのだろう。。。

 

 

教会で、聖書について

学んだ経験があるのだから。

 

尚更だっただろうと思う。

 

 

 

その法則は。

 

「生命の樹」は。

 

ジェームズの小説の中だけでなく、

他にも、様々な物の中にある。

 

 

様々な物語の中に。。。

 

人の人生の中に。。。

 

 

だから。

 

「唯一」

 

・・・だとは、言えない。。。

 

 

だから。

 

「神話」

 

・・・なのだ。。。

 

 

だから。

 

「物語」という衣自体を

研究したり、分析したりするよりも。

 

 

法則そのものを。

 

「生命の樹」そのものを分析し。

 

そこを理解してしまったほうが、

きっと、いろいろ早いと思う。

 

 

そうすれば。

 

ほとんどのものの中に、

共通したものが、見えるようになる。

 

 

・・・と。

 

 

私は思う。

 

 

*******

 

 

私達射手座。というのは、

そうやって。

 

その「地下」にある、

「共通の真理」を見つける

人達だから。。。

 

 

だから、そういうところでも。

 

物の見方が、

同じだったのかもしれない。

 

 

 

英会話の先生は。。。

ジェームズの小説のことを。

 

 

「まるで、現代版聖書だね」

 

 

・・・と、言っていた。

 

 

他には。。。

 

「これは、ジェームズの哲学だ」

 

・・・とも。

 

 

そんな彼の言葉が。

 

私には本当に、

心地よかった。。。

 

 

 

そして。

 

私と出会う以前に。

 

知的好奇心を持ちながら、

様々な世界を。。。

 

それは、現実的な世界だけでなく、

精神的な世界も含めた、

様々な世界を。。。

 

たくさん旅しながら、

「真理の探究」をしてきていた、

英会話の先生は。。。

 

 

ほんの少しジェームズの世界に

触れただけで。

 

もうすぐに。

その「真髄」を理解していた。

 

 

私には。

そう感じた。。。

 

 

それを目の当たりにして私は。

 

すごく、嬉しかったのだ。。。

 

 

 

まさか。

 

こんなところで、

こんな人に出会うなんて。

 

思ってもみなかった。。。と。

 

 

ただただ、ほんの軽い気持ちで

始めた英会話で。

 

 

まさか、こんな知的で哲学的で。

 

こんなに幅の広い、深い対話が

出来る人と出会うなんて。。。と。

 

 

 

大好きだった

ウイングメーカーについて。

 

ジェームズの世界について。

 

 

こんなに気持ちよく、

語り合える人に出会うなんて。。。

 

・・・と。

 

 

縁の不思議さを思った。

 

 

*******

 

 

彼はある時。

 

静かにこう言った。。。

 

 

「もう、新しい宗教を作る

必要はないよ」

 

・・・と。

 

 

彼のその言葉は、、、

一体誰に向けられた言葉なんだろう?

 

・・・と。

 

一瞬、思った。

 

 

もしかして、私?

 

 

彼には私が、

ジェームズ信者に見えていたり

するのかしら?

 

・・・と。

 

 

でも。

 

英語で弁解するのは、

めんどくさかったので(苦笑)

 

 

特に何も訊かなかったし、

言わなかった。

 

 

ただ。

 

 

「私も、そう思う」

 

 

・・・とだけ、返した。

 

 

 

でもあの時、

すごく、感じたのだ。。。

 

 

「あ、ちゃんと通じてる」

 

・・・と。

 

 

だから思った。。。

 

「言葉って、逆に邪魔だな」

 

・・・と。

 

 

*******

 

 

つづく

ある時。

 

占星術の先生に、

ホロスコープ作成ソフトを

薦められ。

 

それを最近、購入した。

 

 

・・・みたいな話を、

英会話の先生にしたら。

 

 

「本当に?

じゃあ、僕のホロスコープも

作って欲しいな」

 

・・・と。

 

 

彼のその反応を見て、

少し驚いたけれども。

 

あとになって、思った。

 

 

さすが、

「魔法使いの国」の人だ。

 

・・・と(笑)

 

 

ハリー・ポッターみたいな

魔法の世界もそうだけど。

 

イギリスにはあの、

「黄金の夜明け団」もあったし。

 

あと。

幽霊の話もたくさんあるし。

 

 

そう言えば。

 

そういうオカルト的な話で

盛り上がった時。

 

彼はこう言っていた。

 

 

「なぜ、イギリスに幽霊話が

多いのか分かる?

 

それは、『霧』のせいだよ」

 

・・・と。

 

 

神秘的なものが大好きなのに、

反面、すごく現実的な国。。。

 

 

 

あのあと彼は。

イギリスに住む彼のお母さんに、

わざわざ連絡して。

 

正確な出生場所と、

出生時刻を聞いたようで。

 

次に会った時に、

私にそのバース・データを

渡してくれた。

 

 

彼のその行動を見ていたら。

 

「社交辞令とかではなく、

本当に、興味があるんだ。。。」

 

・・・と、思った。

 

 

そのデータを基に、

彼のホロスコープを開いたら。

 

そこには、乙女座の要素が

まったくなかったことが。

 

すごく、意外だった。

 

 

もしかしたら。

世代天体の中には、

ひとつくらいあったかも

しれないけど。

 

細かいことはもう、

覚えていない(苦笑)

 

 

ただ。

 

重要な天体のところには、

乙女座はひとつもなくて。

 

 

なるほどなぁ。。。と思った。

 

 

 

やっぱり。。。

 

彼から漂う乙女座臭は。

 

彼個人というよりも。

 

「イギリス人の遺伝子」から、

漂ってくるものなのだろうな。と。

 

改めて思ってしまった。

 

 

だから。

 

同じイギリス人が、

彼のことを見た場合は。

 

そこには、乙女座の匂いは

感じないかもしれないな。。。と。

 

 

「嗅覚」というのは、

疲労しやすいらしい。

 

だから。

 

同じ匂いをずっと嗅いでいると、

その匂いは感じなくなる。

 

その分子のエネルギーの

「刺激」に対して。

 

感覚器は、鈍感になる。。。

 

 

*******

 

 

英会話の先生の

太陽星座は。

 

射手座だった。

 

 

更に。

 

彼の誕生日が、

私とは、二日違いだったので。

 

彼もまた。

 

ど真ん中の射手座だった。

 

 

蠍座寄りでもなく、

山羊座寄りでもなく。

 

完全な射手座。

 

 

「THE 射手座」。

 

 

どうりで。

 

私と合うはずだ。。。と。

 

納得してしまった(笑)

 

 

 

射手座の裏の星座は双子座で。

 

そのふたつの星座の

共通のエネルギーって

何だろう?

