シベリアの夜長を古代史に夢を馳せて~その10~ |  アンドロゴス生涯学習研究所

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今回は、ハタレ再びと題し、キツネの話と同じ時期に起こっていた事をお話ししましょう。
愛すべき体育会系筋肉バカであるタケミカツチの話です。
はじめにお断りしておきますが、バカというのは「専門的職務に忠実な人」という意味で、けっして馬鹿ではありません。
タケミカツチは馬術に長じた父、ヲバシリの子として生まれ、武芸にたけ、怪力無双で、すべてを合理的に、力で解決することをこのみました。

 

8アヤについては以前、高畠氏のサイトを読まれたかたはその途中の、タケミカズチとイツナミチの戦いのくだりを思い出していただきたい。

 

 

タケミカツチはイヨの山中から出たハタレがキシイに至ったのを(武力により)鎮めよという命をうけ、タカノ(高野山)で戦を行います。
イツナミチは映画「もののけ姫」の輩のように毛皮を被ったりして獣じみた攻撃をしかけてきます。

 

 

 

 

ワガチカラ ヨロニスクレテ 私のちからは誰よりも強く
イカツチモ ナンチモヒシグ 雷神も汝も押さえつけてしまうのだ
ナワウケヨ ハタレイカリテ 縄を受けなさい
タタカエハ ミカタノナクル ハタレが怒って闘うと、味方の投げる
フトマカリ ムレムサホリテ フトマガリに群れて貪り食うので
ハタレマオ ウチオイツメテ ハタレ共を討ち追い詰めて
ミナククリ ツイニイツナモ みな縛り、とうとうイツナも
ワラヒナハ モモヒトツレニ 蕨縄でくくり、皆ひとくくりに繋げて縛り
ユイスヘテ ココチコモモノ 繋げて9900人ほども
ツキシバリ ヒヨドリグサノ ヒヨドリグサの形のように縛って
コトクナリ ミツカラヤマニ (タケミカツチは)自ら山に
ヒキノホル ミナクヒシマリ 引き登ったので皆首が締まって
マカルモノ ヤマニウツミテ 死んだ兵は山に埋めて
イキノコル モモササヤマニ 生き残った100人ほどは
ツツガナス カナテカラセル ササヤマの牢に入れておきました
アヤマチト モニツツシムオ 力による過ちと、喪に慎んでおりました

 

 

 

 

 

 

キコシメシ ミコノクスヒニ これを聞いた御子のクスヒが聞きます
トワシムル トミアヤマチテ 私(タケミカツチ)の過ちで
ヨロモノマ ヒキカラシケリ 皆殺してしまいました
マタクスヒ ソレハヒトカヤ クスヒが「それは人か?」と聴くと
コトクナリ カエコトアレハ 違うかもしれませんと(アマテルカミに)報告すると
ヲヲンカミ ツツヤニイタリ アマテルカミはツツヤに行って
ミタマヘハ カタチハマサル 見ると、体は猿、顔は犬のようです
カホハイヌ ソノモトキケバ 元をたずねると
ムカシハハ マサルニトツキ 昔、母が猿に嫁いで
ヨヨオヘテ ミナサルコトク 代々経るとこうなってしまったのです
ミコトノリ タマカエシセハ (アマテルカミは)言います、タマカエシを
ヒトナラン サキニマカルモ すれば人になることができ、まず死んでも
ヲオトキテ ヒトニウマルゾ 魂の緒を解けば人として生まれてくるのです
トキニモモ ネカワクハカミ そこでハタレたちは、お願いします
ヒトニナシ タマワレトミナ 人にしてください、と
マカレケリ ココストノミチ 皆死んでゆきました

 

 

いかがでしょうか、タケミカツチは数千人の捕虜の吟味でアマテルカミをわずらわすことなく、自ら手を汚し、その上で、無為に大勢殺したことを詫ています。(カミハカリの要求は武力による鎮圧であり鎮撫ではありません)
アマテルカミの出番、直接捕虜の吟味ができるように100人ほどをのこしたのでしょう。
副官に便利な男ですね。

 

 

