名取市歴史民俗資料館~古代名取郡の遺跡をまなぶ【仙台・名取のたび2日目】
仙台・名取のたび2日目の最後は名取市へ。名取歴史民俗資料館へ。 公式サイトはコチラ広場には雷神山古墳の約10分の1サイズの前方後円墳をモチーフにした盛り土がありました 規模的には小規模な施設ですが、雷神山古墳など市内に点在する古墳や、名取の旧石器時代から縄文時代の環境などが分かりやすく展示され、理解が深まりました。イベントなども開催されているようです。HPには市内の古墳をめぐるおすすめコースなどが掲載され、こちらも役立ちました! 展示室は「考古の展示室」と「歴史・民俗の展示室」に分かれています。 「考古の展示室」には、愛島(めでしま)丘陵部を中心とした旧石器時代や縄文時代の暮らし、雷神山古墳など古墳時代の名取について、名取郡が成立した奈良・平安時代の3つのゾーンがありました。 特に興味深かったのが模型(でいいのかな?)とライティングで、旧石器時代から縄文時代の名取の環境変化を示す展示。名取は縄文海進によりかなり海岸線が変わったらしい(名取川も現在とは全く違う位置にあったようです)。とても分かりやすい展示でした。〈分かったこと〉・名取は高舘・愛島丘陵地中心に人が暮らしていた・内側が黒い土師器は、東北地方でつくられた土師器の特徴・再送墓は、福島県など東北南部を中心に流行した新しい葬法。市内の泉遺跡は、その最北部に位置すると考えられる。・十三塚遺跡からは遠賀川(おんががわ)系の土器が出土。種籾を入れたと思われる大型の壺型土器・名取には比較的早い時期に稲作が伝わったが、収穫量は少なく、補うために森から自然の食料を得ていた・古墳時代の名取には、宇賀崎1号墳や天神塚など小規模な古墳がある一方、雷神山古墳のような大規模な古墳もあった。規模が異なる古墳があるのは、さまざまな階層の首長の存在を示す・飯野坂古墳群は、日本北限の前方後方墳である・これらの古墳群は古墳時代前期に連続してつくられた。この地域の首長の代々の墓と考えられる・十三塚古墳からは100軒以上の竪穴住居が見つかった。古墳時代の大集落だったと思われる・高舘丘陵の裾を東山道が通っていた・律令時代の名取は福島県のいわきや関東からの移民が多かった 愛島丘陵沿いには、東山道(古代の官道)の跡があると伝わり、式内社の佐具叡(さぐえ)神社が鎮座していたらしい(現在はそこから1kmほど離れた佐倍乃(さのえ)神社に合祀されているそうです。この佐倍乃神社の創建は景行天皇40年と伝わるとのこと。午前中に参拝した仙台市の多賀神社と同じ年ですね) 東山道に式内社。元宮跡もあるらしいし、名取市のほうの多賀神社にも参拝したい。 それから、名取市の熊野三山! 最初は「へー、ここにも熊野信仰かー」って感じで、時間があったら参拝したいな程度だったのですが、紀伊の熊野三山と地理的・方角的に同じく勧請したと知り、俄然興味がわいてきました。名取老女も気になる…。 次回は式内社+熊野三山参拝して、もう一回、歴史民俗資料館で理解を深めて…って感じかな? 名取市だけで1泊2日しないと…! 最後に 今回のまなびたびは、ここで終了…と思ったけど、やっぱり福島県新地町の貝塚から鹿狼山(かろうさん)をのぞみたくて、常磐道を南下。最後に独特のシルエットを拝んできました。今年のうちに行きたい!山頂の形(樹木?)が独特ビジュアル版 古墳時代ガイドブック (シリーズ「遺跡を学ぶ」別冊04)Amazon(アマゾン)1,238〜5,450円