 

・・・と、考えた時。

 

私はそれは、「好奇心」だと。

 

そう感じた。

 

 

ふたつの星座とも。

 

様々なことに、

興味を持つのだ。。。

 

 

ただ。

 

双子座は、その表面をサラッと

通り過ぎるのに対して。

 

射手座は、かなり深堀りする。

 

 

双子座は。

その世界のことを深く知りたい。

 

よりも、この世界の情報を、

誰かに「伝えること」

 

・・・に力を入れるので。

 

表面だけを知っていれば、

それでいいのだ。

 

 

射手座は。。。

 

様々な違う世界の奥に、

「共通する真理」を

見つけたい。

 

・・・という思いが強いので。

 

 

一つの世界のことを、

かなり深堀りする。

 

 

けれども。

 

掘って掘って、

地下にぶつかった時。

 

「あぁ、やっぱりここも同じだね」

 

・・・と気づき。

 

 

それが解った途端に、

もう、その世界には飽きる。

 

そして。

 

サッサと違う世界へと

旅立つのだ。

 

 

 

ちなみに。

 

地下にぶつかってもなお、

掘ることをやめずに。

 

マントルの中まで

進入していくのが蠍座。

 

 

最後は。

その世界の炎の中で燃え尽き。

 

自分がそれと、

一体になってしまうまで。

 

 

 

 

双子座と射手座はそうやって。

 

一見、似ているのだけれども。

 

 

射手座の私が、

双子座の人といると。

 

そのスピードに、

頭がクラクラすることがある(笑)

 

双子座の支配星は、

水星だから。

 

とにかく、早いのだ。

 

 

双子座が持ってくる情報に

関心を持ち。

 

掘り進もうとしている時に、

彼らは、もう、次の情報を持ってくる。

 

 

射手座は、好奇心の誘惑から、

双子座の持ってくる情報に

いちいち、ひっかかるのだけど。

 

そのうち、

キャパ・オーバーになって、

ショートする。。。

 

・・・みたいな(苦笑)

 

 

だから射手座の人は。

 

双子座が持ってきてくれる

情報のすべてに興味を持たないで。

 

取捨選択すればいいのだけど。

 

なにせ、好奇心があるから。

 

それがまた、

難しかったりするのだ。。。

 

 

逆に双子座の人は。

 

「真理の探究」よりも、

「多くの情報を得て伝える」の

ほうに興味があるから。

 

射手座が本当に興味のある、

 

「深堀りした先の話」には。

 

あまり関心を示さないことが

多い気がする。

 

 

*******

 

 

英会話の先生との話は。。。

 

本当に射手座同士らしく、

広範囲に渡った。。。

 

 

旅好きの射手座らしく。

 

彼は、世界中の様々な国を

旅したことがあるそうで。

 

いろんな国での、

いろんな話を聞いた。

 

 

私が旅先で撮ってきた写真にも

興味を示し。。。

 

 

「この写真、

LINEで送ってくれる?」

 

 

・・・と、頼まれたことがあった。

 

 

「あなたの撮る写真は、

見ていて楽しいよ。

 

学校の生徒達が見せてくれる写真は、

人物ばっかりでつまらない」

 

 

・・・と、彼は言っていた。

 

 

そういうところも。

私と同じだな。と思っていた。

 

 

私は旅先ではほとんど、

自分の写真なんて撮らないから。

 

自分どころか、

人の写真は、ほとんど撮らない。

 

 

私の旅の写真は。

 

ほとんどが、風景なのだ。。。

 

 

 

私達は時に、「言語」の

話でも盛り上がった。

 

英語や日本語だけでなく。

様々な国の言葉について。

 

その成り立ちとか歴史とかも

含めて。

 

あれこれ、語り合った。

 

ここもまた、射手座らしいな。と。

思いながら。。。

 

 

 

ある時は、宇宙や素粒子の話で

盛り上がり。

 

 

「今日はちょっと、難しい話を

しちゃったよね」

 

 

・・・と言いながら。

 

かなりマニアックなところまで

切り込んでくる彼に。

 

私は、ワクワクしていた。

 

 

 

芸術の話で盛り上がった時は。

 

 

「ジャクソン・ポロックは、

自転車に乗って絵を描くんだけど。

あそこまで崩したものは、

僕には、理解できない」

 

・・・と、苦い顔をする彼に。

 

私は笑顔になった。

 

 

ジャクソン・ポロックの絵のことで。

こんなマニアックに語り合える人。

 

今まで、

会ったことなかったよ。。。と。

 

 

 

社会情勢や政治の話も

よくした。。。

 

 

音楽の話も。

映画の話も。

小説の話も。

 

 

 

どんな話をしていても、

楽しかった。

 

 

それもこれも多分。

 

彼が言っていたように。

 

私たちの思考の流れ方が、

似ていたからなのだろう。。。

 

 

*******

 

 

彼は、いちお。

 

カトリックのクリスチャンだった。

 

 

けれども、今。

イギリスでは、クリスチャンとは

名ばかりで。

 

ほとんどの人が、

キリスト教の神なんて

信じてないよ。と。

 

彼は言っていた。

 

 

国勢調査の項目に。

 

「あなたの宗教はなんですか?」

 

・・・という質問が

あるらしいのだけど。

 

 

「みんなね、

『ジェダイ』とか答えてるよ」

 

・・・と言っていた(笑)

 

 

スター・ウォーズのジェダイ。

 

 

 

・・・とは言いつつも。

 

伝統的というか、習慣的に。

 

 

彼も子供の頃は、

教会に通っていたらしいから。

 

聖書のことには

だいぶ詳しかった。

 

 

だから私たちは時々。

 

聖書の話もしたし。

 

宗教のことも。

色々語り合った。。。

 

 

彼もやっぱり。

 

「信じる人」ではなく、

「考える人」だったので。

 

 

私はなんだか。

 

どこかで安心しながら、

そういう話ができたな。。。

 

 

*******

 

 

そうやって。

 

様々な話をしているうちに。

 

 

「この人なら、大丈夫だろう」

 

・・・という感覚が。

 

 

私の中に芽生えてきた。

 

 

この人なら。

私が何を言ったとしても。

 

受け入れてくれるだろう。と。

 

 

だからある時、

こう切り出した。

 

 

「あなたにお願いがあります。

 

もしよかったら。

これからレッスンの時に、

 

私の翻訳したものを、

チェックしてもらえますか?」

 

 

・・・と。

 

 

翻訳というのは、

ジェームズの小説の翻訳のこと。

 

