シベリアの夜長を古代史に夢を馳せて~その5~ |  アンドロゴス生涯学習研究所

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本稿に先立ち、予備知識として人の名前、とくにイミナについての理解が必要になりますので、以下に解説します。

 

ヲシテ文献において、イミナというのは生まれた時につける名前です。(忌み名、呪術によって呪いを受けないように、普段は明かさないという説も)
卑近な例として、現代の事ではありますが、ずっと以前、三菱造船が建造したダイヤモンドプリンセスとサファイアプリンセスという2隻の豪華客船にまつわる風評がありました。
当時艤装中であった納入直前のダイヤモンドプリンセスの船内から出火し(テロという説も)、内部の塗装にそって燃え広がり、納品することができなくなったため、同型船であるサファイアプリンセスを改修し名前もダイヤモンドプリンセスとして7ヶ月遅れで納品したということです。
もちろん、その後、元ダイアモンドプリンセスは焼損部品をすべて交換し、サファイアプリンセスとして就航させたのはいうまでもありませんが、人々の間に「船の名前変えるなんてとんでもない、悪い結果にならなければよいが・・・」という記憶になって受け継がれています。

 

 

すこしまとめましょう。

 

 

イミナ; 生まれた時に命名し、諱と書き、真名とも書きますが、「真名」は「漢字」の意味で使われ、「仮名」と対語になるため、私は使用しません。
タタエナ; 神話などによくでてくる、事跡を褒め称え、人、事物にたいして与える名称で、伊邪那岐命が息子である迦具土神を斬り殺したときに十握剣(とつかのつるぎ)に命名して天尾羽張(あめのおはばり)などというのがそれです。
オクリナ; 生前の徳によって死後に贈られるのがオクリナ(送り名)ですが、贈るという意味で生前使ってもよいようですが、それを確かめる方法はありません。
ここで、なにか目立ってすぐれた故事に対してタタエナ(称え名)を贈るのは何回やってもいいわけです。
中華勢力の影響で、天皇の諡号も漢風諡号と和風諡号があり、天皇によっても異なるのです。
諡号はしばしば、実際の人物像とは異なると言われています。
聖徳太子、武烈天皇、継体天皇など、(ほとんどの・・・)徳が高かった、野蛮だった・・・分かるわけないですね。

 

 

■フォークロアのなかに歴史の片鱗を見出す その1 ヒナ祭りと床盃、核家族の起源

 

 

私の家の近くに日本翻訳センターという会社があります。
フランス語や英語をてがけているようです。
高畠精二といわれる方が代表者をされているようなのですが、実はこの方はホツマツタヱの現代語訳をされているのです。
正確に言うと、訳というよりは解説物語といったところでしょうか。
さすがに、プロの翻訳家だけあってしっかりした文章をまとめていらっしゃいます。
まあ、少々難を言えば、「神」なんですけどね。

 

 

http://www.hotsuma.gr.jp/
なんと20年もまえからあるサイトなんですが、ホツマツタヱ全部ではありませんが、たくさんの記事が上がっています。
私も、このサイトで随分と理解を深めました。
なんでも、ホツマツタヱ勉強会もやってらっしゃるとか。

 

 

池田先生も日本翻訳センターからThe World of the Hotsuma Legendsという英語版の本を出されているようです。
http://www.jtc.co.jp/hotsuma/hotsuma.html

 

 

そのコンテンツは、商業使用でなければ転載自由とありましたので、皆様の学習の便宜のため、目次まで使用させていただきます。(なんとありがたい、リンクをクリックすれば高畠氏のサイトのコンテンツに直に飛びます)

 

 

