シベリアの夜長を古代史に夢を馳せて~その18~ |  アンドロゴス生涯学習研究所

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まずいくつか資料を貼っておきます。

 

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家制度は完成していたようですが、前回のオコロの兄弟など、本来ならトミなのですが、家の保護がなければ収入も無いわけです。
穴に住むというのは竪穴住居のことでしょうか。

 

 

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ここに神無月に相当する言葉が出てきますが、ヲシテ文献は仮名表記なので意味は特定できません。

 

 

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テキストは前回の続きの部分からで、ヤシロの建て方になります。

 

 

 

 

 

ムテムスビ ムロヤツクリテ  ムテムスビで室屋を造るのです
タミオウム ノチヤテムスビ  タミが増えたので後にヤテムスビになりました
ヤシロナル コレニイマスル こうしてヤシロができたのです これに住むのが
イマノミヤ オオクンヌシノ  今のミヤです オオクンヌシの
カンガエハ キハサカシマニ 考えでは、木は逆さに
カシラシタ カレムネオモテ  頭を下にして建てるのです ですから棟のところを
ヤネトナス フクハヤネネゾ  屋根と呼び、葺くのは屋根の根です
モシハシラ ツガハシモツゲ  もし柱を継ぐのなら下で継ぎます
カミハネゾ ネハタチツガズ  カミは根ですから、長男は太刀(=身代)は継がないのです
ムノヲシテ ノキヨリムネニ  ムの字の図象を見れば軒から棟に
テオアワス ムツキネトナス  手を合わせる形になっています 1月はネです
ムナキモシ スエハツグベシ  もし棟木を継ぐなら末を継ぎます
ネハツガズ ハリノネハフユ  ネは継ぎません 梁の根は冬
ウヅキスエ スエハツグベシ  卯月末、末子に継ぎなさい 
ネニツグナ ヒサシハオオヒ  長男には継いではいけない 庇は覆いです
キサニサセ シトミハトミノ  東南にさしなさい シトミ(戸口?)はトミの

 

 

ムテムスビというのはなんでしょうか、この説明のようにムの字の形にしたがい、手を合わせたような意匠なのでしょうか。
規模が大きくなるとヤテムスビというのも不思議です。
方便を使って工学的な解説をしているようにみえます。
木を頭を上にして柱にしてしまうと、生きていた時と重力方向が同じなので、上に伸びてしまうのでしょうか。
柱は梢の方で継げというのはやはり含水量の問題でしょうか
この時代、アマカミの位以外は末子相続なのです。
カミは根だ、というのはシムの幹と同じで長男だと思います。
ネハタチツガズは、ネハ(=根は=長男は)・タチ(太刀)・ツガズ(身代を相続しない)ですが、家を相続する時分には長男は既に身が立っているので、末子に継げということなのでしょうか。
ムツキ(=1月)・ネ(=ヱトの子に相当)トナス
棟木を継ぐ時も梢で継げといっています。
ハリノネハフユは、ハリ(=梁)・ノ・ネハ(=根は=ヱトのネは)・フユ(=冬、また富有を掛ける)
ウヅキスエはウヅキ(4月の)・スエ(末日)にもなって冬の1月につないではダメです、ということですか。
工学的には梢の乾燥の良いところで継げということでしょうか。
ここでまた、強調して末子は継ぐべし長男に継ぐなと言っていますが、「ベシ」なので、決まりではない、べき論なのですね。
ヒサシは覆いなので南東につけるのが良いといっており、掛けている事象があるようにみえるのですが私の理解力不足で読めません。

 

 

 

 

トノヲシヱ トホルオミルゾ  トノヲシエです 通り(亨るに掛けた)を見るのです 
ホノシツメ トノアケタテニ  火の鎮めは戸の開け閉てに
スレアエバ シタオシキヰト  擦れ合うので、下をシキ(=鴫)・ヰ(=敷居)
ウエカモヰ シギハタノトキ  上をカモ(=鴨)・ヰ(=鴨居) シギは田で鳴き
トハウシホ ナルトノヒヒキ  戸は潮、鳴門の響き
ウシホナル ウエニカモフネ  潮が鳴る上に鴨船
ミツトリノ ホノシツメナス  水鳥によって火の鎮めをします
シキカモヰ ココニタツタノ  敷居と鴨居、ここに竜田の神が
カミイマス カツヤマイリハ  いるのです そして山に入るのは
ツヱサヱゾ キヲノフハイム  ツヱとサヱの日がよく、キとヲの2つの日はよくない
ヱトニソム アメアカルヒハ  ヱトに従えば、雨上がりの日は
ヨロツヨシ ヤツクリハコレ  すべてがうまく運ぶので、家を造るにはこうするのです
トキニキミ ヲコヌシカミト  ときにキミはクシヒコにヲコヌシカミの
ナオタマフ ハシラナモコレ  名を賜います 柱の名の由来はこれ(大黒柱)です
ミヤツクリ フキイラカマテ  ミヤツクリは屋根を葺くまで
ミナナリテ ミマコニニキネ  みな仕上がりました 御孫のニニキネが