 

あの頃は。

 

『ドールマンの預言』を翻訳して、

一部の人にシェアしていたから。。。

 

少しでも誤訳を減らせるよう。

 

ネイティヴの人に、

チェックしてもらいたかったのだ。

 

 

ただ。

 

小説の内容が内容だけに。

 

彼にそれを頼むのには、

少し、勇気が要った。

 

 

彼は、即、快諾してくれたけど。

 

その内容を知って、

どういう反応をされるかな。と。

 

 

ちょっと、怖かった。

 

 

*******

 

 

つづく

そうやって、

英会話のレッスンは。

 

レッスンというよりかは、

いつしか。

 

お友達とのおしゃべり。

 

・・・のような雰囲気に

なっていった。

 

 

先生は、日本語を

話すことも出来たけれども。

 

レッスン中は、

日本語禁止にしていた。

 

 

 

彼は言っていた。

 

 

会社の中でも、

同僚はみんな、英語を話せて。

 

学校内でも、

会話はすべて英語で。

 

そして、街中でも。

日本人は英語を使ってくれるので、

そのうち、日本語を忘れそうだ。

 

 

ここは日本なのに、

日本語をまったく使わなくても

生きていけるなんて。

 

なんとも、不思議だ。

 

 

・・・と。

 

 

 

それはそうだけど。

 

海外に行くと、

言語で苦労する日本人の

私からしてみたら。

 

母国語が英語の人は、

すごく羨ましく見える。

 

 

・・・と、私は言った。

 

 

 

すると彼は、

ちょっと困った顔をしながら。

 

 

「まぁ、たしかに。

便利は便利だけどね」

 

 

・・・と、笑った。

 

 

英国人は、シニカル。というか。

 

日常茶飯事のように

皮肉を言ってるから(笑)

 

こちらも、すました顔で

皮肉を返す。みたいな。

 

 

そんなノリが。

私は好きだった。

 

 

一見、批判的に見える

彼らの皮肉の奥には。

 

分析力と優しさがあることを、

解っているから。

 

 

ジョークのように、

皮肉を皮肉で返して。

 

それをお互い、

楽しんでいる。みたいな。

 

 

まさに。

 

乙女座のノリだな。と。

 

いつも思っていた。

 

 

昔。

 

絵描きの彼と話していた時も、

こんな感じだった。

 

 

そしてその彼もやっぱり。

月星座が、乙女座だったっけ。

 

 

 

日本人なのに。

 

そしてここは日本なのに、

なぜ、外国人に対して、

日本語で対応しないの?

 

なぜ、そんなに気を遣うの?

 

日本人としての

アイデンティティは?

 

・・・みたいなことを、

先生は言いたいのだろうと

思った。

 

 

もちろん。

彼はその言葉を、実際に

口にしたわけではないけど。

 

彼が本当に言いたいことは、

あの頃の私には。

 

もう、なんとなく、

解るようになっていた。

 

雰囲気で。

 

 

 

長年、日本に住んで。

 

日本人の生態をだいぶ

理解している彼は。

 

同時にその「なぜ」の答えも、

ちゃんと解っている。。。

 

 

 

彼のお兄さんが、

日本に遊びに来た時のこと。

 

あるショットバーの店員が、、、

 

「え?」

 

・・・と、聞き返した時に、

お兄さんは激怒したのだそうだ。

 

 

「え?」という音は、

イギリスでは、侮辱の言葉に

なるのだそうで。

 

 

だからお兄さんは、

自分が店員に侮辱されたのだと

勘違いして、怒ったのだと。

 

 

それを、英会話の先生は、

「これは、そういうことじゃなくて」

・・・と、説明して。

 

お兄さんの誤解を解き、

なだめたのだとか。。。

 

 

そういうエピソードからも、

感じたものだ。。。

 

 

多分。

 

彼はもう、

よく解っている。。。

 

・・・と。

 

イギリス人と日本人の

違いを。

 

 

解ったうえで、わざわざ、

私にああいうことを言うのだ。

 

なぜ、日本人は?

 

・・・みたいなことを(笑)

 

 

それで、私の反応を

観察したいのだろう。。。

 

 

乙女座の父にも。

こういうところ、あったなぁ。。。

 

 

だからそういう時は、

こちらも、同じスタンスで返す。

 

彼が。。。

自分達は、母国語が英語で、

だいぶ、恵まれている。

 

・・・ということを、しみじみ

自覚していることを。

 

 

私も解っていたから。。。

 

 

*******

 

 

彼が、「なぜ?」と訊いてくるとき。

 

そうやって、皮肉っぽく、

ジョークのように返す時も

あったけれども。

 

 

「なぜなら、それは」と。

 

真面目に返すときもあった。

 

 

私が真面目に返すときは。

 

彼が本当に、

それを知りたいのだな。と。

 

そう感じる時だった。

 

 

そういう時、彼は。

 

本当に真剣に、私の話を

聞いていた。

 

そして最後にはいつも、

こういうのだ。

 

「なるほど。。。」

 

・・・と。

 

 

彼は、私の話に対しては、

何もジャッジしなかった。

 

私が思うことは、

それはそれとして、

受け入れていた。

 

「それが、Lyricaの考えね」

 

・・・みたいに。

 

 

そのうえで。

 

しばらく考えたうえで、

自分の「見解」を話していた。

 

 

彼の考えが、

私と同じ時もあったけど。

 

違う時もあった。

 

 

「自分は、Lyricaとは違うな。

むしろ、こう思ったな」

 

・・・と。

 

 

でも、彼にそう言われても。

 

私は、イヤな気持ちに

なったことは、一度もなかった。

 

 

それがなぜかと言えば。

 

彼は、私の考え自体を、

否定することはなかったからだ。

 

 

彼が、本当の意味で。

 

「違い」や「多様性」を

受け入れているからだ。

 

 

自分の考えとは

違うのだけれども。

 

あなたの考えは、

あなたの考えとして、

それはそれで、また素敵だね。

 

・・・と。

 

そう思ってくれているのが。

 

目に見えないところで、

伝わってくるからだ。

 

 

そういう姿勢が自然体で

身についている彼を

見ながら。。。

 

 

ここは、見習おう。。。と。

 

 

いつも思っていた。

 

 

 

多分ここが。

 

日本人にとっては、

難しいところなのだと思った。

 

 

心の底から、

「違い」を認めることが。

 

 

頭でそれを解っている人は、

たくさんいるけれども。

 

でも、無意識でいると、

つい。

 

ジェネティック・マインドに、

邪魔されるから。。。

 

「みんな一緒」

 

