シベリアの夜長を古代史に夢を馳せて~その26~ |  アンドロゴス生涯学習研究所

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シベリアの夜長シリーズのコンテンツリスト

 

その1 イントロダクション、日本古代の叙事詩ホツマツタヱ、ヲシテ文献ってこんなもの。
その2 文献的アイデンティティ、ヲシテ文字フォント「TTミカサ01」のダウンロードのおすすめ。
その3 ミカサフミの紹介とこれまでの文法による解釈、そして少し前の私の実力(貧しい)による読解。
その4 一文字辞書とコード表、史料のコーパス化のすすめ。
その5 イミナ、タタエナ、オクリナの考え方、そして、ヒナ祭りと床盃、核家族の始まりを2アヤから解説します。
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その6 ハタレの乱と王子のキツネを検証、8アヤからです。
その7 カガミ、ミソギ、コクミとシラヒトの裁判にみる量刑法定主義、ソサノヲの不遇、7アヤから解説します。
その8 古代日本の階級、タカマノハラ図解、アメ族渡来の仮説、ミカサフミタカマナルアヤからの抜粋です。
その9 イサナミの殯、イサナギの夢、族間のいさかい、ヤソマカツヒなど、文法とウタによる解法、5アヤから。
その10 タケミカツチの武勇伝とハタレ再びとして、シラヒトと諜報ネットワークの醸成を8アヤから解説。
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その11 不遇のソサノヲが自ら運命を切り開く、ヤマタノオロチの話、類別詞の仮説、9アヤからです。
その12 9アヤの続き、ソサノヲがクスヒと和解しハタレネを討つ、全てうまく行き、出雲で八雲琴を作る話です。
その13 ワカヒメと、カナサキ、アマテルカミがグルになってマワリウタでアチヒコと結婚させる、1アヤの解説。
その14 ホツマツタヱの理解のための図解等、資料集です。
その15 ワカヒメの話の続きで、稲の害虫を駆除する祭りの解説です。
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その16 古代社会における宗教的観念と、ミヤの成立過程を図解しながら解説します。
その17 ニハリノミヤと新治郡衙、モグラの兄弟とヤマサカミ、鳥居の話、ミヤから神社へ、21アヤから。
その18 ヤシロの建て方、タミメと諺文の関係、言葉書きによる地図の説明、トシノリタマメの解説。
その19 ニハリノミヤに移動する日のウツヲの狼藉、明神型神社、神明型神社の完成まで、を解説します。
その20 ちょっと一息、映像構成:御茶ノ水点描から、伝中華の超人、神農の紹介。
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その21 10アヤで「神農はだれだ?」と題して、フォークロアと歴史の接点を探ります、茅の輪くぐりや蘇民将来も。
その22 記紀で有名な出雲の国譲りの話です、題して「若彦館殺人事件」名探偵的な絵解きをします。
その23 鳥の殯の考察、喪屋を切り伏せるタカヒコネとオクラヒメの相聞歌を検証します。
その24 タケミカツチとフツヌシが出雲に迫り、クシヒコの政治力と、内海、外海の水運の規模も考察します。
その25 フランス語の文法解析手法を応用した古代日本語の解法と、ホツマツタヱの解説記事のまとめ1
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その26  今回 ホツマツタヱの解説記事のまとめ2

 

 

■古代人の信仰とカガミのレジュメ

 

 

その7の記事で、鏡と鑑の話をしましたが、カガミについて、すこし考察を加えます。

 

 

神社に関連して、話した、ホツマツタヱに出てくるカガミの使用法ですが、4アヤに非常にシンボリックな使い方が出ていました。
トヨケが、世継ぎを乞う祈りをアメミオヤにささげ、8000回に及ぶ祈りが通じ、アメミオヤは日と月の御霊を分け下した、とあります。

 

 

この基本概念をOSI参照モデルをベースにして考えた結果、驚くべき概念を得ました。
ちなみに、OSI(Open Systems Interconnection)参照モデルはISO国際標準化機構により1977年から提唱されている、通信の標準化を目的とした規約です。
当時、各国が、さまざまな目的から自国の内部で規格化された通信方式のせめぎあいによって国際通信が難しくなったため、世界中をゲートウェイ無しに直結できるようにしよう、というムーブメントです。
(本論からはずれますので、本稿の最後にコラムを用意しました、政治的興味の有る方はごらんください)

