聞いて驚け、今回の記事は先日(・・というほど最近でもない)の第167回直木賞の選評についてじゃなくて、もう1つ前の第166回の選評についてですよ〜!ドヤァ。

どうせならそのまま触れずに放置してもよかったのだが、ちょっとどうしても触れておきたい件がありまして(ならさっさと書けや、とか言わない)、こうして忙しい中、ペンを・・いや、マウスを掴んだわけであります。

 

それにしてももう秋がやってきている。

光陰矢のごとし・・・矢どころか機関銃なみに過ぎていくんですけど!!!

時の流れがあたい、こわい。

 

とかなんとかくだらんこと言っているからどんどん時間がすぎていくのだ。

さっさと第166回の選評について触れていきたい。

 

 

 

↓あもる一人直木賞(第166回)選考会の様子はこちら・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

米澤さんと今村さんがW受賞だったのだが、お二人で受賞記念対談をするかと思いきや、今村さんは少し前まで直木賞選考委員だった宮城谷昌光さんと、米澤さんは同期?的存在の道尾くん(道尾秀介)と辻村美月さんと鼎談しておりました。

どちらもそれぞれ面白かったが、宮城谷さんと今村さんとの対談で、歴史小説や時代小説の資料のあたりかたや書き方について大きくページを割いていたのが非常に面白かった。

読者である私は呑気に読んでいるが、歴史小説家ならではのご苦労や大変さなども垣間見えた。

いずれにせよ、今村さんも米澤さんも、そして道尾くんや辻村さんもこれからますます活躍していく作家さんであり、今後も良作を期待したいですね!

 

さて話は直木賞選評に戻り、本物の選考委員がいかに候補作を読んだのか、が選評として載っていたので簡単にまとめたい(受賞作を中心に)。

※ざっくり◎○△×で分けたが、選考委員の微妙な表現については私のさじ加減なのでご了承を。

 

(選考委員は掲載順)

・浅田次郎 「同志少女よ、敵を撃て」 △

      「新しい星」 ×

      「塞王の楯」 ◯

      「ミカエルの鼓動」 △

      「黒牢城」 ◎

 

読み書きが大好きな作家の幸福感に満ちている、相当に強引な筋立てを立派な形に造り上げた、と「黒牢城」を大絶賛。

「塞王の楯」については長さと詳述に一般読者がついていけるか、と難色を示すも、長編半ばに突然視点変換をしたのは特筆すべきこと、と評している。

 

・桐野夏生 「同志少女よ、敵を撃て」 ○

      「新しい星」 ○

      「塞王の楯」 ◎

      「ミカエルの鼓動」 △

      「黒牢城」 ◎

 

「黒牢城」は品がよく、簡潔な文章と人物造形の巧みさ、ディティールのリアリティなどによって、有岡城の様子が伝わってくる、これはまさしくプロの仕事だ、と感銘を受けた、と絶賛し、それ以降も長文で絶賛〜。

一方の「塞王の楯」についても石工集団と鉄砲鍛冶という当時の職人集団が戦を支える、という設定が興味深い等好印象。

 

・宮部みゆき「同志少女よ、敵を撃て」 ○

      「新しい星」 ○

      「塞王の楯」 ◎

      「ミカエルの鼓動」 △

      「黒牢城」 ◎

 

宮部さんは全候補作に好印象、と言った感じ(でも柚月作品にはちょっとだけ辛口)。いつもは受賞作にしか触れないのに(笑)、今回は全候補作について触れていてくれました〜。

 

・林真理子 「同志少女よ、敵を撃て」 △

      「新しい星」 △

      「塞王の楯」 ◎

      「ミカエルの鼓動」 △

      「黒牢城」 ◎

 

はい、出ました。

今回どうしても触れておきたかったのは、こちらの日大理事長のコメントであります。

先に言っておくが、林のおばちゃんが推したのは米澤さんと今村さんだったそうです。

ああ、そうですか。

それは全然いいのだが、私にとって問題だったのは逢坂冬馬さんの「同志少女よ、敵を撃て」についての選評。そのまま抜き出します。

「『どうして日本人の作家が、海外の話を書かなくてはいけないのか』というものを最後まで拭い去ることができなかった(からだ。)」

なぜ受賞作と思えなかったか、という理由についてこう書いているのだが、

うーん、逆になぜ日本人作家が海外の話を書いちゃいけないのか?って思っちゃうのですが。面白ければいいじゃない。

逆にアメリカ人が日本の話を書いちゃいけないのかしら?

ラストサムライみたいな、アメリカ人が日本人を撮った映画もあるけど(一応主人公はトム・クルーズだけど、渡辺謙が主役みたいなもんじゃん?)、ああいうのもだめってこと?

そんなこと言い出したら、男性作家が女性の話を書いちゃダメ、とか解釈がどんどん広がっていくと思うのだが、どこまでが林氏の許容範囲なのかな?