「みんなでひとつ」

 

・・・という、

ジェネティック・マインドに。

 

 

*******

 

 

先生は。

 

イギリス人は、

「Why People」なんだよ。

 

・・・と、言っていた。

 

すぐに、「それは、なぜ?」と、

訊きたがるのだ。と。

 

 

その気質は。

私とは合うな。。。と。

 

そう思った。

 

 

私の中には、「素朴な疑問」は

いつも溢れていて。。。

 

だから、「なんで?」と、

訊きたくなる。

 

 

けれども昔。

夫にこう言われたことがある。

 

「あんまり、なんで?って、

言わないほうがいいよ」

 

・・・と。

 

 

多分あれは。

 

嫁姑問題関連の話を

していた時だったと思うけど。

 

 

あの時。

 

彼がなぜ、こんなことを

言うのか。

 

本当に解らなかった。

 

 

だから、彼のこの言葉にさえ。

 

「なんで?」

 

・・・と、訊きたくなった(苦笑)

 

 

でもそう言えば。

 私が結婚する前。


姑との同居経験のある

親戚のおばさんから。

 

 

「Lyricaちゃん。いい?

 

あちらのお姑さんの言うことは、

なんでも、はい、はいって

聞いておくのが、一番いいわよ」

 

・・・なんて言われたなぁ。。。と。

 

 

そんなことを、

思い出した。

 

 

「なんで?」と訊くことが。

 

この日本の社会の中では時に。

 

「無礼なこと」

 

・・・になることも、あるようだ。

 

 

 

そこに、余計な妄想とか、

感情が乗ることで。

 

事が複雑になっていくことが。

 

めんどくさくて

しかたなかった。。。

 

 

こんな話があったよね。。。

 

ソクラテスが、お偉方に、

「なんで?どうして?」と。

 

子供のようにただ、

質問を繰り返していたら。

 

最後には処刑されてしまった。

 

・・・みたいな話が(苦笑)

 

 

まぁ。

 

ソクラテスは、意図的に

それをやってたようだけど(笑)

 

 

 

そのめんどくささを。。。

 

英会話の先生には、

まったく感じなかったのだ。

 

 

なんてシンプルで、

スムーズな会話が出来る人

なんだろう。。。と。

 

 

すごく、感動した。

 

 

 

それが、英国人の特徴なのか。

 

それとも、彼固有のものなのかは、

ちょっと、解らないけれども。

 

ラクだったな。。。

 

 

本当に。

 

 

*******

 

 

そんな風に会話を

続けていくうちに。

 

いつの間にか、耳が。

英語の周波数にも慣れてきて。

 

リスニングに関しては、

さほど、問題なくなってきた。

 

意識が朦朧として、

眠くなることもなくなった(笑)

 

 

自分が話すほうは。

相変わらず、どこか片言

だったけど(苦笑)

 

とりあえず。

 

会話するには、

支障はないくらいには

なってきていた。

 

 

でも多分。

 

それもこれも。

 

相手が。

あの、英会話の先生だった

からだと思う。

 

 

他の人だったら。

 

私のあの英語力では。

 

あそこまで、深い話は、

出来なかったかもしれない。

 

 

 

彼は。

 

私が言いたいことが、

なぜか、事前に解るようで。

 

私が、単語を思い出せなくて、

会話が途切れそうになると。

 

私よりも先に。

 

彼がその単語を、

口にしていた。

 

 

私が言いたくても、

思い出せなくて言えないことを。

 

彼が先に言ってくれるのだ。

 

 

 

本当に。

 

勘がいいというか。

察しがいいというか。

 

 

そんなだったから、

 

「あなたは、エスパー?」

 

・・・と、私が冗談で訊いたことが

あったけど(笑)

 

 

彼は。

 

「それは僕とあなたのマインドが、

似ているせいだよ」

 

・・・と答えていた。

 

 

そして、彼のその答えは。。。

 

冗談の陰で、私が思っていたこと、

そのものだった。

 

 

 

こんなにも。

 

「本当の私を、ちゃんと

見抜いてくれているな」

 

・・・と感じる相手は、

貴重だ。。。と。

 

 

いつも、思っていた。

 

 

あの絵描きの彼にも、

そういうものを感じたけど。

 

 

実際。

 

私がこういう風に感じる相手は、

他には、娘と息子くらいしか

いなかった。

 

 

夫にももちろん、

それは、感じるけれども。

 

 

彼の場合は、

娘や息子、英会話の先生や

絵描きの彼のように。

 

天然でそれが出来る人。

 

だったわけではなく。

 

最初からそうだった

わけではなく。

 

 

長い間、共に過ごしながら、

時間をかけて培ってきたものだ。

 

 

つまり。

 

先天性ではなくて。

後天性だった。。。

 

 

だから。

 

先天的にそうであった

英会話の先生は。

 

 

私にとっては本当に、

レアなひとだった。。。

 

 

 

先天的にそうである人と

一緒にいる時は。。。

 

 

なんというか。

 

 

心の底から、

ホッと出来るのだ。。。

 

 

あぁ。

 

この人の前では、

自分を演じる必要は、

まったく、ないな。と。

 

 

本能的に、

そう感じるからだ。。。

 

 

自分にとって、

一番ラクでいられる姿が。

 

相手にとっても、

一番やりやすい姿。

 

・・・という関係性は。

 

私には、

滅多になかったから。

 

 

子供の頃は、

そうじゃなかったけど。

 

 

大人になってからは。。。

 

そういう関係性を築くことが、

本当に難しくなった。。。

 

 

 

英会話の先生は。

 

 

言語の壁があったり。

生まれ育った国が違うのに。

 

 

そういう人が。

 

私と、こういう関係性を

築いていることが。

 

 

不思議でもあり。

 

面白くもあった。。。

 

 

 

でもある時、

 

何かの会話の流れで、

彼が。

 

 

「日本人よりも、

イギリス人のほうが、

 

もう少しリラックスしてる

感じがするよ」

 

 

・・・と言っていたのを聞いて。

 

 

ちょっと。

納得してしまった。

 

 

この日本で。

 

本当の意味での「自然体」で

いるということは。

 

実はすごく。

 

難しいことなのかもしれないな。

 

・・・なんて。

 

 

ふと。

そんな風に思ったりもした。

 

 

*******

 

 

つづく

初めて英会話の先生と会って、

体験レッスンを受けた時。

 

とても真面目で誠実そうな

感じがしたので。

 

その場で、入会を即決した。

 

 

体験レッスンの時は、

日本人の事務の人も

そこに同行していて。

 

レッスンが終わると、

先生は先に帰り。

 