 

 

戸の開け閉てに水鳥をあてはめるところが素敵です。
鴨が居るから鴨居、鴫が居るから敷居、水にちなむので竜田の神の防火となるわけです。
カツヤマイリはカツ(勝手=担当する竜田姫)・ヤ(=屋=ヤシロ)・マイリ(=参拝)でしょうか。
掛かっていると想われる、山に入る理由はよくわかりません、フェイントかも。
各家々の周囲はヤマサカミが徘徊して、火の気が無いことを確認し、燃えやすいものが積んであったりすれば取り締まります。
アメアカルヒはアメ(=天)・アカル(=明るい)・ヒ(=日)でしょうか、ヱトに叶う日があるのでしょうか?

 

 

屋根は萱葺と想われますが板葺もあるのではないでしょうか。
時に、ニニキネはオオモノヌシ(クシヒコ)にヲコヌシカミ(大国主)の名を賜います。
ハシラナモコレというのは、ヲコヌシハシラというのでしょうか。
一般に、大国主というと、オホナムチのことをさすようですが、ここではクシヒコのことです。
大国主→大国→大黒となってヒンドゥー教のマハーカーラと習合したのでしょうが、都造りの功績から大黒柱の元祖なわけです。

 

 

大変なことを発見してしまいました、大きく脱線することをお許しください。
前回、ムノタミメというのを6人のタミメと訳しておきましたが、これはヒトヨミキなどという記述があったので、若い女が一夜酒を醸した(口噛み酒)とおもわれるため、その要員が必要だと考えたからです。
朝倉氏の注意書きを見ると、タミメは文書だろう、と書いてあったので、さらに深く考え、とんでもない説を導きました。
朝倉氏が言うように、ムの字の図象に着目している研究者は多いのですが、彼は別のことを起想して、ムノタミメはムロヤにかかわる設計図だ、というのです。
これは極めて衝撃的な説、というより論です。
ハタレの乱のときサツサ(何でしょうか?ササ餅?)にサッサツヅウタを書いたウタミを付けて投げたというのがありました。
ハタレは懐柔され、戦線を乱され、わけがわからない状態になりました。
その原因がこのウタミにあるようです。
そこに、カミノタミメニヤモタタズ(アマテルカミの下したウタミに書いてあったタミメを読んで心乱れて)矢が当たらなかった、とあるのです。

 

 

一般にヲシテ文字は知られていません。
それは一般人の目に触れるところにヲシテ文字が無かったから(=ホツマツタヱ偽書説)といわれる通り、ヲシテ文字が知られていないのだから、ウタミにヲシテ文字を書く意味がないのです。
もう、お解りいただけたかと思いますが、これはタミの文字に間違いありません。
普段、「我が上古に文字無し」にいためつけられている研究者がヲシテ文字以外の上代文字を否定する!なんと、漫画なことではありませんか。
池田先生ですらこの考えに凝り固まっているのです。
他の上代文字はイカサマ、ヲシテのみが尊いと、ね。

 

 

現時点での結論を言いますと、タミメはヲシテ文字以外の文字で書かれていた文書である、ということです。

 

 

また身内からNGが出る前に書いておきましょう。

 

 

■仮説

 

 

ヲシテ文字は高度な哲学を持つアメ族(仮称)によって編み出されたアメ族内部でのみ流通され、維持された文字である。

 

 

アメ族は他部族との文書による交流にはヲシテ文字ではなく、当該他部族の文字を用いた。

 

 

諸地方といっても、言語は日本語を共有しており、文字だけが異なると考えれば良い。

 

 

例として、豊国文字は九州地方などで発見された石などにも刻まれた文字である。
これらの部族は地誌として上記(うえつふみ)を編纂したとしてもなんの不都合もない。
ただこれらはホツマツタヱと比較すると文化度が低く、せいぜい、地方官吏程度(つまり王)の文化度の人による編纂だと考えれば良い。

 

 

 

これぐらい定義しておけば、偽書だ偽書だと騒ぐ人も気にしなくなるだろう。

 

 

 

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これが豊国文字

 

 

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これが豊国新体文字
時代が異なるのか、周囲の地域との習合があるのか・・・