 

 

コンピュータネットワークを対象とした規約ではありますが、文化人類学、文明論、意味論等を下敷きに持っているため、工学者を中心に、あらゆるコンテンツと整合性があり、特に学術分野で広く応用されております。
まあ、重要なのは、「階層を揃えれば意志の伝達が容易」ということでしょうか。
ミリタリで言うなら、新しい小銃を作るときには西でも東でも、NATO弾(北大西洋条約機構軍御用達規格の弾)が使えるように設計すると云うことです。

 

 

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この図は、鏡を通信機としてとらえたとき、昔の人の信仰と一致していると考えて描いたものですが、どうやら、正解のようです。
ここで云う、ソケットサービスというのは、ネットワークアドレスが同一であれば、ハードウェアを直結したのと同等な結果になるサービスのことです。
以前、その19で、鏡は霊界交信機(もちろん、現実にそんなものではありませんがアメ族がそう思いたいということです)と書きましたが、さらに考えるとユキキノミチという概念が、通信ではなく、ネットワークの機能を内包している(つまり、立体的である)ことがわかったのです。

 

 

トヨケはアメミオヤにお願いをして、アメミオヤの目とされている日月(じつげつ)の御霊(みたま)を分け下されました。
ホツマツタヱにはカンナビ(神奈備)というのは出てこないのですが、「カンナミ」という語があるので、わかりやすいように援用しました。
後日、研究が進めばカンナミという語も別の意味だ、という批判を受けると考えております。
高い山に神が宿るという考え方は(立体的なネットワークの概念からすると)、アメ族にはマイナーな感じがするのでは?という気がします。

 

 

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そして、別の場所(ハラミヤマ、富士山)で、アマカミであるイサナギは、イシコリトメに造らせたマスカガミを正面に据えて顔を振りながら交互に左右の目で鏡に映る映像を追い、左目を日に、右目を月になぞらえて祈った、とあります。
若干、話が拡散してしまうのですが、イシコリトメというのは書紀にも登場し、石凝戸邊、伊斯許理度売、石凝姥などと表記されているようです。
ここで、問題なのは、メなら女、ベなら男みたいな感覚が定着しているようにみえることです。
イシコリトメは鏡職人だと考えれば、それはベ(部)と考えるのが妥当でしょう。
カガミを鋳造するのに、粘土とロストワックスを使っているなら、女性の職工もありだと、思うのですが、石型で量産するとなると、熱い、汚い、力仕事、などから、男性の職場と考えるのが普通です。
以前、その19で、シナトメというのが出てきましたが、これもシナドメ、シナドベと書くこともあるようです。
ニハリノミヤの瑞垣を壊す騒ぎを、シナトメに抑えさせたのですが、これなど、その文の雰囲気から女だと思いました。
つまり、印象として、ギャートルズに出てくるようなオバさんが、「アンタ、なに騒いでんのよ!、さっさと仕事しなさい!」みたいな。
言語的な規則性はわからないのですが、メ・ヘ・ベはどれも同じかもしれません。
スメラギも、スヘラギというのも、スベラギもみな同じなわけで。
最初は男ならベ、女ならメとか思っちゃったんですけど、ね。

 

 

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こうして、出来た子がワカヒト(アマテル)なのです。
しかし、この後にもSuper naturalな話が控えています。
96ヶ月の長孕みとか、アリエネーだろっての。
基本、我ら人類の妊娠期間は280日程度、とか。
なんでも、妊娠期間は胎盤の寿命できまるそうですが。
胎盤は胎児の器官の一部ですから、アマテルは極端な特異体質だったのかも。
蛇足になりますが、産科病院では出産時に胎盤処置料というのを徴収していますが、さらにその胎盤を業者に売却しています。(二重取りですね)
その胎盤は血液を絞り、臍帯血として加工します。
化粧品などに使うプラセンタエキスはこうやって作られるとか。

 

 

このあたりは4アヤに出ていますので、この三枚のスライドを見ながら、朝倉氏のページを読んでいただきたいと思います
http://hotsuma.anyone.jp/mikai/cat/yaku04/

 

 

ヱ 手抜きだー!
ト 手抜きダー!