その後、その日本人の人と

事務手続きをとった。

 

 

その時。

その人が言っていた。

 

 

「あなたは、ラッキーでしたね。

あの先生は、すごくお薦めの

先生なんですよ」

 

・・・と。

 

 

なんでも。

 

こういうところの先生は、

そのほとんどが、アルバイトだけど。

 

あの先生はちゃんと、

「教える資格」を持っている

先生だから。

 

・・・とのことだった。

 

 

でも。。。

 

ほとんど「名前」だけで

その先生を選んでいた私には。

 

実は、そういうことは、

どうでもよいことだったりもした(苦笑)

 

 

その人の経歴とか、

実際の功績とかそういうの。

 

あの頃の私はもう、

ほとんど目に映らなくなっていた。

 

 

そういうところより。

 

「流れ」とか「磁力」とか。

 

あとは、「縁」とか「直感」とか。

 

そういう、

「目に見えないところ」を

感じながら。。。

 

 

そして。

 

目の前にいるその人が、

今、放っているエネルギーを見て。

 

物事を判断するように

なっていた。。。

 

 

いつの間にか、

そうなっていた。

 

 

*******

 

 

実際にレッスンが始まった時。

 

自己紹介などをしていた時に

ふと思い出して。

 

先生本人に訊いてみた。

 

 

事務の人から、

こういう風に聞いたんですけど?

 

・・・と。

 

 

 

彼は。

 

 

そんな大したものでは

ないんだよ。。。

 

 

・・・と、前置きをしたうえで、

説明してくれた。

 

 

その態度が。

 

すごく謙虚で。

 

卑下とか謙遜ではなく、

わざとらしくもなく。

 

本当に、謙虚で。

 

 

私は、ものすごく

好感を持った。

 

 

 

自分に厳しい。

 

・・・というのも、乙女座の特徴の

ような感じがする。

 

乙女座には。

完璧主義的なところが

あるから。

 

 

私の中にも。

 

完璧主義的なところが

あって。

 

 

まぁ。

歳をとって、だいぶ

ゆるくはなったし。

 

完璧主義も、行き過ぎると

自分が磨り減るけれども。

 

 

でも。

 

「完璧でありたい」

 

・・・というのは、人間の向上心の

ひとつだと思っているから。

 

今は。

自分のこういう性質も

嫌いではないし、認めている。

 

 

そして。

 

そういう私はやっぱり。

 

自分に厳しい人が、

実は、好きなのだ。

 

 

自分に優しくしましょう。

 

ありのままの自分を

受け入れてあげましょう。

 

・・・と。

 

最近のスピでは

そういうゆるいことを、

よく言うけれども。

 

 

そういう「癒し」は本当に。

弱っている時には、

よく効くけれども。

 

 

でもだからと言って。

 

自分に対して厳しくあることが、

悪いことだとは。

 

私は思っていない。

 

 

自分に厳しいことは。

自分を追い詰めることとも違って。

 

 

なんというか。

 

自分のことを、過大評価も

過小評価もすることなく。

 

客観的に

自己分析したうえで。

 

欠点は欠点だと、

自分自身に指摘できる

強さだと。

 

そう思ってる。。。

 

 

だから。

 

本当に自分に厳しく

なれるのは。

 

実はそれだけ。

 

自分に自信があるからだ。

 

実は。

 

自分のことを、

本当に信頼しているからだ。

 

・・・と。

 

 

私は、思っている。。。

 

 

 

彼からは。

 

そういう「強さ」を、

なんとなく感じたのだ。

 

 

自分に厳しくありながらも、

でも、深いところでは、

自分を信頼している。

 

そういう安定感。

落ち着き。

 

・・・のようなものを。

 

 

 

私には「強さ」に映るそれは。

 

人によっては。

 

「批判的」

 

・・・に映ったりするのかな。

 

・・・なんて思いながら。。。

 

 

*******

 

 

彼は。

 

私が昔通っていたような、

英語の専門学校で、

講師をしているのだ。と。

 

そう言っていた。

 

 

普段は、ある企業で、

内勤の仕事をしているけれども。

 

週に何時間かは、

学校で講師をしているようだった。

 

 

彼が講師を勤めるその学校は、

私も、よく知っている学校だった。

 

 

実際に私が通った学校と、

先生が今、講師をやっている

その学校と。

 

あと何校かを。

 

あの頃。

進路の候補にあげていたことを

思い出した。

 

 

それらの学校はどこも、

カリキュラムは、似たような

感じだった。

 

 

 

だから今。

 

英会話の先生が、そういう

学校で講師をしていると

聞いた時も。

 

私はその様子が、

ありありと想像できてしまって。

 

 

そして同時に。

 

自分の学生時代のことも、

ありありと思い出した。

 

 

 

あの学生だった頃。

 

当時、私の先生だった人たちも。

 

学校を離れた時は、こんな

感じだったりしたのだろうか。

 

・・・なんて。

 

 

今、目の前にいる

英会話の先生を眺めながら。

 

そんな想像に

ふけって。

 

学生時代のことを。

 

あの、キラキラの二年間のことを。

 

懐かしく思い出したりした。

 

 

だから、最初のレッスンの時は、

ほとんど、英語の専門学校の

話をしていて。。。

 

 

最初から。

 

話が盛り上がっていたな。。。

 

 

*******

 

 

レッスンも最初の頃は。

 

そういう学校で使われる

教科書をコピーした

プリントなどを。

 

先生が用意してきてくれて。

 

 

「あぁ、こんなの。

昔、やってたなぁ」

 

・・・と。

 

しばらくはそんな懐かしさに

浸っていたけど。

 

 

でもそのうち。

 

気づいたのだ。

 

 

 

今。

 

大人になった自分は。。。

 

ダンスでも

歌でもそうだったけど。

 

 

子供の頃のように。

それで、何かを目指している

わけでもなく。。。

 

 

例えば、英語を使った

職業につきたいとか。

 

海外に留学したいとか。

 

特に、そういう目的が

あるわけでもなく。

 

 

ただ。

 

日常の中に。

 

「刺激」を求めているだけ

なのだろうなぁ。。。と。

 

 

そんな気がした。

 

 

子供の頃。。。

あんなにバレエに熱くなったけど。

 

そういう「熱」は、

今はもう。

 

ダンスにも歌にも、

英会話にも感じないから。

 

 

これは、単に。

 

「趣味」

 

・・・でしかなく。。。

 

 

 

だったらこの時間。

 

学生の頃に一度やったような、

「お勉強」ではなくて。

 

もっと自分が楽しいと

思うことをしたい。。。と。

 

そう思ったのだ。

 

 

 

だからある時、

先生に言った。。。

 

 

「テキストはもういいから、

ただ普通に、先生と

おしゃべりして過ごしたい」

 

・・・と。

 

 

彼は。

 

「本当にそれだけで

いいの?」

 

・・・と、一瞬、驚いていた。

 

 

だから。

 

「先生は、それでもいい?」

 

・・・と訊くと、彼も。

 

「こっちは、そのほうが全然ラクだから、

あなたがいいなら、それでいい」

 

・・・と、答えた。

 

 

じゃあ。

そういうことで!