さて、クマノクスヒの「それは人か?」という問いはなんでしょうか?
考えられるのは人別帳に記載されている人かということです。
つまり、市民権はあるか、ということです。
カタチハマサルというのはどうでしょうか?
モノマと書いてあるので、プロの兵士だと考えてみましょうマ・サルと分ければ、マ(御雇い)をサル(逃げる)なら脱走兵、あるいは逃散したタミかもしれません。
カホハイヌというので、顔は犬のように従順、あるいは逆に、顔に犬のような刺青をしている(縄文人は刺青の習慣があった、とか)、前者ならタケミカツチは自分と同族と見て吟味の対象としたか、後者なら異民族として調査しなければならないと考えたかもしれません。
いずれにしても、このグループは淘汰された、ということでしょうか。
いろいろ考えましたが、文面から読めることではこのぐらいでしょうか。

 

 

と言っているうちに、ひとつ思いあたりました。
ササヤマのツツガに入れておいた、というのはなぜでしょうか?
キシイから丹波篠山なら100人程度を護送するなら、3日もあれば行けるとおもいますが、アマテルカミが直接吟味をするというのなら、もっと近く、例えばクマノミヤでもよいのでは?
クマノミヤならイセあるいはイサワから一本道(この時代に整備されたと思われる熊野古道ですね)が用意されていますし、タカノ(高野山)からクマノミヤも同様です。
ここから先は少々想像がはいりますが、合理的な説明です。
それは、人目を避けたかったからでは?というものです。
ササヤマのツツガというのは、現代アメリカでいうなら、アブグレイブ刑務所のようなものではないでしょうか。
このハタレの乱、どうも規模が大きく、戦略的意味を持った大戦争なのかもしれません。
タケミカツチは野生の勘でそれを感じたのではないでしょうか。
鎮圧を命じられたタケミカツチが戦争の拡大を進言するのはむずかしく、一計を案じてアマテルカミの注意を喚起したのではないでしょうか。
これなら文面の不自然さも説明がつきます。

 

 

さて、すこし話をすすめましょう。

 

 

こんどはハルナハハミチですが、ここでは工学系筋肉バカであるタチカラヲの出番です。
ハタレはつぎつぎと湧いてきます。
ヒスミ(津軽など、東北地方北部)、ヒタカミ(東北地方南部)、カクヤマト(東海地方)からハタレ出現の報が、イサワのミヤに入ってきます。
ヲシテの時代は長く、地名が表す範囲がアヤ毎に、相当違いがあることにご注意ください。
ここには、実に広い範囲を移動することが記述されています。

 

 

タチカラヲは土木工学に長け、富士山西麓に都としてハラミノミヤを作った時、周囲に富士八湖を掘った人とされていて、まさか、、そんなこと、と思われるかもしれませんが、都の周囲に8つの池をつくっただけと考えれば、無理な話ではありません。
富士山の麓では富士表層水(深層水じゃないですよ、バナジウムは無し)が豊富にあるため、地下水位は1mより高いようで、ちょっと穴を掘ればすぐ池になります。
したがって、24アヤにある話を農業用の溜池とかんがえるのは無理があります。
いずれ、ハラミノミヤの話もしたいと考えております。

 

 

なぜかカミハカリの結果、アマテルカミ直々の参戦となります。
しかも、テクルマ(手輦)に乗り、皇后のセオリツヒメやサの妃であるアキツヒメまで同行してくるのです。
これは権威の発揚と考えられます。
イフキヌシとクマノクスヒだけでは済まない理由があったのでしょう。
ヤマタ(群馬県山田郡?)まで来て斥候を出すと、叢雲が立ち上り、野も山も炎があがり、爆発音がひびきトゲヤの霰がふるありさまでした。
アマテルカミはハタレに粽を与て手懐けます。
そして皆で歌い、囃し立てます。

 

 

 

 

モロウタフ ハタレイカリテ (カンイクサの)皆が歌うのでハタレは怒って
ヤノアラレ カミノタミメニ 矢を射かけてきますが、まるで当たらないので
ヤモタタス イヤタケイカリ さらにいきり立って
ヒバナフク カミミツハメオ 火花を吹きますが、ミツハノメを
マネクトキ ホノホキユレハ 招いて火を消してしまいます
ムナサワギ ニケントスルオ ハタレがあわてふためいて逃げようとするところを
タチカラヲ ハタレハルナニ タチカラヲがハルナに
トビカカリ チカラアラソヒ 跳びかかって、力任せに
オシシバル ハタレマモミナ 押さえつけ、手下のハタレも
トリシバリ マエニヒキスヱ 縛り上げて、(アマテルカミの)前に引き据え
タレアグル キミヤサカニノ テグルマの御簾を上げ、キミ(アマテル)はヤサカニノ
マカルタマ セオリハマフツ マカルタマ、セオリツヒメはマフツノ
ヤタカガミ アキツクサナギ ヤタカガミを持ち、アキツヒメはクサナギのヤエツルギ
ヤヱツルギ トキニイフキト を携えて権威を示しますイフキトが尋ねます
ユエオトフ ハルナコタエテ ハルナが答えて言います

