運命の出会い 363 | TRIQUETRA ~Tributary Zone~

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2代目のブログです

昔、『源氏物語』を読んでいたら。

 

主人公の光源氏は、晩年。

 

最愛の紫の上に先立たれ。

そして、最後は出家していた。

 

 

生前、その紫の上も、

人生や、その他いろいろなことに

思うことあって。

 

源氏に再三、出家したいと

申し出ていたけれども。

 

最後まで、源氏はそれを

許さずに。

 

彼女を自分の手元に、

置き続けた。。。

 

 

 

源氏物語は、紫式部の

創作の物語ではあるけれども。

 

でも。

あのお話の中に出てくる

生活スタイルとか、人の在り方とか。

 

そういうものは、当時の。

 

平安時代の貴族たちの

生き方がそのまま、反映されて

いたりするのだろうなぁ。。。と。

 

そう思っていた。

 

 

 

あれだけ、華やかな人生を

送った光源氏も。

 

晩年には、秋が来て。。。

 

 

彼も最後は、出家して。

仏の道に入っていったけど。

 

 

源氏のああいった姿を、

どういう風に捉えるのか。

 

・・・というのもまた。

 

人それぞれなのだろうと。。。

 

そう思う。。。

 

 

自分には、彼の姿が

どういう風に映っているのか。。。

 

 

そこを観察すればきっと。

 

「今の自分」がそこに、

見えてくるのだろう。。。

 

 

*******

 

 

源氏が出家した年齢というのが、

たしか、50代だった気がして。

 

調べてみたらそれは、

どうやら、52歳だったようだ。。。

 

 

平安時代の人達と、

私達現代人は違う。。。と。

 

誰しもそう思うと思うし。

 

私もそう思っていた。。。

 

 

だから。

 

英会話の先生が。

 

「50歳になったら引退したい」

 

・・・と言っているのを

聞いていた時も。

 

 

「そうだよね。。。

私もそうしたい」

 

 

・・・と思う自分がそこに

いながらも。

 

でも、マインドはまた、

あれこれ言っていた。

 

 

「気持ちはすごく解るけど。

でも、それは理想だよ。。。

 

現実問題、それはやっぱり

難しい」

 

・・・ってね(苦笑)

 

 

生きていくには、

お金は必要だし。

 

そのためには、

働かなくてはいけないし。

 

・・・みたいな。

 

そういう、現実的なことを、

どこかで考えてしまっていたりした。

 

 

ただ。

 

そういう「現実的なこと」は、

脇に置いておいて考えてみれば。

 

 

あの頃の私の中には、

既に。

 

「なんだか。

やることはもう、やりきったなぁ」

 

・・・という感覚があったのは、

確かで。。。

 

 

だから。。。

 

この社会から。

 

本当に一線を引けるなら。

 

引退できるのであれば。

 

それは私にとっての、、、

「本当の幸せ」かもしれない。と。

 

 

どこかで、うっすらと。

感じていた。。。

 

 

 

たしかに。。。

 

平安時代と現代とでは。。。

 

纏う衣装は変わったけれども。。。

 

 

人間そのものは。。。

 

「生命の法則」は。

 

 

その、、、

根底にある「生命の樹」は。。。

 

 

きっと。

今も昔も。

 

何も変わっていないと。。。

 

 

*******

 

 

イエスやブッダが。。。

 

生き生きと活躍していたのは。

 

たしか。

30代くらいだったと思う。

 

 

私自身、今。

 

自分の人生を振り返ってみても、

感じる。。。

 

 

その時期が。

人生の中でも一番。

 

 

「人間を、

しっかりやっていたなぁ」

 

 

・・・と。

 

 

25歳くらいから。

40代前半くらいまで。

 

 

 

うまく言えないけれども。

 

私が。。。というよりも。

人間という生き物は。

 

そのくらいの時期が一番。

 

社会に貢献できる時期

なのかもしれない。。。と。

 

そう感じたりした。

 

 

「エネルギー的」。

 

・・・な意味で。

 

 

 

そういう時期を過ぎると。

 

人生に秋が来て。。。

 

 

その「秋」を。

 

自分の中でどう捉えるのかに

よって。

 

その後の残りの人生の、

過ごし方もまた。

 

変わってくるのだと思う。。。

 

 

 

通り過ぎてきた、春や夏に

ずっと心を囚われたまま

生きていくのか。。。

 

 

それとも。

 

冬そのものの美しさを、

堪能しながら生きるのか。。。

 

 

*******

 

 

19歳の時に。。。

 

「すべてである私」

 

・・・としての自分の記憶が蘇り。

 

 

私は、最初から。。。

「あの私」であったことを知った。

 

 