 

 

・・・と。

 

 

それからのレッスンは。

 

ただのおしゃべり。

 

ただの、会話。

 

・・・になっていった。

 

 

*******

 

 

つづく

若い頃から、海外の人には

なんとなく縁があって。

 

色々な国の人と

交流したことはあったけれども。

 

 

私が知っているのはみんな。

 

 

「日本に興味があって、

日本を理解しようとしている

外国人」

 

 

・・・ばかりだったから。

 

 

実際にその国に行って、

そこに住んでみたりすれば。

 

また、違ったものも

見えてくるのだろうなぁ。とも思う。

 

 

だから。

 

本当のところは解らないけれども。

 

そうやって。

日本を理解しようとしている

外国の人。

 

特に、西洋の人といる時。

 

自分が妙に。

ラクでいられることを。

 

昔から感じていた。

 

 

下手をしたら。

 

日本人と一緒にいる時よりも。

自分でいられるような感じがして。

 

 

だから、学生の頃はあえて。

 

「でも私は日本人。

私は日本人」

 

・・・と。

 

自分に言い聞かせたり

していた(笑)

 

 

へんに西洋かぶれみたいに

なりたくなかったし。

 

やっぱり。

 

この日本に住んでいる以上。

 

日本人としての

アイデンティティは大切に

しないとな。。。と。

 

 

ある意味。

 

より、「日本人」というものを、

意識するようになった気がする。

 

 

*******

 

 

日本人は、全体の調和というか、

足並みを揃えることを、

どこかで重んじるところがあって。

 

みんなが同じであることを、

良しとする傾向があるけれども。

 

 

あちらはやはり、

「個」を尊重しているのを、

ものすごく感じる。

 

 

多分、私にとってはそこが、

すごく居心地の良いところ

なのだろうと思う。

 

 

 

昔から、自分の意見を

言うたびに。

 

母から。

 

「あんたは我が強い」

 

・・・と、否定されてきたことが、

イヤでしかたなかった。

 

 

その「我」を。

 

日本では悪いものと

捉えやすいけど。

 

西洋では、それを

「個性」として。

 

本当に、尊重してくれる。

 

 

母との関係性の中で、

私の中に出来ていたトラウマは。

 

海外の人と接することで、

どこか、癒されていたのだろう

とも思う。

 

 

日本。。。というか、

東洋は。

 

どちらかといえば、

自分を消す方向。。。

 

つまり、「悟り」の方向へと

進みやすいエネルギーが

強いけれども。

 

 

西洋は。

 

自分を消す。のではなく、

自分をちゃんと確立させる。

 

この夢の世界の中で、

自我を究極まで進化させて、

昇華させる。

 

・・・みたいなエネルギーが

強いような感じがしている。

 

 

私は。

 

いきなり自分を消そうなんてことは、

無理がありすぎる。と。

 

そう思っているので。

 

 

まずは西洋的に。

そこを極めたら東洋的に。

 

・・・という順番が。

 

 

やっぱり、一番、

無理のない形なのでは

ないのかなぁ。。。と。

 

 

そんな気がしている。

 

 

*******

 

 

占星術でも。

 

牡羊座、獅子座、射手座という

火の星座は。

 

やっぱり、「人に合わせる」

星座ではなくて。

 

「自分」というものがそこにあって、

なんぼの星座だから。

 

 

そういう星のエネルギーが

強い人たちに対して。

 

母のように。

 

「我が強い」

 

・・・なんてことを言ったら、

絶対にダメだと思う。

 

 

それに加えて私は、

今生では。

 

「個」を確立したうえで

昇華させること。

 

つまり。

 

自分に起こるドラマを

ちゃんと体験しつくして。

 

背負っているカルマを

ひとつずつ降ろす。

 

・・・ということを

目的としていたのだから。

 

 

その私に対して。

 

「個」を無理矢理、

消させようとした母って。

 

一体、何なんだ。と。

 

今は、思う(笑)

 

 

なんて。

 

こんなことを書いているけど。

 

今はもう、

笑い話だし。。。

 

全部、解ってる。

 

 

ただやっぱり。。。

 

全員に適用することができる

マニュアルなんてものは。

 

絶対に、

作れないよなぁ。。。と。

 

そう思う。

 

 

 

私が人生の序盤で。

 

「個としての自分が、

完全に消え去る」

 

・・・という体験をしたということは。

 

 

そこを目指すことはもう。

 

今生の目的では

なかったことも解るし。

 

 

これまでの長い輪廻の中で。

 

多分私はそういう。。。

 

東洋的というか。

悟りを目指すような修行。

 

もう。

死ぬほどやってきたの

だろうな。。。と思う。

 

 

けれどもやっぱり。

それだけでは、ダメなのだ。

 

 

人として。

 

夢の登場人物として。

 

ちゃんと、満足しないと。

 

「人間」というものを、

生ききらないと。

 

 

悟り体験をしたとしても。

 

積んだカルマによって

結局。

 

またこの。

 

夢の世界に、

引き寄せられるのだろう。。。

 

 

私の場合はちょっと。

 

順番が、

逆になっちゃったのかも

しれない(苦笑)

 

 

そして、だからこその。

 

ウイングメーカーとの

出会いだったのだろうとも思う。。。

 

 

*******

 

 

そういうことも全部

ひっくるめて。

 

 

私がこの、

日本という国に生まれながら。

 

なぜか、

西洋の人と縁がある。

 

 

・・・ということには。

 

なるほどな。。。と。

 

納得できるところが、

多々あったりもした。

 

 

夫から。

 

「ママの考え方は、

西洋的だよね」

 

・・・と言われたこともあったけど。

 

 

それはおそらく。。。

 

子供の頃から、英語に

触れる機会が多かったせいかな。

 

・・・とも思う。。。

 

 

なんというか。

 

言語体系が、

思考法に影響を与えることって。

 

きっとあると思うから。

 

 

なんだかんだ言っても。

 

すべては、完璧な。

 

運命だったのだろうと。

 

 

*******

 

 

英会話の先生とはいつも。

 

近所のカフェで待ち合わせをして、

お茶を飲みながら。の

レッスンだった。。。

 

 

ある時。

 

お店の前で彼と鉢合わせた時。

 

ものすごく自然に、

サッとドアを開けてくれて。

 

どうぞ。と。

私を先に通してくれた時は。。。

 

 

「さすが。ジェントルマンの

国の人だ」

 

 

・・・と。

 

思わず、

感動してしまった(笑)

 

 

全然あざとくないし。

本当にナチュラルで。

 

そういうことが、自然と

身についている感じだった。

 

 

その感動を。

私が彼に伝えると。

 

彼は、なんでそんなことで

喜んでいるんだろう?