 

 

 

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その19で書いた神明型神社の完成はこんなイメージになります。
ミツエシロというのがシャーマンの役をするのですね。

 

 

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とつぜん、現代に飛んでもうしわけないのですが、鏡といえば石灰壇(いしばいのだん)がはずせないのです。
天皇陛下は毎朝、早朝に置きて四方拝をするとか、冷たい石灰を固めた壇の上で礼拝をしなくてはならない、etc.etc.

 

 

だから天皇陛下は尊いのです、と・・・
池田先生もこんな調子なのです。

 

 

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私は、石灰壇というものが、なぜ用いられたかには興味があります。
それは、清涼殿という、御所の名称からもわかるように、暑い夏に涼を取るためです。
昔、夏の暑い時期にパリに居たことがありました。
なんでも、100年ぶりの暑さだとかで、連日30℃を超えていたので、毎日、エトワール広場にかよい、凱旋門の地下で大理石に囲まれて涼を取っていました。
顔なじみになったフランス人のおじさんが、訊きます。
「おまえ、毎日ここに来るが、革命が好きなのか?」と。
「いや、革命は嫌いじゃないが、ここは、とりわけ涼しい」と答えると、
「おまえは正直でいいヤツだ、オレの娘を嫁にやりたいくらいだが・・・」と、口ごもります。
「どうした、娘さんは元気じゃないのか?」と訊くと、
「うん、腎臓が悪くて子供が産めないんだ」
「そうか、それは気の毒だ、養生させてやりなよ」
それからも、何度かそのおじさんと話をしましたが、それもこれも、ずっと昔の事です。
ちょっと、時間を遡ってノスタルジに浸ってしまいましたが、この石灰壇というのは大理石が原型だったと推測されます。
大理石は比熱が大きく、洋菓子屋で使うマーブル板はチョコレートのテンパリングなどに用いられます。
中華では大理石は大理で産出されたので、この名がつきましたが、刑部と関連のある名なので、同音の内裏と重なると思うのはわたしだけでしょうか。
いずれにしても、文化の連鎖を無視することはできません。
日本では山口県が石灰岩の産地ですが、大きな岩を切り出す技術がなかったのかもしれません、現在でも、石灰岩を切り出すのは工具の損耗が激しいので嫌われています。
(水プラズマが有効かも)
適当な塊にして竈で焼いて生石灰にします。
さらに水を加え消石灰としてから使います。
これに水とふのり(海藻)や石膏、貝殻粉などを加えて練ると左官屋の使う漆喰となり、土蔵のような塗籠に使用します。
上手に配合した漆喰は完全に乾燥した後、磨くと大理石のような光沢を得ることができるとか。

 

 

さて、冬は寒いだろう、と言われるでしょう、当然です。
この床の奥の方に塵壷(ちりつぼ)と呼ばれる窪みが用意されています。
ここに火桶(ひおけ、火鉢)をセットして暖を取るようになっています。
「家の作りは夏を旨とすべし」というのが日本の風習です。

 

 

先人の話を鵜呑みにして尊い尊いをくりかえしていてはダメなのです。
天皇陛下の行為が尊いのではありません。
では、私には陛下に対する崇敬の念は無いかといえば、そうではありません。

 

 

私は今上帝は無条件に尊いと思っています。
しかし、だからといって、ホツマツタヱの読者である私が、クニトコタチを尊っとばなければならない理由は無いではありませんか。
アマテルカミだって、失政の連続で、ハタレの乱だって、アマテルカミのごく近くの親戚によって起こされているのです。
ソサノヲは不倫をして追放されてはいますが、元はといえば、アマテルカミがキサキであるモチコをないがしろにして(その子を廃太子までして)セオリツヒメを皇后の座に据えたのが原因なのですから。
当時、それが非難されるようなことではなかったので、誰も、そこにリスクが存在するとは思わななかったのです。
イサナギ以降、皇室の藩屏を築こうと、積極的に地方の姫に胤をのこしていったのは核家族のモラルとは合致しませんが、それは批難するようなことでしょうか?