1 東西(キツ)の名と穂虫(ホムシ)去るアヤ
ワカ姫の恋、和歌(ワカ)初め
2 天神七代(あめななよ・イサナギ、イサナミ)床神酒(とこみき)のアヤ
ヒナ祭りと桃の花 -男雛・女雛の実名(いみな)は?
3 一姫三男(ヒヒメミオ)生む産殿(との)のアヤ
イサナギ・イサナミの御子誕生
4 天照神(ひのかみ)の瑞御名(みずみな)のアヤ
アマテル神の誕生と即位
5 和歌の枕言葉のアヤ
イサナギ・イサナミと和歌の枕言葉
6 天照神(ひのかみ)十二后(ソフきさき)のアヤ
アマテル神、中宮セオリツ姫と十二后
7 遺言文(のこしぶみ)刑罰(サガ)を立法(たつ)アヤ
アマテル神の岩戸隠れとソサノオの流浪
8 魂返(たまがえし)悪魔(ハタレ)討つアヤ
アマテル神とムハタレ(六魔王)の戦い
9 八雲(やぐも)打ち琴造るアヤ
ソサノオの八岐(やまた)の大蛇(おろち)退治と出雲建国の歌
10 鹿島立ち釣鯛(つりたい)のアヤ
大国主、出雲を譲る -ダイコクさんとエビスさん
11 三種神宝(ミクサ)譲り受けのアヤ
皇太子オシホミミ、三種神器を授かる
12 アキツ姫(速秋津)天児(あまがつ)のアヤ
天児(あまがつ)・這子(はうこ)の起源
13 ワカヒコ(天児屋根)伊勢鈴鹿(イセスズカ)のアヤ
アメノコヤネ(天児屋根)、イセ(伊勢)スズカ(鈴鹿)の教えを説く
14 世嗣祈祝詞(よつぎのるのとこと)のアヤ
アマテル神、世嗣(よつぎ)得る祈願の詔のり
15 御食万物成り初(みけよろずなりそめ)のアヤ
稲荷信仰とキツネの由来(人糞リサイクル農法の草分け)
15-2アマテル神(天照大御神)の詔のり
健康食(スガカテ・清食)の勧めと万物創成の五化元素
16 妊娠(はらみ)慎む常陸帯(おび)のアヤ【リンク無し】
17 神鏡八咫(かんかがみやた)の名のアヤ【リンク無し】
18 オノコロと呪(まじ)なうのアヤ【リンク無し】
19-1 乗馬法(のりのり)ヒトヌキマのアヤ【リンク無し】
19-2 乗馬術(のり)の紀(ふみ)テルタエのアヤ【リンク無し】
20 天孫(スメミマゴ・ホノアカリ、テルヒコ)十種神宝(トグサ)得るアヤ【リンク無し】
21 ニハリ宮(みや)造営法(のり)定むアヤ【リンク無し】
22 オキツヒコ(興津彦)火水(ひみず)の祓(はら)い【リンク無し】
23 御衣格式八重垣剣名儀(みはさだめつるぎな)のアヤ【リンク無し】
24 扶桑国(コエクニ)逢莢山(はらみやま)のアヤ
コノハナサクヤ姫(木花之開耶姫)桜の誓い
25 ヒコ尊(みこと・彦火火出見)釣針(ち)を得るのアヤ
ヒコホホデミとトヨタマ姫
26 ウガヤ(鵜茅葦不合)葵桂(あおいかつら)のアヤ
トヨタマ姫・葵の返歌 -葵祭の起源-
27 御祖神船魂(みおやかみふなたま)のアヤ
タマヨリ姫に白羽の矢 -神武天皇の誕生-
28 君臣(きみとみ)遺(のこ)し教(のり)のアヤ【リンク無し】
29 タケヒト(神武)大和(やまと)討ちのアヤ
タケヒト・大和討ち
30 天皇(アマキミ・神武)都鳥のアヤ
31 直入神三輪神(ナオリカミミワカミ)のアヤ
カンタケ・都鳥の歌 -神武の御世-
32 富士山(やま)と淡海瑞(あわうみみず)のアヤ
富士山と不老長寿の仙薬
33 神崇(かみあが)め疫病(エヤミ)治(た)すアヤ
34 ミマキ(崇神)の御世(みよ)ミマナ(任那)のアヤ
35 ヒボコ(日槍)来朝(きたる)角力(スマイ)のアヤ
アメヒボコの来朝
36 ヤマト姫(大和)伊勢皇太神(かみ)鎮座(しずむ)のアヤ
ヤマト姫、伊勢宮を定む
37 鶏合わせ(とりあわせ)但馬守橘樹(たちばな)のアヤ
タジマモリ、常世国(とこよくに)と橘樹(たちばな)
38 ヒシロの世(よ・景行期)クマソ討つアヤ
景行帝とヤマトタケルのクマソ征伐
39 ホツマ討ち(日本武尊やまとたける東征)十九歌(つずうた)のアヤ
ヤマトタケルの東征とオトタチバナ姫
40 熱田神(あつたかみ)世を辞(いな)むアヤ
ヤマトタケ 白鳥の挽歌