 

・・・みたいな顔をしていた。

 

 

逆に、本国イギリスでは、

こういうことをすると、

怒る女性も、稀にいる。。。と。

 

彼は言っていた。

 

 

こんな風にされて、

怒る女性の心理が。

 

私にはさっぱり解らなかったので、

話を聞いてみると。

 

 

あちらの女性は。

男性にそういうことをされると、

 

自分は舐められている。

下に見られている。と。

 

そう感じることもあるようだ。

 

・・・と。

 

彼は言っていた。

 

 

なんだか。

 

最近では、日本の女性達も、

かなりたくましくなった。とは

思っていたけれども。

 

西洋の女性に比べたら、

まだまだ、おとなしいほう

なんだな。。。と(苦笑)

 

そう思ってしまった。

 

 

昔。

 

フランスのパリ・オペラ座

バレエ団のドキュメンタリーなどを

よく観ていたのだけれども。

 

いつも思っていた。

 

「女の人達が、なんか恐い」

 

・・・と(苦笑)

 

 

オペラ座バレエ団の舞台も、

何度か観に行ったけれども。

 

カーテンコールの時の

男性ダンサー達は。

 

みんな、なんとなく控えめで。

常に女性を立てていて。

 

 

バレエでは形式上、

そういうところはあるけれども。

 

でもなんというか、

解るのだ。雰囲気で。

 

 

女性たちをちゃんと

立てないと。

 

怒られちゃうから。。。

 

・・・みたいな。

 

男性達の心の声が、

聴こえてくるような。。。(苦笑)

 

 

あぁ。。。

 

女性たちが、

相当強いからなのかな。

 

・・・なんて思っていたけど。

 

 

 

そんなことをふと、

思い出したりしたので。

 

英会話の先生にそんな

話をしてみると、彼は。

 

 

「そうだね。でも多分、

一番強いのは、スペインの

女性達なんじゃないかな」

 

 

・・・と、言っていた。

 

 

そう言えば。

 

いつか会ったあの。

 

ウイングメーカーファンの

スペインの彼も。

 

ものすごく気が利いて、

ものすごく優しかったな。

 

・・・と。

 

そんなことを、、、

思い出したりもした。

 

 

*******

 

 

英会話の先生にとっては。

 

あらゆる場面での、

レディー・ファーストはもう、

「当たり前」のことで。

 

自分が特に、何かをして

あげている。。。という。

 

そういう意識もなく。

 

 

だから私が。

ああやって、感動を伝えても。

 

「これのどこがすごいの?」

 

・・・みたいに。

 

褒められていることに、

困惑していた(笑)

 

 

 

昔。

 

韓国の彼女が言っていた。

 

 

日本では、電車で、

車椅子の人を乗せる時に、

駅員がそれを手伝って。

 

そして、そこで多少時間を

とったとしても。

 

周りの乗客たちのなかで、

文句を言う人は誰もいなくて。

 

それは、素晴らしいことだよ。

 

・・・と。

 

 

韓国の彼女は

そう言っていたけど。

 

私にはそれが、

ピンとこなかった。

 

 

車椅子の人の乗り降りを

静かに見守っていること。

 

それで、

自分が良いことをしているとか。

 

そんなこと、

考えたこともなかった。

 

 

でも、彼女曰く。

 

韓国ではこういう時。

全員とは言わないまでも。

 

文句を言う人が、

必ずいる。と。

 

そう言っていた。

 

 

 

イギリス人の、

英会話の先生の話や。

 

韓国の彼女の話を

聞いていたら。

 

 

日本のことを、

すごく、客観視できた。

 

 

そして、思った。

 

 

日本人の本当の美徳って。

 

日本人には、

解らないのかもしれないな。と。

 

 

 

自分が。

 

人に対して、善を行ってる。

親切を行っている。

 

・・・と、自覚しているうちは

きっと。

 

まだまだなんだろうな。と。

 

 

それが、

当たり前の「感覚」になって。

 

意識もしなくなった時。

 

 

その時にやっと。

 

「身についた」

 

・・・と、言えるのだろうなぁ。と。

 

 

*******

 

 

つづく

デバダシスタジオで、

ミシャールからベリーダンスを

習っていた頃。

 

 

自分の英会話力が、

知らないうちにすごく低下して

しまっていることを実感して。

 

ちょっと、ショックだった。

 

 

そしてまた。

 

英語に触れないとなぁ。。。と。

 

そう思った。

 

 

・・・とは言っても、あの頃は。

 

ダンスをやったり、歌をやったり、

アロマや占星術を勉強したりと。

 

なかなか、英会話までは

手がまわらず。

 

 

実際に、英会話を始めたのは。

 

もう、その時期は、

ハッキリとは覚えていないけど。

 

 

多分。

 

父が亡くなったあとだとは思う。

 

 

*******

 

 

学校を卒業して、

OLをやっていた頃も。

 

私は、英会話のお教室に

通ったりしていた。

 

 

あの時は、

アメリカ人の先生から

教えてもらっていたけれども。

 

 

私はなんとなく、

イギリスの発音が好き。

 

・・・というか、耳に心地よく。

 

 

だから、次は、

イギリス人の先生から習おうと。

 

そう思っていた。

 

 

でも。

その後、結婚してしまって。

 

あれからもう。。。

何十年過ぎてしまったのか。。。

 

 

 

だから今回、

英会話を始める時は。

 

「イギリス人の先生」

 

・・・というのが、

最初の条件だった。

 

 

そして。

 

1対1で会話が出来ること。

 

 

あとは。

歩いていけるくらいの

近所でレッスンができること。

 

 

 

その条件で先生を

探していたら。

 

何人か、候補の先生が

見つかったのだけれども。

 

 

私は、その先生方が

アピールしている自己紹介よりも。

 

ほぼ。

名前だけで決めた(笑)

 

 

それも。

ものすごく、単純な理由。

 