 

 

ミツハノメで火を消すというのはよくわかりません、やはりヒトデマンかゼニガメの水鉄砲でしょうか?
タチカラヲは無理やり押さえつけて縛ってしまいます。
映画「もののけ姫」のイメージから神秘性を取り除いたのがヲシテの時代であると考えてください。
ナルカミ(雷鳴)、トゲヤ(石火矢?)などとか、製鉄のテクノロジなども映画そのままで考えてください。
ただし、鉄は鋳鉄または錬鉄であり、鋼ではないと考えたほうが無難です。
製鉄はヒッタイトではじまったとか云われていますが、それがヲシテの時代に伝搬していたという記録も伝搬していなかったという記録もありません。
日本列島は世界の文化の移動の終点と云われていますが、ここに記述してあることが疑わしいと『思っているなら、この文献に意味があるとは考えないでしょう。
つまり、「そんなもの、当時あったわけねーじゃん」と思いながらこの文献を読む人は自己矛盾に陥っているわけです。
私も、たぶん無かったろうと思っているものが車輪を用いた乗り物です。
「でも、ここではテクルマといってるし」というのが一番こまってしまうのですね。
さあ、あったのでしょうか、無かったのでしょうか?

 

 

 

 

ヤツカレニ ネノマスヒトガ ネのマスヒトが私に
ヲシエケリ イサオシナラハ 教えたのです、戦果を上げれば
クニツカミ コレソサノヲノ クニツカミにしてやる、これは
ミコトナリ トキニイフキト ソサノヲのお言葉です、と
マフツナラ カンガミントテ それが真実なら考慮しよう
ミカガミニ ウツセハフツク マフツノカガミに写すと
ツバサアリ イフキトイワク 皆、翼があり、イフキトヌシは
コノハタレ ヌヱアシモチゾ このハタレはヌエアシモチだ
ハケワザニ タフラカスモノ 化業でたぶらかすモノは
ミナキラン トキニクスヒガ 皆斬ってしまいました
クマノカミ マネケバカラス クマノカミであるクスヒが呼ぶと
ヤツキタル ココニハタレノ 8人のカラスがやってきました
チオシボリ チカヒトトメテ そしてハタレに血判を押させ、恭順を誓わせます
ウシホアビ カゲウツストキ 身削ぎをして影を写して
ムマスタリ ヒトナルハミナ 60万人を吟味して良民なら
タミトナル サキノツツガノ (朝廷の)タミとしました

 

 

なんと、ネのマスヒト、どうしたもんでしょうか、ソサノヲが首領だったのでしょうか?
聡明なイフキトヌシはマフツカカミ(真実鑑)に照らしてチェックしました。
単にアンチョコをみながら、判断基準でチェックしただけでしょうけど、ふん、こいつら、ヌエアシモチだな!とわかってしまったのです。
ヌエはしばしばお話に出てくる妖怪、アシモチはよくわかりませんが、アシ・モチと分ければ悪し・保ちかしら、継続的に離間工作をする怪しい工作員集団といったところでしょうか、もしかすると熟語になっているかもしれません。
ツバサは、すぐ後に用もなくカラス(八咫烏)をだしているところから、同様な諜報員を連想させているのだと思われます。
この話を息子に見せたところ、タケミカツチの行動が理解できないと言ったので、すこしだけ補足しましょう。
私も、秘密のツツガとアマテルの直接吟味は理解が足りなかったのですが、話をしている途中で気がつきました。
残した100人は帳簿上、罷ったことにして、カラスのグループに加え、シークレットエージェントとする、これは、次世代のカラスなのです。
これでは、近いからといって、クマノミヤで済ますわけにはいきません。
タケミカツチとアマテルカミの間にはあらかじめ取り決めがあり、行動はパターン化されているのでしょう。
ここで、トキニクスヒガクマノカミと言っているので、クマノクスヒがクマノカミ(イサナミ)の霊を呼び出しているように読む人もいますが(高畠氏もそうですね)単に格助詞を並列用法で使っただけで、クマノクスヒが熊野系の族長であることを言っていると考えるのが自然です(伝記作家はもちろん、それを狙ってこう表現しているのですが)ね。
当然のことながら、クマノクスヒもタケミカツチ同様、事情は了解していると思われます、なにしろ彼はカラスのボスなのですから。