自分はひとりの人間であると

信じこんでいた。。。というか。

 

そんなことすら、考えずに、

人間であることを当たり前として

生きていた時ですら。

 

本当は。

 

「あの私」でしかなかったことを、

思い出してしまった。

 

 

 

そうしたら。

 

こうして今、この幻想の世界で。

 

「Lyrica」という人間として

存在しているという「感覚」で

いられること。

 

その感覚を、

ここまでリアルだと感じられること。

 

 

それはまるで、

奇跡のように思えた。

 

 

宗教や、スピリチュアルの世界では、

その「分離」の感覚こそが、

私達人間を不幸にしている。

 

・・・と、説くけれども。

 

 

でも、本当はそうじゃない。

 

 

その「分離の感覚」が

あるからこそ。

 

私達はこうして。

ここで、物語を繰り広げられる。

 

 

その物語を通して。

いろんなことを感じたり。

考えたりできる。

 

 

自分が自分の物語の

主人公になって。。。

 

「他者」。

 

・・・が、そこにいて。

 

 

愛し合ったり、

いがみ合ったり。

 

 

そういうことが、出来るのだ。。。

 

 

 

本当は。。。

 

私は、ひとりなのに。。。

 

本当に存在しているのは。

 

「すべてである私」という、

自分だけなのに。

 

 

まるでそこに。。。

 

「自分ではない人」が

いるかのように感じられる

この感覚というものは。

 

もう、奇跡だ。。。

 

 

 

私達はその、「分離の感覚」が

あるからこそ。

 

人間という「制限」があるからこそ。

 

記憶喪失になっているからこそ。

 

 

こうして。

 

ドラマを楽しめている。。。

 

 

 

19歳のあの時。。。

 

だから今って。。。

なんて、貴重なんだろうと。

 

そう思った。。。

 

 

こんな。。。

 

自分が人間であると、

疑えないほどにリアルに。

 

それを感じることのできる

今って。

 

なんて、

素晴らしいことなんだ。。。と。

 

 

だから。。。

 

どんなことがあったとしても。

何が起こったとしても。

 

それを今、

体験しつくさなければ。

 

もったいない。。。と。

 

 

いつも。

 

そう思っていた。。。

 

 

 

そのうち。。。

 

この幻想の世界の中には、

法則があることを知り。

 

 

私はその法則に。。。

 

生命の樹にのっとった、

このゲームに夢中になった。。。

 

 

「すべてである私」に

とっては。

 

これは、ゲームなのだ。。。

 

 

けれども。

 

魂も含めた、「人間Lyrica」という

個人にとっては。

 

これは、自分の人生の物語であり。。。

 

 

その両方の感覚の間を。

 

私はいつも、、、

行ったり来たりしていた。

 

 

・・・というより。

 

そのふたつの感覚を、

同時に生きていた。

 

 

今回の人生の物語の中では。。。

 

 

 

そうしているうちに、

だんだん、実感として。

 

解ってきた。

 

 

この世界で。

 

地球という舞台上で

繰り広げることのできる、

「人間ゲーム」の。

 

その、

真のラストシーンが。

 

どういうものなのかを。

 

 

 

それは多分。。。

 

人間としての自分が。。。

 

 

この世界の中でできることを

十分に生ききって。

 

 

そして。

この世界に対して。

 

心底、飽きること。

 

 

多分、人って。。。

 

自分のカルマがほとんど

なくなると。

 

 

この世界に飽きるのだと。

 

 

そう思った。

 

 

 

そうやって飽きた時に、

初めて。

 

 

自分の中に。

 

「すべてである私」と同じ。

 

「静寂さ」

 

・・・が、出現してくる。。。

 

 

その時。

人間である私の意識は。

 

「すべてである私」の意識と、

ほとんど同化したようになり。。。

 

 

今まで、体験したことも

なかったような。

 

「幸せ」が。

 

やってくるのだな。。。と。

 

 

それは。

 

「何もしない」

 

・・・という幸せ。

 

 

 

「磁力」が発生しなくなる。

 

その「磁力」は、「縁」であり。

 

「縁」とは「カルマ」でもあるから。

 

 

 

カルマがなくなると、

何にも引き寄せられないし。


「刺激」ももう、

必要なくなる。

 

 

何も起きなくなるし。

 

起こそうとも思わなくなる。

 

 

「衝動」が。

起こらなくなる。

 

 

 

そしてそこには。



ただ、静かに。。。

 

 

起きては消える、

一瞬の幸せではなく。

 

永続する幸福感だけが残る。

 

 

 

生きていることそのものが。

 

瞑想状態になる。。。

 

 

だから私は今。。。

 

瞑想すらもう、

していない。

 

 

*******

 

 

つづく