 

その先生の名前が、

アメリカのウイングメーカーの

サイトの管理人の名前と

同じだったから(爆)

 

 

ホント。

 

それだけで、決めた。

 

 

 

のちのち。

 

先生は、ミドルネームを

教えてくれたのだけど。

 

 

その名前が、

「ジェームズ」だったと

知った時は。

 

 

なんだか、その偶然に。

 

私は妙に。

嬉しくなったものだ(笑)

 

 

本家ウイングメーカー・サイトの

管理人の名前と。

 

ジェームズの名前。

 

あともうひとつは、

クリスチャン・ネームだったけど。

 

 

でもこれだけで私は。

 

あぁ、この先生でいいんだ。と。

 

そう思ったのだ。

 

 

そんなことだけで。

 

「縁」というか。

「流れ」を感じる自分って。

 

すごい、単純だよなぁ。。。と。

 

 

そう思いつつ(笑)

 

 

*******

 

 

先生は、たしか。

弟と同じ歳だったと思う。

 

 

だから私とは、

ほぼ、同世代。

 

 

茶色に近いブロンドの髪に、

青い瞳。

 

そしてやっぱり、

私に「身内感」を感じさせる

高身長。

 

 

先生のその体型は。

なんだか、父に似ていて。

 

やっぱり。

 

父の家系には、

西洋の血、入ってそうだな。と。

 

あの時も思った。

 

 

 

イギリス人には、

イギリス人特有の何かがあって。

 

その「何か」を、

説明するのは難しいのだけど。

 

 

 

デヴィッド・ボウイが

亡くなった頃。

 

先生とよく、ボウイの話を

したことがあって。

 

 

あの時の私には。

 

先生とデヴィッド・ボウイが、

被って見えることが、よくあった。

 

 

姿形。というよりかは。

 

 

イギリス人に共通する

「匂い」

 

・・・を。

 

そこに感じていたのだ。

 

 

 

これは。

 

私が勝手に思っている

ことなのだけど。

 

 

イギリス人には。。。

 

それは、「個人」ではなく、

イギリスという国全体の

イメージなのだけど。

 

 

そこに。

 

乙女座的な匂いを感じる。。。

 

・・・というか。

 

 

ロマンチストでありながら、

同時にすごく現実的で。

 

そして、分析力があって、

シニカルで毒舌。。。

 

心が繊細で、どこか少し、

神経質そうで。

 

 

深いところでは、

奉仕の精神に溢れていて。

 

だから、本当は、

ものすごく優しいのだけど。

 

一見、冷たく。

手厳しく見える。。。

 

 

・・・みたいな。

 

 

英会話の先生からも、

そういう。。。

 

「乙女座的な匂い」を、

やっぱり感じたものだ。。。

 

 

 

イギリス人の

ジェネティック・マインドが、

どこか、乙女座的。。。

 

・・・とでも言えばいいのか。。。

 

 

ちなみに。

 

私の中では、日本人の

ジェネティック・マインドは。

 

天秤座的に見える。

 

 

「全体の調和」

 

「調和のとれた美」を好む。

 

・・・みたいな。

 

 

*******

 

 

乙女座は、魚座の裏側の

星座だから。

 

深いところでは、

魚座と同じエネルギーを持つ。

 

 

けれども。

 

それをどう表現するのか。が。

 

お互い、真逆になる。

 

 

乙女座と魚座が

共通しているエネルギーは。

 

 

私は。

 

「優しさ」

 

・・・だと思っていて。

 

 

優しさ。。。

 

・・・というか。

 

「奉仕」の精神というか。

 

 

つまり。。。

 

いつも、「誰かのため」を

考えていたりする。。。

 

 

どうしたら、

この人は喜ぶかな?

 

・・・とか。

 

どんなことが、この人は

嬉しいのだろう?

 

・・・とか。

 

どうしたら、この人は、

幸せになれるのだろうか。。。

 

・・・とか。

 

 

そのための表現。

行動のとり方が。

 

魚座は、どこまでも

相手に寄り添うのに対して。

 

乙女座は、あえて

相手の欠点をズバッと

指摘する。

 

・・・みたいな。

 

そんな厳しい形を

とりがちなのだけど。

 

 

でも、両方とも、

その心の底には。

 

「相手を思う気持ち」

 

・・・があって。

 

 

だから。

 

自分の心が元気な時は、

乙女座に厳しく指摘してもらい。

 

心が弱っている時は、

魚座に優しく寄り添ってもらう。

 

 

・・・というのが、

多分、良いと思う(笑)

 

 

私は。

 

自分の月星座が

乙女座なせいか。

 

乙女座的な在り方のほうが、

一緒にいて、ラクなことが多く。

 

 

昔。

 

アメリカ人やオーストラリア人よりも、

イギリス人といる時のほうが、

どこかでラクだったのは。

 

 

今。

イギリス人の英会話の先生と

一緒にいて、心地良いのは。

 

 

もしかして。

 

 

そういうことも、

関係していたりするのかな。。。

 

 

・・・なんて思ったりした。

 

 

 

そしてこうやって、

分析しているところが。

 

 

私はやっぱり。

乙女座的なのだ(笑)

 

 

*******

 

 

レッスンは、先生と私と。

 

1対1で、

ずっと英語で会話する

感じだったけど。

 

 

私も。

最初の頃はただただ。

 

英会話力の向上が

目的だったので。。。

 

 

だから、最初の頃のレッスンは。

 

昔、英語の学校に

通っていた時に勉強したようなことを

思い出す感じの。。。

 

そんな、普通のお勉強みたいな

内容だったし。。。

 

 

長い間、英語から離れていた

私は。。。

 

レッスンの後半に

なってくると。

 

なんだか。

意識が朦朧としてきて(笑)

 

 

多分。

キャパ・オーバーに

なるのだろうけど。。。

 

 

そのうち。

 

彼が何を言っているのか、

全然聞き取れなくなってくる。

 

・・・というか。

 

眠くなってきて(苦笑)

 

 

すごく、疲れた。

 

 

 

学生時代は。

 

毎日毎日、朝から晩まで

英語のみで過ごす。。。

 

なんてことをやっていて。

 

 

よく、平気だったよな。

 

やっぱり、若さかな?

 

・・・なんて思ったりしたけど(笑)

 

 

 

英会話も。

しばらくして慣れてくると。

 

頭がボーッとすることも、

だんだん、なくなっていき。。。

 

 

 

人間ってやっぱり。

 

環境に慣れる

生き物なんだな。と。

 

 

しみじみ感じたりもした(笑)

 

 

*******

 

 

つづく