 

 

このクマノクスヒという人はイミナをヌカタタと云い、アマテルカミのサの妃の子であり、後世では若王子(にゃくおうじ)とよばれ、キツネの話で出てきた熊野神社を勧進したのにちなんで「若王子縁起」なんていう絵巻物までつくられ、「王子」の地名の元になっているのです。

 

 

さて、ここまで書いて、戦略と諜報が出てきてしまい、当惑された読者も多いかとおもいますが、これが真実というものなのです。
ほとんど大した想像も無しに字面から読み取ることができるのです。

 

 

それに加えて、地方を飛び飛びにハタレが活躍してしまうので、変だな、と思うのが普通の感覚というものです。
そこで、タケミカツチの思考をもう一度トレースしてみましょう。
カホハイヌというのは原縄文人(アイヌと沖縄がそれだと云われています)ではないか?
高畠氏は天という字をあててアイヌと言っていました。(アメ族と外れるので天の字はまずいでしょう)
カタチハマサルというのは山の民(マタギ)ではないか、常盤御前が山窩であったという説もあり、ハタレが出現するのが山の中が多いので、マサル=マタギと言えるか?というテーマになります。
一般に、山窩は情報伝達力が強く、全国ネットワークを持っていることが知られ、けっして、まつろわない民ではなく、並列的に別文化を持っている日本人と考えられており、現在でも普通に、一般人として生活しているのです。
民俗学的にも研究されており、差がわかりにくいのですが、古代から連綿と続く独特な文化をもっているとされています。
ヲシテ時代でも同様だったとすれば、タケミカツチがマサルと表現したのは当時、一般的な呼称がマサルだったのかもしれません。
ここで、常盤御前の例でもわかるように、政権の中核に一定の影響力を持っていた、ということは言えると思います。
つまり、シラヒトがマサルのネットワークを利用して全国でハタレの乱を操作していたのではないか、ということです。
8アヤの文面から読める範囲でも可能性は高いと言えるでしょう。

 

 

諜報抜きの、本来の用法としてのタマカエシノノリは、漢字で書くと反魂の法となり、死者を生き返らせる魔術と思われていますが、ヲシテ文献では、宇宙の根源アモトから下されるタマとクニタマ(地球)にあるシイが結びついたものがタマシイなので、タマとシイを分離することにより、悪い連鎖からタマを開放し、新たなシイと結びつけて生まれ変わらせることができると考えているのです。
この考え方は現在の神道では失われており、現代の神道は甚だしい劣化コピーと言わざるをえません。
50年ほど前、私がまだ中学生だった頃と記憶していますが、靖国神社に祀られている神様は普通の神ではなく、鬼神、つまり護国の鬼だという神学者の論文が紹介されていましたが、私はそれで、靖国神社は戦時に鬼神の威力を利用する呪術であることを知ったのです。
さらに、現代、その鬼神を平和なときに和魂として扱っているかというと、そうでもないのです。
さらに、靖国神社から英霊を開放する方法は無いなどとデタラメを言っているのです。
タマカエシのお祭りをやりさえすれば、護国の鬼はみな開放され新たな日本人として生まれてくることができるとしたら、靖国神社に参拝する必要もなくなり、真に平和な国として、ねじれた皇国史観によるねじれた神道とも決別し、ココロホツマトナル神道が復活すると思われます。

 

 

と、(またか?)ここまで書いて、あれ、ヤサカニノマカルタマ(八坂神社に祀る、罷る魂)・・・ぉぃぉい・・・やはりねじれているかも・・・(神道についてもまだまだ調べないとダメだね)

 

 

次はソサノヲの改心をウタの技法で調べます。