※写真位置を変更して再アップしました。
そうだ、福島県の新地町の貝塚を見て、鹿狼山登って、そのまま北上して仙台へ行こう!
新地町の三貫寺貝塚と鹿狼山、一度行きたかったのでした。そこから仙台市の地底の森ミュージアム! できれば多賀城の国府跡!
そう思い立って、登山スタイルで車に乗り込み、母に「行ってくるでー」と電話しようした瞬間、「あら? 電話がつながらない?」
時間は2022年7月2日(土)の午前9時。そう、私はauキャリアなのでした(正確にはUQモバイルキャリア)。
大変は大変ですが、いつかは解消されるでしょうから(ドコモのときもソフトバンクのときもそうだった)、不安にはならなかったけど、唯一困ったのは、高齢の母への連絡です。「携帯がつながらないよ」と説明しても、たぶん理解できないだろうなーと思い、急遽予定を変更し、実家に戻り、母に状況説明。その後、仙台へと向かったのでした。
予定を大幅変更。今日は名取市の雷神山古墳を見て、明日地底の森ミュージアム見て、郡山遺跡見て、帰りに新地町の貝塚を見よう!
そんなワケで、あだたらSAでそばを食べて、名取市へ。国見SAで休憩。あつかし山にも行きたいなあ。古代蓮も気になる………毎回のことだけど、行きたいところがいっぱいです。
さて、雷神山古墳です。
雷神山に行くのは2回目。前回はコロナ禍前の2019年、松島の帰りに寄ったような気がします。そのときも感じたけど、驚くくらい普通の住宅街の一角にどどーん!と位置しています。とは言っても、大阪市堺市の大仙古墳のような平地ではなく、丘陵地の上にあるので、住宅街から見上げても古墳は見えません。
駐車場から古墳へ至る階段
階段脇に歌碑がありました(詳細不明)
階段を登ると、国の史蹟指定の記念碑が
翌日(4日)名取市歴史民俗資料館で勉強してきましたが、古墳が位置する愛島(めでしま)丘陵は、縄文時代から人が暮らした場所だったようです。名称は後円部に祀られた雷神の祠にちなむとのこと。
駐車場(結構広め)に車を停めて、階段を登って、古墳へ。丘陵地は標高約40m。結構な高さがあります。階段を登り切ると、目の前に古墳……と言っても、パッと見た目は古墳だとわからない。こんもりとした森がある感じ。
名取市教育委員会の案内図。前方部の一部は墓地になっています。左側の円墳は小塚古墳と呼ばれるらしい。
まだ登ります(標高40m!)。
ここを登りきると古墳(らしき森)が見えてきます。
見えてきた後円部
古墳の周囲は史跡公園として整備され、遊歩道があり、歩くことができます。実際散歩中の方にお会いしました。以前は結構草が繁茂していて、歩くのがためらわれましたが(長い爬虫類が苦手)、今回は草刈り直後だったのか、歩きやすかった(靴下も長いものを着用)。今回は墳頂まで登ってみました。
以下、平成29年に掲示された名取市教育委員会の説明板からまとめました。
・名取市西部の高舘丘陵から中央に大きく張り出す愛島丘陵(標高40m前後)東端部に築造された、全長168mの東北地方最大の前方後円墳。
・築造年代は4世紀後半頃と考えられている。古墳時代前期(3世紀中頃~4世紀)の時期で比較した場合、東日本で最大級の大きさを誇る。
・このことから、この古墳に葬られた人物がヤマト政権と強い関係を持ち、名取を中心とする広い地域を治めていた有力者であったことが分かる。
・また当時の名取がこのように大きな古墳築造を可能とする高い農業生産力や経済力を有し、多くの人や文物が集まる重要な場所であったことを物語る。
・こうした強大な権力を象徴するものとして、市内を一望する場所に築造されたと考えられる。
・後円部の直径は96m、高さ12m、前方部は長さ72m、幅96m、高さ6m。ともに三段に築かれている。
・一段目はその当時の地面を古墳の形に削り出し、削った土を積み上げて二段目、三段目が造られている。格段の斜面には葺石(表面の飾りや土留のための石)が敷き詰められて、段上には壷形埴輪が並べられている。
・後円部の直径と前方部の幅が同じであることなどから、一定の規格や比率にもとづいた計画的な築造ができる、高い土木技術を有じた人々が築造に関わったと考えられる。
以下、写真でご紹介。
順路を示す表示石
くびれ部分にあるたかまり平坦部
何のお花だろう?。草刈り直後だったのか、草の青いにおいが漂っていました
周囲には遊歩道も整備されています。散歩にも最適?
前方部にある墓地
後円部は高さ12m。この写真だとさほど高くないように見えるけど、それなりの高さがあります(このあと墳頂に登ります)
なんの草だろう? ちょっと古代な感じ?
案内板と休憩スペース
北側にある小塚古墳。いわれないと円墳だと気づかないかも?
きちんと整備された周庭帯。
【小塚古墳】
・雷神山古墳のすぐ北側に築造された円墳。雷神山古墳と同じく三段に築かれている。
・直径54m、高さ6m。まわりに周溝がめぐっている。葺石はないが、壺形植輪と似た土器が見つかっている。
・円墳の中では、東北地方でも最大級のもの。雷神山古墳に葬られた人物と関係の深い人のお墓と考えられる。
小塚古墳の周囲をぐるりと周遊
古墳が位置する愛島丘陵地の高さがよくわかります
小塚古墳。木々に隠れるように石碑が並んでいます
ここからは再び雷神山古墳へ。
案内図を見る限り、墳頂へ行く石段があるハズだけど、一周目は見つからず。墳頂の雷神様を一目みたくて、再度雷神山古墳の周囲を歩きました。
草の影に石段発見!
1周目、なんで気づかなかったんだろう?
さらに続く石段。いや、さきたま古墳群の丸墓山古墳に比べたら楽なものです
墳頂に到着!
これが墳頂の雷神様かな? 地震で崩れたのでしょうか、立ち入り禁止になっていました
雷神様のアップ
右手の石碑
「奉供養庚申」の文字と三猿の彫刻? 右側の「施主」の上には「寶永元……」の文字。江戸時代の宝永年間のもの?
墳頂からの眺め
後円部を見る
石段途中の祠(不明)
祠のアップ
後円部から後方部をのぞむ
後方部から前方部をのぞむ
三段であることがよくわかります