単純にこういう話って作家としての自分の首を絞めている気がする。

林氏は今後海外の話を書いてくれ、ってオファーがあっても書けないじゃん?・・・とかなんとか、そんなこと言いましたっけ、ウフフとか言って図々しく書くんでしょうけど。

 

まあ、林真理子一人ならいいよ、変なこと言うのは。

一人くらいなら海外の話を書いた作品が、こういうくだらない意見のせいで受賞からはねられる、という被害も他の選考委員が阻んでくれるであろう。

ところが問題なのはこういう意見を述べる選考委員がもう一人いるってことである。

 

というわけで、そのもう一人を掲載順を無視して先に挙げておきたい。

 

・伊集院静 「同志少女よ、敵を撃て」 ×

      「新しい星」 △

      「塞王の楯」 ○

      「ミカエルの鼓動」 ×

      「黒牢城」 ◎

 

評価自体は至って普通で、特に米澤さんについては「令和の本好きは米澤さんから目を離さないようにしなくてならない」と大絶賛。

なのだが、逢坂冬馬さんについて

「私には、なぜ日本人があの悲惨な戦争を描き切れるのか、と疑問を抱くほかなかった。」

とだけバッサリ。

そら、私も逢坂さんの作品については直木賞受賞、とまでは評価しなかったが(とにかく他の候補者が強すぎた)、正直いつ取ってもおかしくない、と大絶賛だった。

 

 

てっきり伊集院氏が大絶賛かと思ったのに、まさかの真逆。

しかも後述するがしをんちゃんが大絶賛(笑)

 

林真理子氏にしても伊集院氏にしても、作家として自分で自分の首を絞めてる気がするんだけどなあ。

可能性を自分で潰していくスタイル。

自分で自分を潰すのは勝手にしてくれていいのだが、今後こういう海外の話を書いた作品は、この二人に受賞を邪魔されるってことなんでしょうか・・・?

もし今後海外の話を扱った、ものすんごい作品が候補に挙げられたら、このお二人は選考委員としてどう評価するおつもりなのだろうか。・・それはちょっと見てみたい。←意地悪〜。

 

・角田光代 「同志少女よ、敵を撃て」 △

      「新しい星」 △

      「塞王の楯」 ◎

      「ミカエルの鼓動」 △

      「黒牢城」 ◎

 

それぞれの候補作にとても誠実な選評を書いている。

角田さんの選評は毎回とても丁寧で誠実で、すごくあったかい気持ちになるし上に勉強になる。与えられた文字数も他の選考委員と同じはずなのに、どうしてこうも違うのか。

受賞作二作には「『今』を代表する作品になると思う」とエールを送っていた。

 

・三浦しをん「同志少女よ、敵を撃て」 ◎

      「新しい星」 △

      「塞王の楯」 ○

      「ミカエルの鼓動」 △

      「黒牢城」 ○

 

しをんちゃんは軽いタッチで選評を書くのだが、内容は非常に濃い。しかも作品を技術的な視点や感情的な視点など多角的に読んでいる。

上記の角田さんとは違った視点から鋭く切り込む姿勢はこれまた勉強になる。

その上で「同志少女よ、敵を撃て」を推してくれているのは好印象であった。

そりゃ私も「流石にそれはちょっと評価が高すぎませんかね!?」とは思ったが(実際しをんちゃんも、文章がやや練れていない点や文章を綴る際の技術的な問題について指摘)、林氏や伊集院氏のような選考委員がいる中で、この作品を激推ししてくれたのはすごくよかったと思う。

しをんちゃんを直木賞選考委員の良心と呼びたい。

 

・北方謙三 「同志少女よ、敵を撃て」 △

      「新しい星」 △

      「塞王の楯」 ◎

      「ミカエルの鼓動」 △

      「黒牢城」 ○

 

最近オジキの選評がまともで困るわ。←コラッ。

昔から今村さん推しのオジキだけあって、若干今村さんびいきの文言が見え隠れしていたが(笑)、全体的に候補作をきっちり読んでいるのもよくわかるし、特に文句がないのが寂しい。

・・いつからそんな物分かりのいいオジキになったの。

あもちゃん、寂しいわ笑

じゃ、ここでいつものお約束。

みんなお忘れかもしれないので、ここでオジキの名言をリピートアフタミー!

 

ソープに行け!

(・・・・・・)←耳を傾けてうんうんと頷くあもちゃん。

 

はい、よく言えました。以上です。

 

・髙村 薫 「同志少女よ、敵を撃て」 △

      「新しい星」 △

      「塞王の楯」 ○

      「ミカエルの鼓動」 △

      「黒牢城」 △ 

 

相変わらず高村さんは全体的に厳しい。

今回は全候補作のレベルが高かったためいずれも辛口の評価で、その中で「直木賞」というエンタメ作品に一番ふさわしかったのは今村さん、だった模様。

 

以上であります。

 

 

候補作全てがレベルが高かったため、選考過程も大混戦だったかとも思ったが、案外そうでもなくすんなり受賞作二作で決まった模様。

まあ、それはそれでいいのだがやはり問題は「同志少女よ、敵を撃て」の扱いですわな。

あの二人の選考委員の今後の選評に注視したい。意地悪な視点で〜。

 

ところでこの「同志少女よ、敵を撃て」は直木賞は逃したが、本屋大賞を受賞している。

今まで本屋大賞については私の中で評価は高くなかったのだが、この受賞を知った時、本屋大賞の存在の重さを実感した。

直木賞の悪いところを本屋大賞が浄化してくれている。

流石にこれは大袈裟かもしれないが、直木賞ができないことを本屋大賞がやってくれているのは確か。

この時初めて「本屋大賞、ありがとう」って思ったね。

 

てなわけで、勢いそのまま、先日(・・というほど最近でもない)の第167回直木賞についての選評についても近日アップしま〜す。・・・書く書く詐欺。