運命の出会い 364 | TRIQUETRA ~Tributary Zone~

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2代目のブログです

「何もしない」というのは。

 

何も自ら意図的に、

何もしないわけではなく。。。

 

 

正確に言えば、それは。

 

「何も起こらない」

 

・・・であり。

 

 

その「起こらないこと」に対して、

心底、幸せを感じている。

 

・・・ということ。

 

 

 

「何も起こらない」

 

・・・というのは。

 

 

例えば。

 

こうしている間にも、

世は、新型コロナウイルスのことで、

バタバタしていて。

 

だから、実際は、

何も起こっていないわけではないし。

 

 

世界の状況を、

完全に他人事として。

 

まったくの「無関心」に

なっているわけでもないのだけど。

 

 

そういう状況の中にいても。

 

私自身は、

何も変わらないのだ。。。

 

 

コロナが起こる前と、

起こった後で。

 

私は、何も変わらない。。。

 

 

 

自分の中に何か。

 

静かで、不動なものがあって。。。

 

 

 

そして、どこかで。。。

 

私はもう。

「引退」してしまっている。

 

・・・という感覚がある。

 

 

 

この世界にいながら。。。

 

なんだか、どこか遠くから、

この世界を眺めている。

 

 

静かに。。。

 

ただ、静かに、

それを観ている。。。

 

・・・みたいな。

 

 

 

この感覚は。。。

 

「すべてである私」

 

・・・の感覚に近くて。

 

 

昔。

 

鬱状態を経験した時は、

自分が。。。

 

 

人間Lyrica(自我)が、

この「すべてである私」の意識と

同化してしまうことに。

 

心地よさを感じつつも。

 

でも、どこかで抵抗していて。

 

 

「戻りたい、戻りたくない」

 

 

・・・というジレンマの中でもがき。

 

ものすごく疲労してしまったけど。

 

 

今は。

 

そういうジレンマがもう、

ないのだ。

 

 

無気力、とか。

無感動とか。

 

そういうのともまた、

違う。。。

 

 

映画を観れば、

相変わらず、号泣するし。

 

家族とは、馬鹿ばっかり言い合って、

毎日、大笑いしているし(笑)

 

 

でもそういう自分が、

自分の中で。。。

 

 

ただ起きては消えていく、

自分なのだ。。。

 

 

*******

 

 

魂。というのは、、、

 

この「すべてである私」の欠片。

 

・・・というか、自分が本当は、

「すべてである私」である。

 

・・・という意識というか、

自覚を保ちながらも。

 

 

同時に、「すべてである私」には、

実感することの出来ない「感覚」

 

「個としての自分」という

感覚を持っているものだと。

 

 

私は思っているのだけど。

 

 

今の自分の状態はおそらく。

 

Lyricaとしての自我が。。。

 

その魂の感覚に、シンクロしてきた

状態なのだろうな。。。と。

 

そんな気がしている。

 

 

*******

 

 

もし今。

 

自分に「死」が訪れたとしても。

 

それはそれだな。と。

 

そう思っている。

 

 

かと言って。

 

自ら死のうとか、

そういうことは、まったく思わないし。

 

この、「人間の身体」を

纏っている以上。

 

本能で。

 

自らの命を守ろうとは

してしまうだろうけど(笑)

 

 

もし、今日死んだとしても。

 

後悔することは、何もない。

 

 

 

昔は。。。

 

まだまだ小さな子供達をおいて

逝くことは、決して出来ない。。。と。

 

そう思っていたけれども。

 

 

今はそういう思いも。

かなり、薄れてきた。。。

 

 

本当に、人生とは。。。

 

成るように成っているものだ。と。

 

しみじみ思う。

 

 

*******

 

 

カルマがなくなってきた。

 

・・・と言っても。

 

ここにこうして。

 

人間として生きている以上。

 

まだきっと。

何かは残っているのだろう。。。

 

 

本当に何もなくなったら。

 

ここにいる必要も

なくなるだろうから。。。

 

 

それが何かはもう、

よく解らないし。

 

追求する気も、もうない。

 

 

先のことなんて、

解らないし。

 

 

あとは本当に。

 

ただユラユラと。

 

流れにまかせていくだけだ。

 

 

*******

 

 

昔は。。。

 

・・・というか、つい最近まで。

 

この「人間」というものを、

十分に楽しむこと。

 

それが私の生きがいで。

 

 

この世界は。

 

本当に「貴重なもの」だと

思っていたから。。。

 

 

だからたとえ、

死んだあと、またこの世界に

戻ってきたとしても。

 

それはそれだ。と。

 

そう思っていた。

 

 

人間的時間の感覚でいったら。

 

それは、遠い未来かもしれないし、

長く果てしない時間が

かかるのかもしれないけど。

 

 

でもいずれは。

 

どんな人でも必ず。

 

「すべてである私」に

戻っていくものだと。

 

 