 

 

今回は2アヤについてお話させていただきます。
まず、当該アヤの記事をお読みいただくと理解が早いとおもいますので、まずご参照ください。
高畠氏のサイトでは神話として表現されていますが、「神」を「カミ」と読み替えていただくだけで概ね、私のサイトとの整合がとれると思います。

 

 

実は、この2アヤで述べられていることは、8代アマテルカミが生まれる前の7代の間の出来事を、アマテルカミが、臣下に話し聞かせるシーンを三輪の臣であるヲオタタネコが12代景行天皇に捧げるために補足編集加筆しているものなのです。
複数段階で参照しているのですからうかつに訳すと誤解が生ずるおそれがあるのは注意する必要があります。
高畠氏のように神話にしたほうが問題は少なくなります。
この時期の記述は復古的であり、部分的に古い文字形を用いたりしているにもかかわらず、漢字時代の外二重点の濁音とくみあわさっており、ヲオタタネコの編集は恣意的に見えなくもありません。(神話物語的)
まあ、池田先生もこの時代はカミヨと書いているからいいか。

 

 

テーマを2アヤのなかでも特に、雛人形の元になった、4代アマカミ、若きウビチニ、スビチニに範囲を絞ってお話しいたします。

 

 

最初に、現在広く中国文化の曲水の宴が元といわれている、我が国の雛祭りの成立について考えてみましょう。

 

 

 

 

 

原文のふりがなを読んでください。
平安文法でもだいたい解ると思います

 

 

 

マサカキノウヱツギヰモニミツルコロ (真榊暦を植え継いで500回になろうかという頃)
ヨツギノヲカミウビチニノ (世継ぎの男カミであるウビチニが)
スビチオイルル (スビチを皇后に入内させるとき)
サヒアヒノ (意味不明、「最愛の」では違う気がする)
ソノモトオリハコシクニノ (その本貫地はコシクニ[越国]の[越前地方に該当する場所あり])
ヒナルノタケノカンミヤニ (ヒナルノ岳のカン宮に[日野神社とする説あり])
キノミオモチテアレマセバ (木の実を持って生まれたので)
ニワニウヱオクミトセノチ (庭に植えたものが3年後の)
ヤヨイノミカニハナモミモ (3月3日に花も実も)
モモナルユエニモモノハナ (100個ほどもたくさん成ったので百の花とよぶのです)
フタカミノナモモモヒナギモモヒナミナリ (フタカミの名前も桃雛木、桃雛実です)
ヒナハマタヒトナルマエヨ (雛は大人になる前の状態です)
キミハソノキノミニヨリテ (キミ、[アマカミのこと]というのははその木の実によっており)
ヲカミハキメカミハミトゾナツキマス (男カミは木、女カミは実と名付けるのです)

 

 

 

人間を歳で分類すると、

 

 

 

1(ヒ)~4(ヨ)まで、つまり4割という意味でヒヨ
1(ヒ)~7(ナ)まで、つまり7割という意味でヒナ
1(ヒ)~10(ト)まで、つまり10割全部という意味でヒト

 

 

となります。

 

 

コシクニで二人が生まれた時か(幼馴染み)、あるいはヒヨの頃でしょうか、木の実(生まれたときに、手に持っていた、とか)を庭に蒔いておいたら3年後に花が咲いて100個も実が成ったというのです。(記念植樹ですね)
モモクリ三年でしょうか、そして、そろそろ大人に成るという頃、ヒナを祝ってモモのお祭りをしたのでしょう。

 

 

その後、成人してから、あるいはヒナのままかもしれませんが、婚姻によってヒトになったのかもしれません。
それなら、それで現代まで受け継がれていると思われます。

 

 

民法第753条
未成年者が婚姻をしたときは、これによって成年に達したものとみなす。
 
二人でワンセットの名前を持つモモヒナギ、モモヒナミが成人し、祝言をあげたのですから、二人は生まれたときからの許嫁と考えても良いのではないでしょうか。
これならモモヒナギとモモヒナミはイミナで良いということになるでしょう。
もし、そうでないなら、この二人のイミナは不明、あるいはヲオタタネコによる脚色が想像されます。