 

 

国学者である折口信夫の研究をベースに据え、皇室で行われる大嘗祭の儀式を「悪魔教」ととらえる輩がいます。

 

 

 

 

左翼活動家というのは人間を愛するのが本当ですが、人間を卑しめるのが好き☆という人もいる、という見本のようですね。
国学者の歪んだ考えを上げつらって儀式そのものの善悪を語るのです。
もともと、天皇陛下は神道の頂点に断つ長(おさ)ですから儀式をやるのは当然です。
その儀式が何を意味しているか、それを日本人が忘れてしまっているのを良いことに、ことさら秘密部分を掘り出そうというわけです。
これは時代を無視しているのです。
鏡と対面するには、通常はミツエシロとなる巫女が必要になりますが、単婚を原則としている今上帝に対し、無理に巫女と交われと言うのでしょうか?
私は最初から神道は古代日本の劣化コピーと申し上げております。
すでに劣化している儀式をどう、評価しろと?
現在はそのシャーマンたる役目は皇后陛下がされているのですが、アメ族の原理なら、その場に居合わせる必要すらないのです。

 

 

この、気色の悪いサイトのインモラルという発想は、折口信夫がホモだったというところから連想したのだとおもいますが、モラリストは自分の発想が下品なのを転嫁しているだけなのでしょう。
まあ、こんなサイトはだれが見ても気分が悪いとおもいますが、左翼思想ではなく、トロツキズムではこんな理論を展開するのが普通です。
しかしながら、国学者が歪んでいるのも、これまた事実なのですが。

 

 

マリア観音を拝みながら乱を起こす輩もいて当然なのです。
すべてが謎の原理主義で、自分の親が尊いのだからその親はもっと尊い・・・この無限連鎖は理解こそできますが、人の心理は少し異なります。
人は自分に近い人を愛するだけなのです。
会って二言、三言話しただけでも、その他大勢とは区別して考えるのは自然なことです。
まあ、とにかく、尊い尊いの連発は大概にしてほしいものです。

 

 

この稿はこれで終わりです。
また書けることがあったら(実はたくさんあります)書きますので、ご期待ください。

 

 

 

 

 

コラム: ISOと世界の標準化とは

 

 

 

 

 

私が中学生だった頃、JIS(日本工業規格)を学びましたが、ちょうどその頃、ISOの勧告に従い、ネジのピッチを変更することになりました。
メートルネジの3mm、4mm、5mmの三種類は、JISとISOでピッチが異なり、見分けるために、ISO規格のネジには頭にポッチをつけることになりました。
私などは、ISOというのはインターナショナル・スクリュー・オーガニゼーションだと誤解しておりました。(なにしろ、中学生だしぃ)
現在では随分と浸透しており、ISO9000、ISO14000などが有名ですが、すべては自分で基準を決めて宣言する自主規制、内容はカラッポで、順守するメリットはありません。
JIS,DIN、ASAなどの各国の規格を撲滅するのが目的だったようです。
そう、これが世界を現在の混沌に導いたのです。

 

 

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http://www.mukaidono.jp/kouen/ 掲載のPDF資料より引用

 

 

私は、別に、ISOがユダヤ勢力由来の機関であるからダメだ、といっているのではありません。
ISOの規約に基づく規制というのは、すべて自己責任による自己規制にほかなりません。
このため、技術的見識の無い地方役人は、全てを民間に丸投げするしかなかったのです。
中央政府の言い分は、「行政は一体である」ということに尽きるため、地方政府が結果を観測しなくても気にも留めないのです。(ヲシテの時代、行政は階層化されていました)
トップのキャリア官僚にとっては下級官吏が専門知識をを持つなどということは、あってはならないことなのです。

 

 

私は、「国際社会」を名乗って、各国の政府の力を弱め、統一原理のような思想を広める機関の言うことを聞いて、国内をアノミー状態に導く霞が関、そして無知なまま諾々と言いなりになっている地方官吏が問題だ、と言っているのです。
地方官吏は、広く世界に学ばなくてはならず、悪意のある勢力にしたがっていてはダメなのです。
我らシベリア組が逃散以外の選択肢が無いのは、これら役人の無知からなのです。
311のフクイチで起きたカタストロフは、上の表にある差、それはとりもなおさず、彼らの無策と怠慢、そして傲慢によってひきおこされているのですから。
もし、教員を含む公務員で国学に嵌っている人がいるなら、いますぐ、このサイトをすみからすみまで見なおしていただきたい。
国学などにうつつをぬかしているなら、それは世界の「悪」の片棒を担いでいるのです。
そうでないとしても、彼らの攻撃をかわし、大御宝の安寧を乞うことこそ重要なことなのです。
それには単純な保守ではなく、世界戦略を見越した洞察力をやしなうことです。
古典をひもとき、ウタを詠み、良き時代に習い、悪しき時代に学ぶことが「トミ」に与えられた使命なのですから。