▲菅谷地

 

前回記事で紹介した湖南町の隠津島神社が鎮座される

郡山市湖南町は「民話の里」としても知られ

地元の皆さんが地域に伝わる210余の民話を語り継いでいます。

 

▼「湖南民話の会」ホームページ

 

 

民話が残る地には、案内板が立てられており

隠津島神社の境内にも「お菅様」にまつわる民話の案内板が設置されていました。

その内容を紹介させていただきます。

 

 

 

 

お菅様と仏法僧

 

 むかし、会津から鎌倉へ行くには馬入峠を通るので、隠津島神社には必ず参詣して通った。しかしその都度、裏山の風穴から神の使者の大きな蛇が何匹も出るので、ある殿様が、それが目障りだと山陰の御代村に神社を遷したので勢至堂峠が本街道となった。

 

 しかし、今度は殿様が御代を通るたびにまた蛇が現れ、殿様が気絶するという事故があり再び馬入峠を通るようにし、神社も元に遷した。

 

 そのとき御代のお菅様に仕えていた宮男の一家は仕事がなくなり、神社領だった山で炭焼きをして暮らすようになったが、不運は続き男の子一人を残しその妻は病気で亡くなってしまった。

 

 そこで父親は、男の子に読み書きそろばんを習わせるため、近くの民家に頼みひとり山の中で炭焼きに精を出した。

 

 酒好きな父親のために親孝行な息子は五日ごとに酒樽を背負って炭焼き小屋に行き父と会うのを何よりの楽しみにしていた。

 

 ある日息子が山に入って行くと父親の姿が見えない。

「おとっっあー」「おとっっあー」声を限りに呼んでみたが返事はなかった。手足に傷を負いながら捜したが夜になっても遂に見つからず、血を吐くような泣き声が山々に響き、山の奥へ奥へと闇の中に消えていった。

 

 そのまま父も子もついに御代村へは戻らなかった。

 

 この騒ぎのあと馬入のお菅様の山で、珍しい仏法僧がしきりに鳴くようになったという。

 子が父を捜し求める哀れな鳥の鳴き声が…

 

 お菅様はその父子を哀れに思い引き取って加護し、親子は神に仕え、永遠に幸せに恵まれたのだと里人は言う。

 

 あったどむかしがさーげだ

 

※あったどむかしがさーげだ→「昔話が栄えた」という意味だそうです

 

 

この民話を読んで、ふと思い出したことが…

 

馬入は水芭蕉の自生地としても知られているのですが、

以前、隠津島神社へ参拝する前に、撮影するために自生地を訪ねたら

地元の方らしき男性に「そこにマムシがいるよ!」と教えていただいたことがあります(怖っ)

 

民話にもあるように、神社の周辺には蛇がたくさん出るのかもしれません。

 

 

以前の投稿で、

隠津島神社のご祭神が宗像三女神であること

それにならい、隠津島神社には「奥津宮・中津宮・辺津宮」があり

湖南町三代(みよ)に辺津宮が鎮座されることを紹介しました。

 

「山陰(やまかげ)の御代(みよ)村に神社を遷した」とありますが

これが辺津宮にあたるのかもしれません……あくまで妄想です。

 

なぜ内陸のこの地に宗像三女神がお祀りされているのか、

交通安全の神様でもあるので、旅の安全のためにお祀りされたのか

それとも他に意味があるのか…気になるところです。

 

それにしても、蛇を見て気絶するお殿様って…💦

 

 ▼隠津島神社に関する投稿

 

 

 

▲隠津島神社の左手に鎮座される「蛇神様」