 

 

また、この二人のイミナが、ウビチニスビチニであると言ってしまうと、問題があります。
ウビチニとスビチニというのはこの後述べる、アダルトなミソギをしたときにソデが濡れたという故事にちなんでつけられたタタエナなので、生まれた時につけるべきイミナを後からつけるというのは具合が悪いのです。

 

 

 

さて、こうして話はトコミキに向かいます。

 

 

 

昔テレビドラマを見ていたら(記憶があいまいでごめんなさい、樋口可奈子の「こおろぎ橋」かもしれません)新婚のカップルが祝言の日に初めて床入りをするシーンでした。
真白いシーツの布団に新郎新婦が向き合って座り、介添えが三宝に載せて持ってきた盃を互いに勧めて飲み、床に手をついて「幾久しう」と言葉を交わすのです。(なんとゆかしい☆)
これを「お床盃」と呼んでいたのを覚えています。(なにしろ昔の記憶なので・・・記憶違いかも)
調べてみると、全国で行われていたようですが、近年では初夜の床入りは披露宴の途中で行われることも多いとか。
これがトコミキと考えられますが、三三九度の盃とは異なり、プライベート空間で行われる行事のようです。

 

 

 

 

モモトニクメルミキニツキ 桃の下でくむ御酒に月が
ウツリススムルメカミマヅ うつる盃[逆月]を勧め、先ず女カミが飲んで
ノミテススムルノチヲカミ 次に男カミに勧めます
ノミテマシワルトコノミキ これを飲んでから交わるのが床の御酒です
ミアツケレバヤアスミアサ 3日めの朝、体が火照って熱いので
サムカワアビルソデヒチテ 冷たい川の水を浴びた時、袖がぬれました
ウスノニココロマタキトテ 大小の和する心
ナモウビチニトスビチカミ その名もウビチニとスビチのカミです
コレモウビニルフルコトヤ これも陰陽を重ねる故事なのです
オオキスクナキウスノナモ 多い・少ないを表すウ・スという言葉も
コノヒナカタノヲハカムリ この雛形の男は冠と
ウオソデハカマメハコソデ 大袖・袴、女は小袖と
ウハカツキナリコノトキニ 上被衣なのです
ミナツマイレテヤソツツキ このときに八十氏のトミは皆妻を入れて
モロタミモミナツマサタム タミの者達も皆妻を定めました

 

 

 

さて、このお二人はめでたく床入りを果たされ、アスミアサというので、3日目の朝に寒川で水浴をした・・・いくら温暖な縄文時代弥生時代とはいえ、モモの花が咲く頃じゃ水は冷たいんじゃねぇか?
初夜に3日・・・これは、昔の人は凄かったか、アマテルカミあるいはヲオタタネコの脚色かも。
やはり、ここで初めて、ソデを濡らす話になるわけで、前述のウビチニ、スビチニは雛祭りの人形(ヒナカタ)の時期とは一致しないのかもしれないのです。

 

 

 

トコミキは密室でする行事なのでサカヅキに月が映るわけがないのですが。
仮名文学にありがちな冗長さを避けてモモの祭りとトコミキを重ねたのかもしれません。
それどころか、桃の祭りと床盃を重ねて緻密に歌の技法でまとめてあるのです。
こういうところが格調高く、完成度も高い。(つまり、これこそ神話なのですよ)

 

 

まあ、何にしても、当時、皇太子殿下ご成婚、あるいは直ちに即位か、はっきりわかりませんが、臣下の者あるいは近隣のタミもお二人にならって(妻問い婚でなく)結婚し、核家族を構成するようになったそうです。

 

 

原文で、即位前の幼い時にすでに「カミ」と呼んでいるのは後世の人であるアマテルカミが話している言葉なのでなんら問題はありません。

 

 

んー、やはり、高畠氏も池田先生も、説明をいっぱい書きすぎるんでかえって複雑になってしまうんですね。
長くなりましたのでここで切ります。

 

 

ホツマツタヱ 2アヤ全文.html(縦書き)をアップロードしました。ダウンロードはこちらから。

 

 

次は王子の狐の予定です。