それを私は。

 

信じて疑っていなかったから。

 

 

それが私にとっての、

事実だったから。

 

 

人間には果てしなく長い

その時間さえも。

 

「あの私」にとっては。。。

 

「すべてである私」にとっては。

 

ほんの一瞬のこと。

 

・・・でしかないのだから。。。

 

 

 

仏教者が「解脱」を目指したり、

キリスト教信者が、「天国」を

目指したりするのを見て。

 

ニューエイジ信奉者の人達が、

「アセンション」を夢見るのを見て。

 

 

どうしてみんな。。。

 

この人間の世界を。

「今」を。

 

そんなに嫌うのだろう。。。と。

 

そう思っていた。

 

 

そういう人たちは、きっと。

 

ここで、幸せを

実感できていないのだろうと。

 

 

そう思っていた。

 

 

でも。

 

この貴重な世界の中で、

心底、満足しなければ。

 

満たされなければ。

 

またきっと。

ここに戻ってくるだろうに。と。

 

そう思っていた。

 

 

ずっと。

 

そう思っていた。

 

 

 

けれども。

 

最近は、思うのだ。

 

 

「なんだかもう。

人間の体験も、お腹いっぱいかも」

 

・・・と。

 

 

この、「人間ゲーム」はもう。

 

やり尽くしたかも。。。

 

・・・と。

 

 

*******

 

 

「人間ゲーム」

 

そのゲームの世界はきっと。

 

そこに、「私」と「あなた」がいる世界。

 

そこに、「他者」がいる世界。

 

 

この地球も含めた、

私達人間が想像できる、

ありとあらゆる宇宙には。

 

そこに、「私」と「あなた」がいて。

 

あらゆる、ドラマを

繰り広げている。。。

 

 

自分自身がその、

登場人物になって。

 

 

繰り返し、繰り返し。。。

 

 

もう、やりたいことがなくなるまで、

遊び続ける。。。

 

 

 

時代と共に、

物語の舞台や背景は変わるけど。

 

 

そこにはいつも、

 

一定の覚者がいて。

 

一定の王族がいて。

 

一定の聖職者がいて。

 

一定の芸術家や科学者がいて。

 

一定の庶民がいて。

 

他にもいろいろあって。

 

 

やりたい役を演じる。。。

 

 

魂は、次から次へと

発生してきて。

 

だから。

 

このゲームに飽きて、

どこか他に旅立った魂がいても。

 

 

次にはまた新たな魂が。

 

このゲームの中に

吸い込まれてきて。

 

 

そうやってずっと。

 

ここは、保たれているような。

 

そんな気がした。

 

 

 

この人間ゲームに飽きた魂が。。。

 

次にどこに行くのかは。

 

私には解らない。。。

 

 

 

今回の人生の物語が

終了したら。。。

 

 

私の魂は。

 

まだまだ、幻想の世界に留まり続け。

 

今の私には想像もできなかったような

違うゲームをプレイしにいくのか。

 

 

それとも、「すべてである私」の中に

溶けて消えていくのか。。。

 

 

それも解らないし。

どっちでもいいや。。。とも思う。

 

 

ただもう。

 

人間ゲームは飽きたかな(苦笑)

 

 

 

・・・といいつつ。

 

またここに吸い込まれたとしても。

 

 

それはそれだ。。。

 

 

*******

 

 

こういう私のもとで育った

子供達は。。。

 

ある頃までは。

 

こういう考え方が当たり前として、

生きてきたけれども。

 

 

ある程度大人になり。

 

自分の足で、

社会の中に踏み込んでいった時。

 

 

今までの自分の在り方。

 

・・・というか、我が家の在り方が。

 

 

世間一般の在り方とは、

相当ずれていることを、

実感したらしい。。。

 

 

やっと。

 

 

 

私が普通の社会の中で。

 

どれだけ、自分を演じながら、

周りに合わせながらやってきて

いたのかが。

 

やっと、解ったらしい(笑)

 

 

 

私の在り方と。

 

子供達が今、

外で関わっている人たちの在り方と。

 

 

一体どちらが正解なの?

 

 

・・・ということで、

特に娘は一時、混乱していた。

 

 

そんな彼女の姿を見て。

 

大人になったなぁ。。。と。

 

しみじみ思った。。。

 

 

 

「どっちがラク?」

 

・・・と訊いたら、娘は。

 

「こっち」

 

・・・と、答えた。

 

 

けれども、外で。

 

家での在り方そのままで

やったら。

 

きっと、浮いてしまうだろうとも。

 

娘は言っていた。

 

 

 

「どっちが正解かなんてことは、

ママが決めることではない。

 

あなたはあなたの目で

よく見て。

 

そして、

自分の生き方は、

自分で決めなさい。

 

あなたが自分で決めたことなら、

ママはそれを尊重するよ」

 

 

・・・とだけ、言っておいた。

 

 

*******

 

 

つづく