 

 

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これはアヒル草文字

 

 

アヒル文字は対馬の阿比留氏(あびるし)によってつたえられているものなので、正確にはあびるもじなのかもしれません。
アヒル文字は半島との交流を身近に感じますね。
近代にもファンが居て、1862年に
歌碑を建てたりしてるとか。

 

 

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徳島にある船盡比賣神社(ふなはてひめじんじゃ)の歌碑

 

 

すきのをのみやのみまへに
なまつのうたよみてしろい
しにてらしてたてまつれる

 

 

なみのまに いててみえなむ
つぬさはふ いはつのふちの
そこのなまつは いわくものはなか

 

 

ナマズ出てこないかなーっていうウタですか。
これ、ハングル読みで読めるんですが、日本語なので当然、パッチムは無い。
また、ヱみたいな音はハングルでは字母を組み合わせて表現するようですが、これはまさに日本語(笑)
日本語は50音で足りるので、諺文(おんもん、げんぶん)を形成するのも簡単ですが、世宗が訓民正音(ふんみんじょんうん=ハングル文字表記法)を作成したときは音が多いので苦労したと思われます。

 

 

さて、これら日本語の諺文はなぜ残らなかったのでしょうか?
それはどの文字もメモを取るには速書性が低かったのではないかと考察されます。
ひらがなの連綿にくらべると、決定的に手間なのです。

 

 

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これは王羲之の草書ですが、「ふ」や「ち」はすでにひらがなと区別がつきません。
王羲之でももっとすごい連綿もあり、私は展示会で見た時にひらがなの連綿だと思いましたが、読めないので漢語だということがわかったくらいです。
ひらがなは日本人の発明だ、とよく言われますが、それは楷書の話で、草書では中華で既に完成されていたものです。

 

 

結果的に、ひらがなの速書性は他の諺文を駆逐したのだと考えています。
また、中華帝国との付き合いが深く強くなるにしたがって、官僚は漢語を多用するようになっていくわけです。

 

 

さて、だいぶはげしく脱線したので、少し話を本線にもどして、トシノリタマメというのも実はこの諺文だったのではないでしょうか。
諺文で書かれた暦です。
最初、絵暦と考えたのですが、印刷技術も無く、紙は実用化以前となれば貴重な布に描くか、木の葉か木ケラくらいしか無く(パピルスは無いよね)、大きな絵図面は表現のしようがないのです。

 

 

ここで、アメリカに行った時のことを思い出しました。
ホテルで空港への道を尋ねたのですが、5行ほどの文章が書かれた紙切れをわたされたのです。

 

 

それにはこんなような事が書いてあります。

 

 

まず、このホテルを出たらI-6 North(interstate-6 Northすなわち、州間高速道路6号北行)に入りなさい。
そして325Westに入りなさい。(道路標識の325Westというのを見たらその道に入りなさい)
そして26Northに入りなさい。
そして137Eastに入りなさい。
ここが当該空港の駐車場です。

 

 

これだけの情報で、実際に自分で運転して空港でレンタカーを返すことができるのです。(数字はデタラメですので実際に行って迷わないでください。)
地図など、見ないで、道路に有る案内標識(決して多くないから迷わない)だけで充分なのです。

 

 

地図見ながら一週間で400マイルくらい走ったかねぇ、いやぁ、迷った迷った。
随分ガス代使ったし。
もう、毎回、 Excuse me, am just missing direction,please let me learn where am I・・・の連発だったもんなぁ・・・

 

 

 

もし、トシノリタマメが農業暦ならヤヨイハツソノタネマクゾ(=3月1日、苗代に種籾を撒くのです)とか、ウツキスヱタノシロカケヨ(=4月末日田の代掻きをしなさい)とか諺文でかいてあるだけで、タミは嬉しくなってしまうことでしょう。
これなら葉っぱに書いてもよいのです。
もしかすると、トシノリタマメというのはトシノリ(=暦)・タ(=田)・マメ(=お仕事)かもしれません。
ムノタミメはムロヤを造るときの手順書と考えればよいうと思います。
どうしても大きな図が欲しければ、説明するときだけ、アルキメデスのように地面に図を描けば良いのです。
ただし、気をつけないとツキヨミみたいな出来の悪いカミにぶった切られてしまうかもしれません。

 

 

 

ヤマサカミをまとめた図を作ってみました。

 

 

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結局のところ、ヤマサカミは自然神というよりは官僚的人工神というべきものではないでしょうか。

 

 

神社までは、あと、依代のはなしくらいで良いかな?
次回、神社が出来たぁ!となるか?? 乞うご期待。